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魚籃観音

魚籃観音

 

唐の時代、中国のある町に、美しい女性がいた。その名は伝わらない。ただ彼女は、魚を扱う商人として知られ、街の誰もがその美貌と静かな振る舞いに心を奪われた。しかし、彼女が一際注目を浴びたのは、その美しさだけではなかった。彼女の口から流れる言葉が、観音経、金剛経、そして法華経――深遠なる教えを暗誦する声で満たされていたのだ。

女は人々にこう告げた。
「この三つの経典を完全に暗誦できる者と結婚するでしょう。」

その知らせが広まると、多くの男たちが彼女のもとを訪れた。しかし、試みる者すべてが途中で詰まり、彼女の心を掴むには至らなかった。町は次第に静まり、彼女の要求を満たせる者は現れないのではないかと人々は囁き始めた。

ある日、一人の男が現れた。風貌は質素で、目立つところはなかったが、彼の声は透き通り、言葉は力強く、経典を一字一句間違えることなく暗誦した。彼女は微笑み、その男を夫として迎え入れた。

彼らの生活は穏やかで幸せだった。しかし、幸せは長く続かなかった。結婚からまもなく、彼女は静かにこの世を去った。その姿は変わらず美しく、穏やかだったという。

やがて、彼女の正体が知られることとなる。彼女は法華経の教えを広めるために現れた観音菩薩だったのだ。その名は「馬郎婦観音」または「魚籃観音」として語り継がれるようになる。

魚籃を携え、時に大きな魚の上に立つその姿は、人々に深い敬意と信仰を呼び起こした。彼女を念ずれば、羅刹、毒龍、悪鬼などの害を退けるとされ、やがて日本にもその信仰が広まり、中世以降、厚く崇められるようになった。

その町では今も、彼女が立ち去る際に残した静かな祈りの声が、風に乗って聞こえると言われている。人々は静かにその名を呼ぶ――魚籃観音と。

 

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