UA-135459055-1

空海の胸 求聞持  摩尼宝珠

空海の胸 求聞持  摩尼宝珠

 

空海の胸の奥、
摩尼宝珠の位置が、
静かに震えた。
恵果は、言う。
「来たか」
それだけだった。
言葉が不要になる
空海は、息を吸う。
自己紹介も、
志も、
修行歴も、
すべてが不要だと、
身体が知っている。
恵果は続ける。
「求聞持を修したな」
問いではない。
確認でもない。
事実の宣言。
空海は、うなずく。
それ以上、何も言わない。
法が交わる
恵果は、立ち上がり、
曼荼羅の前に進む。
指で、中心を示す。
「ここだ」
その瞬間、
空海の内側で、
同じ位置が、
同時に応える。
胎蔵界。
除盖障院。
不思議慧。
説明は、なされない。
一致だけが起こる。
時間の短縮
恵果は、笑った。
「長くは要らぬ」
「お前は、
すでに半分、終えている」
それは誇りではない。
評価でもない。
事実だった。
空海は、その言葉に、
安堵も、喜びも、
感じなかった。
ただ、
ようやく合ったという感覚。
師と弟子
恵果は、初めて名を呼ぶ。
「空海」
まだ、日本でも定まらぬその名を、
まるで昔から知っていたかのように。
「ここに留まれ」
「急ぐ」
「だが、
すべてを渡す」
その言葉が、
未来を決める。
言葉の後
その日、
多くの説明がなされた。
真言。
印。
灌頂。
だが、
本当の伝授は、
最初の沈黙で終わっていた。
法は、
言葉より先に交わった。
だからこそ、
すべてが、
間に合った。
空海は、夜、ひとり坐す。
思う。
――師とは、
――探す者ではなかった。
――見抜く者だった。
そして同時に。
――弟子とは、
――選ばれる者ではない。
――すでに来ている者なのだ。

明星の内部

明星の内部

 

空海は、あの地でサンスクリットを操った。
それは「学んだ」という次元ではない。
言葉が、すでに身体の奥で呼吸していた、という感触だ。
彼ほどの天才が、密教の源流であるヨーガに触れずにいたとは、どうしても思えなかった。
求聞持聡明法――
あの過酷な修法の底には、古代ヨーガの技法が、沈殿物のように潜んでいたに違いない。
だが、時代はそれを失わせた。
高野や根来の山奥で、ただ一人、法に身を投じる覚鑽の日々。
そこに、体系化されたヨーガの技術はなかった。
断片だけがあった。
印明のかたち、呼吸の名残、言葉にならぬ感覚。
それらを拾い集め、頭脳でつなぎ合わせ、再構築する。
それは修行というより、孤独な格闘だった。
――疲労困憊。
空海は、そこまで行ったに違いない。
私は、同じ場所に立っている。
だが千年という時間は、私に便宜を与えた。
書物があり、記録があり、比較できる知がある。
二度目の修法で、私は古代ヨーガの技術を取り入れた。
身体が、静かに、しかし確かに応えた。
五十日。
成就はなかったが、確信があった。
間違っていない。
この方法で、必ず至る。
山に籠もる必要はない。
明星を、最初の数日、深く脳裏に刻めばよい。
あとは日常のなかで、積み重ねればいい。
法は、民衆から切
特別な者だけのものになった瞬間、法は死ぬ。
――だから、完成させねばならない。
三度目の修法に入った。
百度目のトレーニング。
九種の印明、特殊な呼吸、そして私が創案した手印とポーズ。
身体と大脳皮質が、微妙に変わっていく。
チャクラは、確かに応答していた。
六感が告げていた。
「熟しつつある」と。
夜明け前。
眠りではない。
意識が、薄く揺らいだ。
その刹那――
「ああッ!」
脳の奥に、電流が走った。
紫電。
閃光。
視界が、真白に焼き切れる。
失明――
その言葉が、一瞬よぎった。
だが、次の瞬間。
頭の深部に、ぽっかりと灯がともった。
それは、脈拍と同じリズムで、静かにまたたいていた。
冷たく、黄ばんだ白。
あの日、山中で見つめた、暁の明星。
「そうか……」
私は、膝を打った。
「これが、明星だったのか」
外にある星ではない。
内に現れる光。
私は、秘密を見た。
再びポーズをとり、呼吸を深める。
恐れながら、同じ動作を繰り返す。
痛みはなかった。
だが、確かに、光は再びまたたいた。
脳の内部で、何かが変わった。
否、変わり続けている。
その中心――
視床下部。
すべての内分泌を統御する場所。
ヨーガが「梵の座」と呼んだ領域。
サハスララ・チャクラ。
松果体ではない。
誤解されてきたが、真の中枢は、そこではなかった。
私は、そこに圧をかけた。
肉体的にも、精神的にも。
百日間、絶え間なく。
そして、化学反応が起きた。
神経が、異常な発火を起こし、光が走った。
明星は、外から来たのではない。
脳が、変わったのだ。
思えば、剣道で面を打たれたときの、あの火。
あれもまた、内側で起きた現象だった。
求聞持聡明法とは、奇跡ではない。
脳の内部で起こる、変革なのだ。
光は、いつでも呼び出せる。
私は、内なる明星を得た。
――成就。
それは、神秘ではなく、
人間の内奥に眠る、可能性の点火だった。

求聞持聰明法の秘密

求聞持聰明法の秘密

空海と覚っと私

私は定に入っていた。

ひたすらふかい側に入っていた。

ナるは開発明。三度目の修法であった。

最初は真言宗教の行に響った。完全な失敗であった。それは集中力を高めるという効果はあったが、それ以上のものではなかった。つぶさにこの行法を検討して、私は、しょせん、真言教の神明に、大脳皮質の構造を一変するごときシステムはないとの結論を得た。すくなくとも、従来のままの行法に、それだけの力はない。求聞持意明法を成就して、悉地を得たという弘法大展空海は、あとにのこしたこの行法以外に、必ず、なんらかの秘密技術を体得しているのに相違なかった。他ののこした求聞持法の行法は、その秘密技術のヒントになるべきもの

のかをつらわたに消さず、その秘術――おそらく、自分自身の訓練努力によってみずからが見せよとつきはなしているのにもがいなかった。それを発見するだけの努力をし、発見でき

あだけの空質のあるもののみがそれをわがものとする資格があるのだ、と、つめたく未来を見す

えている不世出の知性の目を、私は行法次第のなかに感じた。それゆえにこそ、宗教者としてゆたかな天分を持つ男教大師覚が、七たびこれを修して失敗し、八度目にしてようやく悉地成就を得たという解の行法となっているのである。そうでなければ、覚纓ほどの才能が、なんで七たびも失敗しようか。

しかも、これを成就したという覚辺は、四十歳代にして没している。これを体得した私の経験からいえば、この法を成就した者は、自分のからだを自由自在にコントロールして、欲するならば、百歳、二百歳の長寿もけっして不可能ではなくなるのである。しかるに、どうして求聞持法を体得した覚が四十歳代という短命に終ったのか。覚護が求聞持法を体得したというのはウソであったのか?私は、彼がこの法を成就したことは真実であったと思う。では、覚鰻が天夭折したのはなぜであるか?私は、求聞持聡明法の行法次第のなかにかくされた秘密をさぐり出すための、血のにじみ出るような、いや、私をしていわしむれば五体から血の吹き出すような辛苦が、彼のいのちをちぢめたのであろうと思う。彼は八度目にしてついにこの秘密の技術を体得したが、その時までに彼の生命力は消費しつくされ、再起できなかったのであろう。私は、この三

度目の修法で求聞持法の秘密を解き、悉地の成就を得るのであるが、それでは、私は、興教大師登後上人よりも密教者としてすぐれているというのであろうか? そうではないのである。私は、非常にしあわせなことに、弘法大師空海とおなじ立場にあったのだ。

 

それはどういう意味か?

 

 

ている。 空との相違、それは、からののしこしたヒントのみによった、ということである。私はがしたのは海外に出て、外地の技術に接してからであると確信する。その資料と思われるものも二、三持っているが、彼は、最初、外地からもたらされたナマの技術(それは幼種なものであったが) を自分の天分で電撃して半ば完成し、のち、外地にわたってすべての秘密を解いた、と私は考え

空海は、彼の地でサンスクリット語を自由にあやつった。彼は、古代ヨーガの超技術を知っていたのに相違なかった。彼ほどの天才がサンスクリット語を読み、書き、語りながら、密教の原点であるヨーガにふれなかったとしたら不思議である。彼の求聞持聰明法には、古代ヨーガの技術がひそんでいるのに相違なかった。けれども、高野や根来の山奥で、ひとり法を修する覚鑽には、かなしいことに、古代ヨーガの技術はまったく無縁であった。わずかに真言宗の行法のなかに見えかくれするものを必死に追いもとめ、自分の頭脳でこれを綴り合わせてゆくという至難以上の作業に没頭せねばならなかった。彼の頭脳はついにこれを解いた。しかし、変労困意その極に達していたであろう、と私は心から同情にたえない。

私は空海とおなじ立場に立つ。いや、千年の時代の流れは、私に空海以上の便宜をあたえてくれている。彼の何倍もの資料を私は居ながらにして手に入れている。二度目の修法に、私は、古代ヨーガの技術をとり入れた。ひしひしと感得するものがあった。五〇日のその行で、求聞持 法

空と覚際の相違、それは、空海は海外からのナマの芸術に接したのであり、 こしたヒントのみによった、ということである。私は、空海が開持法の最後のを体得したのほ海外に出て、外地の技術に接してからであると確信する。その資料と思われるものも二、三待っているが、彼は、最初、外地からもたらされたナマの技術(それは幼稚なものであったが) を自分の天分で聖戦して半ば完成し、のち、外地にわたってすべての秘密を解いた、と私は考え

ている。 空海は、彼の地でサンスクリット語を自由にあやつった。彼は、古代ヨーガの超技術を知っていたのに相違なかった。彼ほどの天才がサンスクリット語を読み、書き、語りながら、密教の原真であるヨーガにふれなかったとしたら不思議である。彼の求聞持聡明法には、古代ヨーガの技所がひそんでいるのに相違なかった。けれども、高野や根来の山奥で、ひとり法を修する覚鑽には、かなしいことに、古代ヨーガの技術はまったく無縁であった。わずかに真言宗の行法のなかに見えかくれするものを必死に追いもとめ、自分の頭脳でこれを綴り合わせてゆくという至難以上の作業に没頭せねばならなかった。彼の頭脳はついにこれを解いた。しかし、疲労困憊その極に達していたであろう、と私は心から同情にたえない。

私は空海とおなじ立場に立つ。いや、千年の時代の流れは、私に空海以上の便宜をあたえてくれている。彼の何倍もの資料を私は居ながらにして手に入れている。二度目の修法に、私は、古代ョーザの技術をとり入れた。ひしひしと感得するものがあった。五〇日のその行で、求

「の成就はみられなかったが、私の考えのまちがいでなかったことがよくわかった。この方法で求聞持法はかならず成就する。つよい確信を得た。この技法を積みかさね、延長してゆけばよい。これしかない。ぜったいの自信を得た。

かんじやくこの、私の技法によれば、従来のごとく、山にこもって五〇日ないし一〇〇日、明星を拝しつづける必要がなかった。常住座駅、関寂の部屋ならば、時、ところをえらばなくてもよいのであった。ただ、最初の三日ないし七日間、山居して明星とあい対し、これをふかく脳裡にとどめておけばよかった。あとは、三〇日、五〇日、一〇〇日、よしんば一○○○日かかろうとも、日常の生活の行代のうちにトレーニングを積みかさねてゆけばよいのであった。この発見はすばらしいものであった。これでなくては、法はついに民衆と無縁のものになってしまう。五〇日、一〇日、特定の山にこもらねば成就しないというのでは、ごくかぎられた人たちのみしか参加することはできない。民衆と無縁になってどこに法の存在価値があろう。私は、このシステムによって、この法を完成せねばならぬ。法のために、民衆のために、どうしても――。 のうり

そして、三度目の必死の修法に私は入っていた。

それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニングのときであった。 真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに、古代ヨーガに伝わる特殊な呼吸法、古代ョーガの秘法から私が創案した特殊な手印とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質とは、微妙な変化をおこしつつあることが感じられていた。チャクラの開発も順調に

脳皮質と脂詰は、微妙な変化をおこしつつあることが感じられていた。チャクラの開発も訓に

すすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた

夜明け、 まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。いいかの感覚であった。かるい失心、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。その刹那、

「ああッ!」

と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流がながれた感覚が走った。落雷があったと感じた。目の前を紫電が走った、つぎの瞬間、眼前でフラッシュをたかれたように、私の視野は真っ脈になった。失明!という考えが、チラリと脳裡をよこぎった。と、そのときであった。 頭の爆哭、深部に、ポッカリとあかりがともったのだ。そして、それは、私の脈搏とおなじリズムで、しずかに、しずかにまたたきはじめた。ちょうど、この修法をはじめる数十日まえ、山にこもって見つめたあのときの暁けの明星のように――それはつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。

「そうか!」

私は力いっぱい膝をたたいた。

「そうか! これが明星だったのか!」

私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

第三の発見――視床下部の秘密

私は幼少のときから剣道をしこまれた。藩の剣術師範の家柄に生まれ、若年の折、江戸お玉ヶ池の千葉門で北辰一刀流を学んだという祖父に、はじめて木剣を持たされたのは三歳ごろであったろうか??そのとき私は、祖父の顔をゆびさして「目ン目がこわい!」といって泣いたそうである。そのころ八〇歳を過ぎていた祖父は、ほんとうの好々爺になりきっており、私はふだん、

父よりも母よりもなついていたが、そのときばかりは、木剣のむこうに光った剣士鳥羽源三郎酷、味。(祖父の名)の目に、ひとたまりもなくちぢみあがってしまったものらしい。めったに泣いたことのない私が一時間ちかくも泣いていたという。『それでもあんたは木剣だけははなさなかったよ」と、いまでも老母がほこらしげに語ってくれるのだが――、私は、のち、三段にま

で昇り、健康を害してやめたが、剣の天分があるといわれ、少年時代、そのころ盛んであった各地の剣道大会に出場してかぞえきれぬほどの優勝をしたのは、この祖父の血を受けたものであろ

う。私は剣道が好きであった。防具のはずれの肘を打たれて腕がなえ、思わず竹刀をとり落したりするときはつらいとは思ったが、苦にはならなかった。面金を越えて深くあざやかに面をとられたときは、目からパッと火が出て、プーンときなくさいにおいを嗅いだ。ほんとうに目から火が出るのである。けっして形容詞ではないのだ。これは剣道修行の体験者ならばみなご存知のは

その火たのだ。そのとき私の視野をかすめた魔彩

ニ戸 これは剣道修行の体験者ならばみなご存知のは

その火なのだ。そのとき私の視野をかすめた思考は

しばらくしてわれにかえった私はそれに気がついたのだった。そうだ。 とおなじだ。そして目から火が出ると同時に配鉱のなかでかいだあのなつかしいキナくさいにおいもいっしょにかいだような気がしたのだが――、しかし、『目から火が出るほどのこの衝撃は、いったいどうしたということであろうか? 外部から私の頭部を打ったものはなにひとつない。すると、私の頭の内部でなにごとがおこったというのであろうか。それともあれはなにかの錯覚であったのか?

私は、ふたたび一定のポーズをとり、頭をある角度からある角度にしずかに移しつつ特殊な呼吸法をおこなって、定にはいっていった。と、なんの予告も感覚もなしに、さっきとおなじ場所に火を感ずるのである。同時に頭の深部にある音響が聞こえはじめた。私は、またさっきの電撃に似た痛覚を頭の一角に感じるのかとひそかにおそれつつ、少々、「おっかなびっくり」にそれをやったのであったが、今度はぜんぜん痛みもなにも感じなかった。そうして頭の内奥の上部に明星」がふたたびまたたいた。

まさに――、私の脳の内部に一大異変が生じていることにまちがいはなかった。しかし、それ

はどういう異変であろうか?

脳の間際、「関に下部」に異変が起きたのである。すべての秘密は、彫脳の内部の視床下部に

それは一種の化学反応によるショックであったのだ。

あった。ここが秘密の原点だったのである。

私がさきの章で内分泌腺の機構について図までかかげて説明したのは、これを知ってほしいためであった。専門学者はさぞかし片はらいたく思われるのにちがいなかろう。それを承知でおくめんもなく素人の私があえてそれをしたのは、この視床下部の秘密を読者に知ってほしいためであった。図(真)を見ればわかる通り、すべての内分泌腺を統御しているのは視床下部である。 そしてここが、ヨーガでいうブラーマ・ランドラ(梵の座)であり、サハスララ・チャクラなのである。今までのヨーガの指導者のいうように、それは、松果腺、松果体ではない。視床下部が、 サハスララ・チャクラなのである。もっとも、視床下部のすぐそばに松果体があるので、それを見あやまったのであろう。もっとも、松果体自身もある重要な役わりを受けもつ。けれども、サハスララ・チャクラそのものは松果腺ではなく、視床下部であった。

視床下部はいまいったように、下垂体系を通じて全内分泌器官を統御する。それでは、なにをちって続御するのかというと、もちろんそれは『神経」である。したがって視床下部には重要な神経がたくさん集まっている。私は、古代ヨーガのなかから、この部分を動かすポーズとムドラ 1を創案してここにつよい圧力をくわえ、同時に、強烈な思念(念力)を集中していた。百日のあいだ、たえまなく、私はここに、物質的、精神的、両面にわたるつよいエネルギーを集中した。その結果、ここの神経線維に一大異変が生じたのだ。その異変により、神経線維が異常分泌をおこしたか、それともそこにある分泌液、神経渋に変化がおきたのか、そのいずれである

細細に一大記変が生じたのだ。その異変により、神経線維が異常 「分泌をおこしたか、それともそこにある分泌液、神経液に変化がおきたのか、そのいずれである

かはわからぬが、それらの分が複雑に混合し合って、化学反応をおこしたのだ。

その化学反応による衝撃が、視床の神経をはげしく打って、網膜に光を走らせたのだ。その衝撃はここの神経線維にシナプスをむすび、その火はいつでも私の思うまま私の脳の内良に明星を重たたかせることとなった。同時に私の脳の構造も一変した。求聞持聰明法の成就である。求聞特意用法とは、脳の内部の化学反応による脳組織の変革であったのだ。

視床下部の生理学的機構

では、視床下部の機構を生理学的にみてみよう。(図説・内分泌病への手引・土屋雅春、他着による)

解剖

よくそく視床下部は同脳の一部で、視床の腹側にある。

b=生理

視床下部は体温、普環、新陳代謝、外分泌、平滑筋などの諸機能の調節をつかさどるほかに、 内分泌腺の統御の場として重視されている。内分泌腺調節機序としては、(1)神経性調節(交感・副交感神経の体液性調節とがある。

下重体後葉のパゾプレシン、オキシトシンが視床下部の視素上核や室旁核の神経分泌により支配されていることが示され、最近は下垂体前葉が次に記すような各種の分泌促進因子 releasing factor の支配下にあることが知られてきた(次頁の図参照)。

 

空海と兜率天・弥勒菩薩の関係
    • 空海の入定: 835年、空海は62歳で入定(瞑想に入ること)しました。弟子たちには「私は兜率天へ行き、弥勒菩薩の御前に侍し、56億7千万年後に再びこの世に生まれ変わる」と語ったと伝えられています。
  • 兜率天とは: 仏教における浄土の一つで、未来仏である弥勒菩薩が住む世界です。釈迦の入滅後、弥勒菩薩が成仏するまでの一切衆生を教化する場所とされています。
  • 弥勒菩薩の救済: 弥勒菩薩は、釈迦が亡くなった後56億7千万年後にこの世に現れ、人々を救済するとされています(弥勒下生)。
  • 空海の誓願: 空海は、自らの救済活動は終わらないと誓い、弥勒菩薩が下生するまで兜率天で待機し、その教えを待っている、という信仰が広まりました。 
「虚空尽き衆生尽き涅槃尽きなば、我が願いも尽きむ」
  • この言葉は、空海の永遠の誓願を表しています。
  • 「この世(虚空)が尽き、人々(衆生)が救われ尽くし、悟りの境地(涅槃)が尽きるまで、私の(衆生を救済する)願いは終わらない」という意味で、現代でも救済の誓いとして語り継がれています。 
弘法大師信仰
  • この伝承は「即身成仏(今世で仏になる)」を説いた空海が、さらに高次の救済のために兜率天で待機しているという「入定信仰」として、今も多くの人々に信じられ、高野山奥の院に参拝

十二支と守り本尊

十二支ごとの守り本尊(守護仏)は、千手観音(子)、虚空蔵菩薩(丑・寅)、文殊菩薩(卯)、普賢菩薩(辰・巳)、勢至菩薩(午)、大日如来(未・申)、不動明王(酉)、**阿弥陀如来(戌・亥)**の8尊で、生まれ年の干支(えと)によって定められ、一生涯の厄除けや開運を祈願する仏様です。これらは「八体仏」とも呼ばれ、古くから信仰されてきました。

十二支と守り本尊

子(ねずみ):千手観音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ)

丑(うし)・寅(とら):虚空蔵菩薩 (こくうぞうぼさつ)

卯(うさぎ):文殊菩薩 (もんじゅぼさつ)

辰(たつ)・巳(へび):普賢菩薩 (ふげんぼさつ)

午(うま):勢至菩薩 (せいしぼさつ)

未(ひつじ)・申(さる):大日如来 (だいにちにょらい)

酉(とり):不動明王 (ふどうみょうおう)

戌(いぬ)・亥(いのしし):阿弥陀如来 (あみだにょらい)

守り本尊の信仰につ