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仏陀の法 18

メシアの法

救世主の法は、他のものが持たぬ二つの力を持たねばならない。

それは、第一に、これまで説いてきたように、人間の脳の致命的な欠陥を、根本的に改造する力である。

第二に、メシアの法は、生者を救うだけではなく、死者をも救済する力を持っていなければならない。全地球上にみなぎる死者の怨念を消滅させる力である。

ひきゅうしんぎん霊的な力を持つ聖者ならばだれでも、地球を覆う死者の悲泣呻吟の声を耳にして、 心痛の限りを尽くさぬものはない。

この死者の怨念のバイブレーションが、すべての人の深層意識を動かしている。ことにおそろしいのは、もの心づかぬ幼少年の心に深い傷や亀裂をあたえていることだ。

フロイトによると、ヒトが生まれてからの数年は、一種の催眠に似ており、その数年間に幼児はさまざまな影響と暗示をうける。それらの影響と暗示が、のちになって

 

現実と衝突し、その結果、葛藤や精神外傷が生ずる。子どもは、そしておとなになってからも、それらのことをなにも想い出せないが、かれが気づかなくとも、それらはかれの行動にたえず影響をおよぼす、と説く。

一種の催眠状態にある幼少児の柔い脳と深層意識に、死者の怨念のバイブレーションは、深くきざみこまれる。成長してから、どんなに平和思想を教えられても、それは消えない。かえってそれはかれのこころに葛藤と精神外傷をあたえるだけだ。

ノストラダムスの予言詩によれば、メシアの法は、日の国によって保たれるという。 日の国とは、日本のことである。日の国、というから日本だという単純な発想でいっているのではないのである。必然的な論理がある。

それは、キリスト教にも、イスラム教にも、ユダヤ教にも、死者の怨念を消滅させる法がない、ということである。

げだつじょうぶっ死者の怨念を消滅させることを、解脱・成仏させるという。この考えかたは、キリスト教にも、イスラム教にも、ユダヤ教にもない。そういう考えかたがないのだから、 そういう法がないのは当然である。

その結果が、二〇〇〇年にわたるキリスト教国、イスラム、ユダヤ教国の絶えざる戦乱、殺し合いではないのか? そしてそれは今もつづいている。

生者、死者を問わず、解脱成仏させる法は、仏陀の法にしかないのである。仏陀が、 阿含経に説かれた七科三十七道品の成仏法にしかないのである。

どうしてそういうことがいえるのか?

仏陀の成仏法について解説しよう。

メシア仏陀の成仏法のメカニズム

さきに、わたくしは、仏陀が、『すべての呼吸法において、これ以上のものはない最上の呼吸法である」と説かれた四つの呼吸法を紹介した。 そして、こうのべた。

「この呼吸法が、なぜ最上深秘のものであるのかというと、この呼吸法は、専ら脳を対象としたものであるからだ。脳のチャクラを動かし、脳の神経経路を改造し、殊に、

日本書道

と。

脳に特殊な能力を持たせる呼吸法であるからである」

この中で、最も重要なのが、脳に特殊な能力を持たせる」という部分である。

どんな能力を脳に持たせるのか?

ひと口でいうと、脳の一部が、発信器、受信器に変わるのである。

アジナー・チャクラが受信器、サハスラーラ・チャクラが発信器になるのだ。

どんな発信器、受信器なのか?

第四次元をふくむ他次元世界との交信器である。

るのである。 これで死者の怨念を受信し、怨念を消滅させるエネルギーを発信して解脱成仏させ

在をつづけている。この存在にたいして、発信するのである。

成仏していない死者は、いうならば、三・五次元の世界において、怨念としての存

なにを発信するのか?

仏陀のさとりの核ともいうべき「縁起の法」と「八正道の教え」である。

これで、死者の怨念は消滅する。

そういうと、いかにもかんたんなようであるが、決してそうではないのである。

最も大切なことは、発信者が、縁起の法と八正道を完全に身につけ、さとりの境地が、仏陀と同等のところにまで到達していなければならないということである。

相手は、つよい怨念を残して狂い苦しんでいる存在である。難解な縁起の法、八正道の教えを、そのまま説いたって、通じようはずがない。完全なさとりそのものを、 バイブレーションとして相手に発信するのである。発信は発振なのである。死者の怨念は、さきにものべたように、バイブレーションとして存在しているのである。その怨念のバイブレーションに、仏陀の完全なさとりそのものをバイブレーションとして発想するのである。

ことばや概念ではない、純粋にさとりの心そのものを、バイブレーションとして発振するのである。だから、人種・民族・言語の障壁はない。すべての人間に即座に通ずるのである。それには、ウマの脳(心)や、ワニの脳(心)が少しでも残っていたら、相手の怨念を消滅することはできない。なぜならば、怨念とは、ワニの脳やウマ

 

の脳がつくり出したものであるからだ。

いかなる名僧、高僧といえども、仏陀が阿含経に説かれた成仏法―七科三十七道品、ことにその中心である四神足法を体得していなければ、死者を成仏させることのできない理由が理解されたであろう。

たんなる念力だけでは、どんなに強い念力でも、死者の怨念には通じないのである。 仏陀の最上深秘の呼吸法によって脳を改造し、霊的バイブレーションの発信装置を持たなければ、異次元世界の存在である死者の怨念には通じないのである。

また、死者の怨念は、仏陀の縁起の法の真理以外、解くことができない。神の救いや、仏の慈悲をいくら説いても、役に立たないのである。黙さめにはなるけれども、 完全解脱はできないのである。

のである。 人類は一律に、その深層意識に、死者の怨念による反覆強迫観念を持ち、不幸な運命の反覆に苦しんでいる。仏陀の成仏法なくして、人類に平和と安穏は永久に来ない

その成仏法は、いま、日本にしかない。

仏陀の法 188

 

1陀の法のメカニズム

仏陀の法のメカニズム

ノストラダムスが「日の国によって保たれる」と予言したのは、まさにこのことをいっているのだ。

日の国の法と金星の法が競いあう

予言のエスプリをわがものとしながら

双方たがいに耳をかたむけないが

偉大なるメシアの法は日の国によって保たれるだろう

日の国の法と金星の法が競いあう、という。この競い合うということばを、衝突す

る、争う、という意味に解いているひとがほとんどだが、前にのべたように、競いあ

って目的に進む、協力し合う、という意味にもとれるのである。

つまり、日の国の法と金星の法が、競いあってメシアの法を完成する、という意味に解釈できる。

「予言のエスプリをわがものとしながら

双方たがいに耳をかたむけないが、

ということばは、前の詩句の、日の国の法と金星の法、にかかるのではなく、そのあとの、偉大なるメシアの法、にかかるのである。

つまり、こうなる。

日の国の法と金星の法が競いあう

予言のエスプリをわがものとしながら双方たがいに耳をかたむけないが偉大なるメシアの法は日の国によって保たれるだろう

これで、意味が通ずるようになる。

大体、メシアの思想というのは、他の宗教にもないことはないが、ユダヤ教、キリスト教に最も顕著のものである。そこで、双方たがいに、というのは、ユダヤ教とキリスト教のことと思われる。この双方は、おなじ根から出ていて、『おなじ予言のエスプリ。すなわち、ともにメシアの救済の予言を持っている。それでいて、たがいにあい容れないでいる。たがいに自己主張をしていて、双方、耳をかたむけようとしな

い。

この二行の句の意味は、ユダヤ教もキリスト教も、メシア救済を説くが、どちらにもメシアは期待できない、偉大なメシアの法は、日本によって保たれ、日本から出現するであろう。

という意味なのである。

われわれはすでに、このことを知っている。

日の国の法と、金星の法が一つになって、仏陀の成仏法の中心である四神足法が完成される。その過程をあなたはつぶさに見てきた。

つよこのままでは、確実に地球は潰され、人類は滅亡するだろう。われわれは、つい昨日、神の名を口にする人たちによって大量の殺し合いがおこなわれ、すさまじい環境破壊がおこなわれるのを目にしてきた。そしてそれはいまもつづいている。

いまがギリギリのタイムリミットだ。

起て! 日の国の、メシアの法の使徒たちよ。

191 仏陀の法のメカニズム

 

准胝観音

 

准胝観音

 

准胝とは、梵名チュンディー (Cundi) の音写で

「清浄無垢」という意味があり、さとりの道を歩ませる観音です。

別名、准胝仏母、七俱胝仏母とも呼ばれます。

七俱胝とは「無量」を意味しますから、多くの諸仏の母となります。そのため観音菩薩ではないとの説もあります。経軌にも観音として説かれていないことから、天台密教では准胝如来として仏部の尊としますが、真言密教では観音の一つとして六観音の中に加えます。

まんだら求児・安産の本尊としてもまつられます。もとは水の神で、その姿は女身といわれています。

なお、胎蔵曼荼羅中台八葉院の観音の種子は、 この准低観音のブ(bu)字が記されています。

提寺にある

根本陀羅尼

oṁ sarva tathāgata uṣṇīṣa śāntiḥ
mudrāṇi tathāgataṁ
svaḥ tuḥ uṣṇīṣa ājñā siddhi te
jñāk huṁ vaṁ hūṁ hūṁ svāhā

一切の如来の仏頂の平安に帰依します

印 如来
天上において、仏頂の光明は満ち、
悟りの命が成就せん。
智慧の力よ現れよ。

 

根本陀羅尼

oṁ sarva tathāgata uṣṇīṣa śāntiḥ

🔤 分解と意味

サンスクリット語日本語の意味oṁ (おん)聖音。宇宙の根源の響き。「帰依します」「敬礼します」の意。sarva (さらば)「一切の」「すべての」tathāgata (たたーがた)「如来」「真理に到達した者」uṣṇīṣa (うしゅにー/うしゆにー)「仏頂」「仏の頭頂にある智慧の光」śāntiḥ (しゃーんてぃ/しやだと)「平安」「安寧」「静寂」

🌸 全体の意味

「おん さらば たたーがた うしゅにー しゃーんてぃ」
🕊️「一切の如来の仏頂の平安に帰依します」
すなわち――
「すべての如来の智慧と平安を讃嘆し、守護と安寧を願う真言」
という意味になります。

むどらに(mudrāni)

サンスクリット:mudrāṇi(मुद्राणि)

意味:印(いん)・手印・しるし

サンスクリット:tathāgataṁ(तथागतं)

意味:如来(にょらい)
「かくのごとく来たる者」「真理のままに来たる者」という意味。
仏陀自身を指す語です。

🪷訳:「如来」「真理を得た者」

svaḥ tuḥ uṣṇīṣa ājñā siddhi te
jñāk huṁ vaṁ hūṁ hūṁ svāhā

🔤 語義の分解と意味

サンスクリット語(推定)音写意味svaḥ (さは/そわ)さは・そわ「天界において」「光明あれ」などの意。しばしば「栄光あれ」と訳される。tuḥ / puṣṭa / bhūṣitaひぷしゆた「荘厳された」「満たされた」「飾られた」などの意。uṣṇīṣa (うしゆた/うしゅにーしゃ)仏頂。仏の智慧・光明を象徴する。ājñā (あじ)「命」「智慧」「悟りの力」。サンスクリットで「命令」「意志」の意味も。siddhi (しつち)「成就」「功徳」「霊験」。ヨーガでも「成就力」を指す重要語。te (てい)「あなたに」「汝の」。敬語的な呼びかけ。jñāk(じゃく)「智慧」「認識」「覚知」に関わる語根 jñā(知る)から。huṁ(うん)護身・断除の種字(種子)。煩悩や悪縁を断つ力。vaṁ(ばん)水輪・浄化の種字。清め、調和、慈悲を象徴。hūṁ(こく/うん)強力な守護・憤怒の波動。悪を砕く音。svāhā(そわか/そわかさ)「成就あれ」「この祈りを完成せしめたまえ」。真言の締めくくり語。

🌸 全体の意訳

「天上において、仏頂の光明は満ち、
悟りの命が成就せん。
智慧の力よ現れよ。
フーン・ヴァン・フーン――
あまねく守護と浄化の法よ、成就あれ。」