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求聞持法の兄弟弟子

求聞持法の兄弟弟子

 

**イントロ:**

窓の外に静寂が広がる夜、
彼の言葉が風に乗り響く。
山奥で出会ったあの日の影、
心に刻まれた記憶が揺れる。

**サビ:**

兄弟弟子よ、道を共に
求め続けた真実の声。
幾度の試練も越えて行け、
求聞持法の光を目指して。

求聞持法の兄弟弟子

空海は、いちばん最初、木の山奥で出合うた。こちらもひとり、向うもひとりであっ た。たがいにちらりと顔を見合わせたまますれちがった程度の出合いであったが、一目見て心に 好きついた。どちらも荒行の山歩きの最中で、ともまぎらう相だったが、世の つねの人ではないことが一目でわかった。あとで知己になってのはなしでは、かのお人も、その ときのおれが印象に残ったといってくれたよ。 二度目は、律師のもとで出合うた。百年の知己に 再会した思いで話しかけると、向うも喜んでくれて、その日一日かたり合うた。話し合ってみる

と、律師から求聞持法を伝授されて修行中とのことだ。おれも、律師から求聞持法を受法してい る。 いうならば、求聞持法では兄弟弟子なんだ。おれのほうが年長だが、求聞持法はかれのほう が一年はやく受けていた。三度失敗して、これから四度目の行に入るのだといっていた。おれは いっぺんでかれに魅せられてしまった。 それは、おれだけじゃない。それまでに、おれには、 木、吉野、比蘇山寺と、心のおもむくまま、行場を移して修行する仲間が十数人いた。みな、す ぐれた個性を持った、えりぬきの秀才たちであった。いままでの仏法を学び尽くし、それにあき たらず、あたらしいものを求めて林に散り、深山に籠って、血の出るような苦行をつづけて いる真の求道者ばかりであった。もしもかれらが名利を求めて世に出たなら、すぐにでも一山の 持となるべき器量才識をそなえた者たちばかりであった。それだけにことごとく わ れのみがわれを知ると、容易に人に屈せず、人に譲らず、傲然と胸を張る者のみであった。し かし、ひとたびかれに接するや、暗黙のうちにみな頭を垂れた。 おのずから兄事するようになっ た。かれの赴くところ、かれの行なうところにしたがい、かれはおれたちの中心になった。かれ は、大学で群を抜いた秀才であったが、世の虚なるを感じ、道心を発してついに名利の念を断 ち、林に籠るにいたっただけに、われわれのように仏陀の教説一途ではなく、ひろく儒教そ の他の漢籍にも造詣が深く、その上に、なんともいわれぬ人間味があった。おれたちの仲間は、 心からかれに心服した。かれは、またたくうちに、唯識、三論、華厳、天台、御舎、成実の諸経 論にしてしまった。 一を聞いて十をさとるというのがかれのだった。なにを聞いても、

求聞持法の兄弟弟子

空海は、いちばん最初、木の山奥で出合うた。こちらもひとり、向うもひとりであっ た。たがいにちらりと顔を見合わせたまますれちがった程度の出合いであったが、一目見て心に 好きついた。どちらも荒行の山歩きの最中で、ともまぎらう相だったが、世の つねの人ではないことが一目でわかった。あとで知己になってのはなしでは、かのお人も、その ときのおれが印象に残ったといってくれたよ。 二度目は、律師のもとで出合うた。百年の知己に 再会した思いで話しかけると、向うも喜んでくれて、その日一日かたり合うた。話し合ってみる

と、律師から求聞持法を伝授されて修行中とのことだ。おれも、律師から求聞持法を受法してい る。 いうならば、求聞持法では兄弟弟子なんだ。おれのほうが年長だが、求聞持法はかれのほう が一年はやく受けていた。三度失敗して、これから四度目の行に入るのだといっていた。おれは いっぺんでかれに魅せられてしまった。 それは、おれだけじゃない。それまでに、おれには、 木、吉野、比蘇山寺と、心のおもむくまま、行場を移して修行する仲間が十数人いた。みな、す ぐれた個性を持った、えりぬきの秀才たちであった。いままでの仏法を学び尽くし、それにあき たらず、あたらしいものを求めて林に散り、深山に籠って、血の出るような苦行をつづけて いる真の求道者ばかりであった。もしもかれらが名利を求めて世に出たなら、すぐにでも一山の 持となるべき器量才識をそなえた者たちばかりであった。それだけにことごとく わ れのみがわれを知ると、容易に人に屈せず、人に譲らず、傲然と胸を張る者のみであった。し かし、ひとたびかれに接するや、暗黙のうちにみな頭を垂れた。 おのずから兄事するようになっ た。かれの赴くところ、かれの行なうところにしたがい、かれはおれたちの中心になった。かれ は、大学で群を抜いた秀才であったが、世の虚なるを感じ、道心を発してついに名利の念を断 ち、林に籠るにいたっただけに、われわれのように仏陀の教説一途ではなく、ひろく儒教そ の他の漢籍にも造詣が深く、その上に、なんともいわれぬ人間味があった。おれたちの仲間は、 心からかれに心服した。かれは、またたくうちに、唯識、三論、華厳、天台、御舎、成実の諸経 論にしてしまった。 一を聞いて十をさとるというのがかれのだった。なにを聞いても、

人はどんな因縁をもつか 1

人はどんな因縁をもつか

因は種子、原因であり、縁はそれを育て進める環境であり、条件であり、果はその結果、 報はそ の結果が周囲の事物、人にあたえる影響で、この報が次の「因」となっていく。 「因縁果

因縁果報」とどこまでも続いていくわけであり、この因縁、 果 報 の展開が、 「運 命」という名でよばれるものなのである。そうして、この因縁、 果 報の展開を予測し、 予知 する技術体系が運命学とよばれるものだということになる。

それでは、この因縁、 果 報の展開は、予測することができるのかどうかというと、それはそ れをなす技法があるわけで、密教占星術はその技法を持っているのである。

いま述べたように、運命展開の最も根本的なものは、業が生み出した「因」と、この「因」と結 びつく「縁」のありかたである。 因縁の結合が最も重要なものであり、因縁が把握できれば、 その「結果」を想定することはそう困難なものではない。最も重要なことは、因縁の把握であ る。 教占星術では、この人間の因縁が「星」として割される。それを割り出す一定の公式 があり、その公式によって算出された因縁の星を見て、その人の運命を計測し、予測するという 作業をするわけである。

そういう因縁の星は数十種類あり、表に算出された因縁の星をたどっていくと、おのずから そこにひとりの人間の運命の道がありありとえがき出されていく。

それは、レーダーにうつし出された飛行

人はどんな因縁をもつか

因縁の結びつきが人生をかたちづくる。

人生とは因縁のあらわれである。 運命とは因縁のえがくだ。

人間を動かす代表的な因縁の星をあげてみよう。(カッコ内は密教占星術によって算出される星 名称である

の因縁(佐理加量)

この因縁は、家運、つまり家の運気が次第に衰えてきている家系に生まれている人が持つ因縁で ある。こういう人は、父、あるいは祖父の代までは、かなりの生活をした家に生まれている。祖父 父の代あたりから、次第に家運が傾いてきている。そうして、自分の代になってからは、なお一 層はっきりと運が悪くなっている。相当の力量、才能、手腕があるのだが、それを発揮する場を持 つことができない。そういうチャンスを持つことができない。そうして、みすみす自分より劣った 者が自分を追い越していくのを、歯ぎしりしながら見おくることになる。たまにチャンスがまわっ て来そうになると、人の妨害、邪魔に逢ったり、あるいは自分の思わぬミスや病気などで、せっか という そのためにいうが、それは、この人の経営

この人が行った会社がみなダメになるというのではないのである。(手腕とい

くのチャンスを失ってしまう。

要するにひと言でいうと運が悪いのである。 実力がありながら、妙にまわり合わせが悪く、ウダ ツがあがらぬのである。

この因縁から出てくるのが、次にあげる中の因縁である。

この因縁を持つ人は、なにをやっても、一応七、八分どおりまでは順調に進むが、あともう一、 二分というところで必ずダメになる。 決して実らないのである。

この因縁を一名、 「花の星」というのは、山吹の花と同様、花咲けども実らず、すべてムダ 花であるというところからきているのである。よそ目には華やかに見えて、実は空しいのであ

しゅうかく

苦労したあげく、最後の収穫はごっそりと人に持っていかれてしまうのである。

この因縁を持つ人は、わりあい運気(生命力の強い人が多く、中途で挫折しては、また立ち上 って仕事をし、また七、八分どおりで挫折して、そのままになるかと思うとまた立ち上がって、 また挫折するというように、七転八起の起伏はげしい人生を送る人が多い。そうして、結局は、 挫折したままで終わる。

だいたい、因縁のあらわれかたには二とおりあるのであって、その因縁が、そのままその人の性 格にあらわれている場合と、性格には全然あらわれない場合がある。

この中途挫折の因縁の場合も、この因縁がそのまま性格にあらわれて、非常に気の弱い意志 弱の型と、逆に、非常に気の強い意志強固の型がある。意志薄弱のタイプは、なにをやってもすぐ にあきてしまって、長続きしない。 気うつりがはげしい。学業職、すべてがそうで、転々とす る。文字どおりの中途挫折、志弱の型である。

もう一つのほうは、これと全く反対で、性格も強く、意志も強固で、努力家でもある。しかる に、かえってその強さが人と相容れられず、上の者といおうとしたり、同僚と円満に協調できな かったりして、失敗し、挫折する。 あるいは、ここ一番という大事なところで、決まってつまらぬ ミスをしたり、人の誤解をうけたり、妨害をうけたりする。 また、病気や怪我などで手違いが生ず というように、必ずなにかしら障害が発生して、チャンスをつぶすのである。

先日来た人に、そういう人があった。四十七、八歳の会社員で、立派な人物であったが、この人 この因縁があった。聞いてみると、いままでに八回も会社を変っているという。意志強固の努

力家型だが、と思って聞くと、この人は、一流の財閥会社に勤めているのだが、系列の子会社に出 向させられると、その会社は、決まって、他に合併したり、業績不良で閉鎖させられてしまうので ある。 本社にもどると、同期の社員で本社にいたままの者は相当上のほうに進んでおり、処遇に困 るので、また傍系の会社に出向重役として出される。するとまたその会社がおかしくなる、という ので、いままでがそのくり返しだったというのである。念のためにいうが、それは、この人の経営 腕が悪いために、この人が行った会社がみなダメになるというのではないのである。手腕とい

う点からいったら、この人は、むしろ人並以上の手腕を持っている人である) この人が行っても行 かなくても、その会社はダメになるのである。そういう会社に、この人は行かねばならぬようなま わり合わせになってしまうのだ。 今度の会社もおかしくなってきているので、相談に来たのです、 というのだが、典型的な中途挫折の因縁のあらわれかたである。 薄弱行タイプの場合は、すぐに あきたり、気うつりしたりして自分から会社を転々とするが、意志強タイプの場合は、自分では 一心に努力をして会社を変るつもりはさらさらないのだが、他動的に転々と変らざるを得ないよう になってしまうのである。その人の意志、思考、心構えなどに関係なく、結果は結局同じことにな ってしまうのである。それが、因縁というものの、こわいところである。 精神一到何事か成らざら んや、と気ばってみたところで、この因縁を持っていては、しょせん、ダメである。外的条件が許 さないのである。

昔から、よく、「人間にはだれでも、一生に三度はチャンスがある」といわれているが、運のな い者でも三度はチャンスがあるかわり、運のある者でも、三度以上そう何回もあるものではない。 人生ここ一番というチャンスを二、三度この因縁でつぶされてしまったら、もうその人間は一生 芽が出ないものと思わねばなるまい。そうして、この因縁のこわいところは、この因縁は必ずその 子に遺伝し、その場合、決まって親よりその子のほうが一段と因縁を深めていくのである。 この中途挫折の因縁が、そのようにして一段と強くなった場合、次の、

3 運気不定浮沈の因縁(阿

という因縁になる。

これは、運気に根が生じないで、 そのため、浮沈変転してとどまらないのである。いわば、根な 草の人生である、住居、職業が定まらず、転々とする。 一時的に幸運を得ることがあっても、 しない。一生、ドヤ街の住人か、浮浪者である。

女性の場合、ちゃんとした結婚生活を続けることができない。再婚、三姫、あるいは妾となる。 はなはだしい場合は娼婦となる悲惨な因縁である。

4 肉親血縁相剋の因縁 (布哩

のあらわれである。

これも、根本は、家運衰退の因縁から出てきているものである。

この因縁は、肉親の者同士、血縁者同士が、たがいに運気 (生命力)をね合い、傷つけ合 って、分散していくのである。 毛利元就の「三本の矢」の教訓を逆にいって、おたがいに助け合い 協力し合っていくべき肉親血縁の者が、離散し、孤立して、次第に没落していく。まさに家運衰退

この因縁があると、親子、兄弟等、血縁の者が同居していると年中不和で争いが絶えないのであ る。これは、血縁者同士でおたがいの運気 (生命力)を害ね合い、傷つけ合っているので、無意

識のうちに反発し合って争うのである。この場合、運気を傷つけ合うといっても、必ずしも表面立

って争いをするとはかぎらない。ただ同じ屋根の下に住んでいるというだけで、 相手の運気(生命 力をねるのである。 それは、ちょうどなにか目に見えない光線のようなものを放射し合って相 手の生命力を傷つけるように思われる。人間の生命というものは、自分を守るという自衛本能を持 っているからその本能が働いて、無意識のうちに生命力を結集して相手に反発する。その結果とし 相手のなんでもないような動作や一言一句が非常に気にさわる神経がたっているので)。 そこ で争いがはじまるのである。 肉親同士で異常に仲が悪いのはこのためである。それに加えて財産な どの利害関係がからむと、非常に深刻な争いに進展していく。

この因縁のある家庭で、もし、同居の肉親同士が不和でなければ、家族の中にだれか一人、年中 病弱で苦しむ者か、極端に不運で運の開かぬ不遇の者が必ず出る。

相当の才能、手腕がありながら、 常にチャンスを逸したり、チャンスに恵まれない不遇の人、 あ るいは長年弱の人は、前記の「中途挫折の因縁」か、または、この「肉親血縁相剋の因縁」によ って運気(生命力)を害されているのではないかを疑ってみるべきである。どちらかの因縁があ ったら、これを断ち切らぬかぎり、いくら努力しても一生空転するばかりである。

5 わが子の運気剋する因縁(

これは、肉親血縁相剋の因縁の変型で、親がわが子の生命力を害するのである。そのため、子ど

中病弱となる。あるいは不具者として生まれたり、不具者となったりする。 たいてい十歳ぐ らいまでに死亡するものである。

もし、その子が非常に生命力が強ければ、素行が乱れるようになって、若年、家を飛び出す。 こ れは、親のそばにいると生命力を削られて危険なので、親のもとを飛び出すようになるのである。 (もちろん、本人はそのことを知らないが)

最近少年少女の非行問題についていろいろと対策が練られようとしているが、世の親は、こう いう因縁のあることに気がついて欲しいのである。因縁なんて迷信じゃないかなどとバカげたこと いっていないで、自分自身にそういうものがないかどうか、よくよく考えてもらいたい。 父親に しても母親にしても、この因縁があると、子どもが必ず異常に反抗するのである。もちろん子どもの 成長期間中に反抗期という一時期があることは事実だが、この因縁による反抗は異常なのである。 これは、前記の肉親血縁相剋の因縁の場合と同じように、自分の生命力を侵害してくるものに対し 自衛本能が働き、わが生命力を結集して反撃しようとするゆえに一言一句ことごとく反抗反発す るのである。かわいそうな姿なのである。私は、いつも、この因縁を持つ親と子を見ると、その子 に、毛をさか立てキバをむき出して敵にかみつこうと必死になっている仔犬の姿を思い出す。

成功者の家庭に素行不良の子が多いのも、他にも原因はあるけれども、運気の強い親はえてし その運気の強さが同時に子を剋する因縁をも伴いやすいため、そういう結果を生じやすいのであ

運命と因果律

運命学は帝王の学

それは、その生命論があまりにすばらしいからである。 人の運命がすべてわかるというそのことは、運命学が解明した生命理論の正しいという証明のため になされているのであって、 主役は生命論であり、運命がわかるということは傍役なのではないか という感じである。

私も最初のうちは、ほとんどの運命学研究家がそうであるように、 運命学とは人の運命がわか るというそれだけのものだと思っていたのである。

ところが、本当の運命学にふれるにおよんで、それは全くの間違いで、人間生命の解明こそが運 命学の第一義なのだということがわかってきたのである。

考えてみれば、それはしごく当然のことであって、人間生命の本質・原理さえ把握すれば、ある 人間を一つの時点でとらえて、そこから、過去でも未来でも、自由自在にキャッチすることができ るのである。 数学者は、あたえられた一定のデータの数字をもとに答えを出す。 それは、彼が、数 学の原理や公式を知っているからで、その原理や公式は、数の事実を解明することにより得られた ものである。 それと同じことで、人間の生命を成立させているところの原理をつかめば、ある一つ でもでも自在に答えを出すことができる。これを逆にいえ とづいて人の運命を解析し、ピタリと適中したら、その原理が正しいということになるのではない か。そのために、運命学は人の運命をみるのであって、いわば生命理論の検算をしているのじゃな いか、と思われるくらいなのである。

むかし、東洋では、運命学を「帝王学」 とよんで、君主たるものの必ず修めねばならぬ学間と されていた。それは、多くの人を統率したり、敵国と戦って勝利を得たりする上に、自他の運命を 知って対処することが最も有利であるという功利的な面からだけでなく、運命学を学ぶことが、人 間をよく知る最もよい方法だったからだと私は思うのだ。

むかし、孔子であったか、よい政治をするにはどんなことが大事かと聞かれて、 「よく人を知る にあり」と答えている。

政治に限らず、人間というものの本質を知り、理解するということは、学問といわず、科学とい わず、あらゆるものの根本であり、基礎であり、すべてここから出発し、ここにもどってくると思う のである。その、よく人を知るということにおいて、運命学より以上のものは他にない。なぜなら ば、先に申したとおり、運命学は人間生命の本質と原理をしっかり把握しているからである。

運命学を学んでその堂に入り、自由自在に人の運命がわかるところまでいかなくとも(それはた しかに難事だが)、この生命論を学ぶことにより、人間の本質を知ることがどんなに有益なことかそれは、どういうことかというと、運命学を学ぶ人びとは、ほとんど全部、人の運命がめる

真の運命学は生命論である

むしろ、場合によっては、人の運命がわかるということよりもすばらしいのではないかと思う。

Fate and the Law of Causality

Fateology is the study of the emperor

That is because its theory of life is so wonderful. The fact that one’s fate can be known is done to prove that the theory of life elucidated by fateology is correct, and it feels like the main role is the theory of life, and knowing one’s fate is a supporting role.

At first, like most fateology researchers, I thought that fateology was just about knowing one’s fate.

However, when I came into contact with real fateology, I realized that this was completely wrong, and that the elucidation of human life is the primary purpose of fateology.

If you think about it, this is quite natural, and if you can grasp the essence and principles of human life, you can capture a person at a certain point in time, and from there, you can freely capture the past or future. A mathematician gives an answer based on the numbers of a certain amount of data given to him. This is because he knows the principles and formulas of mathematics, which are obtained by elucidating the facts of numbers. In the same way, if you can grasp the principles that make up human life, you can freely answer any question. Conversely, if you analyze a person’s fate based on the above and it hits the mark, doesn’t that mean that the principles are correct? For that reason, the study of fate is to see a person’s fate, and it is almost thought that it is a test of the theory of life.

In the past, in the East, the study of fate was called “the study of kings” and was considered a study that a monarch must master. This was not only because of the utilitarian aspect that it is most advantageous to know and deal with one’s own and others’ destinies in order to lead many people and fight and win against enemy countries, but also because I think that studying the study of fate was the best way to know people well.

Long ago, when Confucius was asked what was important for good government, he answered, “It lies in knowing people well.”

Not only in politics, but knowing and understanding the essence of human beings is the root and foundation of everything, not just academics or science, and I think everything starts from here and returns to here. When it comes to knowing people well, there is nothing better than the study of fate. This is because, as I said before, the study of fate firmly grasps the essence and principles of human life.

Even if you don’t study the study of fate and enter its hall and reach the point where you can freely know people’s fate (which is certainly difficult), how beneficial it is to know the essence of human beings by studying this theory of life. What I mean is that almost all people who study the study of fate think that they can know people’s fate.

True study of fate is a theory of life.

Rather, in some cases, I think it is even more wonderful than knowing people’s fate.

運命と因果律 運命学は帝王の学

運命と因果律

運命学は帝王の学

実に

じゃないかという感じがしてくるのである。それは、その生命論があまりにすばらしいからである。 人の運命がすべてわかるというそのことは、運命学が解明した生命理論の正しいという証明のため になされているのであって、 主役は生命論であり、運命がわかるということは傍役なのではないか という感じである。

私も最初のうちは、ほとんどの運命学研究家がそうであるように、 運命学とは人の運命がわか るというそれだけのものだと思っていたのである。あなたもそうではないだろうか?

ところが、本当の運命学にふれるにおよんで、それは全くの間違いで、人間生命の解明こそが運 命学の第一義なのだということがわかってきたのである。

考えてみれば、それはしごく当然のことであって、人間生命の本質・原理さえ把握すれば、ある 人間を一つの時点でとらえて、そこから、過去でも未来でも、自由自在にキャッチすることができ るのである。 数学者は、あたえられた一定のデータの数字をもとに答えを出す。 それは、彼が、数 学の原理や公式を知っているからで、その原理や公式は、数の事実を解明することにより得られた ものである。 それと同じことで、人間の生命を成立させているところの原理をつかめば、ある一つ でもでも自在に答えを出すことができる。これを逆にいえ とづいて人の運命を解析し、ピタリと適中したら、その原理が正しいということになるのではない か。そのために、運命学は人の運命をみるのであって、いわば生命理論の検算をしているのじゃな いか、と思われるくらいなのである。

むかし、東洋では、運命学を「帝王学」 とよんで、君主たるものの必ず修めねばならぬ学間と されていた。それは、多くの人を統率したり、敵国と戦って勝利を得たりする上に、自他の運命を 知って対処することが最も有利であるという功利的な面からだけでなく、運命学を学ぶことが、人 間をよく知る最もよい方法だったからだと私は思うのだ。

むかし、孔子であったか、よい政治をするにはどんなことが大事かと聞かれて、 「よく人を知る にあり」と答えている。

政治に限らず、人間というものの本質を知り、理解するということは、学問といわず、科学とい わず、あらゆるものの根本であり、基礎であり、すべてここから出発し、ここにもどってくると思う のである。その、よく人を知るということにおいて、運命学より以上のものは他にない。なぜなら ば、先に申したとおり、運命学は人間生命の本質と原理をしっかり把握しているからである。

運命学を学んでその堂に入り、自由自在に人の運命がわかるところまでいかなくとも(それはた しかに難事だが)、この生命論を学ぶことにより、人間の本質を知ることがどんなに有益なことか

が他の人びとと違っていたため、その間違いをすぐトも

それは、どういうことかというと、運命学を学ぶ人びとは、ほとんど全部、人の運命がめる

真の運命学は生命論である

むしろ、場合によっては、人の運命がわかるということよりもすばらしいのではないかと思う。

いまの皇太子さまのことは存ぜぬが、今上陛下までは、代々皇室必修の学問として、すぐれた運 命学の一つであり、人間学でもある「易経」を学ばれたはずで、それも、以上述べたところに由来 しているものであろう。 また、皇室には、古代から極秘に伝えられてきた運命学の一種、明学が あり、現在もなお宮中には陰明師という運命学者のグループがいるといわれている。

運命学は、また、そのほかにも「宰相の学」とか、「聖賢の学」ともよばれ、尊ばれてきたので

ところが、「運命学」というと、たいていの人は、いわゆる「あたるもハッケ、あたらぬもハッ ケ」というあの占いを思い浮かべるようである。あなたもそうではないだろうか?

だが、違うのである。 占いは運命学ではないのである。 運命学の一部に占いはあるけれども、占 い、すなわち運命学ではないのである。「学」には体系と普遍妥当性がなくてはならない。 占いに は体系もなければ普遍妥当性もなく、方法だけがあるので、ゆえに「術」とよばれ、「術」とい う。占術は運命学の体系の中に組み入れられて、 運命学の一部になっている。だから、占ってもの ごとを予知するということは、運命学のごく一部であって、すべてではないのである。

そういうと、あなたは意外なことに思われるかもしれない。さらに、前の項で述べたように、運 命学は東洋においてすべての学問の上に置かれてきたなどと聞くと、びっくりすることと思う。 実 ほとんどの人は、運命学は占いの一種か、占いそのもののように考えて、それが学問であるな どとはとうてい想像もつかないことであろう。 迷信のようにさえ考える人も少なくないのである。 しかし、それは、本当の運命学を知らないからなのである。それには、いままでの運命学者にそ の責任があると私は思う。いや、運命学者というより「運命判断家」というべきかもしれない。

運命学者と運命判断家とは、同じようでいて、全く違うのである。どこが違うかというと、運命 学者は運命学そのものを体系立てて研究し、学ぶ。 運命判断家は運命の予知、運命の分析、判断の 方法だけを習得する。 というのは、この人たちは運命学とは人の運命を判断予知するもので、それ 以外のなにものでもないと考えている。 本当の運命学では、人の運命の予知や判断は運命学の一部 であってすべてではない、ということを彼らは知らないのである。誤解しないでいただきたい。い うまでもなく運命学は人の運命を予知し判断するために生まれたものであるから、運命学で人の運 命を予知し判断すること自体、悪いことでもなければ、間違ったことでもなく、ただ、運命学がそ

れだけのものだと思ってしまうことが間違いだと私はいうのである。

実は、私も最初そういう間違いをおかしていたのである。幸い、私の場合、運命学にふれる動機 が他の人びとと違っていたため、その間違いをすぐに悟ることができたのである。

それは、どういうことかというと、運命学を学ぶ人びとは、ほとんど全部、人の運命がわかるよ

うになりたいと考えて運命学に入る。(あたりまえじゃないか)

ところが、私の場合はたいへん違っていたのである。 先の項でちょっとふれたように、私は、仏 教の因縁論、生命論を確かめる方法を求めて運命学に入った。 私は、自分を救ってくれる宗教は仏 教以外にないと確信して仏門に帰依したわけであるが、その仏教の根幹となるものは、三世にわた 因縁の理論である。 因縁と宿命とと、この三つが仏教理論の根本である。 これを学びつつ、私 考えたのである。

なるほど、仏教学を学べば、理論としてうなずけるけれども、はたして実際にそうなのかど うか、それに絶対間違いがないか、人間の生命に前世が本当にあるのか、というものの本質は何 にか、理論ではなく、本当に自分自身でなるほどとつかみとってみたい。つかみとらねば待でき ぬ。それにはどのような方法があるだろうか?

必死に考えて、これと思われるあらゆる方法をこころみた。その中の一つに運命学があったので

一つのことを追求しはじめると徹底しなければ承知できぬ私は、あらゆる運命学を研究した。 姓名判断 数理学、 トランプ占い 水晶占い、砂占い 測定法 九星術 干支術などから、トレ ミーなどの西洋占星術、八門遁甲、 奇門遁甲 紫微斗数、 六壬天文学、 海子平におよんでその 極に達し、もうこれ以上、深い運命学は無いだろうと思うに至った。よく百発百中というけれど も、私は、これら高度の運命学になると、百発百二十中だとよく冗談をいうのである。というの

は、時に、本人自身の知らぬことまでわかってしまうからである。

だが、私は、百発百二十中でも満足できなかったのである。

私の場合、ただ人の運命がよくわかり、よく当たるというだけではダメなのである。私は、そう いうことを求めて運命学に入っていったのではない。 ヨーガや真言の荒行をした結果、私は、当時、 かなりの霊感力を得ていて、霊感だけで人の運命がわかるようになっていたから、運命がわかると いうだけならば、なにも苦労をして運命学を研究することはなかったのである。

なぜそれらの高度の運命学の方式を用いたら人の運命がわかるのかその理由、その原理が知りた かったのである。その原理が私の求めているそのものか、または、それを得る鍵になるのではない か、と考えていたのである。

数学がそうですね。問題を出されて、答えだけをポツンと書いて出しても、なぜその答えが出た のかという計算の過程を明らかに書かなければ、その数字がいくら合っていても、試験官は及第点 をつけてくれない。 答えよりも、その数字が出された過程、方法、原理が必要なのである。 それと 同じことで、私の求めていたのは、運命がわかる、判断が適中したという答えよりも、なぜわかる

のかということ、つまり原理を知りたかったのである。

ナンダ龍王とウパナンダ龍王

ナンダ龍王とウパナンダ龍王

だれか龍のたる呻吟の声を聞い

たことがあるか

だれかの憂いにみてる孤独の魂に ふれたことがあるか

だれかの怒りと期待と絶望にいろ

どられた壮大な夢を聞いたことがあ

かれは待たねばならぬのだ

千年 二千年 三千年

あき果て滄海の淵にひとりひそ

みかれはしだいに老ゆる

月光ゆらめく波濤に御爛たるその

を洗わせつつたる銀河に長嘯し

ときに力いかづちのごとく身の内

にみちみちるときひとり雲をよんで穹の

果てに駆け、あまさかるに

する

だれかのかなしみといかりと期待

絶望にみつる心を知っているか

 

中国語で

むなしく甘いてて帰る

「うん」

「そうだ」

「うーん」

「どうしていままで話してくれなかったんです。いつごろそのかたは入店したのですか」

「おぬしがこの円照寺にくる半年くらいまえだった。もう、二年になるな」

「いつごろお帰りになるんですか?」

「それはわからん。 かの地に無事に渡ったことだけはわかった。 しかし、いつ帰国するかはわか らん。 十年、二十年、あるいは」

といいさして、ちょっと躊躇したが、

「あるいは、帰国の海上において万一ということだって無いことじゃない。 しかし、われわれ はかれほどの不世出の大天才は、必ず仏天の加護があるものと確信している。かれは遠からず 所を果たして帰ってくる」

「われわれ、というと、康安さん、ひょっとすると、そのかたは、あなたの例の仲間のひとじゃ ないですか?」

いま所といわれましたが、 所志とは、どんな所志ですか?」

と康安は、ごしごしと頭をかいていたが、

「べつに、おぬしにことさらかくしていたわけではない。 あまりにおしかの人とそっくり

の道をたどるので、はたして今後どのようであろうと、律師と申し合わせて、じっとおぬしの 長をみていようということにしたのだ」

「そのかたのことを、康安さん、もっと聞かせて下さい」

「うーん、そうだな」

と康安は腕を組むと、

「どこから話そうか」

とちょっと小首をかしげた。

求聞持法の兄弟弟子

そのまましばらく窓の外をながめていたが、やがて低い声でかたりはじめた。

かのお人とは、いちばん最初、木の山奥で出合うた。こちらもひとり、向うもひとりであっ た。たがいにちらりと顔を見合わせたまますれちがった程度の出合いであったが、一目見て心に 好きついた。どちらも荒行の山歩きの最中で、ともまぎらう相だったが、世の つねの人ではないことが一目でわかった。あとで知己になってのはなしでは、かのお人も、その ときのおれが印象に残ったといってくれたよ。 二度目は、律師のもとで出合うた。百年の知己に 再会した思いで話しかけると、向うも喜んでくれて、その日一日かたり合うた。話し合ってみる

と、律師から求聞持法を伝授されて修行中とのことだ。おれも、律師から求聞持法を受法してい る。 いうならば、求聞持法では兄弟弟子なんだ。おれのほうが年長だが、求聞持法はかれのほう が一年はやく受けていた。三度失敗して、これから四度目の行に入るのだといっていた。おれは いっぺんでかれに魅せられてしまった。 それは、おれだけじゃない。それまでに、おれには、 木、吉野、比蘇山寺と、心のおもむくまま、行場を移して修行する仲間が十数人いた。みな、す ぐれた個性を持った、えりぬきの秀才たちであった。いままでの仏法を学び尽くし、それにあき たらず、あたらしいものを求めて林に散り、深山に籠って、血の出るような苦行をつづけて いる真の求道者ばかりであった。もしもかれらが名利を求めて世に出たなら、すぐにでも一山の 持となるべき器量才識をそなえた者たちばかりであった。それだけにことごとく わ れのみがわれを知ると、容易に人に屈せず、人に譲らず、傲然と胸を張る者のみであった。し かし、ひとたびかれに接するや、暗黙のうちにみな頭を垂れた。 おのずから兄事するようになっ た。かれの赴くところ、かれの行なうところにしたがい、かれはおれたちの中心になった。かれ は、大学で群を抜いた秀才であったが、世の虚なるを感じ、道心を発してついに名利の念を断 ち、林に籠るにいたっただけに、われわれのように仏陀の教説一途ではなく、ひろく儒教そ の他の漢籍にも造詣が深く、その上に、なんともいわれぬ人間味があった。おれたちの仲間は、 心からかれに心服した。かれは、またたくうちに、唯識、三論、華厳、天台、御舎、成実の諸経 論にしてしまった。 一を聞いて十をさとるというのがかれのだった。なにを聞いても、

こうぜん

にんげんみ

たちどころに袋の中からものをさぐってとり出すように答えた。自分では口にしなかったが、 を成就したただ一人だとうわさされたが、まことにさもあろうと思われる博覧強記ぶりであ った。しかも、そういう頭脳の持ちぬしにかぎって、とかく書斎の人、言説辞句の人となり勝ち なのに、行の上においても、かれは、不抜の意志と卓越した肉体の力を示した。岩窟にこも り、山野をし、滝に打たれ、まさに人間とは思われぬ苦修棟行であった」

円は息をするのも忘れたように聞き入っていた。

「十七地論について、おぬしとおなじような見解を持っていた。おれがさっきびっくりしたの は、十七地論の弥勒説法について、おぬしと全く同様のことをいったのだ。あれは無着の現身成 仏にちがいないといい、それからわずか一ヵ月あまりであの一〇〇巻という大部の論書を読破 現身成仏についての技法をのべているところが七ヵ所あるといってそれを指摘した」

そうだ、七ヵ所だ。しかし、これはふつうに読んでいたのではだれも気づくまいといった。お れたちも、かれに指摘されて読んで、はじめて、その章句が現身成仏の技法を説いたものである ことを理解したんだが、これはおれたちが、自己流ながら山林にこもって修行していたからのこ とで、たしかに、これを学理として読んでいたら、とうていそれと知ることはできなかったろ

康円は、ふとい吐息をついて、腕を組んだ。

その上で、かれはこういうことをいいはじめた。この十七地論よりもっと進んだ瑜伽の教法を

いた経論があるはずだというのだ。なぜか? と聞くと、伽の教法を説いた解深密とこの 伽師地論が世に出て以来、何年経つと思うか、というのだ。いわれて調べてみると、およそ 四百年ちかく経っている。それをいうと、いまから四百年むかしにこれだけ高度の瑜伽の教法が かれているのだ、それから現在にいたるまでの四百年間に、どれだけあらたな進んだ行法が開 発されているか、思い半ばに過ぎるものがあろう、というのだ。なるほど、 いわれてみるとたし かにその通りだ。教・法ともに非常な進歩をしているのにちがいない。あるいは全くあたらしい ものが生まれているかも知れぬ。とすると、われわれは、四百年むかしの古い教説にしがみつい ているわけで、これはなんとか考えてみなければならんぞということになった。が、しかし、そ うはいってもなんともしようのないことで、われわれはその非凡なかれの着眼に感心しただけだ が、かれは、この四百年間の歳月と、この国と天竺をへだてる空間に歯ぎしりする思いだったの だ」

康安はそこでちょっと言葉をとめた。かれの胸にそのころの空海のすがたが去来しているよう であった。

「そのうちに、かれはまたこういうことをいい出したのだ。この解密 十七地論のあとに出 てくる伽の教法は、中の空の理に、唯識伽の行法を融合させたものにちがいないという のだ。かれは、そういう教法がすでに完成されて世に出ているはずだというのだな。 どうして

れがわかるのかというと、それが歴史的必然だというのだ。 仏滅以来の教 るに、二百年から三百年の周期を以て、新しい教説が出現しているという。そうして、このつぎ に出てくるものはそれしかないというのだ。どう考えてもそこにいくはずで、それしかない。そ うしてそれはもう出ているというのだ。だから、天竺まではとにかくとして、唐に行けば必ずそ の消息にふれられるはずだというのだ。そうして、それは、無着が十七地論の講述にあたってや ってみせ、またその著書の中において説いている現身成仏の法を、より高度に、より詳密に説 いたものにちがいないというのだな。 十七地論は、現身成仏の理論と技法を説きながら、はじめ それにふれた書であるだけに、そこまでに至る過程を説くのに大部をついやし、かんじんの法 を明白に説きつくすことはできなかった。しかし、百年、二百年の歳月ののちに今度出てきた論 書は、そのものずばりを説いているはずだというのだ。おれたちも、よくはわからぬながら、か れのいうことがまんざら首できぬことはなかった。が、おれたちの理解はその程度のも のだったんだが、かれの知能では、それがすでに眼前に存在するごとき思いがするのだな。いて も立ってもいられぬという様子で、その悶々とするさまは、われわれのはたで見る目もいた ましいほどであった。二日、三日と夜もねず、ろくに食事もとらずにじっと想いをこらしてい るところは、まさに鬼気せまるといった様子で、思うに、かれはかれなりにその教法の工夫をこ らしているのではないかと思われた。が、そのようなありさまで、このままでは、やがてはかれ の身がどうかなってしまいやせぬかと、しだいに先きが案じられるようなことになってきた。 こ

りゃあなんとかしなけりゃならんぞと、みんなが真剣にひたいをよせあつめて相談をするように

なった矢先きだ。じつに奇っ怪な経典が手に入ったのだ」

康安は、言葉を切って康を見た。

奇怪な経典

「奇怪な経典?」

「………..?」

「ふうむ」

「そうだ、じつに奇々怪々な文言でみちている」

「へええ、安さん、なんだか気味がわるくなってきましたよ。いったいどんな経典ですか?」 「それは、動操律師の先師の、議僧正の遺品の中にあった。被見を禁ず、と朱書された一つの が、大安寺に秘蔵されていた。律師は、この管に関して善議僧正が生前ふと洩らされた言 葉を脳裏にとどめていたが、空海のいうことを聞いているうちに、ふと、ひらめくように思い たることがあったのだな。思いきってそれをひらいてみたのだ。律師は、師命にそむく行為とい うので、それこそ地獄の決心をしての挙であったが、をひらくと、中に僧正の手蹟で、 いたらばおのずからひらかれることあらんとあったそうだ。いささか安堵の思いをしなが ら、ひらいていくと、出てきたのは一部の写本で、表書を一覧して、 これが、 先師 の道律師の遺品であることがわかった。 中に写した成る経典の一部であるらしい。 この

中に、じつに奇怪な章句があったのだ」

まず、経典の甘めのほうに、朱線を引いた部分があった。おそらく、道慈律師が手づから引か れたものと思われるが、それにはこうあった。 初発心乃至十地。次第此生満足い わゆる初発心より万十地に至るまで、次第にこの生に満足す)というのだ」

「十地とは、あの十地ですか?」

「そうだ、 十地経の十地、華厳経十地品の十地だ。おれたちは、これがこの経典の主題だと見 た。初発心より十地に至るまでとは、おぬしも知る通り、 正覚成仏を志してより、 十地等覚の位 にいたるまで、ということで、凡夫が仏道に入って成仏するまでの過程をさす。 次第に、とは、 順次に修行昇進して行くという意だが、問題は最後の一句だ。この生に満足す、とある。この生 とは、いまのこの父母の肉身において、という意で、満足す、 とは、完全に成就するという ことだ。すなわち、この肉身の生涯において、十地・十段階の階梯をすべて完全になし終え、成 仏を完成 成就する、というのだ」

「なるほど、三論においては一念成覚、華厳においては“覚成仏を説く。ともに速疾成 仏だが、これはどこまでも理”であって、実際には、具体的な目的達成の手段方法が明らかで ない。 あくまでも、十心・十・十・十回向 十地の五十段階を経て、 等覚位、妙覚位にいた

神が翔ぶ

神が翔ぶ

る。

いし、念のすがた(明王)と化して折伏し、仏法にしたがわせるのである。

変化身とは、能化の修行者を守護するため、龍王・身のすがたに変化して、一瞬のうちに 全世界をかけめぐりいかなる事物も意のままにする自在力、神通力を以て、守護するのであ

仏法守護の変化身は、ほかにもないことはないが、神通力最大である龍神を以て、護法善神 の筆頭とするのである。 そうして、そのなかで、 難陀龍王を以て、護法神の代表とする。 では、龍神が守護霊となって護持したとき、ひとはどうなるか? それを、密教の経大 日経に聞いてみよう。

龍神が守護神になると

龍心

大日経は、つまびらかには「摩訶毘盧遮那成仏神変加持経」という。密教の神変加持力を 以て、即身成仏する法を説く。

この経の「心」第一は、ひとの心相を六十種類に分類して、その長所・短所を説き明 かす。 そのなかに「龍心」という心相がある。

前生が服であったか、龍神が守護神としてついたためか、そのいずれかのとき、この心を持 つのだという。あるいはまた、密教修行者が解説を完成するとき、この龍神の心と神通力を身 につけて、仏法興隆の大業をなすともいう。

この「六十心相」を解説した拙著「説法六十心』 (平河出版社)のなかから、「龍心」の部分 つぎに転載してみよう。

だれか龍のたる呻吟の声を聞い

たことがあるか

だれかの憂いにみてる孤独の魂に ふれたことがあるか

だれかの怒りと期待と絶望にいろ

どられた壮大な夢を聞いたことがあ

かれは待たねばならぬのだ

千年 二千年 三千年

あき果て滄海の淵にひとりひそ

みかれはしだいに老ゆる

月光ゆらめく波濤に御爛たるその

を洗わせつつたる銀河に長嘯し

ときに力いかづちのごとく身の内

にみちみちるときひとり雲をよんで穹の

果てに駆け、あまさかるに

する

だれかのかなしみといかりと期待

絶望にみつる心を知っているか

南海の龍紀州頼宣

ということばがある。英雄のことをいいます。

ちなみに、佛は中の獅子、ゆえに説法の座を獅子座という。

享保年間、徳川御三家の筆頭、紀州頼性、豪放にして英邁、胸中にふかく経倫を蔵

ちゅうがん

またよくを愛した。 ながくふたつに裂け、いわゆる眼であった。英

神が守護霊になると

「涅槃の秘密」

 

「涅槃の秘密」

広大な山々が広がるチベットの大地。その地に、数百年もの時を超え、ある真理を探し求める僧侶がいた。その名はカマラシーラ。彼は、世の中の全てを見透かす鋭い眼差しを持ち、誰よりも仏陀の教えを深く理解しようと努めていた。

しかし、その探求の道のりは決して平坦なものではなかった。仏陀が示した「涅槃」という境地に近づくためには、あらゆる学派を理解し、超えていかなければならなかったのだ。ナーガールジュナが説いた「空」、アサンガが説いた「識」。それぞれが仏陀の教えを自らの方法で解釈し、多くの弟子たちに伝えていた。

カマラシーラはその全てを学び取り、そしてついに一つの結論に達した。「即身成仏」こそが、仏陀の教えの核心であると。それは空海が悟りの極みに達した時に見いだしたものであり、カマラシーラはそれを目指して修習を続けた。彼は日夜、瞑想と修行に励み、身体と心を清め、まさにその身で仏となることを目指していた。

やがて、カマラシーラは密教経典『大日経』に出会う。それは仏陀の教えの中でも最も奥深い部分を明かすものであり、彼にとっては新たな道しるべとなった。空と識の教えが融合し、新たな仏教の形が生まれようとしていた。

ある夜、カマラシーラは一つの夢を見る。金剛頂経の世界が広がり、その中心には輝く如来が立っていた。その姿はあまりに神々しく、彼の心は一瞬で清められた。目が覚めた時、彼はその夢がただの幻ではないことを悟った。それは未来の自分の姿であり、仏となるための最終的な指針であった。

その後、彼はチベットの地で『修習次第』を編纂し、多くの弟子たちに教えを広めた。その中には、後に日本に渡り、真言宗を広めることとなる空海の姿もあった。カマラシーラの教えは、空海を通じてさらに広がり、日本の地で新たな仏教の形を築き上げた。

その一方で、インドのガンダーラ国では、アサンガという名の若き僧侶が苦悩していた。彼は幼い頃から卓越した才能を持ち、僧院で修行を続けていたが、「空」の教理を理解することができず、絶望のあまり自ら命を絶とうとした。しかし、運命は彼を見放すことはなかった。彼は兜率天に住むマイトレーヤ菩薩に出会い、大乗の空観を教えられることで、新たな悟りの境地に達することができた。

アサンガはその後も、たびたび兜率天に上り、マイトレーヤ菩薩から教えを受け続けた。そして彼は、弟ヴァスバンドゥを説得し、小乗仏教から大乗仏教へと導いたのである。

その教えは空海にも伝わり、空海はそれをもとに「即身成仏」という教えを築き上げた。仏陀の教えは、ナーガールジュナ、アサンガ、そして空海という名だたる僧侶たちによって時代を超えて受け継がれ、さらに深みを増していった。

千二百年の時を経て、現代に生きる我々にとっても、これらの教えは決して過去のものではない。カマラシーラ、アサンガ、そして空海が築いた仏教の流れは、今もなお私たちに悟りの道を示し続けているのである。