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空海の求聞持法

 

 

求聞持法の行法は、その秘密技術のヒントになるべきもののみをつらね たに過ぎず、その秘密技術はおそらく、自分自身の訓練努力によって みずからが発見せよとつきはなしているのにちがいなかった。それを発見 するだけの努力をし、発見できるだけの資質のあるもののみがそれをわが ものとする資格があるのだ、と、つめたく未来を見すえている不世出の知 性の目を、私は行法次第のなかに感じた。それゆえにこそ、宗教者として ゆたかな天分を持つ興教大師覚が、七たびこれを修して失敗し、八度目 にしてようやく悉地成就を得たという難解の行法となっているのである。 そうでなければ、覚媛ほどの才能が、 なんで七たびも失敗しようか。

 

二度目の修法に、私は、古代ヨーガの技術をとり入れた。ひしひしと感得 するものがあった。五〇日のその行で、求聞持法の成就はみられなかった が、私の考えのまちがいでなかったことがよくわかった。 この方法で、求 聞持法はかならず成就する。 つよい確信を得た。 この技法を積みかさね、

延長してゆけばよい。 これしかない。 ぜったいの自信を得た。

この、私の技法によれば、従来のごとく、山にこもって五〇日ないし 一〇〇日、明星を拝しつづける必要がなかった。 常住坐臥、閑寂の部屋な らば、時ところをえらばなくてもよいのであった。 ただ、最初の三日な

七日間、山居して明星とあい対し、これをふかく脳裡にとどめておけ ばよかった。あとは、三〇日、五〇日、一〇〇日、よしんば一〇〇〇日か かろうとも、日常の生活の行のうちにトレーニングを積みかさねてゆけ ばよいのであった。 この発見はすばらしいものであった。 これでなくて は、法はついに民衆と無縁のものになってしまう。五〇日、一〇〇日、特 定の山にこもらねば成就しないというのでは、ごくかぎられた人たちのみ しか参加することはできない。民衆と無縁になってどこに法の存在価値が あろう。私は、このシステムによって、この法を完成せねばならぬ。法の ために、民衆のために、どうしても。

そして、三度目の必死の修法に私は入っていた。

それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニ ングのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、 それに、古 代ヨーガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘法から私が創案した特殊 な手印とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質 脳髄は、微妙な変化をおこしつつあることが感じられていた。 チャクラ の開発も順調にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じ ていた。

まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。 しびれ の感覚であった。 かるい失心、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。 その刹那、

私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流がながれた感覚が 走った。落雷があったと感じた。目の前を紫電が走った、つぎの瞬間、眼

前でフラッシュをたかれたように、私の視野は真っ暗になった。失明! という考えが、チラリと脳裡をよこぎった。と、そのときであった。 頭の

内奥深部に、ポッカリとあかりがともったのだ。そして、それは、私の脈 とおなじリズムで、しずかに、しずかにまたたきはじめた。ちょうど、 この修法をはじめる数十日まえ、山にこもって見つめたあのときの暁けの 明星のようにそれはつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。

私は力いっぱいをたたいた。

「そうか! これが明星だったのか!」

私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

 

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