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  • 自分、自分と

る。人間とは、決して、統一されたひとつの人格から成り立っているコニー

である。自分の中に幾人もの自分を持っている。いや、ときには、自分の中に自分で

はない自分――他人がひそんでいることさえあるのである。

ほとんどの人がこの重大な事実を知らないでいる。

自分の中で自分を動かす自分でない自分

人間はだれでも、自分を動かすものは自分であると思っている。すべて、自分の意志、自分の考えで、自分は行動していると思っている。

25―自分の中で自分を動かす自分でない

 

ちがうのである。

ときには、自分でない自分が、自分を動かしていることがあるのである。いや、むしろそのほうが多いといってよいだろう。それどころか、自分の中にひそむアカの他人が、自分を動かしていることさえあるのである。

そういうと、そんなバカなことがあるものか、といわれるかもしれない。自分の中に、なんでアカの他人がいるものか、自分はどこまでも自分であって、自分のほかにどんな自分がいるというのか、そういわれるかもしれない。

そうではないのである。

ひとはだれでも、自分のほかに自分はいないと思っている。そうではないのだ。自分の奥ふかくに、自分でない自分を、だれでも持っているのである。そうして、それがわれわれを動かし、さまざまな行動・選択にかりたてるのである。

たたかそれどころか、それは、われわれにたいして闘いをいどんでくることさえもあるのである。

信じられない! とあなたはいうかもしれない。しかし、じっさいに、そうなのだ。

 

どんな自分なのか? では、自分の中にひそんでいる自分の知らない自分、自分の中のアカの他人とは、

わたくしたちの心の中には、自分のものではない心が、いくつもひそんでいるのである。わたくしたちは、心、というと、自分が意識している心のほかにはないと思っている。

そうではないのである。わたくしたちの心の中には、自分でも気がつかない、意識しない心があるのである。心理学がそれに気づいたのはそう古いことではない。それまでは、心とは意識するものだと思われていた。つまり、あらゆる精神現象には意識がともなうもので、精神生活とはすなわち意識生活である――これがそれまでの考えだったのである。

一八〇〇年代のおわりから一九○○年代のはじめにかけて、ウィーンの医師ジクムント・フロイトが、心の表面にあらわれない無意識の心――潜在意識についての考察を深めつつあった頃、フランスの心理学者ビエール・ジャネもおなじように、 心の奥に意識されない心があって、それが、人間の行動に大きな影響をあたえているなじように、人間の

27――自分の中で自分を動かす自分でない自分

ことに気づきはじめていた。

かれは、人間の人格がいくつかの階層をなしていると考え、わたくしたちが知っているのは、表面にある意識的階層だけであって、その下の層に無意識的な精神機構があるとして、それを「意識の下部形態」とよんだ。

この「意識の下部形態」が、フロイトのいう「潜在意識」であり、フロイトは、有名な「夢判断」その他の著作で、この無意識の意識の機構をあきらかにした。

フロイトによると、わたくしたちの精神生活は、わたくしたちが意識している部分だけのものではなく、意識的動機と合理的決意の背後には、意識する意識の場から除外された無意識の意識があって、それが、ほんとうの決定者なのだというのである。

それについて、フロイトは、若いころに経験した奇妙な実験を筆にしている。

奇妙な実験

まだ若い医者であったフロイトは、ナンシー(フランス西北部の都市)の精神医、

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守護仏があらわす奇蹟のかずかず

 

 

まだ若い医者であったフロイトは、ナンシー(フランス西北部の都市)の精神医、

ベルネーム教授のもとに留学し、そこで奇妙な実験を目にしたのである。

教授が、被験者を催眠によって眠らせ、一定の時間に一定の行動――たとえば、目がさめてから三〇分のちに診察室中を四つん這いになって歩くように命ずる。この暗示をあたえてから被験者を目ざめさせる。

かれは完全に意識を回復し、しかし、催眠中に命じられたことは、なに一つおぼえ

ていない。だが、教授に指定された時間(三〇分のち)になると、かれはソワソワしはじめ、なにかをさがすふうをし、ついに四つん這いになる。そのとき、かれは、たとえば小銭とかボタンとかをなくしたなどともっともらしい言いわけをしながら、結局、命じられた通りに四つん這いの姿勢であちこちをさがし、診察室じゅうを一周するのだが、命じられたという事実を思い出すことは決してなく、あくまでも自分の自由意志でそうしたと信じているのである。

これは、「後催眠暗示」または「期限つき暗示」という実験であるが、フロイトは、 この実験から多くのことを学んだ。

この実験であきらかになったことは、

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奇妙な実験

る。 1、無意識的精神がたしかに存在していること。なぜなら、被験者は命令を正確に理解し、記憶したからである。これは、生理学的器官ではできないことであ

2、無意識が、一定の時間を経てから、意識生活に影響を及ぼすこと。

3、意識的精神はそうした影響に動かされて行動を起こすが、そのようなときには、無意識の意識にそそのかされて起こしたその行動に、(捏造した架空のものだが意識的な)偽りの動機を付与すること。(つまり前記の、小銭とかボタンをなくしたなどという、もっともらしいいいわけ)

フロイトはこれらのことから、後年、かれの精神分析理論を、つぎのように展開す

以上である。

ることになるのである。 かれは、人間の誕生以後の最初の数年間を、催眠と非常に似ていると考える。その

守護仏があらわす奇蹟のかずかず30

数年間に、子供はさまざまな影響と暗示をうける。それらの影響と暗示は、子供が本

かしているのである。 来持つもろもろの欲望や傾向と、真っ向から対立する。その結果、子供のこころの深奥に、抑圧や葛藤、そして精神外傷が生ずる。あるいは、抑圧や葛藤や精神外傷を避けて、こころの深奥(無意識層の中)に逃げこんでしまう場合もある。しかしこれらのものは、そこにいつまでもじっとおとなしくひそんでいるということはない。表面に出る機会をつねにうかがっているのである。子供自体はもちろんのこと、おとなになってからも、かれはそれらのことをなにも思い出せないし、気づきもしない。しかし、かれが気づかなくても、それらはかれの行動にたえず影響をおよぼし、かれを動

して外にあらわれてくる。 それらの抑圧された無意識のなかの諸傾向は、けっして消滅するということはない。こころの奥ふかく社会的習慣の背後に身をひそめ、思いがけないきっかけを利用

そのあらわれかたはさまざまで、ときには、遊戯、戦争、迫害、犯罪などのかたちではげしくほとばしり出たり、あるいは、なんでもないような出来ごとのなかに隠れ

まもなく、N氏夫妻が信者になった、N氏四十六歳、夫人は四十八歳であった。N

氏は、当時、京都でも一、二という飲調問屋の主人であった。戦後、ヤミ市商人から顔をなしたというだけあって、商売はなかなかヤリ手という評判だった。もっとも、 ヤリ手は、奥さんのほうだったようだ。N氏は非常に温厚な人物で、十一、二年間、 わたくしはこの人の亡くなるまで親しくしていたが、一度でも大きな声を出した姿を見たことがなかった。中背の、丸っこい肥えた体で、いつもニコニコしていた。わた

くしは、この人柄が好きだった。

夫妻が信者になってまもなく、ぜひ一度、家に来てほしいとしきりにいうので、古本あさりに街に出た帰り、東山にあるN氏の家に寄った。りっぱな仏間があった。

「先生、お経をあげておくれやす」

というので、仏壇の前にすわった。

心経一巻、半ばまで読罰するかしないかに、わたくしの身に異変が生じたのであ

突如、のどがしめつけられるようになって声が出なくなった。呼吸ができない。涙

守護仏があらわす奇蹟のかずかず

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がボロボロと流れる。鼻ミズが垂れてくる。

こんな苦しいことはなかった。背後にはN氏夫妻がすわって合掌している。醜態は 「見せられない。必死になって勤行を終え、終えるとすぐに座を立って洗面所に行った。顔じゅう、涙と鼻ミズでグシャグシャだったのである。 しゆうたい

座にもどって、

「Nさん、お宅にはたいへんなホトケさんがおりますね。どなたか、変死したホトケ

さんがそのままになっていますよ」

そういうと、N氏はそれほど驚いた様子もなく、

「え?先生、やはり出ましたか」

というのである。

これにはわたくしのほうがびっくりして、

「じゃあ、ご存じなのですか?」

というと、

「知っとります。そうでっか。じゃあまだ成仏しとらんのですな」

35――自分の中の他人が自分を動かす

奇妙な実験

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