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霊的世界の実相

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霊的世界の実相

 

「為による」というわけです。密教でいう「身口意の三葉」です。 この三獣心による思念と言 葉と行動こそが、悪因縁、 悪業、悪念のもととなり、輪廻転生のもととなるのです。

しかし、人間は、再びこの世に転生する前にまず霊的世界に行きます。 わたくしの霊視によれ ば、死者は阿鼻野街道という大きな広い道をたどってサイの広場に行きます。 サイの広場の一番 端は断崖絶壁になっており、谷底には、三途の川が流れています。 この断崖絶壁の向こうに、 (冥土)があり、冥界で良い徳を積み、次に冥界の向こうに聳える高い山 (霊界)をよじ登っ て、ようやく仏界へ到達して完全に解脱成仏できるのです。死者の本当の世界は冥界なので、冥 界に行くと、そこに安らぎの場があります。 いうならば、自分のために造られた墓がそこにあり、 そこへ行くと、安らいで眠ることができるのです。

なお、「冥界で良い徳を積み・・・・・・」といいましたが、これは生前、お釈迦さまの成仏法に緑の あった人の場合であって、冥界から先の霊界(天)やその先の仏界に行くためには、お釈迦さま の成仏法を修行しなければ到達することはできません。 お釈迦さまの成仏法を修行していない人 は、この冥界から現世に再生して、再び輪廻転生の道を継続することになります。しかし、 まず、 三途の川が流れる断崖絶壁を飛び越して向こう岸に到達しないと冥界には行けないのです。

中には、サイの広場に行く前に、その恐怖のために逃亡してしまう者たちもいます。彼

霊の不成仏霊や霊障のホトケとなって執着のある場所、執念の残る場所に戻るのです。 しかし、 そこに着いた時、そこは、前にそこを去った時よりも、なお苦しい場所になっていることを思い 知らされます。 心が、よりどころとする肉体を持たないために、まったく不安定きわまりない状 態となり、怨恨、悔恨、憎悪、苦痛、執着などの思いが、すさまじいスピードで回転し、その思 いに七転八倒します。

すると、どうなるのか?

昔、わたくしが信徒の人生相談のために霊視した例を挙げてみます。 もう数十年前のことにな ります。Eさんという方が、両親のいがみ合いに悩んで人生相談に来たのですが、その最大の原 因は、両親の祖父母の霊障によるものでした。

わたくしの霊視に映ったものは、髪を振り乱してつかみ合いの争いをしている中年の男女でし た。 これが、その祖父母の幽体だったのです。じつは祖母が夫の女性関係を怨んで入水自殺をし ていたのですが、その前に、夫にネコイラズを盛り、夫は途中で気がついて吐き、助かったもの そのまま寝込んで、一年ほどのちに死んだのだといいます。この二人の怨念が、百年も経過 したその時でもそのまま残り、幽体となって、のたうちまわる争いを続けていたのです。この夫 婦 (Eさんの両親)の居間では、祖父母の血みどろな争いが、昼夜絶えることなく続いており、 そのそばで暮らしている夫婦は、その怨念と憎悪の念波を、四六時中全身に浴びていたために、 自ずと、その波に同調して、狂的ないがみ合いが続いていたのです。

また、「阿含経」には、大勢の人を好んで殺したなどの深い悪業を積んだ人が、三途の川から

堕ち、その報いを受けた後も、余罪によって、赤剥けの肉塊という姿の体となってこの 世界に戻り、 同じく霊的存在であるトビ、ワシ、イヌなどに、寄ってたかって噛みつかれ、つい ばまれ続けるという苦しみを受けている姿が描かれているお経が、いくつもあります。

こうした肉体を持たない 「生存」は、「阿含経」においてお釈迦さまが説かれ、お釈迦さまが 説かれた成仏法を修行したわたくしも霊視しているわけですが、多くの科学者もこうした存在を 認めているのです。たとえば、アメリカ・ジョージア州立大学哲学科ロバート・アルメダー教授 は、『死後の生命』(TBSブリタニカ)で、いくつもの例を挙げていますが、その中で、このよ うに書いています。

「 肉体を持たない霊魂は、基本的にはある種のエネルギーであるため、物理的実体と共 通する属性をいくつか備えた存在と解釈すべきなのである。そのような見地からすれば、肉 体を持たない霊魂も、ある種の状況では物質界で因果的活動を行なうことができるのではな いか、と考えてもよかろう。 別の言い方をすると、肉体を持たない霊魂をある種のエネルギ (付記で実証しているもの)と解釈すべきだとすれば、これまで得られている証拠からして、 肉体を持たない霊魂はある意味で肉体類似のものであるはずだとする見解が支持されるとい うことである。

以上のように考えると、あらゆる人間は幽体” (すなわち、ある種の状況以外では肉眼に見 えない物質類似の希薄な要素からなる第二の体)を持っているという、霊能力者がしばしば行な う主張がある程度真実味を帯びてくる。 この第二の体は、形状的には肉体と瓜二つで、肉体 死後も存在を続けるとされる」

ここでロバート・アルメダー教授は、「体」について記していますが、人間、アストラ ル体とも呼ぶこの体の奥に、さらに「霊体」を持っているのです。

わたくしがチベット仏教ニンマ派から伝えられた秘経には、門外不出の貴重な秘法がいくつも 記されていますが、中でも、わたくしが一心に修行した「霊法」は、じつに神秘的な法で、

幽体も、霊体も、自由に視ることができるのです。

しょうれいほう

この法を体得したわたくしが霊視すると、生者も死者も、ともに霊体から成り立っていて、本 質的には、そう違いがないように感じられるのです。そして、(色・受想行識の集積体 その霊体を構成していると視えるのです。 また、その逆に霊体が墓を集積しているように視え ることもあります。 おそらくはその両方なのでしょう。つまり、生者は五蘊によって構成され、 死者は異次元の蘊(異)で構成されているわけです。

わたくしは、人間とは、生者・死者を問わず、霊体から成り、その霊体は、お釈迦さまのいわ れるとおり、因縁の仮合したものであると同時に、業の集積体であると考えています。

カルマ

お釈迦さまの成仏法は、この霊体を構成している悪因縁、悪業、悪念から解放するのです。 完 全に解放された霊体は、涅槃に入ります。 これを「成仏」というのです。 諸君は、この『身命 経』を何度も繰り返して読んで、以上のことをよく理解してください。これで『身命経』の講義 を終わります。

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