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第六話 七覚支の修行――覚りの花ひらく時

第六話 七覚支の修行――覚りの花ひらく時

夜明け前の山は、深い青の静寂に包まれていた。
谷の底を流れる水音が遠くに響き、霧はまだ眠る森を覆っている。

真玄は、岩の上に静かに座していた。
長い年月の修行が、今、ひとつの節目を迎えようとしていることを、彼は肌で感じていた。
呼吸は穏やかで、心は波立たず――それは、花が開こうとする前の、静かな息づかいのようであった。

一 念――花の蕾、いのちの気配

まず、「念」が芽吹く。
それは春先、まだ冷たい土の中で息づく蕾のように、
“今ここ”に在るという確かな生命の実感であった。

過去への悔いも、未来への不安も、すべて霧のように消えていく。
残るのは、ただこの瞬間――息を吸い、吐く、その行為だけ。

真玄の心に、ひとつの光がともった。
それは小さな灯のようでありながら、彼の全身を包み込む優しさを帯びていた。

二 擇法――蕾がほころぶ時

次に、「擇法」の風が吹く。
心は静まり、見極める力が育つ。
何が道であり、何が妄想なのか――彼は、自らの心の中にある善悪を分ける智慧の眼を得た。

それは、花弁が外の世界へ開かれようとする瞬間に似ていた。
風の方向を知り、光を求め、内から外へと伸びる生命の選択である。

三 精進――朝陽に伸びる茎

「精進」は、太陽に向かう草木のように、止まることを知らぬ力。
真玄は、眠気にも怠惰にも屈せず、日々、心を耕し続けた。

“努力とは、我を強めることではない。
正しい方向へと心を整えることだ。”

その悟りが訪れた時、彼の呼吸は炎のように整い、
心の内に一本の光の柱が立った。

四 喜――花が光を受ける

「喜」は、目覚めの朝。
鳥の声が響き、露がきらめく。

真玄の胸の内に、理由のない歓喜が満ちた。
それは、求めることをやめた心が、宇宙と一つになったときに訪れる喜び。

涙が一筋、頬を伝う。
それは悲しみではない。
長き夜を越えて、初めて見る光に心が震えたのだ。

五 軽安――風に舞う花弁

「軽安」は、柔らかな風。
身も心も軽く、重荷が消え、思考が透きとおる。

彼の周囲の森が、まるで息をしているように感じられた。
木々の葉は語り、石は沈黙の中に法を説いている。
すべてが安らぎの声であった。

六 定――満開の花、ひとつの光

「定」は、花が完全に開き、天空と一つになる瞬間。
真玄の意識は、ひとつの光となって広がった。

内も外もなく、上も下もなく、
彼自身が、風であり、水であり、星である。

“この静寂の中に、すべての音がある。”

時間は止まり、世界は無限に拡張した。

七 捨――花が散る、その美しさ

最後に、「捨」。
花は散る。
だが、それは終わりではない。

彼は、開いた花が静かに大地へ帰る様を見た。
執着も、歓びも、善悪すらも、すべてを手放す。
そこにはただ、法の流れがあった。

“花は咲き、散り、また咲く。
それが、いのちの道。”

真玄の頬に風が触れた。
その瞬間、彼の心は完全な静寂に溶け、
“覚りの花”が音もなくひらいた。

夜明けの光が山を染めた。
その光は真玄のまとう衣にも映り、淡く金色に輝いていた。
弟子たちは、遠くからその姿を見て、ただ合掌した。

師の背に、ひとひらの花が舞い降りた。
それは七つの色を宿す光の花――七覚支の象徴であった。

🌸 終章の余韻(教え)

花が咲くように覚るとは、
心を無理に変えることではなく、
正しい因を耕すことにある。
念を保ち、法を観じ、精進を続け、喜びを知り、軽やかに、静かに、そして捨てる。
その時、覚りは自然に花ひらく。

 

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