では、前章「水晶の中の龍 ― 四神足への前夜」の続きとして、三章を小説として連続する形で描きます。
第二章
水晶に降りる龍王
山の夜は、さらに深くなっていた。
庵の外では、杉の森が闇の海のように揺れている。
炉の火は静かに燃え、壁にゆらめく影を映していた。
トウマは、水晶の前に坐していた。
白い紙の前に置かれた水晶。
その奥に、淡い霧が揺れている。
老師の言葉を思い出す。
「モヤを見よ。心を静めて凝視せよ。」
トウマは呼吸を整えた。
静かに。
ゆっくり。
息を観る。
やがて、水晶の奥の霧が濃くなった。
その中で――
何かが動く。
細い影。
長くうねる体。
トウマの胸が高鳴る。
霧の中から、ゆっくりと頭が現れた。
広がった首。
扁平な顔。
まるで王のような威厳。
龍。
その眼が、こちらを見た。
黄金色だった。
トウマは思わず息を止める。
(……龍神だ)
その瞬間。
水晶の中の龍が、ゆっくりと体を起こした。
霧の海を割り、こちらへ近づく。
そして――
突然。
水晶の表面に波紋が走った。
まるで水のように。
龍は、その波紋を通り抜けた。
トウマの目の前に、
小さな龍の姿が現れた。
空中に浮かび、ゆっくりと体をくねらせている。
庵の空気が震えた。
炉の火が大きく揺れる。
トウマの全身に鳥肌が立つ。
老師の声が静かに響いた。
「恐れるな。」
トウマは振り向く。
老師は目を閉じたまま座っていた。
「それが、おまえの龍王だ。」
トウマは震える声でつぶやく。
「ナンダ……龍王……」
龍は、ゆっくりと頭を下げた。
その動きは、まるで礼をしているようだった。
そして――
空から、細かな光の粒が降り始めた。
雨だった。
だが普通の雨ではない。
光の雨。
龍の体から降っている。
その雨がトウマの体に触れた瞬間――
胸の奥に溜まっていた重さが、
一気に流れ出した。
怒り。
恐れ。
悲しみ。
すべてが洗い流されていく。
トウマは思わず涙を流した。
龍は静かに旋回し、再び水晶へ戻った。
そして、霧の中に消えた。
庵の中は再び静寂に戻った。
老師がゆっくり目を開く。
「いま、おまえは龍雨洗浄を受けた。」
トウマはまだ震えていた。
「……本当に……龍が……」
老師はうなずいた。
「これで第一の門は開いた。」
そして、静かに言う。
「次は、さらに深い修行だ。」
火が小さく揺れた。
「思念の相承。」
第三章
思念の相承
夜はさらに更けていた。
庵の中央に、老師は新しいものを置いた。
一枚の曼荼羅。
そこには、光り輝く仏が描かれている。
「これは準胝尊秘密光明曼荼羅だ。」
トウマは息をのんだ。
曼荼羅の前に水晶が置かれる。
二つの光が重なる。
老師が言った。
「水晶と曼荼羅を合わせると、門が開く。」
トウマは姿勢を正した。
老師は低い声で唱えた。
「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」
庵の空気が震える。
真言が重なる。
何度も。
何度も。
すると――
曼荼羅の光が、水晶に流れ込んだ。
水晶の中で光が回転する。
トウマの額が熱くなった。
眉間。
そこに、強い圧力が生まれる。
「目を閉じよ。」
老師が言う。
トウマは目を閉じた。
その瞬間。
暗闇の中に光が生まれた。
小さな星。
それは、ゆっくりと近づいてくる。
そして――
トウマの眉間に入った。
瞬間。
爆発のような光が広がった。
宇宙。
星。
銀河。
すべてが一瞬で見えた。
その中心に――
仏陀。
静かに坐している。
仏陀はトウマを見た。
言葉はなかった。
だが思念が流れ込む。
智慧。
慈悲。
力。
それが一瞬でトウマの中に流れ込む。
老師の声が遠くから聞こえた。
「それが――」
声は低く響いた。
「王者による思念の相承だ。」
光がゆっくり消えた。
トウマは目を開いた。
体が震えている。
「……何かが……入ってきました」
老師は静かにうなずいた。
「それは仏の思念。」
そして言った。
「だが、まだ終わりではない。」
火が大きく揺れる。
「最後の門が残っている。」
トウマの胸が高鳴る。
「四神足。」
最終章
四神足覚醒
夜明け前。
山は深い霧に包まれていた。
トウマは庵の外に坐していた。
水晶。
曼荼羅。
そして龍王。
すべてが整っている。
老師が言った。
「四神足とは、悟りを動かす四つの力だ。」
指を立てる。
「欲。」
「精進。」
「心。」
「観。」
その四つを、一つにする。
「息を観よ。」
トウマは目を閉じた。
呼吸が静かになる。
体が消えていく。
心も消えていく。
残るのは――
意志だけ。
その瞬間。
背骨の奥から、
巨大な力が上昇した。
まるで龍のようなエネルギー。
それが脳に到達した。
光。
すべてが光になる。
山。
空。
大地。
宇宙。
すべてが一つ。
そしてトウマは見た。
無数の仏。
千仏。
その中心に、自分がいた。
老師の声が聞こえる。
「目覚めよ。」
「四神足の力によって。」
その瞬間。
トウマの意識が爆発した。
宇宙のような静寂。
そこにはただ一つの真理だけがあった。
すべては仏である。
やがて朝日が昇った。
山が黄金に染まる。
トウマは静かに目を開いた。
老師が微笑む。
「いま、おまえは門に立った。」
トウマは静かに言った。
「……まだ仏ではありません」
老師はうなずいた。
「そうだ。」
そして言った。
「だが、おまえはもう――」
風が杉を渡る。
「**流れに入った者(須陀洹)**だ。」
山の空が明るくなっていった。
そして庵の中で、水晶が静かに光っていた。
もし希望があれば、この物語はさらに面白くなります。
実はこの続きとして
外伝「ナンダ龍王の世界」(龍神の国の物語)
続編「四神足の戦い」(覚醒者と闇の意志)
最終神話「宇宙仏陀の誕生」
までつながる壮大な仏教神秘小説にできます。
あなたが最近書いている「覚醒する宇宙」「千仏曼荼羅」の世界観と非常に相性のよい物語です。
水晶の中に龍神のお姿を見る
きない。本書では、ごく初歩の段階にとどめる。
誤解しないでいただきたいが、決して法を惜しんでいるわけではない。これ以上の段階は、どうしても、わたくしの直接の指導を受けておこなう必要があるのだ。
わたくしの主宰する阿含宗の瞑想道場にて、この「王者による思念の相承」 すなわち、「仏陀の思念」が受けられるので、そこで、わたくしや、わたくしの弟子の指導を受けて修行を進めていただきたいのである。
水晶の中に龍神のお姿を見る
う。 まず、水晶龍神瞑想法(四神足法)の前段階である瞑想法について解説しよ
前段階とはいえ、たいへん高度な瞑想法で、これを習得しないと、釈尊の成仏法の真髄・四神足法に進むことができない。
この法は水晶を使って深層意識を活用する瞑想法である。
う) まず、水晶を準備する。けがれのない天然の水晶が理想である。(わたくしの瞑想道場では、わたくしが成仏法によって浄め、龍神のお霊をこめた水晶龍神御尊像を使
この水晶に心を集中して凝視していると、いろいろなモヤモヤが見える。そ
のモヤモヤを、心を静めて凝視していると龍神のお姿が見えてくる。このお姿
がはっきりと見えてくるようにならなくてはいけない。
そのお姿には二つのタイプがある。
コブラ(母蛇)型――頭と顔が平たくなっている龍神。
ボア(大蛇)型
毒を持たない大型の龍神。
この二つの系統がある。
また、見えてきた龍神が男神である場合は「ナンダ龍王」、女神の龍神の場合
は『ウパナンダ龍王」という名前で念じる。
水晶の向こう側に白い紙を立てて凝視していると、モヤモヤの中にお顔やお体が見えてくる。それには三日ほどかかる。観想もこのお姿をよく観察して瞑 「想しなくてはならない。
この瞑想を深く進めていくと、その修行者は龍神型の性格を持つようになり、さらに進めていくと体も似てきて龍体になってくる。そして体の一部がウロコになってくる。そこまでいくのは容易ではないが、そうなると龍神の力がそなわってくる。
龍神のタイプがたとえばコブラ型であれば毒を持つとか、ボア型だから相手を絞め殺して食べてしまうというようなことはない。タイプを知るだけで、あとは自然にまかせておけばよい。
せんじよう最初に教える瞑想法は、「水晶龍神洗浄瞑想法」である。
まず心身を浄める「洗浄法」から入る。龍神に雨を降らしていただいて、その龍雨によって心身の不浄不快がすべて洗い流され、病気の根もすべて洗い流
べて洗い流す。
そう観じて、般若心経 五反。
つぎに、観想。
「わが心身爽快なり。わが身の不浄不快悉く消滅す」
そして、準豚小呪。
「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」
を五明し、よびかける。
けんぞく準態如来は龍神をしたがえておられる。龍神は準嗎如来の眷属であるから、
この真言を唱えると非常にお喜びになる。
最後に、
こんぱよちよちしゃかいちんれっぽいぜん 「臨兵闘者皆陳列在前、エイッ」
と九字を三回切って終わる。
すると龍王は喜び勇んで姿を消すが、つねに行者の身辺にあって守護してく
ださっている。そして行者がよぶのを待っておられる。なにかつらいことや困ったことがあるとサーッと姿をあらわして助けてくださる。
およびするときには、左手親指を右拳でつつむ「如来拳印」で、あなたの水
品で感得した「ナンダ龍王」あるいは「ウパナンダ龍王」をおよびし、
「来たってわれを救いたまえ」
と心の中でつぶやけば、たちまち姿をあらわして助けてくださる。
水晶龍神瞑想法(四神足法)
つぎに、いよいよ、釈尊の成仏法の真髄である四神足法の瞑想法である。
これが、さきほど大極秘伝といった、八科四十一道品の中の一科四道品、四
安那般那念法となる法で、「水晶龍神瞑想法」という。
ただし、さきほどもいったように、これ以上は筆にすることができない。
法を惜しんでいるわけではないが、この法に関しては、わたくしが導師となって、あなたを弟子として受け入れ、その修行の進み具合を見ながら直接指
導しなければ、絶対に法を成就することができない。
だが、熱心な修行者のために、少しだけヒントをさしあげよう。
「この瞑想法では、さきほどの水晶龍神御尊像と、「輪廻転生瞑想法Ⅱ」で紹介した準胝尊秘密光明曼荼羅を使うのである。
そして、水晶と曼荼羅を組み合わせ、ある特殊な観想と真言読誦によって、
脳内のチャクラに仏陀の思念、すなわち、「王者による思念の相承」を受けるのである。さらに、この瞑想法とあわせて、護摩行(火界定)と滝行(水想観)を修することが、最も望ましい。
阿含宗の瞑想道場には、水晶龍神御尊像と準胝尊秘密光明曼荼羅をそなえてあり、護摩行、滝行ができる設備をそなえた道場もある。
ぜひ、わたくしの瞑想道場に来て、わたくしか、わたくしの直弟子から指導を受けることを、強くお勧めする。
輪転生联想法
286
流れに入る者 ― 須陀洹
第一章
流れに入る者 ― 須陀洹
山は深い霧に包まれていた。
杉の梢を渡る風が、庵の軒をかすかに鳴らす。
夜の山は静まり返り、炉の火だけが赤く揺れていた。
青年トウマは、師の前に坐していた。
長い修行を続けてきた。
呼吸を観る修行。
心を観る修行。
欲と怒りを見つめる修行。
だが、胸の奥にはまだ一つの疑いが残っていた。
「老師……」
火の揺らぎを見つめながら、トウマは口を開いた。
「私は、本当に仏の道を歩んでいるのでしょうか。」
しばらく沈黙があった。
師は目を閉じたまま、静かに言った。
「よい問いだ。」
炉の薪が、ぱちりと音を立てた。
「多くの修行者は、その問いを恐れる。」
師はゆっくりと続けた。
「だが仏道は、疑いを越える道ではない。」
トウマは顔を上げた。
「疑いを……越えないのですか?」
師は微かに笑った。
「疑いを見破るのだ。」
その言葉は、静かな雷のように響いた。
師は火を見つめながら言った。
「仏道の最初の門を知っているか。」
トウマは首を振った。
「須陀洹だ。」
「流れに入る者。」
トウマはその言葉を口の中で繰り返した。
「流れ……」
「真理の流れだ。」
師は言う。
「一度その流れに入れば、もう迷いの海に沈むことはない。」
「必ず悟りに至る。」
トウマの胸が強く打った。
「どうすれば……その流れに入れるのですか。」
師は静かに答えた。
「三つの鎖を断つことだ。」
指を一本立てた。
「第一。」
「我があるという思い込み。」
二本目。
「第二。」
「仏法への疑い。」
三本目。
「第三。」
「形だけの戒への執着。」
師は言った。
「これを見破ったとき、修行者は流れに入る。」
そしてトウマの目をまっすぐ見た。
「今夜、それを観よ。」
夜はさらに深くなった。
トウマは庵の奥で坐った。
灯りは消され、闇だけがあった。
彼は呼吸を観た。
吸う息。
吐く息。
静かに、ゆっくりと。
やがて思いが浮かんできた。
「私は修行者だ」
「私は悟りたい」
「私は道を歩んでいる」
その思いを見つめた。
すると奇妙なことに気づいた。
その思いは――
勝手に現れている。
自分が作っているわけではない。
ただ現れ、消えていく。
雲のように。
トウマの心が揺れた。
「では……」
「この『私』とは何だ?」
彼はさらに深く観た。
身体。
感覚。
思い。
記憶。
どれも変化している。
どこにも固定した「私」はない。
その瞬間だった。
まるで雷が走るように、理解が閃いた。
「我」というものは、ただの思い込みだった。
胸の奥で、何かが崩れ落ちた。
長い間信じてきたものが、音もなく壊れていく。
涙が静かに流れた。
だがその涙には、悲しみはなかった。
ただ深い安らぎがあった。
そのとき。
疑いが現れた。
「本当にこれでいいのか?」
「これは悟りなのか?」
しかしその疑いを見た瞬間、トウマは笑った。
疑いもまた――
ただの現象だった。
それも生まれ、消える。
その瞬間。
疑いは完全に力を失った。
夜明け前。
トウマは庵を出た。
空はまだ暗く、東の空だけがわずかに白んでいる。
師は外で待っていた。
トウマは深く礼をした。
言葉が出ない。
師は一目見て言った。
「入ったな。」
トウマは顔を上げた。
「はい。」
師はうなずいた。
「須陀洹だ。」
山の空に、最初の光が差し込んだ。
師は静かに言った。
「お前はもう迷いの海には沈まない。」
「流れに入った者は、必ず海へ至る。」
トウマは空を見上げた。
世界は変わらない。
杉の山。
冷たい風。
朝の光。
だが一つだけ、確かに変わっていた。
もう道を疑う心はなかった。
彼は歩き始めた。
悟りの海へ向かう、
静かな流れの中を。
遊経
現代語訳
世尊はコーティ村で心ゆくまでとどまられると、アーナンダに告げられました。
「ともにナーディカー村に行こう」と。
に世尊につき従いました。 アーナンダはこの指示を受けると、すぐに衣をまとい、鉢を手に持って、多くの僧たちととも
一行はヴァッジ国内を通って(巡って) ナーディカー村に到着し、(そこで) 煉瓦造りの家に滞在することになりました。
ある時、アーナンダが静かなところで一人黙って思いを巡らしておりました。
「このナーディカー村には十二人の居士(在俗信者)がいた。第一は伽伽羅といい、第二は伽陵伽といい、第三は毘伽陀といい、第四は伽利輸といい、第五は遮楼といい、第六は婆耶様といい、 第七は婆頭楼といい、第八は藪婆頭楼といい、第九は陀梨舎道といい、第十は藪達利舎嵬といい、 第十一は耶輸といい、第十二は耶輸多楼という名前であった。これらの人々は今や命終しているが、どのようなところに生まれているのであろうか? また、(そのほかにも)五十人の(在俗信者が)命終し、さらに五百人の(在俗信者が)命終している。これらの人々はいったいどこに生ま
れ変わっているのであろうか?」
三
このように考えた(アーナンダは)、その場を立って世尊のみもとへ至り、頭面礼足(五体投地のれ)をしてかたわらに座り、仏さまに申し上げました。
「世尊よ、私は独り静かな場所で、このように考えておりました。『このナーディカー村に住んでいた伽伽羅などの十二人の居士が命終している。その上、五十人(の居士)が命終し、さらにまた五百人(の居士)が今はすでに命終している。彼らはどのようなところに生まれ変わったのであろうか」と。どうか彼らの死後の行き先をお教えください」
(すると)世尊はアーナンダに、(次のように)お告げになられました。
「伽伽羅などの十二人は五下分結(身見・疑惑・戒取・欲貪・瞋恚)を断ち切って(阿那含になって)いたので、命終後は天上界に生じました。彼らは天上界において般涅槃を得て、二度とこの世界には戻ってきません。
五十人の命終した者たちは、三結(身見・疑惑・戒取)を断ち切ってさらに姪怒癡(貪瞋癡の三毒)も薄くなり、斯陀含(の境地)を得ていたので、この世にもう一度だけ戻り、そこで苦しみのもとを滅ぼし尽くします。 とんじんち
五百人の命終した者たちは、三結を断ち切って須陀洹(の境地)を得ていたので、もう悪趣 (地獄界・餓鬼界・畜生界)に堕ちることはなく、やがて必ず涅槃を成就します。彼らはこの世と天上界を七度往来した後、苦しみのもとを滅ぼし尽くします。
しかし、アーナンダよ、そもそも生まれた者が死を迎えるのは世の常であって、なにも怪しむ
この世の常であって、なにも怪しむ 「そことではありません。それなのに、もし(今後も弟子たちの) 一人一人が死を迎えるたびに私
に質問に来るならば、それは私にとって)実に環わしいことではありませんか?」 (このお答えに対し)アーナンダは、
「誠にさようでございます、世尊よ。そのようなことはじつに煩わしいことです」 と答えました。
(すると)世尊はアーナンダに、次のように告げられました。
「今からそなたのために、『法鏡』(の教え)を説いてあげましょう。(この法鏡によって)聖弟子
は、(自分が命終した後)どのようなところに生まれるのかを知ることができます。「(私は)地獄・餓鬼・畜生の三悪道へ行くことから脱して須陀洹を得、七回の生まれ変わりのうちに、必ず苦しみのもとを滅ぼし尽くすことができる』と。また、(これを聞いたそなた自身が)他の(聖弟子たちの)ために、このようなことを説くことができるようになるでしょう。
アーナンダよ、『法鏡』とは、聖弟子が堅固な信仰を獲得することをいうのです。(すなわち、) 『仏は如来・無所著・等正覚などの十号をすべてそなえている』と歓喜して仏を信仰する。
『法は真実にして正しく、奥深く、自由自在に説かれて時節を選ばず、涅槃への道を示して、智者の実践するものである』と歓喜して法を信仰する。
「側はよく根和して、行ないが質直であって齢うことなく、修行を成就していて、上下の者が和順し、法身(仏の説いた正法)を備えており、須陀洹向(須陀洹へ向かう人)・須陀洹果(須陀洹になった人)・斯陀含向(斯陀含へ向かう人)・斯陀含果(斯陀含になった人)・阿那含向(阿那含へ向かう人)・阿那含果(阿那含になった人)・阿羅漢向(阿羅漢へ向かう人)・阿羅漢果(阿羅漢になった人)という四双八輩の人々が如来の弟子である聖者・賢者たちであり、非常に恭しく
き世の福田である」と歓喜して僧伽を信仰する。
「聖者・賢者の彼は清浄でれなく、欠けたところがなく、聡明な人の実践するものであり、こ
れによって深い瞑想が獲得できるのである」と戒律を信仰する。
アーナンダよ、これが『法鏡』です。(この法鏡によって)聖弟子は、(自分が命終した後)どの
ようなところに生まれるのかを知ることができます。『(私は)地獄・餓鬼・畜生の三悪道へ行くことから脱して須陀洹を得、七回の生まれ変わりのうちに、必ず苦しみのもとを滅ぼし尽くすことができる」と。また、(これを聞いたそなた自身が)他の(聖弟子たちの)ために、このようなことを説くことができるようになるでしょう」
解説
ここに紹介したのは『遊行経』の一部です。『遊行経』そのものは、阿含経典群のうちで最も
長い経典であり、お釈迦さまが、当時インド最大の強国であったマガダ国の首都である王舎城を出て最後の旅に出かけられるところから、マッラ国のクシナーラーにおいて入滅されるまでの出
来事が描かれたものです。ですから、お釈迦さまの最晩年の様子が描かれているわけです。この
時、おそらく八十歳というご高齢になっておられるであろうお釈迦さまが、ご高齢にむち打って、 最後の日まで布教のためにあの灼熱のインドを歩いて経巡っておられる様子を想像すると、じつめぐ
にありがたく、また申しわけのない気持ちになります。
てヴァッジに入り、コーティ村に滞在された後で同じヴァァジ国内のナーディカー村に移られた時のエピソードを取り上げています。
なお、『遊行経」は漢訳であって、パーリ語あるいはサンスクリット語からの翻訳であれば 「偉大なる完全な涅槃(仏陀の死)についての経典」を意味します。漢訳の「遊行」は、一定の場所にとどまることなく、巡り歩くことを意味します。ですからこれは本来のタイトルではなく、 その最後の布教の「旅」の部分を強調したタイトルになっているわけです。また、本来の意味に沿って、この「遊行経』を『涅槃経」と呼ぶこともありますが、この根本仏教(阿含仏教)の 「涅槃経」とは別に、大乗仏教にもこの『涅槃経』を下敷きにしながら大乗仏教の教理に沿うように書き換えられている「涅槃経」(『大般涅槃経」)がありますので、注意してください。
亡くなった大勢の仏弟子たち
それでは、本文の解説に入ります。
お釈迦さまのお供をしてナーディカー村に入った侍者のアーナンダが、先ごろ、この村におびただしい死人が出ていたことを知りました。その中には、お釈迦さまに帰依していた者たちも大勢含まれていたのです。アーナンダもよく名前を知っていた十二人の在俗信者や、そのほかにも数百人という多数の在俗信者が一度に亡くなっていることを知って驚き、心が乱れたのでしょう。
ガンジス河を渡っ
在俗の信者(修行者)とはいえ、お釈迦さまの成仏法を修行していた人々が、かくも大勢一度に死んでしまうというのはいったいどういうことなのか、また、不幸にして亡くなったこれらの信者たちは、死後、どのような境界へ行ったのか、という思いにとりつかれたアーナンダが、彼らの死後の行方をお釈迦さまにおたずねするところから始まります。
では、どうしてこのように大勢の人々が一度に亡くなったのでしょうか? このころのインドでは、疫病によって一度に大勢の人々が亡くなるというようなことは、よくあることでした。地震でも大量死ということはあり得たでしょうが、地震は頻繁に起こるようなものではありませんので、地震であれば経典中に原因として書かれていたに違いないと思います。疫病による大量死というものが一般的であり常識になっていたので、おそらくは、ここナーディカー村でも起こったに違いない疫病の蔓延について、ここでは特に原因として記録されていなかったものと思われます。
亡くなっていた最初の十二人については、文献によって名前が異なり、また、最初の二人が比丘(男性の出家者)と比丘尼(女性の出家者)になっているものもあります。いずれにしてもアーナンダが名前を挙げているというのは、おそらくこの村における仏弟子としては最古参の人々であったからでしょう。あるいは、アーナンダ自身がこの人々を直接知っていたからということかもしれません。また、次に五十人を挙げ、続いて五百人という人数を挙げているのは、仏弟子になった時期がそれぞれ異なっていたからでしょう。最初の十二人から次第に仏弟子が増えていった様子がうかがえますね。
さて、アーナンダがこの村で突然死んだ在俗信者たちの死後の行方について、お釈迦さまにお
さて、アーナンダがこの村で突然死んだ在俗信者たちの死後の行方について。お釈迦さまにお
たずねしました。すると、お釈迦さまはこうおっしゃいました。
「アーナンダよ。伽伽羅などの十二人は、五下分結(五つの煩悩身見・疑惑或取,欲貪・鼠患) を断ち切っていたので(阿那含となり)、死後は天上界に生じました。彼らは天上界において般涅槃を得るので、もうこの世界には違ってきません。
五十人は、三つの煩悩(身見・疑惑・戒取)を断じ、その上、姪怒癡(姪は盲目的に欲望を満たすこと。怒はいかり。寝は愚か。貪癡に同じ)の心が薄らいでいたから斯陀含となって天上界に生じました。彼らはもう一度だけこの世に戻り、そこで苦しみのもとを滅ぼし、涅槃を得るでしょう。
りを開くのです」 五百人は、三つの煩悩を断じて須陀洹となっていたので、天上界に生じました。この世に転生した時にも悪趣(地獄界・観黒界・畜生界)の苦しい境界に堕ちることはなく、やがて必ず涅槃を得るでしょう。彼らは天上界とこの世界を七度往来した後、苦しみのもとを滅ぼし、阿羅漢の悟
まず、五下分結について解説しましょう。
人間の心と身体と魂を束縛する十種類の随煩悩
因解説して完全成仏するためには、愛を断滅しなければなりません。 では、湯愛とはなにかというと、根本煩悩です。この根本悩から十場の
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