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そろった阿含宗

です。 おもしろいお話ですが、それと同時に、お釈迦さまはとても大切なことをここでおっしゃっておられます。それは、なにか?

――三証そろった阿含宗

『応説経」のこの部分が、成仏できるという「文正」なのです。「文証」について、ここで詳しく説明します。

仏教では、「文証」「理」「現匠」の三匠がそろわなければ、その教団の教法は正法ではないとします。文証とは、お経に文字として書かれている「成仏の証」です。要するに、仏さまがお軽の中で成仏できるとおっしゃっているかどうか、ということです。

「死」の「若し比丘、修習し類成する者は尽解脱せしめんと欲せずとも両も彼の比丘、自然に漏尽し心に解説を得ん。所以は何ん。修習するを以ての故なり。何をか修習する所なる。調ゆる念処・正動・如意足・根・力・覚・道を修する」という部分、これが「文証」なのです。たったこれだけの文章ですが、本当に大切なことが説かれています。この部分が「応説経」 の、いや「阿含経」全部の中心になるとわたくしは思います。

よい機会ですから、「理証」と「現証」についても、お話ししておきましょう。 まず、「理証」。これは、その「文証」が理論的に正しいという裏付けです。

しばしば「法華経」の信者が、「四十余年末顕真実(《初転法輪より〉四十余年の間、いまだ真実を明かさず)」という「文証」を振りかざします。「四十余年末顕真実」という言葉は、『法華経』 の開経とされる「無量義経」の一文です。したがって「四十余年末顕真実」と

「說」の「若し比丘、修習し隨願成就する者は足解脱せしめんと訳せずと雖も雨も彼の比丘、自然に漏尽し心に解説を得ん。所以は何ん。修習するを以ての故なり。何をか修習する所なる。調ゆる念処・正動・如意足・根・力・覚・道を修する」という部分、これが「文証」なのです。たったこれだけの文章ですが、本当に大切なことが説かれています。この部分が『応説経』 の、いや「阿含経」全部の中心になるとわたくしは思います。

よい機会ですから、「理証」と「現証」についても、お話ししておきましょう。

まず、「理証」。これは、その「文証」が理論的に正しいという裏付けです。

しばしば『法華経』の信者が、「四十余年犬獸真実 (<初転法輪より>四十余年の間、いまだ真実を明かさず)」という「文証」を振りかざします。「四十余年未顕真実」という言葉は、『法華経』 の開経とされる『無量義経」の一文です。したがって「四十余年未顕真実」とは、あくまでも 「無量義経」に基づいての「文証」です。しかし、『法華経』は、お釈迦さまが入滅されて数百年も経ってから創作された経典です。また、現代の経典研究では、『無量義経』は『法華経』の権威を確固たるものにするために、中国で撰述されたいわゆる程であろうとされております。要するに、『無量義経」の「四十余年未顕真実」という経文は、正しい「文証」にはならないわけです。

ですから、「文証」「文証」といくら叫んだところで、それを記す経典が仏さまの説いたものでなければ、まったくお話になりません。「理証」があって初めて、「文証」が生きてくるわけです。 しかし、「文証」と「理証」の二つがそろっても、まだ完全とはいえません。最後に「現証」 が必要です。「現証」とは、仏さまがその教団の正統性を認められ、擁護してくださっていると

七七

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