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プラトンは深く息をついた。遠くに広がる青い空と輝く太陽、そしてどこまでも続くエーゲ海を見つめながら、彼は静かに瞑想に耽っていた。師であるソクラテスの声が、まだ耳元で響くように感じられる。「魂が純粋になるとき、真の智慧に到達する」と、あの穏やかながらも鋭い声で何度も説いた言葉が、彼の内側で渦巻いていた。

彼が探し求めていたもの、それは真実の智慧だった。そして、その智慧にたどり着くためには、一切の束縛から解放される必要があると信じていた。魂が純粋であることが、究極の真理への道であり、その真理こそが、人間を揺るぎない平安へと導くのだ。

プラトンは思い出していた。かつて師ソクラテスと歩いたアテネの街並み、共に議論した日々を。ソクラテスの言葉は、まるで彼を導く星のように輝いていた。「真理を追い求める者は、常に自分の魂を見つめなければならない。」その教えが、今日もプラトンの中に生き続けていた。

しかし、プラトンは知っていた。真理は、ただ理論や言葉で捉えられるものではない。真理に到達するためには、内なる平安が必要だ。何ものにも乱されない静寂の中でこそ、人は真の智慧に触れることができる。彼が見た無数の人々が、日々の喧騒に巻き込まれ、心を見失っていく姿を思い浮かべると、その平安の重要さが一層際立って感じられた。

「瞑想だ……」プラトンは静かに呟いた。彼は心の奥深くで知っていた。瞑想こそが、心を純粋にし、真理に近づく唯一の手段であることを。揺れ動く心を静め、すべての現象から自分を解放することで、真実の智慧に至るのだ。

彼は、しばし静かに水面を眺めた。水は常に変化し続け、形を持たず、ただ流れに身を任せている。その動きはまるで、心のようだと彼は思った。喜びも悲しみも、瞬間瞬間に変化する。だが、それを捉え、束縛することはできない。すべては流れ、移り変わる。プラトンは、己の心をその流れに任せることの重要さを悟っていた。

「自分の心を解放するのだ」と、彼は再び呟く。水のように、自然の流れに逆らわずにいることこそが、真の平安を得る鍵だと。変化を恐れず、すべてを受け入れ、その中にある不変の真理を見つめること。プラトンは、変わりゆく世の中にあっても、変わらぬ真理を探し求める旅を続ける決意を新たにした。

その先には、仏陀の教えと同じように、至福の境地「ニルヴァーナ」が待っているのだろうか。プラトンは、まだ見ぬ真理の世界に思いを馳せた。それは彼にとって、到達するべき最終地点であり、人類のすべてが共有すべきものだった。

彼は立ち上がり、再び歩みを進めた。この広い世界において、彼の探求はまだ終わらない。そして、その道の先には、人類愛と真の平安が待っていると信じていた。

 

束縛からの心の解放

と、この「解脱護摩」 とを合わせて、仏教の真髄を示す護摩となります。

「解脱護摩」の「解脱」とは、解放を意味します。なにからの解放か? 一切の束縛からの心の解放です。

それは、どのような意味を持つのでしょうか?

たとえば、ギリシア哲学の智者プラトンが求めたのは、かれの言葉に よれば、「一切の束縛から解放され、われわれの魂が純粋に魂自身になる ことによってのみ、その根本の智慧、あるいは、真実の智慧に到達する ことができる」というものでした。プラトンの師であるソクラテスもま た、同じように真実の智慧をどこまでも追い求めました。その究極には、 ブッダの説く智慧とおなじものがあった、とわたくしは確信しておりま す。

わたくしは、自らの宗教者としての歩みのなかで、真実の智慧のみが

与える癒しが、人を揺るぎない心の平安に導くことを実際に体験いたし ました。そして、揺るぎない心の平安から真の勇気が生まれることを、 いくつかの実例として見てきました。 この揺るぎない心の平安をどのよ うにして得られるのか。今日は、そのことを皆さまにお伝えしたいと思 います。

それは瞑想です。 揺るぎない心の平安を与える瞑想ほど、人を本質的 に変えるものはありません。瞑想によって、心は一切の束縛から解放さ 真実の智慧に到ることができるからです。 瞑想は、人間に無限の可 能性を与えるのです。

いにしえの西洋のことわざにもございます。

「はいなかった」と。

「いまだかつて、偉大な仕事を成し遂げた人で、瞑想の習慣をもたぬ人

 

 

束縛からの心の解放

[般若心経瞑想法上映]

合います。

いま、ご覧いただきましたように、水は千変万化いたします。 わたく したちの心も、また、水と同じように、瞬間、瞬間に変化します。わた くしは、この映像の中で、「人のこころの内に、敷き、悲しみ、喜びの、 一定の性があるわけではない」と申しました。

そうです。 千変万化する水の動きを見つめる心で、わが心を見つめる のです。決して、自分の心を束縛しては、いけません。眼前の事物にと

らわれてはいけません。そこから自分の心を解放するのです。 水の動き に任せて、水の流れるように、すべての現象を眺めます。

いま、皆さまは深い悲しみの中にあります。 凶悪なテロに倒れられた 家族や友人、そして、同僚、多くの同胞への圧倒的な深い悲しみを感じ ておられると思います。それを感じるということは、皆さまが真の愛に 満ちた心を持っておられるからです。それゆえに、悲しみの最中にある 皆さまに、あえて申し上げたい。その悲しみを感じる心があるからこそ、 豊かな喜びもまた、感じることができるのです、と。

わたくしたち人間は、歩きます。走ります。ときには、つまずきます。 そして、日々の暮らしの中で、ともに笑い、喜び合い、抱き合い、慰め

わたくしたちが生きる地球には、太陽の光がさんさんと降り注ぎ、そ

して、命を育む雨が降り注ぎます。 風が吹き、雲が流れ、大海原が広が っております。わたくしたち人間を含め、森羅万象、 ひとつとして変わ らないものはありません。生きとし生けるものすべては生々流転、とど まることなく変化しております。その変化の中に、わたくしたちの営み はあるのです。

そのさまざまに千変万化する奥に、全く変わらない不滅のものがあり ます。それが真理です。その真理に到達するために瞑想します。

真理に到達したとき、人は、この上なく静寂で安らかな、この上ない 喜びを感じます。限りない喜びを感じます。それが、ブッダの教える「ニ 「ルヴァーナ」の世界なのです。

ニルヴァーナに到達したとき、人はほんとうに生きる喜びを感じます。 そして、その生きる喜びを他のすべての人と共有したいと感じます。そ

して、それが人類愛に通ずるものであることを理解します。

わたくしたちの世界は常に変化しており、森羅万象の生々流転が、自 然のリズムを刻んでおります。

しかし、この大切な自然のリズム、そして、秩序を破壊し、脅かす ものがあります。それこそがテロリズムであります。このテロは民主主 義の全否定であり、なによりも、愛の心を傷つけるものと思っておりま to°

世界平和の基本は、すべての人の真の愛と、最高の智慧から築かれま す。

世界平和が来るように、世界平和が来るようにと、いくら声高くスロ

ーガンを叫んでも、それだけで世界平和が来るものではない。世界中の

一人一人が平和になり、世界中の家庭一軒一軒が残らず平和にならなけ

脳思

かつてわたくしは、『脳思考』という著書のなかで、七科三十七道品とは、 間脳の 機能を開発する訓練法にほかならないとのべた。というのは、人間の大脳の中には、霊 的世界を認識する部位があって、それが脳であると確信したからである。

ご承知の通り、ヒトの大脳は、本能行動と情動行動を受け持つ「大脳辺縁系」と、創 造行為適応行動を受け持つ「新皮質系」から成り立つ。このほかに、反射活動調節

行きづまりを感じてみずから幼いいのちを絶っているのである。 なにかが欠けている のだ。こどもが自殺する社会を、あなたは健全な社会だと思うか。 こどもが自殺する家 庭が決して健全ではないことを考えたら、答はすぐに出るであろう。

このままでは、この社会はいよいよ混迷の度を深め、やがて崩壊しつくすであろう。 その以前に、家庭が崩壊し、個人が崩壊する。

それを阻止する手段として、なにがあるであろう? シャカの説いた成仏法しかないとわたくしは思うのだ。

霊性を、 きよめ、高め、知的パワーをアップする。

シャカの成仏法しかないではないか。

そこで、つぎに、日本における仏教が、この「成仏」ということを、どのように受け と、どのように受けついでいるか、その点について、ざっとふれてみたいと思うので

日本仏教の特徴は、シャカの成仏法を知らぬことである。バッタチャリヤ博士から「地 のどん底に転落した宗教」と批評された大乗仏教の系列であるから、やむを得ぬこと

といわねばならないが、その日本の仏教は、「成仏」をどのように説き、どのように実 践しているのであろうか。

 

作用をいとなむ「脳幹・背髄系」とがあるわけだが、以上がこれまで大脳生理学によっ

て知られている大脳における生のいとなみである。

わたくしは、このほかに、これまでほとんどその機能が知られていない間脳が、霊性 の部位であるとのべたのである。の部位を開発訓練することにより、ヒトはしだいに 高度の霊性を持つようになり、や霊的世界を認識把握することができるようになる。その局限の異なる霊的世界への飛翔であろう。

 

わたくしは、三十七道品

 

この間脳と、それに新皮質系の特殊な部位とを同 であると断定したのである。

古代、精神的にすぐれていたひとびとは、 間脳が極度に発達し、 間脳に通ずる霊的視 覚器官である「第三の目」を持っていたのである。いま、第三の目は退化し、ほとんど 閉鎖されてしまった。しかし、その痕跡は科学的に証明されつつある。 ごく稀れだが、 この眼を持つヒトもじっさいにいる。 間脳も退化してその果たす機能もわからなくなっ てしまったが、近来、大脳生理学も、なにか特殊なはたらきをするらしいとして、「ブ ラックボックス」とよび、追究をはじめているようである。それに先立ちわたくしは、 十数年も前からこの間脳に注目していたのである。

これからのあたらしい人類文化は、この間脳の開発からはじめられなければならぬ、 と、わたくしは「間脳思考』で主張した。 では、いまから二千数百年もむかしの古代に 説かれたシャカの教法である七科三十七道品→阿耨多羅三藐三菩提→涅槃→成仏 という古めかしい構図と、ハイテクノロジーの現代に生きるわれわれとの接点はいった

どこにあるのか?

わたくしはここで、どうしても「間脳思考』を見ていただかねばならぬと思うのであ
る。すこし長いが、抜粋しよう。著名なジャーナリストであり、プロデューサーである K氏と、わたくしとの対談の部分である。

ヒトは脳に「霊性」の部位を持つ

では、いよいよ本論に入りましょう。 アーサー・ケストラーはこう言っていま

K氏は『ホロン革命』のページをひらいた。

ホモ・サピエンスは進化論に適合しない病に冒された異常な生物種で、 人類の過去の記録をみても、また現代の脳科学からいっても、ホモ・サビ エンスが最後の爆発段階に達したある時点で何かに狂いが生じたことは、そし

もともと人間の体には(もっと具体的に言えば、神経回路には致命的な工学 上の欠陥が誤って組み込まれ、それがために人類の妄想傾向が歴史を通して脈 脈と流れていることは、否定すべくもない。これは恐ろしくも当然の仮定であ り、人間の条件を真摯に追求しようとすれば、これから目をそらすことはでき ない」

「ゆえに、『種』として人類は絶滅するのだ、とかれはいっております。 桐山先生 は、これにたいしてどうお考えですか?

人類はケストラーのいうように、脳に致命的な設計ミスを持った異常な生物種で あるとお考えになりますか?」

「いや、わたくしはそう思いません。設計はほとんど完全に近かったと思います」 すると、設計は完全に近かったが、設計通りに進行しなかったということです J

そうです。ですから、ケストラー自身もいっているように、もう一つのほうの推

『ホモ・サピエンスが最後の爆発的段階に達したある時点で何かに狂いが生じ

たことは』といっているのが正しいのです。設計ミスではなかった。設計はほとん 完全だったが、進化の途中で方向が狂ってしまったのです。わたくしは、すで に、それを「密教・超能力の秘密』で指摘しています」

「具体的にお示しください」

「人間は脳に霊性の部位を持っているのです。 これはそのように設計されているの です。だから、この部位がその設計の通りに活動していたら、人類は、 ケストラー のいうように「狂気」の症状をあらわさなかったでしょう。 したがって、いまのよ うな破滅に直面するようなことにはならなかったのです。 この部位が進化の途中で 閉鎖されてしまった。そのために、人類は、“超””人になってしまったのです」 「ふうむ、これはおどろくべき発想ですね」

「発想じゃないのです。事実なのです」

「その霊性の部位はどこですか?」

しょう

「大脳の最も中心である脳の視床下部です。 このいちばん奥に、その部位があ

ります。ただし、これがはたらくためには、そのすぐそばにある松果腺という内分 腺の特殊なはたらきが必要です」

「それは大脳生理学者の説ですか?」

というのです。

「いいえ、そうじゃありません。わたくしの修行体験による発見です。 インドのク ンダリニー・ヨーガ、チベット密教の修行などを参考に、わたくしが把握したもの です。脳生理学はまだそこまで到達しておりません。ただし、アメリカのホルモン 分泌学の権威・D・ラトクリフという学者は、その著書『人体の驚異』(小学館) の中で、おもしろいことを言っております。

『その機能がようやくわかりかけてきた松果腺は、脳の下側にくっついている 小さなので、人間が原始時代の祖先から受けついできた第三の目の残 跡と推定されている』

第三の目というのをご存じですか?」

ずうっと以前に、そういう題名の本を読んだことがあります。 なんとかいう英国

なるほど」

ます。この視床下部が第三の目と連撃して活動するとき、人間は霊性を顕現するのです。その究極において、「密教・超能力の秘密』でいっているように、カミ、 ホ トケにまで到達するのです。人間は、知性・理性の場である新皮質と、本能の座である辺縁系との中間にある『間脳』に、霊性の場を持っていたのです。これにより、 人間はバランスがとれるのです。ところが、この間脳にある霊性の場を、人間は失 ってしまった」

しかし、それを知っているひとたちがいた。その代表が、 シャカです。 シャカ は、「成仏法』という名で、この霊性の場を再開発するシステムを完成した。 古代 密教が、それを受けついだ」

「古代密教、とおっしゃるのはどういうわけですか?」

後世の密教は、大乗仏教の影響を受けて、 シャカがつたえたシステムを様式化し てしまったのです。まったくちがったものにしてしまった」

「しかし、仏像とか、仏画とかは、古代密教の表象をそのままつたえています。 密 教の仏像の多くが、第三の目を持っているのはこのためです」

「あの、眉間のところにある目ですね?」

「そうです。 その密教の代表ともいうべき仏像が、摩醯首羅です。 これは、梵語の Maheśvara (ヘーシュヴァラ)を音写したもので、これを「大自在天』と漢訳し、 宇宙の大主宰神とされております。眉間に第三の目があって、合計、三つの目を持 っています。われわれは、目が二つです。その二つの目の一つは、辺縁系の脳に通 ずる目であり、もう一つは新皮質の脳に通ずる目で、この二つが一対になって、現 世界(物質世界)を見るのです。このほかに、じつはもう一つの目があった。そ れは間脳の視床下部の脳に通ずる霊性の目で、霊的世界を見る目です。 これが、第 三の目とよばれるものなのです」

「で、その第三の目が、『残跡』となると同時に、先生のおっしゃる霊性の『場』 もはたらかなくなってしまったということですか?」

「そうですね。しかし、それは、霊性の『場』が閉ざされてはたらかなくなってし

まったから、第三の目もはたらかなくなって、たんなる「残痕』になってしまったのだともいえるでしょう。 要するに、密接な相関関係にあるものですから」

K氏はしばらく考えこんでいたが、

と首をかしげた。

「なぜ、人間は、その霊性の『場』を失ってしまったのですか? 退化、とは考え られませんねえ。人間の精神活動は原始時代から非常なスピードで進化し、進歩し ているわけですから、退化などとは考えられない」

その理由ですか?」

わたくしは言った。

「第三の目」はなぜ消えてしまったか?

「第三の目が閉じられてしまったのには、もちろん、大きな理由があります。 わた くのいう霊性の『場』は、 間脳の視床下部にありますが、 それは、要するに、物 質的な欲望や本能を制御し、時には否定して、より崇高なるものにあこがれる精神 領域です。そういうと、それは新皮質系の領域じゃないかといわれるかも知れませ ん。そうじゃないのです。

新皮質系の知性は、神を考え(分析し演繹して)仏を理解しようとするものです が、霊性は、神と一体になり、仏と同化しようとする題性です。 明らかに新皮質系 のものとはちがうのです。

新皮質が生む知性は、時実博士の表現によれば「より良く生きる」こと、「より 高く生きることを目ざします。 そのための創造行動をいとなみます。その結果、 どういうものが生み出されたかといいますと、精神的には哲学 (および倫理・道徳)、

物質的には科学と技術)です。 ことばを変えていうと、「より良く生きる』が科 学と技術を生み出し、より高く生きる』が哲学・倫理を生み出した。ところが、 哲学・倫理はいままったく行きづまって、人類がいまかかえる問題に、大声で警告 は発するけれども、なんの答も出すことができない。

一方、新皮質の『より良く生きる』という目標は、『より便利に』『より速く』 の追求になってしまった。 ごらんなさい。 現代社会は、新皮質文明であり、新皮質 の産物ですが、現代社会の目標は、『より便利に』『より速く」がモットーでしょう。 地球上のすべての企業が、それを目ざして狂気のごとく活動しています。 それが結 局は自分の首をしめることを新皮質は知りながら、止まることができない。 なぜな らば、それをおしとどめる間脳のはたらき、霊性の『場』を、はるか以前に、新皮 質自身が押さえこんでしまっていたのです」 大京

「そんなことがあり得るのですか?」

「こういう現象は、大脳においてつねにおこなわれるものです。 たとえば、動物が 高等になるにつれて新皮質が発達してくるために、旧皮質はしだいに大脳半球の

面へ押しやられ、古皮質は大脳半球内部へ押しこまれるようになります。 これは大 脳生理学の定説で、これとおなじ現象が、人間の大脳においておこなわれたので す。

新皮質は、それが人類の進歩と進化であり、平和と繁栄につながるのだというが 義名分のもとに、 間脳を押さえこんでしまったのです。 そういう理くつを考え出す のは、新皮質の得意ちゅうの得意ですから。

霊性とは物質的な欲望や本能を制御し、時には否定さえして、より崇高なるもの にあこがれる精神領域だと、さきにわたくしは申しましたが、そういうものは、新 皮質の生み出す物質文化にブレーキをかけるものです。考えようによっては、新皮 質の敵といっていい。だから、新皮質は全力をあげて、霊性の場を押しつぶしにか かった。人間のすべての欲望 (大脳辺縁系)がこれにくわわった。これが、人間の

『葉』というものでしょう。

だから、知性と称するものは、霊的なものを、いまでも、迷信といって敵視する でしょう。知性の持ちぬしだと自称するひとたちが、『霊』ということばを聞くと、たちまち歯をむき出して噛みついてくるのは、そのためです」

「は、はぁはぁ、なるほど、なるほど」

K氏は大声で笑ったが、

「それはつまり、新皮質脳が脳を押しつぶしてしまったのは、人類の歴史 で、いつごろのことでしょうか?」

知性(新皮質脳)と霊性(間脳)が一時に花ひらいた時代

わたくしは、逆にK氏に質問した。

「K先生は、さきほど、人間の精神活動は原始時代から非常なスピードをもって、 進化し、進歩してきたとおっしゃいましたが、はたしてそうでしょうか?」 「といいますと?」

「わたくしは、ずうっと古いある時代から、すこしも進歩していないのじゃないか

と思うのです。むしろ、退化しているのじゃないかと考えます」

「どういう意味ですか?」

「わたくしは、人類の精神文化は、いまから数千年前に、その進歩がおわってしま って、その後は、なんらあたらしいものを生み出すことなく、ただ先人のあとをな ぞっているのにすぎないのではないかと思うのです。高い精神文化は、すべて紀元 前に完成されてしまっている。ことに、霊性にもとづいた叡智の文化がそうです」 「ふうむ」

たとえば、人類の知的産物としての古典を考えてみるとき、ごくおおざっぱにい って、三つのグループに分けられるでしょう。 中国の古典、ギリシャの古典 イン ドの古典です。いま、手もとに参考とするものがありませんから、ごくおおざっぱ ないいかたですが、中国においては、西紀前五世紀に孔子が生まれて儒教を説き、 以後、ざっと、墨子、 荘子、 から、孟子、司馬遷にいたるまで、すべて紀元前のひ とたちです。

ギリシャでは、紀元前八世紀に、 ホメロスが、『イリアス』 『オデッセイア』を書き、前七世紀には、イソップが生まれ、前五世紀には数学のピタゴラス、哲学者のヘラクレイトス、悲劇作家のアイスキュロス、ソフォクレス、前四世紀ごろには、 有名なソクラテス、プラトン、 ついでアリストテレスが活動しています。このひと たちが、のちのヨーロッパ知的文化のもとをなしたことはご承知の通りです。 いま 西洋文明の知的産物は、これらのひとたちの芸術や思想を抜きにしては考えられ ず、さらには、後世から現代まで、はたしてこれら世紀前のひとたちを凌駕するだ あたらしい知性的産物を生み出しているといえるかどうか」

「インドではもっと古く、紀元前一〇〇〇年、すなわち、 前十世紀にすでに「リグ・ ヴェーダ』が成立しています。 前八世紀にはバラモン教が活動しはじめています。 前七世紀には『ウパニシャッド』が完成し、 前五五六年にはシャカが生まれていま

「西アジアでは、モーゼの出エジプトが紀元前十三世紀ですし、 前八世紀には、預イザヤが活動し、前七世紀にはゾロアスター教が成立、同時に預言者エレミア が活躍している。そして、中央アジアでキリストが生まれ、紀元元年をむかえるわ けです 。

K氏は無言のままうなずいた。

「じつに、百花乱ともいうべき華やかさでありませんか。人類の精神文明の頂点これは、見かたによれば、知性=新皮質と、霊性=間脳が一時に花ひらいた時代 とみてよいでしょう。 このあと、急速に新皮質は発達します。 新皮質はギリシャに おいて哲学を生み、これが科学へと進んでゆくのです。 そして遂には太陽のエネル ギーを手中にし、人間を月に送りこむまでになったのです。

しかし、そのように急速に爆発的に発達した新皮質は、第三の目を閉ざし、霊性 の場である視床下部をふさいでしまった。人類は、霊性の目を閉じ、霊性の場をふ さぐことにより、科学という名の物質的欲望をみたしてきたのです。 そのためにはう言っています。

「わたしは生化学戦争の恐怖について、何もふれなかった。人口爆発、公害に ついてもふれなかった。それらはたしかに脅威ではある。 しかしそうした問 題ゆえに、社会の意識はひとつの重大な事実から不当にそらされてきたといっ てよい。その事実とは? 一九四五年以降、人類は自らを絶滅させる悪魔の力 を身につけてきた。そして過去の事実から判断するかぎり、そう遠くない将 来、 ある危機のなかでその力を行使する可能性は大きい。そうなれば、宇宙船 地球号は死に絶えた乗組員を乗せて星間を漂流する幽霊船と化すにちがいな い』

要するに、世界の危機を核爆弾ひとつにしぼって論じているわけです。

これにたいし、わたくしも、わたくしなりの危機にたいするデータを持っていま す。決して、 ノストラダムスやその他のひとたちのシリ馬に乗ってさわいでいるわ けではない。 わたくしはわたくし独自の見地から、この世界の破滅崩壊を予感しているのです。 最初に申し上げたと思いますが、核爆弾とか、環境汚染とか、人口 増加、大地震、移動というように、ひとつひとつのデータではない、ヒト自身の 上に起こったホラーキー崩壊の現象から、 どういうアクシデントでかは別として、 とにかく、 間脳を失ったヒトから成り立つこの世界は崩壊するよりほかない、と予 「感しているのです」 (以下略)

以上で、成仏ということばのほんとうの意味が、ご理解いただけたことと思う。同時 に、釈尊の説かれた成仏法と現代社会、そしてそこに生きるわれわれとのふかいかかわ りもまた、ご理解いただけたことと思う。われわれの社会がいまやあらゆる面で行きづ まり、崩壊の危機に直面しつつあることは、アーサー・ケストラーの警告を待つまでも ないことである。この、お

毎日のように報じられるこどもの自殺出ひとつみても、この社会が異常化し崩壊し つつあることがうかがわれる。健康的に正しく成長しつつある社会では、こどもはつね に希望にみちている。 決して自殺などはしないのである。こどもたちは敏感にこの社会

 

古代密教

霊性を、 きよめ、高め、知的パワーをアップする。

シャカの成仏法しかないではないか。

 

このままでは、この社会はいよいよ混迷の度を深め、やがて崩壊しつくすであろう。 その以前に、家庭が崩壊し、個人が崩壊する。

それを阻止する手段として、なにがあるであろう? シャカの説いた成仏法しかないとわたくしは思うのだ。

霊性を、 きよめ、高め、知的パワーをアップする。

シャカの成仏法しかないではないか

わたくしは、このほかに、これまでほとんどその機能が知られていない間脳が、霊性 の部位であるとのべたのである。の部位を開発訓練することにより、ヒトはしだいに 高度の霊性を持つようになり、や霊的世界を認識把握することができるようになる。その局限の異なる霊的世界への飛翔であろう。

ヒトは脳に「霊性」の部位を持つ

「人間は脳に霊性の部位を持っているのです。 これはそのように設計されているの です。だから、この部位がその設計の通りに活動していたら、人類は、 ケストラー のいうように「狂気」の症状をあらわさなかったでしょう。 したがって、いまのよ うな破滅に直面するようなことにはならなかったのです。 この部位が進化の途中で 閉鎖されてしまった。そのために、人類は、“超””人になってしまったのです」 「ふうむ、これはおどろくべき発想ですね」

「発想じゃないのです。事実なのです

『その機能がようやくわかりかけてきた松果腺は、脳の下側にくっついている 小さなので、人間が原始時代の祖先から受けついできた第三の目の残 跡と推定されている』

第三の目というのをご存じですか?」

ずうっと以前に、そういう題名の本を読んだことがあります。 なんとかいう英国

なるほど」

ます。この視床下部が第三の目と連撃して活動するとき、人間は霊性を顕現するのです。その究極において、「密教・超能力の秘密』でいっているように、カミ、 ホ トケにまで到達するのです。人間は、知性・理性の場である新皮質と、本能の座である辺縁系との中間にある『間脳』に、霊性の場を持っていたのです。これにより、 人間はバランスがとれるのです。ところが、この間脳にある霊性の場を、人間は失 ってしまった」

しかし、それを知っているひとたちがいた。その代表が、 シャカです。 シャカ は、「成仏法』という名で、この霊性の場を再開発するシステムを完成した。 古代 密教が、それを受けついだ」

「古代密教、とおっしゃるのはどういうわけですか?」

後世の密教は、大乗仏教の影響を受けて、 シャカがつたえたシステムを様式化し てしまったのです。まったくちがったものにしてしまった」

眉間に第三の目があって、合計、三つの目を持 っています。われわれは、目が二つです。その二つの目の一つは、辺縁系の脳に通 ずる目であり、もう一つは新皮質の脳に通ずる目で、この二つが一対になって、現 世界(物質世界)を見るのです。このほかに、じつはもう一つの目があった。そ れは間脳の視床下部の脳に通ずる霊性の目で、霊的世界を見る目です。 これが、第 三の目とよばれるものなのです」

新皮質は、それが人類の進歩と進化であり、平和と繁栄につながるのだというが 義名分のもとに、 間脳を押さえこんでしまったのです。 そういう理くつを考え出す のは、新皮質の得意ちゅうの得意ですから。

霊性とは物質的な欲望や本能を制御し、時には否定さえして、より崇高なるもの にあこがれる精神領域だと、さきにわたくしは申しましたが、そういうものは、新 皮質の生み出す物質文化にブレーキをかけるものです。考えようによっては、新皮 質の敵といっていい。だから、新皮質は全力をあげて、霊性の場を押しつぶしにか かった。人間のすべての欲望 (大脳辺縁系)がこれにくわわった。これが、人間の

『葉』というものでしょう。

「大脳の最も中心である脳の視床下部です。 このいちばん奥に、その部位があ

ります。ただし、これがはたらくためには、そのすぐそばにある松果腺という内分 腺の特殊なはたらきが必要です」

 

 

 

脳思考

かつてわたくしは、『脳思考』という著書のなかで、七科三十七道品とは、 間脳の 機能を開発する訓練法にほかならないとのべた。というのは、人間の大脳の中には、霊 的世界を認識する部位があって、それが脳であると確信したからである。

ご承知の通り、ヒトの大脳は、本能行動と情動行動を受け持つ「大脳辺縁系」と、創 造行為適応行動を受け持つ「新皮質系」から成り立つ。このほかに、反射活動調節

行きづまりを感じてみずから幼いいのちを絶っているのである。 なにかが欠けている のだ。こどもが自殺する社会を、あなたは健全な社会だと思うか。 こどもが自殺する家 庭が決して健全ではないことを考えたら、答はすぐに出るであろう。

このままでは、この社会はいよいよ混迷の度を深め、やがて崩壊しつくすであろう。 その以前に、家庭が崩壊し、個人が崩壊する。

それを阻止する手段として、なにがあるであろう? シャカの説いた成仏法しかないとわたくしは思うのだ。

霊性を、 きよめ、高め、知的パワーをアップする。

シャカの成仏法しかないではないか。

そこで、つぎに、日本における仏教が、この「成仏」ということを、どのように受け と、どのように受けついでいるか、その点について、ざっとふれてみたいと思うので

日本仏教の特徴は、シャカの成仏法を知らぬことである。バッタチャリヤ博士から「地 のどん底に転落した宗教」と批評された大乗仏教の系列であるから、やむを得ぬこと

といわねばならないが、その日本の仏教は、「成仏」をどのように説き、どのように実 践しているのであろうか。

 

作用をいとなむ「脳幹・背髄系」とがあるわけだが、以上がこれまで大脳生理学によっ

て知られている大脳における生のいとなみである。

わたくしは、このほかに、これまでほとんどその機能が知られていない間脳が、霊性 の部位であるとのべたのである。の部位を開発訓練することにより、ヒトはしだいに 高度の霊性を持つようになり、や霊的世界を認識把握することができるようになる。その局限の異なる霊的世界への飛翔であろう。

 

わたくしは、三十七道品

 

この間脳と、それに新皮質系の特殊な部位とを同 であると断定したのである。

古代、精神的にすぐれていたひとびとは、 間脳が極度に発達し、 間脳に通ずる霊的視 覚器官である「第三の目」を持っていたのである。いま、第三の目は退化し、ほとんど 閉鎖されてしまった。しかし、その痕跡は科学的に証明されつつある。 ごく稀れだが、 この眼を持つヒトもじっさいにいる。 間脳も退化してその果たす機能もわからなくなっ てしまったが、近来、大脳生理学も、なにか特殊なはたらきをするらしいとして、「ブ ラックボックス」とよび、追究をはじめているようである。それに先立ちわたくしは、 十数年も前からこの間脳に注目していたのである。

これからのあたらしい人類文化は、この間脳の開発からはじめられなければならぬ、 と、わたくしは「間脳思考』で主張した。 では、いまから二千数百年もむかしの古代に 説かれたシャカの教法である七科三十七道品→阿耨多羅三藐三菩提→涅槃→成仏 という古めかしい構図と、ハイテクノロジーの現代に生きるわれわれとの接点はいった

どこにあるのか?

わたくしはここで、どうしても「間脳思考』を見ていただかねばならぬと思うのであ
る。すこし長いが、抜粋しよう。著名なジャーナリストであり、プロデューサーである K氏と、わたくしとの対談の部分である。

ヒトは脳に「霊性」の部位を持つ

では、いよいよ本論に入りましょう。 アーサー・ケストラーはこう言っていま

K氏は『ホロン革命』のページをひらいた。

ホモ・サピエンスは進化論に適合しない病に冒された異常な生物種で、 人類の過去の記録をみても、また現代の脳科学からいっても、ホモ・サビ エンスが最後の爆発段階に達したある時点で何かに狂いが生じたことは、そし

もともと人間の体には(もっと具体的に言えば、神経回路には致命的な工学 上の欠陥が誤って組み込まれ、それがために人類の妄想傾向が歴史を通して脈 脈と流れていることは、否定すべくもない。これは恐ろしくも当然の仮定であ り、人間の条件を真摯に追求しようとすれば、これから目をそらすことはでき ない」

「ゆえに、『種』として人類は絶滅するのだ、とかれはいっております。 桐山先生 は、これにたいしてどうお考えですか?

人類はケストラーのいうように、脳に致命的な設計ミスを持った異常な生物種で あるとお考えになりますか?」

「いや、わたくしはそう思いません。設計はほとんど完全に近かったと思います」 すると、設計は完全に近かったが、設計通りに進行しなかったということです J

そうです。ですから、ケストラー自身もいっているように、もう一つのほうの推

『ホモ・サピエンスが最後の爆発的段階に達したある時点で何かに狂いが生じ

たことは』といっているのが正しいのです。設計ミスではなかった。設計はほとん 完全だったが、進化の途中で方向が狂ってしまったのです。わたくしは、すで に、それを「密教・超能力の秘密』で指摘しています」

「具体的にお示しください」

「人間は脳に霊性の部位を持っているのです。 これはそのように設計されているの です。だから、この部位がその設計の通りに活動していたら、人類は、 ケストラー のいうように「狂気」の症状をあらわさなかったでしょう。 したがって、いまのよ うな破滅に直面するようなことにはならなかったのです。 この部位が進化の途中で 閉鎖されてしまった。そのために、人類は、“超””人になってしまったのです」 「ふうむ、これはおどろくべき発想ですね」

「発想じゃないのです。事実なのです」

「その霊性の部位はどこですか?」

しょう

「大脳の最も中心である脳の視床下部です。 このいちばん奥に、その部位があ

ります。ただし、これがはたらくためには、そのすぐそばにある松果腺という内分 腺の特殊なはたらきが必要です」

「それは大脳生理学者の説ですか?」

というのです。

「いいえ、そうじゃありません。わたくしの修行体験による発見です。 インドのク ンダリニー・ヨーガ、チベット密教の修行などを参考に、わたくしが把握したもの です。脳生理学はまだそこまで到達しておりません。ただし、アメリカのホルモン 分泌学の権威・D・ラトクリフという学者は、その著書『人体の驚異』(小学館) の中で、おもしろいことを言っております。

『その機能がようやくわかりかけてきた松果腺は、脳の下側にくっついている 小さなので、人間が原始時代の祖先から受けついできた第三の目の残 跡と推定されている』

第三の目というのをご存じですか?」

ずうっと以前に、そういう題名の本を読んだことがあります。 なんとかいう英国

なるほど」

ます。この視床下部が第三の目と連撃して活動するとき、人間は霊性を顕現するのです。その究極において、「密教・超能力の秘密』でいっているように、カミ、 ホ トケにまで到達するのです。人間は、知性・理性の場である新皮質と、本能の座である辺縁系との中間にある『間脳』に、霊性の場を持っていたのです。これにより、 人間はバランスがとれるのです。ところが、この間脳にある霊性の場を、人間は失 ってしまった」

しかし、それを知っているひとたちがいた。その代表が、 シャカです。 シャカ は、「成仏法』という名で、この霊性の場を再開発するシステムを完成した。 古代 密教が、それを受けついだ」

「古代密教、とおっしゃるのはどういうわけですか?」

後世の密教は、大乗仏教の影響を受けて、 シャカがつたえたシステムを様式化し てしまったのです。まったくちがったものにしてしまった」

「しかし、仏像とか、仏画とかは、古代密教の表象をそのままつたえています。 密 教の仏像の多くが、第三の目を持っているのはこのためです」

「あの、眉間のところにある目ですね?」

「そうです。 その密教の代表ともいうべき仏像が、摩醯首羅です。 これは、梵語の Maheśvara (ヘーシュヴァラ)を音写したもので、これを「大自在天』と漢訳し、 宇宙の大主宰神とされております。眉間に第三の目があって、合計、三つの目を持 っています。われわれは、目が二つです。その二つの目の一つは、辺縁系の脳に通 ずる目であり、もう一つは新皮質の脳に通ずる目で、この二つが一対になって、現 世界(物質世界)を見るのです。このほかに、じつはもう一つの目があった。そ れは間脳の視床下部の脳に通ずる霊性の目で、霊的世界を見る目です。 これが、第 三の目とよばれるものなのです」

「で、その第三の目が、『残跡』となると同時に、先生のおっしゃる霊性の『場』 もはたらかなくなってしまったということですか?」

「そうですね。しかし、それは、霊性の『場』が閉ざされてはたらかなくなってし

まったから、第三の目もはたらかなくなって、たんなる「残痕』になってしまったのだともいえるでしょう。 要するに、密接な相関関係にあるものですから」

K氏はしばらく考えこんでいたが、

と首をかしげた。

「なぜ、人間は、その霊性の『場』を失ってしまったのですか? 退化、とは考え られませんねえ。人間の精神活動は原始時代から非常なスピードで進化し、進歩し ているわけですから、退化などとは考えられない」

その理由ですか?」

わたくしは言った。

「第三の目」はなぜ消えてしまったか?

「第三の目が閉じられてしまったのには、もちろん、大きな理由があります。 わた くのいう霊性の『場』は、 間脳の視床下部にありますが、 それは、要するに、物 質的な欲望や本能を制御し、時には否定して、より崇高なるものにあこがれる精神 領域です。そういうと、それは新皮質系の領域じゃないかといわれるかも知れませ ん。そうじゃないのです。

新皮質系の知性は、神を考え(分析し演繹して)仏を理解しようとするものです が、霊性は、神と一体になり、仏と同化しようとする題性です。 明らかに新皮質系 のものとはちがうのです。

新皮質が生む知性は、時実博士の表現によれば「より良く生きる」こと、「より 高く生きることを目ざします。 そのための創造行動をいとなみます。その結果、 どういうものが生み出されたかといいますと、精神的には哲学 (および倫理・道徳)、

物質的には科学と技術)です。 ことばを変えていうと、「より良く生きる』が科 学と技術を生み出し、より高く生きる』が哲学・倫理を生み出した。ところが、 哲学・倫理はいままったく行きづまって、人類がいまかかえる問題に、大声で警告 は発するけれども、なんの答も出すことができない。

一方、新皮質の『より良く生きる』という目標は、『より便利に』『より速く』 の追求になってしまった。 ごらんなさい。 現代社会は、新皮質文明であり、新皮質 の産物ですが、現代社会の目標は、『より便利に』『より速く」がモットーでしょう。 地球上のすべての企業が、それを目ざして狂気のごとく活動しています。 それが結 局は自分の首をしめることを新皮質は知りながら、止まることができない。 なぜな らば、それをおしとどめる間脳のはたらき、霊性の『場』を、はるか以前に、新皮 質自身が押さえこんでしまっていたのです」 大京

「そんなことがあり得るのですか?」

「こういう現象は、大脳においてつねにおこなわれるものです。 たとえば、動物が 高等になるにつれて新皮質が発達してくるために、旧皮質はしだいに大脳半球の

面へ押しやられ、古皮質は大脳半球内部へ押しこまれるようになります。 これは大 脳生理学の定説で、これとおなじ現象が、人間の大脳においておこなわれたので す。

新皮質は、それが人類の進歩と進化であり、平和と繁栄につながるのだというが 義名分のもとに、 間脳を押さえこんでしまったのです。 そういう理くつを考え出す のは、新皮質の得意ちゅうの得意ですから。

霊性とは物質的な欲望や本能を制御し、時には否定さえして、より崇高なるもの にあこがれる精神領域だと、さきにわたくしは申しましたが、そういうものは、新 皮質の生み出す物質文化にブレーキをかけるものです。考えようによっては、新皮 質の敵といっていい。だから、新皮質は全力をあげて、霊性の場を押しつぶしにか かった。人間のすべての欲望 (大脳辺縁系)がこれにくわわった。これが、人間の

『葉』というものでしょう。

だから、知性と称するものは、霊的なものを、いまでも、迷信といって敵視する でしょう。知性の持ちぬしだと自称するひとたちが、『霊』ということばを聞くと、たちまち歯をむき出して噛みついてくるのは、そのためです」

「は、はぁはぁ、なるほど、なるほど」

K氏は大声で笑ったが、

「それはつまり、新皮質脳が脳を押しつぶしてしまったのは、人類の歴史 で、いつごろのことでしょうか?」

知性(新皮質脳)と霊性(間脳)が一時に花ひらいた時代

わたくしは、逆にK氏に質問した。

「K先生は、さきほど、人間の精神活動は原始時代から非常なスピードをもって、 進化し、進歩してきたとおっしゃいましたが、はたしてそうでしょうか?」 「といいますと?」

「わたくしは、ずうっと古いある時代から、すこしも進歩していないのじゃないか

と思うのです。むしろ、退化しているのじゃないかと考えます」

「どういう意味ですか?」

「わたくしは、人類の精神文化は、いまから数千年前に、その進歩がおわってしま って、その後は、なんらあたらしいものを生み出すことなく、ただ先人のあとをな ぞっているのにすぎないのではないかと思うのです。高い精神文化は、すべて紀元 前に完成されてしまっている。ことに、霊性にもとづいた叡智の文化がそうです」 「ふうむ」

たとえば、人類の知的産物としての古典を考えてみるとき、ごくおおざっぱにい って、三つのグループに分けられるでしょう。 中国の古典、ギリシャの古典 イン ドの古典です。いま、手もとに参考とするものがありませんから、ごくおおざっぱ ないいかたですが、中国においては、西紀前五世紀に孔子が生まれて儒教を説き、 以後、ざっと、墨子、 荘子、 から、孟子、司馬遷にいたるまで、すべて紀元前のひ とたちです。

ギリシャでは、紀元前八世紀に、 ホメロスが、『イリアス』 『オデッセイア』を書き、前七世紀には、イソップが生まれ、前五世紀には数学のピタゴラス、哲学者のヘラクレイトス、悲劇作家のアイスキュロス、ソフォクレス、前四世紀ごろには、 有名なソクラテス、プラトン、 ついでアリストテレスが活動しています。このひと たちが、のちのヨーロッパ知的文化のもとをなしたことはご承知の通りです。 いま 西洋文明の知的産物は、これらのひとたちの芸術や思想を抜きにしては考えられ ず、さらには、後世から現代まで、はたしてこれら世紀前のひとたちを凌駕するだ あたらしい知性的産物を生み出しているといえるかどうか」

「インドではもっと古く、紀元前一〇〇〇年、すなわち、 前十世紀にすでに「リグ・ ヴェーダ』が成立しています。 前八世紀にはバラモン教が活動しはじめています。 前七世紀には『ウパニシャッド』が完成し、 前五五六年にはシャカが生まれていま

「西アジアでは、モーゼの出エジプトが紀元前十三世紀ですし、 前八世紀には、預イザヤが活動し、前七世紀にはゾロアスター教が成立、同時に預言者エレミア が活躍している。そして、中央アジアでキリストが生まれ、紀元元年をむかえるわ けです 。

K氏は無言のままうなずいた。

「じつに、百花乱ともいうべき華やかさでありませんか。人類の精神文明の頂点これは、見かたによれば、知性=新皮質と、霊性=間脳が一時に花ひらいた時代 とみてよいでしょう。 このあと、急速に新皮質は発達します。 新皮質はギリシャに おいて哲学を生み、これが科学へと進んでゆくのです。 そして遂には太陽のエネル ギーを手中にし、人間を月に送りこむまでになったのです。

しかし、そのように急速に爆発的に発達した新皮質は、第三の目を閉ざし、霊性 の場である視床下部をふさいでしまった。人類は、霊性の目を閉じ、霊性の場をふ さぐことにより、科学という名の物質的欲望をみたしてきたのです。 そのためにはう言っています。

「わたしは生化学戦争の恐怖について、何もふれなかった。人口爆発、公害に ついてもふれなかった。それらはたしかに脅威ではある。 しかしそうした問 題ゆえに、社会の意識はひとつの重大な事実から不当にそらされてきたといっ てよい。その事実とは? 一九四五年以降、人類は自らを絶滅させる悪魔の力 を身につけてきた。そして過去の事実から判断するかぎり、そう遠くない将 来、 ある危機のなかでその力を行使する可能性は大きい。そうなれば、宇宙船 地球号は死に絶えた乗組員を乗せて星間を漂流する幽霊船と化すにちがいな い』

要するに、世界の危機を核爆弾ひとつにしぼって論じているわけです。

これにたいし、わたくしも、わたくしなりの危機にたいするデータを持っていま す。決して、 ノストラダムスやその他のひとたちのシリ馬に乗ってさわいでいるわ けではない。 わたくしはわたくし独自の見地から、この世界の破滅崩壊を予感しているのです。 最初に申し上げたと思いますが、核爆弾とか、環境汚染とか、人口 増加、大地震、移動というように、ひとつひとつのデータではない、ヒト自身の 上に起こったホラーキー崩壊の現象から、 どういうアクシデントでかは別として、 とにかく、 間脳を失ったヒトから成り立つこの世界は崩壊するよりほかない、と予 「感しているのです」 (以下略)

以上で、成仏ということばのほんとうの意味が、ご理解いただけたことと思う。同時 に、釈尊の説かれた成仏法と現代社会、そしてそこに生きるわれわれとのふかいかかわ りもまた、ご理解いただけたことと思う。われわれの社会がいまやあらゆる面で行きづ まり、崩壊の危機に直面しつつあることは、アーサー・ケストラーの警告を待つまでも ないことである。この、お

毎日のように報じられるこどもの自殺出ひとつみても、この社会が異常化し崩壊し つつあることがうかがわれる。健康的に正しく成長しつつある社会では、こどもはつね に希望にみちている。 決して自殺などはしないのである。こどもたちは敏感にこの社会

 

七科三十七道品とは、脳の神秘に深く根ざした訓練法

私は、ついに悟った。七科三十七道品とは、脳の神秘に深く根ざした訓練法であるということを。特に、間脳――それに新皮質の特殊な部位が同時に磨かれるのだ。これこそ、人間が精神的にも知覚的にも進化するための鍵なのだ。

間脳。通常の科学者たちがほとんど関心を寄せなかったこの場所に、私は注目していた。そこには、いまだ解明されていない霊性の領域が隠されている。訓練を重ね、その部位を目覚めさせていけば、人は次第に高次の霊的存在へと変貌する。やがて、通常の感覚ではとらえることのできない霊的な世界を感じ取るようになり、ついにはその真理に触れることができるだろう。

人間が到達しうる極限。それは、異次元の霊的世界への飛翔であると私は信じている。

七科三十七道品。これこそが、間脳と新皮質を同時に鍛え上げ、精神と肉体の境界を超越するための究極の訓練である。その真実を見つけ出した私は、これからさらにその可能性を探求し、ついには未知の世界へと足を踏み入れるだろう。

この旅は、始まったばかりだ。

間脳が 七科三十七道 訓練法

間脳が 七科三十七道 訓練法

【イントロ】
悟りの扉、今開く
間脳の奥で響く声
新たな光、胸に宿し
霊の世界へと誘う風

【サビ】
飛び立て、未知の空へ
霊的な翼、広げて
魂の進化、その先に
無限の未来が待っている

間腦思考 2

かつてわたくしは、『思考』という著書のなかで、七科三十七道品とは、 間脳の 機能を開発する訓練にほかならないとのべた。というのは、人間の大脳の中には、霊 的世界を認識す 部位があって、それが間脳であると確信したからである。

ご承知の通り、ヒトの大脳は、本能行動と情動行動を受け持つ「大脳辺縁系」と、創 造行為・行動を受け持つ「新皮質系」から成り立つ。このほかに、反射活動・調節 作用をとなむ「脳幹・背髄系」とがあるわけだが、以上がこれまで大脳生理学によっ て知られている大脳における生のいとなみである。

せきずいけい

わたくしは、このほかに、これまでほとんどその機能が知られていない間脳が、霊性 部位であるとのべたのである。この部位を開発訓練することにより、ヒトはしだいに 高度の霊性を持つようになり、やがて霊的世界を認識把握することができるようにな

る。その局限は次元の異なる霊的世界への飛翔であろう。

わたくしは、七科三十七道品こそ、この間脳と、それに新皮質系の特殊な部位とを同 時に開発練磨してゆく訓練法であると断定したのである。

古代、精神的にすぐれていたひとびとは、 間脳が極度に発達し、 間脳に通ずる霊的視 覚器官である「第三の目」を持っていたのである。 いま、第三の目は退化し、ほとんど 閉鎖されてしまった。しかし、その痕跡は科学的に証明されつつある。 ごく稀れだが、 この眼を持つヒトもじっさいにいる。 間脳も退化してその果たす機能もわからなくなっ てしまったが、近来、大脳生理学も、なにか特殊なはたらきをするらしいとして、「ブ ラックボックス」とよび、追究をはじめているようである。 それに先立ちわたくしは、 十数年も前からこの間脳に注目していたのである。

これからのあたらしい人類文化は、この間脳の開発からはじめられなければならぬ、 と、わたくしは「間脳思考」で主張した。 では、いまから二千数百年もむかしの古代に 説かれたシャカの教法である七科三十七道品→阿耨多羅三藐三菩提涅槃→成仏 という古めかしい構図と、ハイテクノロジーの現代に生きるわれわれとの接点はいった

間腦思考

かつてわたくしは、といわねばならないが、その日本の仏教は、「成仏」をどのように説き、どのように実 践しているのであろうか。

作用をいとなむ「脳幹・背髄系」とがあるわけだが、以上がこれまで大脳生理学によっ

て知られている大脳における生のいとなみである。

わたくしは、このほかに、これまでほとんどその機能が知られていない間脳が、霊性 の部位であるとのべたのである。の部位を開発訓練することにより、ヒトはしだいに 高度の霊性を持つようになり、や霊的世界を認識把握することができるようにな

る。その局限の異なる霊的世界への飛翔であろう。

ひしよう

わたくしは、三十七道品

時に開発練磨してゆ

この間脳と、それに新皮質系の特殊な部位とを同 であると断定したのである。

古代、精神的にすぐれていたひとびとは、 間脳が極度に発達し、 間脳に通ずる霊的視 覚器官である「第三の目」を持っていたのである。いま、第三の目は退化し、ほとんど 閉鎖されてしまった。しかし、その痕跡は科学的に証明されつつある。 ごく稀れだが、 この眼を持つヒトもじっさいにいる。 間脳も退化してその果たす機能もわからなくなっ てしまったが、近来、大脳生理学も、なにか特殊なはたらきをするらしいとして、「ブ ラックボックス」とよび、追究をはじめているようである。それに先立ちわたくしは、 十数年も前からこの間脳に注目していたのである。

これからのあたらしい人類文化は、この間脳の開発からはじめられなければならぬ、 と、わたくしは「間脳思考』で主張した。 では、いまから二千数百年もむかしの古代に 説かれたシャカの教法である七科三十七道品→阿耨多羅三藐三菩提→涅槃→成仏 という古めかしい構図と、ハイテクノロジーの現代に生きるわれわれとの接点はいった

どこにあるのか?

わたくしはここで、どうしても「間脳思考』を見ていただかねばならぬと思うのであ

す」

はっすい

る。すこし長いが、抜粋しよう。著名なジャーナリストであり、プロデューサーである K氏と、わたくしとの対談の部分である。

ヒトは脳に「霊性」の部位を持つ

では、いよいよ本論に入りましょう。 アーサー・ケストラーはこう言っていま

K氏は『ホロン革命』のページをひらいた。

ホモ・サピエンスは進化論に適合しない病に冒された異常な生物種で、 人類の過去の記録をみても、また現代の脳科学からいっても、ホモ・サビ エンスが最後の爆発段階に達したある時点で何かに狂いが生じたことは、そし

もともと人間の体には(もっと具体的に言えば、神経回路には致命的な工学 上の欠陥が誤って組み込まれ、それがために人類の妄想傾向が歴史を通して脈 脈と流れていることは、否定すべくもない。これは恐ろしくも当然の仮定であ り、人間の条件を真摯に追求しようとすれば、これから目をそらすことはでき ない」

「ゆえに、『種』として人類は絶滅するのだ、とかれはいっております。 桐山先生 は、これにたいしてどうお考えですか?

人類はケストラーのいうように、脳に致命的な設計ミスを持った異常な生物種で あるとお考えになりますか?」

「いや、わたくしはそう思いません。設計はほとんど完全に近かったと思います」 すると、設計は完全に近かったが、設計通りに進行しなかったということです J

そうです。ですから、ケストラー自身もいっているように、もう一つのほうの推

『ホモ・サピエンスが最後の爆発的段階に達したある時点で何かに狂いが生じ

たことは』といっているのが正しいのです。設計ミスではなかった。設計はほとん 完全だったが、進化の途中で方向が狂ってしまったのです。わたくしは、すで に、それを「密教・超能力の秘密』で指摘しています」

「具体的にお示しください」

「人間は脳に霊性の部位を持っているのです。 これはそのように設計されているの です。だから、この部位がその設計の通りに活動していたら、人類は、 ケストラー のいうように「狂気」の症状をあらわさなかったでしょう。 したがって、いまのよ うな破滅に直面するようなことにはならなかったのです。 この部位が進化の途中で 閉鎖されてしまった。そのために、人類は、“超””人になってしまったのです」 「ふうむ、これはおどろくべき発想ですね」

「発想じゃないのです。事実なのです」

「その霊性の部位はどこですか?」

しょう

「大脳の最も中心である脳の視床下部です。 このいちばん奥に、その部位があ

ります。ただし、これがはたらくためには、そのすぐそばにある松果腺という内分 腺の特殊なはたらきが必要です」

「それは大脳生理学者の説ですか?」

というのです。

「いいえ、そうじゃありません。わたくしの修行体験による発見です。 インドのク ンダリニー・ヨーガ、チベット密教の修行などを参考に、わたくしが把握したもの です。脳生理学はまだそこまで到達しておりません。ただし、アメリカのホルモン 分泌学の権威・D・ラトクリフという学者は、その著書『人体の驚異』(小学館) の中で、おもしろいことを言っております。

『その機能がようやくわかりかけてきた松果腺は、脳の下側にくっついている 小さなので、人間が原始時代の祖先から受けついできた第三の目の残 跡と推定されている』

第三の目というのをご存じですか?」

ずうっと以前に、そういう題名の本を読んだことがあります。 なんとかいう英国

なるほど」

ます。この視床下部が第三の目と連撃して活動するとき、人間は霊性を顕現するのです。その究極において、「密教・超能力の秘密』でいっているように、カミ、 ホ トケにまで到達するのです。人間は、知性・理性の場である新皮質と、本能の座である辺縁系との中間にある『間脳』に、霊性の場を持っていたのです。これにより、 人間はバランスがとれるのです。ところが、この間脳にある霊性の場を、人間は失 ってしまった」

しかし、それを知っているひとたちがいた。その代表が、 シャカです。 シャカ は、「成仏法』という名で、この霊性の場を再開発するシステムを完成した。 古代 密教が、それを受けついだ」

「古代密教、とおっしゃるのはどういうわけですか?」

後世の密教は、大乗仏教の影響を受けて、 シャカがつたえたシステムを様式化し てしまったのです。まったくちがったものにしてしまった」

「しかし、仏像とか、仏画とかは、古代密教の表象をそのままつたえています。 密 教の仏像の多くが、第三の目を持っているのはこのためです」

「あの、眉間のところにある目ですね?」

「そうです。 その密教の代表ともいうべき仏像が、摩醯首羅です。 これは、梵語の Maheśvara (ヘーシュヴァラ)を音写したもので、これを「大自在天』と漢訳し、 宇宙の大主宰神とされております。眉間に第三の目があって、合計、三つの目を持 っています。われわれは、目が二つです。その二つの目の一つは、辺縁系の脳に通 ずる目であり、もう一つは新皮質の脳に通ずる目で、この二つが一対になって、現 世界(物質世界)を見るのです。このほかに、じつはもう一つの目があった。そ れは間脳の視床下部の脳に通ずる霊性の目で、霊的世界を見る目です。 これが、第 三の目とよばれるものなのです」

「で、その第三の目が、『残跡』となると同時に、先生のおっしゃる霊性の『場』 もはたらかなくなってしまったということですか?」

「そうですね。しかし、それは、霊性の『場』が閉ざされてはたらかなくなってし

まったから、第三の目もはたらかなくなって、たんなる「残痕』になってしまったのだともいえるでしょう。 要するに、密接な相関関係にあるものですから」

K氏はしばらく考えこんでいたが、

と首をかしげた。

「なぜ、人間は、その霊性の『場』を失ってしまったのですか? 退化、とは考え られませんねえ。人間の精神活動は原始時代から非常なスピードで進化し、進歩し ているわけですから、退化などとは考えられない」

その理由ですか?」

わたくしは言った。

「第三の目」はなぜ消えてしまったか?

「第三の目が閉じられてしまったのには、もちろん、大きな理由があります。 わた くのいう霊性の『場』は、 間脳の視床下部にありますが、 それは、要するに、物 質的な欲望や本能を制御し、時には否定して、より崇高なるものにあこがれる精神 領域です。そういうと、それは新皮質系の領域じゃないかといわれるかも知れませ ん。そうじゃないのです。

新皮質系の知性は、神を考え(分析し演繹して)仏を理解しようとするものです が、霊性は、神と一体になり、仏と同化しようとする題性です。 明らかに新皮質系 のものとはちがうのです。

新皮質が生む知性は、時実博士の表現によれば「より良く生きる」こと、「より 高く生きることを目ざします。 そのための創造行動をいとなみます。その結果、 どういうものが生み出されたかといいますと、精神的には哲学 (および倫理・道徳)、

物質的には科学と技術)です。 ことばを変えていうと、「より良く生きる』が科 学と技術を生み出し、より高く生きる』が哲学・倫理を生み出した。ところが、 哲学・倫理はいままったく行きづまって、人類がいまかかえる問題に、大声で警告 は発するけれども、なんの答も出すことができない。

一方、新皮質の『より良く生きる』という目標は、『より便利に』『より速く』 の追求になってしまった。 ごらんなさい。 現代社会は、新皮質文明であり、新皮質 の産物ですが、現代社会の目標は、『より便利に』『より速く」がモットーでしょう。 地球上のすべての企業が、それを目ざして狂気のごとく活動しています。 それが結 局は自分の首をしめることを新皮質は知りながら、止まることができない。 なぜな らば、それをおしとどめる間脳のはたらき、霊性の『場』を、はるか以前に、新皮 質自身が押さえこんでしまっていたのです」 大京

「そんなことがあり得るのですか?」

「こういう現象は、大脳においてつねにおこなわれるものです。 たとえば、動物が 高等になるにつれて新皮質が発達してくるために、旧皮質はしだいに大脳半球の

面へ押しやられ、古皮質は大脳半球内部へ押しこまれるようになります。 これは大 脳生理学の定説で、これとおなじ現象が、人間の大脳においておこなわれたので す。

新皮質は、それが人類の進歩と進化であり、平和と繁栄につながるのだというが 義名分のもとに、 間脳を押さえこんでしまったのです。 そういう理くつを考え出す のは、新皮質の得意ちゅうの得意ですから。

霊性とは物質的な欲望や本能を制御し、時には否定さえして、より崇高なるもの にあこがれる精神領域だと、さきにわたくしは申しましたが、そういうものは、新 皮質の生み出す物質文化にブレーキをかけるものです。考えようによっては、新皮 質の敵といっていい。だから、新皮質は全力をあげて、霊性の場を押しつぶしにか かった。人間のすべての欲望 (大脳辺縁系)がこれにくわわった。これが、人間の

『葉』というものでしょう。

だから、知性と称するものは、霊的なものを、いまでも、迷信といって敵視する でしょう。知性の持ちぬしだと自称するひとたちが、『霊』ということばを聞くと、たちまち歯をむき出して噛みついてくるのは、そのためです」

「は、はぁはぁ、なるほど、なるほど」

K氏は大声で笑ったが、

「それはつまり、新皮質脳が脳を押しつぶしてしまったのは、人類の歴史 で、いつごろのことでしょうか?」

知性(新皮質脳)と霊性(間脳)が一時に花ひらいた時代

わたくしは、逆にK氏に質問した。

「K先生は、さきほど、人間の精神活動は原始時代から非常なスピードをもって、 進化し、進歩してきたとおっしゃいましたが、はたしてそうでしょうか?」 「といいますと?」

「わたくしは、ずうっと古いある時代から、すこしも進歩していないのじゃないか

と思うのです。むしろ、退化しているのじゃないかと考えます」

「どういう意味ですか?」

「わたくしは、人類の精神文化は、いまから数千年前に、その進歩がおわってしま って、その後は、なんらあたらしいものを生み出すことなく、ただ先人のあとをな ぞっているのにすぎないのではないかと思うのです。高い精神文化は、すべて紀元 前に完成されてしまっている。ことに、霊性にもとづいた叡智の文化がそうです」 「ふうむ」

たとえば、人類の知的産物としての古典を考えてみるとき、ごくおおざっぱにい って、三つのグループに分けられるでしょう。 中国の古典、ギリシャの古典 イン ドの古典です。いま、手もとに参考とするものがありませんから、ごくおおざっぱ ないいかたですが、中国においては、西紀前五世紀に孔子が生まれて儒教を説き、 以後、ざっと、墨子、 荘子、 から、孟子、司馬遷にいたるまで、すべて紀元前のひ とたちです。

ギリシャでは、紀元前八世紀に、 ホメロスが、『イリアス』 『オデッセイア』を書き、前七世紀には、イソップが生まれ、前五世紀には数学のピタゴラス、哲学者のヘラクレイトス、悲劇作家のアイスキュロス、ソフォクレス、前四世紀ごろには、 有名なソクラテス、プラトン、 ついでアリストテレスが活動しています。このひと たちが、のちのヨーロッパ知的文化のもとをなしたことはご承知の通りです。 いま 西洋文明の知的産物は、これらのひとたちの芸術や思想を抜きにしては考えられ ず、さらには、後世から現代まで、はたしてこれら世紀前のひとたちを凌駕するだ あたらしい知性的産物を生み出しているといえるかどうか」

「インドではもっと古く、紀元前一〇〇〇年、すなわち、 前十世紀にすでに「リグ・ ヴェーダ』が成立しています。 前八世紀にはバラモン教が活動しはじめています。 前七世紀には『ウパニシャッド』が完成し、 前五五六年にはシャカが生まれていま

「西アジアでは、モーゼの出エジプトが紀元前十三世紀ですし、 前八世紀には、預イザヤが活動し、前七世紀にはゾロアスター教が成立、同時に預言者エレミア が活躍している。そして、中央アジアでキリストが生まれ、紀元元年をむかえるわ けです 。

K氏は無言のままうなずいた。

「じつに、百花乱ともいうべき華やかさでありませんか。人類の精神文明の頂点これは、見かたによれば、知性=新皮質と、霊性=間脳が一時に花ひらいた時代 とみてよいでしょう。 このあと、急速に新皮質は発達します。 新皮質はギリシャに おいて哲学を生み、これが科学へと進んでゆくのです。 そして遂には太陽のエネル ギーを手中にし、人間を月に送りこむまでになったのです。

しかし、そのように急速に爆発的に発達した新皮質は、第三の目を閉ざし、霊性 の場である視床下部をふさいでしまった。人類は、霊性の目を閉じ、霊性の場をふ さぐことにより、科学という名の物質的欲望をみたしてきたのです。 そのためにはう言っています。

「わたしは生化学戦争の恐怖について、何もふれなかった。人口爆発、公害に ついてもふれなかった。それらはたしかに脅威ではある。 しかしそうした問 題ゆえに、社会の意識はひとつの重大な事実から不当にそらされてきたといっ てよい。その事実とは? 一九四五年以降、人類は自らを絶滅させる悪魔の力 を身につけてきた。そして過去の事実から判断するかぎり、そう遠くない将 来、 ある危機のなかでその力を行使する可能性は大きい。そうなれば、宇宙船 地球号は死に絶えた乗組員を乗せて星間を漂流する幽霊船と化すにちがいな い』

要するに、世界の危機を核爆弾ひとつにしぼって論じているわけです。

これにたいし、わたくしも、わたくしなりの危機にたいするデータを持っていま す。決して、 ノストラダムスやその他のひとたちのシリ馬に乗ってさわいでいるわ けではない。 わたくしはわたくし独自の見地から、この世界の破滅崩壊を予感しているのです。 最初に申し上げたと思いますが、核爆弾とか、環境汚染とか、人口 増加、大地震、移動というように、ひとつひとつのデータではない、ヒト自身の 上に起こったホラーキー崩壊の現象から、 どういうアクシデントでかは別として、 とにかく、 間脳を失ったヒトから成り立つこの世界は崩壊するよりほかない、と予 「感しているのです」 (以下略)

以上で、成仏ということばのほんとうの意味が、ご理解いただけたことと思う。同時 に、釈尊の説かれた成仏法と現代社会、そしてそこに生きるわれわれとのふかいかかわ りもまた、ご理解いただけたことと思う。われわれの社会がいまやあらゆる面で行きづ まり、崩壊の危機に直面しつつあることは、アーサー・ケストラーの警告を待つまでも ないことである。この、お

毎日のように報じられるこどもの自殺出ひとつみても、この社会が異常化し崩壊し つつあることがうかがわれる。健康的に正しく成長しつつある社会では、こどもはつね に希望にみちている。 決して自殺などはしないのである。こどもたちは敏感にこの社会

如来が、三供養品の、生ける如来であったのだ。あの

的洗礼を浴びた。(『一九九九年カル
マと霊障からの脱出』平河出版社参照)
帰国して、最初の護摩を修したとき、わたくしは、修法壇の上で、それとおなじバイ
プレーションを感じたのである。その刹那、なんの脈絡もなく、ぱっと念頭に浮かんだ
のが、十年も前に捨て去り忘れ去っていたあの三供養品の経典であった。
「そうか
わたくしは、護摩を修しつつ、心の中で叫んでいた。
このほとけだ。この如来が、三供養品の、生ける如来であったのだ。あの三供養品の
釈尊のおことばは真実であり、いまここに出現した如来のみもとにおいて功徳を積むこ
とが、末法の世である現代唯一の成仏法であることをお示しになったのだ、そのために
この如来は出現されたのだ、一瞬のうちに、それがわかったのである。
ただたんに奇蹟をあらわすために如来は出現されたのではないのだ。末世成仏の本尊
として出現されたのだ。
キリスト教では、「キリストの復活という奇蹟があった。

この如来の出現は、決して単なる現形ではないのだ。これは「仏陀の復活」-いなのだ。
キリストの復活に比すべき現代の奇蹟である。仏界において、時間と空間を越えて仏陀
は生きつづけている。そしていま、仏教の危機、世界の危機に際して復活されたのであ
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