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普賢菩薩

普賢菩薩(ふげんぼさつ、 समन्तभद्र [samantabhadra, サマンタバドラ]、: ཀུན་ཏུ་བཟང་པོ་ [kun tu bzang po])は、大乗仏教における崇拝の対象である菩薩の一尊

 

梵名のサマンタバドラとは「普く賢い者」の意味であり、世界にあまねく現れ仏の慈悲と理智を顕して人々を救う賢者である事を意味する。法華経では、普賢菩薩は六牙の白象に乗ってあらゆるところにあらわれ衆生を救うと説かれる。行動するという意味で「行の菩薩」と呼ばれ、理法と行願を象徴する存在になっている[4]密教では菩提心(真理を究めて悟りを求めようという心)

 

文殊菩薩は百獣の王獅子に乗り、利剣を持って、煩悩穢れを断ち切り精進する堅固の精神を鍛えます。 普賢菩薩は六白牙の象に乗り、法華行者の六根清浄、懺悔懺悔の内容を鑑定するのです。 また文殊菩薩は悉皆空の般若空を司るに対して普賢菩薩は一切の三昧を司り、仏のさとりの境地に仏教者の修行の鑑定をするのです

 

普賢菩薩

あらゆる場所に現れ、命あるものを救う慈悲を司る菩薩

普賢菩薩(ふげんぼさつ)とは?

普賢とは「全てにわたって賢い者」という意味で、あらゆるところに現れ命ある者を救う行動力のある菩薩です。

 

文殊菩薩とともに釈迦如来の右脇侍として三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られる場合もあります。文殊菩薩の智慧とともに修行を司る菩薩として、明晰な智慧で掴み取った仏道の教えを実践していく役割を果たすとされています。また、女性の救済を説く法華経の普及とともに女性に多く信仰を集めました。

 

ちなみに普賢菩薩から派生した仏に延命のご利益のある普賢延命菩薩があります。

ご利益

女性守護、修行者守護、息災延命、幸福を増やす増益のご利益があるとされています。また、辰・巳年の守り本尊です。

普賢菩薩(ふげんぼさつ)の像容

白象に乗っている姿が一般的です。3つや4つの頭の象に乗っている場合は普賢延命菩薩像の可能性が高いです。

有名寺院と像

・京都府:岩船寺

普賢菩薩(ふげんぼさつ)の真言

オン・サンマイヤ・サトバン

 

 

虚空蔵菩薩

仏に関する基礎知識:虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)

虚空蔵菩薩像 宝寿院虚空蔵菩薩は、大日如来の福智の二徳をつかさどっている仏といわれています。一般には「智恵を授かる仏さま」として人々より信仰をあつめています。

虚空蔵菩薩の信仰は、奈良時代にはすでにさかんであったようで、若(わか)かりし弘法大師もこの菩薩を本尊とする「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」を阿波の太龍岳や土佐の室戸崎などで修行されておられます。

虚空蔵とは、虚空が広大ですべてのものを包み込み蔵しているように、無量無辺の福徳や智恵をそなえ、人々に常にこの二つの徳を与えて、諸々の願を満たす大慈大悲の菩薩といわれています。

また、虚空蔵菩薩の誓願に「人には三期の厄あり。その厄災のうち、とりわけて変体の厄を除き、智徳を与え、二世の願いを成就せしめん」という項目があります。ここでいう「変体」の厄とは、子供から大人に変わるときのように、人間の身体が変化するときの厄を重視して、この誓願をたてられたといわれています。

また、インド以来の虚空蔵菩薩への信仰は、星宿、日月などの星神の信仰とも深く関係をもっています。

胎蔵曼荼羅の虚空蔵院の主尊(しゅそん)として、また釈迦院の主尊釈迦の右脇侍に描かれています

阿閦如来 物事に動じず、迷いに打ち勝つ強い心を授ける仏

阿閦如来

物事に動じず、迷いに打ち勝つ強い心を授ける仏

 

阿閦如来(あしゅくにょらい)とは?

語源は「揺るぎないもの」を意味し、物事に動じず迷いに打ち勝つ強い心を授けるといわれています。阿閦如来は「大円鏡智(だいえんきょうち)」と呼ばれる智慧を具現化した仏です。「大円鏡知」は知識や経験のない純粋な心、鏡のようにありのままを映し出す清らかな心という意味を持っています

 

大円鏡智」とは、天ほどの大きな鏡(大円鏡)は、あらゆるものの影をありのままに映す、特に人の世の「煩悩」や「汚れ」に惑わされずにすべてのものを映し、照らす、この鏡のような智慧のことを「大円鏡智」といいます。この智慧は「仏」になって、はじめて得られるもののようです

 

密教における大日如来の五つの智慧を表す五智如来の一尊で、薬師如来と同等と考えらました。そのため病気治癒、無病息災、滅罪の功徳があるといわれています。

阿閦如来(あしゅくにょらい)の像容

左手は衣服の端を握り、右手は指を下に伸ばす降魔印(ごうまいん)を結んでいます。これは恐怖や誘惑に打ち勝つ強い心を表しています。阿閦如来の単独の造像はほとんどありません。

 

阿閃如来(あしゅくにょらい)の真言

オン・アキシュビヤ・ウン

 

 

大円鏡智

大円鏡智

 

大円鏡智

これぞ「大円鏡」注1)
「水は、方円の器(うつわ)に随(したが)う」、「前方後円墳」・・・、「方」と「円」、「丸」と「四角」、で、それがどうかしたかというと、「鏡」は、「丸い」のがいいのか「四角い」のがいいのか、

「そげなんことは、使うモンの勝手たい・・・!」
とも云えますが、われわれ「鏡屋」にとっては、あながち無視できぬ問題ではあります。古代の「金属鏡」なら、鎔けた金属を「鋳型」に流し込みさえすれば、「丸型」だろうと「角型」だろうと「ハート型」だろうと、お客様のお好みの型は、どうにでも作れたのですが、今の「鏡屋」の材料とする「鏡」は、「板ガラス」を素材にして作った「板鏡」、したがって「板ガラス」の加工上の長所短所はそのまま引き継いでしまって、「好みのかたち」は、選択範囲がいたってせまくなりました。

「そんなら、あたまっから(最初から)ガラスの型ば変えて作りやあよかろうもん!」
といいたいのですが、今の「板ガラス」の製造工程からすると、これは無理なはなし注2)。
「古代鏡」にも、「丸」もあれば「四角(方鏡)」もあるようで、とはいっても、圧倒的に「丸」が多い、やっぱり四角な「おきゅうと」を作るより丸い「ホットケーキ」を作るほうが楽だということでしょうか・・(ん?) 注3)

「お釈迦さま」の教え、「四智」のなかに「大円鏡智」(だいえんきょうち)(他の三つは、「平等性智(びょうどうしょうち)」、「妙観察智(みょうかんざつち)」、「成所作智(じょうしょさち)」)という教えがあります。
「大円鏡智」とは、天ほどの大きな鏡(大円鏡)は、あらゆるものの影をありのままに映す、特に人の世の「煩悩」や「汚れ」に惑わされずにすべてのものを映し、照らす、この鏡のような智慧のことを「大円鏡智」といいます。この智慧は「仏」になって、はじめて得られるもののようです 注4)

「仏さま」だからこそそんな大きな「鏡」を、お作りになられたのだろうとは思いますが、われわれ「衆生」のものでも、なんとかちっぽけでもいいから「円鏡」を作らねば、と「鏡屋」は思うのですが。

で、「円鏡」を作るには、元板鏡(これは四角な板鏡)を持ってきて、鏡の表面(写る面)を上にして、次に「円鏡」の直径の半分(半径)を出し、コンパスの原理を使った「ガラス切り」で、円を描いて切断します。「円部分」だけを取り出して、残材は、他に流用できる大きさがあるかないかで、保存するか廃棄するかの選択。用途に合わせて、小口(切り口)を研磨したり、しなかったり。これで「円鏡」の出来上がり注5)
ちいさいものは、たとえば「歯医者」さんの「むし歯」診察用の鏡、少し大きくなると、「灯台」の「集光レンズ」の補助をする反射鏡注6)、大きなものでは、「天体観測望遠鏡・昴(すばる)」、その「円鏡」は単体で直径が世界最大の「8,300㍉メートル(8.3メートル)」もある巨大なもの注7)。とはいえ、このての「円鏡」は、それぞれの「専門家」の「腕の見せどころ」なので、わが「鏡屋」とはやや距離のあるお仕事ではありますが。

それでも、「仏さま」の「大円鏡」には、まだ足元にも及ばないものの、この「昴望遠鏡」は、遥かかなたの「大宇宙」を垣間見ることで「教え」の「真相」を説き明かしてくれるかもしれません。(「ハッブル」なぞに負けてはなりませぬ。)

 

密教の五つの智慧とあやまるということ

密成和尚の読む講話

第2回

密教の五つの智慧とあやまるということ

2021.01.23更新

「そういうこと」に関わりを持とうとする

前回の四無量心の調子はいかがでしょうか? 「なかなか難しかった」という方も多いのではないでしょうか。僕もそのひとりです。でも思うのですが、あまり開き直ってもいけないけれど、「そういうこと」をチャレンジしたり、目標を立てたりする事自体にも、わりと大切な意味がある、と僕は感じたりしています。
今、コロナウイルスの蔓延の中で、同じ僧侶である妻から、「今、病気平癒とか疫病のための祈祷が効かなかったら、お坊さんの存在意義ってなんなんやろうか?」とポツリとつぶやくように尋ねられたことがありました。

「僕は思うのだけど、そういうのって効いた、効かなかったということも大事だろうけれど、”言いに行くところがある”というのも大事なのかな。”お願いする場所がある”というか・・・。例えば誰かが亡くなった、不治の病を告げられた。そういうことは、あまり”言いに行くところ”がないよね。でも”なにとぞ安らかに””どうか治してあげてください”とお願いする場所や人があること自体が大切なんじゃないかな」

そんな話をしたことをふと思い出しました。つまり「そういうこと」と関わりを持とうとする事自体に意味がある。病気平癒と四無量心は、内容は違うけれど、そういった意味では、僕の中では、重なりあう部分があることです。

 

密教の智慧はトータルの総合力

僕が密教を学んでいた高野山大学のゼミの恩師が、卒業後に教えてくださったことですが、海外の学術調査でムスタンを訪れた時、ある現地の高僧から、
「あなたに仏教の真理を教えあげよう」
と語りかけられ、話の続きを聞いてみると、驚くほど基礎的な仏教の智慧を、とても短く話されたことがあったという話を印象的に憶えています。
仏教には、複雑な哲学体系も、誰も知らないような専門用語も、様々な瞑想法も存在しますが、まずは基本的な思想や行動規範を、「本当に人生の中で生活の中で」活かそうとすることは、とても大事なことだと僕は思っています。
そのような中で、僕の修行している密教は「シングルイシュー(問題点や論点がひとつであること)の真理」を追い求めるというよりは、全体性、統合性を大事しながら、「トータルの総合力」を大事にする傾向があります。ですので今回は、僕も著作で繰り返し書いてきたことではありますが、密教の「五智(ごち)」というに5つの智慧についてあらためて紹介しようと思います。

 

五智を生活の中に置いてみよう

密教の五智とは、①大円鏡智(だいえんきょうち)②平等性智(びょうどうしょうち)③妙観察智(みょうかんざっち) ④成所作智(じょうしょさち) ⑤法界体性智(ほうかいたいしょうち)の5つの智慧です。
ひとつ、ひとつの意味は、様々な説明がされるところではありますが、僕なりに意味合いをお話しすると、大円鏡智は、「鏡のように一切を分け隔てなく見る智慧」です。この連載では、こういった仏教用語を<現代の生活の中で活かす>ことはできないか。ということが大きなテーマになっていますので、少しかみ砕いて、「生活の中での大円鏡智」を我流になることを恐れず、説明してみると「できる限り先入観なしに”そのまま”人や物事をみる」という風にも言えそうです。
僕達は、あらゆる対象や存在をみる時、「あの人は、ああいう人だ」とか「こういった評価を受けているものだ」と前情報をかなり用意した状態で、接します。むしろ出会う前から結論が出ているような事も少なくありません。しかしそれだけでは、逃してしまうものが多いのではないでしょうか。
もちろんいくら「そのまま観よう。先入観なしにみよう」と思っても、自然と自動的に先入観は加味されます。しかし、できる限り対象や世界を「素」で受けとろうとする。そういった「問題意識」や「努力」も生活の中での大円鏡智だと僕は思います。

 

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続いて平等性智です。平等性智は、「あらゆる対象に対して共通性、均質性、を見出す」智慧であると言われます。これはそのままでもいけそうですが、あえてもう少し生活に近づけて話してみると、「出会う人や物事に対して”同じところ””似ているところ”を見つける」などと言うことができそうです。
妙観察智は、「すべてに対して<違い>を見つける。異質的な面、区別の面」です。平等性智と対照的な智慧というわけです。これにはシンプルに、「すべてに対して”違うところ”を見つける」という視座をあたえることができます。ちなみにこの平等性智と妙観察智はあらゆる密教や仏教の智慧の中で、僕がもっとも現実的に用いてきた智慧だと思います。つまり「同じところをみつけ、違いをみつける」という動きです。
成所作智は、「実際の活動のもとになる智慧。五感の感覚的な意識が転じて得る智慧」とされます。つまりこれは、「実際の行動、活動とする智慧。”やってみる”ということ」という風に現代の中で言えると思います。
最後の法界体性智は少し宗教的になりますが、「大日如来の絶対的な智慧。統合する智慧」という意味です。真言密教において多くの場合はど真ん中に据えられる<大日如来>そのものの絶対的な智慧です。その根底には、すべてのものが元々分かれているものではなくて、統合されているという生命観がありますので、僕はそれを「全体を結びつける智慧。元々、結びついていることを知る智慧」として提案したいと思います。
つまり①そのまま見る。②共通点を探す。③違うところを見つける。④行動する。⑤全体を結びつける。という智慧です。