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賢人の五階梯 ――ブッダが遺した成仏法』 序章 光を求める者

『賢人の五階梯 ――ブッダが遺した成仏法』
序章 光を求める者

静謐で現代的な叙情を保ちつつ、真輝が「賢さ」と「悟り」を探す旅へ踏み出す導入章としてお届けします。

序章 光を求める者

夜の終わりが近づく頃、真輝はまだデスクに向かっていた。
モニターの光が、部屋の白い壁を淡く照らしている。
プログラムのコードが流れ、思考が渦を巻く。
だが、心はどこか遠くにあった。

「こんなに考えても、何も変わらないな……」

自嘲のように呟いた声が、静かな部屋に響く。
頭では理解している。
努力も理性も、結果を生み出す。
けれど、心の奥にはいつも「満たされぬ空洞」が残るのだった。

その夜、窓の外には都会の霧がかかっていた。
遠くのビルの灯りがぼやけ、世界がゆっくりと溶けていくようだった。
真輝はふと、スマートフォンの画面を開いた。
SNSの言葉の洪水。ニュースの騒音。
どれも心を埋めてはくれない。

そのとき、不意に目にとまったのは、一つの古い言葉だった。

「賢人とは、智慧を積み重ねてゆく者である。
智慧は、清めの道の果てに咲く。」

引用の出典には、こうあった。――『阿含経』

胸の奥が静かにざわめいた。
「賢くなる」ということが、いつの間にか数字や地位の意味に変わっていた。
けれどこの言葉は、もっと根源的な何かを指しているように思えた。

その夜、真輝はノートを開き、書き記した。

「智慧とは何か。
賢くなるとは、どんな道なのか。」

ペンの先が震える。
心の奥で、何かが目を覚ます気配があった。

翌朝、彼は久しぶりに早起きをした。
薄明の中、静かな街を歩く。
コンビニの前を過ぎ、ビルの谷間を抜ける。
冷たい空気が肺に入り、思考が澄んでいくのを感じた。

その角に、古びた木造の建物があった。
小さな看板に、筆書きの文字が見える。
「禅学会館」

なぜか足が止まった。
その瞬間、扉の向こうから声がした。

「探していたのかね、光を。」

年老いた僧の声だった。
穏やかで、しかし奥に鋭い響きを持っている。

真輝は言葉を失ったまま、うなずいた。
老僧は微笑み、静かに告げた。

「では、光を掴もうとするのではなく――
光が、君を掴むまで待ちなさい。」

その言葉が、胸の奥深くに沈んでいった。

やがて、老僧は一冊の古びた経典を差し出した。
「七科三十七道品――ブッダの遺した成仏法だ。
もし、本当の智慧を求めるなら、ここから始めなさい。」

真輝は経典を受け取った。
その表紙には、静かにこう記されていた。

「賢人の五階梯」

――すべては、そこから始まった。

 

第一章 シュダオンへの覚醒 ――けがれを脱ぐ者

朝の光が、ビルの谷間をゆっくりと染めていく。
真輝は小さな経典を胸に抱き、禅学会館の庭に立った。
冷たい空気が頬を撫で、胸の奥に眠る雑念を揺さぶる。

老僧は静かに座り、彼を見つめた。
「シュダオンへの道は、まず自分を知ることから始まる。」
声は穏やかだが、言葉の重みが、胸骨を震わせた。

真輝は深く息を吸った。
心の中で渦巻く感情、過去の記憶、誰かへの怒り――
それらすべてが、まだ消えてはいなかった。

「まず、目に見えぬ汚れを洗うのだ。」
老僧は水面に小石を落とす。
波紋がゆっくり広がり、やがて静かに消える。
「心も同じ。乱れた波をただ見つめ、消えてゆくのを待つのだ。」

真輝は座り、瞑想を始めた。
呼吸を整え、息の一つひとつを感じる。
思考が浮かぶたび、捕まえず、評価せず、ただ通り過ぎさせる。

数時間が過ぎ、日が高くなる。
雑念の波が、少しずつ薄れ、心が澄んでいく。
胸の奥に、微かだが確かな光が差し込むのを感じた。

「これが……清めるということか。」
真輝の声は、ほとんど風に溶けた。
汚れを取り去るとは、ただ否定することではない。
自分を、すべての感情を、ありのままに受け入れ、見つめること。

午後になり、庭の木々が影を落とす。
真輝は立ち上がり、深く一礼した。
老僧は微笑む。
「今日の一歩は、ほんの始まりにすぎぬ。
だが、この小さな光が積み重なれば、やがて賢者の道となる。」

真輝は経典を胸に抱き直し、静かに歩き出す。
階段を下りるたび、世界が少しずつ変わって見えた。
空気の透明さ、風の匂い、足音の響き――
すべてが清らかに、胸に届く。

彼の目にはまだ全てが鮮やかに映っていた。
けれど、かつての混乱は消えつつある。
これが、シュダオンへの第一歩――
「けがれを脱ぐ者」の覚醒の始まりだった。

第二章 シダゴンへの歩み ――心を高める者

朝の光が、街路樹の葉を透かしてゆらめく。
真輝は再び禅学会館の庭に立ち、深く息を吸った。
昨日よりも、空気の透明さを肌で感じる。
胸の奥に灯った光が、少しずつ、身体の隅々に広がっていくのを覚えた。

老僧は静かに語りかける。
「シュダオンで清めた心は、まだ基礎にすぎぬ。
次は、光を高める修行だ。」

言葉の一つひとつが、真輝の心を揺さぶる。
高める――それは、他者を理解すること。
自己を超え、世界を知ること。

彼は瞑想を続ける。
呼吸を感じ、身体の感覚に集中する。
雑念は浮かぶが、先ほどのように恐れず、ただ見つめる。
「思考に巻き込まれず、感情に染まらず、ただ在る」
それがシダゴンへの第一歩だった。

午後、庭の静けさの中、子どもたちの笑い声が遠くに響いた。
真輝はそれを聞きながら、微笑みが自然に胸に広がるのを感じる。
慈悲の光――他者へのやさしさが、思考ではなく、身体で理解できる瞬間だった。

老僧は静かに立ち、彼の肩に手を置いた。
「光を高めるとは、力を増すことではない。
心を開き、世界に調和すること。
その中で、智慧は自然に育つ。」

夕暮れが近づき、空が朱に染まる。
真輝は経典を抱き、階段を下りる。
胸の中の光は、昨日よりも鮮やかに、彼を照らしていた。
日常の風景も、静かに、しかし確実に変わって見える。

――これが、シダゴンへの歩み。
光を清め、さらに高め、世界と調和する者の道。
真輝の胸の奥に、次なる扉が静かに開き始めていた。

第三章 アナゴンの試練 ――次元を超える者

夜明け前の街に、霧が静かに降りる。
真輝は屋上に立ち、手にした経典を抱いたまま、深く呼吸を整える。
胸の奥には、清めと高めの光が確かに宿っていた。
だが、今度はそれを超える試練が待っている。

老僧は後ろで静かに立ち、言葉を落とす。
「次は、次元を超える覚悟だ。
善も悪も、過去も未来も、すべてを超えよ。」

真輝の胸がざわつく。
善悪を越える――それは、思考を手放すことに等しい。
正しい・間違っているという判断を手放すこと。
安全な世界の境界線を捨て、未知の領域へ踏み出すこと。

瞑想の中で、彼は自分の感情や欲望を一つひとつ見つめた。
怒りも悲しみも、喜びも愛も、
そのすべてが波となって心に押し寄せる。
捕まえず、拒まず、ただその存在を感じる。

時間の感覚が溶ける。
思考はゆっくりとほどけ、意識は空間の広がりに溶け込む。
屋上から見下ろす街の灯りも、もはや「自分の世界」ではない。
光と影が、ひとつの呼吸で繋がっていることに気づく。

「無我……」
真輝の心に小さな声が響く。
自我の輪郭が、風に吹かれた水面のように揺らぎ、やがて消えていく。

霧が晴れ、夜が溶けるとき、胸の奥に広がる光は、以前よりも強く鮮やかだった。
それはもはや、個人の光ではない。
世界そのものとひとつになった光――
存在の次元を超えた覚醒の光だった。

老僧は静かに微笑み、手を振った。
「これがアナゴンの試練だ。
光は君を導き、君もまた光となる。」

真輝は屋上の端に立ち、風に身を任せる。
過去も未来も、正誤も善悪も、すべてが一瞬のうちに消えた。
残ったのは、ひたすらに広がる光――
そして、深い静寂。

胸の中で、ひとつの確信が芽生えた。
――光は、自己の内だけではなく、世界そのものに宿るものなのだ。

彼の覚醒は、まだ終わらない。
次に待つのは、光の完成――アラカンへの道である。

第四章 アラカン――光の完成

夜明けの街はまだ静かだった。
霧は消え、空は淡い蒼をまとい、ビルの輪郭が柔らかく浮かぶ。
真輝は広い屋上に立ち、深く息を吸った。
胸の奥で、これまでの歩みのすべてがひとつに重なり、光の柱となって立ち上がる。

老僧はもう後ろにはいない。
言葉も、教えも、今は必要ない。
すべての導きは、真輝自身の内に宿っていた。

「これが……完成か」
静かに呟く。
自己の輪郭は消え、心は世界と溶け合い、光がただ存在する。

足元の街路灯も、通り過ぎる人々の影も、微かな風も、
すべてが彼の一部となった。
世界を分ける線も、時間の制約も、過去や未来も、
一瞬にして溶け去った。

胸の奥に、ひとつの静寂が広がる。
その静寂は、孤独ではない。
喜びでも悲しみでも怒りでもない。
ただ、ひたすらに光が在る。

真輝は目を閉じ、微笑む。
光は胸を満たし、全身を駆け巡り、やがて身体の外へも広がっていく。
街は目覚めつつある。
人々の一瞬の呼吸、歩く足音、窓辺の光――
そのすべてが、静かな調和を奏でる。

彼は知る。
智慧とは、知識や計算ではなく、存在そのものと調和すること。
賢者とは、光を保つ者ではなく、光そのものになる者。

やがて太陽が顔を出し、街を黄金色に染めた。
光はただ、あたりまえに、そこにある。
そして、真輝の歩みもまた、あたりまえに世界の中に溶けている。

――これが、アラカンの完成。
光は完成し、自己は消え、存在は世界とひとつになった。

最後に、遠くから微かな声が聞こえる。
子どもが笑う声、鳥のさえずり、風の囁き――
光は、いまも歩いている。
世界のすべての中を、私たちの胸の奥を、静かに照らしている。

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