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あとがき

あどがき

結局、宗教は二つのものに集約されると思う。

レベル以下の、宗教という名に値しないようなものは別として、

一つは、感性を昇華させたもの。

一つは、知性を凝縮・飛躍させたもの。

この二つである。

前者の代表が、「愛」を説くキリスト教、

後者の代表が、「智恋」を説く仏教、

で、この二つの宗教は、それぞれの経過をたどって、最高度に発達した。最高度に発達して行きづまった。行きづまっていないというひともいるかも知れない。しかし、いま、人類がかかえる矛盾と混乱と苦悩は、すべてここから出ているのである。宗教は人類の救済に明らかに失敗している。宗教の行きづまりが人類の行きづまりなのである。

 

この行きづまりを、どう打開するか。

ここに一つのあたらしい道がある。

愛と智恵

愛を方向づけるものは智恵である。智恵を育くむものは愛である。これまで、この二つがべつべつの道を歩んでいたところに不幸があった。いま、全地球的な世界宗教が出現せねばならぬ時である。キリスト教も仏教も、べつべつな道を歩んでいるかぎり、地方宗教にすぎない。 ローカル

これは暴言であろうか?

この本を刊行することに、わたくしは非常な勇気を要した。夢中で書き終えてベンを置き、読み返してみて、正直、「こわい」と思った。

めてである。 これまでの著作の中で、書き終わって、出版しようかどうしようかと考えたのはこの本がはじ

結局、自分の信念に従った。

のためにたのに変

だ。 このたびのバチカン市国訪問は、思いがけぬことの連続であった。そのたびに、わたくしは面くらいながら、一面、当然のような気もしていた。ヨハネ・パウロ二世教皇聖下と、ふしぎなつながりを感じていたからである。教皇聖下は一九二〇年五月十八日のお生まれ。わたくしも一九二〇年に生まれている。一月五日生まれ、ただし戸籍は四月二十日。聖下の教皇ご就任が一九七八年十月。わたくしの阿含宗立宗が一九七八年四月、である。そのほか、ここでは述べないが、 でただ一人、わたくしに向かって歩みよられ、握手を賜ったのも、ふしぎではないと思われるの

占星術のほうでも、ふしぎな共通点がいくつかあるのである。教皇聖下が、三十万人の群衆の中

いま、こうして筆をとっていても、無性になつかしくなるお方である。

一九八五年六月十七日朝

仙台にて記す

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