『黒き神、福を招く ― 大黒天の来たりし道』
夜が明けきらぬ東の空に、一筋の光が走った。その光は、時を越えて遥か西方、インドの古の神殿を照らす。そこに座すのは、三叉の槍を携え、額に第三の眼を持つ者──シヴァ。彼の内に眠る、破壊と再生の力。それは、すべてを終わらせ、すべてを生み出す偉大なる循環の意志であった。
そのシヴァが、あるとき、恐るべき姿へと変容した。全身を漆黒に染め、怒りの焔を目に宿し、名を「マハーカーラ(Mahākāla)」と称した。「偉大なる時」──すなわち、時間と死をも呑みこむ存在。彼は神々を守る者として、仏教に取り入れられた。そして、マンダラの中心に坐す護法尊として、チベットでは「ナクポ・チェンポ(ནག་པོ་ཆེན་པོ།)」すなわち「黒き大者」として尊崇されるようになった。
この神が、やがて東へと旅をする。
中国の山寺を経て、日本列島へ至るその途中で、彼の姿は少しずつ変わりはじめる。人々の願い、民の暮らし、祈りの形が、その黒き神に柔和な面を与えていった。
かつて戦の守護神であったマハーカーラは、日本の地にて、もうひとつの神と出会う。
それが、大国主命(おおくにぬしのみこと)――日本神話において国土を築き、五穀豊穣を司り、民の幸せを祈る神であった。民は、読みの同じ「だいこく(大黒)」という音の縁に、両神の魂を重ねた。
神仏習合の波は、この融合を後押しする。
やがて黒き神は、戦の装束を脱ぎ、打ち出の小槌を手にする。肩には福袋、足元には米俵とねずみ。怒れる神は、笑う神となり、民に福をもたらす神として七福神の一柱に数えられるようになった。
彼の名は、大黒天。
その名は今や、日本語のみならず──
北京語では「大黑天(Dàhēitiān)」、
広東語では「Daaih’hāktīn」、
朝鮮語では「대흑천(テフクチョン)」、
そしてチベット語では「ゴンポ(མགོན་པོ།)」、
──世界各地で、形を変えながらも力を失うことなく、祈りの対象として生き続けている。
彼は、死を司る神にして、命を豊かにする神。
破壊を通して、新たな秩序と繁栄をもたらす神。
大黒天は今も、米俵の上で静かに微笑んでいる。
その笑みの奥に、マハーカーラの燃える眼差しが、
時の果てから、我らの行方を見守っているとも知らずに──。




