UA-135459055-1

求聞持聡明法  Gyomonji Somyoh method  行文字法

世界の疾患の根源は、ただ一つ――無知故の愚かさ。

「求聞持聡明法」は、人類の知性を三倍にも増やすという謳い文句が掲げられるが、その半分でさえも足りるという。もし、人々の知性が現在の水準よりも1.5倍も向上すれば、この地上から犯罪や戦争は一掃されるだろう。その理由は、人類が愚かであるが故にある。知性指数が倍増すれば、愚かな行為が如何に無益であるか、大人が子供のけんかを見るように理解できるだろう。

私はこの法を実践し、偉大なる聖者と称される力を手に入れて。しかし、その価値は一体何だろうか? 私が賢明になろうとも、どこかの愚か者が核ボタンを押せば、全てが終わる。世界は砕け散り、偉大なる聖者もまたその中に含まれる。もちろん、聖者であれば事前に察知し、安全な場所に避難するだろう。しかし、世界が壊滅し、生き残った者たちが核の灰に覆われる未来に希望はない。

このままでは、世界は必ず崩壊する。人類の大愚行を阻止するには、求聞持聡明法を世界中に広めねばならない。知性の向上こそが、愚かさによる悲劇を防ぐ唯一の方法なのだ。私は決意した。どんな困難が待ち受けようとも、この法を広めるために全力を尽くすのだ、と

 

 

 

The root of all the world’s ills is one thing – stupidity due to ignorance.

The Gyumonji Soumyoho claims to triple the intelligence of humanity, but even half of that would be enough. If people’s intelligence were 1.5 times higher than the current level, crime and war would be wiped out from the earth. The reason is that humanity is stupid. If the intelligence quotient doubles, adults will be able to understand how useless foolish actions are, just as adults do when children fight.

I practice this law and gain the power to be called a great saint. But what is its value? No matter how wise I become, if some fool presses the nuclear button, everything will be over. The world will shatter, including the great saints. Of course, a saint would know this in advance and evacuate to a safe place. But there is no hope for a future where the world is destroyed and the survivors are covered in nuclear ash.

If things continue like this, the world will surely collapse. To prevent the great folly of mankind, we must spread the Gyumonji Somyoh method throughout the world. The improvement of intelligence is the only way to prevent the tragedies caused by stupidity. I resolved that no matter what difficulties await me, I will do my utmost to spread this method.

 

世界上所有弊病的根源只有一件事——无知造成的愚蠢。

Gyumonji Soumyoho声称可以将人类的智力提高三倍,但如果人类的智力比现在高1.5倍,犯罪和战争就会从地球上消失,因为人类是愚蠢的。如果智商翻倍,成年人就会明白愚蠢的行为是多么无用,就像孩子打架时成年人会明白的那样。

我修行了这条法则,获得了被称为大圣的力量,但无论我变得多么聪明,如果有傻瓜按下核按钮,一切都会崩溃,包括大圣。当然,圣人会提前知道这一点并撤离到安全的地方,但世界被毁灭、幸存者被核火山灰覆盖的未来是没有希望的。

如果再这样下去,世界一定会崩溃。为了防止人类的巨大愚蠢,我们必须在全世界传播“牛文字小妙法”,这是防止愚蠢造成的悲剧的唯一方法。无论有什么困难等待着我,我都会尽我最大的努力去传播这个方法。

 

私の体験を語ろう。

私の体験を語ろう。

「ああっ!」

私は三度目の必死の修行に入っていた。

それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニン

グのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに、古代ヨ ガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘伝から私が創案した特殊な印契 とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質と脳髄は、 微妙な変化を起こしつつあることが感じられていた。 チャクラの開発も順調 にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた。

夜明けなさい まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。 しびれの 感覚であった。 かるい失神、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。その 刹那、

と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流が流れる感覚が走った。

落雷かと感じ、瞼の裏を紫電が走った。つぎの瞬間、眼前でフラッシュをた かれたように、私の視野は真っ暗になった。 失明! という考えがチラリと

脳裡をよぎった。と、そのときであった。頭の内奥、深部に、ポッカリと明

「そうか!」

かりがともったのだ。 そして、それは、私の脈搏とおなじリズムで、 しずか にしずかにまたたきはじめた。ちょうど、この修法をはじめる一〇〇日前、 山にこもって凝っと見つめたあのときの明星 暁けの明星のように、それ はつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。

私は力いっぱい膝をたたいた。

「そうか! これが明星だったのか!」

私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

明星とは現実の明星ではなかったのである。

大脳の或る部分を或る方法で刺激すると、目の前に光が見えるようになる のである。その光は、かたちも色も大きさも、いろいろに見えるが、意識を 記憶の座に向けて沈静させると、つめたい、やや黄色みを帯びた白銀色にな って、しずかに眼の奥でまたたく。それはちょうど明星そっくりに見えるの である。

これが明星なのだ!

或る特殊なトレーニングにより、この部位(大脳の視床下部のあたり)への 刺激が、目のなかに光を浮かばせるのである。目を或る角度に向けると、目 開いていても閉じていても、ポッカリと光が浮かんで見える。

この光が見えるようになると、大脳の記憶の座が自由にあやつれるように なるばかりでなく、さまざまな、奇蹟としか思えぬような力が出てくる。 す なわち、 求聞持聡明法の成就である。

これが、求聞持法、明星の秘密である。 大空を一〇〇年ながめて空中の明 星を見つめていてもムダだ。 明星はわが大脳の奥にあるのだから。

このことは、密教五〇〇〇年の歴史に、私がはじめてつかんだ秘密である。 私以外にこれを知る者はついになかった。 求聞持法の秘密を私はついにつか んだ。私はそれを誇りに思う。

私は先に、求聞持聡明法の口伝は間違っていると言った。しかし、この口

伝は決して間違っていたのではなかったのである。修行が成就すればたしか

ヒトを改造する技術

私の体験を語ろう。

「ああっ!」

私は三度目の必死の修行に入っていた。

それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニン

グのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに、古代ヨ ガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘伝から私が創案した特殊な印契 とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質と脳髄は、 微妙な変化を起こしつつあることが感じられていた。 チャクラの開発も順調 にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた。

夜明けなさい まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。 しびれの 感覚であった。 かるい失神、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。その 刹那、

と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流が流れる感覚が走った。

落雷かと感じ、瞼の裏を紫電が走った。つぎの瞬間、眼前でフラッシュをた かれたように、私の視野は真っ暗になった。 失明! という考えがチラリと

脳裡をよぎった。と、そのときであった。頭の内奥、深部に、ポッカリと明

「そうか!」

かりがともったのだ。 そして、それは、私の脈搏とおなじリズムで、 しずか にしずかにまたたきはじめた。ちょうど、この修法をはじめる一〇〇日前、 山にこもって凝っと見つめたあのときの明星 暁けの明星のように、それ はつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。

私は力いっぱい膝をたたいた。

「そうか! これが明星だったのか!」

私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

明星とは現実の明星ではなかったのである。

大脳の或る部分を或る方法で刺激すると、目の前に光が見えるようになる のである。その光は、かたちも色も大きさも、いろいろに見えるが、意識を 記憶の座に向けて沈静させると、つめたい、やや黄色みを帯びた白銀色にな って、しずかに眼の奥でまたたく。それはちょうど明星そっくりに見えるの である。

これが明星なのだ!

或る特殊なトレーニングにより、この部位(大脳の視床下部のあたり)への 刺激が、目のなかに光を浮かばせるのである。目を或る角度に向けると、目 開いていても閉じていても、ポッカリと光が浮かんで見える。

この光が見えるようになると、大脳の記憶の座が自由にあやつれるように なるばかりでなく、さまざまな、奇蹟としか思えぬような力が出てくる。 す なわち、 求聞持聡明法の成就である。

これが、求聞持法、明星の秘密である。 大空を一〇〇年ながめて空中の明 星を見つめていてもムダだ。 明星はわが大脳の奥にあるのだから。

このことは、密教五〇〇〇年の歴史に、私がはじめてつかんだ秘密である。 私以外にこれを知る者はついになかった。 求聞持法の秘密を私はついにつか んだ。私はそれを誇りに思う。

私は先に、求聞持聡明法の口伝は間違っていると言った。しかし、この口

伝は決して間違っていたのではなかったのである。修行が成就すればたしか

ヒトを改造する技術

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仏教の革新者:成仏法を求める旅

1. 「成仏法の追求者:日本の仏教改革者の物語」
2. 「真実の探求者:阿含宗の創設者の挑戦」
3. 「仏教の革新者:成仏法を求める旅」

彼が自覚したのは、知能の驚くべき飛躍であった。日本の仏教において「成仏法」の欠如に疑問を感じ、その真理を求めて、あらゆる経典の研究に没頭することになった。成仏法の不在は、彼にとってキリスト教におけるキリストの欠如と同等の不可解な事柄であった。なぜならば、神はキリストを通じて人類を救済し、同様に、仏教では成仏法を通じて人類が救われるとされるからである。そして、その成仏法が日本の仏教には存在しないというのは、何とも不可思議なことである。

彼は疑問を抱きながらも、ただ不可解に留まることなく、成仏法を求める決意を固めた。しかし、彼には仏教の師がおらず、全てを独学で追求しなければならなかった。専門用語や難解な文章に苦しみながらも、彼は求聞持聡明法によって導かれ、ついに阿含経の中に成仏法を見出すことに成功した。

その時、彼はなぜ日本の仏教が成仏法を持たなかったのかを理解した。日本の大乗仏教は古代中国の仏教をそのまま取り入れたものであり、その際に中国仏教の誤解が引き継がれたためであることが分かった。阿含経が最も真理を説いた経典でありながら、中国仏教では最下位とされ、大乗経典が優遇されたことが、成仏法の理解を阻害したのである。

彼はこの真理を広く知らせるべき責任を感じ、阿含宗を設立する決断をした。多くの困難が予想されたが、彼は揺るぎない信念を持ち、その決意を貫いた。伝統仏教の反発やマスコミの攻撃にも耐えながら、彼はただ一人の弟子を連れて教団を興し、現在では数十万の信徒を抱えるまでになった。

彼の教団は巨額の資産を持つように見えるが、実際には彼や家族はほとんど無資産であり、信徒こそが彼らの宝であると考えていた。彼は求聞持聡明法と成仏法の修行によって得た力を持ち、日々ブッダ・シャカの知恵と慈悲に満ちた生活を送っていた。

彼にとって、金や物質的な財産よりも、心の豊かさと真理の普及こそが真の幸福であり、彼の人生における最高の財産であった。

1. “Seeker of the Law of Attainment: The Story of a Japanese Buddhist Reformer”
2. “Seeker of Truth: The Challenge of the Founder of the Agon Sect”
3. “Innovator of Buddhism: A Journey in Search of the Law of Attainment”

What he realized was an astonishing leap in intelligence. He was intrigued by the lack of “the law of attainment” in Japanese Buddhism, and in his search for the truth, he devoted himself to the study of all scriptures. The absence of the law of attainment was as puzzling to him as the absence of Christ in Christianity. This is because God saves humanity through Christ, and similarly, in Buddhism, humanity is saved through the law of attainment. And it is extremely puzzling that the law of attainment does not exist in Japanese Buddhism.

Although he had doubts, he did not remain in the mystery, but instead resolved to seek the law of attainment. However, he had no Buddhist teacher and had to pursue everything on his own. Although he struggled with technical terms and difficult texts, he was guided by the Gumonji Somyoh method and finally succeeded in finding the law of attainment in the Agon Sutras.

At that moment, he understood why Japanese Buddhism did not have a method for attaining enlightenment. He realized that this was because Japanese Mahayana Buddhism was a direct adoption of ancient Chinese Buddhism, and that misunderstandings from Chinese Buddhism were inherited at that time. Although the Agama Sutra is the scripture that most clearly teaches the truth, it was considered the lowest in Chinese Buddhism, and the fact that Mahayana sutras were given preferential treatment hindered understanding of the method for attaining enlightenment.

He felt a responsibility to spread this truth widely, and decided to establish the Agama Sect. He foresaw many difficulties, but he had unwavering conviction and stuck to his resolve. Enduring opposition from traditional Buddhism and attacks from the media, he founded a religious organization with just one disciple, and it now has hundreds of thousands of followers.

His religious organization appears to have huge assets, but in reality he and his family had almost no assets, and he considered his followers to be their treasure. With the power he gained from practicing the Gumonji Somyoh method and the Attainment Method, he lived a life full of the wisdom and compassion of Buddha Shaka every day.

For him, true happiness was found in spiritual richness and the spread of truth, rather than in money or material possessions, and this was the greatest asset in his life.

五蘊の瞑想法

ごんぎようおうせつき

『阿含経応説経』(以下、『応説経』)の講義を行います。まずは経文を読み、現代語に訳し ながら解説します。

しび くつ

是の如く現れ聞きぬ。一時、 国の くぎゅうにゅ 拘留国の雑色牧牛聚 落に住まりたまえり。雨の時、仏、諸比丘に告げたまわ く、「我れ知恵を見てのに諸の尽きることを得たり。 知見にざるなり。何が知見を以ての故に諸漏の尽

いかん

如是我聞。一時仏住拘留国雜色牧牛 聚落。爾時仏告諸比丘。 我以知見故 諸漏尽。 非不知見。 何以知見故。 得諸漏尽。非不知見。謂此色此色集 此色滅。此受想行識。此識集此識滅。此れは色の集なり、此れは色の滅なり、此れは・・

  • 現代語訳

と。

解説

阿含経・応説

きることを得、不知見に非ざるや。 ゆる此れは色なり、

行識なり、此れは識の集なり、此れは識の減なりと」

このように私は聞きました。 ある時、仏さまはクル (拘留) 国の雑色牧牛聚落におとどまりに なっておられました。 その時、仏さまはもろもろの比丘に、次のようにお話しされました。

「私は知見を得たことによって、もろもろの煩悩がなくなりました。不知見ではないからである。 なぜ、私は知見によって、もろもろの煩悩がなくなったのでしょうか? 不知見ではないからで ある。

それはどういうことかというと、これは色である、これは色の集である、これは色の滅である、 これは受想行識である、(これは受の集である。 これは受の滅である、 これは想の集である、こ れは想の滅である、これは行の集である、これは行の滅である) これは識の集である、これは識の滅 である」

知見とは、真の智慧によって物事を見ることで、換言すれば悟りを得たということです。この 悟りの力によってすべての煩悩をなくすことができた、とお釈迦さまはここでおっしゃっておら れます。漏とは煩悩の異名です。煩悩は心の中にいつの間にか漏れ出てきますから、 と呼びま す。

うんかんぼう

「此れは色なり、此れは色の集なり、此れは色の滅なり、此れは受想行識なり、此れは (受想行識の集なり、此れは(受想行識の滅なり」は、五蘊観法という瞑想です。 人間は色(物質的現象)・受(感覚)・想 (表象)・行(意志)・識(意識)の五つの構成要素からでき ていると仏教では考えますが、この五つの構成要素のことを五蘊(五)と呼びます。五蘊観

法とは、この五蘊のそれぞれが無常・空・無我であると観想していく瞑想法のことです。

お釈迦さまはここで、自分は五蘊観法を修行して悟りを得、完全解脱したのだとおっしゃって おられます。

続きを見ましょう。

成仏できない僧侶たち

不修方便随順成就。而用心求令我諸 漏尽心得解脱。当知彼比丘終不能得 漏尽解脱。所以者何。 不修習故。 不 修習何等。謂不修習念处正勤如意足 根力覚道。

  • 現代語訳
  • 解説

ずいじゅんじょうじゅ

だっ

「方便を修し随順 成就せずして而も心を用いて、我れ をして諸尽き、心に解脱するを得せしめんと求むるも 当に知るべし、彼の比丘は終に漏尽解説を得ること能わ

ゆえん いか

しゅじゅう

なんら

ず。所以は何ん。修習せざるが故なり。何等か修習せざ いわねんじょ しょうごん によい そく こん わき かく どう る。謂ゆる念処正勤・如意足・根・カ・覚・道を修 習せざるなり」

「いろいろな方法を駆使して修行を行っても成就しない者が、もろもろの煩悩が尽き、心に解脱 を得たいと思っても、あの僧侶(修行者)たちは、ついに漏尽解脱を得ることはできません。

それはなぜでしょうか?

修行していないからです。

阿含経

なにを修行していないのでしょうか?

それは、いわゆる四認処法(四矩戦)・四正法(西武)宮姫意足法(四神足法)五根

ほっしょうどう

方法覚支法・八正道を修行していないのです」

ここは、『応説経』の中でも特に重要なことが、説かれているところです。

たいへんなことが書かれているわけですが、諸君はそれに気づいたでしょうか?

解脱とは、漏 (煩悩がすべて尽きた状態ですから、完全解脱、つまり成仏したというこ とです。その完全成仏を心から願って修行しているのに、それができない僧侶たちがいる、とお 釈迦さまがおっしゃっておられるわけです。これは大問題です。

なぜ、その僧侶たちは成仏できないのか? それは、四念処法・四正法・四如意足法・五根 法・五方法・七覚支法・八正道を修行しないからだ、とお釈迦さまは説かれているわけです。

この四念処法・四正動法・四如意足法・五根法・五方法・七覚支法・八正道というのが、わた くしがいつもお話ししているお釈迦さまの成仏法、「七神三十七道品」です。わたくしはこれを、 成仏のための七つの科目(システム)、三十七の修行法(カリキュラム)であると申し上げており ます。 念処・正勤・如意足・根・力・覚・道で七科目。そして、それぞれが四・四・四・五・ 五・七・八からなる修行によって成り立っておりますから、全部を合わせて三十七になるわけで す。

お釈迦さまは、この修行を行わない者はたとえそれが僧侶であっても、その人がどのように成 仏を望んでも、絶対に成仏することはできない、とおっしゃっています。

わたくしは法話でしばしば、

「仏教の伝来以来、大乗仏教のお坊さんは、誰一人として成仏していない」

とお話ししています。 みなさんの中には、

「管はずいぶん思い切ったことをいうなあ」

と考えている人がいるでしょう。しかし、それはわたくしの独断や偏見ではありません。 仏教 の開祖のお釈迦さまご自身が、七科三十七道品を修行しない者はいくら他の修行をしても、絶対 に成仏しないと説かれているわけです。

日本にも数々の名僧知識が登場しましたが、 この七科三十七道品を修行した人は皆無といって もよいでしょう。

しかし、お釈迦さまは、

彼の比丘はついに成仏することができない」

とおっしゃっておられます。 「彼比丘」というこの三文字の中に、日本の大乗仏教の僧侶が 全部入っているわけです。きっと、「阿含経」以外のお経を信仰し、それを広める僧侶たちが出 現することを予見しておられたのでしょう。

ですから、わたくしはこのお釈迦さまのお言葉に基づいて、

「仏教の伝来以来、大乗仏教のお坊さんは誰一人として、成仏していない」

と説いているのです。

くどく

阿含経

じろとうぜん

しんごんしゅう こうぼうだ

ただし、わたくしは、曹洞禅の祖である道元禅師(一二〇〇一二五三)と真言宗の開祖弘法大

師空海(七七四八三五)だけは、ひょっとするとこの成仏法をご存知だったのかもしれない、 と考えております。 と申しますのは、道元禅師は『正法眼蔵』の第七十三で、

さんじゅうしちばんぼだいぶんぼう

こってい しゅくんもく

ほうぼう

しようぼうげんぞう

「この三十七品菩提分法(七科三十七道品の別名著者注)、すなわち仏祖の眼睛鼻孔、

骨髄、手足面目なり。仏祖一枚、これを三十七品菩提分法と参学しきたれり」

しんけんみつに きょうろん

成仏法を讃嘆しておられます。また、弘法大師空海は『弁顕二教論」で、

「第一の宝とは即ち是れ摩訶般若解脱法身なり。 第二の法宝とは開く戒定 智慧の諸の妙

功徳なり。いわゆる三十七菩提分法なり」

と記しておられます。 ですから、このお二人が成仏法を知識として知っているだけでなく、 実

際にそれを修行しておられたとしたならば、このお二人だけは、ひょっとすると成仏しているか もしれません。しかし、それ以外の僧侶は絶対に成仏していない。僧侶が成仏していなかったな らば、それに導かれる弟子も在家信者も成仏していないのは当然でしょう。また、自分を成仏さ せることができないのだから、先祖のお霊たちも成仏するはずはありません。

仏教を信仰する人は皆、その宗旨の教えや修行で成仏できると思うから、そこで一生懸命に信 仰・修行に励むわけです。 成仏できると信じればこそ、布教して歩きます。

昔の日本の僧侶たちは、お釈迦さまの教法を知ることができるのは「阿含経」だけだ、という 真実を知りませんでした。 しかし、今の僧侶たちは、みな知っているのです。

しかし、伝統的仏教は従来の教説の上に立ったままです。

わたくしは、少なくとも宗教家だけはこの世の中がどんなに悪くなっても、真実をいわなけれ ばいけないと考えます。だからこそ、宗教家は尊敬に値する存在なのです。もちろん、宗教家と いえども、たまには方便を使うこともあるでしょう。しかし、ここ一番、これこそ大切なことな のだということについては、たとえ八つ裂きにされても、本当のことをいわなければならないと わたくしは思うのです。 その宗教家が嘘であることを重々承知の上で、信者に真実ではないこと 真実であるかのように説教をする。 これは絶対に許されないことです。

続きを説明いたしましょう。

成仏法と伏鶏

譬如伏鷄生子衆多。不能随時蔭餾消 息冷暖。而欲令子以指以爪啄卵自生 安穩出殼。当知彼子無有自力堪能方 便以觜以爪安穩出殼。所以者何。以 彼鶏母不能随時蔭餾冷暖長養子故。 如是比丘。不勤修習随順成就。而欲 得漏尽解脱。無有是処。 所以者何。 不修習故。不修何等。 謂不修念処正 勤如意足根力觉道。

  • 現代語訳

ちょうだん

ちょうよう

しゅた

譬えば伏の生める子衆多にして、随時に消息 冷暖すること能わずして、而も子をしてを以てを 以て卵を稼き、自ら生まれ安穏に殻を出てしめんと欲す も当に知るべし、彼の子自力も能く方便して嘴を以 爪を以て安に殻を出づるに堪ゆること有ること無き が如し。所以は何ん。彼の母随時に冷して 長養することわざるを以ての故なり。是の如く比丘 勤めて修習し随順成就せずして、而も漏尽解脱を得し

ことわり

めんと欲するもの有ること無し。所以は何ん。 修 習せざるが故なり。何等をせざる。謂ゆる念処・正 ・如意足・・・覚・道を修せざるなり」

「たとえば鶏が卵を産みすぎて、親鶏が随時に温めたり、風を送って冷やしたりする、というよ

うな世話が十分にできなかった卵があれば、その世話が十分に行き届かなかった) 卵の中のヒナ が孵化をしようと、くちばしや爪で卵の殻を内側からつついたとしても、そのヒナは自力で殻を 破って孵化することができません。

なぜでしょうか?

親鶏が随時に卵を温めたり、風を送って冷やしたりするというような世話が、十分にできなか ったからです。

小島 それと同じように、仏道修行者が(七科三十七道品以外の) さまざまな修行に励んだとしても、

仏道修行は成就しませんし、 漏尽解脱は得られません。

なぜでしょうか?

解説

修行しないからです。

なにを修行しないのでしょうか?

いわゆる、四念処法 四正勤法 四如意足法 五根法 五力法 七覚支法、八正道を修行しな いのです」

ここでお釈迦さまは、成仏法と修行の関係を、鶏のヒナが孵化することにたとえておられます。 親鶏がいくつかの卵を産んだ後、親鶏は冷暖、つまり温めたり、冷ましたり、あるいは空気 の流通をよくしたりというような努力を一生懸命に行います。 一方、ヒナの方を見てみると、ヒ

自身もくちばしや爪で一生懸命に殻を破ろうとする努力を行います。 親鶏の努力とヒナの努力 が相まって初めて、ヒナは殻を破って生まれることができるのです。

お釈迦さまは、この親の努力とヒナの努力の関係は、ちょうど成仏法と修行者の関係と同じ である、とおっしゃっているわけです。

たとえば、親鶏があまりにも卵を多く産み過ぎると、当然のことながら全部の卵に目が行き届 きません。そうすると、風を送ってもらったり、温めてもらったりできない卵も出てきます。 そ のように十分に面倒を見てもらえない卵は、中でヒナがいくら外に出ようとくちばしでつついた 足の爪で引っ掻いたりしても、絶対に生まれることはできません。

続きを読みます。

阿含経応説

それと同じで、七科三十七道品の成仏法が得られなかったならば、どれほど他の修行を死にも のぐるいで行ったとしても、決して成仏することはできないのだ、とお釈迦さまはおっしゃって おられるわけです。

成仏するには、正しい成仏法と修行者の努力、この二つが絶対に必要なのです。

わたくしはいつも思うのですが、お釈迦さまという方は、本当に比喩が巧みです。 誰にでも分 かるようにお話をされる、希有の名説法家だといえるでしょう。

五蘊の瞑想法

五蘊の瞑想法は、仏教の教えに基づいています。五蘊(ごうん)とは、すべての存在が以下の五つの要素によって成り立っているとする教えです:

1. **色(しき, rūpa)**:物質的な形態、身体
2. **受(じゅ, vedanā)**:感受、感覚、感情
3. **想(そう, saññā)**:表象、認識、思考
4. **行(ぎょう, saṅkhāra)**:形成作用、意志、心の働き
5. **識(しき, viññāṇa)**:意識、知覚

五蘊の瞑想法は、これらの要素を観察し、理解することで自己の本質を見つめる方法です。以下に、五蘊に基づく瞑想のステップを説明します。

### ステップ 1: 色(しき)の観察
1. **姿勢を整える**:静かな場所で座り、背筋を伸ばしてリラックスします。目を閉じるか、半眼にします。
2. **呼吸に集中する**:自然な呼吸を観察し、息を吸う時と吐く時に意識を集中します。
3. **身体の感覚に気づく**:身体の各部分に意識を向け、それぞれの感覚に気づきます。例えば、座っている時の接触感、手や足の位置、体の重みなどを感じます。

### ステップ 2: 受(じゅ)の観察
1. **感覚を観察する**:心の中で生じる感覚や感情に意識を向けます。これには、快、不快、中立の感覚が含まれます。
2. **感覚を判断しない**:感覚が生じたら、それを良い悪いと判断せず、そのまま観察します。感覚がどのように生じ、消えていくのかを見つめます。

### ステップ 3: 想(そう)の観察
1. **思考やイメージに気づく**:心に浮かぶ思考やイメージに気づきます。これには、過去の記憶、未来の計画、現在の思考が含まれます。
2. **思考に執着しない**:思考が生じたら、それに執着せず、そのまま観察します。思考がどのように生じ、変化し、消えていくのかを見つめます。

### ステップ 4: 行(ぎょう)の観察
1. **心の反応を観察する**:外部の刺激や内部の感覚に対する心の反応に気づきます。例えば、音を聞いた時の反応、痛みを感じた時の反応などです。
2. **反応を見つめる**:心の反応がどのように生じ、どのように変わっていくのかを見つめます。反応に引きずられず、観察し続けます。

### ステップ 5: 識(しき)の観察
1. **意識そのものに気づく**:感覚、思考、感情を認識する意識そのものに注意を向けます。
2. **意識の性質を観察する**:意識がどのように変化し、どのように常に存在しているのかを観察します。意識が対象にどのように反応するのかを見つめます。

### 総合的な瞑想
1. **すべての五蘊を統合的に観察する**:上記の各ステップを順番に行いながら、最終的にはすべての五蘊を統合的に観察します。それぞれの要素がどのように相互に影響し合い、自己の体験を構成しているのかを理解します。
2. **無常と無我を理解する**:五蘊の観察を通じて、すべての現象が無常(変化するものであること)であり、無我(自己という固定した実体がないこと)であることを理解します。

この瞑想法は、自己理解を深め、精神的な平和をもたらすことを目指しています。継続的に練習することで、五蘊に対する洞察を深め、より深い瞑想状態に入ることができるでしょう。

成仏法七科三十七道品 四神足法

成仏法七科三十七道品 四神足法

四神足法の解説へと、我々はいよいよ足を踏み入れる。これは釈尊の成仏法の中心であり、輪廻転生瞑想法の根幹である。

その厳しさは他のどの法にも匹敵するものだ。これまでの修行をこなしてきた者であっても、容易には立ち向かえない。ますます難しさを増す訓練に、多くの者が不安を覚えるだろう。

霊界において、如来は常に法を説いている。その一つが「思念による王者の相承」だ。これは言葉や象徴を介さずに、自らの心を相手の心に伝えるものである。その心は単なる思念ではなく、力を帯びたものだ。これにより、相手は即座に仏として覚醒する。

これこそが最高であり、理想的な存在だ。「王者の」が示すとおりだ。

しかしこれには条件がある。それは何か?それは以下の通りだ。

「思念による王者の相承」は最高の理想だが、それを受けるためにはtapasが必要だ。また、サヘートーマヘートの霊的バイブレーションにも言及される。その伝達が間脳開発の成果なしには不可能だからだ。

思念の相承を受けるためには、まずtapasを達成する必要がある。そしてそのためには四神足法が不可欠だ。この法を修行せずして、思念の相承を受けることはできない。しかし四神足法は、容易には修行できない。そのため、釈尊の成仏法を修行しなければ、思念の相承は得られず、間脳の開発も不可能だ。そして霊性開顕も絶望的なものとなるだろう。

しかし、そう絶望する必要はない。私は永年の修行の末、この問題を解決し、どんな者でも比較的容易に成仏法を修行できる法を見出した。

それが「水晶龍神瞑想法」だ。この瞑想法こそが釈尊の成仏法の真髄であり、四神足法そのものなのだ。そしてその最大の特徴は、「瞑想法自体が思念の相承である」ということだ。

修行者はこの法を通じて、思念の相承を受けつつ、四神足法に必要なチャクラの開発を進めることができる。特にクンダリニー・ヨーガにおいては、危険とされる脳内のチャクラの開発も、安全かつ穏やかに進められるのだ。

この水晶龍神瞑想法を修行すれば、神通力を得ることができるだろう。ただし、この法は極秘のものであり、全てが明かされることはない。

この文章をの作詩ください。
歌詞はイントロ4行、サビ4行してください

五力法」と「七覚支法

 

五力法」と七覚支法 五蘊の瞑想法

 

 

修行者は七科目、三十七教程の成仏法を完璧に修行する必要はなく、導師が最適な教程を選ぶ。

代表的な修行法には「五力法」と「七覚支法」があり、五力法は基礎訓練に利用される。

五力法には信念力法、精進力法、念力法、定力法があり、これにより信念が強化され、念力が発達する。

念力の強化によりクンダリニー・ヨーガの課程に進み、異常なほどの念の力を身につける。

七覚支法はクンダリニー・ヨーガと組み合わせて行われ、高度な智慧や法覚、力法の訓練が含まれる。

修行の最終段階では、仏陀釈尊の成仏法に辿り着くために、クンダリニー・ヨーガが必要であることを発見。

「択法覚支」から高い智慧を身につけ、念力法や念覚支法を通じて予知力や予感を得る。

修行者は軽安党支や捨覚支を通じて心の平静を保ち、定方法により感覚器官を増幅し、超人的な能力を得る。

修行の極限では不可視光線や超音波を感知し、天災地変を予知することが可能となる。

念力法や念覚支法を修行した者は、仏陀の弟子たちのように信じられないような念の力を持つ。

これが真実の仏教であり、創作経典ではないことに注意が必要。

 

《通往解脱的四级阶梯》

 

 

 

1、教法是“缘起论”。 2、修法是“七部三十七道”(又称“三十七菩提分部”)。

在后来的分类中,“缘起论”被称为“显宗佛教”。

解脱的四个阶段

《解脱的四个阶段》

任何人都必须经历这四个阶段才能获得解脱。

如果你在优秀大师的指导下遵循这四个阶段,

当然,任何人都可以获得解脱。

这四个阶段是:

1. 苏丹

2. 西达贡

3.阿纳贡

4.罗汉

解释,

Sudaon:去除一切杂质的圣人

西达贡:一位开悟的圣人

阿纳贡(Anagon):一位实现飞跃的圣人(维度之上)

阿罗汉:超越(伟大境界)而达到圆满境界的圣人,又称“佛”。

那么修炼者如何走过这四个阶段呢?

达到灵性完美的方法和系统

这就是释迦所留下的修行方法,这就是所谓的“成佛之法”,达到了修行境界的人就被称为“佛”。称此法为“成佛法”。

它是一种成佛的方法和系统,由七个系统和三十七种课程组成。这是一个佛教术语。

我这样说,除了释迦其实只宣讲《阿含经》这个历史事实外,

除了《阿含经》之外,没有其他的“成佛法”,我不能接受一部没有“成佛法”的经典作为真正的佛教经典。当然,它可能有一定的理由或价值。它的存在,但不是主流,应该叫旁流。

七科三十七门课程如下:
四念法——身念法、受念法、意念法、法念法
四种正确的遣散方法—遣散法
正确的遣散方法
四种神足法—欲神足法、勤奋神足法
以下遣散方法
心神足法
切断方法
观想神足法
五根法——信根法、精进根法、念根法、定根法、慧根法
五力法——信力法、精进力法、意力法、定力法、慧力法
七大悟法—择法悟法、精进悟法、喜悟法、轻静悟法
定悟法、心悟法
破悟法
正确的正念方法
就这样。
这七个科目和 37 种课程可分为: 1. 冥想 2. 练习 3. Tapas(练习) 四正念练习和五根本练习都是冥想的形式。
四正决定、五力、七觉、八正道就是修行与禅定。
四神足是一种特殊的小吃。
神足就是神通(神通),四神足就是获得神通神通的四种修炼方法。
我之前提到的小吃就属于这一类。
在这七个科目中,培训以小吃为中心,结合了冥想和实践科目。
圣师决定要加入哪些科目以及如何训练,每个修行者都有不同的功德和业力,所以上师根据这些来决定。
导师在这次培训中发挥着重要作用,让我告诉你一些关于导师的信息。
心灵的洗礼
如果你找到一位明确揭示了你的灵性的上师,接受他或她,并训练自己,你可以说你已经成功地将你的力量训练到了80%,这是多么重要和困难。

没有上师,正确的佛法修行是不可能的,它和一般的佛教信仰不同,可能是教导如何有信心,如何有信心,或者是讲经、解释经文那么简单。精神觉醒的修炼,如果没有拥有强大精神力的圣师的帮助,几乎是不可能的。

例如,现代印度圣人罗摩那·玛赫西(Ramana Maharishi)用“凝视法”为新弟子举行接受仪式时,据说他眼睛的光辉和力量刺穿了新弟子的心灵,切断了新弟子的心流。有时,据说这位新弟子会感觉体内仿佛有一股电流流过。

通过这样的灵性体验,弟子的心灵首先得到净化,他开始向往灵性的事物,开始追求灵性的东西。