三身即一の薬師如来縁起
風が静かに吹く、瑠璃色に染まる世界の片隅。とある老僧が、若き修行僧に語りかける。山寺の石畳を照らす夕日の中、老僧の言葉はまるで遠い昔から響いてくる法音のようだった。
「お前は、薬師如来という仏をご存知か?」
若者は首をかしげた。「病を癒す仏さま……でしょうか?」
老僧は微笑み、頷いた。「そうじゃ。だがそのお姿の奥には、遥かなる真理が隠されておる。その名も“三身即一の薬師如来”。今日は、その縁起を語って聞かせよう」
その昔——
インドの聖地に、一人の目覚めた者がいた。彼の名はゴータマ・シッダールタ。後の人々が「お釈迦さま」と呼ぶ、その大覚者は、自らをこう名乗った。
「私は大医王である。無上の医師であり、正しく覚った医師である」
彼の言葉は、人々の病める心に染み渡る薬のようだった。
彼が説いた「四つの真理」は、まさに医術そのものだった。
「これが苦しみである。これが苦しみの原因である。これが苦しみの消滅である。そして、これが苦しみを終わらせる道である」
この四つの道理を知る者は、まさに名医であり、世のすべての苦しみに処方箋を示す者だった。
やがて、人々はこの名医の姿を、一尊の仏として顕現させた。
その名は「薬師瑠璃光如来(やくし・るりこう・にょらい)」
梵語では「バイシャジャグル・ヴァイドゥーリャブラバ」
パイシャジャは薬を、グルは師を、ヴァイドゥーリャは瑠璃、つまり青き宝石、ラピスラズリを意味する。そしてブラバ、それは光——
すなわち、薬の師にして、瑠璃の光を放つ者。
その御身は、全身から瑠璃の輝きを放ち、人々の心身の病を癒やしたという。病に倒れる者の傍らに立ち、苦しみを取り除くその姿は、まさに慈悲の化身であった。
日本では「薬師」「医」「医師」と書いて「くすし」と訓じた。薬草や香草、スパイスを調合し、病を癒す術を知る者をそう呼んだ。
だが、薬師如来は単なる薬の神ではない。
それは、三つの身を兼ね備えた、まさに「三身即一」の仏である。
法身(ほっしん)としての真理そのものの存在。報身(ほうじん)としての悟りの果たる姿。そして、応身(おうじん)として、衆生の苦しみに応じて現れる姿。
三つの身が、一つに統合された、真なる大医王——
それが、薬師瑠璃光如来なのである。
老僧は話を終え、ゆっくりと目を閉じた。
若き修行僧は、瑠璃色の空を見上げながら、心にそっと誓った。
「私もいつか、人々の苦しみを癒やす者となろう……薬師如来のように」
そして、夜の帳が降りるころ、山寺には静かに鐘の音が響いた。
——それはまるで、遠い昔から響いてきた薬師如来の光のようであった。