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ーナ」である。 宗教の究極は、「魂の安息」を得ることであろう。ブッダのいう「ニルヴァ

それは、智慧によって得られるものと思う。

愛と慈悲はどうであろうか。

うか? 愛と慈悲は、他にたいするものである。魂の安息は、自分自身にたいするものである。他にたいする慈悲と愛によって、自己の救済がなし得るものであろ

自己を救済するためには、当然、(今までにない、なんらかのあたらしい) 力量なり、才能が自分に加わる必要がある。それをなすものは、智慧か、愛

か、慈悲かという問題である。

神の絶対の「愛」、仏の絶対の「慈悲」を信ずることにより、「魂の安息」が得られ、自己の「救済」が完成するという考えかたもある。

「智」と「信」との対極の構図となる。

の「智の探求」には、肉体は邪魔であり、哲学こそ、「死の演習」でなければならぬというプラトンの考えは、厳粛、かつ壮絶きわまるものであり、 この構図にたいし深く示唆するものがあろう。

二十世紀最の歳、十二月二十八日

桐山靖雄

 

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