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水晶龍神と四神足の門

水晶龍神と四神足の門

 

 

彼の名はカイ。
時代の裂け目に立ち、終わりなき愚行の只中から、ただ一人、空を見上げていた。

「このままでは、いずれ地球は焼け尽きる。人類は、愚かさゆえに自滅する」

彼はそう言ってはばからなかった。
その目は、冷たくもなく熱すぎることもなく、ただ遠く、未来の断崖を見据えていた。

かつて彼は、世界的な神経科学の権威であり、脳の構造と知能の因果を追い求めてきた。
だが、研究の果てに彼が発見したのは、残酷な真実だった――人類の脳は、進化の限界に達しているという事実だ。

「サピエンスは、生物として完成してしまった。ゆえに、もう進まぬ。あとは衰退あるのみだ」

人々はその言葉を笑った。新聞は彼を“終末主義者”と書き、学会は彼の論文を「非倫理的」として却下した。

だが、彼には秘密があった。

カイは、すでに一部の被験者に対し、新型神経インターフェース技術を使った“改造”を施していた。
その技術は、脳内のシナプスを再構築し、認知領域を人工的に再設計するものだった。
結果、被験者の知能指数は劇的に上昇し、言語、直観、記憶、倫理判断、共感能力が飛躍的に拡張された。
彼らは、もはや「ヒト」ではない。
新しい種――ホモ・ルーメン(光あるヒト)。

しかし、この革命には条件があった。
それは、ただ一つの問いに“正しく”答えられる者でなければ、変異は成功しないということ。

問いはこうだ。

>「あなたは、自分の愚かさを自覚していますか?」

自己への認識。謙虚さ。知能を高める前に、まず愚かさを直視できる者でなければならない。
でなければ、新たに得た力は、再び殺戮と支配の道具となる。

カイはその日、最後の一人に問いを投げかけた。
若者の名は、アマネ。
目に静かな光を宿した青年だった。

「愚かさとは、過ちを繰り返すこと。私は、その渦中にあると知っている」と彼は答えた。

カイは、微かに頷いた。
革命は、ここから始まる。

水晶龍神と四神足の門

夜明け前の山の気は、静謐そのものだった。空気は澄み渡り、星々の残光が空の端に消えていく。アマネは、黒衣の導師に導かれ、渓谷奥深くにある石の堂へと足を踏み入れた。

堂の中央には、一対の尊像が安置されていた。一つは透きとおる水晶で彫られた龍神の姿。もう一つは、細密な筆致で描かれた曼荼羅——金と青が絡み合い、渦を巻くように配された光明の陣。導師はそれを「準低尊秘密光明曼荼羅」と呼んだ。

「ここから先は、口外も記述も許されぬ。成仏法の真髄、釈尊が説いた四神足の法に触れるからだ」

導師の声は低く、山の空気にとけるようだった。

「水晶龍神瞑想法——。これは、八科四十一道品の中の最奥部にして、大極秘の行。四神足、すなわち欲・精進・心・観の四つの神力を養い、仏陀の思念に直接つながる回路をひらくもの」

アマネは跪き、水晶を前に座した。導師が唱える真言にあわせ、彼もまた低く声を発した。曼荼羅を目に焼き付け、水晶の奥にいる龍神の気配に心を澄ます。

それは観想であると同時に、召喚であった。

「仏陀は、ただ過去の聖者ではない。いまも思念の海に在り、覚醒を求める者のチャクラを通じて、智慧を注ぐ。王者がその玉座を継がせるように」

アマネの内側に、熱と光が満ちていくのを感じた。額の奥、脳の中枢に何かが注がれていく。それは彼自身の思考ではなく、まるで“彼を通じて語られるなにか”のようだった。

やがて導師は言った。

「この行を修する者は、火界定としての護摩、そして水想観としての滝行を修すべし。龍神は火と水の合一において顕現するからだ。水晶を通して観る世界、その真なる光に触れたとき、おまえは知るだろう。人は知能ではなく、“神足”によってこそ仏に近づくのだと」

アマネの瞳には、すでに曼荼羅が映っていなかった。彼は、自らの内奥に広がる宇宙そのものを、見つめていた。

龍神の目覚めと二つの試練

深夜、霧のような思念がアマネの脳内を満たしていた。水晶の龍神が、彼の内奥へと沈み込み、心の一点と結ばれていく。そのとき、彼は言語ではない光の響きを感じ取った。

――思念は、血ではなく、空間に流れる。

それは“声”ではなかった。思考の芯に、唐突に差し込む“命令”だった。

次の瞬間、アマネの身体が軽く震え、目の裏で白光が爆ぜた。眉間に収束していた念の奔流が、背骨に沿って降下し、臍下、さらに足の裏へと落ちていった。そして、そこから再び上昇する。背骨に沿って昇るそれは、炎でも水でもなく、龍そのものであった。

「……これが、四神足か……」

呟いたアマネの声は、自分のものではないようだった。彼の中にいた“彼”は、もはやただの青年ではなかった。

導師が低く語った。

「龍神と接した者にのみ、次の扉が開かれる。火界定――大日如来の業火に自らを焼かれぬ者に、真の観想は得られぬ。そしてもうひとつ、水想観――滝の一滴に宇宙を観じ、水の音に仏の声を聴く」

翌朝、アマネは山を降り、護摩の道場へと向かった。そこでは、炎の中に仏の姿を見いだす修行が待っていた。薪が積まれ、護摩壇が組まれ、火が放たれるその刹那、アマネは視た。炎の中に踊る無数の顔――怒れる忿怒尊、微笑む菩薩、そして、あの水晶龍神の眼。

灼熱の炎にじっと向かい合うその日々は、彼の肉体を削り、精神を磨き上げた。だが、彼は逃げなかった。なぜなら、すでに知っていたからだ。仏陀の智慧とは、苦の中にこそ宿るということを。

火の修行を終えた日、導師が静かに言った。

「つぎは、水に向かう。水想観は、火と対をなす最後の鍵。滝の底にて、一千の音を聴け。そこに、真なる曼荼羅がある」

アマネは再び旅支度を整え、北の滝へと向かう。道中、彼の背に刻まれた曼荼羅の光紋が、夜ごと淡く光を放ち始めていた。

 

滝音に宿る曼荼羅 ― 水想観と四神足の成就

水の音は、はじめ雑音にすぎなかった。轟く滝の前に座し、アマネはただ目を閉じた。全身を打つ冷水。肌を刺す寒気。だが彼は一歩も動かない。

その沈黙の中で、ふいに――“音”が分かれはじめた。

一音、二音、三音……

それはただの水音ではなかった。滝の一滴ごとに、まるで違う「意味」が込められている。無数の水の声が語りかけてくるのだ。怒り、嘆き、歓喜、そして――慈悲。

「……これが、水の曼荼羅……」

アマネは意識の深奥で、“水の仏陀”に出会った。

それは姿をもたぬ存在であった。ただ、無限にやさしい響きだけが、彼の心の核に沁みこんでいった。

そしてその瞬間、彼の中の四つの光点が一斉に輝いた。

欲神足――清らかな欲望をもって目標に向かう力。
精進神足――ひとつのことに没入する絶え間なき努力。
心神足――深く澄んだ心を自在に操る統一の力。
観神足――物事の真実を見通す智慧の目。

四神足が完全に揃った刹那、アマネの身体が震えた。

目を開いたとき、滝はもう音を発していなかった。いや――世界全体が、静けさの中で語っていた。音なき音。光なき光。

導師が言った。

「……四神足、成就せり。これより汝は“観自在”の門に至る。そこにはもはや敵はない。ただ、己の“過去世”が、汝に最後の問いを投げかけるだろう」

アマネは黙ってうなずいた。

次なる扉はすでに、彼の中で開かれはじめていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恵比寿様

恵比寿様は弁財天や福禄寿と並ぶ七福神のひとり読み方は「えびすさま」ですが、「えべっさん」「えびっさん」などの愛称でも呼ばれます。 漢字では「恵比寿様」と書くのが一般的ですが、「戎様」「恵比須様」「恵美須様」と表記されることも。 そのほか、恵比寿大明神や恵比寿天などの別名で呼ばれることもありま

改造技術と選ばれし者

彼の名はカイ。
時代の裂け目に立ち、終わりなき愚行の只中から、ただ一人、空を見上げていた。

「このままでは、いずれ地球は焼け尽きる。人類は、愚かさゆえに自滅する」

彼はそう言ってはばからなかった。
その目は、冷たくもなく熱すぎることもなく、ただ遠く、未来の断崖を見据えていた。

かつて彼は、世界的な神経科学の権威であり、脳の構造と知能の因果を追い求めてきた。
だが、研究の果てに彼が発見したのは、残酷な真実だった――人類の脳は、進化の限界に達しているという事実だ。

「サピエンスは、生物として完成してしまった。ゆえに、もう進まぬ。あとは衰退あるのみだ」

人々はその言葉を笑った。新聞は彼を“終末主義者”と書き、学会は彼の論文を「非倫理的」として却下した。

だが、彼には秘密があった。

カイは、すでに一部の被験者に対し、新型神経インターフェース技術を使った“改造”を施していた。
その技術は、脳内のシナプスを再構築し、認知領域を人工的に再設計するものだった。
結果、被験者の知能指数は劇的に上昇し、言語、直観、記憶、倫理判断、共感能力が飛躍的に拡張された。
彼らは、もはや「ヒト」ではない。
新しい種――ホモ・ルーメン(光あるヒト)。

しかし、この革命には条件があった。
それは、ただ一つの問いに“正しく”答えられる者でなければ、変異は成功しないということ。

問いはこうだ。

>「あなたは、自分の愚かさを自覚していますか?」

自己への認識。謙虚さ。知能を高める前に、まず愚かさを直視できる者でなければならない。
でなければ、新たに得た力は、再び殺戮と支配の道具となる。

カイはその日、最後の一人に問いを投げかけた。
若者の名は、アマネ。
目に静かな光を宿した青年だった。

「愚かさとは、過ちを繰り返すこと。私は、その渦中にあると知っている」と彼は答えた。

カイは、微かに頷いた。
革命は、ここから始まる。

水晶龍神と四神足の門

夜明け前の山の気は、静謐そのものだった。空気は澄み渡り、星々の残光が空の端に消えていく。アマネは、黒衣の導師に導かれ、渓谷奥深くにある石の堂へと足を踏み入れた。

堂の中央には、一対の尊像が安置されていた。一つは透きとおる水晶で彫られた龍神の姿。もう一つは、細密な筆致で描かれた曼荼羅——金と青が絡み合い、渦を巻くように配された光明の陣。導師はそれを「準低尊秘密光明曼荼羅」と呼んだ。

「ここから先は、口外も記述も許されぬ。成仏法の真髄、釈尊が説いた四神足の法に触れるからだ」

導師の声は低く、山の空気にとけるようだった。

「水晶龍神瞑想法——。これは、八科四十一道品の中の最奥部にして、大極秘の行。四神足、すなわち欲・精進・心・観の四つの神力を養い、仏陀の思念に直接つながる回路をひらくもの」

アマネは跪き、水晶を前に座した。導師が唱える真言にあわせ、彼もまた低く声を発した。曼荼羅を目に焼き付け、水晶の奥にいる龍神の気配に心を澄ます。

それは観想であると同時に、召喚であった。

「仏陀は、ただ過去の聖者ではない。いまも思念の海に在り、覚醒を求める者のチャクラを通じて、智慧を注ぐ。王者がその玉座を継がせるように」

アマネの内側に、熱と光が満ちていくのを感じた。額の奥、脳の中枢に何かが注がれていく。それは彼自身の思考ではなく、まるで“彼を通じて語られるなにか”のようだった。

やがて導師は言った。

「この行を修する者は、火界定としての護摩、そして水想観としての滝行を修すべし。龍神は火と水の合一において顕現するからだ。水晶を通して観る世界、その真なる光に触れたとき、おまえは知るだろう。人は知能ではなく、“神足”によってこそ仏に近づくのだと」

アマネの瞳には、すでに曼荼羅が映っていなかった。彼は、自らの内奥に広がる宇宙そのものを、見つめていた。

龍神の目覚めと二つの試練

深夜、霧のような思念がアマネの脳内を満たしていた。水晶の龍神が、彼の内奥へと沈み込み、心の一点と結ばれていく。そのとき、彼は言語ではない光の響きを感じ取った。

――思念は、血ではなく、空間に流れる。

それは“声”ではなかった。思考の芯に、唐突に差し込む“命令”だった。

次の瞬間、アマネの身体が軽く震え、目の裏で白光が爆ぜた。眉間に収束していた念の奔流が、背骨に沿って降下し、臍下、さらに足の裏へと落ちていった。そして、そこから再び上昇する。背骨に沿って昇るそれは、炎でも水でもなく、龍そのものであった。

「……これが、四神足か……」

呟いたアマネの声は、自分のものではないようだった。彼の中にいた“彼”は、もはやただの青年ではなかった。

導師が低く語った。

「龍神と接した者にのみ、次の扉が開かれる。火界定――大日如来の業火に自らを焼かれぬ者に、真の観想は得られぬ。そしてもうひとつ、水想観――滝の一滴に宇宙を観じ、水の音に仏の声を聴く」

翌朝、アマネは山を降り、護摩の道場へと向かった。そこでは、炎の中に仏の姿を見いだす修行が待っていた。薪が積まれ、護摩壇が組まれ、火が放たれるその刹那、アマネは視た。炎の中に踊る無数の顔――怒れる忿怒尊、微笑む菩薩、そして、あの水晶龍神の眼。

灼熱の炎にじっと向かい合うその日々は、彼の肉体を削り、精神を磨き上げた。だが、彼は逃げなかった。なぜなら、すでに知っていたからだ。仏陀の智慧とは、苦の中にこそ宿るということを。

火の修行を終えた日、導師が静かに言った。

「つぎは、水に向かう。水想観は、火と対をなす最後の鍵。滝の底にて、一千の音を聴け。そこに、真なる曼荼羅がある」

アマネは再び旅支度を整え、北の滝へと向かう。道中、彼の背に刻まれた曼荼羅の光紋が、夜ごと淡く光を放ち始めていた。

 

滝音に宿る曼荼羅 ― 水想観と四神足の成就

水の音は、はじめ雑音にすぎなかった。轟く滝の前に座し、アマネはただ目を閉じた。全身を打つ冷水。肌を刺す寒気。だが彼は一歩も動かない。

その沈黙の中で、ふいに――“音”が分かれはじめた。

一音、二音、三音……

それはただの水音ではなかった。滝の一滴ごとに、まるで違う「意味」が込められている。無数の水の声が語りかけてくるのだ。怒り、嘆き、歓喜、そして――慈悲。

「……これが、水の曼荼羅……」

アマネは意識の深奥で、“水の仏陀”に出会った。

それは姿をもたぬ存在であった。ただ、無限にやさしい響きだけが、彼の心の核に沁みこんでいった。

そしてその瞬間、彼の中の四つの光点が一斉に輝いた。

欲神足――清らかな欲望をもって目標に向かう力。
精進神足――ひとつのことに没入する絶え間なき努力。
心神足――深く澄んだ心を自在に操る統一の力。
観神足――物事の真実を見通す智慧の目。

四神足が完全に揃った刹那、アマネの身体が震えた。

目を開いたとき、滝はもう音を発していなかった。いや――世界全体が、静けさの中で語っていた。音なき音。光なき光。

導師が言った。

「……四神足、成就せり。これより汝は“観自在”の門に至る。そこにはもはや敵はない。ただ、己の“過去世”が、汝に最後の問いを投げかけるだろう」

アマネは黙ってうなずいた。

次なる扉はすでに、彼の中で開かれはじめていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四神足法の解説

玉阿含宗

思念の相承と四神足注

いよいよ、釈尊の成仏法の中心の法である、四神足法の解説に入る。これが

「輪廻転生瞑想法」の根幹となる法である。

釈尊の成仏法の中でも、最高難度の法である。

うか? いままでの訓練をこなしてきた修行者であれば、なんとか歯が立つのではないかとは思うが、決して容易ではない。いままでの訓練でさえ、むずかしいのに、これ以上の訓練はできるだろうかと、不安に思う方も多いのではないだろ

わたくしは、第二章で、

霊界の法の世界において、法の完成者タターガタ(如来)が常恒に法を説いている。「思念による王者の相承」とは、この法身タターガタが、言葉や象徴という媒介なしに、直接相手の心に自分の心を伝達するものである。

この場合、心、というのは単なる思念の心ではなく、パワーを主としたものと思うべきで

 

この場合、心、というのは単なる思念の心ではなく、パワーを主としたものと思うべきである。これによって、相手はたちどころに仏陀として完成するのである。

これは最高であり、理想的なものであること、もちろんである。「王者の」、という所以である。

とのべた。つまり、仏陀となって成仏するためには、この「思念による王者

の相承」を受けることが、理想とされているのである。

しかし、これには条件があるのだ。

どのような条件か?

わたくしは、つぎのようにのべている。

だが、そういうと、一(「思念による王者の相承」)は最高理想のものなので

あるから、他のなにものも必要ないのではないかといわれるかもしれない。そうではないのである。その最高理想のものを受けるために、tapasげ必要なのである。

また、同章で、インドのサヘート・マヘートにおける強烈な霊的バイブレーションについて、つぎのようにものべている。

賢明な読者はすでにお気づきであったろう。これが、チベット密教のいう「思念による王者の相承」であることを――。思念による王者の相承・ は、じつに、霊的バイブレーションによる伝達だったのである。

かいてい

~ わたくしは、これによって、解脱に至る四つの階梯のうちの、第三の地に達したことを自覚したのであるが、これは、間脳開発の練行tapas を止就していなかったら、絶対に得られなかったものである。内なる受容の勢がととのって初めて、外よりの王者の相承が発せられるのである。

つまり、仏陀となる、あるいは仏陀の境界に近づくためには、「思念による王者の相承」が必要なのであるが、その王者の相承を受けるためには、開脳開発の練行 tapas を成就していることが必須なのである。

わたくしは、この王者の相承を受けて、阿那含の境地に達し、このとき、死ぬまでにかならず仏陀になると強く自覚したが、それはわたくしが、tapas を成就した上で、インドのサヘート・マヘート、ミラクルの池に行ったからこそ、白

銀のバイブレーションを受けることができたのである。

したがって、「思念による王者の相承」を受けるためには、tapasを成就して

・いることが、絶対条件なのである。

では、その練行 tapas とはなにか?

「この tapasこそが、四神足法なのである。

いい換えれば、四神足法を成就していなければ、仏陀になるために必要な 「思念による王者の相承」を受けられないのである。しかしながら、四神足法

阿含宗総本園

は、釈尊の成仏法の中でも最高度にむずかしい法である。だれでも容易に修行できる内容ではない。

れいせいかいけん 「釈尊のむずかしい成仏法を修行しなければ、いつまでたっても思念の相承を受けられず、問脳が開かず、霊性開顕が不可能であるならば、いったいどれほどの人が、霊性開顕をすることができるであろうか?

ごく限られた、わずかなエリートしか、到達することができないであろう。

当然のことながら、釈尊の成仏法を発展させた輪廻転生瞑想法も成就できないことになるのだ。

◎だが、そうではないのである。

わたくしは、永年の修行により、この問題点を解決し、だれでも比較的容易に成仏法の修行を進めていける法を完成することができたからである。

すいしょうりゆうじんそれは、「水晶龍神瞑想法」という法である。

この瞑想法は単なる瞑想法ではない。

じつは、この沢晶龍神瞑想法は、釈尊の成仏法の真髄である、

「四神足法そのもの」

なのである。

そして、この水晶龍神瞑想法の最大の特長は、

「瞑想法自体が思念の相承である」

ということなのである。

修行者は、この法にのっとって修行を進めていくことにより、本来であれば、tapasである四神足法を成就しないかぎり、絶対に受けられない思念の相承を、修行をはじめる最初の段階から受けながら、四神足法に必要な、チャクラの開発訓練を進めていくことができるのである。ことに、クンダリニー・ヨー

◎ガでは、最も危険とされる脳内のチャクラの開発を、安全に、おだやかに進めていくことができるのだ。

あなたは、この水晶龍神瞑想法(四神足法)を修行することによって、

「を得ることができるであろう。

神通力

ただし、この法は、最極秘伝に属する法なので、すべてを筆にすることはで

含宗総本殿

きない。本書では、ごく初歩の段階にとどめる。

眼解しないでいただきたいが、決して法を惜しんでいるわけではない。これ以上の段階は、どうしても、わたくしの直接の指導を受けておこなう必要があ

るのだ。

わたくしの主宰する阿含宗の瞑想道場にて、この「王者による思念の相承」

すなわち、「仏陀の思念」が受けられるので、そこで、わたくしや、わたくしの弟子の指導を受けて修行を進めていただきたいのである。

水晶の中に龍神のお姿を見る

う。 まず、水晶龍神瞑想法(四神足法)の前段階である瞑想法について解説しよ

前段階とはいえ、たいへん高度な瞑想法で、これを習得しないと、釈尊の成

仏法の真髄・四神足法に進むことができない。

この法は水晶を使って深層意識を活用する瞑想法である。

う) まず、水晶を準備する。けがれのない天然の水晶が理想である。(わたくしの瞑想道場では、わたくしが成仏法によって浄め、龍神のお霊をこめた水晶龍神御尊像を使

この水晶に心を集中して凝視していると、いろいろなモヤモヤが見える。そ

のモヤモヤを、心を静めて凝視していると龍神のお姿が見えてくる。このお姿

がはっきりと見えてくるようにならなくてはいけない。

そのお姿には二つのタイプがある。

コブラ(母蛇)型―――頭と顔が平たくなっている龍神。

ボア(大蛇)型毒を持たない大型の龍神。

この二つの系統がある。

また、見えてきた龍神が男神である場合は「ナンダ龍王」、女神の龍神の場合

阿含が

は 「ウパナンダ龍上」という名前で念じる。

水晶の向こう側に白い紙を立てて凝視していると、モヤモヤの中にお顔やお体が見えてくる。それには三日ほどかかる。観想もこのお姿をよく観察して瞑想しなくてはならない。

くこの既想を深く進めていくと、その修行者は龍神型の性格を持つようにな 「り、さらに進めていくと体も似てきて龍体になってくる。そして体の一部がウロコになってくる。そこまでいくのは容易ではないが、そうなると龍神の力がそなわってくる。

龍神のタイプがたとえばコブラ型であれば毒を持つとか、ボア型だから相手を絞め殺して食べてしまうというようなことはない。タイプを知るだけで、あとは自然にまかせておけばよい。

最初に教える瞑想法は、「水晶龍神洗浄瞑想法」である。

まず心身を浄める「洗浄法」から入る。龍神に雨を降らしていただいて、その龍雨によって心身の不浄不快がすべて洗い流され、病気の根もすべて洗い流

される

[解説]

毎朝一回、十五分ほどかけてこの瞑想をおこなう。

そうかいこの洗浄瞑想を毎日重ねて実行していると、一日中体が元気で爽快になり、 さらに龍神に好意を持っていただけるようになる。

われてしまう。 いつかいわ澄み渡った青空に突然一塊の雲が沸き起こり、たちまち空一面が黒い雲に覆

その黒い雲の中心に金色の龍王を観想する。この龍王は水晶で見ているお姿

である。この金色の龍王が大神通力をもって暴風を起こしている。さらに大雨が降ってくる。滝のように降ってくる大雨を頭から受けている。それはあたかも流行のごとくである。

この大雨によって心身の不浄不快がことごとく洗い流される。病気の根もす

べて洗い流す。

そう観じて、般若心経 五反。

つぎに、観想。

ことごと 「わが心身爽快なり。わが身の不浄不快悉く消滅す」

そして、準胝小呪。

「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」

を五唱し、よびかける。

さんぞく準脈知来は龍神をしたがえておられる。龍神は準低如来の眷属であるか

この真言を唱えると非常にお喜びになる。

最後に、

「臨兵闘者皆陳列在前、エイッ」

と九字を三回切って終わる。

すると龍王は喜び勇んで姿を消すが、つねに行者の身辺にあって守護し

ださっている。そして行者がよぶのを待っておられる。なにかつらいことや

困ったことがあるとサーッと姿をあらわして助けてくださる。

およびするときには、左手親指を右拳でつつむ「如来拳印」で、あなたの水

晶で感得した「ナンダ龍王」あるいは「ウパナンダ龍王」をおよびし、

「来たってわれを救いたまえ」

と心の中でつぶやけば、たちまち姿をあらわして助けてくださる。

水晶龍神瞑想法(四神足法)

つぎに、いよいよ、釈尊の成仏法の真髄である四神足法の瞑想法である。

これが、さきほど大極秘伝といった、八科四十一道品の中の一科四道品、四

安那般那念法となる法で、「水晶龍神瞑想法」という。

ただし、さきほどもいったように、これ以上は筆にすることができない。

法を惜しんでいるわけではないが、この法に関しては、わたくしが導師となって、あなたを弟子として受け入れ、その修行の進み具合を見ながら直接指

阿含宗総本

導しなければ、絶対に法を成就することができない。

だが、熱心な修行者のために、少しだけヒントをさしあげよう。

この瞑想法では、さきほどの水晶龍神御尊像と、『輪廻転生瞑想法Ⅱ』で紹介した準低尊秘密光明曼荼羅を使うのである。

そして、水晶と曼荼羅を組み合わせ、ある特殊な観想と真言読誦によって、

脳内のチャクラに仏陀の思念、すなわち、「王者による思念の相承」を受けるのである。さらに、この瞑想法とあわせて、護摩行(火界定)と滝行(水想観)を修することが、最も望ましい。

阿含宗の瞑想道場には、水晶龍神御尊像と準胝尊秘密光明曼荼羅をそなえてあり、護摩行、滝行ができる設備をそなえた道場もある。

ぜひ、わたくしの瞑想道場に来て、わたくしか、わたくしの直弟子から指導を受けることを、強くお勧めする。

阿合 ヒトを改造する超技術

阿合

ヒトを改造する超技術

もしも。

トラブルヒトの知能が倍増し、人類の知的水準が現在の二倍ないし三倍になったら、世界はどのように変わるであろうか? おそらく、人類は、いまかかえているあらゆる問題を、すべて解決してしまうであろう。

いや、それよりも、全く新しい構造の社会が出現するのではないか? 人類がいまかかえている問題を見てみよう。

―――殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合い――そして地球上に急速にひろがりつつある有害物質――。それらはどこに原因があるのであろうか? わかりきったことである。 それは、ヒトが愚かなためである。

そ・サピエンス人類学者リンネは、人間を分類して「知恵あるヒト」と学名をつけた。

生理学者シャルル・リシェは、愚かなヒト、ホモ・スツルツスと名をつけた。ノーベル賞受賞者のリシェは、その著、「人間――この愚かなるもの」の序文で、人類のかずかずの愚行をつぎつぎとあげ、実にあきれかえったおろかな動物であるとして、超愚人類と呼びたいところだが、まあ、最上級の形容詞はがまんして、感、人類ぐらいでかんべー

うと書いている。

たしかに、ヒトには、この二つの面がある。賢い知恵ある面と、愚かで弱い面と、二つの

間がひとつにまざり合っている矛盾した生物が、まさにヒトであるということなのだが、いま、われわれの周囲をながめてみると、ホモ・サピエンスは全く影をひそめ、ホモ・スツル

そうかいナッシムスが妖怪のごとく横行している。

殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合い、

それは次第にエスカレートしてゆく。科学と技術はヒトの力を無限に拡大したが、同時に、ヒトの殺戮と搾取と憎悪と闘争をも無限に増大させた。このままでは、間もなく、ホモ・

サビエンスは絶滅する。

いま、人類にもっとも必要なものはなにか?

それは高度の知能である。

この地上に展開する恐るべき大愚行は、なによりもまず人類の知能が低いところに原因す

いす、人類に必要なものは、科学でもなければ技術でもない。革命でもなければイデオロギーでもない。人種間今でもなければ階級闘争でもない。そんなものはなんの役にも立た

阿含宗

何十回、革命を起こしても、何百回、闘争をくりかえしても、人類の知能がいまの水準にあるかぎり、それはむなしい儀式のくりかえしに過ぎぬ。

歴史をみてみよう。機械と技術、科学と文明と称するものがいくら進歩発達しても、おろかな人間たちの行動パターンは少しも変わっていない。つねに、憎み合い、殺し合い、奪い合う、このパターンのくりかえしではないか。どこに変化が見られるか。

若ものよ。エネルギーのむだな燃焼をやめたまえ。革命を思うなら、全人類の知能革命に前進せよ。

ネアンデルタールの昔から、ヒトの知能は一歩も前進していない。なによりもまず人類の

知能を高めねばならぬ。 ホモ・スツルチッシムスを絶滅せよ。そうせぬかぎりわれわれにもはや未来はない。それ

はすでに秒読みの段階に入っている。 このとき、ここに、ヒトを改造し、社会機構を一変させる技術がある。この技術は、ふる

若ものよ。 き社会体系をすべて解体し、そこから生まれるあたらしい文明は、次元をひとつ超えるだろう。この技術によってのみ、世界はよみがえり、この革命だけが全人類を破滅から救う。

君たちはなぜこれに視線を向けぬのだ。

なぜ、君たちは、この、地上いまだかつて比類なき壮大にしてドラマチックな革命に情熱をたぎらせぬのだ。

「 これとほとんどおなじことを、かれは『ホロン革命』でのべています。先生はいまの章で、

「たしかに、ヒトには、この二つの面がある。賢い知恵ある面と、愚かで弱い面と、二つの

誰がひとつにまざり合っている矛盾した生物が、まさにヒトであるということなのだが、いま、われわれの周囲をながめてみると、ホそ・サビエンスは全く影をひそめ、ホモ・スツルチャクムスが居のごとく横行している。愛し合い、奪い合い、橋み合い、傷つけ合い

それは次第にエスカレートしてゆく。科学と技術はとトの力を無限に拡大したが、同時に、 と子の数と育と悪とをも無限に増大させた。このままでは、間もなく、ホモ・サビエンスは絶滅すると

といわれ、つづいて、こうのべています。

『キそ・サピエンスは生物としてその限界に到達した。いま、この世界を覆う混乱と当恋と増悪は、なによりも、それをものがたるものである。つぎにくるものは絶望でしかない。いまこのひろい世界に、一瞬たりとも生命の危険を感ぜずして生きている人間はひとりもいない。あなた自身そうであろう。

なぜ、君たちは、この、地上いまだかつて比類なき壮大にしてドラマチックな革命に情熱をたぎらせぬのだ。

「 これとほとんどおなじことを、かれは『ホロン革命』でのべています。先生はいまの章で、

「たしかに、ヒトには、この二つの面がある。賢い知恵ある面と、愚かで弱い面と、二つの

誰がひとつにまざり合っている矛盾した生物が、まさにヒトであるということなのだが、いま、われわれの周囲をながめてみると、ホそ・サビエンスは全く影をひそめ、ホモ・スツルチャクムスが居のごとく横行している。愛し合い、奪い合い、橋み合い、傷つけ合い

それは次第にエスカレートしてゆく。科学と技術はとトの力を無限に拡大したが、同時に、 と子の数と育と悪とをも無限に増大させた。このままでは、間もなく、ホモ・サビエンスは絶滅すると

といわれ、つづいて、こうのべています。

『キそ・サピエンスは生物としてその限界に到達した。いま、この世界を覆う混乱と当恋と増悪は、なによりも、それをものがたるものである。つぎにくるものは絶望でしかない。いまこのひろい世界に、一瞬たりとも生命の危険を感ぜずして生きている人間はひとりもいない。あなた自身そうであろう。