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小説風大日如来 ――宇宙を包む仏の物語

小説風大日如来 ――宇宙を包む仏の物語

ある旅の僧が、深い山の奥の伽藍にたどり着いた。
堂の中央には、豪奢な宝冠をいただき、光をまとった仏が静かに座していた。

「これが……大日如来か」

その姿は、ほかの如来とは異なっていた。装飾を避け、質素な姿で表されるはずの如来が、なぜか宝飾をまとい、髪を結い上げている。その理由を僧は師から聞いていた。

「大日とは、大いなる太陽の意だ。
宇宙そのものを現し、すべての命の根本に座す仏……毘盧舎那のさらに深き姿である」

大日如来には二つの相があるという。
ひとつは、金剛界大日如来。智慧を象徴し、砕けることのないダイヤモンドのように揺るぎない光を放つ仏。印相は、左の人差し指を右の掌で包み込む智拳印。
もうひとつは、胎蔵界大日如来。母胎のようにすべてを抱き込む慈悲を象徴し、両手を組み合わせて定印を結ぶ。

僧は思った。
――太陽が遠くにありながら、誰もがその温もりを身近に感じられるように、大日如来もまた遥かでありながら、すべてを包んでいるのだろう。

師の言葉が心に響く。
「大日如来は遠き存在ではない。そなたの胸の内にも仏性は息づいている。それに気づけばよい。密教の即身成仏とは、まさにそのことだ」

僧は合掌し、真言を唱えた。
「オン バサラ ダトバン……」
「オン アンビラ ウンケン……」

その瞬間、堂を満たす光は、ただ外に在るのではなく、自らの内にも広がっていることに気づいた。

太陽が命を育み、世界を温めるように、大日如来の慈悲は絶えず流れ続けている。
迷いに沈むときも、悩みで道を見失うときも、この仏は正しき方向を示してくださる。

僧は静かに目を閉じた。
宇宙の原理は変わることなく、真理は常にそこにある。
大日如来の光は、今もすべての生きとし生けるものを照らし続けていた。

山を下り、里へ戻った修行者のもとに、
ある夕暮れ、一人の母が幼子を抱いて訪れた。
子は痩せ細り、微かな呼吸を繰り返している。
母の眼は涙に濡れ、声は震えていた。

「尊き方よ……私は毎夜、仏へ祈りました。
どうかこの子の苦しみを取り去ってくださいと。
けれども願いは届かず、この子はなお病に伏しています。
仏は……仏は、私を見捨てられたのでしょうか」

堂の灯火は静かに揺れ、修行者はしばし瞑目した。
そしてやわらかに口を開く。

「母よ。
大日如来の光は、遠い空の果てにあるのではない。
あなたがその子を抱きしめる、その温もりのうちにこそ宿っているのです。
その小さな手のぬくもりも、胸の鼓動も、
仏の慈悲の顕れにほかなりません。」

母は嗚咽しながら子を見下ろした。
病の影はなお濃く、苦悶は去らぬ。
けれども、確かに小さな掌が母の衣を握り、
かすかな息が母の胸を押し上げている。

母の心に、静かな声が響いた。
――「生きている。いまここに、この命がある。」

「この子の命も……仏の光なのですね」
母は涙の中で囁いた。

修行者は頷き、両手を合わせた。
「オン・アビラ・ウンケン……」
真言の響きが堂に満ち、
母子を包む灯火は、やわらかに揺れながら光を増してゆく。

母の涙は止まらなかった。
しかしその涙は、絶望のものではなく、
慈悲の海に抱かれた安らぎの涙であった。

こうして母子は、再び歩みを始める力を得た。
そして修行者は心に刻んだ。

「大日如来は遠き彼方にあらず。
人と人とが寄り添う、その愛の中にこそ、永遠に光り続ける。」

 

 

 

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