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五蘊の瞑想

五蘊の瞑想法は、仏教の教えに基づいています。五蘊(ごうん)とは、すべての存在が以下の五つの要素によって成り立っているとする教えです:

1. **色(しき, rūpa)**:物質的な形態、身体
2. **受(じゅ, vedanā)**:感受、感覚、感情
3. **想(そう, saññā)**:表象、認識、思考
4. **行(ぎょう, saṅkhāra)**:形成作用、意志、心の働き
5. **識(しき, viññāṇa)**:意識、知覚

五蘊の瞑想法は、これらの要素を観察し、理解することで自己の本質を見つめる方法です。以下に、五蘊に基づく瞑想のステップを説明します。

### ステップ 1: 色(しき)の観察
1. **姿勢を整える**:静かな場所で座り、背筋を伸ばしてリラックスします。目を閉じるか、半眼にします。
2. **呼吸に集中する**:自然な呼吸を観察し、息を吸う時と吐く時に意識を集中します。
3. **身体の感覚に気づく**:身体の各部分に意識を向け、それぞれの感覚に気づきます。例えば、座っている時の接触感、手や足の位置、体の重みなどを感じます。

### ステップ 2: 受(じゅ)の観察
1. **感覚を観察する**:心の中で生じる感覚や感情に意識を向けます。これには、快、不快、中立の感覚が含まれます。
2. **感覚を判断しない**:感覚が生じたら、それを良い悪いと判断せず、そのまま観察します。感覚がどのように生じ、消えていくのかを見つめます。

### ステップ 3: 想(そう)の観察
1. **思考やイメージに気づく**:心に浮かぶ思考やイメージに気づきます。これには、過去の記憶、未来の計画、現在の思考が含まれます。
2. **思考に執着しない**:思考が生じたら、それに執着せず、そのまま観察します。思考がどのように生じ、変化し、消えていくのかを見つめます。

### ステップ 4: 行(ぎょう)の観察
1. **心の反応を観察する**:外部の刺激や内部の感覚に対する心の反応に気づきます。例えば、音を聞いた時の反応、痛みを感じた時の反応などです。
2. **反応を見つめる**:心の反応がどのように生じ、どのように変わっていくのかを見つめます。反応に引きずられず、観察し続けます。

### ステップ 5: 識(しき)の観察
1. **意識そのものに気づく**:感覚、思考、感情を認識する意識そのものに注意を向けます。
2. **意識の性質を観察する**:意識がどのように変化し、どのように常に存在しているのかを観察します。意識が対象にどのように反応するのかを見つめます。

### 総合的な瞑想
1. **すべての五蘊を統合的に観察する**:上記の各ステップを順番に行いながら、最終的にはすべての五蘊を統合的に観察します。それぞれの要素がどのように相互に影響し合い、自己の体験を構成しているのかを理解します。
2. **無常と無我を理解する**:五蘊の観察を通じて、すべての現象が無常(変化するものであること)であり、無我(自己という固定した実体がないこと)であることを理解します。

この瞑想法は、自己理解を深め、精神的な平和をもたらすことを目指しています。継続的に練習することで、五蘊に対する洞察を深め、より深い瞑想状態に入ることができるでしょう。

るサンスクリット語

それぞれの単語に相当するサンスクリット語を説明します。

1. **ジャく(जग, jag)**:
– 「जग(jag)」は、「世界」や「宇宙」を意味します。サンスクリットで「世界」を表す言葉としてよく使われます。

2. **うん(उन्न, unna)**:
– 「उन्न(unna)」という単語はサンスクリットでは一般的ではありませんが、「うん」という音に似たサンスクリット語には「ओम्(om)」があります。「オーム」は宇宙の根源的な音を表し、ヒンドゥー教や仏教における神聖な音です。

3. **ばん(वर्ण, varṇa)**:
– 「वर्ण(varṇa)」は、「色」や「階級」を意味します。インドの社会制度における「カースト制度」の「ヴァルナ」にも使われる言葉です。

4. **こく(कुक, kuka)**:
– 「कुक(kuka)」という単語は、サンスクリットでは一般的ではありません。ただし、「कुक्कुट(kukkuta)」という言葉があり、これは「鶏」を意味します。また、「こく」に似たサンスクリット語の「लोक(loka)」があり、「世界」や「領域」を意味します。

したがって、これらの単語は文脈によって異なる意味を持つ可能性があります。以下に示すのは、これらの単語の組み合わせの一つの解釈です:

– **जग(jag)**: 世界
– **ओम्(om)**: 宇宙の根源的な音
– **वर्ण(varṇa)**: 色、階級
– **लोक(loka)**: 世界、領域

この解釈に基づいて、「ジャく うん ばん こく」は、「世界、宇宙、色、世界」や「宇宙の領域における色や階級」を意味する可能性があります。

ただし、元のフレーズの文脈や背景によって解釈が異なることもあるため、文脈に応じた詳細な情報があると、より正確な翻訳が可能です。

阿含経

阿含経

なにを修行していないのでしょうか?

それは、いわゆる四認処法(四矩戦)・四正法(西武)宮姫意足法(四神足法)五根

ほっしょうどう

方法覚支法・八正道を修行していないのです」

ここは、『応説経』の中でも特に重要なことが、説かれているところです。

たいへんなことが書かれているわけですが、諸君はそれに気づいたでしょうか?

解脱とは、漏 (煩悩がすべて尽きた状態ですから、完全解脱、つまり成仏したというこ とです。その完全成仏を心から願って修行しているのに、それができない僧侶たちがいる、とお 釈迦さまがおっしゃっておられるわけです。これは大問題です。

なぜ、その僧侶たちは成仏できないのか? それは、四念処法・四正法・四如意足法・五根 法・五方法・七覚支法・八正道を修行しないからだ、とお釈迦さまは説かれているわけです。

この四念処法・四正動法・四如意足法・五根法・五方法・七覚支法・八正道というのが、わた くしがいつもお話ししているお釈迦さまの成仏法、「七神三十七道品」です。わたくしはこれを、 成仏のための七つの科目(システム)、三十七の修行法(カリキュラム)であると申し上げており ます。 念処・正勤・如意足・根・力・覚・道で七科目。そして、それぞれが四・四・四・五・ 五・七・八からなる修行によって成り立っておりますから、全部を合わせて三十七になるわけで す。

お釈迦さまは、この修行を行わない者はたとえそれが僧侶であっても、その人がどのように成 仏を望んでも、絶対に成仏することはできない、とおっしゃっています。

このように私は聞きました。 ある時、仏さまはクル (拘留) 国の雑色牧牛聚落におとどまりに なっておられました。 その時、仏さまはもろもろの比丘に、次のようにお話しされました。

「私は知見を得たことによって、もろもろの煩悩がなくなりました。不知見ではないからである。 なぜ、私は知見によって、もろもろの煩悩がなくなったのでしょうか? 不知見ではないからで ある。

それはどういうことかというと、これは色である、これは色の集である、これは色の滅である、 これは受想行識である、(これは受の集である。 これは受の滅である、 これは想の集である、こ れは想の滅である、これは行の集である、これは行の滅である) これは識の集である、これは識の滅 である」

知見とは、真の智慧によって物事を見ることで、換言すれば悟りを得たということです。この 悟りの力によってすべての煩悩をなくすことができた、とお釈迦さまはここでおっしゃっておら れます。漏とは煩悩の異名です。煩悩は心の中にいつの間にか漏れ出てきますから、 と呼びま す。

 

この四念処法・四正動法・四如意足法・五根法・五方法・七覚支法・八正道というのが、わた くしがいつもお話ししているお釈迦さまの成仏法、「七神三十七道品」です。わたくしはこれを、 成仏のための七つの科目(システム)、三十七の修行法(カリキュラム)であると申し上げており ます。 念処・正勤・如意足・根・力・覚・道で七科目。そして、それぞれが四・四・四・五・ 五・七・八からなる修行によって成り立っておりますから、全部を合わせて三十七になるわけで す。

阿含経応説経

五蘊の瞑想法

ごんぎようおうせつき

『阿含経応説経』(以下、『応説経』)の講義を行います。まずは経文を読み、現代語に訳し ながら解説します。

しび くつ

是の如く現れ聞きぬ。一時、 国の くぎゅうにゅ 拘留国の雑色牧牛聚 落に住まりたまえり。雨の時、仏、諸比丘に告げたまわ く、「我れ知恵を見てのに諸の尽きることを得たり。 知見にざるなり。何が知見を以ての故に諸漏の尽

いかん

如是我聞。一時仏住拘留国雜色牧牛 聚落。爾時仏告諸比丘。 我以知見故 諸漏尽。 非不知見。 何以知見故。 得諸漏尽。非不知見。謂此色此色集 此色滅。此受想行識。此識集此識滅。此れは色の集なり、此れは色の滅なり、此れは・・

  • 現代語訳

と。

解説

阿含経・応説

きることを得、不知見に非ざるや。 ゆる此れは色なり、

行識なり、此れは識の集なり、此れは識の減なりと」

このように私は聞きました。 ある時、仏さまはクル (拘留) 国の雑色牧牛聚落におとどまりに なっておられました。 その時、仏さまはもろもろの比丘に、次のようにお話しされました。

「私は知見を得たことによって、もろもろの煩悩がなくなりました。不知見ではないからである。 なぜ、私は知見によって、もろもろの煩悩がなくなったのでしょうか? 不知見ではないからで ある。

それはどういうことかというと、これは色である、これは色の集である、これは色の滅である、 これは受想行識である、(これは受の集である。 これは受の滅である、 これは想の集である、こ れは想の滅である、これは行の集である、これは行の滅である) これは識の集である、これは識の滅 である」

知見とは、真の智慧によって物事を見ることで、換言すれば悟りを得たということです。この 悟りの力によってすべての煩悩をなくすことができた、とお釈迦さまはここでおっしゃっておら れます。漏とは煩悩の異名です。煩悩は心の中にいつの間にか漏れ出てきますから、 と呼びま す。

うんかんぼう

「此れは色なり、此れは色の集なり、此れは色の滅なり、此れは受想行識なり、此れは (受想行識の集なり、此れは(受想行識の滅なり」は、五蘊観法という瞑想です。 人間は色(物質的現象)・受(感覚)・想 (表象)・行(意志)・識(意識)の五つの構成要素からでき ていると仏教では考えますが、この五つの構成要素のことを五蘊(五)と呼びます。五蘊観

法とは、この五蘊のそれぞれが無常・空・無我であると観想していく瞑想法のことです。

お釈迦さまはここで、自分は五蘊観法を修行して悟りを得、完全解脱したのだとおっしゃって おられます。

続きを見ましょう。

成仏できない僧侶たち

不修方便随順成就。而用心求令我諸 漏尽心得解脱。当知彼比丘終不能得 漏尽解脱。所以者何。 不修習故。 不 修習何等。謂不修習念处正勤如意足 根力覚道。

  • 現代語訳
  • 解説

ずいじゅんじょうじゅ

だっ

「方便を修し随順 成就せずして而も心を用いて、我れ をして諸尽き、心に解脱するを得せしめんと求むるも 当に知るべし、彼の比丘は終に漏尽解説を得ること能わ

ゆえん いか

しゅじゅう

なんら

ず。所以は何ん。修習せざるが故なり。何等か修習せざ いわねんじょ しょうごん によい そく こん わき かく どう る。謂ゆる念処正勤・如意足・根・カ・覚・道を修 習せざるなり」

「いろいろな方法を駆使して修行を行っても成就しない者が、もろもろの煩悩が尽き、心に解脱 を得たいと思っても、あの僧侶(修行者)たちは、ついに漏尽解脱を得ることはできません。

それはなぜでしょうか?

修行していないからです。

阿含経

なにを修行していないのでしょうか?

それは、いわゆる四認処法(四矩戦)・四正法(西武)宮姫意足法(四神足法)五根

ほっしょうどう

方法覚支法・八正道を修行していないのです」

ここは、『応説経』の中でも特に重要なことが、説かれているところです。

たいへんなことが書かれているわけですが、諸君はそれに気づいたでしょうか?

解脱とは、漏 (煩悩がすべて尽きた状態ですから、完全解脱、つまり成仏したというこ とです。その完全成仏を心から願って修行しているのに、それができない僧侶たちがいる、とお 釈迦さまがおっしゃっておられるわけです。これは大問題です。

なぜ、その僧侶たちは成仏できないのか? それは、四念処法・四正法・四如意足法・五根 法・五方法・七覚支法・八正道を修行しないからだ、とお釈迦さまは説かれているわけです。

この四念処法・四正動法・四如意足法・五根法・五方法・七覚支法・八正道というのが、わた くしがいつもお話ししているお釈迦さまの成仏法、「七神三十七道品」です。わたくしはこれを、 成仏のための七つの科目(システム)、三十七の修行法(カリキュラム)であると申し上げており ます。 念処・正勤・如意足・根・力・覚・道で七科目。そして、それぞれが四・四・四・五・ 五・七・八からなる修行によって成り立っておりますから、全部を合わせて三十七になるわけで す。

お釈迦さまは、この修行を行わない者はたとえそれが僧侶であっても、その人がどのように成 仏を望んでも、絶対に成仏することはできない、とおっしゃっています。

わたくしは法話でしばしば、

「仏教の伝来以来、大乗仏教のお坊さんは、誰一人として成仏していない」

とお話ししています。 みなさんの中には、

「管はずいぶん思い切ったことをいうなあ」

と考えている人がいるでしょう。しかし、それはわたくしの独断や偏見ではありません。 仏教 の開祖のお釈迦さまご自身が、七科三十七道品を修行しない者はいくら他の修行をしても、絶対 に成仏しないと説かれているわけです。

日本にも数々の名僧知識が登場しましたが、 この七科三十七道品を修行した人は皆無といって もよいでしょう。

しかし、お釈迦さまは、

彼の比丘はついに成仏することができない」

とおっしゃっておられます。 「彼比丘」というこの三文字の中に、日本の大乗仏教の僧侶が 全部入っているわけです。きっと、「阿含経」以外のお経を信仰し、それを広める僧侶たちが出 現することを予見しておられたのでしょう。

ですから、わたくしはこのお釈迦さまのお言葉に基づいて、

「仏教の伝来以来、大乗仏教のお坊さんは誰一人として、成仏していない」

と説いているのです。

くどく

阿含経

じろとうぜん

しんごんしゅう こうぼうだ

ただし、わたくしは、曹洞禅の祖である道元禅師(一二〇〇一二五三)と真言宗の開祖弘法大

師空海(七七四八三五)だけは、ひょっとするとこの成仏法をご存知だったのかもしれない、 と考えております。 と申しますのは、道元禅師は『正法眼蔵』の第七十三で、

さんじゅうしちばんぼだいぶんぼう

こってい しゅくんもく

ほうぼう

しようぼうげんぞう

「この三十七品菩提分法(七科三十七道品の別名著者注)、すなわち仏祖の眼睛鼻孔、

骨髄、手足面目なり。仏祖一枚、これを三十七品菩提分法と参学しきたれり」

しんけんみつに きょうろん

成仏法を讃嘆しておられます。また、弘法大師空海は『弁顕二教論」で、

「第一の宝とは即ち是れ摩訶般若解脱法身なり。 第二の法宝とは開く戒定 智慧の諸の妙

功徳なり。いわゆる三十七菩提分法なり」

と記しておられます。 ですから、このお二人が成仏法を知識として知っているだけでなく、 実

際にそれを修行しておられたとしたならば、このお二人だけは、ひょっとすると成仏しているか もしれません。しかし、それ以外の僧侶は絶対に成仏していない。僧侶が成仏していなかったな らば、それに導かれる弟子も在家信者も成仏していないのは当然でしょう。また、自分を成仏さ せることができないのだから、先祖のお霊たちも成仏するはずはありません。

仏教を信仰する人は皆、その宗旨の教えや修行で成仏できると思うから、そこで一生懸命に信 仰・修行に励むわけです。 成仏できると信じればこそ、布教して歩きます。

昔の日本の僧侶たちは、お釈迦さまの教法を知ることができるのは「阿含経」だけだ、という 真実を知りませんでした。 しかし、今の僧侶たちは、みな知っているのです。

しかし、伝統的仏教は従来の教説の上に立ったままです。

わたくしは、少なくとも宗教家だけはこの世の中がどんなに悪くなっても、真実をいわなけれ ばいけないと考えます。だからこそ、宗教家は尊敬に値する存在なのです。もちろん、宗教家と いえども、たまには方便を使うこともあるでしょう。しかし、ここ一番、これこそ大切なことな のだということについては、たとえ八つ裂きにされても、本当のことをいわなければならないと わたくしは思うのです。 その宗教家が嘘であることを重々承知の上で、信者に真実ではないこと 真実であるかのように説教をする。 これは絶対に許されないことです。

続きを説明いたしましょう。

成仏法と伏鶏

譬如伏鷄生子衆多。不能随時蔭餾消 息冷暖。而欲令子以指以爪啄卵自生 安穩出殼。当知彼子無有自力堪能方 便以觜以爪安穩出殼。所以者何。以 彼鶏母不能随時蔭餾冷暖長養子故。 如是比丘。不勤修習随順成就。而欲 得漏尽解脱。無有是処。 所以者何。 不修習故。不修何等。 謂不修念処正 勤如意足根力觉道。

  • 現代語訳

ちょうだん

ちょうよう

しゅた

譬えば伏の生める子衆多にして、随時に消息 冷暖すること能わずして、而も子をしてを以てを 以て卵を稼き、自ら生まれ安穏に殻を出てしめんと欲す も当に知るべし、彼の子自力も能く方便して嘴を以 爪を以て安に殻を出づるに堪ゆること有ること無き が如し。所以は何ん。彼の母随時に冷して 長養することわざるを以ての故なり。是の如く比丘 勤めて修習し随順成就せずして、而も漏尽解脱を得し

ことわり

めんと欲するもの有ること無し。所以は何ん。 修 習せざるが故なり。何等をせざる。謂ゆる念処・正 ・如意足・・・覚・道を修せざるなり」

「たとえば鶏が卵を産みすぎて、親鶏が随時に温めたり、風を送って冷やしたりする、というよ

うな世話が十分にできなかった卵があれば、その世話が十分に行き届かなかった) 卵の中のヒナ が孵化をしようと、くちばしや爪で卵の殻を内側からつついたとしても、そのヒナは自力で殻を 破って孵化することができません。

なぜでしょうか?

親鶏が随時に卵を温めたり、風を送って冷やしたりするというような世話が、十分にできなか ったからです。

小島 それと同じように、仏道修行者が(七科三十七道品以外の) さまざまな修行に励んだとしても、

仏道修行は成就しませんし、 漏尽解脱は得られません。

なぜでしょうか?

解説

修行しないからです。

なにを修行しないのでしょうか?

いわゆる、四念処法 四正勤法 四如意足法 五根法 五力法 七覚支法、八正道を修行しな いのです」

ここでお釈迦さまは、成仏法と修行の関係を、鶏のヒナが孵化することにたとえておられます。 親鶏がいくつかの卵を産んだ後、親鶏は冷暖、つまり温めたり、冷ましたり、あるいは空気 の流通をよくしたりというような努力を一生懸命に行います。 一方、ヒナの方を見てみると、ヒ

自身もくちばしや爪で一生懸命に殻を破ろうとする努力を行います。 親鶏の努力とヒナの努力 が相まって初めて、ヒナは殻を破って生まれることができるのです。

お釈迦さまは、この親の努力とヒナの努力の関係は、ちょうど成仏法と修行者の関係と同じ である、とおっしゃっているわけです。

たとえば、親鶏があまりにも卵を多く産み過ぎると、当然のことながら全部の卵に目が行き届 きません。そうすると、風を送ってもらったり、温めてもらったりできない卵も出てきます。 そ のように十分に面倒を見てもらえない卵は、中でヒナがいくら外に出ようとくちばしでつついた 足の爪で引っ掻いたりしても、絶対に生まれることはできません。

続きを読みます。

阿含経応説

それと同じで、七科三十七道品の成仏法が得られなかったならば、どれほど他の修行を死にも のぐるいで行ったとしても、決して成仏することはできないのだ、とお釈迦さまはおっしゃって おられるわけです。

成仏するには、正しい成仏法と修行者の努力、この二つが絶対に必要なのです。

わたくしはいつも思うのですが、お釈迦さまという方は、本当に比喩が巧みです。 誰にでも分 かるようにお話をされる、希有の名説法家だといえるでしょう。

転輪王とは、どのような王さまでしょうか?

これは武力を用いず、正義と法によって世界を統一支配して、立派な世界を建設するという、 インドの伝説的な帝王の理想像です。 武力や軍事力によるのではなく、正義と法によって世界を

統一するわけです。 したがって当然のことながら、転輪王は立派な世界を建設します。インドに はそのような帝王の理想像が、 伝説として存在していました。

その転輪王は、天から七つの宝を感得するといわれております。 これが七宝です。

 

七宝の第一は輪宝です。 輪宝とは、金でできた車輪=金輪です。金輪以外にも、銀輪・銅輪・ 鉄輪の場合がありますが、それは時代によって違うようです。 転輪王の現われる時代によって、 銀輪の場合もあれば、銅輪の場合もあるし、また鉄輪の場合もありますが、おおよそは天から金 輪を授けられるとされております。いずれにしても輪宝とは神聖な車輪で、たとえるならば一種 の戦車です。 その戦車がひとりでに動いて転輪王の軍勢を先導し、世界中の悪い軍隊を残らず退 治してしまう。あらゆるものを破砕、降伏せしめる。抵抗するところの悪い軍隊や国王を、全部 この金輪が打ち砕いてしまうのです。そして転輪王の一行は、そのあとを堂々と歩いて行って、 正義と法を説いて世界を治めるわけです

第二の象宝とは、すぐれた象のことです。体も大きく、力も強く、しかも頭がすぐれてよい象 です。

第三の馬宝とは、乗馬用のすぐれた馬です。

第四の珠宝とは、如意宝珠のことです。

と答えました。

中阿含経・七宝

第五の女宝は王女宝ともいいます。これは一人という説もありますし、複数の場合もあるよ うですが、いずれにしても転輪王に仕えて、いろいろと内助の功を現わすとされている、 容色麗 しく、また才知のすぐれた女性です。 これが女宝です。

第六の居士宝とは、すぐれた大臣たちのことです。政府を組織すると、いろいろな職務を任せ

大臣が必要です。 転輪王のまわりはすぐれた大臣ばかりで、賄賂を受けとるような、醜聞にま みれる閣僚・官吏は一人もいません。

第七の主兵臣宝とは、すぐれた将軍たちのことです。

転輪王はこの七つの宝を手に入れて、世界を統一し、平和なよい世界を生み出すとされていま す。インドにはバラモン教の時代から、いつの世にか転輪王が出現して、よい世界をつくり出す という伝説があり、今もそれは続いております。

じつをいいますと、ほかならぬお釈迦さまご自身が、転輪王になるといわれたお方でした。 『小部経典・本生「経』(漢訳では、『長”阿含経・大本経』参照)によると、シッダッタ (悉達多、お釈 迦さまのお名前) 太子がマーヤー(摩耶) 王妃のお腹に宿られた時、白い象がお腹の中に入るとい う不思議な夢をご覧になったとされております。 それでマーヤー王妃は、スッドーダナ王(津飯 夢のことを話されました。 スッドーダナ王は心配になって、六十四人の名高いバラモンを
呼び寄せて、夢の内容を占わせたところ、そのバラモンたちは、
お腹に宿られたのは王子です。 王女ではありません。 この王子が在家のままでおられるならば、 転輪王となられるでありましょう。 もしも出家されるならば、世の苦厄を除く仏陀となられるで ありましょう」

さらにご誕生の直後に、それらのバラモンの中から、とくに観相に抜きん出た者を八人選んで 断させたところ、八人中七人が、やはり、

「この王子が在家のままでおられるならば、転輪王となられるでありましょう。 もしも出家され

– お釈迦さまは「七宝経」で、如来が現れる際に七覚支法が出現することを説明しています。
– 七覚支法は念覚支、択法覚支、精進覚支、喜覚支、息覚支、定覚支、捨覚支の七つの修行法から成り立っています。
– 念覚支は念の力を強化し、空観を体得する修行。択法覚支は真実の教法を選び修行すること。
– 精進覚支は一心の努力精進によって教法を体得する修行。喜覚支は真実の教法を身につける喜びに住む修行。
– 息覚支は心身を軽快にする修行。定覚支は特殊な瞑想法を含む瞑想の修行。捨覚支は執着を捨てる修行。
– お釈迦さまは「阿含経」の中で七覚支法を説明し、それが如来の出現を予言していると考えています。
– 世界が危機的状態にあり、如来の出現が必要であるとし、それが阿含宗によって広まりつつあると主張しています。
– お釈迦さまの成仏法・七科三十七道品が阿含宗によって広められ、世界を救う手段として存在すると述べています。
– 作者は「阿含経」を通じて、現代において如来が出現する予言であり、それを阿含宗が具現化していると解釈しています。
– 世界を救う役割を果たすのは阿含宗であり、お釈迦さまの成仏法を広める努力が如来の出現に繋がると認識しています。

1念覚支……念の力を強化し、その力によって空観を体得する行

2択法覚支..世の中にたくさんある宗教・信仰・哲学の中から、真実の教法を選ぶ修行

3精定…一心の努力精進によって、自分が選んだ教法を体得する修行

4喜覚覚支・・・・真実の教法を身につける喜びに住する修行

5息覚支・・・・ 心身を軽快にする修行

6定進覚… 「滅尽定」「四禅定」を含む、特殊な瞑想法

7捨覚支・・・・(執著)する心を捨てる修行 ものごとにとらわれて執着

転輪王という偉大な王さまが出現される時には、 輪宝をはじめとした七つの宝が世の中に出て、 転輪王はそれを得て世界を統一し、立派な世の中を建設します。 同様に、如来が出現される時に は七つの法、七覚支法が現われ、如来はその法をもって世の中を救うのだ、とお釈迦さまはおっ しゃっているのです。

この文章をの作詩ください。
歌詞はイントロ4行、サビ4行してください

相応品・七宝経・一

 

中阿含経・王相応品・七宝経・一』(以下『七宝経』)を講義します。これはお釈迦さまが、 成仏法七科三十七道品の中の七覚支法について説かれているお経です。

わたくしはお釈迦さまの教法を世の中に出すこと、なかでも成仏法・七科三十七道品を世に広 めることを誓願に掲げて、活動を展開しております。 これは、現代には成仏法が絶対に必要不可 欠だからです。

それでは「七宝経』を読んでみましょう。

我聞如是。一時仏遊舎衛国。在勝林 給孤独園。爾時世尊告諸比丘。若転 輪王出於世時。当知便有七宝出世。 何為七輪宝象宝馬宝珠宝女宝居 宝主兵臣宝。 是謂為七。若転輪王 出於世時。当知有此七宝出世。

現代語訳

解説

七宝が聞きこと是の如し。一時、仏舎衛国に遊び勝林

とき独園に在しぬ。雨の時世尊 諸比丘に告げたまわ

てんりんおうよ

「若し転輪王世に出ずる時、当に知るべし、彼らせ 有りて世に出ず。云何が七と為す。 輪宝・象宝・馬

しゅう にょほう こじ ほう しゅひょうしんぼう

りんぼう ぞうほう

安堂・居士蜜・主兵臣、是れを請いて七

と為す。 若し転輪王世に出ずる時、当に知るべし、此の 七宝有りて世に出ず」

おんしょうじや

このように私は聞きました。 仏さまがコーサラ国に遊行され、祇園精舎(勝林給孤独園)にご 滞在の時のことです。 ある日、世尊はもろもろの比丘たちに告げられました。

「転輪王がこの世に出現する時には、 七宝がこの世に出現します。 七宝とはなんでしょうか? それは、 輪宝・象宝・馬宝珠宝・女宝・居士宝・主兵臣宝という、七つの宝です。 転輪王が この世に出現する時には、この七宝が出現するのです」

この『仏陀の真実の教えを説く』の上巻でも説明しましたが、舎衛国とは当時のインドの大国 の一つであるコーサラ国です(同書二六五頁参照)。 勝林給孤独園とは祇園精舎のことで、祇樹給 孤独園ともいいます。 この祇園精舎で、お釈迦さまは弟子の比丘たちを集めて説法をされました。 お釈迦さまは最初に、転輪王がこの世に出現される時には、七つの宝がこの世に出現されるの だ、とお説きになられました。 七つの宝とは、輪宝・象宝・馬宝・珠宝・女宝・居士宝・主兵臣 宝のことです。

転輪王とは、どのような王さまでしょうか?

これは武力を用いず、正義と法によって世界を統一支配して、立派な世界を建設するという、 インドの伝説的な帝王の理想像です。 武力や軍事力によるのではなく、正義と法によって世界を

統一するわけです。 したがって当然のことながら、転輪王は立派な世界を建設します。インドに はそのような帝王の理想像が、 伝説として存在していました。

その転輪王は、天から七つの宝を感得するといわれております。 これが七宝です。

こんゃん

七宝の第一は輪宝です。 輪宝とは、金でできた車輪=金輪です。金輪以外にも、銀輪・銅輪・ 鉄輪の場合がありますが、それは時代によって違うようです。 転輪王の現われる時代によって、 銀輪の場合もあれば、銅輪の場合もあるし、また鉄輪の場合もありますが、おおよそは天から金 輪を授けられるとされております。いずれにしても輪宝とは神聖な車輪で、たとえるならば一種 の戦車です。 その戦車がひとりでに動いて転輪王の軍勢を先導し、世界中の悪い軍隊を残らず退 治してしまう。あらゆるものを破砕、降伏せしめる。抵抗するところの悪い軍隊や国王を、全部 この金輪が打ち砕いてしまうのです。そして転輪王の一行は、そのあとを堂々と歩いて行って、 正義と法を説いて世界を治めるわけです。

は さいごうく

第二の象宝とは、すぐれた象のことです。体も大きく、力も強く、しかも頭がすぐれてよい象 です。

第三の馬宝とは、乗馬用のすぐれた馬です。

第四の珠宝とは、如意宝珠のことです。

と答えました。

  • 中阿含経・七宝

第五の女宝は王女宝ともいいます。これは一人という説もありますし、複数の場合もあるよ うですが、いずれにしても転輪王に仕えて、いろいろと内助の功を現わすとされている、 容色麗 しく、また才知のすぐれた女性です。 これが女宝です。

第六の居士宝とは、すぐれた大臣たちのことです。政府を組織すると、いろいろな職務を任せ

大臣が必要です。 転輪王のまわりはすぐれた大臣ばかりで、賄賂を受けとるような、醜聞にま みれる閣僚・官吏は一人もいません。

第七の主兵臣宝とは、すぐれた将軍たちのことです。

転輪王はこの七つの宝を手に入れて、世界を統一し、平和なよい世界を生み出すとされていま す。インドにはバラモン教の時代から、いつの世にか転輪王が出現して、よい世界をつくり出す という伝説があり、今もそれは続いております。

じつをいいますと、ほかならぬお釈迦さまご自身が、転輪王になるといわれたお方でした。 『小部経典・本生「経』(漢訳では、『長”阿含経・大本経』参照)によると、シッダッタ (悉達多、お釈 迦さまのお名前) 太子がマーヤー(摩耶) 王妃のお腹に宿られた時、白い象がお腹の中に入るとい う不思議な夢をご覧になったとされております。 それでマーヤー王妃は、スッドーダナ王(津飯 夢のことを話されました。 スッドーダナ王は心配になって、六十四人の名高いバラモンを

呼び寄せて、夢の内容を占わせたところ、そのバラモンたちは、

お腹に宿られたのは王子です。 王女ではありません。 この王子が在家のままでおられるならば、 転輪王となられるでありましょう。 もしも出家されるならば、世の苦厄を除く仏陀となられるで ありましょう」

さらにご誕生の直後に、それらのバラモンの中から、とくに観相に抜きん出た者を八人選んで 断させたところ、八人中七人が、やはり、

「この王子が在家のままでおられるならば、転輪王となられるでありましょう。 もしも出家され

 

七科三十七道品  七宝経

 

 

中阿含経・王相応品・七宝経・一』(以下『七宝経』)を講義します。これはお釈迦さまが、 成仏法七科三十七道品の中の七覚支法について説かれているお経です。

わたくしはお釈迦さまの教法を世の中に出すこと、なかでも成仏法・七科三十七道品を世に広 めることを誓願に掲げて、活動を展開しております。 これは、現代には成仏法が絶対に必要不可 欠だからです。

それでは「七宝経』を読んでみましょう。

我聞如是。一時仏遊舎衛国。在勝林 給孤独園。爾時世尊告諸比丘。若転 輪王出於世時。当知便有七宝出世。 何為七輪宝象宝馬宝珠宝女宝居 宝主兵臣宝。 是謂為七。若転輪王 出於世時。当知有此七宝出世。

現代語訳

解説

七宝が聞きこと是の如し。一時、仏舎衛国に遊び勝林

とき独園に在しぬ。雨の時世尊 諸比丘に告げたまわ

てんりんおうよ

「若し転輪王世に出ずる時、当に知るべし、彼らせ 有りて世に出ず。云何が七と為す。 輪宝・象宝・馬

しゅう にょほう こじ ほう しゅひょうしんぼう

りんぼう ぞうほう

安堂・居士蜜・主兵臣、是れを請いて七

と為す。 若し転輪王世に出ずる時、当に知るべし、此の 七宝有りて世に出ず」

おんしょうじや

このように私は聞きました。 仏さまがコーサラ国に遊行され、祇園精舎(勝林給孤独園)にご 滞在の時のことです。 ある日、世尊はもろもろの比丘たちに告げられました。

「転輪王がこの世に出現する時には、 七宝がこの世に出現します。 七宝とはなんでしょうか? それは、 輪宝・象宝・馬宝珠宝・女宝・居士宝・主兵臣宝という、七つの宝です。 転輪王が この世に出現する時には、この七宝が出現するのです」

この『仏陀の真実の教えを説く』の上巻でも説明しましたが、舎衛国とは当時のインドの大国 の一つであるコーサラ国です(同書二六五頁参照)。 勝林給孤独園とは祇園精舎のことで、祇樹給 孤独園ともいいます。 この祇園精舎で、お釈迦さまは弟子の比丘たちを集めて説法をされました。 お釈迦さまは最初に、転輪王がこの世に出現される時には、七つの宝がこの世に出現されるの だ、とお説きになられました。 七つの宝とは、輪宝・象宝・馬宝・珠宝・女宝・居士宝・主兵臣 宝のことです。

転輪王とは、どのような王さまでしょうか?

これは武力を用いず、正義と法によって世界を統一支配して、立派な世界を建設するという、 インドの伝説的な帝王の理想像です。 武力や軍事力によるのではなく、正義と法によって世界を

統一するわけです。 したがって当然のことながら、転輪王は立派な世界を建設します。インドに はそのような帝王の理想像が、 伝説として存在していました。

その転輪王は、天から七つの宝を感得するといわれております。 これが七宝です。

こんゃん

七宝の第一は輪宝です。 輪宝とは、金でできた車輪=金輪です。金輪以外にも、銀輪・銅輪・ 鉄輪の場合がありますが、それは時代によって違うようです。 転輪王の現われる時代によって、 銀輪の場合もあれば、銅輪の場合もあるし、また鉄輪の場合もありますが、おおよそは天から金 輪を授けられるとされております。いずれにしても輪宝とは神聖な車輪で、たとえるならば一種 の戦車です。 その戦車がひとりでに動いて転輪王の軍勢を先導し、世界中の悪い軍隊を残らず退 治してしまう。あらゆるものを破砕、降伏せしめる。抵抗するところの悪い軍隊や国王を、全部 この金輪が打ち砕いてしまうのです。そして転輪王の一行は、そのあとを堂々と歩いて行って、 正義と法を説いて世界を治めるわけです。

は さいごうく

第二の象宝とは、すぐれた象のことです。体も大きく、力も強く、しかも頭がすぐれてよい象 です。

第三の馬宝とは、乗馬用のすぐれた馬です。

第四の珠宝とは、如意宝珠のことです。

と答えました。

  • 中阿含経・七宝

第五の女宝は王女宝ともいいます。これは一人という説もありますし、複数の場合もあるよ うですが、いずれにしても転輪王に仕えて、いろいろと内助の功を現わすとされている、 容色麗 しく、また才知のすぐれた女性です。 これが女宝です。

第六の居士宝とは、すぐれた大臣たちのことです。政府を組織すると、いろいろな職務を任せ

大臣が必要です。 転輪王のまわりはすぐれた大臣ばかりで、賄賂を受けとるような、醜聞にま みれる閣僚・官吏は一人もいません。

第七の主兵臣宝とは、すぐれた将軍たちのことです。

転輪王はこの七つの宝を手に入れて、世界を統一し、平和なよい世界を生み出すとされていま す。インドにはバラモン教の時代から、いつの世にか転輪王が出現して、よい世界をつくり出す という伝説があり、今もそれは続いております。

じつをいいますと、ほかならぬお釈迦さまご自身が、転輪王になるといわれたお方でした。 『小部経典・本生「経』(漢訳では、『長”阿含経・大本経』参照)によると、シッダッタ (悉達多、お釈 迦さまのお名前) 太子がマーヤー(摩耶) 王妃のお腹に宿られた時、白い象がお腹の中に入るとい う不思議な夢をご覧になったとされております。 それでマーヤー王妃は、スッドーダナ王(津飯 夢のことを話されました。 スッドーダナ王は心配になって、六十四人の名高いバラモンを

呼び寄せて、夢の内容を占わせたところ、そのバラモンたちは、

お腹に宿られたのは王子です。 王女ではありません。 この王子が在家のままでおられるならば、 転輪王となられるでありましょう。 もしも出家されるならば、世の苦厄を除く仏陀となられるで ありましょう」

さらにご誕生の直後に、それらのバラモンの中から、とくに観相に抜きん出た者を八人選んで 断させたところ、八人中七人が、やはり、

「この王子が在家のままでおられるならば、転輪王となられるでありましょう。 もしも出家され

 

 

 

– お釈迦さまは「七宝経」で、如来が現れる際に七覚支法が出現することを説明しています。
– 七覚支法は念覚支、択法覚支、精進覚支、喜覚支、息覚支、定覚支、捨覚支の七つの修行法から成り立っています。
– 念覚支は念の力を強化し、空観を体得する修行。択法覚支は真実の教法を選び修行すること。
– 精進覚支は一心の努力精進によって教法を体得する修行。喜覚支は真実の教法を身につける喜びに住む修行。
– 息覚支は心身を軽快にする修行。定覚支は特殊な瞑想法を含む瞑想の修行。捨覚支は執着を捨てる修行。
– お釈迦さまは「阿含経」の中で七覚支法を説明し、それが如来の出現を予言していると考えています。
– 世界が危機的状態にあり、如来の出現が必要であるとし、それが阿含宗によって広まりつつあると主張しています。
– お釈迦さまの成仏法・七科三十七道品が阿含宗によって広められ、世界を救う手段として存在すると述べています。
– 作者は「阿含経」を通じて、現代において如来が出現する予言であり、それを阿含宗が具現化していると解釈しています。
– 世界を救う役割を果たすのは阿含宗であり、お釈迦さまの成仏法を広める努力が如来の出現に繋がると認識しています。

In the Seven Treasure Sutras, Buddha explains that when the Tathagata appears, the Seven Awakenings will appear.
– The Shichigakushō method consists of seven training methods: Nen Gakusho, Shoho Gakusho, Shojin Gakusho, Kikakusho, Breath Gakusho, Jo Gakusho, and Sakugakusho.
– Nen Gakushu is a training that strengthens the power of Nen and masters the idea of space. Choho-kakushu means choosing the true teaching method and practicing it.
– Shojin Gakusho is a training that involves mastering the teaching method through single-minded effort and dedication. Kikakushi is a practice that dwells in the joy of acquiring the true teaching method.
– Breathing is a practice that lightens the mind and body. Jogakusho is a meditation practice that includes special meditation techniques. Sakukushi is the practice of abandoning attachment.
– Shakyamuni Buddha explained the Seven Kakusho in the Agon Sutra, and believes that it predicts the appearance of the Tathagata.
– He claims that the world is in a state of crisis and that the appearance of the Tathagata is necessary, and that this is being spread by the Agon sect.
– It states that Buddha’s method of attaining Buddhahood, the Thirty-Seven Ways of the Seven Sciences, was spread by the Agon sect and exists as a means to save the world.
– The author interprets this as a prophecy that the Tathagata will appear in modern times through the Agon Sutra, and that the Agon sect is the embodiment of this prophecy.
– It is the Agon sect that plays the role of saving the world, and we recognize that efforts to spread the Buddha’s method of attaining Buddhahood will lead to the emergence of the Tathagata.

 

 

七宝です。 如来・無所著・等正覚がこの世に出現する時には、この七覚支(法という) 宝がこの世 に出現するのです」

以上のように仏さまは説かれました。もろもろの比丘たちは仏さまの説法を承り、歓喜して修 行に励みました。

お釈迦さまは転輪王の七宝になぞらえて、 七覚支法は如来の七宝であるとおっしゃっているわ けです。「是の如く」とは、それと同じようにということです。如来・無所著・等正覚が世に出 現される時も同様に、七覚支法という七宝が出現するわけです。如来とは真如の世界から来られ たお方という意味で、仏さまのことです。無所著も仏さまの別名です。仏さまは一切のものに執著執着しないので、無所著というわけです。あらゆるものの執着から離れたお方ですから、 仏さまのことを無所著といいます。等正覚もやはり仏さまの別名ですが、比類のない最高の正し 悟りを得られたお方という意味です。 如来も無所著も等正覚も、仏さまのことです。

仏さまがこの世に出現される時には、転輪王が七つの宝を得られるように、七つの宝ともいう べき七つの法が世間に出現するのです。

それでは、仏陀の七宝である七覚支法とは、どういう法なのでしょうか?

これは、念覚支択法覚支・精進覚支・喜覚支・息(軽安・猗)覚支・定覚支・捨覚支の七 つからなる修行法です。

七覚支法の詳しい説明は、拙著「輪廻する葦」(平河出版社)で説明しておりますが(二八四 三二四頁参照)、念のために簡単に説明すると、

1念覚支……念の力を強化し、その力によって空観を体得する行

2択法覚支..世の中にたくさんある宗教・信仰・哲学の中から、真実の教法を選ぶ修行

3精定…一心の努力精進によって、自分が選んだ教法を体得する修行

4喜覚覚支・・・・真実の教法を身につける喜びに住する修行

5息覚支・・・・ 心身を軽快にする修行

6定進覚… 「滅尽定」「四禅定」を含む、特殊な瞑想法

7捨覚支・・・・(執著)する心を捨てる修行 ものごとにとらわれて執着

転輪王という偉大な王さまが出現される時には、 輪宝をはじめとした七つの宝が世の中に出て、 転輪王はそれを得て世界を統一し、立派な世の中を建設します。 同様に、如来が出現される時に は七つの法、七覚支法が現われ、如来はその法をもって世の中を救うのだ、とお釈迦さまはおっ しゃっているのです。

わたくしは、このお経は一種の予言であると思います。 このお経を目にした時、これは予言経 だなと直感しました。

どのような予言でしょうか?

現代に、まさに如来が出現するという予言です。わたくしたちが生きている、今この時代に如 来が現われるぞ、という予言であるとわたくしは思うのです。

なぜ、そういうことがいえるのでしょうか?

わたくしは、二つの理由を挙げることができます。

まず第一に、今この時代に如来が現われなければ、この世界は絶滅するということです。もし も今、如来が出現されなかったならば、この世界は壊滅します。 エントロピーの法則というもの がありますが、この法則に照らし合わせても、地球の壊滅は遠くない将来であるといわざるを得 ません。 どうしても今、如来が出現されなければならないのです。

第二の理由は、現在、わたくしたちの手によって、七覚支法が世に出ているからです。 今まで の日本は仏教国とはいいながら、七覚支法など目にしたこともなければ、聞いたこともなかった 人がほとんどでした。 「阿含経」の中にすでに説かれているものの、その「阿含経」自体が小乗 経典とけなされて、まったく顧みられなかったために、七覚支法をはじめとしたお釈迦さまの成 仏法・七科三十七道品のすべてが、だれにも修行されることなく、埋もれたままになっていたの です。

ところが阿含宗が登場して、 七科三十七道品の存在が世の中に広まってきました。七覚支法も わたくしが「輪廻する』を書いて、初めて世に出たといっても過言ではありません。 諸君がお

釈迦さまの成仏法・七科三十七道品の存在を知ったのは、わたくしの本を読んでからか、あるい は阿含宗に入行してからのはずです。

しかし、それは諸君だけではありません。 在家であるあなた方だけではないのです。 非常に著 名な大乗仏教の僧侶や学僧でさえも、わたくしの著書を読んでお釈迦さまの成仏法七科三十七 道品の存在を初めて知った、という人がほとんどです。

阿含宗が登場するまでは、「阿含経」を学んだことのない学者や学僧が大半を占めていました。 彼らの多くは大乗経典の研究者だったのです。大きな書店の宗教書のコーナーに行っても、「阿 「含経」の解説書など、皆無に等しい状態でした。もっとも、「阿含経」の研究書を出版しても、 だれも買わなかったと思いますが。

ところがわたくしが阿含宗を立て、「阿含経」を世の中に広め出してからは、大きな書店の宗 教書のコーナーに、「阿含経」に関する書籍が次々と並ぶようになったわけです。

世界を救う如来の出現

  • 中阿含経・七宝

そこでいえるのは、七覚支法という成仏法は阿含宗が登場して初めて、世の中に出現したとい うことです。それまでも存在はしていましたが、広く世間に知られていませんでした。しかし、 阿含宗の登場によって「阿含経」も、そこに説かれる七覚支法も、世間の知るところとなったの

前述のように、

「如来が出現される時には、七覚支法が世間に現われる」

お釈迦さまは『七宝経』で説かれておりました。阿含宗によって七覚支法が世間に知られる

ようになったのは、決して偶然とは思えません。

それが如来なのです。

今、この世は危機的状態の中にあり、その危機を救うためには、どうしても仏陀が出現されな ければなりません。 如来が現われなければならないのです。そうでなければ、この世界は壊滅す るとわたくしは思います。

しかしながら、この世界がそう簡単に壊滅するとは思えません。 とすると、なにかが出現し、 だれかが現われて、この世界を破滅から救うということになるでしょう。だれがこの世を救うの でしょうか?

それでは、その如来とはだれでしょうか?

その如来とは、阿含宗なのだとわたくしは思います。 如来とは、 わたくしであり、あなた方な のです。お釈迦さまの成仏法・七科三十七道品を広めているわたくしや諸君が、この世を救う如 来である、とわたくしは考えています。 成仏法を世に出す努力をする人たち、その人たちがすな わち如来なのです。お釈迦さまの成仏法を世に出すということは、お釈迦さまを世に出すことに ほかなりません。さらに、お釈迦さまを世に出すということは、自分自身が如来となることでは ありませんか。

自分自身が如来となり、お釈迦さまの成仏法をこの世に広めることによって、世界は壊滅から 救われる。わたくしはこのお経を、そのような予言経であると解釈しております。

『七宝経』は短いお経でありますが、内容はじつに意味深長です。 わたくしたちは一生懸命に努 力して、この予言を現実のものにしなければいけません。お釈迦さまの成仏法を身につけ、成仏 法を世に出していくのです。その功徳によってわたくしたちも成仏し、名実ともに如来になるの です。お釈迦さまは、

「おまえたちすべてが如来になりなさい。その時、世界は救われるのだ」

というお気持ちを込めて、このお経をお説きになられたのだとわたくしは感じます。

このように大切なことが説かれている「阿含経」が、日本では千数百年以上も顧みられること もなく埋もれていました。そのことを考えますと、心の底からつくづく嘆息せざるを得ません。 しかしながら、考えようによると、これまでの世界は「阿含経」をさほど必要とすることのな い、比較的によい時代であったのかもしれません。昔は、人間の力で地球を破壊することなど、 とうてい不可能でした。ところが今は違います。 地球を何回も破壊して、それでもまだ余りある ほどの核を人類は保有しています。そのような破滅に瀕した地球を救うためにこそ、「阿含経」 は温存されてきたのかもしれません。非常時のために、大切にしまわれてきたとも考えられます。 それをわたくしたちが発見して、世界を救うために世に出しつつあるのです。これ以上の梵行は ありません。

わたくしたちは手を握り合って、この活動を宗教運動というような小さな枠内だけではなく、 大きな大きな社会運動にまで盛り上げていき、この地球の壊滅を救うように努力しなければいけ 中阿含経・七宝

ません。その時期がまさに今、到来したのです。

孤独のあった森林(ジェータヴァナ) の別訳 小部経典 南方上座部の聖典・バーリ五部の一つで、 十五分からなる。 パーリ五部の他の四部「長部経』 中部経典 部経典」 「増支部経典」は、それぞれ漢訳」「中阿含経」「阿含経」 「増一阿含経』にほぼ対応するが、『小部経典」 に含まれるお経のいくつかは単として漢訳され、「小阿含経」というものはされなかった。『小部経典」の集成が他の四部 に比べて遅れたためと考えられるが、このことと経典の内容の新古とは別問題とされる。単として訳された「小部経典』所 収の経典には、「法句経」「法句経」「義経」 などがあるが、いずれもお釈迦さまの口の説法を知るための重要な経典と して、学問的にも重要視される

人のバラモンのうち、いちばん若いバラモンであるアンニャー・コンダンニャだけが、シッダッダ太子が必 出され、仏陀となられることを予言した。また彼は、シャダッタ太子の出家に随行した、いわゆる五比丘の一人で、仏弟子 として最初にを得た人物でもある

*4エントロピーの法則 熱力学第二法則。「物質とエネルギーは一方向のみに変化する。 すなわち使用可能なものから使用不 可能なものへ、あるいは利用可能なものから利用不可能なものへ、あるいはまた秩序化されたものから無秩序なものへ変化す る」こと。Jリフキン著の『エントロピーの法則』(祥伝社)によって、一般によく知られるようになった

 

 

It’s Shippo. When the Tathagata, Mushosho, and Toshogi Awakening appear in this world, this treasure of the Seven Awakenings (Dharma) will appear in this world.

The Buddha preached as above. The various bhikkhus listened to the Buddha’s sermons, rejoiced, and devoted themselves to their training.

The Buddha compares it to the seven treasures of the wheel-turning king, and says that the Seven Awakenings are the seven treasures of the Tathagata. “As is” means in the same way. Similarly, when the Tathagata, Mushosho, and Toshogaku appear in the world, the Seven Treasures known as the Seven Awakenings will also appear. Tathagata means a person who came from the world of Shinnyo, and is a Buddha. Mushosho is also another name for Buddha. Since the Buddha is not attached to anything, he is said to have no place. The Buddha is said to be free from all attachments because he is free from all attachments. Tosei Awakening is also another name for Buddha, but it means someone who has achieved the unparalleled highest level of righteous enlightenment. The Tathagata, Mushosho, and Toshogaku are all Buddhas.

When the Buddha appears in this world, just as the wheel-turning king obtains the seven treasures, the seven dharma, also known as the seven treasures, will appear in the world.

So, what kind of Dharma is the Buddha’s Seven Treasures, the Seven Gakushu Dharma?

This is a method of training that consists of seven parts: Gakusho Gakusho, Shojin Gakusho, Ki Gakusho, Breathing Gakusho, Jyo Gakusho, and Saku Gakusho.

A detailed explanation of Shichikakushoho is given in my book “Reincarnating Reeds” (Hirakawa Publishing) (see pages 284 and 324), but just in case, I will briefly explain it.

1. Nen Gakusho…The process of strengthening the power of Nen and using that power to gain a sense of space.

Two-choice teaching method…The practice of choosing the true teaching method from among the many religions, beliefs, and philosophies in the world.

3 Seisei…Training to master the teaching method of your choice through single-minded effort and dedication.

4 Kikaku Kakusho: Training to dwell in the joy of acquiring the true teaching method

5 breathing exercises…Training to lighten the mind and body

6 Determined Awakening…Special meditation methods including “extinction” and “four jhanas”

7. Sakukakusho…The practice of letting go of the mind of being obsessed with things and being attached to them.

When a great king called the wheel-turning king appears, seven treasures, including the wheel-treasure, will appear in the world, and the wheel-turning king will use them to unify the world and build a fine world. In the same way, the Buddha said that when the Tathagata appears, the seven dharma, the seven enlightenment laws, will appear, and the Tathagata will save the world with these dharma.

I think this sutra is a kind of prophecy. When I saw this sutra, I had an intuition that it was a prophetic sutra.

What kind of prophecy?

This is a prophecy that the Tathagata will appear in our modern times. I believe that this is a prophecy that the Tathagata will appear in this era in which we live.

Why is this true?

I can give two reasons.

First of all, if the Tathagata does not appear in this era, this world will become extinct. If the Tathagata did not appear now, this world would be destroyed. There is a law of entropy, and even in light of this law, it must be said that the destruction of the earth is in the not-too-distant future. The Tathagata must appear now.

The second reason is that Shichikakusho is now being released into the world through our own hands. Up until now, Japan has been known as a Buddhist country, but most people had never seen or even heard of the Shichikakusho. Although it was already explained in the “Agon Sutra”, the “Agon Sutra” itself was dismissed as a Hinayana sutra and was completely ignored, so the Buddha’s attainment of Buddhism, including the Shichikakusho, was explained. All of the 17 Ways had remained buried, with no one practicing them.

However, with the advent of the Agon sect, the existence of the 37 sects of the Seven Schools spread throughout the world. It is no exaggeration to say that he first appeared in the world after I wrote “Reincarnation.”

He must have learned about the existence of Shakyamuni Buddha’s method of attaining Buddhahood, the Seven Courses and Thirty-Seven Ways, after reading my book, or perhaps after he entered the Agon sect.

But it’s not just you guys. It’s not just you who are laypeople. Even among the very famous Mahayana Buddhist monks and scholars, most of them learned for the first time about the existence of Shakyamuni Buddha’s Seven Courses of Buddhahood after reading my book.

Before the advent of the Agon sect, most of the people were scholars and learned monks who had never studied the Agon Sutra. Many of them were researchers of the Mahayana scriptures. Even when I went to the religious book section of a large bookstore, I found that there were almost no explanatory books on the “A “Sutra.” However, even if I published a research book on the Agon Sutra, I don’t think anyone would buy it.

However, after I established the Agon sect and began to spread the “Agon Sutra” throughout the world, books related to the “Agon Sutra” began to be lined up one after another in the religious books section of large bookstores.

Appearance of Tathagata who saves the world
Nakaagon Sutra/Cloisonné

What we can say is that the method of attaining Buddhahood called Shichikakushoho did not appear in the world until after the appearance of the Agon sect. Although it had existed until then, it was not widely known to the public. However, with the emergence of the Agon sect, both the Agon Sutra and the Shichikakusho taught there became known to the public.

As aforementioned,

“When the Tathagata appears, the Seven Awakenings will appear in the world.”

Buddha preached in the Seven Treasure Sutras. Shichikakusho became known to the world through the Agon sect.

I don’t think it’s a coincidence that this happened.

That is the Tathagata.

The world is currently in a state of crisis, and in order to save it from this crisis, the Buddha must appear. The Tathagata must appear. Otherwise, I believe this world will be destroyed.

However, I don’t think this world will be destroyed so easily. If so, something will appear, someone will appear and save this world from destruction. Who will save this world?

So who is this Tathagata?

I believe that the Tathagata is of the Agon sect. The Tathagata is me and you. I believe that I and all of you who are spreading the Buddha’s method of attaining Buddhahood, the Seven Courses and Thirty-Seven Ways, are the Tathagata who will save this world. Those who strive to bring the Dharma of attaining Buddhahood to the world are the Tathagata. Bringing the Buddha’s method of attaining Buddhahood to the world is nothing less than bringing the Buddha into the world. Moreover, by bringing the Buddha into the world, isn’t he also becoming the Tathagata himself?

The world can be saved from destruction by becoming the Tathagata and spreading the Buddha’s method of attaining Buddhahood to this world. I interpret this sutra as such a prophetic sutra.

Although the “Shippo Sutra” is a short sutra, its content is deeply meaningful. We must work hard to make this prophecy a reality. We must acquire the Buddha’s method of attaining Buddhahood and bring it out into the world. Through these merits, we too can attain Buddhahood and become Tathagata in both name and reality. The Buddha is

“All of you should become the Tathagata. Then the world will be saved.”

I feel that He preached this sutra with these feelings in mind.

The Agon Sutra, which teaches such important things, remained buried in Japan without being looked at for over a thousand years. When I think about this, I can’t help but sigh from the bottom of my heart. However, if you think about it, the world up until now may have been in a relatively good era, where the “Agon Sutra” was not so necessary. In the past, it would have been impossible for humans to destroy the Earth. But now it’s different. Even though we have destroyed the Earth many times, humanity still has as many cores as hers. The Agon Sutra may have been preserved precisely in order to save the earth from such a catastrophe. It is also thought that it was carefully stored away in case of an emergency. We have discovered this and are bringing it into the world to save the world. There is no greater Brahma practice than this for him.

We must join hands and make this movement not only within the small framework of a religious movement, but also a large social movement, and strive to save this earth from destruction. – Tsune NakaAgon ・Shippo

not. That time has now arrived.

Another translation of The Lonely Forest (Jetavana) Small Sutra This is one of the five parts of Bari, the southern Theravada scripture, and consists of 15 minutes. The other four parts of the five Pali parts, “Nagabe Sutra,” Chubu Sutra, Bu Sutra, and “Maso Branch Sutra,” roughly correspond to the Chinese translation, “Naka Agon Sutra,” “Agon Sutra,” and “Masuichi Agon Sutra,” respectively. Some of the sutras included in the “Shobe Sutra” were simply translated into Chinese, and the “Sho Agon Sutra” was not translated. This is thought to be because the collection of the “Small Sutras” was delayed compared to the other four parts, but this is a different matter from whether the contents of the sutras were new or ancient. The sutras included in the “Kobe Sutra”, which have been translated as simple translations, include the “Dharmakaya Sutra”, the “Dharmakaya Sutra”, and the “Yoshitsune”, all of which are important sutras for understanding the Buddha’s oral sermons. and is considered academically important.

Among the human Brahmins, only Anya Kondanya, the youngest Brahmana, prophesied that Prince Siddadda would emerge and become a Buddha. He was also one of the so-called Five Bhikkhus who accompanied Prince Shadatta to his ordination, and was the first person to become a disciple of the Buddha.

*4 Law of entropy Second law of thermodynamics. “Matter and energy change in only one direction: from usable to unusable, or from usable to unusable, or from ordered to disordered. “to change.” It became well known to the general public due to “The Law of Entropy” (Shodensha) written by J. Rifkin.

 

 

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大日如来の智慧を表現した「金剛界」 .一印会 “Kongokai” expressing the wisdom of Dainichi Nyorai.Ichiinkai

 

胎蔵界曼荼羅 たいぞうかい Womb Realm Mandala Taizokai

 

 

 

 

 

 

真言・三昧耶形・印[編集]

真言[編集]

真言は短呪の「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」(Oṃ cale cule cunde svāhā [21] [15][注 4]などがよく知られている。

長咒は「ナモサッタナン・サンミャクサンモダクチナン・タニヤタ・オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」。[要出典]

三昧耶形

サンクリトップ

むどらに

さらば

たたーがたん

さだとびぶしゅたあじしっちてい

 

印契(いんげい),密印,あるいは単に印ともいう。サンスクリットのムドラーmudrāの訳。ムドラーとは本来〈封印〉〈印章〉という意味で

 

三福道

その日は、仏陀がコーサラ国の祇園精舎に滞在していたある日のことだった。朝日が東の空に昇り、精舎の周囲を静かに照らしていた。仏陀の教えを聞くために、多くの弟子たちが集まっていたが、その中に特に目立つ存在があった。阿難である。

 

 

 

阿難は、仏陀の最も親しい弟子であり、彼の言葉を記録し、教えを広める役割を担っていた。その日も、阿難は仏陀の近くに座り、静かに耳を傾けていた。彼の心は澄み切り、仏陀の言葉を一つ一つ深く受け止める準備が整っていた。

仏陀は阿難に向かって穏やかに話し始めた。「阿難よ、三善根(さんぜんこん)というものがある。それは無限の功徳を持ち、涅槃の境地に至ることができるものである。これを理解し、修行することが重要だ。」

阿難の目が仏陀に向けられ、その言葉に心を集中させた。「三善根とは、いったい何でしょうか、世尊?」

仏陀は柔らかい微笑を浮かべて続けた。「第一に、如来の元で功徳を積むことだ。如来とは仏陀自身のことであり、仏陀の教えを受け入れ、それに従うことで得られる功徳は無限である。」

阿難は深く頷いた。「第二に、正法において功徳を積むことだ。正法とは、仏陀の教えそのものであり、その教えを学び、実践することで得られる功徳もまた無限である。」

仏陀の言葉は、阿難の心に深く染み渡っていった。「そして第三に、聖衆において功徳を積むことだ。聖衆とは、仏陀の教えを共に学ぶ仲間たちのことであり、彼らと共に修行し、支え合うことで得られる功徳も無限である。」

阿難は感銘を受け、その目に希望の光が宿った。仏陀は静かに結論づけた。「阿難よ、この三善根を修行しなさい。この無限の福を得るために、日々努力を惜しまぬように。そして他の者にも、この教えを広めなさい。」

その言葉を聞いた阿難は、心の底から喜びを感じた。彼は仏陀の教えをしっかりと胸に刻み、これからの修行に一層励む決意を固めた。朝日がさらに高く昇る中、阿難は瞑想に入り、仏陀の言葉を深く反芻した。

その日以来、阿難は三善根の教えを実践し続け、その教えを広めるために奔走した。仏陀の言葉は、彼の心に生き続け、彼の行動の源となった。祇園精舎の周囲には、阿難の修行の音が響き渡り、仏陀の教えがますます深く広がっていった。

 

メシアの法 求間持聪明法秘伝   21 The Law of the Messiah: The Secret of the Law of the Law of the Messiah 

 

 

 

 

 

 

 

1. “仏陀の成仏法とクンダリニー・ヨーガ: 比較と体得の旅”
2. “仏陀の気道法とクンダリニー・ヨーガ: 共通点と違いを探る”
3. “仏陀の修行法とクンダリニー・ヨーガ: 究極の目的への道”

**第1章: 道の交わり**

仏陀の気道法とクンダリニー・ヨーガの道は、古の智慧の深遠なる底に、宿命の糸のように絡み合っていた。それぞれが悟りの本質を運び、時間を超えて旅をし、分かれたり交わったりしながらも、共通の起源によって永遠に結ばれていた。

**第2章: 修行の40年**

真実を求める心に燃えた旅人は、仏陀の気道法の謎を解き明かすために40年の巡礼の旅に出た。経典の散逸した節やクンダリニー・ヨーガと道教の実践を対比させることで、悟りの本質が徐々に明らかになっていった。

**第3章: 精通の本質**

30歳の若さで、旅人は仏陀の悟りの道に身を捧げ、40年の歳月をその追求に費やした。試練と苦難、洞察と啓示を経て、旅人はついに仏陀の気道法の本質を垣間見た。これは崩壊の縁にある世界に希望の灯火となるものであった。

**仏陀の気道法の完成**

旅人は、仏陀の気道法とクンダリニー・ヨーガの相互関係を反映し、前者を後者の未完成な側面の洗練と認識した。ススムナ、ピンガラ、イダという複雑なエネルギー経路の中には、超越と変容の鍵があった。

**啓示と霊感**

旅人が精神の迷路に更に深く入り込むにつれ、啓示の瞬間が未来の道を照らした。クンダリニーの覚醒とエネルギーの調和によって、旅人は悟りの頂点に近づき、遠い地平線に星のように待ち構える悟りに近づいた。

**危険な旅路**

しかし、霊的な上昇の喜びの中には、影に危険が潜んでいた。旅人は、導きなしにクンダリニーの火の道を踏み越える者たちの慎重な話を考え、エネルギーの無制御な炎による消滅の危険を冷静に考えた。

**仏陀の遺産**

後に振り返って、旅人は仏陀がクンダリニー・ヨーガを全面的に支持しなかった理由を理解した。その不安定さと不確実性は、仏陀の悟りの安定性と明晰さとは鮮やかに対照的であった。

**終わりのない探求**

章の最後のページをめくると、旅人は悟りの旅が目的地ではなく、魂の永遠の進化であることを理解した。一歩一歩進むごとに、旅人は人間の魂の無限の可能性を抱きしめ、仏陀の気道法の絶え間ない謎を受け入れた。

 

 

1. “仏陀の気道法とクンダリニー・ヨーガ: 知るべき共通点と違い”
2. “四十年の修行: 仏陀の気道法を復原し体得した旅”
3. “クンダリニー・ヨーガと仏陀の法: 地球を救済する究極の救世主”

1. 道教の気道の法は、仏陀の気道の法を受け継ぎつつ、道教独自の発展を経ている。
2. 仏陀の成仏法は阿含経に散在しており、クンダリニー・ヨーガと道教の修行法との対照を通じて理解が進む。
3. 三十歳で仏道に志し、四十年かけて仏陀の成仏法をほぼ復原し、体得したと語る。
4. クンダリニー・ヨーガの気道は三本あり、中心のスシュムナー管が重要である。
5. クンダリニーの目覚めによりエネルギーがスシュムナー管を上昇し、ピンガラとイダーの気道も活性化する。
6. ピンガラは太陽の気道とされ、イダーは月の気道として、それぞれ異なるエネルギーを制御する。
7. クンダリニー・ヨーガの過ちによりピンガラを通ってしまうと、修行者は激しい体内熱により危険にさらされる。
8. 仏陀はクンダリニー・ヨーガの不安定さを理由に、弟子たちには使用しなかった。
9. クンダリニー・ヨーガのチャクラ開発法は不安定であり、仏陀は完璧な成仏法を弟子たちに教えた。
10. 仏陀の修行法には、まだ続きがある。

 

もちろん、道教の気道の法が、すべて仏陀の気道の法そのままだというのではない。
仏陀の気道の法を受けついで、さらに道教独特のものに発展させていったということである。原型が仏陀にあり、仏陀にさかのぼることが出来るというのである。そしてそれはまた、同時に、クンダリニー・ヨーガにも関わってくるということになる。

仏陀の成仏法の修行法を、いま、如実に知ることは至難の業である。それはごく、わずかに、阿含経の中に散在するに過ぎず、不可能に近いといっていいであろう。
しかし、クンダリニー・ヨーガと道教の修行法を、阿含経の中にある仏陀の修行法わざアーガマと対照しつつ実践を重ねていくと、おのずから男罪と浮かんでくるものがあるのである。そしてさらに体験を重ね、錬磨し、修行を積んでいくと、突然、閃めきとともにかたちをあらわしてくるものがある。
わたくしは、三十にして仏道に志し、以来、ひとすじに仏陀の成仏法を求めつづけて四十年、ようやくこれをほぼ復原し、体得したと確信するに至った。
そしてその瞬間、さとったのである。この法こそがいままさに壊滅せんとす地球
を救済する、究極の救世主の法であったということを。

完璧な仏陀の気道法


ところで、わたくしは、前の節で、仏陀の気道の法は、クンダリニー・ヨーガの気道法の不十分な部分を補足したものであるとのべた。
それはどういうことか?
クンダリニー・ヨーガの気道は三本ある。

 

上深秘の呼吸法

 



一つはスシュムナー管、他の二つは、ピンガラ、イダーの気道である。
中心となる気道はスシュムナー管である。これは、さきにものべたように、尾武骨から始まって、延髄に至っている。
特殊な意念の力でクンダリニーが目ざめると、そのエネルギーは爆発的な勢いで、スシュムナー管を延髄まで上昇する。同時に、クンダリニーは、ピンガラ、イダーの気道を上昇し、クンダリニーのエネルギー調節その他補助的なはたらきをする。
脊髄の右側にあるピンガラは、太陽の気道と呼ばれ、熱を統御する気道とされる。
左側のイダーは、月の気道と呼ばれ、冷気の流れを統御する。もし誤ってピンガラを通ってクンダリニーが目ざめると、外から全くコントロールのきかないすさまじい体内熱のために、修行者は、最悪の場合、文字通り真っ黒になって焼け死んでしまうことがあるという。
クンダリニー』の著者、ゴーピ・クリシュナは、この過ちのためにかれ自身、危うく死をまぬがれた体験を記している。
わたくしが、仏陀を、クンダリニー・ヨーガの完成者であると断定するのは、この点からである。
さきにあげたミラクルの池の伝説や、雑阿含経に説かれる仏陀の奇蹟- 上半身か
ら火を出し、下半身から水を出すという奇蹟は、このピンガラとイダーを使ってのエネルギー放射なのである。この奇蹟は、クンダリニー・ヨーガ完成者独特のものなのだ。
さて、クンダリニーが目ざめ、スムーズにエネルギーが気道を上下するうちに、修行が順調に進むと、クンダリニーはサハスラーラ・チャクラに到達し、ここで修行が完成する。(ただし、ここまで到達できる修行者は、古今、稀である)
このように、クンダリニーは、尾祇骨から延髄にまで到達し、それからさらに上昇して、究極的には頭頂のサハスラーラ・チャクラにまで到達することになっているのだが、延髄からさきの、サハスラーラに至る経路がどのようになっているのか、明瞭ではないのである。
尾武骨から延髄までは、脊柱が通っていて、いうならば一本道であるから、はっきりしている。しかし、延髄からさき、サハスラーラに至るルートは、一体どういう気


わたくしは、さきに、仏陀が弟子たちにクンダリニー・ヨーガを用いさせなかったのは、過激すぎるからだといったけれども、それはそれだけではなかったのである。
クンダリニー・ヨーガのチャクラ開発法は、不安定であり、不確実だったのである。
仏陀は完璧な成仏法を作製して、弟子たちに教えたのである。
仏陀の修行法はまだつづく

 

 

Of course, not all Taoist airway laws are the same as Buddha’s airway laws.
It was said that he accepted the Buddhist airway law and developed it into something unique to Taoism.
Is. The prototype is in the Buddha, and it can be traced back to the Buddha. and
It also involves Kundalini Yoga at the same time.
It is extremely difficult to know the practice of the Buddhahood Buddhahood. That’s very
It is only scattered in Agama, and it can be said that it is almost impossible.
However, the practice of Kundalini yoga and Taoism is the practice of the Buddha in Agama.
Move
Argama

If you practice it in contrast to it, there are things that naturally come to mind as male sins.
To. And as I gained more experience, refined, and practiced, suddenly with a flash of light.
There is something that shows the shape.
I aspired to Buddhism at the age of thirty, and since then I have continued to seek the Buddhahood method of Buddhahood.
Forty years later, I was finally able to recover from this and be convinced that I had mastered it.
And at that moment, I took it. This law is the earth that is about to be destroyed
That it was the ultimate savior’s law to save.

The perfect Buddha airway

By the way, in the previous section, the law of the Buddha’s airway is Kundalini Yoga.
He said that it supplemented the inadequate part of the law.
What does that mean?
There are three airways in Kundalini Yoga.

 

 

Top secret breathing method ”

The

Let’s go

One is the Sushmuner tube and the other two are the Pingala and Eider airways.
The central airway is the Sschmuner’s canal. This is the tail bone, as I mentioned earlier.
It starts from and reaches the medulla oblongata.
When Kundalini awakens with the power of a special idea, the energy is explosive.
Ascend the Sschmuner’s canal to the medulla oblongata. At the same time, Kundalini is Pingala, Ida’s
Ascends the airways and acts as a kundalini energy regulator and other ancillary function.
The pingala on the right side of the spinal cord is called the airway of the sun and is the airway that controls heat.
The ider on the left, called the lunar airway, controls the flow of cold air. If you accidentally pingara
When Kundalini wakes up, he has a tremendous body that is completely out of control from the outside.
In the worst case, the practitioner will literally turn black and burn to death because of the internal heat.
It is said that there is.
Gopi Krishna, the author of Kundalini, is in danger of himself because of this mistake.
It describes the experience of being able to survive the death.
It is this that I conclude that the Buddha is the perfector of Kundalini Yoga.

From the point.
The legend of the miracle pond mentioned earlier and the miracle of the Buddha explained by Samsung-the upper body?
The miracle of putting out fire and water from the lower half of the body is done using this Pingara and Ida.
It is energy radiation. This miracle is unique to the Kundalini Yoga completer
is.
Now, as Kundalini awakens and the energy moves up and down the airway smoothly, Osamu
When the line goes smoothly, the Kundalini reaches the Sahaslara chakra, where the training begins.
Complete. (However, practitioners who can reach this point are rare in ancient times.)
Thus, the kundalini reaches from the caudal bone to the medulla oblongata and then rises further.
And finally, it’s supposed to reach the top of the Sahaslara chakra.
However, it is clear what the route from the medulla oblongata to Sahaslara is.
It is not.
The spinal column runs from the tail bone to the medulla oblongata, so it’s a straight road.
I’m sorry. However, what is the route from the medulla oblongata to Sahaslara?

I did not let the Buddha use Kundalini Yoga earlier for his disciples.
It’s because it’s too radical, but it wasn’t the only thing.
The Kundalini Yoga chakra development method was unstable and uncertain.
The Buddha created the perfect Buddhahood method and taught it to his disciples.
Buddha’s practice is still going on