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霊性の洗礼

たけんまず、間違いなく霊性を開顕したグルを見つけて、そのグルに受け入れてもらうことである。それができたら、この修行は八分どおり成功したといっていいくらいである。それくらい重要なことであり、かつ、むずかしいということである。

グルなくして、正しい霊性開顕の仏道修行は不可能である。ふつうの仏教信心とはちがうのである。信心のしかたや、信仰のしかた、経典の講義や解釈を教わるという程度のものならばとにかく、霊性開顕の仏道修行は、強力な霊的能力を持つグルの助けなくしては、絶対といっていいほど、できないのである。

たとえば、インド近代の聖者ラーマナ・マハリシが、入門者に対して、「凝視の方法」で受け入れの儀式をおこなったとき、彼の両眼の輝きと力が相手の心をつらぬいて、その雑念の流れを断ち切ってしまったといわれる。ときとしては、まるで電流が身の内に流れ込んだように相手は感じたともいわれる

出現した仏陀たちの変化身であり、未来の仏陀たちが生まれ出る母であり、いまここに仏陀を体現している尊い存在なのである。

グルは、弟子にとって、この世の中のいかなるものよりも尊い、かけがえのない存在であるといわねばならない。なぜならば、弟子は無限の昔から輪廻の旅

をつづけて、いまここに至っている。これからも苦しい輪廻の旅を無限につづけ

ていかなければならない。過去、いままで(の生)にどれだけ多くの仏陀たちが

輪廻の鎖を断ち切ってニルヴァーナに至るようよびかけたことであろうか。し

かし、煩悩と悪行に心曇らせていたために、弟子は、それらの仏陀たちの招き

ひりよにこたえることができなかった。それがいま、ここに、無量の慈悲心をもって

ニルヴァーナに導いてくれる師があらわれ、その方と縁が結ばれた。グルこそ

仏陀そのものなのである。その深い畏敬と憧憬の心をもってグルにしたがった

とき、グルは全身全霊の力をもって、弟子を導いてくれるであろう。グルは、

弟子と仏陀とを結ぶかけがえのない水路であり、この水路を通じて仏陀の霊性

と霊的パワーが弟子の心に流れ込んでくるのである。最終的な霊性の開顕は、

なのである。 グルからの霊的パワーの感応なのである。感応道だといい、面点駅という言葉があるが、すべての技法の最後の仕上げは、グルからの愛的感応なのである。そしてそれは、師と弟子と、総一無差に心が融け合わねばなしえないもの

受け入れの秘儀

ここで、わたくしがおこなってきた独自の「受け入れの秘儀」についてお話ししておこう。

『とうしわたくしのおこなう、「受け入れの秘儀」とは、凝視のしかたと、それから、 わたくしの指導によるアージュニャー・チャクラへのメッセージ伝達から成っ

ている。

この凝視のしかたをおこなう聖者は、ほんのわずかであるが、わたくし以外にもおられる。しかし、これは、 これは、クンダリニー・ヨーガを完成した聖者でなければできない。

ばできない。

はケングアニー・ヨーガを完成した雪者でない

このことは、前出の「密教・超能力の秘密」に書いているが、このころ、わたくしは「受け入れの秘儀」に凝視のしかたで臨むということを、すでに決めていた。しかし、残念ながら、当時、わたくしの弟子として受け入れることのできる人は、まったくといっていいほどいなかった。最近になってようやく、熱心に修行している弟子の中から出てきて、実現できたのである。

「受け入れの秘儀」は、いわば仏教の入門得度にあたる。だから、弟子のことをいつも心にかけ、その一人一人に応じたしかたで指導していく。凝視したときに、「今後、どのように指導していったらよいか。どういう霊障を持っているのか」がすべてわかってしまうので、それに応じて指導していくのである。

ある。 そして、アージュニャー・チャクラへのタッチも、おこなう。弟子へのメッセージを伝えるのである。それには三種類あるが、いずれも、潜在意識に直に 「伝える。これは、前述の「思念による王者の相承」の一部にもなっているので

第二章の開

 

 

 

117

第二章の開発法

 

115

第二章 関の開発法

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