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四神足法解說 欲神足法 勤神足法 心神足去 では、このクンダリニー・ヨーガの修行法と、シャカの成仏法との関連は、どのよ うなものであろうか?特に、わたくしがさきに「金星の法」だといった求聞持聡明 法の原典である四神足法、五力法との関連はどのようなものであるのか。 まず、四神足法と五力法について見てみよう。 人間の生命力の、特に肉体上における根源的諸条件を、完全なものにする修行法。 欲神足法で得た能力をベースに、肉体上の基本的諸条件を、さらに飛躍的に向上させる修行法。 仏陀の法 126

四神足法解說

欲神足法

勤神足法

心神足去

では、このクンダリニー・ヨーガの修行法と、シャカの成仏法との関連は、どのよ

うなものであろうか?特に、わたくしがさきに「金星の法」だといった求聞持聡明

法の原典である四神足法、五力法との関連はどのようなものであるのか。

まず、四神足法と五力法について見てみよう。

人間の生命力の、特に肉体上における根源的諸条件を、完全なものにする修行法。

欲神足法で得た能力をベースに、肉体上の基本的諸条件を、さらに飛躍的に向上させる修行法。

仏陀の法 126

四神足法解說

欲神足法

勤神足法

心神足去

では、このクンダリニー・ヨーガの修行法と、シャカの成仏法との関連は、どのよ

うなものであろうか?特に、わたくしがさきに「金星の法」だといった求聞持聡明

法の原典である四神足法、五力法との関連はどのようなものであるのか。

まず、四神足法と五力法について見てみよう。

人間の生命力の、特に肉体上における根源的諸条件を、完全なものにする修行法。

欲神足法で得た能力をベースに、肉体上の基本的諸条件を、さらに飛躍的に向上させる修行法。

心神足法

観神足法

肉体的能力の向上発達を基に、精神的能力を充実させ、さらに段階的にその能力を飛躍向上させて行く。

すなわち、脳の欠階部分を補強するための準備段階として、古い脳を人為的に進化させる修行法である。ワニとウマの獣性の脳を霊性の脳に変えて行くのである。

あたらしい脳である新皮質を向上させるとともに、霊性の場である間脳を開く。同時に、間脳に付属する視床下部と、古い脳辺縁系との神経回路を補充強化する修行法である。知性と霊性の完全なる融合だ。

以上が、四神足法の概略である。

四神足法を成就したとき、その修行者は、仏陀に準ずる大聖者となる。業を超え、 因縁を解説し、生者、死者ともに解脱成仏させる大聖者である。

その関係はつぎの通りである。

「ムーラーダーラ・チャクラ

欲神足 【スヴァーディシュターナ・チャクラ

勤神足マニプーラ・チャクラ

心神足ヴィシュッダ・チャクラ

「アナーハタ・チャクラ

観神足サハスラーラ・チャクラ

(アージュニャー・チャクラ

以上であるが、ここに非常に重大なことがある。

それは、四神足法は、クンダリニー・ヨーガのチャクラを開発しただけでは不十分だということである。チャクラを開発すると同時に、各チャクラを統合して機能させてゆく技法が必要なのである。わたくしはいま、非常に重大、ということばを使ったが、それはそれ以上、絶対に必要なポイントなのである。

それは、どういうことか?

 

チャクラは、チャクラを覚醒、発動させる技術によって活動を開始し、チャクラ特有の力を発生する。しかし、それだけでは、四神足法が目的とする神力(超常的能力)にまでは到底、至ることが出来ない。どうしても、これらのチャクラを統合して、 さらにパワーを加圧、加増して、重点的にはたらかせる技法が必要なのである。

それは、二つの技法である。

1、各チャクラが発生したエネルギーを、自由にコントロールし、かつ、自分の必要とする場所に自在に送達させることの出来る回路を持つ。

特に、脳にたいしての回路が重要である。

2、その回路作製を可能ならしめるための神経経路を補強、さらに、新たにつくり出す。

これは、特に、さきにのべた「新皮質と視床下部をつなぐ神経経路を補強す

る」ということにも、必要欠くべからざる技法なのである。

この二つの技法は、クンダリニー・ヨーガにはないものである。

ただし、全くないのではなく、これに類似した技法が一つある。

ある。 骨低骨から脳の下部のスシュムナー管は、脊柱の中空部にある生気の通る路で、背低化か脈にまで届いている。また、スシュムナー管の内側には、ヴァジリニーとよばれる気道があり、さらにその内側には、クモの糸のように細かいチトリニとよばれる気道が

それは、スシュムナー管と、ピンガラ、イダーという気道を使う法である。

クンダリニー・ヨーガというのは、だれもが体内に持つクンダリニーと名づける強大な生命の根源力を目ざめさせて、これにより、超常的体力を獲得し、特殊な精神領城に到達しようとするヨーガである。

クンダリニーは、脊柱の一番下部、尾骶骨のチャクラ(ムーラーダーラ)の部分に、 蛇が三巻き半、とぐろを巻いたような形で眠っている。クンダリニーというのは、 「巻かれているもの」という意味である。

クンダリニーは、そこにあるスヴァヤンブーという男根のまわりに巻きついていて、

その頭部で、スシュムナー管の入口を閉ざしている。

特殊な瞑想・思念・ムドラー・マントラ詠唱などの動作によってチャクラが発動し、

クンダリニーが目ざめると、クンダリニーは噴火した火のような激しい勢いで、

 

きをする。 クンダリニーの目ざめとともに、スシュムナー管の両側にあるピンガラとイダーという二つの気道が開き、クンダリニーのエネルギーは、この二つの気道をも、ラセン状に上昇してゆく。この二つの気道は、その後のクンダリニーの力を調節するはたら

かろうか? 四神足法も、このクンダリニー・ヨーガの技法を、そのまま使ったらよいのではな

クンダリニーが目ざめると、クンダリニーは噴火した火のような激しい勢いで、スシュムナー管を上昇してゆく。クンダリニーを Serpent fire (サーペント・ファイア、 蛇の火)と呼ぶのも、そこからきているのである。

クンダリニー・ヨーガの目的は、聖なるものと一体となる至高の境地を目ざすので、 スシュムナー管、ピンガラ・イダーの両気道を上昇するクンダリニーのエネルギーは、 最終的に、サハスラーラ・チャクラにまで到達して、その目的を達するのである。

以上が、クンダリニー・ヨーガの気道の技法とされるものである。

そうはいかないのである。たんにチャクラを目ざめさせ、そのエネルギーを発動さ

 

なぜか?

せただけでは、四神足法の目的を達成することは出来ないのである。各チャクラを統合し、そのエネルギーをさらに増幅して目的のものに集中する方法が、どうしても必姿なのである。

では、クンダリニーを覚醒させ、これを使ったらいいではないか。

わたくしは、すべての阿含経はもとより、仏陀にまつわるさまざまな伝説に至るまで、あらゆるものを分析した結果、仏陀の成仏法には、クンダリニー・ヨーガのクンダリニー覚醒法が用いられた形跡を発見することが出来なかった。(かれ自身は、それを完全に成就していたであろうが)

クンダリニーの覚醒は、あまりにも激烈、過激すぎて、完全な脳を新しくつくりあげるのには適切でないのである。クンダリニー・ヨーガは、人間の脳の欠陥を是正する方法ではなく、そこを通り抜けて一挙に、別次元の高度の意識領域に突入してしまう方法なのである。

これは危険過ぎるし、かつ、ごく限られた特殊な人にしか用いられない方法であっ

た。

ある。 サーサージーみ仏陀の修行法の中心である安那般那について、最もくわしく説いた経が雜阿含経に

仏陀は、だれでもが実行できる修行法を教えた。一心に修行さえすれば、だれでもが成仏できる方法を教えたのである。だから、チャクラを使うことはとり入れたが、 クンダリニー・ヨーガの覚醒法はとり入れなかったのである。クンダリニー・エネルギーは使ったけれども、その方法はまったく違っていたのである。

では、どのようにしたのであろうか?

仏陀の Anāpāna の法

左に載せよう。

是の如く我れ聞きぬ。一時、仏、舍衛国の祇樹給孤独園に住まいたまへり。爾の

 

かんぼうし巳つて住処へ還へり、衣鉢を挙げ足を洗ひ已って或は林中の開房の樹下、或は

時世尊、諸の比丘に告げたまはく『安那般那の念を修習せよ。若し比丘の安那般

那の念を修習するに多く修習せば身心止息することを得て有覚、有観、寂滅、純

一にして明分なる想を修習満足す。何等をか安那般那の念を修習するに多く修習

し已らば身心止息し、有覚、有観、寂滅、純一にして明分なる想を修習満足すと

為す。是の比丘、若し聚落域色に依りて止住し、晨朝に衣を着け鉢を持ち、村に

入りて乞食するに善く其の身を護り、諸の根門を守り善く心を繋けて住し、乞食

空露地に入りて端身正坐し、念を繋けなば面前、世の貪愛を断じ欲を離れて清浄

に、順表・睡眠・悼悔・疑・断じ、諸の疑惑を度り、諸の善法に於て心決定するよわ

ことを得、五蓋の煩悩の心に於て慧力をして嵐らしめ、障礙の分と為り、涅般に

趣かざるを遠離し、内息を念じては念を繋けて善く学し、外息を念じては念を繋

けて着く学し、息の長き息の短き、一切の身の入息を覚知して一切の身の入息に

於て善く学し、一切の身の出息を覚知して一切の身の出息に於て善く学し、一切

の身の行息・入息を覚知して、一切の身の行息・入息に於て善く学し、一切の身

 

の行息・出息を覚知して、一切の身の行息・出息に於て善く学し、喜を覚知し、

楽を覚知し、身行を覚知し、心の行息・入息を覚知して心の行息・入息を覚知するに於て善く学し、心の行息・出息を覚知して、心の行息・出息を覚知するに於て善く学し、心を覚知し、心悦を覚知し、心定を覚知し、心の解脱入息を覚知して、心の解脱入息を覚知するに於て善く学し、心の解脱出息を覚知して、心の解脱出息を覚知するに於て善く学し、無常を観察し、断を観察し、無欲を観察し、

滅入息を観察して、滅入息を観察するに於てよく学し、滅出息を観察して、滅出

息を観察するに於て善く学する。是れを安那般那の念を修するに身止息し心止息し、有覚、有観ならば寂滅、純一にして明分なる想の修習満足せりと名づく』と。 仏此の経を説き已りたまひしに諸の比丘、仏の説かせたまふ所を聞きて、歓喜奉行しき。

これまで、安那般那は、仏陀の呼吸法を説いたものであるとされてきた。

(雑阿含経・安那般那念経)

決してそうではないのである。安那般那はたんなる呼吸法ではないのである。ここには、成仏法の中心である四神足法の神が説かれているのである。

まず、この様に説かれている呼吸法を見てみよう。

外島

入息

出息

行息

身の行息・入息

身の行息・出息

心の行息・入息

心の行息・出息

心の解説入息

心の解説出息

滅入息

 

滅入息

滅出息

身止息

心止息

実に十五種類の呼吸法が説かれているのである。こんな短い経典に、十五種類もの呼吸法が説かれているのだ。いとも簡潔に呼吸法の項目だけが並んでいるが、それは、 この講義を聴聞した修行者たちが、みな、これらの呼吸法に熟達した者ばかりで、 一々、その内容に就いて説明する必要がなかったからであろう。

そこで、

ここで注意しなければならないことがある。

それは、「息」の解釈である。

こきゅうこれを、たんなる呼吸と解釈してしまってはいけない。

これは、「呼吸」であるとともに、生気をともなった息、すなわち、いうならば 「気・感」をもあらわしているということである。一をもあらわしているということである。これは、インドにおけるヨーガの

 

 

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大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行

大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行

それはひと口にいって、大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行である。

インスピレーションたように、霊性の場であり、霊感の座なのである、ここが開発されることにより、ほんとうのインスピレーションが発生するのである。ただし、間脳を開発するためには、しばらくの間、 大脳辺縁系と新皮質脳を閉ざさなければならぬのである。間脳が開発されたとき、新皮質脳はあ

大脳辺縁系と新皮質脳を殺さなければ、間脳は作動せず、第三の目はひらかないのである。

ただし、誤解してはいけない。大脳辺縁系・新皮質脳を殺すということは、究極において、大

脳辺縁系、殊に新皮質脳を生かすということなのである。新皮質脳は「創造の座」であるといわ

れる。しかし、ほんとうの創造の座は間脳にあるのである。間脳はこれまでくりかえし説いてき

たらしくよみがえる。あたらしくよみがえった新皮質脳こそ、霊性を基盤とした超人的なインス

ピレーションと創造力を持つ頭脳となるのである。

ではそれはどんな修行か?

 

霊性完成の方法と体系

シャカが残した霊性完成の修行法がそれである。これを、わたくしは、「成仏法」とよんでい

る。成仏とは霊性を完成したことをいい、それを成就したヒトを「ブッダ」とよぶ。だからわたくしはその方法を、「成仏法」とよぶのである。

それは七つのシステムと三十七種のカリキュラムから成る成仏のための方法と体系である。これを、阿含経では「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法」とよぶのである。この二つの名称は、わたくしが勝手につけたのではない。古来からの仏教用語である。

わたくしが、阿含経以外のお経――法華経、アミグ経をはじめすべてのお経を、皆せものの経

負であるといささかはげしい表現で批判するのは、阿含経以外のお経には、どの経典にも、この成仏法がないからである。シャカがじっさい説かれたのは阿含経だけであるという歴史的な事実のほかに、阿含経以外には、この「成仏法」がないから、わたくしはそう言うのである。「成仏法」のない経典など、わたくしは真実の仏教経典とみとめることはできないのである。もちろん、それなりの存在意義なり存在価値はあろうが、本流ではない。修説というべきである。この

 

ことに関しては、わたくしの他の著書を読んでいただきたい。

七科三十七道品とはつぎのようなものである。

四念処法

————

身念処法

受念処法

心念処法

法念処法

四正断法

————

断断法

律儀断法

随護断法

修断法

四神足法

———

欲神足法

勤神足法

心神足法

観神足法

五根

——

信根法

精進根法

念根法

定根法

慧根法

五力

— —信力法

精進力法

念力法

定力法

慧力法

七党支法

—————択法

党支法

精進覚支法

喜覚支法

軽安党支法

捨覚支法

定覚支法

念覚

支法

以上である。

1、联想

2、実践

八正道法——正兒法正思維法 語法 正業法 正命法 正精進法

正念法

正定法

この七科目、三十七種のカリキュラムは、

3、tapas(線行)

に分類できる。

四念処法・五根法は、瞑想である。

四正断法・五力法・七覚支法・八正道法は、実践と瞑想である。

四神足法は、特殊な tapas である。

神足とは、神通力(超能力)のことで、この四神足法は、超自然の神通力を得るための四種

修行法である。前に述べたわたくしの tapas はこれに属するものである。

この七つの科目のうち、tapasを中心に、瞑想と実践の科目をとり入れて修行するのである。どの科目をどうとり入れて、どのように訓練するかは、聖師が決定する。修行者それぞれ、

霊性の洗礼

みな素質と因縁がちがうので、それをみて、グルがきめるのである。

この修行において、グルの果たす役目は大きい。グルについて、少しのべよう。

まず、まちがいなく霊性を開顕したグルを見つけて、そのグルに受け入れてもらうことである。それができたら、この修行は八分通り成功したといっていいくらいである。それくらい重要なことであり、かつ、むずかしいということである。

グルなくして、ただしい霊性開顕の仏道修行は不可能である。ふつうの仏教信心とはちがうのである。信心のしかたや、信仰のしかた、経典の講義や解釈を教わるという程度のものならばとにかく、霊性開顕の仏道修行は、強力な霊的能力を持つ聖師のたすけなくしては、 は、ぜったいといっていいほど、できないのである。

すようたとえば、インド近代の聖者ラーマナ・マハリシが、入門者にたいして、「凝視の方法」で受け入れの儀式を行なったとき、かれの両眼の輝きと力が相手の心をつらぬいて、その雑念の流れを断ち切ってしまったといわれる。時としては、まるで電流が身の内に流れこんだように相手は

感じたともいわれる。

れないものである。 こういう霊的体験によって、弟子はまず心をきよめられ、霊的なものにたいするあこがれ、霊的向上心をいだくようになるのである。霊性の洗礼である。その人の素質にもよるけれども、一 、霊的な洗礼を受けた者は、霊的感覚がひらかれ、霊的世界への憧憬が芽ばえる。いままでとちがう高い次元の存在が、感覚されるのである。霊性開顕への第一歩で、これが非常に大切なのである。わたくしなども、弟子にたいし、わたくし独自の受け入れの方法をおこなうが、ただ問題は、ほんとうに霊性開顕したグルは非常に稀れだということである。にせもののグルや、未熟なグルにかかわり合うと、とりかえしのつかぬことになる。まず、まちがいなく霊性を開顕したブルを見つけること、つぎにそのグルに受け入れてもらうことだ。グルはなかなか弟子を受け入

わなければならない。 グルに受け入れてもらったら、弟子は、そのグルに心からしたがうことである。心から尊び敬

いる尊い存在なのである。 グルは弟子にとってブァグそのものなのである。グルは弟子にとって、過去に出現したブッダたちの変化身であり、未来のブッダたちが生まれでる母胎であり、いまここにブッダを体現して

さいわいに、受け入れてもらった弟子の心がまえについて、のべておこう。

感じたともいわれる。

れないものである。 こういう霊的体験によって、弟子はまず心をきよめられ、霊的なものにたいするあこがれ、霊的向上心をいだくようになるのである。霊性の洗礼である。その人の素質にもよるけれども、一 、霊的な洗礼を受けた者は、霊的感覚がひらかれ、霊的世界への憧憬が芽ばえる。いままでとちがう高い次元の存在が、感覚されるのである。霊性開顕への第一歩で、これが非常に大切なのである。わたくしなども、弟子にたいし、わたくし独自の受け入れの方法をおこなうが、ただ問題は、ほんとうに霊性開顕したグルは非常に稀れだということである。にせもののグルや、未熟なグルにかかわり合うと、とりかえしのつかぬことになる。まず、まちがいなく霊性を開顕したブルを見つけること、つぎにそのグルに受け入れてもらうことだ。グルはなかなか弟子を受け入

わなければならない。 グルに受け入れてもらったら、弟子は、そのグルに心からしたがうことである。心から尊び敬

いる尊い存在なのである。 グルは弟子にとってブァグそのものなのである。グルは弟子にとって、過去に出現したブッダたちの変化身であり、未来のブッダたちが生まれでる母胎であり、いまここにブッダを体現して

さいわいに、受け入れてもらった弟子の心がまえについて、のべておこう。

る。 よい あやよりさきにのべた大脳辺縁系脳・新皮質脳を殺す修行とは、この二つの脳が生み出す(あるいはこの二つの脳がいだいている)迷妄と妄想とそこから生ずる煩悩を抹殺する修行である。ひと口でいうと、こころのまよいとけがれを一掃する修行である。その修行が須陀洹の階梯でおこなわれ

聖者への四つの階梯

1 きよめられた聖者・須陀洹脳ホラーキーのバランスをとりもどす

グルは、特殊な瞑想と実践とをもって、修行者のまよいとけがれを取り去る。仏教でいう「 倒世界」(理解のしかたがさかさまであること。実相の世界とかけはなれた虚仮の世界を実相の世界と思いあやまり執着すること)は、大脳辺縁系脳・新皮質脳がおかすまちがいである。それは「脳ホラーキー」のアンバランスが生み出す迷妄なのである。 てん

さきにのべたように、人類はここ数千年間、新皮質脳による世界をつくりあげてきた。霊的世界を抹殺してしまい、霊的世界の存在を認識する間脳を閉鎖してしまった。現象世界と霊的世界

が共存している実相世界をただしく認識させるためには、新皮質脳(と大脳辺縁系脳)を一時間鎖して、霊的世界を認識できる間筋を動かす訓練をしなければならないのである。

いままでの宗教(仏教をふくめて)はすべて誤っていたのである。まちがいをおかしている心を、まちがいをおかしている心で変えさせようとしてきたのである。これは徒労であった。新皮質脳を使って新皮質脳を変えさせようとしていたのである。一時は理解し、納得するかにみえるが、すぐに元にもどってしまう。 なつとく

「なんじ悔いあらためよ」といい、「揺れ」という。すべて心が対象である。

こころを変えるのではなく、脳を変えるのだ。まちがった脳を閉ざして、ただしい脳のはたらきをうながす。

それによって、「脳ホラーキー」はバランスをとりもどすのである。

そうすれば、「悔いあらためよ」も「悟れ」も必要ないのだ。間脳がひらき、霊的能力がはたらき出せば、そんなことはわかりきったあたりまえのことになってしまうのであり、聖書もお経もまったく不要になってしまう。なぜならば、聖書や経典の説く世界がそのままただちに自分の世界になってしまうのだから、いまさら読んだり理解しようとする必要など無くなってしまう。

大経典あたりが一生けんめいに説いていることなど、幼稚しごくなものになってしまうのであ

第三章開発一第三の目をひらく224

しし、実践したのだ。 七科三十七道品の成りとは、そういう方法なのである。わたくしはそれを発見

つぎに、「きよめられた型者」は、いまのべた内的なものだけではなく、外的にもきよめられなければならないのである。

それはどういうことかというと、自分の持つ「霊的なけがれ」もとりのぞかなければならないということでああ。

煮的合けがれとは、自分にかかわりのある不成仏霊・霊のホーケのことである。これをことごとくどりのどかなければならない。

自分にかかわりのある不成仏霊・霊障のホトケを持っていると、それらが持つ罪まな性格や想赤い影響からのがれることができないのである。さらにおそろしいのは、それらの不幸な存在がたどった運命の、「運命の反面」をするおそれがつよいのである。「運命の反覆」とはカルマの反援にほかならない。これが最もおそろしいのである。これは修行者にかぎらず、ふつうの人の生活においても、悲惨な人生をおくった霊障のホトケの人生を、そのまま反覆するケースを非常にあく入るのである。

世界的な心理学者で、フロイト、ユングのあとをうけてあらわれたあたらしい心理学、「運命心理分析学,家族的深層心」(Schicksalsanalyse)の創始者リポット・ソンデイ博士は、「家

霊光の発生

族的無意識」により、「個人のなかに抑圧されている祖先の欲求が子孫の恋愛、友情、職業、疾肩、および死亡における無意識的選択行動となって、個人の運命を決定する」と説いた。これが 「運命の反覆」である。わたくしは、この「運命の反覆」が、霊的現象をともなって特に顕著にあらわれるのをつきとめている。

つまり、ソンデイ博士のいう「家族的無意識」とは、霊的にいうと、不成仏霊・霊障のホトケということになるとわたくしは確信するのである。くわしいことは、抽著『チャンネルをまわせ』『守護霊を持て』(以上、平河出版社)を読んでいただきたい。

この不成仏霊と霊障のホトケの排除は、修行者自身では不可能なので、このとき、霊力あるグルの助けが必要なのである。この霊的な「きよめ」がないと、修行者は一歩も進めない。この霊的な「きよめ」によって、聖者、須陀洹は誕生する。

聖者須陀洹は、また、「預流」の聖者、「逆流」の聖者ともよばれる。

「預流」とは、あたらしく聖者の流れに入った(預)という意味であり、「逆流」とは、生死・ 因縁の流れに逆う聖者という意味で、つまり、凡夫であるかぎり生死・因縁の流れのままに生きてゆくよりほかなく、その流れに逆うことはできない。須陀洹は、その流れに逆う、つまり、生

死・因縁の法則から超越する聖者である、という意味である。

ところで、わたくしは、須陀洹が「預流」とよばれ、「預流」とはあたらしく聖者の流れに入

った者、という意味であると知ったものの、どうして須陀洹になると聖者とよばれるのか、その理由がわからなかった。まあ、そういうものなのだろうくらいにうけとっていたのである。ところが、霊眠を持つようになって、すぐにその理由がわかったのである。

オーラそれは、須陀洹の境界に入ると、特殊な霊光が生じるのである。あるいは、その特殊なオーラが生じたから、須陀洹になったということなのであろう。

ご承知の通り、人間のからだをとりまく特殊エネルギーの雲、つまり、『オーラ”の概念は、 何十世紀もむかしにさかのぼる。聖人をえがいた古い絵は、キリスト教徒が光輪を考え出すずっと以前から、聖人たちが光りかがやくものの中に立っているのを示している。東洋の仏像は二十世紀もむかしから、光輪・光背というかたちで表現している。神秘的な性質を持つこのもやは、 ロンドンの聖トーマス病院のウォルター・キルナーによって最初に研究された。かれは、一九一一年に、色ガラスのスクリーンを通して見ることによって、ほとんどの人のからだのまわりに約六インチのかがやいた縁を見ることができた。かれは、このオーラはそれを身につけている人の心の安らぎに応じて、形や色を変えると主張した。かれは、それを医学的診断の補助として用いて、著名になった。

つづいて、ケンブリッジの生物学者、オスカー・バグナルは、オーラを物理学によってつかもうとした。かれは、コールクール染料であるジシアニンまたはビナシアノールの溶液をとおしてしばらく眺めることで目を増幅させると、オーラはずっと容易に見えるようになると主張 、さらに、これをもっと容易にするために、トリエタノールアミンに溶かした染料をみたすことのできる中空のレンズのメガネを設計した。

さらに、ソ連の電気技師のセミヨン・キルリアンは、かれの妻と二十五年かかって、二つの電極間に、毎秒二〇万回も火花放電して振動する高周波電場をつくり出す特殊な機械装置をつくった。一九六四年、この装置は完成され、ソ連政府の援助のもとに、この装置を使った研究計画が開始され、多くの成果をあげはじめた。『生物学や超心理学の多くの分野で大きな変革を起こしそうである。電気的なオーラは、地位を確立したのだ』と、ライアル・ワトソンはその著書『スーパー・ネイチュア』(樹書房)で書いている。

オーラは霊気であって、電気ではないとわたくしは思うのだが、電気を用いた装置でとらえることは可能であるかも知れない。聖者は、特殊なオーラをからだ全体、とくに頭上に放射している。須陀涙のオーラは、青い、すきとおったきよらかな光のもやである。やや力の弱い感じがするが、一見、きよらかさに打たれる感じがする。わたくしが須陀誕を「きよめられた聖者」 ぶのは、そこからきているのである。

ひと徳とは力である。ほんとうの力は、徳から生じたものである。ほんとうの力とは、自分を高め、他人を高め、社会を高めるものである、徳から生じたのではない力もあることはある。しかしそれは、究極的に自分をほろばし、他人を傷つけ、社会を毒する。そういうものは真の力ではなく、権の力である。だからそういう力を、権力とよぶ。徳をともなわない力である。ほんとうの力は徳から生ずる。だから、徳をたくわえることは力をたくわえることである。 けんりよく

2 高められた聖者・斯陀含

高められたとはなにが高められたのか?

徳と力が高められたのである。聖者としての徳と力がそなわることである。

凡夫が不運なのは、不徳だからである。徳を積めば福を得る。徳によって生じた力は、なにをしてもよい結果を生む。それを福というのである。不徳の者は力がないから、なにをやっても中逾半ばになり、また、まわり合わせの悪い状況を直すこともできず、失敗する。それを不運といってあきらめるわけである。

ばんすよきよめられて須陀洹となった聖者は、つづいて、徳を高める斯陀含の修行に入るのである。 こある。グルの指示にしたがって、仮想と実践(梵行)の修行をする。阿含経にしばしば『……………我が生ずでに尽き、梵行すでに立ち、所作すでに作し、自ら後有(後の生)を受けざるを知る』とある梵行

 

と所作は、この旅行のことをさすのである。

新陀合のオーラは、須陀涯よりやや光が強くなり、すこし黄色みを帯びる。

3 次元を飛躍した聖者・阿那含

霊性開顕の体験をし、霊界と交流する力を持つようになった聖者である。

オーラは生き生きとしたオレンジ色である。ジェット複の吐き出す炎を想い起こさせる色とパ

ワーを持っている。

4 次元を超越した聖者・アルハット

ブッダのことである。ブッダでないわたくしには、ブッダのことについてあれこれ書く資格は

ない。霊界の最上界に位置する仏界の体現者であるとだけ言っておく。

ブッダのオーラは、左様、つぎのようなものである。

開発――第三の目をひらく

230

 

 

 

 

第四章 輪転生瞑想の呼吸法

四種の呼吸法

この本で教える瞑想の呼吸法は、四種の呼吸法から成り立つ。

一、長出入息呼吸法

二、出息呼吸法

はんしゃ

三、反式呼吸法

である。

四、強短息呼吸法(火の呼吸法)

簡単に説明すると、一の長出入息呼吸法は、出る息、入る息、どちらも、できるだけ細く長く深く呼吸する。一呼吸に二十秒から三十秒、一分くらい、時間をかける。

二の長出息呼吸法は、出る息のみをできるかぎり細く長く吐いて、吸う息はふつうに吸う。

三の反式呼吸法は、ふつうの呼吸とちがって、息を吸うとき、腹部をひっこ

 

にする。 そのためには、頭部、頸部の緊張を解くために、前頭部を心もち前に出し、 下顎を少し中へ引くようにして、頭部をやや下げるようにするとよい。同時に、前胸部も少しひっこめるようにし、腹部は少し前に出し、両肩は力を入れず、自然な姿勢をとる。背中は心もち前に曲げ、腹部の容積を大きくするよう

め、息を吐くとき、腹部をふくらませる。ちょうどと逆になるわけである。

四の強短息呼吸法は、「火の呼吸法」とよび、片方の鼻孔を指で押さえて閉じ、片方の鼻孔で強く短く呼吸する。

それでは、四種の呼吸法の訓練を説明しよう。

長出入息呼吸法の訓練

りき趺坐、あるいは椅子坐、いずれにしても、頭部、頸部をごく自然に、まっすぐ、きちんとした姿勢をとる。ただし、あまり緊張しすぎて力んだり、硬直したりしてはいけない。ゆったりと、リラックスすることが大切である。

 

る。 ことである。まず吐いて、つぎに吸うときから第一回の呼吸がはじまるのであ

に持っていく。 口と唇はごく自然に軽く閉じる。両眼も軽く閉じるが、かすかに外光を感じる程度にひとすじの隙間を残す。すなわち半眼にして、視線は、鼻の先、鼻頭

肛門をきゅっと締め、上へ引き上げるようにする。

まず、最初、軽く息を吸い、ついで口をすぼめ開き、力いっぱい吐き出す。

下腹部に力をこめ、上体を少し前に折りかがめるようにしながら、吐いて吐い

て吐き尽くす。このとき、前に書いたように、体中の悪気、不浄の気をことご

とく吐き出してしまう気持ちで、鳩尾が背骨にくっついてしまうくらいに、吐

くのである。吐き尽くしたら、また大きく吸い、二、三回、これをくり返す。 大事なことは、呼吸法をはじめるときには、かならず、まず最初に息を吐く

歯は軽くかみ合わせて、かみ合わせた歯の間を通して、ゆっくりと息を吐く。歯は上下が軽くふれるかふれない程度で、決して強くかみ合わせてはいけ

ない。

自然に、長出人意呼吸法に移る。

まず、軽く息を吸う。

歯の間を通してゆっくりと息を吐き終わったら、今度は唇を閉じ、歯をきちんと合わせて、鼻からゆっくりと吸うのである。

少しずつ、時間をかけて、鼻から空気を吸う。このとき、鼻から入ってくる空気の量をできるだけ少なくするために、鼻をすぼめて鼻腔をせまくする。こうずると、入ってくる空気の量が少なくなるだけではなく、せまくなった鼻腔の壁が空気でマサツされて、その刺激が脳に伝わり、脳の興奮を静める効果もあるのである。

また、息を吸い込むとき、舌の先を、上顎部(上の正面の歯ぐきのやや上能、つまり、ルートの父のところである)につける。なぜつけるのかというと、わたくしは、さきに、任脈と督脈のニルートは、元来一本の線であるとのべた。

しかし、じつは、口のところでとぎれているのである。これを、舌の先で接続

 

させるのである。これによって、じっさいに、任脈・督脈のニルートにのルートとなるのである。(ここから意念との共同訓練に入っていくのだ) そこで、ごく自然に息を吸い込んでいく。

かんげんきゅうびちゅうかんしんけつこのとき、息を吸い込む鼻の奥から、(任脈ルートの)鳩尾、中院、神闕(勝) を通って、男性は気海(勝の下約四センチ)、女性は関元(臍の下約八センチ)のところまで、一本の気管(プラーナ管)が通じていると観想せよ。太さは細めのストローくらいで、赤色である。

こんかんほうのうほうきゆうこの気管の根本、つまり根管部(気海、関元)に、胞宮という三センチ四方くらいの特殊な細胞の場のあることを意識せよ。胞嚢という、うすいオレンジ色を帯びた透明の袋と考えてもよい。鍛錬によって収縮・拡大するから、糞と考えたほうが把握しやすい。 ふくろ

みぞおち静かに深く息を吸い込んでいく。気管を通じて息はまっすぐに胞嚢に吸い込まれていく。吸い込む最初、鳩尾は軽くひっこみ、このとき、胞宮に強く意識をかけ、少し力を入れる。息が吸い込まれるにしたがって、爛尾はふくらみ、

収縮していた胞嚢もふくらんでいく。(注意。あとでのべる「反式呼吸法」のときは、この逆になる)

みぞおちず鼻からちょっと息を漏らす。これが非常に大切で、これをやらないと、胸から頭部にかけて圧がかかり、体を痛めるおそれが出てくる。腹式呼吸をやって、頭痛を起こしたり、内臓下垂で苦しんだりするのは、これを知らないからである。禅宗の原田祖岳老師が、原坦山和尚の極端な下腹入力禅をやったところ、頭が鳴って苦しくなった。また腸の位置が変則的になって難病をしたと本に書いておられる。注意が必要である。 はらたんざん

息を吸い終わったら、もう一度、軽く息をのみ、鳩尾は十分に落とし、肛門をぐっと閉じ、胞宮にウムと力を入れる。この力を入れるとき、同時にかなら

この肛門を締めて、胞宮にウムと力を入れる動作を、二、三回おこなう。

つぎに、長出息呼吸に移る。

胞宮に一段と力をこめ、下腹部を収縮させながら、どこまでも腹の力をもって静かに息を吐き出していく。ふくらんでいた胞嚢がしだいにしぼられ、収縮

していく。

「オン」

マントラ真言はつづいて、

このとき、息を吐き出しながら、それまで、上顎部につけていた舌を離し、 吐き出す息に乗せるような気持ちで、低い声で真言を語する。

真言を話しながら息を吐き出していく。静かに、ゆっくりと、できるだけ細く長く吐き出していく。息がすっかり出てしまうと、下腹はくぼみ、腹壁が背骨にくっつくような気持ちになる。つまり、そうなるような気持ちで吐き出していくのである。

吐き出し終わったら、また、静かに鼻で吸う。吸うときは、舌を上顎につけること。前とおなじである。

吸い込んだら、前と同じ動作で吐き出していく。前とおなじように、吐き出しながら、真言を誦する。 マントク

「シンタマニ」

 

「ダト」

「ウン」

で、これを、それぞれ、吐くひと息ごとに、一句ずつ、唱える。

「オン、シンタマニ、ダト、ウン」

この真言は、守護仏、仏舎利尊(輪廻転生瞑想法の本尊、準胝尊の本体)の真言である。深く念ずることにより、守護仏の加護を得て、魔境に陥ることなく、 無事、修行を成就するのである。

この長出入息呼吸法は、一呼吸についての時間は問わない。できるだけ細く長く、長出入息させるのである。

長出息呼吸法の訓練

前の、長出入息呼吸法は、出る息、入る息、ともにできるだけ長く細く呼吸するものである。できるだけ細く長く、というだけで、どれほどの時間をかけて細く長く呼吸するのか、という時間は問わない。

す。 この長出息呼吸法は、一呼吸を、一分間に三回ないし四回くらいにまで落と

しかし、長出息呼吸法は、時間が目安になる。

だいたい、成人の呼吸は、健康な人の平静な状態で、ふつう一分間に十八回とされている。

一般に虚弱体質の人は、息を吸う時間が非常に短い。重病人などは、肩でせわしく浅い短い呼吸をしている。虚弱体質でなく健康な人でも、興奮したり、 激しい怒り、おそれ、悲しみなど、心が激動すると、呼吸はずっと速くなる。 激怒して言葉が詰まったりするのは、呼吸が速くなりすぎて、切迫するためである。

心の病気を持つ人の呼吸も速い。一分間に二十数回、あるいは三十回以上も呼吸している人は、明らかに異常で、心因性の病気を持つ人である。精神科の医師は、患者の呼吸の速さを、診断の目安のひとつとしているのである。

呼吸のしかたは、長出入息呼吸法とおなじでよい。ただし、呼吸を、一分間

に三回にまで落とすということは、ふつうの呼吸法では不可能である。それができるコツは、出す息をできるかぎり細く長く、織々と吐いていって、吸うほ

うの息は、ふつうの呼吸に近い吸い方で吸うのである。

この呼吸法に熟達すると、一分間に一回くらいにまでなれる。

この呼吸で、前記した長出入息呼吸法とまったく同様に、気管の観想、守護仏真言の読論をおこなう。

練習時間は三十分ないし一時間である。

反式呼吸法の訓練

反式呼吸法というのは、ふつうの呼吸とまったく反対の呼吸をするので、こうよぶのである。

つまり、自然の呼吸では、息を吸い込んだとき、腹部がふくれ、息を吐いたとき、腹部がひっこむ。

この反式呼吸法は、それがまったく逆になる。すなわち、息を吸い込んだと

き、腹をこ

吸法なのである。

なぜ、そういう反自然の呼吸法をするのか?

いくつもの利点があるからである。

その利点は、横隔膜を極限に近く使うことから生ずる。

ちょっと考えると、腹をふくらませながら、息を吐くなどという芸当は、とてもできないと思われるかもしれない。

しかし、それができるのである。それは、内臓の中で胸腔と腹腔の境目になっている横隔膜をはたらかせることによって可能となるのである。 さかいめ

ふだんは、意思の支配の外で、自律的に、胸や腹がポンプの役目をして空気を吸ったり吐いたりするのにまかせっきりでいるけれども、反式呼吸のように自然ではないかたちで呼吸をしようということになると、横隔膜を動かすしか方法がない。

ふつうの呼吸の場合、横隔膜が上下に動く幅は、せいぜい四~六センチくら

 

いである。

しかし、反式呼吸にすると、なんと十センチ以上も動くのである。

人間の腹腔の上下の幅は、どんなに胴長の人でも、だいたい三十センチもあるかどうかというところである。その三十センチの中で、横隔膜が十センチ以上も上下に動くのである。その影響は、たいへんなものである。横隔膜が下に下がれば、腹の中にある内臓は非常な圧力を受け、上に上がった場合は、逆に大きなマイナスの圧力を受けることになる。

つまり、この呼吸法によって、腹腔内で内臓が、強い力で動かされ、刺激されるということである。

それがどんな利益をもたらすか?

反式呼吸法の四つの利点

1、体の新陳代謝を盛んにする。

肺の機能が高まり、これまでの何倍も大量の酸素を血液の中に吹き込

 

み、体中に送り込む。

2、筋肉の発達をうながす。

新陳代謝が盛んになれば、体中の組織が強化されるのは当然であり、筋

肉が発達する。ことに、内臓の筋肉が強化される。

3、神経のはたらきが安定する。

それは、自律神経を安定させるからである。

4、血液の循環を盛んにする。

最後に大切なのが、血液の循環を活発にするということである。

これにより、体中に大量の酸素を運んで新陳代謝を盛んにし、筋肉や骨が強化されるのである。

自律神経安定のメカニズム

自律神経(植物性神経)とは、すべての内臓、腺、血管等、人間の意志と無関係に反応する器管を支配する不随意神経で、これらの器官のいろいろな機能を自動的に調節している。それで、自律神経とよばれるのである。

自律神経は二つの特徴を持っている、それは、

この二つである。

一、意思をともなわず、自動的にはたらくこと。

二、この神経は、かならず交感神経と副交感神経の二つからできていて、その支配を受けること。

ひとつの内臓器官の自律神経は、いつもこの二つの神経交感神経と副交感神経がはたらいて調節しているのである。そのはたらきはまことに微妙なもので、おたがいに反対のはたらきをする。交感神経は神経を興奮させ、血管を収縮させるのに対し、副交感神経は心臓を抑制し、血管を拡張させる。つま

り、交感神経は人体におけるアクセルであり、副交感神経はブレーキだと思たぼよい。交感神経が緊張すれば人間の体は興奮状態となり、副交感神経が緊張すれば、その腕が抑えられるようになる。どちらかにかたよっても、体は納的な状態になるわけで、このあい反した二つのはたらきがバランスをたもつことにより、心は順調に動き、血管は適当な大きさを保持するわけである。

こういうはたらきは、すべて、意思をともなわず、まったく無意識のうちにおこなわれているが、その調和が破れると、当然、さまざまな病気が生ずる。

その調和を破るものは、病気とか、内臓器官そのものの故障によるものは別として、ほとんど精神的なものからくることが多い。

のうかすいたいふくじん強い煙問、悩み、悲しみ、おそれ、怒り等、心と体の動揺をきたす精神的刺激が起きると、内分泌器官の中枢である脳下垂体を経て、副腎の自律神経の交感神経に伝わり、副腎の皮の髄質や、神経の末端から、 の髄質や、神経の末端から、アドレナリンおよびノルアドレナリン(副腎髄質ホルモン)や、シンパシン(交感神経の末端から遊離する物質)などの、強い興奮剤が分泌される。

 

これは、その強い煙閣やおそれなどに対応するための、体の自衛作用なので

あるが、その精神的刺激がつづくと、アドレナリン系の過剰分泌をきたすことになる。アドレナリン系の過剰分泌は、胃腸の運動を止め、血管を収縮させ、 血圧を高める。さらに、肝臓や筋肉内の大切なエネルギーのもととなるグリコーゲンを、いたずらにブドウ糖に分解し、そのため血液内の血糖量がふえて

酸過多症を起こし、身心の過労状態をもたらすのである。

これが、いわゆる「ストレス」であり、ストレスは「心因性の病気」を引き起こす。

ストレス説で有名なハンス・セリエ博士などは、分裂性の疾患もふくめた事実上のあらゆる疾患が、心因性によるものだと断言しているくらいである。

これに対し、反式呼吸法は、自律神経の安定をもたらすのである。

というのは、この呼吸法は、自律神経の中枢である腹部(胃のうしろのあたりにある)の太陽神経叢Solar Plexusにいつも圧力をかけて、刺激をあたえているのである。つまり、うさきにのべたように、内臓が強い力で動かされ、モミクチャ

ある。 このため、自律神経のはたらきが活発になり、安定するのである。というのは、ふつう精神的なショックを受けたとき、交感神経のはたらきで、アドレナリンなどの強い興奮剤が過剰分泌される。これに対し、この呼吸法をおこなっている修行者は、平素からのコントロールの力により、自動的にその緊張・興奮を緩和するよう、副交感神経がはたらいて、神経の末端から興奮抑制剤であるアセチルコリンの過剰分泌が起こされる。この作用によって、血管は拡張し、血圧も下がり、心身の興奮はおさまって心身安定し、リラックスするので

第二の心臓

にされている。これは太陽神経叢という自律神経の中枢神経の刺を、マッサージしていることになるのである。

さらに、反式呼吸法は血液循環を盛んにする。

人間の体には、例外なく心臓がひとつと、人によって多少の差はあるが、ほ

中上限をめぐらしている。

以上のことはいまさらいうまでもなくだれでも知っていることだが、ど 、というのが、この作業に対して、不十分のようなのひとつだけでは足りないようなのだ。

あいうのは、和田リットルの血液が、全部、体中をめぐって、きちんと役目を果たしているかというと、そうではなく、人によっては、全体の三分の二に近い量が、腹腔内にたまって古い車(画)となり、病気の原因となっているのである。

思うに、人間は四足動物から進化したものである。何百万年か前、それまで樹上生活をして、木から木へ、キャッキャッと叫びながら飛びまわっていたのが、突然、アフリカのサバンナ (草原)に降り立った。長い草の生えている草原では、四つ足では先が見えず、自衛上、あと足で立つようになった。そのために下顎骨が張り、眼が遠方を見るようになって、脳が発達した。それはけっこ

うなことであるが、内臓のほうは、そう簡単に変化できず、辛うじて戦帯でよ右下っているだけなので、弱い人は、内臓下垂を起こすことになる。心臓も、 四つ足時代以来の一個だけなので、ポンプとして、直立した全身に血液をめぐらせるのに、過重なのである。

心臓から血液を送り出す血管、つまり、動脈は、その名称のとおり自分で脈打って動き、血液を進めるはたらきをするが、静脈のほうにはそれがない。静

かな脈、というとおりである。動脈というのは、いまいったように、自分で動いて心臓から血液を送り出す。その反対に、血液を心臓に送り返す血管が静脈だが、しかし、その静脈は静止している血管で、心臓というポンプによってその中の血液を流してもらうしかないのである。その静脈の中の血液は、(体循環たいじゅんかん

で)炭酸ガスその他の老廃物をふくんだ暗赤色の汚い血である。(肺循環の静脈では、動脈血となって酸素を多くふくみ、鮮紅色を呈したきれいな血液が通っている)

要するに、心臓ひとつでは、動脈、静脈、両方の血管を動かして全部の血液を全身にまわし、完全に循環させる仕事は、荷が重すぎるということなのだ。

そこで、腹腔の中や、その他の内臓に、老廃物をいっぱいため込んだ汚い血がたまることになる。

貧血症というのがあるが、放射能障害など特殊な場合を除いて、全身にある血液が少ないというのは稀だということで、ほとんどの場合、流れている血が少ないというにすぎないと、生理学者はいっている。

反式呼吸法は、こうしてたまっている汚い血液を、ほとんどすべて、心臓や肺に戻してやるはたらきをする。

この呼吸法は、腹筋を、ぎゅうっとしぼっておこなう。また、胸を動かさず、腹筋のはたらきで横隔膜を上下させて、肺をひろげたり、縮めたりする。 肺自体にはそういうことができないから、呼吸筋を使うだけでなく、このようにして肺を助け、腹筋をしぼって、そこにたまった血液を心臓に送り返し、また、横隔膜をぐっと下げることにより、腹の中に強い圧力をかけ、内臓にたまっている血液を心臓に送り返す。つまり、心臓の役目を果たすわけである。

そこで、ソ連の著名な生理学者ザルマノフは、この横隔膜を強力なポンプに

 

世界を救う唯一の仏法

 

日本がこれほど悪い状態になってきたのは、カルマを断つという正しい仏教を信仰しなかったからだと考えております。成仏法のない仏教を信仰してきたために、先祖を成仏させることができず、不成仏霊・霊障のホトケが急増してしまったのです。

不成仏霊や霊障のホトケが急増したため、多くの人が「横変死の因縁」「刑獄の因縁」「肉親血授相剋の因縁をともなう家運衰退の因縁」の三大悪因縁をはじめとした、さまざまな悪因縁で苦しんでいます。だからこそ、急速度でこの世の中は、これほど悪くなってきているのです。

三大悪因縁の中でも、「横変死の因縁」を持つ人が近年急増しております。四十年ほど前は、

この因縁を持つ人は百人中二、三人でしたが、現在はその比率ははるかに高くなっております。

このまま増えていくと、いったいどういうことになってしまうのでしょうか?

この危機を救うには、お釈迦さまの成仏法しかありません。一人一人がお釈迦さまの成仏法を実践して、自分および家庭の悪因縁を断ち切り、不成仏霊・霊障のホトケを成仏させなければない、

たとえば四、五十パーセントの人が「横変死の因縁」を持ったならば、大変な惨事が起きると思います。人口の半数近くが横変死するのですから、大きな戦争が起きるかもしれませんし、原子力発電所で大事故が起きるかもしれません。あるいは、大地震が発生する可能性もあります。

わたくしたちは、この日本列島、いや、この地球上を覆っている破滅のカルマを断ち切るために、お釈迦さまの成仏法を一人でも多くの人に伝えなければいけません。この世を救うことができるのは、お釈迦さまの成仏法・七科三十七道品しかありません。

お釈迦さまがインドで説法を開始された時も、お釈迦さまお一人だけでしたが、ご自身の悟られた内容を五人の比丘に伝えられて、仏教教団の原型ができました。さらに、そこから少しずつ法の輪は広がっていき、ついにはインド社会を動かす大きな力になったのです。それから考えれば、阿含宗は決して小さな動きではありません。人数は少なくても、実に巨大な燃え上がるようなエネルギーで世界に働きかけています。

このエネルギーをもっと大きく育て上げて、どうしてもこの世界を変えなければいけません。

親鶏の世話が十分で、温冷の温度調節がうまくいったからです。

弟子たちよ、同様に(成仏法に則った)正しい修行をするならば、漏尽解脱を願っていなくて自然に心に解脱を得て、福尽解脱を得るのです。

なぜでしょうか?。

修行したからです。

からです」 いわゆる、四念処法、四正動法、四如意足法、五根法、五力法、七党支法、八正道

なにを修行したのでしょうか?

 

です。 親痛がきちんと卵の面倒を見ていれば、たとえ卵の中のヒナが卵の外に出たいと思っていなくても、自然に殻を破って出てきてしまうというわけです。それと同様に、成仏を願っていない僧侶であっても、こ も、この成仏法を修行するならば成仏してしまうのです。じつにおもしろいたとえ話

 

上の文章を小説風して