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例祭

28(土)、29(日)は、関東別院を発信道場として6月例祭が行われ、本部・各道場へ中継されます。

■サテライトライブビューイング会場
・土曜…「砂川南地区コミュニティセンター」「稚内みどりスポーツパーク」「富良野瑞穂コミュニティセンター」
・日曜…「北見サテライト」「遠軽サテライト」「網走オホーツク文化交流センター」
「紋別オホーツク交流センター」

■ライブ配信URL
★土曜例祭 6/28(土) 13:20
https://agon-live.com/rd913

★日曜例祭 6/29(日) 13:20
https://agon-live.com/rn913
※再配信:両日とも当日18時から72時間

日曜正午からは、北海道本部において、伊藤英隆少僧都を導師として、「凖胝尊護摩堂 神仏両界 解脱宝生祈願護摩法要」が行われます。
各道場・サテライト・ご自宅等で、ライブ配信でご参拝いただけます。
千日行でお世話をしている方がいれば、ぜひ視聴をお勧めください

■「凖胝尊護摩堂 神仏両界 解脱宝生祈願護摩法要」ライブ配信
★6/29(日) 11:53分頃中継開始(予定)
https://bit.ly/j250629

それでは、皆様のご参拝お待ちしております。合掌
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阿含宗 北海道本部
住所:札幌市厚別区厚別中央3−3
TEL:(011)892-9891
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四神足小説の第一章――

第一章:息の門を叩く者

夜が明ける前、東の山あいに霧が満ちる頃、若き修行者ユウガは、ひとり山中の庵に坐していた。冬の息は細く、冷たく、彼の鼻先で小さく白く曇る。その呼吸にさえ、彼は目を凝らしていた。

「仏陀は、息を見つめよと言った。だが……ただの呼吸ではないはずだ」

彼は経典を抱えて何年も旅を続け、ついにこの庵にたどり着いた。都市の喧騒を離れ、人と会わず、ただ坐し、ただ観る。それでもまだ、何かが掴めなかった。

――なぜ呼吸が道となるのか。

それは単なる健康法ではなく、瞑想の入り口でもなく、人間を“超える”何か――

彼はそれを求めていた。

 

ある夜、火を絶やさぬよう囲炉裏に薪をくべながら、ユウガはふと、夢の中で聞いた言葉を思い出す。

「欲せよ。道を渇望せよ。
渇きこそ、真実の門を叩く音となる」

声の主は見えなかった。ただ深い眼差しだけが、夢の中で彼を見ていた。

 

――欲神足。

仏典に記されたその名が、彼の内側で音を立てた。

“すぐれた瞑想を得たい”という、強い願い。それは執着ではない。むしろ、仏道への渇望こそが、修行の最初の燃料なのだ。

「……願おう。私もまた、見たいのだ。仏陀が見た、真実の世界を」

その瞬間、冷たい空気の中に、ほんのわずか温もりが生まれた。

彼の呼吸が変わる。ゆっくりと、深く、胸の奥まで息が届く。それは、これまでの“ただの呼吸”とは違った。

意志が、息に宿ったのだ。

外界の音が消えた。耳に届くのは、自身の息の音だけ。吸うたびに、彼の内側の暗闇に灯がともる。吐くたびに、そこに巣食っていた迷いや不安が、静かにほどけてゆく。

 

――師もなく、導きもなく。

けれど確かに、いま彼は“門”の前に立っていた。

それは肉眼では見えない。だが、心の深部において、ひとつの扉が存在するのを、彼は感じた。

ユウガは、もう一度息を吸った。

その呼吸の奥で、何かが応えた。

「汝、願いを持つ者よ。ならば進め。“神足”の道を」

 

こうして、修行者ユウガは、第一の歩みを始めた。

それは、ただ“坐る”ことではない。

それは、“覚醒への呼吸”を知る旅だった。

第二章:心を一点に集める

朝霧の彼方に、ひとすじの光が差し込んできた。

庵の入り口に射すその光が、ゆっくりと床を染めていく。ユウガはその中に坐していた。昨夜の瞑想の余韻が、まだ身体の内に残っていた。呼吸は静かで、心は澄んでいた。

だが、次の段階に進まねばならないことを、彼は自らに告げていた。

“心神足”――心を、完全に一点へと集める修行。

それは、内なる世界を一つに結ぶこと。

呼吸、意識、感覚、思念、記憶、時間――あらゆる「散りゆくもの」を一つに束ね、ただ一点に心を澄ませる。仏陀がそうしたように。

 

ユウガは静かに目を閉じた。

耳の奥に、風の音が小さく鳴っている。竹林の葉がかすかに揺れている音だ。それに気づいた時、彼の心はすでに“散って”いた。

――まただ。

何かに気づくたび、心がそれに反応してしまう。

呼吸に戻ろうとするが、その途中で過去の記憶がふいに顔を出す。かつて修行を共にした青年・レンの笑顔。彼との別れ。都市の片隅で見た、飢えた子供の姿。ふと浮かんだ母の声。

――どうして、こうも心は散るのか。

 

その夜、彼は囲炉裏の前に坐したまま、動けなくなっていた。薪の火が小さく燃え、庵の中に影をつくっていた。

「心が乱れるのは、心が弱いからではない。
心が生きている証拠だ。だが、それを観ることが“始まり”となる」

夢の中でまた、あの老僧の声が響いた。輪郭のないその存在は、まるでユウガ自身の深層が語っているようだった。

 

翌朝、ユウガは庵を出た。外はまだ薄暗く、霧の中に小道がぼんやりと続いている。

一歩、また一歩と足を運びながら、彼は試みた。

歩くことに、心を集める。
その一歩に、呼吸を重ねる。
足裏の感覚に、意識をすべて集める。

すると、時間が止まったように思えた。

道の上の水滴がきらめき、朝露がひとつ、葉先から落ちる音が耳に届く。

その瞬間――

心が、一点に溶けた。

過去も未来も、すべての思念が消えていた。ただ、いま、ここに在る感覚。呼吸と歩みと意識が、ぴたりと結ばれた。

ユウガは立ち止まった。

そして、微かに微笑んだ。

「この感覚だ……これが、“心を集める”ということなのか」

 

その夜、彼は再び坐した。

今度は、心は乱れなかった。風の音も、記憶も、すべてを感じつつ、それに巻き込まれず、ただ呼吸とともにある。

火が燃える音さえ、彼の意識の中に調和していた。

やがて、彼は息を止めるほどに深く、沈黙の中に入っていった。

ひとつの“心”が、世界とひとつになっていた。

第三章:智慧による観照

夜明け前、静寂が森を満たしていた。

ユウガは炉の火を落とし、すべての灯りを消して、暗闇の中に坐した。すでに呼吸は深く、心は乱れていなかった。だが、彼は知っていた。

――ここからが、本当の入口だと。

観神足。

それは、観ること。
だが、見るだけではない。智慧をもって見るということ。
自分自身の心、感情、記憶、煩悩、思念のすべてを、深く観察する。
それらが生まれ、形をとり、やがて消えていく――その一部始終を、透明な眼で見つめ続けること。

 

「いま、自分は何を思っているのか?」
「その思いは、どこから生まれたのか?」
「それは真実か? あるいはただの影か?」

彼は、ひとつひとつの思念に目を向けた。

 

突然、幼き日の光景が浮かぶ。

父に叱られ、声をあげて泣いていたあの日の自分。
そのとき植えられた“恐れ”という感情が、幾度も彼の選択を縛ってきたことに気づく。

またある瞬間、師と別れた日のことが甦る。

「お前は、真理を知りたいのではない。ただ、答えが欲しいだけだ」

――あの言葉を、ずっと否定してきた。

だが今、静かに見つめることで気づいた。
確かに自分は、真理を“所有”したかったのだ。
それが、最大の無明(ムーヤン)だった。

 

胸の奥が、ひとつ、ふっと軽くなる。

見えないものが、ほどけていく感覚。

煩悩は、退治するものではなかった。
ただ、ありのままに観ることで、溶けてゆくものだったのだ。

 

ユウガの目が、ゆっくりと開かれた。

庵の外、朝の気配が漂っていた。霧が薄くなり、鳥の声が遠くに聞こえる。

そのすべてが、ひとつの流れの中にあると、彼は知っていた。

過去も、恐れも、期待も――
今のこの瞬間に至るまで、すべてが因果の川を流れ、今ここに集まっている。

彼は、そっと呼吸する。

吸う息は、この世界のすべてを受け入れ、
吐く息は、自分の中のすべてを手放す。

そこに、隔たりはなかった。
世界と自己が、ただ透明に重なっていた。

「見るということは、分け隔てることではない。
真に観る者は、すべてを抱いて、何ひとつ拒まない」

心の奥で、あの老僧の声が、もう一度聞こえた気がした。

 

そして、彼は次の息を深く吸い、静かに吐いた。

その呼吸の中に、もう“争い”はなかった。

 

――次章へ続く:「最終章 四神足の完成」

 

最終章:四神足の完成

雲ひとつない深夜。山あいの空は、無数の星が集まりひとつの大河となっていた。
庵の灯はすでに消え、ユウガは炉の灰の上に薄い布を敷いて坐っていた。呼吸は限りなく静まり、胸の奥でただ遠い潮騒のように脈動している。

1 四つの火がひとつになるとき

欲(よく)――仏陀の境地を渇望する火。
勤(ごん)――その火を絶やさぬよう薪をくべる力。
心(しん)――炎を一点に集中させる炉。
観(かん)――火のゆらめきを余さず見つめる智慧の眼。
長い年月、四つの火はユウガの中で別々の灯となっていた。だが今、深く息を吸い、静かに吐くたび、その炎が重なり合い、一色の光へと溶け込んでいくのを感じる。
――欲は勤に支えられ、勤は心に導かれ、心は観によって透徹する。
四神足が環となり、相互に燃料を与えあう無限軌道を描く。その中心でユウガの意識は、燃え上がることも滅することもなく、ただ透明な輝きとなって立っていた。

2 沈黙の息

ユウガは最後の意図さえ手放す。
「悟ろう」という想いを離れ、「坐っている」と名づけることも離れ、「息をしている」という観念すら離れる。
呼吸は、吸う息と吐く息のあいだでほとんど止まった。止息(アパナサティ)の最深部――胸が動かぬその間隙に、無量の時間が広がる。
そこには「内・外」の区別も、「生・滅」の印もない。ただ、息そのものが宇宙であり、宇宙そのものが息であった。

3 境界の融解

遠くで梟が鳴いた。だが、その音は「外」から来るのではなかった。
星のまたたきも、風が竹林を撫でる音も、冷たい夜気も――すべてがユウガの心中で起こり、そして同時に心の外で起こっていた。
観の眼が最後の輪郭を滲ませ、世界は澄んだ水面のように一体となる。
「内なる恐れ」も「外なる闇」も、見れば見るほど隔てが失われ、やがて“怖れ”という言葉自体が像を保てず溶けた。

4 カルマの鎖がほどける音

沙門果経に記されたとおり、四神足が完成するとき、業(カルマ)の連鎖は断ち切られる――。
ユウガの胸奥で、長いあいだ重しのように沈んでいた罪悪感、後悔、渇望、執着――それらが細い糸となり、ぱちん、と音もなく切れた。
刹那、全身を通り抜ける涼風。
不思議なことに、身体そのものが羽根のように軽くなった。立ち上がるでも座るでもなく、意識はただ遍(あまね)く在った。

5 黎明

東の稜線が薄紅色に染まる。夜と昼の境目がほどけ、闇の中に溶けていた山々の輪郭がやわらかく浮かび上がる。
ユウガは静かに目を開いた。
瞳に映る世界は、何ひとつ変わっていない――霧の帯、木々の影、薪の残り香。
だが同時に、すべてが初めて見る光景であった。
呼吸はまた自然に流れ出し、胸いっぱいに冷えた夜気を吸い込む。
吐く息とともに、微かな笑みが唇に広がった。

6 道は息づいている

ユウガは立ち上がり、庵を出て、露に濡れた地面に裸足を下ろす。
足裏の冷たささえ、祝福のように感じられる。
――もう「悟った」と名づける必要はない。
四神足は今も動き続ける歯車となり、次の瞬間、次の歩みに燃料を送り続けるだろう。
渇望は慈悲となり、努力は自然な行いとなり、心の一点は遍く世界を抱き、観照は愛そのものへと開かれる。

「道は終わらない。ただ、生きとし生けるものの息づかいのなかを歩き続ける」

山鳩が翼を打ち、朝日がひときわ高く昇る。
ユウガは呼吸を合わせ、一歩目を踏み出した。
その歩みの向こうに、まだ名も知らぬ旅人たちの影が見えた気がする――
彼らもまた、四神足の火を胸に抱き、いつか自らの息で門を叩くだろう。

エピローグ

こうして、ひとりの修行者は四神足を完成し、己を束縛する鎖を解いた。
しかし物語は閉じない。彼の息が続く限り、法(ダルマ)の風は吹き、次なる大地へと種を運ぶ。
いつの日か、あなたの胸の奥でふと芽生える渇望の火――それこそが、新たな物語の幕開けとなるかもしれない。

――終 ――

 

 

 

四念住の旅 ― 静かなる目覚めの四章

四念住の旅 ― 静かなる目覚めの四章

第一章 息のひとつに宿る真実(身念住)

 深山の庵に、ひとりの修行者が坐していた。名はリョウ。
朝霧のなか、薪の煙がゆっくりと空に昇ってゆく。その静けさの中で、彼はただひとつのことに心を向けていた――呼吸である。

 「吸っている。……吐いている」

 ただそれだけの気づきを保ち続ける。心は何度も過去へ、未来へとさまようが、そのたびに戻ってくる。
呼吸に、身体に、この“今ここ”に。

 やがて、身体はただの“感覚の集まり”として感じられてくる。熱さ、重さ、痛み、かゆみ……それらは生まれては消える。どれひとつとして永遠ではない。

 「この身体も、いずれ朽ちるもの」

 彼は、風に散る葉を見ながら、静かにそう観じた。
「身体は不浄であり、無常である」――
その理解が、執着という名の鎖を、一本ずつほどいていくのだった。

第二章 揺れる心、たゆたう感覚(受念住)

 午後の陽が射し込む中、リョウは岩の上に坐し、ただ感覚に耳をすませていた。

 ふと、胸の奥に温かな喜びが湧き上がった。
「これは、楽受……」
言葉にせずとも、それを認識する。ただの“現れ”として見る。

 しかしすぐに、膝の痛みが彼の集中を乱す。苦しさが押し寄せる。

 「これは、苦受……」

 けれども彼は逃げない。ただ見つめる。やがて気づく――
それもまた、一瞬の波のように生まれては消えていく。

 「どんな感覚も、縁により起こり、やがて滅する」
彼の眼差しは静かだった。もはや、喜びに執着せず、痛みに抗わない。

 受け入れることの中に、自由があった。

第三章 心の波にただ在る(心念住)

 ある夜、リョウの心はざわついていた。
過去の失敗、未来への不安。心は荒れる海のようだった。

 彼は坐り、深く呼吸する。そして自分の心にそっと問いかけた。

 「今、この心は……怒っているのか? 不安なのか?」

 気づいた瞬間、心が一歩遠のいた。
彼は“怒っている自分”ではなく、“怒りを観ている者”だった。

 「心とは流れるもの。変わりゆくもの」

 欲が湧いても、それに気づけば心は支配されない。
彼はようやく、心そのものへの執着から一歩離れたのだった。

 そこには、静かな観照者がいた――何ものにも染まらぬ「今」の光があった。

第四章 すべては法に還る(法念住)

 最後の旅は、内なる真理を観ることだった。
リョウは、長い瞑想の末に気づく。自らの内に現れるものすべて――思考、感情、感覚――それらは**法(ダルマ)**の働きにすぎないのだと。

 怒りは、「怒り」という条件があって生じた。
欲も、迷いも、眠気も、すべて縁起によって現れ、条件がなくなれば消えていく。

 「これは五蓋のひとつ――煩悩の影だ」

 そう観じることで、心は煩悩に飲まれなくなる。
リョウの眼は澄んでいた。ものごとは、「自分のもの」ではなかった。
五蘊も、心も、世界さえも――ただ現れては、変化し、消えるだけ。

 彼は、大地に合掌した。
「すべての法は、無常・苦・無我である」
その実感が、智慧の光となって、胸に灯った。

終章 静けさの中の光

 四つの観照を終え、リョウはもう「誰か」ではなかった。
名も、過去も、欲も、波のように去っていった。

 彼の中に残ったもの――それは、ただ観る者
気づきの光とともに歩む、永遠に今を生きる旅人であった。

四念住法(四念処観)とは

四念住法(四念処観)とは

四念住法は、仏教における**「気づき(念)」を深めるための四つの内観法(ヴィパッサナー瞑想の基礎)**です。

「念住」とは、「念を住(とど)めて観る」という意味で、「ある対象にしっかりと注意・気づきを向け、真実の姿を観察する」ことを指します。

これにより、煩悩の根源である無明(真理を知らない状態)を破り、涅槃へと至る智慧を育てる修行法とされています。

🧘 四つの念住(四念処)

① 身念住(しんねんじゅう)― 身体を観る

「身体は不浄である」と観じて執着を離れる修行

対象:身体そのもの、呼吸、姿勢、動作、四大(地水火風)、死体観など

方法例:

呼吸観(安那般那念):「息を吸っている、吐いている」と気づく

歩行瞑想:「歩いている」ことに完全に気づく

身体は不浄・無常であり、老病死を免れないものだと観る

✅ 目的:身体への執着・肉体への錯覚を手放す

② 受念住(じゅねんじゅう)― 感受を観る

「感受はすべて無常である」と観じてとらわれを断つ修行

対象:楽・苦・捨(中性)の三種の感受(身体的・精神的感覚)

方法例:

楽しい感覚が起こったとき、「これは楽受である」と気づく

苦しい感覚の中にあっても、それが一時のものであると見抜く

感受が「縁起により起こり、また滅していく」ことを観察する

✅ 目的:感情・感覚への反応(貪り・怒り)から自由になる

③ 心念住(しんねんじゅう)― 心の状態を観る

「心は常に変化し、定まらないもの」と観じる修行

対象:心の性質(欲のある心、怒りのある心、散乱した心、集中した心 など)

方法例:

今の自分の心がどんな状態かをラベリング(例:「今、怒りの心がある」)

心の変化をただ観察する。制御・否定・評価はしない

「心とは縁に依って現れる無常な働き」であると観る

✅ 目的:心の働きへの同一化を手放し、心の本質に目覚める

④ 法念住(ほうねんじゅう)― 真理(ダルマ)を観る

「すべての現象は縁起により生じ、無常・無我である」と観じる修行

対象:五蓋(ごがい:修行を妨げる心の障り)や五蘊(ごうん:存在の構成要素)、四聖諦(苦・集・滅・道)など

方法例:

「これは煩悩(欲・怒り・妄想)によるものである」と観察する

五蘊(色・受・想・行・識)が無常であり、自己ではないことを見極める

苦の原因とそれを滅する道(四聖諦)を観じて智慧を得る

✅ 目的:あらゆる現象を法(ダルマ)の視点で理解し、智慧を確立する

🌱 四念住法の実践効果

迷いの根本である「我への執着」「欲望への反応」から解放される

正しい智慧が育まれ、八正道や七覚支などの実践へと進む基盤となる

瞑想の深化とともに、煩悩の雲が晴れ、涅槃の光が見え始める

📜 経典での出典

『大念住経(マハー・サティパッターナ・スッタ)』:長部経典26

『念処経(サティパッターナ・スッタ)』:中部経典10

ご希望があれば、それぞれの「念住」を物語化、小説化、詩化することもできます。
たとえば、

身念住編:「息のひとつに宿る真実」

受念住編:「揺れる心、たゆたう感覚」

心念住編:「心の波にただ在る」

法念住編:「すべては法に還る」

 

シャカの成仏法「七科三十七道品」


シャカの成仏法「七科三十七道品」

シャカの成仏法「七科三十七道品」

ニルヴァーナの智慧を獲得する修行法
「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法(ぼだいぶんぽう)」

神聖なる智慧を獲得するための七種類のシステムと、三十七種類のカリキュラム
ブッダの説かれた阿含の経典群の中には、ニルヴァーナを表現したと思われる経典、仏典を見出すことができるのです。
それどころか、ニルヴァーナの智慧を獲得する修行法までも、発見できるのです。
その修行法とは、「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法」と名づけられた修行法です。これは、七科目・三十七種類にわたる教科目であり、桐山管長は、これを「神聖なる智慧を獲得するための七種のシステムと、三十七種類のカリキュラム」と呼んでいます。世の人々は、大乗仏教だけしか知らないために、仏教にこういう経典のあることをほとんど知りません。
パーリ文「中阿含」第百三の kinti sutta につぎのように述べられています。
ここに比丘らよ、われによりて法は悟られ、汝らに説かれたり。すなわち四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道これなり。それゆえにすべての比丘らは相和し相欣び、争うことなくして、これを学ばざるべからず。
ブッダによってさとられた智慧の獲得の修行法、実践法が、ここに明らかにのべられています。
阿含経に説かれたこの七科目の修行法は、アビダルマ論師によって「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法」と名づけられました。さとりにいたる三十七の修行法という意味です。

四念住法(しねんじゅうほう)
旧訳では四念処(しねんじょ)といいます。四念処観ともいいます。さとりを得るための四種の内観・瞑想法です。身念住(しんねんじゅう)・受念住(じゅねんじゅう)・心念住(しんねんじゅう)・法念住(ほうねんじゅう)の四つです。

四正断法(ししょうだんほう)
旧訳では四正勤といいます。断断(だんだん)・律儀断(りつぎだん)・随護断(ずいごだん)・修断(しゅだん)の4つの修行。

四神足法(しじんそくほう)
四如意足とも訳す。
四つの自在力を得るための根拠となるもの。超自然的な神通力を得るための4種『欲神足(よくじんそく)・勤神足(ごんじんそく)・心神足(しんじんそく)・観神足(かんじんそく)』の修行法。

五根法(ごこんほう)
信根(しんこん)・精進根(しょうじんこん)・念根(ねんこん)・定根(じょうこん)・慧根(えこん)の五つ。根とは自由にはたらく能力をいう。仏法僧の三宝にたいする信と、精進・念・禅定(瞑想)・智慧が、ニルヴァーナに向かって高い能力を発揮する修行。

五力法(ごりきほう)
信力(しんりき)・精進力(しょうじんりき)・念力(ねんりき)・定力(じょうりき)・慧力(えりき)(または智力)。ニルヴァーナに至る高度な力を得る修行。

七覚支法(しちかくしほう)
択法覚支(ちゃくほうかくし)・精進覚支(しょうじんかくし)・喜覚支(きかくし)・軽安覚支(きょうあんかくし)・捨覚支(しゃかくし)・定覚支(じょうかくし)・念覚支(ねんかくし)の七つをいう。ニルヴァーナへみちびく七つの修行。

八正道法(はっしょうどうほう)(八聖道とも書く)
理想の境地に達するための八つの道『正見(しょうけん)・正思惟(しょうしゆい)・正語(しょうご)・正業(しょうごう)・正命(しょうみょう)・正精進(しょうじん)・正念(しょうねん)・正定(しょうじょう)』

以上が、「七科三十七道品」です。
四念住法・五根法、これは、瞑想です。
四正断法・五力法・七覚支法・八正道法は、実践と瞑想です。
四神足法は、特殊な tapas( 練行)です。神足とは、神通力(超人的能力)のことで、この四神足法は、超自然的な神通力を得るための四種の修行法です。

🌿 八正道物語 《目覚めの八つの道》章構成案

第一章:正見 ― 目をひらくとき

誤った見方に囚われていたトウマが、老僧との対話を通じて「苦・無常・無我」の法を見つめ直し、真実を見るまなざしを学ぶ。

第二章:正思惟 ― 心の鏡を磨く

他人への怒り、過去への執着、未来への貪り――。そのすべてがトウマの思考を曇らせていた。ある少女との出会いが、彼に「慈しみと智慧に基づく思惟」を教える。

第三章:正語 ― 言葉が世界を変える

嘘、皮肉、無意識の中傷……。自らの言葉に無自覚だったトウマが、村人たちの争いの中で「言葉が生む苦」と「言葉が生む癒し」に目覚めていく。

第四章:正業 ― 行いに仏を宿す

旅の途中、悪事に手を染めようとする青年を救う中で、トウマ自身もまた、自分の手のひとつひとつの行動に意味があると知る。「殺さぬこと」「盗まぬこと」「穢さぬこと」の真実。

第五章:正命 ― 静かな暮らし、澄んだ心

貧しさの中で誠実に働く老婆と出会い、「正しく生きる」とは何かを学ぶトウマ。自らの生計が他人に与える影響に気づき、「仕事の
第六章:正精進 ― 絶えぬ歩みの力

怠惰に陥りそうになるトウマに、かつての師が告げる。「努力とは、苦しみに耐えることではない。苦しみを生まぬ種をまくことだ」と。日々の小さな行動を変える力。

第七章:正念 ― 今ここに宿るもの

不安に心を奪われ、過去と未来に心をさまよわせるトウマ。だが、ただ「呼吸」を見つめ、ただ「今」に気づくことで、心が静まり、世界が広がっていく。

第八章:正定 ― 心、澄みわたる湖のように

旅の果て、深い瞑想の中で、トウマは真の静寂と出会う。すべての煩悩が溶けるような静けさ。そこにあったのは、揺るがぬ安らぎと、仏の智慧の光だった。

 

第一章:正見 ― 目をひらくとき

朝霧が山を包んでいた。
薄墨色の空の下、若き旅人トウマは、一歩一歩を確かめるように、山道を登っていた。

心は重く、足は迷いを引きずっている。
この旅の目的は明確ではなかった。ただ、胸の奥に澱のように沈んだ問い――「この世界は、何かがおかしい」――それだけが彼をここまで導いていた。

やがて、霧の奥に、古びた庵が見えた。茅葺の屋根からはうっすらと煙が立ち上り、炉の火のぬくもりを知らせている。

「入るがよい。待っておった」

戸を開けたのは、白髪の老僧だった。長い眉と澄んだ眼を持つその人は、どこか懐かしい香りを身にまとっていた。

「……どうして、私が来ることを」

「来る者は、必ず来る。ただ、その時が“見える”かどうかは、その者次第よ」

言葉の意味を測りかねながらも、トウマは庵の中に足を踏み入れた。囲炉裏の火が静かに揺れていた。

「おぬしの目は、濁っておるな」

「……見えています。だけど、はっきりしないんです。世界が、他人が、自分が、どうあるべきか……」

老僧は黙って、湯を沸かした。茶を二つ差し出しながら、ゆっくりと話しはじめる。

「“正見(しょうけん)”という言葉がある。物事を正しく“見る”という意味だ。だがそれは、単に目に映るものを見ることではない」

「では、何を見るんです?」

「“真理”をだ」

トウマは息を飲んだ。

「真理は、この世界の土台にある。だが、多くの者は“自分の見たいようにしか見ない”。欲に染まった目、怒りに曇った目、愚かさに覆われた目でな」

庵の外から、風が音を立てた。

「まず見るべきは、“苦”だ。この世は苦である、と見ること。それを否定するでも、嘆くでもなく、ただ事実として受けとめることが、“正見”のはじまりじゃ」

トウマは、ふと思い出した。
両親を亡くしたときのこと。理不尽な別れに怒り、神を呪い、世の中を拒んだ日々のこと。

「あれも……苦を見られなかったからですか」

老僧はうなずいた。

「次に見るのは“無常”――すべては変わるということ。そして“無我”――この身体も心も、“自分”と呼べるものではないと知ることだ」

「でも……私には、自分があります。考える自分、怒る自分、悲しむ自分……それも“無い”んですか?」

「そう見えるだけだ。流れる川を見て、“あれが川だ”と呼ぶが、その水は一瞬ごとに変わっている。それと同じさ」

老僧は囲炉裏の火を見つめた。

「目をひらくとは、すべてを否定することではない。執着を手放し、“あるがまま”に見ることだ。おぬしが抱えてきた迷いも苦しみも、“見えなかった”からこそ生まれた」

トウマは茶碗の中に映った自分の目を見た。
その中に、誰かを恨む光が、まだ残っていた。

「……私には、正しく見ることが、できるでしょうか」

「今、その問いを立てたことが“正見”への第一歩じゃ。焦るな。見るとは、気づくこと。そして、気づきとは、生き方そのものを変えていく力を持っておる」

外の霧が、少しずつ晴れてきていた。

トウマは茶を飲み干し、ゆっくりと深く息を吐いた。

その瞬間、自分が“何を見ていなかったのか”に、初めて気づいた。

第二章:正思惟 ― 心の鏡を磨く

谷間に春の光が差しこみ、山桜の花びらが風に舞っていた。
老僧の庵を後にしたトウマは、小さな集落へと降りてきた。そこで彼は、ひとりの少女と出会う。

「どうしたの、そんな顔をして」

声をかけてきたのは、まだ十歳にもならないであろう少女だった。
ぼろぼろの布をまといながらも、瞳だけは不思議なほど澄んでいた。

「……顔に何かついてるか?」

「ううん。でも、頭の中がとっても騒がしそうに見えたの」

思わずトウマは苦笑する。

「たしかに。正しく見ることができても、次は……心の中の思いが騒がしい」

少女は首をかしげた。「心の中の“思い”?」

トウマは、老僧の言葉を思い出していた。

――正思惟とは、正見によって照らされた心の中に、正しい思考を育てること。貪り、怒り、愚かさに染まった思いを断ち、慈しみ、やさしさ、そして智慧に満ちた思惟へと変えること――

 

そのとき、村のはずれから怒鳴り声が聞こえた。

「またお前か! この畑から芋を盗んだだろ!」

老人がひとり、棒を振りかざしながら走ってくる。
その視線の先にいたのは――少女だった。

「おい、お前……!」

トウマが驚く間もなく、少女は逃げるでもなく、ただ静かに立っていた。

「ごめんなさい。お腹が空いてたの。芋を二つ、もらっただけ……」

老人は顔を赤くして怒鳴ったが、しばらくして棒を下ろした。

「……まったく、腹立つガキだ……だがまあ、死なれたらもっと後味が悪い」

そう言って、踵を返して去っていった。

 

夕暮れ時、少女は土手に腰を下ろし、火のような夕日を見つめていた。トウマはその隣に座った。

「さっきは、怒らなかったのか」

「怒らないよ。だって、私が悪いもん。でも、あの人の心の中に、本当は“優しい思い”があるのも見えたから」

「……優しさ?」

「そう。怒る声の奥に、悲しみがあった。たぶん、昔に家族を失ったことがあるんだと思う。だから“失うこと”に敏感なの。だから芋一つで怖くなる」

トウマは言葉を失った。

この小さな少女は、貪る心も、怒る心も、ただ責めるのではなく、見つめていた。

「私ね、食べ物がほしいときでも、『盗んでいい』って思わないようにしてる。できるだけ、“誰かに迷惑をかけないやり方”を考えるの。……難しいけど、それが“大切なこと”な気がするから」

それは、正思惟の姿そのものだった。

貪りたいという衝動。
怒りたいという心の叫び。
愚かにも、自分を正当化したくなる思考。

それらをただ振り払うのではなく、「見つめて、向き合って、磨いていく」――それが、心の鏡を正しくすることだった。

 

夜になり、星が広がった。

少女は最後にこう言った。

「ねぇ、お兄さん。怒りの火が燃えそうになったら、“やさしい言葉”を心の中で唱えてみて。火は、水みたいな思いで消えるから」

トウマはその言葉を胸に刻んだ。

――正しい見方の次に必要なのは、正しい思い方。
人を責めず、自分を責めすぎず、それでいて逃げない思考。

静かに星を見上げながら、彼はそっと目を閉じた。

心の鏡は、少しずつ澄んできていた。

第三章:正語 ― 言葉が世界を変える

川のせせらぎが聞こえる山あいの村に、トウマは身を寄せていた。
村の人々は素朴で親切だったが、どこか言葉に棘があった。笑顔の下に、ひそやかな陰が漂っていた。

ある日、村の広場で事件が起こった。
一人の男が、皆の前で怒鳴っていた。

「また井戸を汚したのは、あのヨソ者だろう!」

村の隅に立っていた、無口な老婆が指さされた。耳が遠く、口数も少ないその人は、村人から“変わり者”と呼ばれていた。

「違います!」

若い娘が声を上げた。「婆様はそんなことする人じゃない!」

「証拠があるのか! 前にも薪を隠されたって文句言ってたぞ!」

人々の声が重なり、あっという間に“噂”が“確信”のように広がっていく。
トウマは、それをただ黙って見ていた。

 

夜、トウマは老婆のもとを訪れた。
彼女は一言だけ呟いた。

「人の言葉は、石より重い」

 

翌朝、村の子どもたちがふざけていた。

「ばあさん、井戸にヘビでも放したのか~!」

その場に居合わせたトウマは、静かに口を開いた。

「君たちは、言葉がどれほどの力を持っているか、知っているか?」

子どもたちは笑っていたが、トウマは語りつづけた。

「一つの言葉で、人は生きる力を失うこともある。一つの言葉で、希望を持てることもある。だから、“何を話すか”は、自分が“何を信じるか”と同じくらい大事なんだ」

 

その日の夕方、村の寄り合いが開かれた。
トウマは皆の前に立ち、老婆のそばで語り始めた。

「私は、この村に来て思いました。人は親切であっても、言葉が人を傷つけてしまうことがある。嘘や悪口、陰口や皮肉。それは“毒”のように、心に積もっていきます」

静まりかえる集会所で、トウマは続けた。

「正語(しょうご)――仏教では、正しい言葉を使うことを“正語”と呼びます。嘘をつかないこと。中傷を言わないこと。無意味なおしゃべりを慎むこと。争いを生まぬよう、優しく語ること」

「言葉は、ただ口から出る音ではない。それは、心の姿そのものです」

 

そのとき、一人の男が立ち上がった。
あの老婆を非難した男だった。

「……すまなかった。思い込みで、人を傷つけていた。言葉が、そんなに重いものだとは……」

老婆は静かに、男の手を握った。

「ありがとう。わたしは、ただ井戸の水を大切にしてほしかっただけなんだよ」

涙が、ひとつ、ぽとりと落ちた。

 

それから村では、言葉が少しずつ変わっていった。
冗談の中に、思いやりが混ざるようになり、挨拶には、静かな温もりが生まれた。

トウマは、また旅立ちのときを迎えていた。
村の人々に見送られながら、ふと思った。

「言葉は、世界を変える小さな種。正しく語ることは、正しく生きることと同じだ」

背中に吹く風が、あたたかかった。

第四章:正業 ― 行いに仏を宿す

道の脇に咲く小さな花に気づいたのは、久しぶりだった。

幾つもの村を旅してきたトウマは、今、小さな町の片隅に身を置いていた。
そこは鉱山の町。昼夜なく石を掘る男たちと、その家族が生きる場所。人々は忙しく、笑うことを忘れていた。

 

ある日、トウマは町外れの炭焼き小屋で働く青年・ユウジと出会う。
彼は黙々と木を割り、火を見守っていた。

「なぜ、こんな仕事を?」とトウマが問うと、ユウジは少しだけ笑った。

「……これは、父の仕事だったから。あの人は、炭焼きで町の人たちの冬を支えていた。でも、皆はそれを知らなかった。誰も“ありがたい”なんて言わなかったよ」

彼の目には、悔しさと誇りが共存していた。

「でも、父は言ってた。『良い行いは、誰かに見せるためじゃない。仏さまが見ているんだ』って」

 

数日後、町で騒動が起きた。

ある家の納屋が火事になり、近所の者たちは見て見ぬふりをしていた。
その中で、火の中に飛び込んだのは、ユウジだった。

彼は、納屋の奥にいた老犬を抱え、灰まみれで戻ってきた。

 

その夜、トウマは彼に尋ねた。

「なぜ、あんな危険を冒してまで?」

ユウジは、まっすぐに言った。

「そこに“命”がいたから。理由なんていらない。身体が勝手に動いたんだ」

その言葉に、トウマの胸が静かに震えた。

 

老僧の教えが甦る。

――**正業(しょうごう)**とは、正しい行い。
命を奪わず、盗まず、邪(よこしま)な欲に溺れず、清らかな行為を選ぶこと。

それは、誰かに褒められるためでも、見返りを得るためでもない。
ただ、「正しいから正しく生きる」。それだけだ。

 

翌日、町の人々がユウジに頭を下げていた。
「ありがとう」と言う者もいれば、「すまなかった」と言う者もいた。

ユウジは首を横に振った。

「いいんだ。ただ、見ていてくれたなら、それでいい」

 

その姿を見て、トウマは心の中で深く手を合わせた。

言葉より先に行動があり、思いより先に命を守る手がある。
そこにこそ、仏は宿る。

 

その夜、トウマは日記にこう記した。

> 正業とは、善なる手を差し伸べること。
> 沈黙の中で行われる優しさに、最も深い光が宿るのだ。

 

星は静かに、町を照らしていた。

 

第五章:正命 ― 静かな暮らし、澄んだ心

炭焼きの町を離れ、トウマは南へ向かった。
行き交う商人たちの間をすり抜け、農夫たちの笑い声が響く丘を越え、ようやくたどり着いたのは、川沿いの小さな村だった。

田畑と風、そして鳥の声しかない静かな土地。

そこで、トウマはひとりの老婆と出会う。名は、お紋。

村の人々は彼女を「ごはん婆」と呼んでいた。
理由は簡単だった。彼女は毎朝、村の人々に握り飯を配っていたのだ。どんな天気でも、どんな体調でも、欠かさずに。

 

「どうして、そんなことを?」とトウマが訊ねると、
お紋は笑って、答えた。

「わたしゃな、昔ずいぶんと悪さもしたよ。人から搾った金で、派手な暮らしをしてた。でもね、ある日ぽっかり全部なくなって、気づいたんだ」

「何に、ですか?」

「お金は残らなくても、“やさしさ”は人の腹に残るってことにさ」

彼女の手は皺だらけだったが、その手で握られた飯には、なぜか温かい力があった。

 

トウマは村に逗留し、彼女の手伝いをするようになった。

朝は畑へ出て、野菜を摘み、昼は川のほとりで洗い物。夜は、村の子どもたちに昔話を語って聞かせた。

飾りもなければ、贅沢もない。
けれど、不思議なほど心が澄んでいた。

 

ある晩、トウマは焚き火の前で、お紋にこう話した。

「今まで、何を“するべきか”ばかり考えてきました。でも、この村では、“どう生きるか”を感じられる気がします」

お紋は火を見つめたまま、ゆっくりうなずいた。

「**正命(しょうみょう)**ってのはな、ただ“正しい職業”を選ぶって意味じゃないんだよ。
“正しい心で生活すること”なんだよ。誰かを傷つけてまで得た金じゃ、心は濁る。
逆に、つましくても人を笑顔にする仕事なら、心は透きとおる」

トウマは深く、納得した。

 

翌朝、握り飯を配る手伝いをしながら、トウマはふと思った。

これは小さな仕事だ。けれど、食べた人の一日が、少しでも穏やかになるなら――
それは尊い“いのちの支え”そのものではないか、と。

 

別れの日。

お紋は、包みに入った塩むすびを手渡してくれた。

「これからどんな仕事をするにも、忘れちゃいけないよ。
“心が濁らない生き方”ってのは、魂のごはんなんだからさ」

 

トウマは深く礼をして、その道を歩き出した。

金でも名誉でもなく、“静かな誠”で生きること。
それが、正命の道だった。

第六章:正精進 ― 絶えぬ歩みの力

夏の終わり、山を越えて歩きつづけたトウマは、広野に囲まれた修道場に辿り着いた。
そこでは十数名の修行者たちが、朝から晩まで黙々と、田を耕し、草を抜き、経を唱え、坐を組んでいた。

その一つひとつの動きに、無駄はなかった。
いや――その姿には、「力強い静けさ」が宿っていた。

 

「どうして、そんなに黙って動けるのですか?」
トウマが問うと、一人の年若い修行僧が笑った。

「動きながら黙り、黙りながら進むことを“正精進(しょうしょうじん)”と呼ぶのです」

 

正精進――

それは、単なる“頑張ること”とは違った。

悪いことを起こさぬよう努め、
すでにある悪を断つよう努め、
善きことを生じさせるよう努め、
すでにある善を深めるよう努めること。

 

数日間、トウマもその修道場に身を置いた。
だが、思いはすぐに乱れた。

隣の者が自分より早く起きていると、焦りが芽生える。
動きの鈍い者に苛立ちが湧く。
自分の努力が報われていない気がして、ふと虚しさがこみ上げる。

そんなある日、師範がトウマに話しかけた。

「お前は“他と比べて”励んでいる。
だが、本当の精進とは、“昨日の自分を越えること”だ」

 

その言葉は、胸に深く突き刺さった。

他人と比べている限り、努力は競争に堕する。
成果を求めすぎれば、心はいつか折れてしまう。

 

その夜、トウマは暗い堂の中で、そっと自分に問うた。

「私は、本当に“やめたくないこと”を、続けているだろうか」

 

翌朝から、トウマは変わった。

遅くてもよい、丁寧に。
小さくてもよい、確実に。

手を抜かず、心を入れて――
一歩ずつ、自分の歩みで修行を重ねていった。

 

一週間が過ぎたころ、師範がぽつりと呟いた。

「水が岩を穿つのは、力ではない。“絶えぬ流れ”だ。
その歩みを止めぬ者こそ、仏の道に近づいていく」

 

トウマは合掌し、深く一礼した。

精進とは、休まぬ戦いではない。
正しく歩み続ける、心の習慣なのだ――。

 

その日の夕刻、トウマはまた旅へ出る。

背を押すものは、“焦り”ではなく、
静かに燃える“志”だった。

 

第七章:正念 ― 今ここに宿るもの

トウマは、都会の外れにある一軒の庵に滞在していた。
静かな木立に囲まれ、風の音と鳥の声だけが時を知らせるような場所だった。

そこで彼は、一人の女性と出会った。
名は、ミオ。街の介護士をしているという。毎日、認知症の老人や、寝たきりの人々と向き合っている。

 

「もう限界だって思うこと、あるの。
何をしても、感謝されないこともあるし、目を離した隙に怒鳴られることもある。
でもね、不思議と“投げ出そう”とは思わないんだ」

そう語るミオの手は、小さな傷でいっぱいだった。

 

ある日、トウマは彼女に問うた。

「それでも続けられる理由は、何ですか?」

ミオは少し考えてから、答えた。

「たぶん、“今ここにいる”ってことだけを、大事にしてるから」

 

彼女は、例えを語った。

老人の手を拭くとき、気を散らすと皮膚が破れてしまう。
薬を飲ませるとき、注意を逸らすと、誤嚥してしまう。

「だから、“今、この瞬間”に集中するしかないの。
そうすると、いろんなことが“静かに見えてくる”のよ」

 

トウマはその言葉に、老僧の教えを思い出していた。

――**正念(しょうねん)**とは、気づきの力。
今この瞬間を、はっきりと意識し、過去に流されず、未来に怯えず、心を“いま”に置くこと。

 

それは、目覚めたまま生きること。
心を定めることで、どんな行いも、仏の行いになる。

 

ある朝、ミオの働く介護施設に、トウマも一日だけ同行することになった。

最初は戸惑いの連続だった。
呼ばれてもいないのに返事をしてしまったり、老人の問いに慌てて答えたり。

だが、ミオの姿は違った。
彼女は一人ひとりの目を見て、ゆっくりと語り、決して焦らなかった。

 

「焦ると、相手の呼吸が乱れるの。
だからまず、自分が落ち着いていないと、相手の心には届かないのよ」

 

その日、トウマは学んだ。
気づきとは、“呼吸に宿る仏”だった。

 

夜、庵に戻ったトウマは、ろうそくを灯して静かに坐った。

灯火の揺れ。
風の音。
胸の鼓動。
すべてが、“いま”にあった。

意識が過去を追いかけると、心は曇る。
未来に縛られると、今が消える。
だが、この一息、この瞬間に宿るものを見つめたとき――
仏は、そこにいた。

 

トウマは、ただ静かに微笑んだ。

そして気づいた。
歩いてきたこの道すべてが、“正念”に導かれていたことを。

第八章:正定 ― 揺るぎなき静けさへ

秋の風が山の尾根を渡り、金色の葉がひらりひらりと舞い落ちる。
トウマは、かつて老僧と出会った庵へと戻ってきた。

あの頃よりも、歩く速度はゆっくりになっていた。
だが、その足取りには、もう迷いがなかった。

 

老僧は庭で落ち葉を掃いていた。
背は丸くなっていたが、その眼差しは、秋空よりも澄んでいた。

「戻ってきたのか、トウマよ。――もう、言葉はいらぬな」

 

その夜、庵の堂内で、トウマは老僧と向かい合って坐った。
蝋燭一本の明かり。闇の中に、ふたりの呼吸だけが静かに響いていた。

 

――正定(しょうじょう)。
それは、心をひとつの対象にとどめ、揺るがぬ集中を得ること。

だが、それはただの「集中力」ではない。
真理に満ちた対象に心を置き、そこに“定”を結ぶこと。

思考は止み、欲望は沈み、怒りは雲のように消え、
心は、何も求めず、ただ、在る。

 

トウマは、深く息を吐いた。
いままでの旅のすべてが、この呼吸に集まっていくようだった。

 

正見――ものごとの真実を見る目。
正思惟――心を清らかにする思考。
正語――やさしき言葉の力。
正業――行いに宿る仏のかたち。
正命――静かな暮らしの尊さ。
正精進――諦めず続ける力。
正念――今この瞬間に生きること。

――それらすべてが、正定に収束していた。

 

「仏とは、どこにおられるのですか?」

かつて問うたその言葉の答えが、今はもう分かっていた。

仏は、定まった心の内に宿る。

 

やがて老僧がそっと告げた。

「お前の中に、もう“仏を見る目”がある。
この静けさは、お前自身のものとなったのだ」

 

夜が明けていた。
山の向こうから、薄紅の光が射し込み、庵の縁側を照らしていた。

トウマは坐を解いた。だが、心は静けさを保ったままだった。

歩き出す彼の背に、老僧が静かに言った。

「お前の行く先に、また風は吹くだろう。
だが、吹き荒ぶ風の中でも、己の心は揺るがぬ――
それが“正定”という、仏の息吹だ」

 

トウマは振り返り、深く一礼した。
その瞳には、静寂と慈しみに満ちた、確かな光があった。

 

こうして彼は、八つの正しき道を歩み終えた。
だが、悟りの道は終わらない。
なぜなら――目覚めとは、永遠に今この瞬間に続いていくものだから。

 

風が、そっと、葉を揺らした。
その音は、仏の言葉のように、静かに響いていた。

〈完〉

 

 

 

 

 

 

月冥徳祭


6/16(月)13:30より、6月冥徳祭が本部・各道場へ中継されます。
遠軽サテライトでは、サテライト・ライブビューイングを行います

★ライブ配信アドレス
13:30中継開始 「6月冥徳祭」
https://agon-live.com/m613/
再配信:16日18時から19日18時まで

★★★「第2回 森洋之進中先達 基本教学勉強会」のお知らせ★★★

下記日程にて「第2回 森洋之進中先達 基本教学勉強会」が開催されます。
・6/21(土)13〜17時  会場:小樽道場
・6/22(日)13〜17時  会場:北海道本部

勉強会はどなたでも自由に参加可能です。
なお、6/22(日)の北海道本部での勉強会は、各地区、北見サテライト、遠軽サテライト、ソレイユ網走へ中継いたします。
(今回は道場・サテライト中継のみ)

どうぞ周りの方もお誘い合わせの上、ご参加ください。

それでは、ご参拝お待ちしております。合掌
———————————————–
阿含宗 北海道本部
住所:札幌市厚別区厚別中央3−3
TEL:(011)892-9891
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お護摩

今回は、阿含宗本山 橋本靖典 中教範に導師をお勤めいただきます。
護摩修法後は、橋本中教範によるご法話もございます。
滅多にない貴重な機会です。ぜひ周りの方もお誘い合わせの上ご参拝ください。

★午前6:50中継開始「6月朔日護摩」
https://agon-tuitachilive.com/
再配信:当日午前10時から72時間

★13:00中継開始「旭川道場 釈迦山愛染明王護摩法要」
https://bit.ly/a250601
再配信:当日午前10時から72時間

それでは皆様のご参拝、心よりお待ちしております。合掌
———————————————–
阿含宗 北海道本部
住所:札幌市厚別区厚別中

第六章「正精進」締めくくり

 

第六章「正精進」締めくくり

日々は変わらず流れているように見えて、確かに変わっていた。
トシの内面で、何かが根を張りはじめていた。

慌ただしい通勤電車の中、職場での何気ない会話、コンビニのレジで並ぶ時間――
それまで“ただ過ぎていくだけ”だった瞬間に、トシはふと心を向けることが増えた。

「この瞬間に、心を置いていられるかどうか」
そう意識することが、いつしかトシの日々の実践になっていた。

師匠の言葉が思い出される。

「正精進とは、外の行いだけではない。
心が、どこに向いているかを知ることだ。
そして、“今”という一瞬に命をかけられるようになることだよ」

ある夜、トシは帰宅後、机の上のメモ帳に一行だけ書いた。

「精進は、今を生きる力に変わる」

その言葉を書き終えたとき、不思議と心が澄んでいた。
静かに目を閉じると、自分の呼吸の音が、遠くから聞こえるように感じられた。

「……そうか。これが、“正念”の始まりなんだな」

第七章「正念」への導入

その夜、トシは眠る前に、ろうそくの火を灯した。
炎がわずかに揺れるたび、影が部屋の壁を静かに移ろっていく。

呼吸を深くしながら、その炎をじっと見つめる。

「今ここに、心を置く。何も追わず、何も拒まず。ただ、在る」

“正念”とは、まさにこの在り方なのだろう。

明日からは、そこへ足を踏み入れていく。
これまでの努力を土台に、「気づきの力」としての精進が、新たなかたちを取ろうとしていた。

「見ること」「聞くこと」「感じること」
そのすべてに、心がともにあるとき――
トシは、ほんとうの“目覚め”へと歩み始めるのだった。

このように、「正精進」を深めた末に、「正念」――すなわち「今この瞬間に心を据える」という次の段階へ自然にバトンを渡していけます。

次章「正念」では、たとえば:

トシが「気づき」の修行を実践する日常(食事・歩行・仕事中など)

心が離れるときと戻るときの“差”に気づく体験

師匠からの「気づきの問いかけ」や「観想」の指導

気づきによって見えてくる他者への慈しみや苦しみの理解

…といったテーマが扱えます。

このまま**第七章「正念」**の本文に入っていく形でも可能です。
ご希望があれば、冒頭から一緒に書き始めましょうか?