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正思惟の灯ともしび The Light of Right Thought

正思惟の灯ともしび

The Light of Right Thought

朝靄の道に 足音ひとつ
霜を踏むたびに 心が揺れる
まだ消えぬ煩悩 胸に抱き
それでも光を 信じていた

出離の願いが 風に舞い
無瞋の祈りが 空に溶ける
無害の想いが 花を咲かせ
心にともす 正思惟の灯

 

On the misty path, a single step echoes
With every frost-crushed leaf, my spirit trembles
Still bearing desires I cannot yet flee
Yet I hold to the hope of a light I can’t see

A wish for release floats into the breeze
A prayer without anger melts into the sky
A thought without harm blooms soft and free
Kindling within me the light of Right Thought

有漏の正思惟

有漏の正思惟

 朝靄の中、若き修行者シンは山道を登っていた。足元には霜の残る落ち葉が敷き詰められ、踏むたびにかすかな音を立てる。その音さえも、彼には自らの心を映すように感じられた。

 ――私はまだ、煩悩の只中にいる。

 欲望が去ったわけではない。怒りが消えたわけでも、迷いが尽きたわけでもない。ただ、それらの闇を見つめる目だけは、ようやく少しずつ開かれつつあった。

 師は言った。「思惟を恐れるな。ただし、それが煩悩に染まらぬよう注意せよ。それが正思惟だ」

 彼は思い返す。

 出離の思惟――この世を離れたいという願い。それは逃避ではない。快楽や欲望の果てに疲れ果て、ほんとうの安らぎを求める静かな意志。欲にまみれた心が、それでもどこかで「このままではいけない」と目覚める、かすかな光だ。

 無瞋の思惟――怒りを抱いても、それに呑まれずに済む道を探すこと。誰かに心を傷つけられたとき、その苦しみの連鎖を断ち切ること。

 無害の思惟――弱き者に手を差し伸べ、傷つけずに生きようとする姿勢。たとえ敵意を向けられても、報復を求めず、慈しみを返す勇気。

 それらは、シンの中でまだ完成されてはいなかった。けれど確かに、芽生え始めていた。

 「正思惟とは、煩悩を否定することではない。煩悩のなかにいても、それに引きずられず、清らかな心の方向を選ぶことだよ」

 師のその言葉が、風のように耳の奥で響いた。

 谷の向こうから、朝日が射し始めていた。冷えきった山の空気に、ひと筋の温もりが差し込む。シンは立ち止まり、静かに目を閉じた。

 「この身は、まだ煩悩に染まる。しかし、この心に、正思惟の灯をともそう――」

 それは小さな誓いだった。けれど、その一念が、迷いの森を抜ける第一歩になることを、彼はうすうす感じていた。

第二章 正思惟 ―― 正しき意志を生む – 第一節:思いの力 –

第二章 正思惟 ―― 正しき意志を生む

– 第一節:思いの力 –

 

「思う、ということが、世界を作っている。
君はそのことを、どこかで気づいていたかね?」

 

凌山の声が、静かな池の水面に落ちた石のように、蒼の心に波紋を広げた。

 

東京の片隅。あの公園で出会って以来、蒼は週に一度、凌山のもとを訪れるようになっていた。
それは誰にも告げていない、彼だけの密かな修行の時間だった。
スマホを置き、音楽を断ち、情報から目を逸らして、ただ「自分を見る」ための時間。

 

今日は少し郊外の、古い寺に連れてこられた。
人影のない本堂の前。石畳の冷たさが、彼の足元を引き締める。

 

「正見によって、苦しみの根を“見る”ことができた。
だが、見ただけでは変わらぬ。
次に必要なのは、“どう在りたいか”という意志じゃ。
それが、正思惟(しょうしゆい)。
つまり――正しく思うこと」

 

蒼は、少しだけ困った顔で言った。

「“正しく”って……それが一番わかりづらいです。
どこかの誰かが決めた正しさを、また押しつけられるんじゃないかって」

 

凌山は笑わず、しかし優しい声でこう返した。

「“正しさ”は外にはない。
それは、自らの心に問うもの。
だが仏法には、ある基準がある。
正思惟とは、三つの意志を育てることじゃ」

 

彼は人差し指を立てた。

「ひとつ、離欲の思惟。
欲にとらわれず、冷静で澄んだ心を求める意志」
「……物欲とか、承認欲求とか、ですか」
「そのとおり。執着の欲を離れることじゃ。
次に、無瞋の思惟――怒りを持たず、他を害さぬことを願う心」
「……ムカつくやつに怒らないとか、難しすぎません?」
「怒りに飲み込まれるか、怒りを観察するか――それが修行の差だ」

 

そして三本目の指。

「最後は、不害の思惟。
生きとし生けるものを傷つけず、思いやりと慈しみの心を持つ意志じゃ」
「慈しみ、か……。自分に向けることすら、忘れてました」

 

蒼はふっと笑った。
それは自嘲ではなく、かすかな光のような笑みだった。
凌山はうなずいた。

「“思い”は種となる。
怒りを思えば、怒りが芽吹き、
欲を思えば、欲が育つ。
だが、慈しみを思えば、世界は静かに優しくなる。
思惟とは、未来を選ぶ力なのじゃ」

 

蒼はそっと目を閉じた。
過去の怒り。失望。人を羨んだ日々。
愛されなかった記憶と、自分を責める声。
そうしたものが、胸の奥でざわめいているのを感じた。

けれどそのざわめきの下に、
ほんの小さな、やわらかな光があることにも、気づき始めていた。

 

「俺、変わりたいと思ってます。
でも、変わるって、怖くもあるんです。
今の自分はダメだと認めることになる気がして……」

 

凌山は、しばし黙って空を見上げた。

 

「変わることは、今の自分を捨てることではない。
それは、“正しき意志”に、いまの自分をそっと預けることじゃよ。
大切なのは、“どう在りたいか”を問い続ける姿勢なのだ」

 

風が吹いた。
木々がさわさわと揺れる。
蒼の心にも、小さな風が吹いた。

 

その日、彼は初めて「思いを育てる」という感覚を知った。
無理に変えようとせず、ただ自分の中にある思いを見つめる。
そして、それを少しだけ温かく整える。
それだけで、何かが確かに変わっていくことを感じた。

 

夜、寺をあとにする頃、蒼は小さく呟いた。

「きっと、俺の中にも……慈しみが、ある気がします」

 

凌山は微笑み、ただ一言だけ言った。

「あるとも。
君がそれを“思いたい”と願った瞬間から、もうそれは在る」

【第二章 正思惟 ―― 正しき意志を生む

– 第二節:問いの種子 –

 

秋の夕暮れ。
寺の庭に、ほのかに沈む陽が差し込んでいた。
石畳の端に腰をおろし、蒼は何かを考え込んでいた。

 

「……どう在りたいか、なんて。
考えれば考えるほど、分からなくなってきました」

 

ぽつりとこぼした声に、凌山は枝を箒で掃く手を止め、言った。

 

「それでよい。正思惟とは、問いを持つことから始まる。
答えはすぐに見つからぬものだが、
問いを抱いた者は、もう旅路にいる」

 

蒼は枝の影に手をかざしながら、ゆっくりと呟いた。

「どう在りたいか……たとえば、“怒らない人”になりたいって思ったとします。
でも、実際はすぐにイライラしてしまうんです。
思っても、現実の自分とのギャップがつらくて……」

 

凌山はそっと石に腰かけ、落ち葉を見つめながら言った。

 

「それは“問いの種子”じゃ。
君の中に、“怒らずにいたい”という願いが芽吹いた証。
たとえ今は実現しておらずとも、
種子を蒔かなければ、芽も出ぬ。
まず、その問いを大切に持ち続けるのだ」

 

蒼はふと、ポケットの中にあるメモ帳を取り出した。
最近、少しずつ感じたことや気づいたことを、短く書くようになっていた。

「“今ここにある感情を、敵としない”……これ、昨日書いた言葉です」
「うむ。よいな」
「怒りや不安があると、それを“悪い”と思って押し殺してました。
でも、それも自分の一部なんだって……少し思えるようになったんです」
「それが、思惟の力だ。
意志とは、“否定する力”ではない。
むしろ、“受け入れたうえで選ぶ力”なのじゃよ」

 

しばらく二人は黙って、空を見上げていた。
西の空が、柔らかな橙に染まっていた。
風が吹き、どこからか金木犀の香りがした。

 

「凌山さん……」
「なんじゃな?」
「たとえば“優しい人になりたい”っていうのも、正思惟ですか?」
「優しさとは“与える心”だ。
与えようとする願いは、まさに正思惟の花だ。
だがそれは、“誰かのため”というよりも、
“自分の在り方として”育てるものなのじゃ」

 

蒼は、その言葉を少しのあいだ胸の中で転がした。

 

「俺は、誰かに優しくされたいって思ってた。
でも、優しさって、自分から選ぶことでもあるんですね」

 

凌山は立ち上がり、庭の灯籠のそばへ歩いた。
その灯籠の穴に小さな蝋燭を差し込み、火を灯した。

 

「そう。思いは、心の蝋燭。
火をつければ、他を照らす。
だが、まず“火をつけたい”という願いが必要なのじゃ」

 

蒼はその灯りを見つめながら、ゆっくりと呼吸をした。
冷え始めた風のなかで、自分の奥底にひとつの種があることを、確かに感じていた。

 

「俺も……小さな灯りを持っていたい」
「それでよい」
「優しさを、思い出せるように」
「その思いが“正しき意志”の根となる」

 

――問いは、時に痛みを伴う。
だが、真に大切な問いは、人を内側から目覚めさせる。

蒼の胸にいま、たしかにその種子は根を下ろし始めていた。

 

 

不動の祈り The Prayer of Fudō

不動の祈り

The Prayer of Fudō

炎の中に 立つその姿
風を裂いて 闇を切り裂く
天を睨み 地を貫いて
すべての迷いを焼き尽くす

 

ナウマク・サマンダ・バザラ・ダン・カン
怒りは愛に 姿を変えて
無明の夜に 剣を掲げる
不動よ今 我らを守れ

In flames he stands, unwavering light
Tearing through wind, piercing the night
His gaze strikes sky, his will strikes earth
Burning all delusion from its birth

Naumaku Samanda Bazara Dan Kan
His wrath is love in fierce disguise
He lifts his sword through ignorant skies
O Fudō, rise — protect and guide!