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第七話 八正道の修行――光の歩む道

第七話 八正道の修行――光の歩む道

夜明けの山に、鳥の声が響いた。
長き修行を終えた真玄は、静かに立ち上がった。
彼のまとう衣は、もはや修行者の粗衣ではなかった。
それは朝の光を受けて柔らかく輝き、まるで空そのものをまとっているようであった。

谷の下には、ひとつの小さな村があった。
人々は貧しく、病や争いが絶えなかった。
真玄は、師の庵をあとにし、山道を降りていった。
彼の歩みはゆるやかで、ひとつひとつの足音がまるで大地を撫でるように響いた。

一 正見――光の根を見る者

村に着くと、真玄は最初に老人の嘆きを聞いた。
「この世は苦ばかりだ。何を信じて生きればよいのか分からぬ」と。

真玄は微笑み、静かに言った。

「苦を苦と見て、それを逃げずに観ること――それが、光を見る第一歩です。
苦を否定せず、そこに因と縁を観ずるなら、必ず道が見えてくる。」

彼の言葉は説法というよりも、春風のように柔らかであった。
老人の目から涙が一筋こぼれ、真玄はただその肩に手を置いた。

それが「正見」――真理を正しく観るという行いであった。

二 正思惟――心が慈悲に向かう

次に、村の子どもが倒れた。
母親は泣き叫び、薬もなく、夜は深まっていく。

真玄は焚き火の前で静かに祈りを捧げた。
「願わくは、この子の苦しみが軽くなりますように。」

彼は子の額に手をあて、ゆるやかに呼吸を合わせた。
思考を超え、心が慈悲そのものになる。

それは「正思惟」――正しい思念が、慈しみの方向に定まった瞬間だった。

三 正語――真理を語る声

翌朝、村人たちが争っていた。
境界の畑をめぐって、互いに怒りをぶつけ合っている。

真玄はその場に立ち、ただ一言だけ語った。

「この土は、誰のものでもありません。
春になれば、花が勝手に咲くように、
大地もまた、皆のいのちを平等に養うのです。」

その声には力がなかったが、真実があった。
言葉は風となり、人々の怒りの火を静かに鎮めていった。

これが「正語」――心と調和した言葉である。

四 正業――手が祈りとなる

ある日、倒壊しかけた橋を渡ろうとする者がいた。
真玄は黙って衣の袖をまくり、木を運び、村人と共に橋を直した。

誰もが「僧がなぜそんなことを」と問うたが、
彼は笑って答えた。

「橋を架けることも、法を説くことと同じです。
人と人、心と心を結ぶ道だから。」

これが「正業」――身の行いが法となる姿であった。

五 正命――清らかな生

真玄は村で病人の世話をし、畑を耕しながら暮らした。
人々の施しに依りながら、決して貪らず、必要なだけを受け取った。

彼の生は、何かを得るためではなく、ただ法の流れの中に在るだけだった。
朝には鳥と語り、夜には星を見上げ、
「生きること」そのものが、祈りであった。

それが「正命」――清らかな生活そのものの実践であった。

六 正精進――心火の灯を絶やさず

嵐の日もあった。
村人たちが希望を失い、作物が倒れた。

真玄はひとり、雨の中で種を蒔き続けた。
泥にまみれ、風に打たれながらも、彼の目は光っていた。

「どんな時も、心火を絶やすな。
たとえ今が闇でも、明日は必ず芽が出る。」

これが「正精進」――あきらめぬ歩みの光であった。

七 正念――日々に咲く花

やがて、村には静かな笑顔が戻ってきた。
人々が働く姿、子どもの笑い声、
それらすべてが真玄の心に映るたび、彼は深く合掌した。

“いま、この瞬間が仏国土である。”

彼は悟った。
覚りとは山の上にあるものではなく、
人の間に、日常の中に息づいている。

それが「正念」――気づきの花が、常に咲き続ける道であった。

八 正定――歩く光

ある夜、真玄は満月の下で立ち止まった。
村の屋根々に灯りがともり、風は柔らかく吹いている。

彼の歩みは止まらない。
歩くたびに、光が生まれ、その光が道を照らす。

“定とは止まることにあらず。
静けさを携えて、動くことだ。”

真玄は微笑んだ。
そして、ゆっくりと山の向こうへと歩き出した。
彼の姿は次第に光に溶け、夜の空に融けていった。

🌕 終章の教え ――歩く光となる

八正道とは、悟りの終わりではなく、
悟りが“生きる”道である。
正しく観じ、正しく思い、正しく語り、正しく行い、
正しく生き、正しく進み、正しく気づき、正しく定まる。
その歩みの一歩一歩が、世界を照らす光となる。

花が咲き、香りが世界に広がるように、
覚りの人は、ただ歩く。
その足跡が、すでに道である。

 

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