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科学におけるヒトの改造 遺伝工学による遺伝子変換術 Human remodeling in science. Gene conversion by genetic engineering.

 

  • 単行本: 515ページ
  • 出版社: 平河出版社; 改訂版 (1972/07)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4892030104
  • ISBN-13: 978-4892030109
  • 発売日: 1972/07
  • 梱包サイズ: 18.6 x 13.2 x 3.4 cm

 

密教・超能力の秘密

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科学におけるヒトの改造

               

遺伝工学による遺伝子変換術

 あなたは梨がお好きであろうか?

 もしもあなたが不幸にしてあのみずみずしい果物を好まなかったとしても、″廿世紀″と″長

十郎″という名で知られた二つの梨の名前ぐらいはご存知であろう。

 。突然変異”というと、しごくむずかしいもののように聞こえるけれども、実は、この二つの梨

が、それをごくかんたんに示してくれているのである。この二つの梨の代表。廿世紀”と”長十

郎″は、梨のなかの突然変異体なのである。

 。長十郎”は、一八九四年(明治二七年)ごろ神奈川県下の当麻長十郎という人の家の庭で偶然に

発見された。偶発実生”で、。廿世紀”も同じように一八九八年(明治三一年)千葉県の松戸覚之

という人によって紹介された、これも″偶発実生″の梨である。若いころに私の聞いた″伝説″

によると、廿世紀梨は園芸学校のゴミ捨て場に生えていたのを、その学校の小使いさんが発見し

たものだということである。

 これに対し、″菊水″とか、″幸水″″晩三吉″などは栽培発生である。

 梨の歴史を調べてみるとたいへん古い。日本書紀(七二〇)持続天皇七年(六九三)三月の記事

に栽培をすすめる文章が出ている。これが梨の文書に載った最古のもので、江戸時代後半になる

と一五〇種以上の品種が分化している。けれども、明治にいたって長十郎、廿世紀が突然出現す

るまで、梨はそれほど魅力的な果物ではなかった。突然変異とそれにつづく交配などの栽培技術

が、今日のようなおいしい果物に仕上げたのである。

 これと同じことを、人工的にヒトの上におこなって、かたくてまずかった野生のマメ梨を魅力

的な″廿世紀″に変えたように、あまり上等でないヒトを魅力あるステキなヒトに変えようとす

るこころみが、科学と技術によって進められっっある。

 もちろん、科学や技術が手をくださなくても、自然は、時どき、梨のなかに長十郎今廿世紀を

出現させたように、ヒトのなかにも優秀な突然変異体を生み出すことかあるが、自然に任せてお

いたのではせっかく出現した優秀な突然変異体も単にそれ一個だけで終ってしまってあとが続か

なかったり、また、出てくる突然変異体も必ずしも優秀なものとは限らず、むしろ劣悪なものの

ほうが多い。それになによりも時間がかかる。自然の流れのなかで突然変異の起こる割合判生

物学者のジュリアンーハクスレーや、パリ大学のオリヴィエ教授によると、数的には遺伝子一億

個でわずかに一個、時間的には、過去の歴史において二〇〇〇年に一回、よい突然変異が起こっ

たと計算されている。これは、ハクスレーがマラー教授の計算をもとにして、原始的な生命から

ウマが生ずるまでの確率を計算して出したものである。そんな悠長なことはしておられない。な

にしろシリに火がつこうというせっぱつまった時であるから、これを人工的にやってしまおうと

いうわけだ。

 ところで突然変異とはなにかというと、J坦伝子の活動、つまり遺伝物質の構成に起こるだし

ぬけの変化であり(ド・フリースyそうなると、J返伝はもはや祖先の正確な複製をせずにミス

プリットをしてしまう(ホールデーン)″その結果、親に全く似ない鬼ッ子が出現するわけであ

る。これが突然変異というものだ。そこで、自然のままの遺伝子のだしぬけの変化を待っていず

に、人工的に、ヒトの遺伝子をだしぬけに変化させてしまおうというねらいである。

 「遺伝工学Lと呼ばれるあたらしい科学の分野が多くの人びとの注目を集めはじめた。「遺伝子

外科」「遺伝子複写」「遺伝子挿入」「遺伝子削除」などという言葉が科学論文のなかにぞくぞく

あらわれはじめている。”アルジェニー″(遺伝子変換術)などという言葉がよく使われるように

なっている。

 

 ロックフェラー研究所のノーベル賞受賞者、エドワード・L・レッテータム博士は、「人間の

場合でさえ遺伝を望むままに変える操作が可能になるであろう」と言明し、さらに、「生物工学

の時代はわれわれの想像以上に早くやってくる。そしてそれは科学によってこれまで考えられた

予想のうちでも最も驚くべきものであるL

 とつけ加えている。

 また、アメリカの著名な科学記者であるローレンスーレッシングは、アルベルトこフスカー医学ジャーナリズム賞を得たエッセイ集のなかでこう述べている。(詐バ薫押壽猟)

 『ここ数年のうちに、私たちは、遺伝的性質を直接変更することにむかって、最初の画期的なス

テップをふみ出すことでありましょう。この新しい方法の最初の適用は、たぶん血友病とか、筋

萎縮病のような病気をもたらす遺伝的な欠損をなおす試みでありましょう。

 けれども同時に、科学者たちは、髪の毛や皮膚の色や、体格のように正常な遺伝形質や、脳の

機能や知的能力のようにはっきりとらえられないことにも介入しようと準備することでありまし

よう。ある権威筋は、これらの多くは五年以内に実験的な段階に入ると思っていますが、入によ

ってはもっと時間がかかると思っています。

 しかし、関係しているすべての科学者たちは、分子生物学として知られる生物学の革命が、人

間の生命にはかり知れない影響力をもって研究室からおどり出てゆこうとしていることを認めて

います』

 

 

 

DNA式人間印刷機

 

 現代は、情報過多というよりも、情報洪水の時代というのだそうである。

 情報伝達の手段は、ラジオ、テレビなどいくつかおるが、その主役はなんといっても出版物、

書籍である。わが国の書籍だけでも年間五億七千万冊というから月に四千八百万冊、一日に一六

○万冊というおびただしい数量の本が生。み出されているわけだ。

 こういうおびただしい書物は、いったいどのようにしてっくり出されるのかというと、もちろ

ん、いうまでもなく活字によって紙面に文字が写し出されて出てくるわけで、そのプリントされ

る文字の配列がそれぞれ違うことによって、本の内容もまたそれぞれ違うというわけである。

 つまり、ひと口に本といっても種々雑多で、哲学の本もあれば、芸術の本もあり、科学の本も

あれば捕物帖もある。どうしてそう違うのかというと、いまいったように、哲学書は哲学書の文

字の配列があり、捕物帖は捕物帖の文字の配列かおる。その配列の違いが書物の違いとなる。あ

たりまえのことだ。子どもだって知っていることだ。そんなあたりまえのことをなんでこうして

書いたのかというと、ヒトの誕生の仕組みもまたこの本の印刷にたいへんよく似ているので、そ

れをいいたかったからである。

 世界中にはいま、およそ三十七億人のヒドがいるという。この三十七億人のヒトがみなひとく

ちにヒトといわれているけれども、この三十七億人は全部それぞれに違っている。全く同じヒト

というものはない。その違いはどこからくるのかというと、体のなかの活字の配列がヒトによっ

てみな違うので、その違いがおのずからそれぞれの違いになってあらわれてくるのだというので

ある。

 ヒトはみな、その体のなかの細胞中に印刷機と活字を持っており、子どもは親から分離すると

き、その活字を分けてもらって出てくるのだが、そのとき、活字の配列が少しずつ違って印刷さ 渡される情報の量はきわめて莫大なものにちがいないということは考えてみるまでもないこと

で、というのはたった一個の細胞でさえも非常に複雑であり、自己複製するためにはもっとも精

巧で細心な注意書と設計書がなければならないからである。また、情報はその量が多いだけでな

く、文字通りに高度に”特異的”かつ。正確″でなければならぬものである。なぜならば、その

設計書のさしず通りにその生物が形成されてゆくわけだから、もしもかんじんの設計書に少しで

も狂いや間違いがあったら、たいへんなことになるからである。

 こうして考えてくるとすぐに、ひとつの疑問にぶっかる。それはいったい、細胞内のどこに子

孫へ代々つたえられてゆく情報あるいは設計書の青写真があるのかということである。親から子

どもへどのようにしてつたえられるのか? 情報はどのようにして新しい細胞の建設を指示する

のか? この問題は生物学のなかでもっとも興味をひくものである。

 むかしから、科学者や思想家はあらゆる種類の仮説を提出して、一個の受精卵細胞から非常に

複雑な、人間のような生物に生長する目ざましい一連の出来事の説明をつけようとしたものであ

る。たとえば、昔のある生物学者たちは、すべての人間の精子はごく小さい小人をもっている。

その小人は人間の小さな写しであると考えたものである。。

 この、生命の情報、生体をつくりあげる設計書が、すべて、このDNAというらせん階段状の

分子のなかにつめこまれていたのである。そうして、その情報を記した文字が、つまり、この四

つの塩基、A、T、G、Cだったのである。

 この四つの文字からなる情報の量がどれくらいのものかというと、もっとも簡単な生物である

ウイルスで五千、ヒトで五〇億という数になる。つまり、しっかりねじこまれたらせんのなかに

つめこまれた塩基対の数がそれだけあるのである。いうなれば、ヒトの場合、五〇億の活字によ

って情報が印刷されているというわけである。ある学者は、ひとつの細胞から得られた長さ約三

・五メートルのヒトのDNA一本は、一ページあたり五〇〇語からなる約六〇万ページの本にひ

としい情報を持っており、これは千冊の本を所蔵している図書館に匹敵するといっている。

 ところで、私はいまDNAを印刷機にたとえて説明しているわけだが、もしも、DNAが完全

な印刷機械であるならば、どうしてももうひとつの重要な機構がなければならない。それはらせ

んは印刷機、四つの塩基は活字として、この活字を印刷機にかけるために活字の選択配列をする

機構である。DNA式印刷機は、その機構をちゃんと持っており、それがもうひとつの分子、

。メッセンジャーRNA”である。これは、その名の通り、遺伝分子の情報を配達するところか

ら名づけられたものである。

 私はいま、これらの分子のはたらきを、印刷機にたとえたが、実際に、アメリカのマッシュー

・メセルッッとF・W・スタールは、一九五八年に、大腸菌を使ったみごとな実験で、

「それはまさに印刷機の正確さで細胞から細胞へ自己複生してゆく。ナばらしい方法である」

 と報告しているのである。

 また、ノーベル化学賞受賞者のJ・C・ケンドルーは、その著「生命の糸」(みナず書房刊)の

なかで、〃変具と遺伝″についてこう述べている。

 『遺伝情報はDNAまたはRNA鎖のなかに、塩基の符号化された配列のかたちでたくわえられ

ている。-t遺伝情報を、DNA上の塩基の特定の配列であると考えるならば、それは、(A・

T・C・Gという四つの)暗号(文字)で書かれた文章に比較することができます。そしてある

変異は活字の列の誤 植のようなものです。新聞記事から抜き出した起こりやすい種類のミス

ープリントのいくっかの例をあげてみましょう』(カッコ内は著者)

 といって、変異の四つの種類をあげている。この四つの種類を便宜上、日本語でつくってみる

 

 

  その日は大雨でかった。

         (あ)

 この種のあやまりを置き換えと呼ぶ。間違った文字が正しいのと入れかわっているからであ

る。

  その日は大雨でった。

 この例では一文字ぬけているので、それを欠損とよぶ。

  その日は大雨でしあった。

 ここでは余分の文字が入っているので、これは挿入である。『

  その日は大雨あでった。

1.44

 ここでは活字が入れかわっているので、それを反転と称する。

  日のそ大で雨たつはあ。

 これはメチャクチャに入りみだれて、ちんぷんかんぷんである。これは単にナンセンスと呼

ぶ。

 と説明して、

 『実際、この種のミスープリントのどれもが生物の遺伝物質中で起こることが知られています。

さきにわたくしがそれらのミス・プリントにつけた名前は、対応する変異を表わすのに遺伝学者

によって使われている名前なのです』

 と解説している。

 たいへん長い説明になったが、要するに、ヒトに突然変異をおこさせたかったら、このDNA

中のA・T・G・Cの遺伝記号を置き換えたらよいのである。活字の配列さえ置き換えたら、く

だらないエロ小説が、高遠な哲学書にだって変わるのである。ただし、その逆も起こりかねない

から、当然、この作業につよい警告を発する科学者は非常に多い。

 では、どうやって変異を起こさせるかというと、まず、放射線である。

 放射線が遺伝子に変異を起こさせることは、今日では常識になっている。つぎに、変異は化学

薬品によって起こすことができる。たとえば、かんたんな物質である亜硝酸はいくっかの塩基に

さまざまな影響をおよぼす。ひとつの例は、シトシン(C)を、RNA中の新しい塩基ウラシル(U)に変え、遺伝学者が″置き換え”と呼ぶ種類の変異を起こす。また、アクリジンという薬

品は、塩基の列のなかに余分の塩基を入れて。挿入”を起こしたり、また、塩基をとり除いて

″欠損″を生じたりずる。

 このほか、特殊な酵素や、ウイルスを使う方法が開発されている。とくに、一九五八年のノー

ベル賞受賞者ジョシュアーレーダーバーグが、あるウイルスが形質変換とよばれる現象を、実験

に使った細菌に起こしたことを発見して以来、多くの研究が、特殊なウイルスの発見に集中され

ているようである。ローレンスーレッシングによると、今や、「少なくともひとつの研究所が、

人間に同様の実験をこころみるのにつごうのよい一種のウイルスをすいせんしている」というこ

とである。

 そうして、彼はひきつづいてこう述べる。

『実験、多くの研究室がかような第一線の研究を行なっています。遺伝子をうっす過程は能率的

に、しかも特異的になされっつあります。細胞中にみられる謎めいた小さな遺伝粒子のエピソー

ムを用いた変転のさまざまが発展されています。同時に、染色体の遺伝構造の地図をつくる技術

は、芸術といえるほど進歩しています。染色体の分析が出生前のあたりまえの検査となり、DN

Aの異常は、出生前に訂正されてしまうという日を考えることは、けっして夢物語ではありませ

ん。すでに、かような分析は、診断の目的のための特別の医学の一部になっています。ニューヨ

ークのコロンビア長老教会中央医学研究所の科学者は、アブユ社と協同して、てはじめの問題を

コッビューターにおぼえさせ、人間の染色体のすみやかな分析を行なっています。‐コンピュータ

ーは、実際上、人間の遺伝や遺伝工学という尨大で複雑なことを経済的にあっかうのに、決定的

な手段となることでありましょう』

 といってから、最後にこういう警告を忘れない。

 『DNAの遺伝情報解読の現在の初期段階の最初の成果となるかもしれない人間の遺伝的特徴

を、少しでも変える見こみというものは、いうまでもないことですが、倫理上、法律上、社会上

の大きな問題をまきおこすものでしょう。遺伝的なまちがいを訂正(して病気を直す)ナる技術

は、同時に、他の変化をおこすのにも用いられるかも知れませんから。遺伝についての現在の知

識では、さような影響のあるものは予測もできず、時として、致命的、いや、とんでもない怪物

を生じさせるようなものかもしれません』

 

恐怖の突然変異体

 

 S・F(空想科学小説)の用語に、ミュータントということばがある。突然変異体という意味

で、そのほとんどは異常人間である。異常とは、通常の人間には見られない異様な形態や、能力

を持っているのである。超能力者の場合もあるし、とんでもない怪物である場合もある。

 そういう異常な生物を主人公にした空想科学映画もいくっか作られているから、あなたもご存知のことであろう。そういうミュータンドはどうして生まれるかというと、前の項で述べたよう

に、DNAのなかの遺伝情報の配列の順序が狂ったためである。要するに、正常な人間として文

字がならべられるべきはずのところを、異常な配列におかれてしまったというわけだ。

 われわれは、今まで、そんな怪  物は小説か映画の世界にしかないものだと確信して、頬

づえをついてニヤニヤ笑いながらテレビをながめていたのであるが、今や、実験室ではそういう

変異体がぞくぞくと生まれっっあるのである。まだ、いまのところ、人間のミュータットは出現

しておらぬようであるからヤレヤレというところだが、しかし、いつなんどきそういう怪物が、

実験飼育している科学者をたたき殺して(映画では必ずそうなりますな)われわれの目の前にす

がたをあらわすか知れたものではない。

 だから、というわけではないが、この遺伝工学の技術をすばらしい科学の発展だとはみとめて

も、それに対してつよい警戒と危惧の念を持つ科学者は非常に多い。

 ベントリー・グラス教授は法学博士であると同時に、人類遺伝学を研究している学者である

が、彼は、このような生物工学は可能であろうが、それが望ましいとか賢明なことだなどという

気には絶対になれないと明言している。そうして、さらに、「ここ二、三年のうちに、われわれは

このような。生殖に関する人間工学″をみとめるかどうかを決定しなければならぬだろう」とい

っている。

 さきにあげたレーダーバーグ教授は、このように考えている。まず第一歩として、人間の細胞

核(DNA)を動物、おそらくサルに移植して雑種をつくる。第二段階は、人間の器官や四肢を

動物に組みこむことである。このような動物実験は、「人間を材料にした実験がやりにくい」た

めに、「生物学が許すかぎり、一歩一歩すすめられていく」にちがいないが、教授はこんな実験

に賛成でないことを明言し、それらの実験が、「人類遺伝学における大きなギャップはもちろん

のこと、人間の価値の適切な理解」すらなしに試みられはしないかと真剣に必配している。

 実際I、私は思うのだが、科学はなんという恐ろしいことを考えるのであろうか? 考えて

ごらんなさい。人間の細胞核を動物、おそらくはサルに移植して雑種をつくる、といともカンタ

ンにいってのけているが、もしも、私なり、あなたなりのDNAがサルに移植されて、ひとつの

生物がここに生まれる。サルとあなたとの雑種がそこに生きている。それはどこまでがあなた

で、どこまでがサルなのか? あるいは、かたちはサルだが、精神はすべてあなたなのかも知れ

ないし、また、その反対に、かたちはあなたそっくり、あなた自身で、こころはサルであるかも

知れず、あるいはまた、かたちも心も、半分ずつサルとあなたなのかも知れないのだ! そうい

う生物が、この世のなかにあなたと共存することに、あなたは堪えられるか? 悪夢のような世

界ではないか?

 つぎに、こういう問題が出てくるだろう。遺伝子変換手術で、すぐれたヒトが出た場合はよい

として、もし、非常に劣悪、劣弱なヒトが生まれたとき、そういうパラ人間(擬似人間)の法律上

の権利義務はどうなるのか? もしその生物が凶暴の場合は別として、ただ単に能力が非常に劣つているとか、かたちが異常(たとえば頭が二つあるとか、目が四つ、あるいは手足が五本ある

などという)場合、そういう生物を殺してしまってもよいのか? あるいはどこまでも人間とし

て人権をみとめなければならないのか? そういう場合の法律的保護はどのようになされるの

か? また、外見は異常で不気味であり、とうてい普通人と共同生活はできない生物だが、知

能、感情、その他精神活動の面では通常の人間と同様か、またはそれ以上の場合、どういう待遇

をするのか? かたちが醜悪だからといって人間と全くおなじ心を持っているものを殺しても殺

人罪にはならぬのか? あまりにも醜悪で人間とはみとめられぬという場合、その醜悪の度合を

どこにおくか?

 またI-、

 私は、さきに、この手術ですぐれたヒトが出た場合はよいとして、といったが、その場合で

も、大きな問題が出てくるだろう。というのは、この手術ですぐれたミュータントとして超能力

者が生まれるのは、通常人の出生数にくらべて非常に少ないものと思われる。おそらくは、百万

人に一人ほどにもあたるまい。その場合、通常人と超能カミュークントとのギャップがどういう

展開をみせるかということである。今まであるミュータントS・Fのテーマは、通常人とミュー

タントとの敵対関係である。ミュータントは、かず少ない自分たちのグループを結集してその能

力で通常人たちの社会を征服支配しようと考えるし、通常人たちはそれをきらって、ミュータッ

トたちをとらえて殺してしまおうとする。それは当然の成り行きだろう。非常にすぐれた能力を

持つミュータントたちは、レベルのずっと低い通常人だちと同等の待遇で社会生活をいとなむこ

とをなっとくしないだろう。また、もしなっとくしたとしたら、わざわざ超能カミュータントと

して誕生させられた甲斐はないわけで、彼は一種のエリートとして特別待遇され、指導階級、支

配階級に属するグループに、生まれながら所属させられることになるだろう。これは民主主義社

会の崩壊である。また、そうなれば、そういう特権階級に入ることをねらって、非常に多数の手

術希望者が殺到することになるのではないか? その希望者たちの選択をどうするか。考えてみ

るがよい。自分の息子を一流校に入れるための親たちの競争意識、それと比較にならぬせまい門

をめぐってどういうさわぎが展開するか? その選に洩れた者たちの、超能カミュータントに対

する反感はどんなものか? 人は、自然に生まれた天才には尊敬の念を持つが、人工的につくり

出されたミュータント天才には、自分にもそうなるチャンスがあったにもかかわらず、あいつに

そのチャンスをうばわれたんだという反感が集中するのではないか? これは、たんに、入学試

験の競争に負けたというような単純なものではなく、複雑に屈折したものになろう。富の分配の

不公平に対する共産主義どころではないあらたな階級闘争が起きるだろう。

 こういうわけで、私は、この手術は、成功、失敗、いずれにせよ、社会に一大パニックをひき

起こして、収拾のつかない混乱をまきおこすだろうと考えるのだが、あなたはどう考えるか?

 この、遺伝子変換術による人間改造よりも、まだ、サイボーグによる人間改造のほうが、いく

らか社会的には受け入れられやすいのではないかと私は思う。

150

151一一科学におけるヒトの改造

 

Human remodeling in science
S
Genetic conversion by genetic engineering
Do you like pears?
Even if you are unhappy and don’t like the fresh fruit, the “Long Century” and “Head”
You know about the names of the two pears known as “Juro”.
. “Mutation” sounds like something very difficult, but in fact, these two pears
However, it shows it very easily. Representative of these two pears. “Ninth Century” and “Choju
Buro “is a mutant in pear.
. Chojuro “happened by chance in the garden of Toma Chojuro’s house in Kanagawa Prefecture around 1894 (Meiji 27)
It’s been found. “Accidental Seedling”, “Sakai Century” is the same as Kaku Matsudo in Chiba Prefecture in 1898 (Meiji 31)
This is also a pear of “accidental seedling” introduced by the person named. “Legend” I heard when I was young
According to the founder, the school ambassador discovered that the century pear was growing in a garbage dump at a gardening school.
It is a thing.
On the other hand, “Kikusui”, “Kosui”, “Bunkayoshi” etc. are cultivated.
Investigating the history of pear is very old. Nihon Shoki (720) March of the Emperor Seven Years (693) March article
There is a sentence that recommends cultivation. This is the oldest one on the pear document, which will be in the second half of the Edo period
And more than 150,000 varieties are differentiated. However, Chojuro, Miki century suddenly appears in Meiji
Until then, pears were not that attractive fruit. Cultivation techniques such as mutation and subsequent mating
However, it was finished to the delicious fruit like today.
¡The same thing is done artificially on humans, and charming wild and hard wild pears
To change a lesser human into an attractive and beautiful person, as in a typical “廿 century”
This will be promoted by science and technology.
Of course, even if science and technology don’t help, nature sometimes goes to the pear, Chojuro tonight
As it has emerged, some humans may produce excellent mutants, but leave it to nature.
If it was, the excellent mutant that appeared with much effort would end with just that one and the rest would continue
And the mutants that come out are not always excellent, but rather poor
There are more. It takes more time than anything else. Proportional grading where mutations occur in the course of nature
According to physicist Julian-Huxley and Professor Olivier of the University of Paris,
A good mutation occurs once every two hundred thousand years in the past history, only one in time
Is calculated. This is because Huxley is based on primitive calculations,
It is calculated by calculating the probability until a horse occurs. I haven’t done that kind of thing. Na
Anyway, this is when the fire gets stuck in Siri, so let ’s do this artificially
That’s why.

By the way, what is a mutation? It occurs in the activity of Jtan Denko, that is, the composition of genetic material.
It is a change of the Nuke (De Fries y, so J Return is no longer an exact duplication of ancestors and mistakes
“As a result, Holden” ”will result in the appearance of a devil girl who is not very similar to the parent.
The This is called mutation. So, don’t wait for the changes in the natural genes
In addition, the aim is to artificially change human genes.
“A new field of science called genetic engineering L has begun to attract the attention of many people.
The words “Surgery”, “Gene duplication”, “Gene insertion”, “Gene deletion” etc. appear in scientific papers
It is beginning to appear. “Algeny” (genetic conversion) is often used
It has become.

Dr. Edward L. Retatum, Nobel Laureate at Rockefeller Institute,
Even in some cases, it will be possible to change the inheritance as desired. ”
The era comes sooner than we can imagine. And it was ever thought by science
L is the most amazing of expectations
And added.
In addition, Laurence Sulessing, a famous American science reporter, stated in an essay collection that received the Alberto Kosker Medical Journalism Award. (Scam Barge)
“In the last few years we have moved on to the first groundbreaking move towards direct changes in genetics.
Let ’s take out the tep. The first application of this new method is probably hemophilia or muscle
It will be an attempt to fix a genetic deficiency that causes diseases such as atrophy.
But at the same time, scientists are able to see normal genetic traits such as hair and skin color, physique, and brain
It is to prepare to intervene in things that are not clearly understood, such as function and intellectual ability.
Like. One authority believes that many of these will enter the experimental phase within five years.
I think it will take more time.
However, all the scientists involved had a human revolution known as molecular biology
Admitting that he was trying to get out of the lab with an incredible influence on life
is”

DNA human printing machine

It seems that today is more of an information flood than information overload.
There are several means of information transmission, such as radio and television, but the main role is a publication,
It is a book. Japan’s books alone are 570 million books a year, so 48 million books a month, 16 books a day
○ A huge number of books are live. It ’s out.
Of course, how many books like this are displayed
Needless to say, the characters appear on paper as they are printed, and they are printed.
The contents of the book are also different due to the different arrangement of letters.
In other words, even if it is a book, it is various, there are books of philosophy, books of art, books of science
There is also a catch trap. The reason why it is so different is that philosophy books are sentences of philosophy books.
There is an array of characters, and the catch trap is an array of characters of the catch trap. The difference in arrangement is the difference in books. Ah
It’s about time. You know that you are a child. Why are you doing this naturally?
As for writing, the mechanism of human birth is also very similar to the printing of this book.
Because I wanted to say this.
There are now about 3.7 billion people around the world. These 37 billion people are all
Although these people are said to be humans, all these 3.7 billion people are different. Exactly the same human
There is no such thing. Where does that difference come from? The type sequence in the body depends on humans.
Because they are different, the difference will naturally appear as a difference.
is there.
All humans have a printing press and type in the cells of their bodies, and children are separated from their parents.
However, it is not necessary to think that the amount of information to be printed must be very large at that time.
Because even a single cell is so complex that it is most sophisticated for self-replication.
This is because there must be a clever and careful note and design document. Also, the amount of information is not only large
Literally, it is highly “specific”. It must be “accurate” because its
Because the creatures are formed according to the design document, there is little need to add it to the design document.
If there are any mistakes or mistakes, it will be very difficult.
As soon as I think this way, I run into a question. Where is the child in the cell
Is there a blueprint of information or design documents passed down from generation to generation? Parent to child
How can you give it to everyone? Information tells you how to build new cells
Is it? This issue is the most interesting in biology.
From time to time, scientists and thinkers have submitted all kinds of hypotheses, and from one fertilized egg cell,
It tries to give an explanation of a remarkable series of events that grow into complex, human-like creatures.
The For example, some old biologists have a very small dwarf for every human sperm.
The dwarf was thought to be a small copy of a human being. .
This life information and the design document that creates the living body are all in a spiral staircase called DNA.
It was trapped in the molecule. Then, the characters that describe the information are
It was one base, A, T, G, C.
”The amount of information consisting of these four characters is the simplest creature.
The number is 5,000 for viruses and 500 billion for humans. In other words, in a spiral that is tightly screwed
There are so many base pairs packed. In other words, in the case of humans,
The information is printed. Some scholars say about three lengths from a single cell.
・ Each human DNA of 5 meters is equivalent to about 600,000 pages with 500 words per page.
It has a lot of information, which is comparable to a library that holds a thousand books.
By the way, I’m now explaining DNA as if it were a printing machine.
If it is a good printing machine, there must be another important mechanism. Let it
Is a printing machine, and the four bases are typed, and the type selection is arranged in order to apply this type to the printing machine.
Mechanism. The DNA printer has its mechanism properly, and that is another molecule,
. “Messenger RNA”. As the name suggests, this is where genetic information is delivered.
Are named.
I have now compared the function of these molecules to a printing press.
・ Meselutto FW Stahl was a wonderful experiment using Escherichia coli in 1958.
“That is exactly the self-reproduction from cell to cell with the accuracy of the printing press.
It is reported.
Also, Nobel Prize in Chemistry, JC Kendoru, is the author of the book “Thread of Life” (published by Minazu Shobo).
Among them, it says as follows about 〃 metamorphosis and heredity.
“The genetic information is stored in the DNA or RNA strand in the form of a base-encoded sequence.
ing. -T If we consider the genetic information to be a specific sequence of bases on DNA, it is (A ·
It can be compared with texts written in four (cryptographs (letters): T, C, and G). And there is
Mutations are like typographical errors in type strings. Common types of mistakes extracted from newspaper articles
-Let ’s give some examples of prints ”(authors in parentheses)
However, there are four types of mutations. Let’s make these four types in Japanese for convenience.

It was heavy rain that day.
(Ah)
This kind of mist is called replacement. Because the wrong character is replaced with the correct one.
The
It was heavy rain that day.
In this example, one character is missing, so it is called a deficit.
It was heavy rain that day.
This is an insertion because there are extra characters in here. ”
It was a heavy rain that day.
1.44
Here, the type is changed, so it is called reversal.
It ’s so big in the sun.
This is a mess, it ’s a crappy pudding. This is simply called nonsense.
Huh.
Explain that,
[In fact, it is known that all of these types of misprints occur in the genetic material of organisms.
The name I gave to these mistake prints is

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プレシンギュラリティ到来は5年後 5 years after the arrival of presingularity

地球レベルを超え、銀河レベル、宇宙レベルのネットワークが構築され、そこに知性が誕生すると予言したレイ・カーツワイル氏。彼の予言が本当に実現するのかどうかは科学技術の進歩にかかっていると言っていいだろう。
そしていまを生きる我々は、素晴らしいタイミングを迎えようとしている。シンギュラリティを迎える瞬間、を目撃しようとしているのだ。
2045年人工知能が全人類の知識を超える「シンギュラリティ」が起こるとされているが、もしかするとこれは大幅に前倒しになるかもしれない。

プレシンギュラリティ到来は5年後

渡辺 健太郎(以下渡辺):時間軸がすごく短くなっていて、エクサスケールのコンピューターが2020年にはできているだろうと、そこから10年でプレシンギュラリティに向かっていくと書かれていましたが。

齊藤元章(以下齊藤):それはもう、ちょっと古いかなと思っています。時間軸が圧縮されてきていますから。

渡辺:なるほど、そのアップデートを教えていただけると。

齊藤:エクサスケールのスパコンは2018年中にはできると思います。

渡辺:え、2018年ですか。

齊藤:中国は2019年から2020年にかけて異なるシステムを3台も立ち上げようとしています。
そこからプレシンギュラリティは10年かけてと言っていたのですが、たぶん5年かからないと思います。

本を書いたときには、もちろんAIはある程度意識してはいたんですが、ここまでAIが急速に進歩するとは思ってもみませんでした。

渡辺:著書では、ハード中心に書かれていましたよね。

齊藤:もちろんハードも重要で、AIをもっと加速させようとすると、AI専用のエンジンをつくらないといけないと思って、最近新しい会社を立ち上げたところです。

AIとスパコンって、実は人智を超えた最強のタッグを組めるんですよ。
いまAIが何をしているのかというと、特徴点・特徴量、つまりパターンの抽出です。
AIが将棋で人間に勝ちました、碁でも勝ちました、人間に分からなかった病気を診断しました、といったニュースが出てきていますけれど、まだぜんぜん序の口なんです。

次なにができるかというと、いまの1000倍くらいAIのエンジンが速くなると、複雑な社会的事象も、自然科学的な事象も含めて、それらの膨大な事象の中からたくさんのパターンを抽出して、それを改めて全部ならべてみて高い視点から俯瞰したときに、そこには何かしらの新しい規則性、法則性が必ず見つかるはずです。

これは、要するに新しい仮説を立案したことになります。
今年の科学界の非常に大きなトピックの1つに重力波の検出があります。昨年の9月に1回、12月にも1回検出されていたことが今年の3月と6月に発表されて、大変な話題となりました。
重力波は存在するという仮説は100年前から存在していたのです。
実験でもありそうだとされていましたが、結局、直接は検出されていなかったので、重力波は理論として100%になっていなかったのです。

こうした仮説は、必ず検証しないと理論になりません。
で検証ってどうやるのかというと、重力波の検出もそうでしたが、実験設備を作って初めて検証できるんです。机上の計算で検証できるものもありますし、コンピューター上できるものもありますが、多くの場合には実際に実験系を作らないといけない。

ただ仮説が高度化してくると、その実験設備が巨大かつ複雑になって、しかもものすごく高い精度でつくらないといけない。それには、とにかくお金とひとと時間がかかります。

人工知能が仮説を立案してくるようなると、とんでもない数の仮説を立案してくるのに加えて、ものすごく複雑な仮説を立案してきます。
たぶん、その多くは人間には理解できないでしょう。
同じ人間であっても、例えば天才アインシュタインの特殊相対性理論や一般相対性理論を、一体どれだけのひとが理解しているのか、ということがありますよね。

宇宙には、自然界に存在する四つの力を全て統合して表すことができる「統一場理論」があるはずだと言われながら、人間はそこにまだまだ追い付いていないわけです。

仮説の大半は棄却されるので、100に1個、1万に1個しか検証されないかもしれない。
その度に大型で複雑な実験系を作るのは、物理的に到底不可能です。ところがエクサフロップス級のスパコンがあると、スパコンの中のバーチャルな物理空間に実験系を、現実空間よりも高い精度でつくることができるようになります。そして、そこで検証を行えるようになるんです。

次世代の人工知能エンジンに、とにかく仮説をたくさん立案させて、かたっぱしからスパコンをまわして検証を行う。多くは棄却されたり、修正されたりすることになりますが、このループがまわっていくと、人智をはるかに超えた仮説が検証されて、やがては統一場理論も検証できるようになっていくはずなのです。

渡辺:それは恐ろしいかもしれない(笑)

齊藤:これは本を書いたときは想定していなかったことですね。
いまの1000倍高速な人工知能エンジンを2018年中には完成させようとしていて、2019年にはこのループをまわし始めることができるんです。

渡辺:2019年からプレシンギュラリティに向かって走り始めるということですよね。

齊藤:世の中の理解もこのペースで進んでいるとすれば、2年後3年後でかなりいいところまで行くと思います。
ボトムアップでの理解が深まると同時にトップダウンで国の政権トップのレベルから始まって、浸透していくとすればもう2025年にはプレシンギュラリティ実現という可能性はかなりあるんじゃないかと。

渡辺:2025年ですか。

齊藤:それで2030年にはシンギュラリティに至っていると思います。

渡辺:15年も前倒しになりますね。

15年前倒しとなり2030年にはシンギュラリティが実現する可能性が見えてきた。
エクサレベルのスパコンとタッグを組んだ人工知能がどのような仮説を立て、検証するのか非常に楽しみだ。
人工知能により宇宙のメカニズムが解明されれば、カーツワイル氏の予言する「第6段階」に到達することも現実味を帯びてくる。
しかしこのような未来を実現する前に、貧困や戦争、そして地球温暖化などいまわれわれが取り組まなくてはならい課題があることを忘れてはならない。
最終回となる次回は、われわれが直面する課題に人工知能やスパコンがどこまで挑戦できるのか、その可能性を探った。

 

Ray Kurzweil predicted that a network of the galaxy level and the cosmic level would be built beyond the earth level, and intelligence would be born there. It can be said that his prophecy really depends on scientific and technological progress.
And we who are living now are going to have a wonderful time. I’m trying to witness the moment of singularity.
In 2045, it is said that “singularity” will occur where artificial intelligence surpasses the knowledge of all mankind, but this may be greatly advanced.

5 years after the arrival of presingularity

Kentaro Watanabe (Watanabe): It was written that the time axis was very short and that an exascale computer would be ready in 2020, and that it would go to presingularity in 10 years from there. But.

Motoaki Saito (hereinafter Saito): I think it’s a bit old. Because the time axis has been compressed.

Watanabe: I hope you can tell me about the update.

Saito: I think that an exascale supercomputer will be available in 2018.

Watanabe: Oh, is it 2018?

Saito: China is about to launch three different systems from 2019 to 2020.
From that point, I said that presingularity took 10 years, but I think it will probably not take 5 years.

Of course, when I wrote a book, I was conscious of AI to some extent, but I didn’t expect AI to progress so far.

Watanabe: In your book, it was written mainly on hardware.

Saito: Of course, hardware is also important, and in order to accelerate AI further, we have recently established a new company, thinking that we have to create an engine dedicated to AI.

AI and supercomputers can actually form the strongest tag beyond human intelligence.
What AI is doing now is the extraction of feature points / features, that is, patterns.
There have been news that AI has won humans with shogi, even with samurai, and has diagnosed illnesses that humans did not understand, but it is still just the beginning.

What can be done next is that when the AI ​​engine is about 1000 times faster than today, many patterns will be extracted from these enormous events, including complex social events and natural scientific events. Then, when you look at all of them and take a bird’s-eye view from a high point of view, you will surely find some new regularity and law.

This is essentially a new hypothesis.
One of the very big topics of the scientific community this year is the detection of gravity waves. The fact that it was detected once in September last year and once in December was announced in March and June of this year, and it became a big topic.
The hypothesis that gravitational waves exist has existed 100 years ago.
Although it was supposed to be an experiment, it was not detected directly in the end, so gravitational waves were not 100% in theory.

Such a hypothesis must be verified before it becomes a theory.
As for the verification method, the detection of gravitational waves was the same, but it can only be verified after an experimental facility is built. There are things that can be verified by calculation on the desk, and others that can be done on a computer, but in many cases you have to actually create an experimental system.

However, as the hypotheses become more sophisticated, the experimental facilities become huge and complex, and must be made with extremely high accuracy. It takes money, people and time.

When artificial intelligence comes up with a hypothesis, in addition to making a ridiculous number of hypotheses, it makes a very complex hypothesis.
Perhaps many of them will not be understood by humans.
Even if you are the same person, for example, how many people understand the special relativity theory and general relativity theory of Einstein, for example?

It is said that there must be a “unified field theory” in the universe that can integrate and express all four forces that exist in nature, but humans have not yet caught up there.

Most of the hypotheses are rejected, so only one in 100 and one in 10,000 might be verified.
It is physically impossible to make a large and complex experimental system each time. However, with an exaflop-class supercomputer, it becomes possible to create an experimental system in a virtual physical space inside the supercomputer with higher accuracy than in real space. And then you can verify it there.

The next-generation artificial intelligence engine will make a lot of hypotheses anyway, and it will be verified by turning the supercomputer. Many will be rejected or modified, but as this loop turns, hypotheses far beyond human wisdom are verified, and eventually unified field theory can be verified. It should be.

Watanabe: That may be horrible (laughs)

Saito: That was something you didn’t expect when you wrote the book.
The artificial intelligence engine that is 1000 times faster than now is going to be completed in 2018, and in 2019, we can start turning this loop.

Watanabe: That means starting to run toward presingularity in 2019.

Saito: If the understanding of the world is progressing at this pace, I think that it will go to a very good place in two years, three years.
If the understanding from the bottom-up deepens and starts from the top level of the government in the top-down, and penetrates, the possibility of realizing presingularity is already in 2025.

Watanabe: Is it 2025?

Saito: So I think that in 2030, it reached singularity.

Watanabe: That will be 15 years ahead.

It was 15 years ahead of schedule, and in 2030 the possibility of realizing singularity has become apparent.
I’m really looking forward to seeing what hypothesis is made by artificial intelligence, which is a combination of exa-level supercomputers and tags.
If the mechanism of the universe is elucidated by artificial intelligence, reaching the “sixth stage” predicted by Mr. Kurzweil will become realistic.
But before realizing this future, we must remember that there are issues we must tackle now, such as poverty, war, and global warming.
In the final round, we explored the potential of artificial intelligence and supercomputers to challenge the challenges we face.

ブックの「さとり」の内容 Contents of book “Satori”

そこでわれわれは実質的な食物である乳廳をとった。そのとき
わたくしには五人の修行者が近づいて、「修行者ゴータマがもしも法を得
るならば、それをわれらに語るであろう」といっていた。ところでわたく
しは実質的な食物である乳服をとったから、その五人の修行者はわたくし
を嫌って、「修行者ゴータマは貪るたちで、つとめはげむのを捨てて、贅
沢になった」といって、去って行った。そこでわたくしは実質的な食物を
摂って、力を得て、もろもろの欲望を離れて、善くないことがらを離れ、
粗なる思慮あり、微細な思慮あり、達離から生じた喜楽である初禅を成就
していた。
そしてつぎに、四禅を一々成就したことをのべている。
ブックの「さとり」の内容
ブックは、ついに苦行の無駄であることを知り、苦行を捨て、乳粥を摂り、
気力・体力を回復しつつ、アシュバッタ樹(菩提樹)の下で瞑想に入り、ここ
で、究極の「さとり」をひらいたという。
では、その~とりとはどんなものであったか。ブッダの智慧は、どんなさと
りをひらいたのか?
「四つの真理」と「十二の因縁」に関する智慧であるという。’
十二因縁とは、人間の苦しみ、悩みがいかにして成立するかということを考
察し、その原因を追求して、十二の項目の系列を立てたものである。つまり。

縁起の理法を十二の項目に分類したものである。
無明  (無知)
取 愛 受 触 六 名 識 行
処 色
(潜在的形成力、生活作用)
(識別作用)
(名称と形態、または精神と物質、心身)
(心作用の成立する六つの場、すなわち眼・耳・鼻・舌・身・意)
(感覚器官と対象との接触)
(感受作用)
(盲目的衝動、妄執、渇きの欲望にたとえられるもの)
(執着)
川作一老死  (無常なすがた)
順次に、前のものが後9ものを成立させる条件となっている。また、逆に
順次、前のものが滅すると、後のものも滅する。
律蔵等の記述によると、
そのとき世尊は、ネーランジャラー河の岸辺に、菩提樹のもとにおられ
た。
はじめて、さとりをひらいておられ・たのである。
世尊は、七日のあいだずっと足を組んだままで、解脱のだのしみを享け
つつ、座しておられた。その七日が過ぎてのち、その瞑想から出て、その
夜のはじめの部分において、縁起の理法を、「順の順序」にしたがって。

つて執着があり、執着によって生存があり、生存によって出生があり、出
生によって老いと死・憂い・悲しみ・苦しみ・愁い・悩みが生ずる。この
ようにしてこの苦しみのわだかまりがすべて生起する。
に接創によって感受作用があり、感受作用によって妄執があり、妄執によ
そわから、た、「逆の川にしたがって、よく考えられた。貪欲をなくすことによって無明を残りなく止滅すれば、生活作用が
止滅する。
生活作用が止滅するならば、識別作用が止滅する。識別作用が止滅する
ならば、名称と形態とが止滅する。名称と形態とが止滅するならば、六つ
の感受機能が止滅する。六つの感受機能が止滅するならば、対象との接触
も止滅する。対象との接触が止滅するならば、感受作用も止滅する。感受
作用が止滅するならば、妄執も止滅する。妄執が止滅するならば、執着も
止滅する。執着が止滅するならば、生存も止滅する。生存が止滅するなら
ば、出生も止滅する。
がすべて止滅する。
そこで、世尊は、この真理の意義をさとって、そのとき、つぎのような
〈詠嘆の詩〉を唱えられた。
努力しているバラモンにもろもろの理法が現われるならば、
かれの疑惑はすべて消滅する。
原因(と結果との関係をはっきり念せた縁起の理法)をはっきりと知っているのであるから。

縁起の理法
菩提樹のもとで、ブッダのさとった理法は、「縁起の法」であり、その内容
は、いまのべた十二因縁と、「四つの聖なる真理」であるといわれる。
縁起というのは、。縁りて”という語と。起こること”(回ヨ毛簒汝)という語が結合されてできたことばである。なん
らかの条件(縁)があって生起すること、というほどの意味である。それを、中国の経典翻訳者たちは、。縁りて”の縁と、。起こること”の起とをとって、
しごく直截に「縁起」としたわけだ。
縁起-―縁によって起こる、すなわち、すべてのものは縁によって生起し。

これあるによりてこれあり
これ生ずればこれ生ず
これなきによりてこれなく
これ滅すればこれ滅す
この四りの図式か、入間の「苫Lにあてはめて説かれたのが、「四諦の法門Lである。
この四諦がどう説かれたかというと、アーガマの一つの経によれば(相応部経典五六、三一、「申恕」、漢訳の同本雑阿合経一五、四五、「申恕林しつぎの
ようなものである。

一、こは苦なり
Oldam dukkham)
二、こは苦の生起なり
(Ayam dukkhasam乱IO)
三、こは苦の滅尽なり
(Ayam dukkhanirodhoj

四、こは苦の滅尽にいたる道なり
(Ayam dukkhalli1 patipada)
これが時により、別の経ではつぎのように説かれたと記されている。
比丘だちよ、苦の聖諦とはこれである。
比丘だちよ、苦の生起の聖諦とはこれである。
比丘だちよ、苦の滅尽の聖諦とはこれである。
比丘だちよ、苦の滅尽にいたる道の聖諦とはこれである。
これを、中国における翻訳者たちが、端的に、
苦諦
集諦
滅諦
道諦
とし、
さらに簡潔に、苦集滅道

と、してしまったのである。
すなわち、これが四諦の法門である。
十二因縁とならんで、有名な、ブッダの菩提樹下のさとりといわれるものである。

So we took milk powder, which is a substantial food. then
I approached five practitioners and said, “The practitioner Gautama got the law.
If so, I will tell you about it. ” By the way
Since I took milk clothes, which are substantial food, the five trainees are me
, “The practitioner Gautama is angry and throws away the spoil,
“It became a swamp,” he left. So I have substantial food
Consuming, gaining power, leaving various desires, leaving bad things,
Commitment to the first zen, which is rough and thoughtful, and delightful
Was.
And then, the fact that Shizen was fulfilled one by one.
Contents of book “Satori”
The book finally knows that it is a waste of penance, throws away the penance, eats milk,
Recovering energy and physical strength, enter meditation under the Ashbatta tree
He said he opened the ultimate “Satori”.
So what was that bird? What is Buddha ’s wisdom?
Did you open it?
It is said that it is wisdom about “Four Truths” and “Twelve Fate”. ’
Twelve ties consider how human suffering and worries are established
We have established a series of twelve items in search of the causes. In other words.

This is a categorization of Engi’s law into twelve items.
Mumei (ignorance)
Tori Ai Taku 6 Roh
Color of service color
(Potential formation ability, life effect)
(Discriminating action)
(Name and form, or spirit and substance, mind and body)
(Six places where the heart effect is established, ie, eyes, ears, nose, tongue, body, and will)
(Contact between sensory organ and subject)
(Sensitive action)
(Think of blind impulses, delusions, thirst desires)
(Attachment)
Kazuo Kawasaku’s death (unusual)
Sequentially, the previous one is the condition for establishing the last nine. Conversely,
Sequentially, when the previous one is destroyed, the later one is also destroyed.
According to the description of Rizo etc.
At that time Seisei was on the shores of the Nalangjara River under a linden tree
It was.
For the first time, I was opening the satori.
Seon enjoys the joy of emancipation while staying on his feet for seven days
While sitting. After the 7th day, get out of the meditation,
In the first part of the night, follow the philosophy of Engi in order of order.

There is attachment, there is survival through attachment, there is birth through survival, birth
Life causes old age, death, sadness, sadness, suffering, uglyness, and trouble. this
In this way, all the suffering traps arise.
There is a sensation effect due to the wound, there is a delusion due to the sensation effect,
From there, I thought, “I thought well according to the reverse river.
Stop.
If the living action stops, the discriminating action stops. Discriminating action ceases
Then, the name and form will be extinguished. If the name and form cease, six
The perception function of ceases. Contact with the subject if the six sensitive functions cease
Will also be extinct. If the contact with the subject ceases, the sensitive effect also ceases. Perception
If the action ceases, the paranoid will also cease. If the paranoia ceases, the obsession is
Stop. If attachment ceases, survival will also cease. If survival stops
In this case, the birth will be stopped.
All will stop.
So, Seon took the significance of this truth, and at that time,
He sang <Poems of Lamentation>.
If various laws appear in the struggling Brahmon,
All his allegations disappear.
Because we know the cause clearly (the auspicious reasoning that has a clear relationship with the outcome).

Engi
The law that Buddha took under the linden tree was the Engi
Is said to be the current twelve ties and “four holy truths”.
What is Engi? It is a word that is formed by combining the words “in relation to” and “what happens”. What
It means that there is a certain condition (margin) and it happens. That is the Chinese script translators. Take the edge of “the edge and what happens.”
It was an “enjoyment” in a straightforward manner.
Engience–occurs by an edge, ie everything happens by an edge.

This is due to this
If this is born, this is not born
Without this, without this
If this perishes, this will perish
[This is a diagram of the four squares, or “I was implied by“ Ichi-L ”,“ I am the Shimon-no-mon L ”.
According to one of Argama’s explanations about how these four shrines were argued (corresponding to Kyobu Nobu 56, 31, “Shingen”, the Chinese translation of the same book, Aichi Keigo 15, 45, “Shinglin” Next
It ’s like that.

This is painful
(Oldam dukham)
Second, this is the occurrence of suffering
(Ayam dukkhasam ran IO)
Three, this is the end of suffering
(Ayam dukhanirodhoj

4. This is the way to the end of suffering
(Ayam dukhalli1 patipada)
It is written that this was sometimes explained in another way as follows:
This is the compassion of pain, Hitochi.
This is the sacrament of the birth of pain, Hitochi.
This is the sacrament of endless suffering, Hitochi.
Hibachi, this is the sacrament of the road that ends up suffering.
In short, translators in China
Agony
Gathering
Ruin
Way
age,
More concisely, the road of distress

I have done so.
That is, this is Shijonawate.
Along with twelve ties, it is said to be the famous satori under the buddha tree of Buddha.

 

阿合仏教・超能力の秘密  科学による破滅からの回避  Secret of Ai Buddhism and super powers Avoidance from destruction by science

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科学からの弁明と対策

 ここで、ひとつ、科学から、その弁明と対策を聞いてみよう。

 有名な科学者と技術者が、抑制のきかなくなった科学と技術の危険性に、恐れと憂慮を表明するのは、今ではもはや全くありふれたことになっている。科学と技術がもたらす破滅をいかに回避すべきかについて、彼らは今や必死である。

 では、科学者、技術者にいったいどのような救済策があるであろうか?・

 「理性は目覚めた。しかし、大勢はすでにおそい」

 と悲痛な呻きを洩らナルネーデュボスは、結局、あらゆる科学部門の知識の統合によって倫理的社会的目標を設定し、あたらしい技能を獲得した技術者にそれを実現させてゆくよりほかはないと提案する。「望ましい未来」と題する文章のなかで彼はこういう。

 『-文明が存続するかぎり、われわれは諸発見に依存しているのだから、社会的に価値のある科学目標の選択は、決定的に重要だ。(ところが)既成科学機構というものは優先順位の決定、

種々の分野にあたえる研究費の配分比率の決定におどろくほど理不尽である。ある問題は、その

支持者が政治的影響力をもったり、市民の感情にうまくアピールするため重視される。ところ

が、研究すれば宇宙についての理解を拡大でき、人間の福祉に貢献できる問題でも、無視される

別の問題もある。―また、研究の影響よりも研究自体しか考えない専門家たちが、科学文明の

社会をますます支配しているのは悲しむべきことである。おおかたの社会問題の性格は、主に技

術的なものだとみなす習慣にはまりこんでいるので、専門家はあたかも社会の指導者の如く振舞

うことが許されているばかりか、しばしば期待ざれてもいる。ハーヴェイーブルックスのことば

によれば、(二〇世紀における社会の進歩史の概略は、公的政策のますます多くの部分が、政治

家から専門家の手に移っているといえる。政治的選択の問題は、しばしば、政治家同志の技術的

な論争のなかに埋没している)II専門家と計両家というのは、しばしばきわめて盲目で、自分

の見たいものしか見えないということは、残念ながら、かなり本当だ。専門家の知識が深遠にな

ればなるほど、彼らは社会的意味よりも実現の可能性に目を奪われがちである。

 ―幸い、専門家の役割が社会的に検討されるきざしがある。問題の発見、対策の決定、集団

の政治的感覚を判断すること、目標の優先順位の決定、目標達成の政治的手段の選択など、これ

(なるだろうではない。なるようにしなければいけないのだ。著者)専門家を信用せず、技術的

「処理」の危険を重視することは、科学あるいは技術にたいする敵意を意味するものではない。

らすべての問題を専門家だけの判断にまかせるのは不本意だと社会は思うようになるだろう

それどころか、重要なのは目標の設定とその実現手段の確立についても、人間がますます意識的

に選択し、反応できる社会環境を維持することである。。技術はわれわれをどこへっれて行くの

か″と疑問をもつだけでは不十分である。さらに建設的な態度は、われわれが行きたい所へ行き

つくのに役立つ科学と技術を計画することであるI』

なるほどなるほど、まさにその通りである。これ以上なにもっけくわえることのない論説であ

る。だがI、問題はいったいだれがそれをやるかということである。

 デュボスはつづいて、

 『-あきらかなことであるが、学識ゆたかで、能力ある予測家グループでさえ、人間形成する

うえで、大きな役割をもつ要因を、計算から除外しているのである。たとえば、アメリカ科学文

芸アカデミーが「西暦二〇〇〇年にむかって」(ベル・一九六七)と名づけて組織した委員会は、

社会科学者と少数の自然科学者だけで構成されており、哲学者、牧師、作家、芸術家、政治家、

兵士、建築家、機械技術者、ビジネスマン、学生などは参画していない。それにもかかわらず、

この人たちのほうが、社会科学者、自然科学者よりはるかに将来を形成する力をうみだす可能性

は大きいのであるI』

 と述べているから、彼は、こういう人たちの参加を望んでいるのかも知れない。だが、この人   

たちについてはこの一節の文章しか記述されていないので、それもどこまで本気なのかわからな

いというのが実情である。

 政治行政の面では、

正常な状況下では、政治と偶然が、どの計画を着手、あるいは拒否し、延期、修正すべき

かをきめる。老練な行政官の役割は、選択された各種の施行方針の肯定的、否定的結果を綿密に

追求して、誤りを正し、予期せぬ事故に対処することである。このような伝統的な行政へのアプ

ローチは重要ではあるが、その力には限界がある。それは一般に(現在を拡張して)考慮するこ

とに限定され、将来への可能性のヴィジョンをも含めて問題を全体的に処理することがないから

である。11社会問題の科学的、文化的側面は複雑であるため、老練な計画家と行政官の手をも

ってしても十分処理できず、せいぜい彼らの態度をかため、その方針決定に影響をあたえるくら

いである』

 とほとんど期待をかけていない。では、アカデミックの機関は、といえば、

 『I‐アカデミックな機関は、現実生活からまぬがれえない限界とゆがみから脱却しているか

ら、社会問題を研究する格好の場を提供するかに見える。しかし、現在の諸条件下では実情はそ

うなっていないI』とすこぶる悲観的である。

『―総合大学および単科大学は、知識の考えうるほとんどすべての側面に関連する科目を教授

し、研究ずるよう組織されている。しかし、そこでは、ばらばらの情報の断片を統合する機会

も、人間生活でひじょうに大きな役割をはたしている要求、価値、熱望と諸情報とを関連づける

機会もほとんどない。ところが、現在の人間の問題のすべてI人種間闘争、経済成長、生態学

的危機、医療給付のありかた、都市の荒廃、環境汚染、住宅および運輸問題、騒音防止、海洋学

研究等々-は、自然科学、行動科学、政治科学など、多岐にわたる専門分野の力に訴えなけれ

ば理解することも、有効に対処することもできないものである。(ところが)課目中心で、目的

中心ではない大学の機構のなかでは、知識の統合をはかることは容易ではない。にもかかわら

ず、われわれの住む世界について包括見解を得るには、知識の統合はどうしても必要であり、わ

れわれの望む世界をつくり出す上に、それはいっそう重要なのである』

 

 要するに、一口でいえば、現在の機構ではダメだということである。

 それじやあいったいどうすればいいんだ?

 結論は、物理化学的諸科学、行動科学、社会科学、自然科学、および生理学、生態学その他の

生物科学をむすんだ知識の統合をはかる。そしてそれで価値ある進歩への社会的目標を設定する

のだというのである。

 『―そこから生まれる科学と技術は、巨大機械をさらに拡大するのではなく、生態学的なバラ

ンスを維持し、人間の潜在力を開発して、文明に最善の寄与ができるのである。このことはJ 

九世紀、二〇世紀の初頭からわれわれが受け継いだ考え方では、困難であろう。その目的がどん

なにつまらなくても、その長期的影響がどんなに有害であってもわれわれは、技術の。進歩″を

もってわれわれの社会に対応させてきた。″進歩″ということばは、現在では、目的性を帯びる

ことなく、その前進が破滅と絶望に通じる場合であっても、ただひたすらすすむことを意味して

おり、それでもわれわれはかまわず″進歩″してきたのだが、(今度は統合された知識により)

価値ある進歩への社会的目標がまず設定される。これで、はじめて、計画は、人間の努力に対し

て、望ましく、楽しくなるのであるI』(傍点は著者、この部分をよく記憶しておいて欲しい)

 なるほど、たしかにそうなったら、人間の努力もたいへん楽しくなるであろう。一日もはやく

そうなって欲しいと、私も切に希望するのであるが、しょせんそれは「エルドラドー」に過ぎな

いのだ。いったい、だれがそれらのおびただしい科学知識を統合した超知識の所有者となるの

か? 第一、そういう超知識の所有者をつくり出す教育機関をつくり出すという難関の解決から

はじめねばならぬのである。エルドラドーとはご承知の通り、望んでも得られぬユートピアのこ

とであるが、そういったからといって、ルネーデュボス先生はけっしてお叱りにならないであろ

う。なぜならば先生みずから、このことは一九世紀、二〇世紀初頭からわれわれがうけ継いだ考

えかたでは困難であろう、とおっしやっているのだ。まさに私はその通りであると思う。このこ

とに関して私はもっとあとのほうであなたに語らねばならぬ多くのことが出てくるのだが、ユー

トピアといえば、ルネーデュボスは、最後に、今まで数多くあらわれた文学的形態、あるいは純

粋な社会的ユートピアを否定し、もっと新しい観点に立つ未来観を打ち出している。それは、今

までの未来像は、未来を常に過去の延長としてとらえているので、それでは駄目で、将来という

ものは、真に新しい冒険としてとらえなければならぬと説く。A・トフラーの「未来の衝撃」あ

るいはドラッカーの「断絶」を思い出させる言葉であるが、要するに、現在の状態からまったく

はなれて、可能な将来のモデルを数多くつくり出し、そうした将来を実現する行動方法を想定す

る必要があるというのである。そうすることにより。

 「人間はみずからの運命を支配できる機会がまだあると希望ナることができる」

 とむすんでいる。この文章で″目覚める理性″はおわっている。

 ”目覚める理性”はそれでおわったが、私にとってその文章は、終結とはならず、かえって長い

思考の発端となったのであった。彼はこともなくペンをおいたが、私はこの一連の言葉のなか

に、あるいは語っているデュボス自身も気ずいてはいないかも知れぬまことに意想外な発想のひ

そんでいることを感じたのである。

 いったい、過去を全くはなれた未来とはなにか? それは一種の「突然変異」ではないのか?

つまりは「文明の突然変異」を意味するのではないのか。一九世紀におこり、二〇世紀にいたっ

て頂点に達したヒトの科学文明の″種″が行きづまり、ついに突然変異をねがうよりほかになく

なった究極を、彼デュボスは無意識のうちに洩らしてしまったのではないのか? 現代科学のも

っともすぐれた知性のひとつが、究極において行きっくところはそれしかないのであろうかとノ私はしばし深沈たる思いに沈んだのであったが、しかし、もしもそうだとするならば、事はまこ

とに重大だというべきである。非常事態といわねばなるまい。なぜならば1、

 「文明の突然変異」とは、まずその前に、「ヒトの突然変異」がなければならぬからである。

 

科学がはたして諸文化の中心か/

 行きづまった科学が、科学以外の分野に向かって、協力を呼びかけようとするのは、ルネーデ

ュボスだけではない。たとえば、ノーベル物理学賞受賞者のイシドールーアイザック・ラビもま

たそのひとりである。

 彼は「文化の中心としての科学」のなかで、こういっている。

 『われわれは今や、ひとつの新しい時代、強烈な衝撃の時代に足を踏み入れようとしている。そ

れは科学の進歩を通して人間の思想の進化の方向を目ざしている。この進歩は必然的にわれわれ

の本質的な思考に変化をあたえ、その変化は時間、空間、因果律についてのわれわれの基本的な

考え方から始まり、人間の肉体、人間の心、さらに社会組織の諸法則についてのもっと偉大な理

解を達成しようとするところまで進んでいくようになる。新しい技術、新しい知的な道具、新し

い発明は着実に現われ、これはわれわれの外なる世界、内なる世界について、われわれが何を考

えるかに影響するだけでなく、また、どのように考えるかについても影響をあたえるであろう。

生物学や自然科学を学んでいる科学者だったらだれでもこう感じている。産業も、そうした考え

で広がっていく。機械仲買人でさえ、それぐらいのことは心得ている。(ところが)不幸にして、

この新しい事実、未来の新しい波は、今のところ、自然模写の芸術や文学に影響するに至ってい

ない。これは非常に残念なことである。というのは、われわれはさし追っている大きな変革に対

してわれわれを準備させ、指導の手を貸してくれるものとして詩人、芸術家、小説家、エッセイ

ストを求めているからである。このような芸術家の不足は、来るべき時代の生活がもつ一般的な

特徴を貧弱なものとするであろう。イングランドで、両家に詩人、聖職者と作家が産業革命から

超然としていた結果、優雅な芸術の手ほどきを受けていない新しい力が、こんにちイングランド

で見られるような怪奇な産業都市j-マンチェスター、バーミンガム、リーーズをつくりだしたの

である。詩人が発言していることはいるのだが、その詩人の声は指導の声であるべきなのに、抗

議の声にすぎなかった。文学の貴族たちは、指導と理解を示すべき機会をあたえられながら軽蔑

を表現していた。彼らは新しい力をすばらしい生活に導いてゆくことができたのだ。のっけから

彼らは産業を人間的な理想の方向に型どる機会をあたえられていたのだ。彼らは一八世紀と一九

世紀にバスに乗りおくれた。そして二〇世紀にも同じ轍を踏むであろう』

 なんたる傲慢! これが指導と協力を呼びかける者の態度であろうか? これでは協力を求め

られた方で間違いなく(軽蔑を表現)するであろう。この文章から読みとるかぎり、この人は俗

物きわまる人物といわざるを得ない。彼の思考はこうである。科学を諸文化の中心に据えて新し

い文化を創造しようというものだが、伝統ある芸術や宗教を侍女のごとくかしずかせ、その中心  

の王座に傲然と座ろうとするその鼻もちならぬ態度を改めぬかぎり、彼の科学を(貧弱)なもの

にするだろう。いまだかつて科学と技術と産業社会が、画家と詩人、聖職者と作家の声に心から

耳を傾けたことがあったか? むしろ、軽蔑をあらわしたのは彼らのほうではなかったか? そ

の結果、怪奇な産業都市をつくりあげてしまって、今になってその罪を、画家や詩人に転嫁しよ

うとするその心情は、私だって心から軽蔑せざるを得ないのだ。

 科学と技術以外に幸福と繁栄をあたえるものはほかにないという、田心いあがった彼の考えかた

は、この本のいたるところに見いだされる。

 !―-古代の諸文化の最も偉大な中心地、エジプト、メソポタミア、ペルシャ、中国、南イタリ

ア、ギリシアなどが今では後進国であり、かつては未開で無知と迷信に明け暮れ、原始的な技術

しかもたなかったような野蛮人の居住地、イングランド、スカンジナヴィア、ドイッ、アメリ

カ、さらにはロシアのシベリアの大草原地帯などが、今では偉大な先進工業国となっているとい

うことは歴史の皮肉である。これらの場合に見られる歴史の教訓は、科学と技術の進化の競争で

とり残されたものは、ますますおくれてしまうということである。これらの後進国が犯した失敗

は、科学と技術に適応できなかったという失敗であったI。

 メソポタミアの農村の一老人と、ニューヨークの大会社のエリート社員と、どちらが人間とし

て幸福であるかは分からぬのである。G・R・ティラーがいうように「アメリカ人の″生活水準

が″ベンガル人の三〇倍なら、アメリカ人はベンガル人の三〇倍も幸福だと信じやすい」、イッ

ドール・I・ラビ氏が、それと同じ間違いをおかさなければさいわいというものである。一流の

科学者のこういう考えかたが、実は今日の事態をひきおこした根本原因ではないかと私は思う。

世界一流の頭脳がこういうことをいっているようでは、まことに、ルネこアユボスが無意識のう

ちに考えるごとく、やはりヒトは突然変異でもせぬかぎり救われぬ存在であるのかな、と思わざ

るを得ないではないか。

Secret of Ai Buddhism and superpower

Scientific explanations and countermeasures

Here, let’s hear from the science about its defense and countermeasures.

It is no longer common for famous scientists and engineers to express their fears and worries about the dangers of science and technology that can no longer be controlled. They are now desperate about how to avoid the destruction of science and technology.

So what kind of remedies are there for scientists and engineers?・

”“ Reason has awakened, but many are already slow ”

In the end, Narune Dubos suggests that ethical and social goals should be set by integrating knowledge from all scientific departments, and that engineers who have acquired new skills can do so. . In a sentence titled “The Desired Future”, he says:

“-As long as the civilization continues, we are dependent on discoveries, so the selection of socially valuable scientific goals is crucial. However, the existing scientific organization is a priority decision,

Surprisingly, it is unreasonable to determine the proportion of research funds allocated to various fields. One problem is that

Supporters are emphasized because they have political influence and appeal to citizens’ feelings. By the way

However, if research can expand understanding of the universe and contribute to human welfare, it will be ignored.

There is another problem. ―Also, experts who think only of research rather than the influence of research

It is sad to dominate society more and more. Most of the social problems are mainly technical skills.

Experts behave as if they are social leaders because they are stuck in the habit of treating them as artistic.

Not only is it allowed, but it is often expected. Harvey Brooks words

According to (an outline of social progress in the 20th century, more and more parts of public policy

It can be said that it has moved from the house to the hands of experts. The problem of political choice is often the technical trap of politicians.

II professionals and both families are often very blind and self-confided.

Unfortunately, you can only see what you want to see. Profound knowledge of experts

The more they are, the more likely they are to be obsessed with the possibilities than the social meaning.

-Fortunately, there is a sign that the role of the specialist is considered socially. Find problems, determine countermeasures, collective traps

Such as determining the political sense of the person, determining the priority of the goal, and selecting the political means of achieving the goal.

(It’s not. It must be. Author) Don’t trust the experts, technical

Emphasis on the danger of “processing” does not mean hostility to science or technology.

So, society will come to think that it is unwilling to leave all problems to the judgment of experts only.

On the contrary, what is important is that humans are becoming more and more conscious about setting goals and establishing the means to achieve them.

To maintain a social environment where people can choose and respond. . Where technology goes us

It’s not enough just to have a question. “The more constructive attitude is to go where we want to go.

I’m planning science and technology to help

That’s exactly right. This is an undisputed editorial

The But I, the question is who will do it.

Dubos continued,

“-It’s clear, but even a well-established and capable group of predictors will form human beings.

In addition, factors that play a major role are excluded from the calculation. For example, American Science Literature

The committee organized by the Gei Academy named “Towards the Year 2000” (Bell 1967)

It consists only of social scientists and a small number of natural scientists, philosophers, pastors, writers, artists, politicians, nieces

Soldiers, architects, mechanical engineers, businessmen and students are not involved. Nevertheless,

Possibility that these people will create much more power to shape the future than social scientists and natural scientists

Is big I ”

He may have wanted to join these people. But this person

Are only written in this passage, so I do n’t know how serious it is.

The fact is.

In terms of political administration,

Under normal circumstances, politics and chances should start or reject any plan, postpone, or modify it.

I will decide. The role of an experienced administrator is to closely monitor the positive and negative consequences of the various enforcement policies selected.

Pursue, correct errors, and deal with unexpected accidents. Appeal to such traditional administration

Roach is important, but its power is limited. It is generally considered (expanding the present)

And will not deal with the problem as a whole, including a vision of the future.

It is. 11 Because the scientific and cultural aspects of social issues are complex, the hands of an experienced planner and administrative officer

Even if they are not able to handle enough, they will at best influence their attitude and influence their decision making.

It is

Almost no expectation. So, the academic institution is

“I-Academic institutions are moving away from the limits and distortions they ca n’t resist from real life?

It seems to provide a good place to study social issues. However, under the current conditions, the actual situation is

I’m so pessimistic that I’m not talking.

“—Universities and colleges teach courses related to almost every conceivable aspect of knowledge.

And organized to study. But there is an opportunity to integrate disparate pieces of information

However, the relationship between demands, values ​​and aspirations that play a very important role in human life

There is little opportunity. However, all of the current human problems I racial struggle, economic growth, ecology

Crisis, medical benefits, urban devastation, environmental pollution, housing and transportation issues, noise prevention, oceanography

Research, etc. should appeal to the power of a wide range of specialized fields such as natural science, behavioral science and political science.

It cannot be understood or dealt with effectively. (That’s the subject)

It is not easy to integrate knowledge within a non-central university structure. Even though

First of all, knowledge integration is absolutely necessary to get a comprehensive view of our world.

It’s even more important in creating the world we want ”

In short, in short, the current mechanism is not good.

What should I do?

The conclusion is that physicochemical science, behavioral science, social science, natural science, physiology, ecology and other

Integrate knowledge related to biological science. And that sets social goals for valuable progress

It is.

“—Science and technology born out of it is not an expansion of giant machines, but an ecological variation.

Can make the best contributions to civilization by maintaining human resources and developing human potential. This is J

The idea we inherited from the beginning of the 9th and 20th centuries would be difficult. The purpose is

No matter what boring, no matter how harmful its long-term effects are, we are technical. ″ Progress

It has been adapted to our society. The word “advance” is now an objective.

Even if that advancement leads to ruin and despair, it means just

Yes, but we’ve always been “progressing” (this time with integrated knowledge)

Social goals for valuable progress are set first. For the first time, the plan will

It’s desirable and enjoyable I ”(the side is the author, please remember this part well) 部分

Indeed, if that happens, human efforts will be very enjoyable. It’s no longer a day

I really hope that it will happen, but that is just an “Eldorado”.

No. Who will be the owner of super-knowledge that integrates these vast scientific knowledge?

? First, from the solution of the difficulty of creating an educational institution that creates such super-knowledge owners

You must start. As you know, Eldorado is a utopia that you can’t get even if you want

However, because of that, Dr. René Dubos will never speak.

Yeah. This is because of the thoughts we inherited from the 19th and early 20th centuries.

I’m doing it that it would be difficult for me. I think that is exactly the case. this child

There are many more things I have to tell you about later.

Speaking of Topia, René Dubos is the last literary form that has appeared,

Denies the smart social utopia and has a new perspective on the future. That’s tonight

The image of the future up to now always sees the future as an extension of the past.

He states that things must be viewed as a truly new adventure. A. Fuller’s “Shock of the Future”

In other words, it is a word that reminds us of Drakker’s “break”, but in short, it is completely inconsistent from the current state.

Create a lot of possible future models and envisage behavioral ways to realize those futures

It is necessary to do. By doing so.

“Human can hope that there is still an opportunity to control his fate”

I’m sorry. In this sentence, the “reason to wake up” is over.

“The reason to wake up” is over, but for me, the sentence doesn’t end, it’s rather long

It was the beginning of thought. He put on a pen without any doubt, but I was in this series of words.

Or the dubos who are talking about may not be aware of it.

I felt it.

What is the future that completely separates the past? Isn’t it a kind of “mutation”?

In other words, does it mean “mutation of civilization”? Occurs in the 19th century, in the 20th century

The “species” of the human scientific civilization that has reached the top of the line is stuck, and there is no other way than to aim for mutation at last.

Wasn’t Dubos unknowingly leaking the ultimate? Modern science

One of the best intellects was that I was deeply sunk to see if that was the only place where I could go in the end.

It should be serious. It ’s not an emergency. Because, 1

“A civilization mutation” is because there must be a “human mutation” before it.

Is science the center of various cultures?

It is Renéde that science that has come to the end calls for cooperation in fields other than science.

Is not just boss. For example, Nobel Prize in Physics, Isidoor Isaac Rabbi Mama

One of them.

He says in the “Science as the center of culture”.

“We are now stepping into a new era, an era of intense shock. So

It aims at the direction of evolution of human thought through scientific progress. This progress will inevitably we

Changes in the essential thoughts of time, space and causality

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは瞑想からはじまる It begins with meditation

 

 

それは瞑想からはじまる

 わたくしは、前章で紹介した『間脳思考』で、エレクトロニクスと霊性を結

ぶものはなにかと質問されて、それは瞑想からはじまると答えた。

 そのあと、話がだいぶ進んでから、

「それでは、間脳の開発をするのも、瞑想ですか?」

 と聞かれた。わたくしは、

「いいえ」

 とかぶりをふった。

「瞑想じやないのですか?」

「いいえ」

とわたくしは、これにもかぶりをふった。

彼は、けげんそうな表情でわたくしを見つめた。

そこでわたくしは答えた。

 「それは瞑想からはじまるのです」

 なるほど、というように彼はうなずいた。わたくしは説明した。

 それは瞑想からはじまるのだが、瞑想だけではないのだ。霊性の完成は、瞑

想だけでは不可能なのである。心の安定、欲望の調節、本能の抑制、といった程

度のものでは、とうてい到達できない境界である。思念、想念の変化くらいで

は、絶対に行き着くことのできない次元なのだ。

 なぜか?

 霊性完成の到達点は、カルマからの超越である。

 カルマとはなにか? いうならば、地球における引力のようなものである。

地球上に存在するものすべて、地球引力の支配下にある。いかなるものも、引力

から逃れることはできない。いや、地球という存在そのものが、引力によって

成り立っているのである。人間におけるカルマもそのとおりである。人はすべ

て、輪廻のカルマの絶対的な規制を受けている。このカルマから、もろもろの

「因縁」が生じて、人間を繋縛しているのである。いや、カルマと因縁によっ

が、霊性の完成である。いうならば引力からの脱出である。反重力の修行なの

だ。その修行によって自分の存在の次元が変わるのである。

 存在とはなにか? それは究極のところ”波動”である。〃自分”という波動

を変えてしまうのだ。それにより”カルマ”という波動を越えてしまうのである。

 人間という存在の波動を変える原点は、間脳の視床下部にある。ここの波動を

変えることにより、全身の波動が変わり、特殊な精神波動と肉体波動を持つ存在

になる。それは、カルマの規制を受けない、ふつうの人間とはまた異なった、高

度な霊的存在とよぶよりほかない存在となるのである。これが成就すると、特

殊な「霊光」が発生するようになる。この特殊なオーラの発生は、全身の波動が

変化したことを示すのである。オーラについてはまたあとでのべるが、このオー

ラの発光源は間脳なのである。瞑想だけでは、以上のような”次元の変化”は

不可能である。もちろん、心の安定、集中、まったく新しい高い次元へのメディ

テイト等、瞑想はこの修行に絶対必要なものである。しかし、それはひとつの

手段にすぎない。瞑想は、大脳辺繰系と新皮質脳しか動かすことができない。だ

から瞑想だけではだめなのである。間脳をはたらかす瞑想でなければ、オーラは

発生しない。したがって、カルマを越えることはできないのである。

 では、なにが必要なのか?

 特殊なtaPas(練行)である。

 学者はtapasを苦行と訳しているが、わたくしはこれを、練行と訳したい。そ

してこの練行が絶対に必要なのである。

思念による王者の相承

 チベット密教のニンマ派では、古くから解脱の完成に三つの方法があると説

いている。

                 

一、思念による王者の相承  

二、象徴による持明者の相承     

                       ガンダク ニェッ ギ ギ ユー 八

三、耳を通した言葉による人の相承  gang zag snyan gyi brgyud pa

 である。

 霊界の法の世界において、法の完成者タターガタ(如来)が常恒に法を説いて

いる。

 一の「思念による王者の相承」とは、この法身タターガタが、言葉や象徴と

いう原価なしに、直接相手の心に自分の心を伝達するものである。この場合、

心、というのは単なる思念の心ではなく、パワーを主としたものと思うべきで

ある。これによって、相手はたちどころに仏陀として完成するのである。

 これは最高であり、理想的なものであること、もちろんである。「王者の」、と

いう所以である。

 二の「象徴による持明者の相承」とはどういうものかというと、象徴とは、あ

亘目葉、かたち、音、色などに複雑な思想の内容を圧縮して詰め込んだものを

いい、また、持明者(征だF)とは、純粋な心で実相をそのまま見ることがで

きる真如の世界に到達した者たちのことである。この相承(方法)では、真如の

理解を持つ持明者たちは、導師から象徴を示されることで、密教の深奥に到達

する教法を授けられるのである。

 以上のすぐれた方法に対し、ふつうの人間は、霊感はなかなか得がたく、ま

た象徴だけでは深い密教の教法を即座に理解することはできない。そこで、ラ

マが、いろいろな言葉をもちいてくわしく説き明かし、弟子に理解させていく。

いわゆる「口頭伝授」である。これが、三の「耳を通した言葉による人の相

承」である。

 以上の三つの方法を、わたくしは、つぎのように分類する。

一思念による王者の相止間脳系霊的バイブレーシン

ニ、象徴による持明者の相承匹トトド新皮質系=マントラ、タントラ、言葉、

      音楽、象徴

三、耳を通した言葉による人の相承トト大脳辺繰糸=言葉、マントラ、音楽

 これは、チベット密教だけではない。世界中のいかなる宗教でも、究極至上

のものに到達するためには、この三つの方法しかないであろう。

 しかし、究極至上のものに到達するためには、この三つだけでは不十分なの

である。欠けているものがある。なにが欠けているのか? さきにのべた練行

tapasである。

 だが、そういうと、一は最高理想のものなのであるから、他のなにものも必

要ないのではないかといわれるかもしれない。そうではないのである。その最高

理想のものを受けるために、tapasは必要なのである。

練行とはなにか

 では、その練行tapasとはどんなものか?

 それには、ひとっの例として、わたくしの修行体験をお話しするしかないと

思われる。

それを見ていただくことにしよう。

いまから四十年以上前に刊行した『密教・超能力の秘密』からの抜粋である。

求聞持聡明法の秘密

 私は定に入っていた。

 ひたすら、ふかい綜制に入っていた。

 修するは求聞持聡明法。三度目の修法であった。

 最初は真言宗密教の行法に拠った。完全な失敗であった。それは集中力

を高めるという効果はあったが、それ以上のものではなかった。つぶさに

この行法を検討して、私は、しょせん、真言宗密教の求聞持聡明法に、大

脳皮質の構造を一変するごときシステムはないとの結論を得た。すくなく

とも、従来のままの行法に、それだけの力はない。求聞持聡明法を成就し

て、悉地を得たという弘法大師空海は、あとにのこしたこの行法以外に、

必ず、なんらかの秘密技術を体得しているのに相違なかった。彼ののこし

 

 サヘト・マヘトでバスをおりたとき、

「ここはいいな」

 とまず思ったのは、もの乞いや、もの売りのすがたがまったくなかった

ことであった。

 どの仏跡も、もの乞いともの売りが喧噪をきわめ、これがどれだけ聖地

のイメージをそこねていたことか。

 祇園精舎の入り口の前の広場に、二階建て、白塗りの寺院があった。そ

の前に数名の人が群れ、その中心に、六十歳なかばと思われるがっしりと

した体格の一人の憎が立っていた。バスからおりたリンポーチエをみとめ

ると、満面に笑みをたたえ、大きく手をひろげて近づいてきた。二人は手

をにぎり合って、なつかしそうに話しはじめた。

 やがてひき合わされたところによると、リンポーチエの先輩すじにあた

る聖師で、メチワラーサンガラターナというかたであった。

 「スリランカの出身で、非常な学僧です。去年、ここへ寺院を建てたのだ

そうです。わたしもここへ来るまで知りませんでした」

 そう、リンポーチエがいった。

 「仏陀が十八年間説法されたこの精舎のそばで、生涯を終えるのが、わた

くしのかねてからの念願でした」

 サンガラターナ師は、あたりに響きわたるような大きな声で語った。や

やなまりのある英語であった。がっしりとした頑丈そうな体格で、声が大

きいのは健康なのだろう。八十一歳という年齢を聞いてびっくりした。ど

うみても六十歳代としかみえないのである。

 師が先に立って、精舎を案内してくださった。われわれが師をガイドに

得たことはじつにしあわせであった。観光会社がつけてくれたガイドも、

この地のことにはあまり知識がなく、リンポーチエにしても、数年前に一

度しか来たことがなかったのである。他の仏跡地のように、サヘトーマヘ

トには案内人がいないのである。もし、サンガラターナ師がおられなかっ

たら、われわれは、祇園精舎をただあるきまわるだけで、ひとつひとつの

 

 

た求聞持法の行法は、その秘密技術のヒントになるべきもののみをつらね

たに過ぎず、その秘密技術は‘おそらく、自分白身の訓練努力によって

みずからが発見せよとつきはなしているのにちがいなかった。それを発見

するだけの努力をし、発見できるだけの資質のあるもののみがそれをわが

ものとする資格かおるのだ、と、つめたく未来を見すえている不世出の知

性の目を、私は行法次第のなかに感じた。それゆえにこそ、宗教者として

ゆたかな天分を持つ興教大師覚鏝が、七たびこれを修して失敗し、八度目

にしてようやく悉地成就を得たという難解の行法となっているのである。

そうでなければ、覚鏝ほどの才能が、なんで七たびも失敗しようか。

 (中略)

 二度目の修法に、私は、古代ヨーガの技術をとり入れた。ひしひしと感得

するものがあった。五〇日のその行で、求聞持法の成就はみられなかった

が、私の考えのまちがいでなかったことがよくわかった。この方法で、求

聞持法はかならず成就する。つよい確信を得た。この技法を積みかさね、

延長してゆけばよい。これしかない。ぜったいの自信を得た。

 この、私の技法によれば、従来のごとく、山にこもって五〇日ないし

一〇〇日、明星を拝しつづける必要がなかった。常住坐臥、閑寂の部屋な

らば、時、ところをえらばなくてもよいのであった。ただ、最初の三日な

いし七日間、山居して明星とあい対し、これをふかく脳裡にとどめておけ

ばよかった。あとは、三〇日、五〇日、一〇〇日、よしんば1000日か

かろうとも、日常の生活の行忙のうちにトレーニングを積みかさねてゆけ

ばよいのであった。この発見はすばらしいものであった。これでなくて

は、法はついに民衆と無縁のものになってしまう。五〇日、一〇〇日、特

定の山にこもらねば成就しないというのでは、ごくかぎられた人たちのみ

しか参加することはできない。民衆と無縁になってどこに法の存在価値が

あろう。私は、このシステムによって、この法を完成せねばならぬ。法の

ために、民衆のために、どうしてもI。

 そして、三度目の必死の修法に私は入っていた。

 

 それは、ほぼI〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニ

ングのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに、古

代ヨーガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘法から私か創案した特殊

な手印とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質

と脳髄は、微妙な変化をおこしつつあることが感じられていた。チャクラ

の開発も順調にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じ

ていた。

 夜明け、

 まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。しびれ

の感覚であった。かるい失心、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。

その刹那、

 「ああツー」

 と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流がながれた感覚が

走った。落雷があったと感じた。目の前を紫電が走った、つぎの瞬間、眼

前でフラッシュをたかれたように、私の視野は真っ暗になった。失明!

という考えが、チラリと脳裡をよこぎった。と、そのときであった。頭の

内奥、深部に、ポッカリとあかりがともったのだ。そして、それは、私の脈

傅とおなじリズムで、しずかに、しずかにまたたきはじめた。ちょうど、

この修法をはじめる数十日まえ、山にこもって見つめたあのときの暁けの

明星のように’-それはつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。

 「そうか!」

 私は力いっぱい膝をたたいた。                 、

「そうか! これが明星だったのか!」

 私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

第三の発見---視床下部の秘密

 私は幼少のときから剣道をしこまれた。藩の剣術師範の家柄に生まれ、

若年の折、江戸お玉ヶ池の千葉門で北辰一刀流を学んだという祖父に、は

                                                                              

 

じめて木剣を持たされたのは三歳ごろであったろうか? そのとき私は、

祖父の顔をゆびさして「目ン目がこわい!・」といって泣いたそうである。

そのころ八〇歳を過ぎていた祖父は、ほんとうの好々爺になりきってお

り、私は2  だん、父よりも母よりもなついていたが、そのときばかりは、

木剣のむこうに光った剣士鳥羽源三郎源 靖之(祖父の名)の目に、ひとた

まりもなくちぢみあかってしまったものらしい。めったに泣いたことのな

い私か一時間ちかくも泣いていたという。〃それでもあんたは木剣だけはは

なさなかったよ”と、いまでも老母がはこらしげに語ってくれるのだが

、私は、のち、三段にまで昇り、健康を害してやめたが、剣の天分が

あるといわれ、少年時代、そのころ盛んであった各地の剣道大会に出場し

てかぞえきれぬほどの優勝をしたのは、この祖父の血を受けたものであろ

う。私は剣道が好きであった。防具のはずれの肘を打たれて腕かなえ、思

わず竹刀をとり落としたりするときはつらいとは思ったが、苦にはならな

かった。面金を越えて深くあざやかに面をとられたときは、目からパッと

火が出て、プーンときなくさいにおいを嗅いだ。ほんとうに目から火が出

るのである。けっして形容詞ではないのだ。これは剣道修行の体験者なら

ばみなご存知のはずである。

 その火なのだ。そのときの私の視野をかすめた閃光は。

 しばらくしてわれにかえった私はそれに気がついたのだった。そうだ。

あの火はあのときの火とおなじだ。そして目から火が出ると同時に面金の

なかでかいだあのなつかしいキナくさいにおいもいっしょにかいだような

気がしたのだが-、しかし、”目から火が出る”ほどのこの衝撃は、いっ

たいどうしたということであろうか? 外部から私の頭部を打ったものは

なにひとつない。すると、私の頭の内部でなにごとがおこったというので

あろうか。それともあれはなにかの錯覚であったのか?

 私は、ふたたび一定のポーズをとり、頭をある角度からある角度にしず

かに移しつつ特殊な呼吸法をおこなって、定にはいっていった。と、なん

の予告も感覚もなしに、さっきとおなじ場所に火を感ずるのである。同時

に頭の深部にある音響が聞こえはじめた。私は、またさっきの電撃に似た

痛覚を頭の一角に感じるのかとひそかにおそれつつ、少々、「おっかなびっ

くり」にそれをやったのであったが、今度はぜんぜん痛みもなにも感じな

かった。そうして頭の内奥の上部に”明星”が2  たたびまたたいた。

 まさに、私の脳の内部に一大異変が生じていることにはまちがいは

なかった。しかし、それはどういう異変であろうか?

 それは一種の化学反応によるショックであったのだ。

 脳の深奥、「視床下部」に異変が起きたのである。すべての秘密は、間脳

の内部の視床下部にあった。ここが秘密の原点だったのである。

 私がさきの章で内分泌腺の機構について図までかかげて説明したのは、

これを知ってほしいためであった。専門学者はさぞかし片はらいたく思わ

れるのにちがいなかろう。それを承知でおくめんもなく素人の私かあえて

それをしたのは、この視床下部の秘密を読者に知ってほしいためであった。

 すべての内分泌腺を統御しているのは視床下部である。そしてここが、

ヨーガでいうブラーマーランドラ(梵の座)であり、サハスラーフーチャク

ラなのである。今までのヨーガの指導者のいうように、それは、松果腺、

松果体ではない。視床下部が、サハスラーラーチャクラなのである。もっ

とも、視床下部のすぐそばに松果体があるので、それを見あやまったので

あろう。もっとも、松果体自身もある重要な役わりを受けもつ。けれど

も、サハスラーフーチャクラそのものは松果腺ではなく、視床下部であっ

た。

 視床下部はいまいったように、下垂体系を通じて全内分泌器官を統御す

る。それでは、なにをもって統御するのかというと、もちろんそれは”神

経”である。したがって視床下部には重要な神経がたくさん集まってい

る。私は、古代ヨーガのなかから、この部分を動かすポーズとムドラーを

創案してここにつよい圧力をくわえ、同時に、強烈な思念(念力)を集中し

ていた。百日のあいだ、たえまなく、私はここに、物質的、精神的、両面

にわたるつよい ルギーを集中した。その結果-、ここの神経縁組に

一大異変が生じたのだ。その異変により、神経縁維が異常分泌をおこした

か、それともそこにある分泌液、神経液に変化がおきたのか、そのいずれ

であるかはわからぬが、それらの分泌液が複雑に混合し合って、化学反応

をおこしたのだ。あの火は、その化学反応による衝撃が、視床の神経をは

げしく打って、網膜に閃光を走らせたのだ。その衝撃はここの神経線維に

シナプスをむすび、その火はいつでも私の思うまま私の脳の内奥に明星を

またたかせることとなった。同時に私の脳の構造も一変した。求聞持聡明

法の成就である。求闘持聡明法とは、脳の内部の化学反応による脳組織の

変革であったのだ。         (『密教・超能力の秘密』平河出版社)

 わたくしのいう練行tapasが、どのようなものであるか、だいたいおわかりい

ただけたことと思う。いまから考えると、これは「求聞持聡明法」そのものの成

就ではなかったかもしれない。まったく新しい法の開発ではなかったかと思う。

 そのいずれであるかは別として、霊視・霊聴、ホトケの現形といった霊的な

超常的パワーをわたくしにあたえてくれたことだけはたしかであった。

 そしてまたそれは、それだけのことではなかった。つぎの次元への大きな飛

躍台となるものだったのである。それはおよそ『密教・超能力の秘密』刊行後十

年のちに起きた。

 

 

一九八〇年十一月、わたくしはインド仏跡巡拝の旅に出た。その旅行におい

てそれは起こった。

 一九八一年七月発行の『一丸九九年カルマと霊障からの脱出』単河出版社)よ

りの抜粋である。

 

白銀の輝きにみちたバイブレーション

 

   五目、六日、七日、と旅程は順調にすすんでぃった。

   しかし、日を経るにしたがって、わたくしのこころは沈んでぃった。

   仏跡のひとっひとっみなすばらしいものではあったが、わたくしのここ

  ろひそかに期待していたような感動はあたえてくれなかったのである。ま

ことに不遜ないいかただが、このわたくしがこうしてインドまできたの

だ。なにかあるはずだ、そう気負っていたものが崩れおちていた。

 八日目。

 仏跡巡拝さいごの日であった。

 仏陀終焉の地、クシナガラ。

 仏陀が十八年間説法されたという祇園精舎サヘトーマヘト。

 これでおわりであった。あとの旅程は、デリーから、エローフ、アジャ

ンタの石窟寺院で、仏教にゆかりはあるが、仏跡そのものではない。

 わたくしのこころは、もはや仏跡からはなれていた。だから、その朝、

道路事情が非常にわるいため、クシナガラかサヘトーマヘトか、いずれか

一方にしぼらねばならなくなったと聞かされたとき、わたくしは、どちら

でもよい、と思いながら、なに気なく、

 「サヘト・マヘトにしよう」

 といったのだ。

 それを告げた秘書が、

「やはり、そうですか」

 といったが、わたくしはべつに気にもとめなかった。

 動き出したバスの中で、秘書がこういった。

 「前から、リンポーチエがいっておられたんです。桐山先生には、どこを

おいても、サヘト・マヘトにはかならず行っていただきたい、と。ですか

ら、さっき先生のご決定を聞いて、やはりそうかと思ったんです」

 「  うむ、リンポーチエがそういっていたの?」

 「はい、日本にいるときからそうでした。カトマンズに出迎えられたとき

も、くりかえしていっておられました。さっきも、ぜったいにサヘト・マ

ヘトにするよう、先生に申し上げてくれといっておられました」

 わたくしはうなずいたが、べつにふかくは考えなかった。しかし、その

サヘトーマヘトに、真っ向からわたくしを叩きのめすすさまじい衝撃が待

ちかまえていたのである

 

遺跡について、くわしいことはなにひとつ知ることはできなかったであろ

う。師はわが家の庭のごとく、愛情をこめて、あれこれと指さしながら説

明して行く。

 小高い丘の上に立って、わたくしは師の説明を聞いていた。

 そのとき、突然、それがやってきたのだった。

 師の大きな声が突然すうっと遠のいたかと思うと、右ななめ前方から、

があんと、頭から頬にかけてなぐりつけられたような衝撃を感じたのだ。

 目の中を白い閃光が飛んだ。剣道で力いっぱい面を打たれたとき、目の

中を走るあの閃光に似ていた。わたくしは思わずくらくらとして、額に手

をあてた。一種のバイブレーションであることはわかった。わたくしも密

教の修行者として各地の霊場をあるき、何度か霊的なバイブレーションを

うけている。しかし、こんなすさまじい叩きつけるようなバイブレーショ

ンははじめてであった。しかもまったく無防禦だったので、完全に不意を

つかれたという感じだった。どこでも霊場へ入るときには、それなりの心

がまえをして入る。だからつよいバイブレーションをうけてもうけとめら

れるのだが、ここでは全く無防禦だったので、その衝撃はことにつよかっ

たのだ。数秒つづいたように感じたが、それはほんの一瞬のようであっ

た。師の大きな声がふたたび耳によみがえってきた。

 「待ってください」

 わたくしは手をあげて師を制した。

 「ちょっと待って。わたくしはいま、ものすごいバイブレーションを感じ

たのです。それはものすごいバイブレーションで、そう、あの方向からき

ました。あれはなんですか? あの凹地はI」

 わたくしは、その衝撃がきたと思われる方向をゆびさした。五十メート

ルほど前方に、雑草の生いしげった凹地があった。そこから、それがきた

と思われた。

 「ああ、あれですか」

 と師はうなずいた。

 

 

「あれは、ミラクルの池です」

「ミラクルの池?」

「そう、ミラクルの池。仏陀が奇蹟をおあらわしになった。そこであそこ

を、ミラクルの池とよぶのです」

 「そのミラクルとは、どんなミラクルなのですか?」

 「それは、仏陀が空中を浮揚してこの池の上に立ち、上半身を火に、下半

身を水にかえたのです」

 「ほう、それはどういうことですか?」

 それはですね、と師の説明によると、こうであった。

 スラバスティの大長者スダッタ(須達多)が、仏陀のために大金を投じて

ここに土地を求め、大精舎を建立した。仏陀の名声は四方につたわり、教

えを乞うもの腫を接した。

  この附近には、ジャイナ教その他の外道の寺院がたくさんあった。それ

らの寺院の指導者たちは、仏陀の名声をねたみ、いろいろ、仏陀を中傷、

  批難した。中でもとくに、仏陀を口のうまい山師にすぎないといい2  らし

た。口さきで理論を説くだけで、なに一つ神通力を持っていない、要する

に口舌の徒であるという批難であった。当時のインドの宗教界では、指導

者となるためには、なんらかの神通力を持つことが、必須の条件とされて

いた。ところが、仏陀は、無用に神通力をあらわすことをきらって、この

地に来てから一度もその力を示すことがなかったのである。

 他の教団の指導者たちは、これを、仏陀にその力がないからだと考え、

これを攻撃したわけである。仏陀が大神通力の持ちぬしであることを知っ

ている高弟たちは、一度、ぜひその力を示されるようおねがいしたが、仏

陀は承知されなかった。いよいよ神通力などないと思いあがった他教団の

指導者たちは、白分たちのパトロンである他の長者や勢力者たちを通じ

て、スダッタに、仏陀と神通力の試合を申し入れた。負けたほうがこの地

を去るという条件である。スダッタもついにことわりきれず、仏陀に試合

を懲憑した。あるいは、スダッタも仏陀の神通力を見たかったのかも知れ

 

ない。仏陀もスダッタの立場を考慮され、ついにこれを承諾された。

 その日、他の教団の指導者たちが、これみよがしにさまざまな神通力を

競い合ったさいごに、仏陀がすがたをあらわされた。

 仏陀は三層の高楼の露台にそのおすがたをあらわされたのである。いか

なる神通力をあらわされるのかと群衆が固唾をのんで見守るなか、なんと

仏陀は露台の手すりを無雑作に乗り越えられ、空中に足を踏み出されたの

である。一瞬、手をはなされる。仏陀墜落! とみるまに、仏陀はそのま

まゆっくりと空中を浮揚して、庭園にむらがる大衆の頭上を越え、きよら

かな清水をたたえた庭園の池の上に立たれたのである。微風に小波をたて

る清涼池の水の上に、仏陀はしずかに立っておられるのである。群衆が思

わずわが目をうたがったつぎの瞬間、仏陀の上半身は火炎となって燃えあ

がり、下半身は玉のような水と化したのである。

 目のあたりに見る大神通力に、なみいる他教団の指導者や、土地の勢力

者をはじめ、すべてのひとびとはその場にひれ伏して、頭をあげ得なかっ

た。

 わたくしは、額に手をあてて師の説明を聞いていた。途中からふいに、

やわらかなバイブビションとともに、ひとつの概念-思考の流れがし

ずかにわたくしの脳髄ふかく流れこんでくるのを感じたのである。わたく

しは、自分の思念をまったくとめて、それをすなおにうけいれていた。突

如、さいごに、すさまじい戦慄が走った。全身の血がいっぺんにひいてゆ

くような、名状しがたい恐怖感の襲撃だった。それがおわったとき、師の

説明もおわった。

 「先生、その、上半身が火となって、下半身が水となる、というのは、ど

ういうことでしょうか?」                    ’

 とだれかがわたくしに質問した。

 「ああ、それはね、全身のチャクラが、すさまじいパワーで、エネルギー

を放射したのでしょう。空中浮揚をするために、仏陀は全身のチャクラに

すさまじいエギルギーを集中した。池の上に降り立って、その于不ルギー

 

 

を放射したのでしょう。そのエネルギーの放射が、炎のように見えたのだ

ね。チャクラがエネルギーを放射すると、全身が炎につつまれたように

なって見えます。これは、ヨーガースートラなどにも書いてある。そうい

うとき、しばしば、からだが透明状になることがある。下半身が水になっ

たというのは、仏陀のおすがたがそのとき、透明になったので、池の水が

反映して、水のように見えたのでしょう。このミラクルは、クンダリニー・

ヨーガの最高の技術をみせられたものと、わたくしは考えます。そういえ

ば、わたくしは、以前、仏陀は、クンダリニー・ヨーガの熟達者たった、

と文献を引用して本に書いたことがあります」

 そう、わたくしは説明しながら、はやく、ひとりになって、思考をまと

めたいと思っていた。さきほど流れこんできたあの思念の流れII-あれは

いったいなんであったのか? 必死に、わたくしは、それを散らすまいと

してみつめつづけていた。はやく、ひとつのものにまとめたいと思ってい

た。

 それができたのは、それから数時間後、ラクノウという都市に着いて、

ホテルに入ったときであった。

 わたくしは、あわただしく自分の室に入って、シャワーを浴びると、す

ぐに定にはいった。ミラクルの池でのあの体験を、もう一度再現しようと

思ったのである。

 定にはいると、すぐに手がはげしく動いた。「自動書記だな」と直感し

た。これは、霊的状態になって手が無意識に動き、文字を書くのである。

すぐに、ノートを、と思ったが、あいにく、このホテルは、宿泊するので

はなく、午後九時発の夜行列車に乗るまでの三、四時間を、休息と食事のた

めに入ったので、トランクその他、筆記用具を入れた鞄はすべて、みんな

の荷物といっしょに、下のロビーに預けてしまっていた。手もとには何も

ない。しかし、とりにいっているひまはない。時機を逸したら、もう二度

とこの手の動きはもどって来ないかも知れぬのだ。

 わたくしはあわただしく座を立って、机のひき出しをさがした。あっ

た! さいわい、ホテルのメモ用紙が数枚あった。ボールペンもある。む

しやぶりつくようにペンをにぎると、それは勢いよくメモの上を走った。

 最初、それは、脈絡のない単語や名詞の羅列であった。しかし、それ

は、ミラクルの池のあの思念の流れと一致していた。わたくしは、食事も

とらず、出発までの時間を挙げてこれに傾注した。整理して、さいごに書

きあげたのがつぎの文章であった。

 それは突然ななめ前方からやってきた。

 一瞬、目がくらむほどの衝撃だった。

 そんなことなどぜんぜん予期しておらずまったく無防備だった自分は、

あっというまにその衝撃に叩きのめされてしまったのだ。

 修行、学問、そんなものはなんの役にも立たぬものであることを思い知

らされた。

 こころひそかに誇っていたこれまでの自分の修行も教学も、あっという

まに消しとんでしまった。叩きのめされてしまった。

 これなんだ、これでなくてはならないのだ。これしかないのだ。目もく

らむようなあの白銀の輝きにみちたバイブレーションー

 一〇〇年の修行も万巻の教学も、ただ一瞬のこの霊的バイブレーション

に如かぬことを思い知らされた。

 これがそれだったのだ。これが究極のそれだったのだ。このためにこそ

わたくしはここにやってきたのだ。

 おお、サヘトーマヘト、聖なる地、

 あなたはここに待っていてくださった。

 わたくしがいまあなたから受けたものを、これからわたくしはひとびと

にあたえねばならぬ。

 

 いま、わたくしは聖者であることをつよく自覚する。

 すべてのひとびとがこの聖なるバイブレーションを受けることのできる

聖地を、わたくしはひがしの国につくらねばならぬ。この輝きにみちたサ

ヘトーマヘトの地を、そのまま、日本の国にうつさねばならぬ。それがわ

たくしの使命だったんですね。それをかならずはたすことをわたくしはあ

なたに誓います。

 そうですか。

 もう一度、わたくしはこの地に来なければならないのですね。だが、そ

のときなにが起きるのでしょうか? そのとき起きる或ることを、わたく

しは非常なおそれの感情とともに予感します。

 

 ああ、あの一瞬の霊的バイブレーショック!゛

 一〇〇年の苦行も万巻の書物も、このバイブビ・Iションなくしては、路

傍の石ころにも劣るのだった。このバイブレー’ショッをあたえることので

きる聖者こそ、査]の導師だったのだ。理解できました。

 聖師よ、ありがとう!

                       昭和五十五年十一月八日

                        ラクノウのホテルにて

                            急拠しるす。

書き終えて、わたくしは虚脱状態になった。

                 (『一九九九年カルマと霊障からの脱出』)

 -土のサヘートーマヘートにおける状況は、奇しくも、阿含宗の記録映画

「おお、サヘト・マヘト、聖なる地」に収録されているので、読者はぜひ、機会

をつくってごらんいただきたい。

 ところで、以上の文章をお読みになって、「求聞持法」(としておく)成就のと

きのわたくしの状態と、サヘートーマヘートにおいて霊的バイブレーションを

--

る。前者は内部から、後者は外からのものであったが、衝撃の内容はまさしく

同種のものであったのだ。もっとも、後者は、前とはまったく比較にならぬす

さまじいものであったが.

 賢明な読者はすでにお気づきであったろう。これが、チベット密教のいう

「思念による王者の相承」であることを-。思念による王者の相承とは、じつ

に、霊的バイブレーションによる伝達だったのである。

 わたくしは、これによって、解説に至る四つの階梯のうちの、第三の境地に

達したことを自覚したのであるが、これは、間脳開発の練行tapasを成就してい

なかったら、絶対に得られなかったものである。内なる受容の態勢がととのっ

て初めて、外よりの王者の相承が発せられるのである。

 

It begins with meditation
I connected electronics and spirituality with the “Diencephalon Thinking” introduced in the previous chapter.
When asked what the animal was, he replied that it began with meditation.
After that, after much progress,
“So, is it also a meditation to develop a diencephalon?”
I was asked. I,
“No”
I covered it with a cover.
“Do n’t you meditate?”
“No”
I also covered this.
He stared at me with a grim expression.
So I answered.
”It starts with meditation”
I see, he nodded. I explained.
It starts with meditation, but not just meditation. Completion of spirituality is meditation
It’s impossible by just thinking. Stabilization of mind, adjustment of desire, suppression of instinct, etc.
It is a boundary that can’t be reached at all times. Thoughts, changes in ideas
Is a dimension that can never be reached.
why?
The point of completion of spirituality is transcendence from Karma.
What is karma? In other words, it is like an attraction on the earth.
Everything that exists on the earth is under the control of the earth’s attraction. Anything is attractive
I can’t escape. No, the Earth itself is
It is made up. The same is true for human karma. All people
And under the absolute regulation of reincarnation karma. From this karma,
A “fate” arises and binds humans. No, depending on the relationship between karma and
But the completion of spirituality. In other words, it is an escape from attraction. Anti-gravity training
It is. The dimension of one’s existence changes by the training.
What is existence? It ’s ultimately “wave”. The wave of “I myself”
Will change. As a result, the wave of “karma” is exceeded.
The origin that changes the wave of human existence is in the hypothalamus of the diencephalon. Wave here
By changing, the wave of the whole body changes, and there is a special mental wave and physical wave
become. It is also different from ordinary humans who are not subject to karma regulation.
It will be nothing but a spiritual being. When this is accomplished,
A special “spirit” will be generated. The occurrence of this special aura
It shows that it has changed. I’ll talk about Aura later.
La’s light source is the diencephalon. By meditation alone, the above “dimensional changes”
Impossible. Of course, mind stability, concentration, mediation to a whole new high dimension
Meditation, such as Tate, is absolutely necessary for this practice. But that is one
It is only a means. Meditation can only move the limbic system and the neocortical brain. Is
So meditation alone is no good. Unless it is a meditation that works between the brains,
Does not occur. Therefore, karma cannot be exceeded.
So what do you need?
It is a special taPas.
Scholars translate tapas as penance, but I want to translate this as practice. So
And this practice is absolutely necessary.
The consensus of the king by thought
The Tibetan esoteric Ninma school has said that there are three ways to complete the liberation since ancient times.
It is.
S
1. The consensus of the king by thought
2. Symbolic bearer’s consensus
Gonak Neggi Giyu 8
3. Human zong sang gyi brgyud pa through words heard through the ears
It is.
In the world of law in the spirit world, the perfector of the law, Tatagata (Nyorai) always preached the law
Yes.
‘One of the thoughts of the king ’s companion’
It conveys your mind directly to the other person’s mind without any cost. in this case,
You should think that the mind is not just a mind of thought but a power
is there. As a result, the other party is completed as a Buddha.
This is of course the best and ideal. “The King”
That is why.
2) What is the “sympathy of the bearer with the symbol”?
Compressed and packed contents of complex thoughts into Watameha, form, sound, color, etc.
Good, and the demon (the F) is able to see the reality as it is with a pure heart
Those who have reached the true world. In this agreement (method)
The demonstrators who have an understanding reach the depths of esotericism by showing the symbol from the teacher
You will be given a teaching method.
For the above-mentioned superior methods, it is difficult for ordinary human beings to get inspired.
It is not possible to immediately understand the deep esoteric doctrine with just the symbol. So La
Ma will explain in detail using various words and let the disciples understand.
This is so-called “oral transfer”. This is the third aspect of the human phase
It ’s a
I classify the above three methods as follows.
The spiritual vibrasin of the king’s intermittence by a thought
D, symbolic bearer’s companion Totodo neocortical system = mantra, tantra, language,
Music, symbol
3. Human compliment by words through the ears Toto Cerebral area spinning = words, mantras, music
This is not just Tibetan Buddhism. The ultimate in any religion in the world
There are only these three ways to get to that.
However, these three are not enough to reach the ultimate.
It is. There is something missing. What is missing? Sakini
tapas.
But in that case, one is the best ideal, so everything else is necessary.
It may be said that it is not necessary. That is not the case. Its best
Tapas is necessary to receive the ideal.
What is training?
So what is the training tapas?
As an example, we have to talk about my training experience.
Seem.
Let’s see it.
This is an excerpt from “Secret of Esoteric / Super Power” published more than 40 years ago.
The secret of the solicitation
I was in the middle.
ひ I was in a fussy system.
To repair, use the method of finding a request. It was the third training.
First, it was based on Shingon Buddhism. It was a complete failure. It ’s concentration
Was effective, but not more than that. Crushing
After studying this practice, I was convinced that Shingon Buddhism was a major
We conclude that there is no system that completely changes the structure of the brain cortex. Scoop
However, there is not much power in the conventional manner. Fulfilled the law
Kōbō Daishi Kukai, who had obtained a remote area,
He must have acquired some secret technology. His saw

When I took a bus at Saheto Mahhet,
“This is good”
The first thing I thought was that there was no way of selling or selling things.
Was that.
In every Buddha site, there was a quarrel between merchandise and merchandise.
Was that image of that?
In the square in front of the entrance of Gion Seiya, there was a two-story white-painted temple. So
Several people gathered in front of him, and at the center of it was a 60-year-old man
One hate of the physique was standing. Watch Rimpochie from the bus
Then he smiled with all his face and approached with his hands wide open. The two are hands
I started talking and seemed nostalgic.
According to a meeting with Mr. Rinpotier
It was a saint who was called Mechiwala Sangaratana.
“I ’m from Sri Lanka and I ’m a very priest. I built a temple here last year.
That’s right. I didn’t even know until I came here. ”
That’s right, Rinpochie said.
“Wat is the end of my life near this Seisha where the Buddha was preached for 18 years.
It was a long-cherished desire. ”
Mr. Sangalatana spoke with a loud voice that resonated. And
It was a fluent English. A solid and sturdy physique with a loud voice
I think it’s healthy. I was surprised to hear that he was 81 years old. Do
You can only see it in your sixties.
The teacher took the lead and guided me through the Seisha. We guide the teacher
What I got was really happy. A guide provided by a tourist company,
There is not much knowledge about this place, and even Rimpouche is
I had only come. Like other Buddha sites, Sahe Tomahe
The guide has no guide. If there is no Sangaratana
Then we just go around Gion Seisha,

Only the ones that should be hints of secret technology
It ’s just that secret technology,
He must have been trying to find it. Discover it
Only those who make the effort to discover and have the qualities to discover
The ignorance that is looking for the future
I felt the sexual eye depending on the conduct. Therefore, as a religious person
Kokukyo Daishi Kakujo, who has a rich temperament, failed to fix this seven times and failed eight times.
In the end, it has become a tricky practice of finally achieving a certain fulfillment.
If not, why will the talent as awakening fail seven times?
(Omitted)
In the second training, I adopted ancient yoga techniques. Perseverance and perception
There was something to do. No fulfillment of the Hearing Law was found on that line on the 50th
However, I realized that my idea was not wrong. In this way,
The law of hearing is always fulfilled. I got a good conviction. I piled up this technique,
Just extend it. only this one. I got a lot of confidence.
According to my technique, it ’s 50 days to stay in the mountains as usual.
There was no need to continue to worship Meisei on the first day of the month. Permanent residence, quiet room
If you don’t have time, you don’t have to. Just the first three days
For seven days, stay in the mountains and meet Meisei and keep it in your brain.
It was good. After that, 30 days, 50 days, 100 days, or 1000 days of Yoshiba
Karumo, keep training while you are busy in your daily life.
It was all right. This discovery was wonderful. Not this
The law will eventually become unrelated to the people. 50 days, 100 days, special
If you don’t live in a certain mountain, you can’t fulfill it.
You can only participate. Where the value of the law is unrelated to the people
I will. I have to complete this law with this system. Legal
For the sake of the people, I must.
And I was in the third desperate training.

‘It ’s almost 100 days, my law system is the 100th trainee
It was at the time of Nine kinds of seals of the solicitation method passed down to the Shingon sect,
A special breathing method that was passed down to the Yo-Yo, a special idea that I created from the secret method of ancient Yoga
Training with these three signs and poses, my body and cerebral cortex
It was felt that the brain was undergoing subtle changes. Chakra
The development of was well underway. My six senses feel that the time is ripe
It was.
breaking Dawn,
It was a dull feeling. But it wasn’t a sleep. Numbness
It was a sense of It was similar to a faint heart loss or dizziness. It was a moment of forgetfulness.
That moment,
“Oh two”
And I was crying in pain. A sense of current flowing through one corner of the brain
Ran. I felt there was a lightning strike. The next moment, Shiden ran in front of me
My field of vision became dark, as if I had flashed before. Blindness

 

 

 

 

 

守護霊を持つには、何か特別な行法が必要なのでしょうか。 Do we need any special practices to have a guardian spirit?

 

――守護霊を持つには、何か特別な行法が必要なのでしょうか。
桐山  守護霊は、霊格の高い霊になってもらうのですが、いきなりはできません。
″悪貨は
というのも、世の人みんなが、何らかの悪い霊、霊障を持っています
良貨を駆逐する”と言いますね。良貨を流通させるには、まず悪貨をなくさな
げればいけません。つまり悪い霊をなくすのが先で、霊障を断ち切れば、守護
霊はおのずと現れてくるのですよ。
私自身、一生を霊障をなくすことにかけてきて、やっと守護霊を得たわけで
霊障を断つには″千座行″をはじめ大変な修行が必要だったのです。
ところが61年、スリランカから私どもに。真正仏舎利”というおシャカさま
の御真骨をいただき、真の守護霊が持てるようになったのです。真正仏舎利を
いただき信心すれば、霊障を断ち、福徳を与えてくれる、まるでそれ自身が守
護霊といっていい、すごいパワーがあるのです。
仏舎利というのは、それほど強いパワーを持っているのですか?
桐山  そうです。そもそも仏舎利というのは、おシャカさまの御遺骨のことなので
すが、本当の御遺骨というのは簡単に得られるものではありません。みんな間
に合わせの仏舎利を使っているし、私どももそうでした。ところが縁があって、
本当のシ十力の御遺骨習万正仏舎利”を手にすることができたのです。
この「真正仏舎利」は「生きているシャカ」として尊崇されています。これ
を「生身如来」、「法身如来」と言います。
密教では、シャカの御遺骨、御遺身を「変化法身の釈迦」といって、生身の
シャカの本体とするのです。御遺骨、御遺身が、生きているシャカの本体です。
私の著書「守護仏の奇蹟」でこの点を詳しく書いていますが、その密教では
シャカに三重あることを説き、これを「三重の釈迦」と言います。
第一重のシャカはシ十力の説いた教法。第二重のシャカは生身のシ十力の本
体である御遺骨、御遺身。第三重のシャカは生身のシャカです。第三重のシャ
カはすでにおられないので、第二垂のシャカを生身の釈迦如来としています。
シャカというのは言うまでもなく仏教の開祖であり、仏教そのものの総本尊
です。実在の仏はシャカだげで、私どもはそのシャカをご本尊としています。
桐山名言集◆この世の中のものすべて、どんなものでも、原因となるものがなくて生するものはなく、また因あって
生じても、これを助長する縁がなくては存在しない。因と縁か重なって、経過をたどり、結果か現れる。
差別はないのです。
のです。
実在の仏である本尊としてのシャカは法のうえでオールマイティーであり、
教えのうえでオールマイティーであり、救済者としてオールマイティーです。
それら三つの力を持つシャカの法身舎利を私たちは「守護仏」とお呼びするの
です。
真正仏舎利のおシャカさまが、夫婦ゲソカをやめさせるなんておかしいよう
だけれど、救世者としての力は、世界の危機を救うのも夫婦の危機を救うのも
「守護仏」が、この世のあらゆる悩みや苦しみから、私たちを救ってくださる
というわげですね。
桐山  すでにこの「守護仏」がもたらす奇跡がたくさん現れているのですよ。そし
てこの「守護仏」こそが、ほんとうに力のある「守護霊」をもたらしてくれる

*如意宝珠法
仏舎利を本尊として
法を修すること。
この法は、ことに末
法の世の衆生を益する
ものとされている。物
質的に衆生の願望をか
なえるだけでなく、霊
障のホトヶを救い、三
界困苦の衆生を解脱さ
せる。

あなたも霊能者の仲間になれる
雲言囮ベストがだめならベターでゆけ。千座行で悪い運気を取れば9 達も得る
真正仏舎利という大パワーを得て、千座行をする必要がなくなったと言えるのですね。
桐山  そうですね。修行の話をし孝すと、私が密教に入ったとき、ます考えたのは、
一生を通じて自分の行としてどういう行法をしようか、ということです。これ
は、密教の修行をする時、みんな考えることですがね。
いろいろな行法の中から、より自分を高めてくれ、自分の方向に合った行法
を選ぶわけです。
で、私のそりたいのが、。如意宝珠法”だったのです。
仏舎利を本尊として、この法で祈るとき、自分の悪因縁を断ち切り、そのう
願いが点のごとくかなりIオルマイティーな 高昨のわ法で。
ところが問題は本尊とする仏舎利です。本物なんてあるわけない。大きな米
粒を一つ清めて法を修すると本物と同等の仏舎利になるということになってい
るのです。だからお米のことをシャリというんでしょう。霊石を使う場合もあ
りますよ。
で、お米の仏舎利で祈るのですが、心の片隅に「これは米粒じやないかな」
という思いが少しでもあると、とても願いなんてかないません。それで行法を変えたんですね。
桐山  そう。要するに、「私にはまだ。如意宝珠法”なんてやる徳がないんだ、もっ
と徳を積んだら、あるいは本当の仏舎利が手に入ることがあるかもしれない。
そうしたら、如意宝珠法をやる資格ができたということだろう」と思いまして、
ペストがだめならベターだというので選んだのが、。因縁解脱の千座行”だったのです。
これは悪い因縁を切るだげの行法でしたが、悪い因縁を切ればおのずから福
徳も生ずるだろうと思ったわけです。

霊言国人の悩みを聞き、アドバイスできる
指導者を育てたい
Z千座行から移行したことで、内容的にはどんな変化がありましたか。
桐山  たいへんな飛躍です。
オールマイティーであり、救済者としてオールマイティーである三つのスーパ
ーパワレ‘。これが、ほんとうの仏教だという
つた。今まて思いです。そしてまた、実際に奇跡的霊験があいついで現れています。
具体的に、信者の修行のしかたはどう変わりましたか。つた。今までとまるっきり比較にならない
。結論から~うと、今我での、瞑想と拝むことが主体であった行から、非常に
実践的な信仰になったと思います。私のところの和讃をお読みになればわかる
とおり、″悩める人の杖となれ”とあります。これが実践行ですね。自分が救わ
れようと思ったら、まず他人を救え、と。おシャカさまのこの教えを梵行と言
うんです、が、阿含経の道場では、もともとこの梵行と所作、つまり修行の二本
立てなわけです。人を救うことと、仏を礼拝供養することですね。
今までの千座行では、勤行に一目四十~五十分かかりましたから、これだけ
で精一杯というAが多かったんです。ところがこれからは、拝んでいた時間を
梵行に当て、人を助けることができるわけです。そこが実践的であり、また、
それこそがおシャカさまの阿合の道場のあり方だったということです。
梵行というのは布教伝道のことだと思うんですが、具体的にはどのようにされ
ていくのでしょうか。
桐山  人の悩みを聞いてあげて、アドバイスをするということも含みますが、そう
いう人生相談のできる人をこれからどんどん増やそうと思っています。それに
は指導的な霊能者を最終的に百人作ればいい。百人いれば世界を動かせると思
うんです。    今までは準紙如来という概念上の仏を通じてシャカを拝んでいた。つまり
他の大衆仏教と同じだったわけです。
ところが、今度は、生きたシャカ如来を本尊として法を修することになった。
これは、今までとまるっきり違う。次元が違ってしまったわけです。
前にお話ししたように、法のうえでオールマイティーであり、教えのうえで

Do we need any special practices to have a guardian spirit?

–Do you need any special practices to have a guardian spirit?
Kiriyama The guardian spirit is supposed to be a spirit with high spirituality, but it cannot be done suddenly.
«The bad coins are
Because everyone in the world has some kind of bad spirit
“I will destroy good coins.” To distribute good coins, you must first lose them.
I have to go. In other words, it ’s important to eliminate bad spirits first,
The spirit appears naturally.
I myself took my whole life to get rid of my spirits and finally got a guardian spirit
In order to cut off the spirits, it was necessary to do a lot of training, including “Chizo”.
However, in 61 years, from Sri Lanka to us. A shaka called “Shinsho Buddha”
I received the true bones of I and came to have a true guardian spirit. Authentic Buddha
If you are confident and devoted, you will break spirits and give virtues, as if you are defending
It can be said to be a spirit, and it has a great power.
Do Buddhist priests have so strong power?
Kiriyama That’s right. In the first place, the Buddhist stupa is the remains of Shaka
However, the true remains are not easily obtained. Everyone
We use a Buddhist stylized to match and we did. However, there is an edge,
I was able to get the “real skeleton of the remains of the ten thousand Buddha”.
This “Shinsho Buddha” is revered as a “living shaka”. this
These are called “Life-like” and “Hoshin-yo”.
In Esoteric Buddhism, Shaka’s remains and remains are called “Shadow of change”
It is the main body of Shaka. The remains and remains are the main body of the living Shaka.
I wrote this in detail in my book “The Guardian Buddha’s Miracle”.
Preaching that there is Mie in Shaka, this is called “Mie Shaka”.
The first heavy shaka is a teaching method preached by Shiki. The second double shaka is a living book
The remains and bodies of the body. The third Shaka is a live Shaka. 3rd Sha
Since there is no mosquito already, the second drooling shaka is assumed to be a living Shakyaku.
Needless to say, Shaka is the founder of Buddhism and is the head temple of Buddhism itself.
is. The real Buddha is a shaka, and we have the shaka as our deity.
Kiriyama Quotations ◆ Everything in the world, anything, no one that can be born without cause
Even if it occurs, it does not exist without an edge that facilitates this. Overlapping with the cause, follow the course, the result appears.
There is no discrimination.
It is.
Shaka as a real Buddha who is a real Buddha is almighty under the law,
It is almighty after teaching, and it is almighty as a rescuer.
We call the Shaka’s body with the three powers “Guardian Buddha”
is.
It seems strange that Shaka of the authentic Buddhist stigma ceases to be a married couple
However, the power as a savior can save the crisis of the world and the crisis of the couple.
“Guardian Buddha” will save us from all the troubles and sufferings of this world
Is n’t it?
Kiriyama There are already many miracles from this “Guardian Buddha”. And
The lever “Guardian Buddha” really brings a powerful “Guardian Spirit”

* Ruyi Hoju method
Suppose Buddhist priesthood
To master the law.
This law is especially
Benefit the world of law
It is supposed to be. object
Qualitatively the desire of the people
Not only can you lie, but spirit
Rescue the photo of disability, three
Unraveling the world’s hardship
Make it.

You can be a fellow psychic
If you can’t use the best of Kumo-an, you can go better. If you take bad luck in Chiza, you get 9
It can be said that it is no longer necessary to go to Senza with the great power of the genuine Buddhist temple.
Kiriyama That’s right. When I talked about training and fought, when I entered esotericism,
It is what kind of manner to do as one’s own line throughout life. this
I think that everyone thinks when practicing Esoteric Buddhism.
Enhance your self among various ways of doing things that suit your direction
That ’s why.
So what I want to shave is. It was the “Rui Jiju method”.
When praying with this law, with Buddhist priesthood as the main deity, cut off your bad cause,
願 い The wish is quite I-olmighty like the point.
However, the problem is the Buddhist shrine that is the main shrine. There is no real thing. Big rice
It is supposed that if you clean one grain and learn the law, it will become a stupa equivalent to the real one.
That’s it. That’s why rice is called shari. Sometimes I use spirit stones
Ryo.
I pray at the rice stupa, but in the corner of my heart is “This is a rice grain”
If you have a little thought, you can’t have a wish. So you changed the way of doing it.
Kiriyama Yes. In short, “I still do n’t have the virtue to do it.”
If you accumulate virtue with you, you might get a real Buddhist temple.
Then, I think that I was qualified to do the Ruyi Jewel Act ”
I chose it because it was better if the plague was not good. It was “Chizo’s trip to the reunion”.
This was a way to cut bad ties, but if you cut off bad ties,
I thought that virtue would also arise.

Listen to and advise on the troubles of the spiritual nation
I want to train leaders
What kind of changes have been made in the contents of the shift from Z Chiza line?
Kiriyama is a great leap.
Three supers who are almighty and almighty as saviors
-Power ‘ This is true Buddhism
Tsuta. I am very happy. And again, there are actually miraculous spiritual experiences.
Specifically, how has the practice of believers changed? I got it. It ’s not a clear comparison
. From the conclusion, from the line where meditation and worship was the subject now,
I think it became a practical faith. You can understand by reading my Japanese
As you can see, “Become the staff of the worried person”. This is a practice line. I am saved
If you want to be saved, first save others. Sasha ’s teaching is lameness
Yes, but in the Ajokyo dojo, this was originally a lame and a work, that is, a training
It ’s a stand. It ’s about saving people and worshiping Buddha.
So far, it has been 40 to 50 minutes at a glance for the trip to Chiza, so this is all
There were many people who said that they were full. However, from now on, the time I was worshiping
You can help people with lameness. That is practical, and
That is how Shaka’s Ai dojo was.
I think that lameness is a missionary mission.
Will it go?
Kiriyama: This includes listening to people’s worries and giving advice.
I am planning to increase the number of people who can provide life consultations. in addition
It is only necessary to finally make 100 leading spiritualists. I think a hundred people can move the world
Yeah. Until now, I had been worshiping Shaka through the conceptual Buddhist Buddha. That is
It was the same as other popular Buddhism.
However, this time, I decided to study the law with the living Shaka Nyorai as the principal.
This is completely different from the past. The dimensions are different.
As I said before, it ’s almighty and legal

 

守護仏の奇蹟

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あらためて知りたい: ファイトケミカルについて

からだの細胞を作るのに重要な栄養素って?

人間の体は、約60兆個の細胞からできています。一つ一つの細胞は、新しい細胞を作ったり、古くなった細胞をこわしたりする、「工場」のような仕組みを持っています。いわゆる細胞の新陳代謝は、このような細胞工場の仕事として理解することができるのです。

「細胞工場」では、「たんぱく質」が細胞を作る「材料」となり、「ビタミン・ミネラル」は「材料」を組み立てる「部品」のような役割を担っています。

肌、髪、筋肉、骨などを作っているのは、このような細胞工場の働きです。そのため、細胞のコンディションは、健康と美容の根本に関わっていると言えるのです。

細胞と活性酸素の関係って?活性酸素が体内で増えるデメリットとは

ファイトケミカルス - 健康管理

活性酸素とは、体に取り込んだ酸素の一部から発生する高い「酸化力」を持った物質のこと。もともと体内で絶えず作られる物質ですが、量が過剰になると細胞を傷付け、さまざまな体の不調を引き起こす原因になると言われます。

活性酸素の発生を促進する要素には、喫煙や飲酒、紫外線、ストレス、激しい運動などがあります。食事面での要因の一つは「脂肪の摂りすぎ」と言われることも。脂肪は酸化しやすく、空気にさらされると過酸化脂質に変化します。過酸化脂質は酸化促進作用を持ち、活性酸素と同じ害をもたらすとされています。また、脂質そのものが、活性酸素と結びつきやすい性質を持っていると考えられているのです。

しかし、活性酸素は細胞間での伝達や免疫機能など、体内で必要とされる働きも持っているため、ただ完全になくせばよいというわけではありません。活性酸素の発生をできるだけ抑えること、働きを阻止することが大切だとされています。

ファイトケミカルスってどう良いの?

ファイトケミカルス - 健康管理

活性酸素の働きを阻止するとして期待を集めているのが、抗酸化物質です。近年では、ビタミン類、ポリフェノール類など、食物に含まれる数多くの抗酸化物質がメディアでもよく紹介されていますね。抗酸化物質には、たんぱく質(酵素を含む)、尿酸など、体内で作られるものも多様に存在します。

ファイトケミカルスとは抗酸化物質の一種で、植物が身を守るために自ら体内で作り出す成分のこと。紫外線から身を守るための「色」、害虫を遠ざけるための「香り」などがあります。植物も紫外線にさらされると活性酸素が体内で発生するため、対抗するための物質を作っているのです。ファイトケミカルスを豊富に含む野菜や果物を食べることで、私たちもそれらを摂取して抗酸化に活用することが期待できます。

 

フィトケミカルを多く含む野菜や果物は、色で大別して5つのグループに分けられます。

紫(ナス・黒豆・ブルーベリーなど)

赤(トマト・パプリカ・スイカ・唐辛子など)

黄(玉ねぎ・とうもろこし・レモン・キウイなど)

緑(ブロッコリー・ほうれん草・ピーマンなど)

白(キャベツ・ねぎ・にんにく・大根など)

日々の食生活では、この5色のグループから野菜や果物をバランスよく取り入れるのが望ましいとされています。

人間の体は、約60兆個の細胞からできています。一つ一つの細胞は、新しい細胞を作ったり、古くなった細胞をこわしたりする、「工場」のような仕組みを持っています。いわゆる細胞の新陳代謝は、このような細胞工場の仕事として理解することができるのです。

「細胞工場」では、「たんぱく質」が細胞を作る「材料」となり、「ビタミン・ミネラル」は「材料」を組み立てる「部品」のような役割を担っています。

肌、髪、筋肉、骨などを作っているのは、このような細胞工場の働きです。そのため、細胞のコンディションは、健康と美容の根本に関わっていると言えるのです。

まとめ

活性酸素が体内で増えすぎることによる影響や、ファイトケミカルスを含む野菜・果物について見てきました。ファイトケミカルスはさまざまな種類をバランスよく摂取することが望ましいです。でも忙しい毎日では、たくさんの種類の野菜や果物を継続的に摂るのが大変なときもありますよね。サプリメントなどもうまく活用しながら、ライフスタイルに合わせて取り入れてみましょう。

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カルマ(業)とは?

カルマ」というと、よくスピリチュアルや占いの世界でも
聞く言葉です。何か自分を縛っている目に見えない
運命の力のように思いますが、
一体どんなものなのでしょうか。

カルマ(業)とは

カルマというのは、インドの言葉で、
中国の言葉に翻訳されて「(ごう)」と言われます。
意味は、行為のことです。

私たちの運命は、自分の業が原因となって、
因果の道理にしたがって生みだしています。

善い行いは善い運命を生みだし、
悪い行いは悪い運命を生みだします。
ひとたび業を造ってしまうと、
そこから生み出される運命は避けることはできません。

まいたタネは必ず生えるということです。

善い行いも悪い行いも、寸分の狂いもなく
強烈な力で因果応報の報いを引き起こす、
ということです。

カルマ(業)に3通り

行為というと、普通は「身体で何かすること」だと思いますが、
仏教では、「口でしゃべること」や「心で何か思うこと」も、
業といわれます。

このような、
身体でやったことを「身業(しんごう)」といい、
口でしゃべったことを、「口業(くごう)」といい、
心で思ったことを「意業(いごう)」といわれ、
これらを「身口意の三業(しんくいのさんごう)」といわれます。

仏教ではこのように、
行いを心と口と身体の3方面から見られます。

そして、世間では、心でよからぬことを思っても、
口や身体に出さなければとりあえずセーフと思っていますが、
仏教ではアウトです。

口や身体が動くのは、心が命じたからですから、
口や身体が悪いことを言ったやったりするのは、
心に責任があります。
悪い事をした場合の主犯は、心になります。

ですから仏教では、口や身体よりも、
心で何を思っているかを最も重く見られます。

ですから
殺るよりも 劣らぬものは 思う罪
という歌にもありますように、
身体で殺すのも恐ろしい罪ですが、
心で思うのは、最も恐ろしいと教えられています。

カルマ(業)が運命を生み出すしくみ

この心と口と身体の三つで造られた行いは、
目には見えませんが業力という力のようなものになって、
決して消えることなく蓄えられます。
これを「業力不滅(ごうりきふめつ)」といいます。

その不滅の業力が、私たちが生まれる前、果てしない遠い過去から
死んだ後、永遠の未来に向かって流れて行る藏のような心に蓄えられます。

」というと、自分の肉体だと思っていますが、
肉体は河の水面に浮かぶあぶくのようなもので、
あぶくが生まれたり消えたりしている間も、
とうとうと流れる大河のような永遠の生命があります。

この永遠の生命が、「阿頼耶識(あらやしき)」といわれる藏のような心です。
この阿頼耶識は、心理学でいう深層心理や無意識よりはるかに深いもので、
私たちの本心です。

この前世から現世、来世へと流れて行く不滅の阿頼耶識
不滅の業力がおさまるのです。

そして縁が来たときに、因と縁が和合して、
目に見える運命となって現れます。

目に見えない業力が、どうして目に見える運命を生み出すのか
分かりやすく説明した歌に
年毎に 咲くや吉野の 山桜 木を割りて見よ 花のありかは
という歌があります。

平安時代の昔から桜の名所といわれる奈良県の吉野山は、
毎年春が来ると、きれいな桜が咲き誇ります。
そこである人が、冬に吉野山に行ってみると、
枯れ木のような桜の木がつくんつくんと立っているだけでした。
なぜ春になるとあんなきれいな花が咲くのだろう
と思って、木を割ってみたところ、
花やつぼみのような、花が咲きそうな形跡はどこにもなかった
という歌です。

しかし、目には見えませんが、桜の木には、
花を咲かせるような勢力がありますので、春の陽気にふれると、
目に見える美しい桜の花が咲き乱れるのです。

ちょうどそれと同じように、
私たちが心と口と身体で何かの行いをしますと、
目には見えませんが不滅の業力となって
阿頼耶識に蓄えられて決して消えることなく流れて行きます。
そしてやがて縁が来たときに、目に見える運命となって現れるのです。