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日の国の法 ― 金星の法と競うとき

『日の国の法 ― 金星の法と競うとき』

夜はまだ明けきらなかった。
東の空に、うっすらと白金の光が滲みはじめるころ、慧真(えしん)はひとり、書院の机に向かっていた。

机の上には、幾世紀もの時を超えて伝わる一冊の古文書。
頁の端はすでに風化し、墨のにじみは星雲のように広がっている。
彼は指先でその一節をそっとなぞった。

「……まさに、このことを言っていたのだ。」

障子の向こうから、黎明の光が差しこみ、書院の空気を金色に染めていく。
紙の上に散る影が、まるで仏画の光背のように揺らめいた。

そこには、繰り返し書かれた同じ言葉がある。
――『日の国の法と、金星の法が競いあう』。

慧真は静かに息をつき、目を閉じた。
金星――それは愛と美の星、そして精神の極点を象徴する。
日の国――それは地上の覚醒、実践の火を宿す国。

多くの学者や預言者たちは、この一節を「衝突」や「戦い」と解釈してきた。
だが慧真には、そこに別の響きが聴こえていた。

「競いあうとは、滅ぼし合うことではない……互いを磨き、共に光を生むことだ。」

金星の法――魂の理想を高みに引き上げる教え。
日の国の法――現実の人間を覚醒へ導く実践の道。
その二つが、遠い星々の意志のもとで、ついに邂逅しようとしていた。

慧真は筆を取り、古文書の余白に静かに記した。

日の国の法と金星の法が競いあう
予言のエスプリをわがものとしながら
双方たがいに耳をかたむけないが
偉大なるメシアの法は
日の国によって保たれるだろう

筆先が紙を離れると、部屋の空気が微かに震えた。
まるで古代の声が、その言葉を再び読み上げたかのようだった。

慧真は静かに立ち上がり、窓を開け放った。
朝の風が頬を撫でる。
東の空には、金星が、まるで燃えるように輝いていた。

「日の国と金星……。
二つの法が交わるとき、
メシアの法は、ついにその姿を現す。」

光の中で、慧真の瞳には確かに映っていた。
――地上と星界、二つの法が共鳴する、新たなる夜明けの兆しが。

 

日の国の法 ― 金星の法と競うとき

『メシアの法 ― 日の国に遺されたもの』

 沈黙の宇宙に、微かに響く声があった。
それは人類がまだ耳にしたことのない振動――死者の嘆きだった。

 その声を聴いた者がいた。
彼の名は 黎明の師(れいめいのし)
人々は彼を、最後の仏陀、あるいはメシアと呼んだ。

 ある夜、彼は弟子の前に静かに座し、言葉を発した。

「救世の法とは、二つの力をもたねばならぬ。
第一は――人間の脳そのものを変革する力。
第二は――死者の怨念をも解き放つ力、である。」

弟子たちは息を呑んだ。
黎明の師の目は、まるで宇宙の奥に通じているかのように、深く澄んでいた。

 師はつづけた。

「見よ。地球を覆うのは死者の声だ。
聴こえぬ者でも、その震えは脳の奥に刻まれている。
幼き子らの心を裂き、無意識の底に亀裂を走らせている。
それが人間の苦の根だ。」

弟子のひとりが問うた。
「では、その声を消す術は……?」

 師は微笑した。

「それこそ、仏陀の法にのみ宿る。
どの宗教も、死者の怨念を解く術を知らぬ。
成仏――この思想だけが、死と生の断絶を越える。」

そして、師は古の経を開いた。
阿含経――仏陀が説いた三十七の道の書。
そこに記されているのは、ただの修行法ではなかった。
それは、脳の構造そのものを目覚めさせる法だった。

 師は弟子に呼吸を教えた。
深く、静かに、宇宙と共に息をする。

「この呼吸は脳を変える。
アジナー・チャクラは受信器、サハスラーラ・チャクラは発信器となる。
それは第四次元を超えた通信装置だ。
死者の波動を受け、覚者の慈悲を発するための、聖なる回路である。」

師は掌を合わせ、目を閉じた。
その瞬間、弟子たちは空気が震えるのを感じた。
まるで、見えぬ世界がこちらを覗いているようだった。

 やがて、師の周囲の空間が微かに光を帯び、不可視の流れが生じた。
それは怨念という暗黒の波を、光のバイブレーションで包みこみ、
穏やかに――消していった。

「これが、成仏法のメカニズムだ。
ことばや祈りでは届かぬ。
仏陀の悟りそのもの――純粋なる縁起の振動を発することで、
死者の苦をも、完全に解脱させることができるのだ。」

師はゆっくりと弟子を見た。

「だが、そのためには、己の脳に潜む“ウマの心”と“ワニの心”を断たねばならぬ。
怨念とは、未熟な脳が生みだす幻の連鎖だ。
真の仏陀の呼吸により、それを超える回路を築くのだ。」

弟子は涙をこぼし、言った。
「この法は、どこに伝わるのですか。」

 師は遠くを見つめた。

「ノストラダムスは言った。
“偉大なるメシアの法は、日の国によって保たれる”と。
それは偶然ではない。
日の国――日本に、仏陀の呼吸と縁起の法がいまなお残されているからだ。」

彼の声は次第に消え、風の音だけが残った。
弟子はその風の中で、たしかに聞いた。
数えきれぬ死者の声が、やすらかに昇天していく音を。

 ――そして黎明の師の胸には、ひとつの言葉が宿っていた。

「この法を継ぐ者が現れぬかぎり、
人類に平和と安穏は訪れぬ。」

夜が明ける。
日の国の東の空に、黄金の光が差しはじめた。
その光は静かに、すべての魂の上に降りそそいでいた。

仏陀の法のメカニズム

メシアの法

仏陀の法のメカニズム

救世主の法は、他のものが持たぬ二つの力を持たねばならない。

それは、第一に、これまで説いてきたように、人間の脳の致命的な欠陥を、根本的に改造する力である。

第二に、メシアの法は、生者を救うだけではなく、死者をも救済する力を持っていなければならない。全地球上にみなぎる死者の怨念を消滅させる力である。

ひきゅうしんぎん霊的な力を持つ聖者ならばだれでも、地球を覆う死者の悲泣呻吟の声を耳にして、 心痛の限りを尽くさぬものはない。

この死者の怨念のバイブレーションが、すべての人の深層意識を動かしている。ことにおそろしいのは、もの心づかぬ幼少年の心に深い傷や亀裂をあたえていることだ。

フロイトによると、ヒトが生まれてからの数年は、一種の催眠に似ており、その数年間に幼児はさまざまな影響と暗示をうける。それらの影響と暗示が、のちになって

 

現実と衝突し、その結果、葛藤や精神外傷が生ずる。子どもは、そしておとなになってからも、それらのことをなにも想い出せないが、かれが気づかなくとも、それらはかれの行動にたえず影響をおよぼす、と説く。

一種の催眠状態にある幼少児の柔い脳と深層意識に、死者の怨念のバイブレーションは、深くきざみこまれる。成長してから、どんなに平和思想を教えられても、それは消えない。かえってそれはかれのこころに葛藤と精神外傷をあたえるだけだ。

ノストラダムスの予言詩によれば、メシアの法は、日の国によって保たれるという。 日の国とは、日本のことである。日の国、というから日本だという単純な発想でいっているのではないのである。必然的な論理がある。

それは、キリスト教にも、イスラム教にも、ユダヤ教にも、死者の怨念を消滅させる法がない、ということである。

げだつじょうぶっ死者の怨念を消滅させることを、解脱・成仏させるという。この考えかたは、キリスト教にも、イスラム教にも、ユダヤ教にもない。そういう考えかたがないのだから、 そういう法がないのは当然である。

その結果が、二〇〇〇年にわたるキリスト教国、イスラム、ユダヤ教国の絶えざる戦乱、殺し合いではないのか? そしてそれは今もつづいている。

生者、死者を問わず、解脱成仏させる法は、仏陀の法にしかないのである。仏陀が、 阿含経に説かれた七科三十七道品の成仏法にしかないのである。

どうしてそういうことがいえるのか?

仏陀の成仏法について解説しよう。

メシア仏陀の成仏法のメカニズム

さきに、わたくしは、仏陀が、『すべての呼吸法において、これ以上のものはない最上の呼吸法である」と説かれた四つの呼吸法を紹介した。 そして、こうのべた。

「この呼吸法が、なぜ最上深秘のものであるのかというと、この呼吸法は、専ら脳を対象としたものであるからだ。脳のチャクラを動かし、脳の神経経路を改造し、殊に、。
脳に特殊な能力を持たせる呼吸法であるからである」

この中で、最も重要なのが、脳に特殊な能力を持たせる」という部分である。

どんな能力を脳に持たせるのか?

ひと口でいうと、脳の一部が、発信器、受信器に変わるのである。

アジナー・チャクラが受信器、サハスラーラ・チャクラが発信器になるのだ。

どんな発信器、受信器なのか?

第四次元をふくむ他次元世界との交信器である。

るのである。 これで死者の怨念を受信し、怨念を消滅させるエネルギーを発信して解脱成仏させ

在をつづけている。この存在にたいして、発信するのである。

成仏していない死者は、いうならば、三・五次元の世界において、怨念としての存在これで、死者の怨念は消滅する。

、縁起の法と八正道を完全に身につけ、さとりの境地が、仏陀と同等のところにまで到達していなければならないということである。

死者の怨念は、さきにものべたように、バイブレーションとして存在しているのである。その怨念のバイブレーションに、仏陀の完全なさとりそのものをバイブレーションとして発想するのである。

ことばや概念ではない、純粋にさとりの心そのものを、バイブレーションとして発振するのである。だから、人種・民族・言語の障壁はない。すべての人間に即座に通ずるのである。それには、ウマの脳(心)や、ワニの脳(心)が少しでも残っていたら、相手の怨念を消滅することはできない。なぜならば、怨念とは、ワニの脳やウマの脳がつくり出したものであるからだ。

成仏法―七科三十七道品、ことにその中心である四神足法を体得していなければ、死者を成仏させることのできない理由が理解されたであろう。

たんなる念力だけでは、どんなに強い念力でも、死者の怨念には通じないのである。 仏陀の最上深秘の呼吸法によって脳を改造し、霊的バイブレーションの発信装置を持たなければ、異次元世界の存在である死者の怨念には通じないのである。

また、死者の怨念は、仏陀の縁起の法の真理以外、解くことができない。神の救いや、仏の慈悲をいくら説いても、役に立たないのである。黙さめにはなるけれども、 完全解脱はできないのである。
人類は一律に、その深層意識に、死者の怨念による反覆強迫観念を持ち、不幸な運命の反覆に苦しんでいる。仏陀の成仏法なくして、人類に平和と安穏は永久に来ない

その成仏法は、いま、日本にしかない。

 

 

『日の国の法と、金星の法が競いあう』

――それは、ノストラダムスの予言に秘められた、もう一つの意味だった。

「日の国によって保たれる」――。
その一節を、古文書の上で指でなぞりながら、彼は低くつぶやいた。

「……まさに、このことを言っていたのだ。」

夜明け前の光が障子を透かして差し込み、静かな書院の空気を金色に染めていた。
机の上には、開かれた古い書物と、散乱する数枚のメモ。
そのどれにも、同じ言葉が書きつけられている。
『日の国の法と、金星の法が競いあう』。

人々は長らく、その言葉を「衝突」「争い」と解釈してきた。
だが彼――慧真(えしん)には、別の響きが聴こえていた。
競いあうとは、破壊し合うことではない。
互いに磨き合い、ひとつの目的へと進むこと。
すなわち、二つの法が競いながら協力し、やがて「偉大なるメシアの法」を完成させるという意味に。

彼は筆を取ると、ゆっくりと書き写した。

日の国の法と金星の法が競いあう
予言のエスプリをわがものとしながら
双方たがいに耳をかたむけないが
偉大なるメシアの法は日の国によって保たれるだろう

筆跡は震えていた。だがその震えは恐れではなく、確信の震えだった。

「予言のエスプリ……」慧真は小さく呟く。
それは、ユダヤとキリスト――二つの宗教に宿る、同じ霊の響き。
ともにメシアを語りながら、互いに拒み合い、同じ空を見上げながら耳を閉ざしてきた。
だが、メシアの法はそのどちらからも生まれない。
それは、日の国――日本から現れる。

窓の外、東の空がかすかに朱を帯びた。
慧真の胸に、遠い太古からの響きがよみがえる。
金星の光――愛と調和の象徴。
日の国の光――智と覚醒の象徴。
二つの光が重なるとき、四神足の法が顕現し、真の成仏法が完成する。

彼は立ち上がり、空を見た。
「……このままでは、地球は潰れる。」
その声は震えていたが、静かな決意を含んでいた。
「神の名を口にしながら人を殺す時代は終わらせねばならぬ。いまが、ギリギリの時なのだ。」

風が障子を揺らす。
その音に導かれるように、慧真は最後の言葉を記した。

起て――日の国の、メシアの法の使徒たちよ。
いまこそ、眠れる光を呼び覚ますときだ。

その瞬間、朝日が山の端から昇り、部屋の中を真紅に染めた。
彼の瞳に映ったのは、まるで新しい時代の夜明けだった。

仏陀の法 18

メシアの法

救世主の法は、他のものが持たぬ二つの力を持たねばならない。

それは、第一に、これまで説いてきたように、人間の脳の致命的な欠陥を、根本的に改造する力である。

第二に、メシアの法は、生者を救うだけではなく、死者をも救済する力を持っていなければならない。全地球上にみなぎる死者の怨念を消滅させる力である。

ひきゅうしんぎん霊的な力を持つ聖者ならばだれでも、地球を覆う死者の悲泣呻吟の声を耳にして、 心痛の限りを尽くさぬものはない。

この死者の怨念のバイブレーションが、すべての人の深層意識を動かしている。ことにおそろしいのは、もの心づかぬ幼少年の心に深い傷や亀裂をあたえていることだ。

フロイトによると、ヒトが生まれてからの数年は、一種の催眠に似ており、その数年間に幼児はさまざまな影響と暗示をうける。それらの影響と暗示が、のちになって

 

現実と衝突し、その結果、葛藤や精神外傷が生ずる。子どもは、そしておとなになってからも、それらのことをなにも想い出せないが、かれが気づかなくとも、それらはかれの行動にたえず影響をおよぼす、と説く。

一種の催眠状態にある幼少児の柔い脳と深層意識に、死者の怨念のバイブレーションは、深くきざみこまれる。成長してから、どんなに平和思想を教えられても、それは消えない。かえってそれはかれのこころに葛藤と精神外傷をあたえるだけだ。

ノストラダムスの予言詩によれば、メシアの法は、日の国によって保たれるという。 日の国とは、日本のことである。日の国、というから日本だという単純な発想でいっているのではないのである。必然的な論理がある。

それは、キリスト教にも、イスラム教にも、ユダヤ教にも、死者の怨念を消滅させる法がない、ということである。

げだつじょうぶっ死者の怨念を消滅させることを、解脱・成仏させるという。この考えかたは、キリスト教にも、イスラム教にも、ユダヤ教にもない。そういう考えかたがないのだから、 そういう法がないのは当然である。

その結果が、二〇〇〇年にわたるキリスト教国、イスラム、ユダヤ教国の絶えざる戦乱、殺し合いではないのか? そしてそれは今もつづいている。

生者、死者を問わず、解脱成仏させる法は、仏陀の法にしかないのである。仏陀が、 阿含経に説かれた七科三十七道品の成仏法にしかないのである。

どうしてそういうことがいえるのか?

仏陀の成仏法について解説しよう。

メシア仏陀の成仏法のメカニズム

さきに、わたくしは、仏陀が、『すべての呼吸法において、これ以上のものはない最上の呼吸法である」と説かれた四つの呼吸法を紹介した。 そして、こうのべた。

「この呼吸法が、なぜ最上深秘のものであるのかというと、この呼吸法は、専ら脳を対象としたものであるからだ。脳のチャクラを動かし、脳の神経経路を改造し、殊に、

日本書道

と。

脳に特殊な能力を持たせる呼吸法であるからである」

この中で、最も重要なのが、脳に特殊な能力を持たせる」という部分である。

どんな能力を脳に持たせるのか?

ひと口でいうと、脳の一部が、発信器、受信器に変わるのである。

アジナー・チャクラが受信器、サハスラーラ・チャクラが発信器になるのだ。

どんな発信器、受信器なのか?

第四次元をふくむ他次元世界との交信器である。

るのである。 これで死者の怨念を受信し、怨念を消滅させるエネルギーを発信して解脱成仏させ

在をつづけている。この存在にたいして、発信するのである。

成仏していない死者は、いうならば、三・五次元の世界において、怨念としての存

なにを発信するのか?

仏陀のさとりの核ともいうべき「縁起の法」と「八正道の教え」である。

これで、死者の怨念は消滅する。

そういうと、いかにもかんたんなようであるが、決してそうではないのである。

最も大切なことは、発信者が、縁起の法と八正道を完全に身につけ、さとりの境地が、仏陀と同等のところにまで到達していなければならないということである。

相手は、つよい怨念を残して狂い苦しんでいる存在である。難解な縁起の法、八正道の教えを、そのまま説いたって、通じようはずがない。完全なさとりそのものを、 バイブレーションとして相手に発信するのである。発信は発振なのである。死者の怨念は、さきにものべたように、バイブレーションとして存在しているのである。その怨念のバイブレーションに、仏陀の完全なさとりそのものをバイブレーションとして発想するのである。

ことばや概念ではない、純粋にさとりの心そのものを、バイブレーションとして発振するのである。だから、人種・民族・言語の障壁はない。すべての人間に即座に通ずるのである。それには、ウマの脳(心)や、ワニの脳(心)が少しでも残っていたら、相手の怨念を消滅することはできない。なぜならば、怨念とは、ワニの脳やウマ

 

の脳がつくり出したものであるからだ。

いかなる名僧、高僧といえども、仏陀が阿含経に説かれた成仏法―七科三十七道品、ことにその中心である四神足法を体得していなければ、死者を成仏させることのできない理由が理解されたであろう。

たんなる念力だけでは、どんなに強い念力でも、死者の怨念には通じないのである。 仏陀の最上深秘の呼吸法によって脳を改造し、霊的バイブレーションの発信装置を持たなければ、異次元世界の存在である死者の怨念には通じないのである。

また、死者の怨念は、仏陀の縁起の法の真理以外、解くことができない。神の救いや、仏の慈悲をいくら説いても、役に立たないのである。黙さめにはなるけれども、 完全解脱はできないのである。

のである。 人類は一律に、その深層意識に、死者の怨念による反覆強迫観念を持ち、不幸な運命の反覆に苦しんでいる。仏陀の成仏法なくして、人類に平和と安穏は永久に来ない

その成仏法は、いま、日本にしかない。

仏陀の法 188

 

1陀の法のメカニズム