してこの四つの階梯を、すぐれた聖師にしたがって歩んでいくならば、だれでも解説に到達できるのである。もちろん、あなたにしてもそのとおりだ。
そこで、この四つの階梯について、のべてみよう。
斯陀含高められた聖者
阿那含――(次元を) 飛躍した聖者
阿羅漢(次元を)超越し、完成した聖者、「仏陀」ともいう。
では、この四つの階梯を、修行者はどのようにして歩んでいくのだろうか。
大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行
それはひと口にいって、大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行である。
大脳辺縁系と新皮質脳を殺さなければ、間脳は作動せず、第三の目は開かないのである。
ただし、誤解してはいけない。大脳辺縁系・新皮質脳を殺すということは、 究極において、大脳辺縁系、ことに新皮質脳を生かすということなのである。新皮質脳は「創造の座」であるといわれる。しかし、ほんとうの創造の座は間脳にあるのである。間脳はこれまでくり返し説いてきたように、霊性の場であり、
霊感の座なのである。ここが開発されることにより、ほんとうのインスピレーションが発生するのである。
ただし、間脳を開発するためには、しばらくの間、大脳辺縁系と新皮質脳を閉ざさなければならないのである。間脳が開発されたとき、新皮質脳は新しくよみがえる。新しくよみがえった新皮質脳こそ、霊性を基盤とした超人的なインスピレーションと創造力を持つ頭脳となるのである。
ではそれはどんな修行か?
霊性完成の方法と体系
釈尊が残した霊性完成の修行法がそれである。これを、わたくしは、「成仏法」とよんでいる。成仏とは霊性を完成したことをいい、それを成就した人を 「仏陀」とよぶ。だからわたくしはその方法を、「成仏法」とよぶのである。
くわしくは、「輪廻転生瞑想法Ⅱ』でのべたとおりであるが、それは七つのシステムと三十七種のカリキュラムから成る成仏のための方法と体系である。これ
を、阿含経では「七科三十七道品」あるいは「三十七誓提が街」とよぶのである。この二つの名称は、わたくしが勝手につけたのではない。古来からの仏教用語である。
だわたくしが、阿含経以外のお経法華経、阿弥陀経をはじめすべてのお経をいささか激しい表現で批判するのは、阿含経以外のお経には、どの経典にも、この成仏法がないからである。釈尊がじっさい説かれたのは阿含経だけであるという歴史的な事実のほかに、阿含経以外には、この「成仏法」がないから、わたくしはそういうのである。「成仏法」のない経典など、わたくしは真実の仏教経典と認めることはできないのである。もちろん、それなりの存在意義なり存在価値はあろうが、本流ではない。傍流というべきである。このことに関しては、わたくしの他の著書を読んでいただきたい。 ぼうりゅう
四正断法
七科三十七道品とはつぎのようなものである。
四念住法
身念住法
受念住法
心念住法
法念住法
じんそく神足とは、神通力(超能力)のことで、この四神足法は、超自然の神通力を得るための四種の修行法である。前にのべたわたくしの練行tapas はこれに属するものである。
う。 この修行において、グルの果たす役目は大きい。グルについて、少しのべよ
四念住法・五根法は、瞑想である。
四正断法・五力法・七覚支法・八正道法は、実践と瞑想である。
四神足法は、特殊な練行tapasである。
この七つの科目のうち、練行tapasを中心に、瞑想と実践の科目をとり入れて修行するのである。どの科目をどうとり入れて、どのように訓練するかは、 聖師が決定する。修行者それぞれ、みな素質と因縁がちがうので、それを見て、グルが決めるのである。
ある。 らうことである。それができたら、この修行は八分どおり成功したといっていいくらいである。それくらい重要なことであり、かつ、むずかしいということで
霊性の洗礼
まず、間違いなく霊性を開顕したグルを見つけて、そのグルに受け入れても
グルなくして、正しい霊性開顕の仏道修行は不可能である。ふつうの仏教信
心とはちがうのである。信心のしかたや、信仰のしかた、経典の講義や解釈を教わるという程度のものならばとにかく、霊性開頭の仏道修行は、強力な霊的能力
を持つグルの助けなくしては、絶対といっていいほど、できないのである。
たとえば、インド近代の聖者ラーマナ・マハリシが、入門者に対して、「凝視の方法」で受け入れの儀式をおこなったとき、彼の両眼の輝きと力が相手の心をつらぬいて、その雑念の流れを断ち切ってしまったといわれる。ときとしては、まるで電流が身の内に流れ込んだように相手は感じたともいわれる。 ぎようし




