『魔法のランプを手にしたあなたへ』【小説風】
それは、少年の頃に抱いた、遠くまばゆい夢だった。
夕暮れの色に染まった部屋の隅。ひとり佇む彼は、ふと古びた本棚を引き寄せる。長い間手つかずだったその棚から、埃をまとう一冊の書物が、ことりと足元に落ちた。
表紙には金色の唐草模様。そして中央に刻まれていた文字──『千一夜物語』。
ページをめくる指の間から、どこか懐かしい風が吹き抜けるようだった。語り手の声が、アラビアの砂を踏みしめるような静けさで響く。
アラディンの魔法のランプ──。
それは、こすると煙とともに魔神が現れ、持ち主のどんな願いでも叶えてくれるという、不思議と希望に満ちた物語。
「……覚えているだろうか?」
ふと、誰かが語りかけてくる。彼は顔を上げたが、部屋には自分しかいない。
あの物語に夢中になっていた頃。手に入らないものがあるたび、心が荒れそうになるたび、彼は思った。
「ランプさえあれば、すべてが変わるのに」と。
歳を重ね、ヒゲを生やし、現実の重みを知るようになっても、その想いだけは変わらなかった。いや、むしろ今だからこそ、切実に願ってしまう。
──あのランプが、本当に手に入ったら、と。
そのときだ。語り手が再び声を潜め、彼の心にそっと語りかけた。
「もし、君が“現代の魔法のランプ”を手にしているとしたら……どうする?」
彼は本のページを指先でなぞる。そこに、見たことのない言葉が浮かび上がっていた。
──仏利宝珠(ぶつりほうじゅ)。
それがその名だった。魔神の代わりに、これは珠となってこの世に現れた。こすりつける必要はない。ただ、その珠を手にし、一心に咒文を唱えるだけでいいのだという。
「おん、しんたまに、だと、うん……」
最初は戸惑いもあった。そんな咒文、ふざけているようにも思えた。だが不思議と、その音には重みと響きがあった。まるで魂の奥に届くような……。
ある者は言うだろう。「そんなの、仏さまに失礼だ」と。
けれど彼は、ページの向こうで微笑む語り手の言葉を、静かに受け止めた。
「いや、これはまぎれもなく、現代のアラディンのランプなのだよ。」
仏利宝珠。仏舎利より生まれしこの珠は、願いをかなえるだけではない。心を照らし、家庭を導き、そして、世界に光をもたらす──。
そう、彼はすでに、それを手にしていたのだ。
あとはただ、咒文を唱えるだけだった。
彼は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
「さん……しんたまに……だと……」
そして、そっと、最後の一音を呟いた。
「……うん。」
その瞬間だった。
ランプではなく、掌の中にそっと宿る小さな光。そこから、まるで静かな魔法のように、やわらかな煙が立ち上った。
願いを言うのは、これからだ。
世界が、少しだけ輝き始めた気がした。




