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阿含仏教智 四念住法

阿含仏教智 四念住法

旧訳では四念処という。四念処観ともいう。さとりを得るための四種の内

観・瞑想法である。身念住・受念住・心念住・法念住の四つである。

(10)この身は不浄なり。

(2)受は苦なり。

③心は無常なり。

(4)法は無我なり。

と観念し瞑想するのである。すなわち、この身体は不浄である。(すべての)感受は苦である。心は無常である。すべての事物は無我である、と観念し瞑想する。はじめはこの四項をそれぞれ別に観念し、つぎにはそれらの四つを一つにして、身体・感受・心・そしてすべての事物(法)は不浄である、また苦である、無常である、無我であるというように観念して瞑想していくのである。(わたくしは、この四念住はさきに述べた『四聖諦」を行法化したものであろうと思っている。すくなくともふかいかかわりはあるであろう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四念住 ― 無我の門を開くとき

四念住 ― 無我の門を開くとき

山間の静寂に包まれた庵。その床に一人の修行僧が座していた。名をアーナンダという。

彼は目を閉じ、静かに呼吸を整えていた。外の風の音も、木々のざわめきも、ただそのままに、心の水面に映る影のように感じられる。

師の教えが、今、胸の中に生きていた。

「アーナンダよ、この身は不浄であると観よ。生まれ、老い、病み、そして滅する。ただの肉体にすぎぬ。」

アーナンダは自らの身体を見つめた。肌の感触、内臓の重み、血の流れ、すべてが生々しく、しかしそれゆえに儚く思えた。

「これは美しいものではない。執着すれば、心は汚れる。」

次に、彼は感受の流れに目を向けた。風の冷たさ、腰の痛み、心のざわめき。

「すべての受けとめは苦である。」師の言葉が胸に響いた。「喜びも、悲しみも、過ぎゆき、やがて執着となって心を縛る。」

アーナンダは深く息を吐いた。次に観じたのは、自らの「心」そのものだった。

「心とはとどまらぬもの。移ろい、浮かび、沈み、絶えず変わる。」

憎しみの残影、歓喜の泡沫、疑いの霧。それらは刻々と姿を変え、彼の内面を流れていた。

「心は、無常である。」

そして、最後に彼は、あらゆる「法」――森羅万象の本質に意識を向けた。

「すべては無我である。自らのものと誇るべき実体など、どこにもない。」

樹々の葉が風に揺れる。鳥がさえずり、雲が流れる。すべては因縁によって生じ、因縁によって滅する。

アーナンダは四つの観法――身・受・心・法――それぞれを見つめ、それらが一つの真理に帰することを直感した。

不浄、苦、無常、無我。

それらは単なる思索ではなく、彼の内なる世界そのものとなっていた。

「これは、四聖諦を行ずる門ではないのか……」

彼の心に、静かな気づきが芽生えた。

そのとき、彼の前に朝日が差し込んだ。庵の窓から、黄金の光が床を照らしていた。

アーナンダはそっと目を開け、微笑んだ。

「法は常にここにある。ただ、見る目が育つのを待っているのだ。」

そして彼は、再び静かに目を閉じた。

 

四念住 ― 都会の片隅で目覚める智慧

渋谷の雑踏を抜けたビルの屋上。灰色の空をぼんやりと眺めながら、リクは缶コーヒーを一口飲んだ。

「なんで、生きてんだろうな……」

27歳。ブラック企業で心をすり減らし、恋人には去られ、家族とも疎遠。スマホに届く通知は、上司からの罵声と借金の催促だけ。

そんな彼がふと立ち寄ったのが、駅前の小さな「マインドフルネス講座」だった。冷やかしのつもりだったが、そこで語られた言葉が妙に胸に引っかかった。

「仏教には『四念住』という瞑想法があります。身体・感受・心・そして法(すべての現象)を観じる智慧です。」

その夜、リクは部屋の片隅に正座し、目を閉じてみた。

「この身体は……不浄?」

ゲームで夜更かしし、コンビニ弁当で膨れた腹。心のどこかで「これが自分か?」という違和感が募っていた。

「感受は……苦?」

SNSで“いいね”をもらっても虚しく、誰かと繋がっても孤独は深くなる。気持ちいいはずの時間も、終わるとすぐ苦しみに変わる。

「心は……無常。」

昨日笑っていたのに、今日は怒っている。その時々で、善人にも悪人にもなる。心って何なんだろう。

「そして、法は……無我?」

会社も、地位も、自分が執着していた“自分”という存在さえ、何ひとつ確かなものはなかった。

リクの瞑想はぎこちないものだった。でも、その晩、彼は泣いた。涙の理由は分からなかった。ただ、「何かがほどけた」気がした。

翌朝、リクは久しぶりに空を見上げた。冬の空気は冷たかったが、透明だった。

「まだ、生きてていい気がする。」

彼はゆっくり、歩き出した。智慧という名の光が、ビルの谷間に、確かに差し込んでいた。

四念住 ― 第二章:導師のまなざし

あの日の涙の夜から、一週間が経った。

リクは、再びあのマインドフルネス講座のドアを開けた。簡素な和室に座していたのは、静かな眼差しの中年男性――法圓(ほうえん)と名乗る僧侶だった。

「あなたの中に、何かが動いたのですね。」

リクは、うなずいた。「……でも、よくわかりません。あれは、ただの錯覚だったのかもしれない。」

法圓は微笑んだ。「では、もう少し、深く観てみましょう。身、受、心、そして法。それぞれにあなたの物語が宿っています。」

その日から、リクは週末のたびに法圓のもとを訪れた。

講座には他にも数人の参加者がいた。摂食障害を抱える女子大生・アヤ、自閉症の息子を育てるシングルマザー・ナオコ、リストラ後にアルコール依存に苦しんだ元経営者のマサキ――誰もが何かを失い、何かを求めていた。

第三章:四つの扉

第一の扉 ― 身念住

ある日、法圓は皆に問いかけた。

「この身体が、あなたそのものだと思いますか?」

リクは言葉に詰まった。筋肉痛の足、過食でむくんだ顔、スマホの使いすぎで痺れた指。

「私たちは身体を持っていますが、それに振り回されすぎている。身体は仏教で“不浄”と観じられる。それは嫌悪ではなく、“それに過剰な価値を置くな”という智慧です。」

アヤは震える声で言った。「…私は、鏡に映る自分をずっと呪ってきました。でも、身体はただの“道具”なんですね。」

法圓はうなずいた。「そう。仏道のための舟であり、壊れるものです。」

第二の扉 ― 受念住

次の週、リクは電車の中で感情が激しく揺れた。スマホで元恋人が別の男と映る投稿を見つけたのだ。

「胸がざわつく。苦しくてたまらない。」

だが、法圓の声が頭に響いた。

「受は苦なり。感受そのものが、すでに苦を含んでいる。快楽を求めれば苦に変わる。嫌悪すれば苦は深まる。ただ、そのままに“観よ”。」

リクはホームのベンチに座り、ゆっくりと呼吸した。

「この感情も、やがて過ぎる。」

そう自分に言い聞かせたとき、涙は出なかった。ただ、静かだった。

第三の扉 ― 心念住

ある夜、参加者のマサキが叫んだ。

「心って何だよ!昨日は希望に燃えてたのに、今日はもう全部終わりにしたくなってる!」

法圓は言った。

「その通り。心は“無常”なのです。変わるものにしがみつくから、苦しみが起こる。心は、空を流れる雲のように“ただ見よ”。」

リクはマサキの肩に手を置いた。彼自身も、同じ闇を何度もくぐっていた。

第四の扉 ― 法念住

数ヶ月後。雪の降る静かな夜、リクは法圓に尋ねた。

「“法は無我”って……どういうことなんですか?」

「この世のすべては、因縁によって成り立つ。つまり、自立した“私”は、どこにも存在しない。すべては流れであり、つながりであり、変化の連続です。」

「じゃあ、“俺”って、なんなんです?」

「“俺”にこだわるから苦しいのです。“俺”を手放せば、そこに“自由”がある。」

その言葉が、リクの胸に深く染みこんだ。

第四章:それでも、生きる

リクは仕事を辞め、少しだけ静かなカフェでアルバイトを始めた。

アヤは少しずつ食事を楽しめるようになり、ナオコは「息子と一緒に笑う日」が増えてきた。マサキは新しく、仲間たちと相談サロンを始めようとしている。

誰も完全に救われたわけではない。だが、皆が少しずつ「観る目」を育てていた。

リクは、今でも毎朝、小さな瞑想を続けている。

「身は不浄、受は苦、心は無常、法は無我。」

それは絶望ではなく、希望の言葉となっていた。

第三話 拡張版:マサキ ― 心を観る男

夜の川辺に、マサキはひとり佇んでいた。かつての取引先が並ぶオフィス街の明かりが、水面ににじむ。

彼は元経営者だった。都心でITベンチャーを立ち上げ、社員20人を抱えた。だが資金繰りの失敗と部下の裏切りにより、会社は倒産。自宅は競売、妻と子も出ていった。

「何もかも、失った」

そう思ったその日から、マサキは酒に頼るようになった。朝から酔い、夜は眠れず、心は過去と未来の地獄を往復する。

心の渦の中で

法圓との出会いは、偶然だった。

スーパーの休憩所で缶チューハイを飲んでいたとき、落とした名刺を拾ってくれたのが彼だった。

「あなたの目の奥に、“叫び”が見えます。静かに、観てみませんか?」

数日後、マサキはあの和室の講座にいた。

法圓は語った。

「心とは“無常”です。昨日思っていたことが、今日はまるで別のことになる。だから、心に振り回されず、“ただ見つめる”練習をするのです。」

最初の瞑想

マサキは畳の上に座り、目を閉じた。だが、すぐに襲ってきたのは怒りだった。

「なんで、アイツらが俺を裏切ったんだ……ふざけるな……!」

その声に、法圓が静かに語りかけた。

「それが“心”です。現れては消える。ただ、“怒り”として名前をつけてください。そして、それを追いかけず、ただ“そこにある”と観じてください。」

彼は息を吸い、吐いた。

怒り、悔しさ、自己嫌悪、恐怖――次々と“名付けられた感情”が立ち現れ、そして消えていく。

「これは“俺”じゃない。“俺の心”ですらない。……ただの、現象か。」

その夜、久しぶりに眠れた。

心の癒えと希望の芽

日が経つごとに、マサキの心は少しずつ変わっていった。

怒りを“観る”ことができた日は、衝動に飲まれなかった。

過去の悔しさを“名前”にすることで、それに支配される時間が減った。

ある日、法圓はこう言った。

「あなたは“心そのもの”ではありません。心を“観る者”になれるのです。」

マサキは、少し笑った。

「観る者……か。まるで、監督だな。暴れる俳優を見守る監督だ。」

それは、彼なりの「目覚め」の言葉だった。

次なる一歩へ

ある朝、マサキは近所のカフェに掲示を出した。

『沈黙の時間 ― 一緒に“心を観る”ひとときを』

集まったのは、数人の孤独な人たちだった。彼は言葉少なに、法圓から学んだ「観る力」を伝え始めた。

まだ、恐れはある。夜に酒を思い出す日もある。

けれど、彼は今、こう言える。

「心は変わる。だから、絶望も変わる。」

 

 

 

 

 

魂の灯火 ~四つの道を歩む者たち~

魂の灯火 ~四つの道を歩む者たち~

序章 ― 表参道 禅カフェ「静庵」にて ―

 

表参道の並木道から一本奥へ入ると、都会の喧騒がふっと遠のく瞬間がある。
その細い路地に、私は初めて足を踏み入れた。

「静庵(じょうあん)」――禅と抹茶と読書をテーマにしたカフェ。
知人がSNSで紹介していたのを見て、何となく気になっていた。最近、何かを「感じたい」と思う瞬間が増えていたのかもしれない。

ガラス戸を引くと、やわらかな木の香りとお香の残り香が私を包んだ。
カウンター奥には袈裟を羽織った店主らしき人物が立ち、静かに一礼してくれた。

「おひとりですか?」

「はい。落ち着ける席をお願いします」

窓際の一席に案内され、私は抹茶ラテを注文した。店内には他に三人の客がいた。スーツ姿で黙々とノートを広げる男性。スマホを伏せて目を閉じている青年。そして、まるで何かを見透かすような瞳をした女性。

しばらくすると、店主が小さな盆に抹茶ラテと、白い短冊のようなカードを添えて運んできた。そこには手書きでこう書かれていた。

「問うべきは、心が何を欲しているか」

なぜか胸の奥がちり、とした。
私は今、何を欲しているのだろう? 成功? 恋愛? 癒し? ……いや、そうじゃない。もっと、根っこの部分で、自分を見失っている気がした。

「初めてですか?」

隣から声がした。先ほどのスーツの男性――彼は笑みを浮かべ、話しかけてきた。

「ええ。ふらっと来ただけなんですけど……落ち着きますね、ここ」

「俺も最近よく来てます。何ていうか、“ちゃんと向き合える場所”って感じで」

それを聞いて、黙っていた青年が目を開いた。

「自分から逃げたくて来てるくせに?」

「うるさいな、瑛人。お前だって……」

「僕は、“今ここ”にいるだけだよ」

言葉のやりとりは軽やかで、どこか親しげだった。

続けて、奥に座っていた女性がふっと微笑んだ。

「変わりたい、と思ってる人は、案外この場所に引き寄せられるのよ。何かの“縁”で」

私は少し戸惑いながらも頷いた。その言葉に、なぜか涙が出そうになったから。

気がつくと、四人がさりげなく同じテーブルに集まっていた。

まるで、目には見えない糸が、私たちを静かに結びつけていたかのように。

第一章 ― 欲神足篇:結衣の願い ―

その夜、私は久しぶりに夢を見た。

水面に揺れる灯火が、暗い湖を照らしている。
その光に導かれるように、私は静かに歩いていた。けれど、どこか不安だった。
自分が何を求めているのか、わからなかったから。

目を覚ましたのは、午前四時。窓の外はまだ夜の名残を残し、街の音も遠かった。
私はベッドの中で、禅カフェ「静庵」で読んだ言葉を思い出していた。

「問うべきは、心が何を欲しているか」

問いかけは、まるで胸の奥に沈んでいた感情を浮かび上がらせるようだった。
私は今、何を本当に欲しているのだろう?

……答えは、すぐには出なかった。
けれど、確かなのは、今の自分が空っぽだということだった。
仕事はそこそこ順調。人間関係も表面上はうまくやっている。
でも、どこかでずっと無理をしていた。

「笑っていれば、うまくいく」
「期待される通りに動いていれば、嫌われない」
そんな“装い”ばかりに、私は心をすり減らしてきたのだ。

その日、私は勇気を出して、カウンセリングルームに電話をかけた。
静庵のカードにあった紹介欄を頼りにして。

電話口の優しい声に、思わず涙がこぼれそうになった。
「あの……自分が何をしたいのか、わからないんです。毎日が、からっぽで」

予約が取れたのは三日後。その間、私は静庵に通い続けた。
小さな抹茶碗を両手で包むようにしながら、自分の内側に火を灯すように、静かに問い続けた。

「わたしは、何を本当に望んでいるの?」

ある日、店主が私の前にまた短冊を置いた。
そこには、こう書かれていた。

「欲とは業火ではない。願いの源だ」

ハッとした。
私はずっと「欲しがること」そのものを悪いことだと思っていた。
でも、本当に深いところから湧いてくる願いは、
私を焦がす炎ではなく、歩き出すための灯火なのかもしれない。

そして私は、ようやく言葉にできた。

「変わりたい。ほんとうの自分で、生きてみたい」
「誰かの期待じゃなく、自分の願いで」

その瞬間、胸の奥に小さな火が灯ったのを感じた。
それは、迷いを照らす淡くて強い光――欲神足の炎だった。

私はそれを、これから守っていこうと思った。
どんなに小さくても、自分の願いを見失わないように。

第二章 ― 勤神足篇:誠、努力が生まれるとき ―

「……正直、何のために生きてるかわかんねぇよな」
煙草をふかしながら、俺はいつもの公園のベンチに座っていた。

仕事はしてる。だけど、やる気なんてない。
同僚ともうまくやれてないし、気がつけば昼も夜もスマホで動画を流し見して終わる。
それがいつから続いていたのか、もうわからない。

ある日、会社の先輩に誘われて、気乗りしないまま入ったのが「禅カフェ・静庵」だった。
静かな音楽と抹茶の香り。最初は場違いだと思ったが、不思議と落ち着いた。

テーブルに置かれた短冊には、こうあった。

「続ける者に、力は宿る」

「続ける……か」
俺は何かを“続けた”ことが、あっただろうか?

その週、静庵の店主に声をかけられた。
「もしよければ、朝坐禅に来てみませんか? 毎週水曜、六時からです」
正直、迷った。でも――何もない毎日が変わるかもしれない、そう思った。

そして水曜の朝。眠い目をこすりながら、初めて禅堂に入った。
ただ坐る。それだけのことが、こんなに難しいとは思わなかった。

雑念、足の痛み、退屈、不安……
だけど不思議と、終わったあと心がスッと軽くなった気がした。

その日から、俺は毎週水曜、坐禅に通うようになった。

最初は義務感だった。でも、だんだん変わっていった。
「今週も来れた」
「今週は少し長く坐れた」
自分を少しだけ、誇らしく思える瞬間があった。

気づけば、朝の目覚ましを10分早めて、坐る習慣ができていた。
スマホの使用時間は自然と減り、食事の味に気づくことが増えた。

ある朝、禅堂の掛け軸を見上げた。

「勤めてやまずば、道は必ず開かる」

ああ、そうか。
努力って、根性じゃない。
「小さな続ける」が、自分を変える力になるんだ。

以前の俺なら、3日でやめてた。でも今は違う。
心のどこかに、静かな火が灯っている。
それは、勤神足の火――続けることの力。

俺は思った。
「まだ遅くはない。今からでも、やれることがある」
不器用でも、少しずつでも。
俺はこの道を、歩いていこうと思った。

第三章 ― 心神足篇:瑛人、心を“今ここ”に置く練習 ―

スマホを見ていないと、不安になる。
LINEの既読、SNSの通知、動画の更新――何もなければ心がざわつく。

電車の中でも、寝る直前まで、画面をスクロールするのが癖だった。
だけどある日、ふと気づいた。

「自分の人生を、自分で生きてない気がする」

誰かの投稿、誰かの評価、誰かの意見。
それらに埋もれて、俺はどこにいるのか、わからなくなっていた。

そんなとき、職場の同僚から紹介されたのが、表参道の「禅カフェ・静庵」だった。
初めて入った日、店の奥で流れていた音楽が妙に心に染みた。
そのとき、短冊に書かれた一文が目に入る。

「心は、今ここにしか住めない」

え……? 「今ここ」って、そんなに難しいこと?
でもその言葉が、なぜか離れなかった。

それから、静庵の「呼吸の瞑想ワークショップ」に参加してみた。
椅子に腰掛け、背筋を伸ばし、目を閉じる。
ただ「吸って、吐いて」を感じる。

……それだけなのに、気が散ってばかりだった。

「あ、さっきのLINE、返してなかった」
「明日までにあの仕事やらなきゃ」
「お腹減ってきた……」

気づけば、全然「今」にいない。

だけど、講師の女性が静かに言った。

> 「今、気づいたことが大切なんです。
>  何度でも、“今”に戻ってくればいいんですよ」

その言葉に、少し救われた気がした。

それから、スマホを置いて、毎朝3分だけ呼吸を見る練習を始めた。
最初は短かった3分が、5分、10分と伸びていった。
「今、吸ってる」
「今、吐いてる」
ただそれを意識するだけで、不思議と心が落ち着いていく。

焦りや不安が訪れても、深呼吸を一つする。
「今、ここにいる」
そう繰り返すことで、心の居場所が戻ってくるようになった。

ある日、静庵で結衣さんと話した。
彼女もまた、自分の「本当の望み」と向き合っていた。
俺たちは、それぞれ違う道を歩いているけれど、どこかでつながっている気がした。

今では、通勤電車の中でさえ、目を閉じて数秒だけ“今”を感じられる。
スマホを見なくても、目の前にある世界がちゃんと見えるようになった。

「心神足」――心を、今に定める力。
それは、僕の中の静かな軸になりつつある。

未来への不安も、過去の後悔も、
この一呼吸ではなく、ただの思考に過ぎない。

僕は、今日も呼吸する。
今、ここで。心を込めて。

第四章 ― 観神足篇:凛、観る目を持つということ ―

 

幼いころから、私は「なぜ?」が口癖だった。
世界はどうしてこう在るのか。
人はなぜ争い、そして、なぜ愛するのか。

哲学の本を読みあさり、宗教書にも手を伸ばした。
けれど、どれほど言葉を集めても、
心の底から「わかった」と思えることはなかった。

――観る目が欲しい。
真理を、ただ見つめる目が。

そんなとき、表参道の小さな禅カフェ「静庵」に導かれるように足を運んだ。
そこには、沈黙の中で呼吸する人々がいた。
言葉を超えた「見つめる力」が、場の空気に静かに宿っていた。

私は、師と呼ばれる女性に問うた。
「真理とは何ですか?」

師はただ、湯呑みの茶を一口すすり、こう言った。

> 「“今、そう問いを立てた心”を、じっと観てごらんなさい」

……意味がすぐにはつかめなかった。
でも私は、その言葉にふとひっかかった。

観るべきは外の世界ではなく、**“問いを発する自分の心”**なのか?
それから、私は「観る」練習を始めた。
瞑想の中で、自分の思考がどこから来て、どこへ行くのかを追った。
怒りが湧いたとき、その中心に何があるのかを観察した。
喜びのときも、執着があるかどうかを静かに見つめた。

それは、鏡をのぞき込むような作業だった。
そしてある日、不意に気づいた。

「ああ、私はいつも“答え”ばかりを探して、
“問いを立てた心”を観ることを忘れていたんだ」

観神足――それは、ただ“観る”。
判断せず、比較せず、評価もせず。
そのままの心、そのままの現象を、まっすぐに見つめる力。

私はそれを、今ようやく学び始めたのだ。

ある晩、静庵の縁側で、瑛人くんと話す。
彼は呼吸に心を置くことで、ようやく自分の軸を感じ始めたという。
「観る」ことと「在る」こと――ふたつの道は、どこかで交わるのかもしれない。

月の光が、水面を静かに照らす。
その揺れを、私はただ見ている。
今は、それでいい。

真理は、言葉の奥にある。
それをつかもうと焦るほど、遠ざかっていく。

だから私は、ただ観る。
沈黙の中で、問いとともに在る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Aiに聞いみた。 ■ 阿含宗の基本教義と修行体系

Aiに聞いみた。

■ 阿含宗の基本教義と修行体系

阿含宗は、1978年に桐山靖雄師によって創立された仏教系の新宗教であり、教義の根本に「阿含経」を据えています。阿含経とは、釈迦在世当時の原始仏教の教えが比較的忠実に伝えられているとされる経典群のことです。

桐山師は、自らを「最勝金剛大阿闍梨耶」と称し、密教(特に金剛乗)や神道的要素、さらには霊的現象も取り入れつつ、釈尊の本来の教えを復興するという理念を掲げました。

■ 修行の三本柱

阿含宗における基本的な修行は、以下の「三つの修行」に整理されています。

① 仏舎利供養(ぶっしゃりくよう)

仏舎利(釈尊の聖なる遺骨)を礼拝・供養することによって、仏と心を結び、福徳と功徳を積む修行。

この供養を通じて現世的な運勢好転と、霊的成長(解脱)を目指す。

さらに以下の二つに分かれる:

■ 礼拝供養

真言行を中心とした祈りの修行。

特に「准胝尊観音真言(准胝仏母の真言)」をひたすら唱えることが強調される。

桐山師はこれを「運がよくなり、解脱に近づく修行」と明言し、「時間がある限り唱えるべき」と指導しました。

■ 奉仕修行

実際の労働や献身的行為(清掃、奉仕活動など)を通じて、謙虚さと功徳を積む修行。

自己中心性を打破し、他者への貢献によって心を清める行法。

② 先祖供養(せんぞくよう)

自身の先祖の霊を供養し、浄化し、成仏を願う修行。

桐山師は「先祖との霊的関係」が現世の運命に大きく関わると説いた。

特に盂蘭盆会(うらぼんえ)や春秋彼岸会などの時期には、大規模な先祖供養が行われる。

③ 心解脱行(しんげだつぎょう)

内面的な煩悩・執着を超えて、悟りに近づくための精神修養。

瞑想や観想(観音の姿を心に思い描く行)を含み、日常の言動を戒めとして清めていく。

仏教的倫理(五戒・八正道など)に基づき、行動と心を調える。

■ 准胝尊観音真言の意義

阿含宗では特に重視される真言のひとつが、准胝尊(じゅんていそん)観音の真言です。

真言の表記:

「のうば さったなん さんみゃくさんぼだくちなん たにゃた おん しゃれい しゅれい じゅんてい そわか」

これは梵語の以下の内容を音写したものです。

Namaḥ sattānāṃ samyak-saṃbuddha-koṭīnām | Tadyathā | Oṃ cale cule Cundī svāhā

意味:

「無数の正覚を得た仏陀たちに帰依し、准胝仏母に帰命し、功徳と加護を願います」

この真言には、「七億仏の功徳を集めた観音の真言」とされる伝承があり、悪因縁を浄化し、障難を除く力があるとされます。

阿含宗における実践方法:

1日に数百回〜千回以上を目標に唱える。

専修念仏のように、「ひたすら唱えること」が重要視され、心が散漫でもまずは唱えることで功徳が積まれるとされる。

唱える際には仏壇の前、あるいは心を静かに保てる場所で行う。

■ 阿含宗の特徴と他宗派との違い

項目阿含宗他の仏教宗派との違い根本経典阿含経(原始仏教)多くの宗派は大乗経典を重視修行の形真言念誦+先祖供養+奉仕禅宗は坐禅、浄土宗は念仏など教祖の位置開祖は自らを「覚者」と定義伝統仏教では祖師を尊重するが仏陀の代行ではない神秘的要素霊的現象・予言・加持祈祷などを積極的に導入多くの伝統宗派ではそうした要素を限定的に扱う

■ まとめ

阿含宗における修行は、極めて実践的かつ霊的成果を重視する傾向があります。とくに、以下の点が強調されます:

仏舎利への供養を通じて、仏との霊的縁を結ぶ。

准胝尊の真言を繰り返し唱えることで、現世的な開運と霊的解脱を同時に目指す。

先祖供養と奉仕行によって業因縁を浄化し、心を清める。

修行とは単に座禅や学問ではなく、行動・唱念・信仰の統合された生活実践である。

ご希望があれば、この修行体系に基づく実践方法(例:1日の修行スケジュールモデルや、自宅でできる准胝真言の唱え方)なども具体的にご案内できます。お気軽にどうぞ。

✅ 阿含宗における「1日の修行スケジュールモデル」

これは、信者の中でも真摯に修行に取り組む方を想定した一例です。無理のない範囲で取り入れてください。

🌅 早朝(5:30~7:00)

【1】起床・沐浴・身支度(清浄)

仏前に立つ前に身を清める(洗顔・沐浴など)

心身の穢れを祓い、「法を受ける準備」を整える

【2】朝の礼拝供養(約30〜45分)

仏壇や舎利奉安壇に向かい、以下を実践

三帰依文(仏・法・僧に帰依)

開祖・靖雄大覚尊への感謝と祈念

准胝尊観音真言の念誦(108回以上)

ご先祖への供養の一念

※本尊が准胝観音像であれば、蝋燭・線香・供花などを用意すると理想的

☀️ 午前中(仕事・学業の前後)

【3】心解脱行(生活の中の修行)

日常生活の中で「五戒」や「八正道」に基づいた行動を意識

「今ここ」を見つめる気づきの修行(例:正念)

他者への思いやり、奉仕の姿勢を日常に活かす

🌇 夕方~夜(18:00~21:00)

【4】夕べの修行(30分~1時間)

一日の行動を静かに振り返る(反省・懺悔・感謝)

再び准胝尊観音真言を念誦(例:54回~108回以上)

時間が許せば300回、500回、1000回と増やすことも可能

念誦カウンター(数取器)などを用いると便利

過去世・先祖・因縁の浄化と、解脱・悟りへの誓願を込めて唱える

🌙 就寝前(22:00頃)

【5】静坐瞑想・感謝の念

短時間でも座して心を整える(3分〜15分程度)

一日を仏に感謝し、深い安心のなかで就寝

✅ 自宅でできる「准胝尊観音真言」の唱え方(実践編)

🔸1. 環境の整え方

仏壇または小さな祭壇(なければ机でも可)に、

清水・供花・線香・灯明(ろうそく)を準備

准胝仏母像、観音像、または桐山靖雄師の写真があれば拝顔

🔸2. 真言の正しい読み方

のうば さったなん さんみゃく さんぼだくちなん たにゃた おん しゃれい しゅれい じゅんてい そわか

※「のうば(南無)」「さったなん(三世の菩薩たち)」などを一語一語大切に唱えます。

🔸3. 念誦の方法

方法詳細声に出して唱える音声が届くことで場が清まるとされる(唱える場が祈りの道場になる)念珠(数珠)を使う1珠=1回として、108珠で1セット。集中力の補助になる心で唱える夜遅い時間や移動中でも行える。心静かに集中できる人向け

🔸4. 念誦数と時間の目安(初心者~上級者)

レベル目安の回数時間(目安)初心者108回約10~15分中級者300回約30分前後上級者500~1000回以上1時間〜

※最重要は「回数よりも、心を込めること」と桐山師は強調されています。

✅ 実践の心構え

准胝真言の念誦は“現世利益”と“解脱”の両輪。

桐山師は「念誦は専修念仏の如く」と説き、心が散っていても続けることが大切だと指導されました。

続ける中で、徐々に心が静まり、願いと祈りが深まります。

✨おわりに

阿含宗における修行は、日々の生活と深く結びついています。「朝の清らかな祈り」「日中の正しい行動」「夜の静かな省察」を柱に、准胝尊の真言を日々の拠り所とすることが、仏との縁を強め、内なる光明への道を開くことにつながります。

 

四正断法

四正断法

旧訳では四正勤という。断断・律儀断・随護断・修断の四つの修行。

断断=いま現に起こっている悪を断じてなくするようにはげむ修行。幾

度も断ずることをくりかえす。

修 断=まだ起こっていない悪に対して、今後起きないように努力する修行。

随護断=いますでに存在している善はこれをますます増大させるようにと努力する修行。

律儀断=まだ存在しない善に対して、これを得るように努力する修行。

光の道をゆく者 ― 四つの誓い

深い森の奥、霧が立ち込める小道を、一人の行者が歩んでいた。名は蒼蓮。心に闇を抱えながらも、悟りへの道を求めて旅を続ける若き修行者だった。

ある日、彼は古びた庵に住む老人と出会った。白髪のその男は、かつて王国に仕えた賢者であり、今はただ「無名の師」と呼ばれていた。

「そなた、真に光を求めるか?」
師の問いに、蒼蓮は静かにうなずいた。

「ならば、四つの剣を授けよう。これらを携え、己が心を斬り続けよ」

第一の剣断断の剣。
「すでに心に芽生えた悪を断つ剣だ。怒り、妬み、迷い――これらが現れたとき、何度でも斬り捨てよ。たとえ立ち返ろうとも、決して手を緩めるな」

第二章 断断の剣、闇を裂く

蒼蓮は山を越え、谷を渡り、荒れ地にたどり着いた。そこには、かつて人々が繁栄して暮らしていたという村の廃墟があった。瓦礫の間には、今もなお怒りと怨嗟の声が澱のように漂っていた。

夜、野営の焚き火の前で、蒼蓮の心にふと怒りの念が浮かんだ。過去の屈辱、裏切られた記憶、抑えてきた憤りが、まるで焚き火の火種をあおるように燃え上がる。

「なぜ、自分ばかりが苦しまねばならぬのか……」

その瞬間、彼の背に冷たい風が吹いた。無名の師の声が、かすかに風にまぎれて届く。

――すでに生じた悪を断て。怒りは、己の光を覆い隠す黒雲なり。

蒼蓮は目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整えた。そして、心の中に立ち上がる怒りの幻影に向かって、心の剣を振るった。

「これもまた、幻影に過ぎぬ。」

何度も何度も、怒りがよみがえってくる。だがそのたび光の道をゆく者 ― 四つの誓い

深い森の奥、霧が立ち込める小道を、一人の行者が歩んでいた。名は蒼蓮。心に闇を抱えながらも、悟りへの道を求めて旅を続ける若き修行者だった。

ある日、彼は古びた庵に住む老人と出会った。白髪のその男は、かつて王国に仕えた賢者であり、今はただ「無名の師」と呼ばれていた。

「そなた、真に光を求めるか?」
師の問いに、蒼蓮は静かにうなずいた。

「ならば、四つの剣を授けよう。これらを携え、己が心を斬り続けよ」

第一の剣は断断の剣。
「すでに心に芽生えた悪を断つ剣だ。怒り、妬み、迷い――これらが現れたとき、何度でも斬り捨てよ。たとえ立ち返ろうとも、決して手を緩めるな」

、蒼蓮は剣を抜き、静かに斬り伏せた。怒りを退けるというより、それを見つめ、執着を断ち、手放す修行だった。

やがて、夜が明ける。焚き火は消えていたが、蒼蓮の心の中には、一筋の光が差していた。

「これが……断断の剣か」

彼はつぶやき、再び歩き出す。

第三章 修断の剣、未来を護る

山を下りた蒼蓮は、静かな湖畔の村に立ち寄った。水面は鏡のように澄み、遠くで子どもたちの笑い声が響く、穏やかな場所だった。だが、村の人々の目はどこか怯えていた。

「近くの森に、夜になると魔が現れる」と、老婆が語った。「まだ被害はないが、何かが忍び寄っている。皆、心の奥で不安に怯えておるよ」

蒼蓮は、村の静寂の中に潜む影を感じ取った。人の心に忍び寄る「まだ起こっていない悪」――それは恐れであり、油断であり、慢心でもある。

その夜、蒼蓮は森の入り口に一人、座して静かに心を整えた。焚き火も灯さず、ただ瞑目し、心に生まれようとするものを観察した。

ふと、不意に湧き上がったのは、「この村を守るべきか、立ち去るべきか」という迷い。自己保身の声、正義を装った偽りの思考――そうしたものが、芽を出す前の悪として、心の底でうごめいていた。

彼はそれに気づき、剣を抜いた。
修断の剣――それは、まだ形をとらぬ悪を断ち、未来を護る剣。

「恐れが芽生える前に、信を立てる」
「慢心が芽生える前に、謙虚を学ぶ」
「偽りが芽生える前に、真実を守る」

心に生まれかけた影を、ひとつずつ斬り払うたびに、夜の森は静まり返っていった。

やがて、東の空にわずかな光が差し込む。村に魔は現れなかった。だがそれは、剣で退けたのではなく、蒼蓮の内なる修断によって、未然に消えていたのだ。

翌朝、村人たちは何も知らぬまま、子どもたちと湖辺で遊んでいた。
蒼蓮は静かに村を去った。その背に、誰も気づかなかったが、彼の心には確かに一つの守りが築かれていた。

第四章 随護断の剣、善を育む灯

旅の途中、蒼蓮は一つの僧院に立ち寄った。山間にひっそりと佇むその場所は、草木に包まれ、風が静かに通り過ぎてゆくような、清らかな気の満ちた場所だった。

僧院では、十数人の若き修行僧たちが日々の勤行と学びに励んでいた。彼らは蒼蓮を温かく迎え入れ、共に座禅を組み、経を唱えた。

ある日、蒼蓮は年若い僧のひとり、明真(みょうしん)という少年と話をした。明真は、かつて家族を戦で失い、心に深い傷を負いながらも、今は静かに仏の道を歩もうとしていた。

「私はまだ、怒りを抱えているのです」と明真は言った。「でも、ここに来てから、少しずつ人を許す気持ちが芽生えたような気がするのです」

その言葉を聞いたとき、蒼蓮の心にひとつの剣が共鳴した。
随護断の剣――すでに芽生えた善を、育て、護り、燃やし続けるための剣。

蒼蓮は語りかけた。
「善は小さき火。風が吹けば消え、放っておけばやがて尽きる。だが、手を添え、囲い、灯し続ければ、闇を照らす灯明となる」

それからの数日、蒼蓮は明真と共に草を刈り、経を学び、夜は火を囲んで語り合った。怒りが再び胸を刺すたびに、明真はその感情を見つめ、言葉にし、涙を流した。

蒼蓮は黙って寄り添った。ただ、明真の中にある善の芽が、消えぬよう、折れぬように。

ある朝、明真は蒼蓮に頭を下げて言った。
「私は、人を赦せるようになりたい。善を、もっと大きく育てていきたい」

蒼蓮は頷いた。明真の中にあった善は、確かに育っていた。そしてそれは、自分の中の灯ともなっていた。

別れの時、蒼蓮は一枚の葉に言葉を刻んで明真に渡した。

「心にある善を、火のように守れ。
灯を継ぐ者は、いつか闇を照らす者となる」

彼はまたひとつ剣を強く握りしめ、次の旅路へと歩き出した。

第五章 律儀断の剣、未だ来ぬ光を求めて

冬の訪れが近づくころ、蒼蓮は北の地に向かっていた。雪雲が空を覆い、大地は凍てつき、草木は眠る。人々の往来も絶え、ただ白と灰だけが世界を塗りつぶしていた。

その地には、かつて偉大な修行者がいたという。彼は生涯をかけて慈悲を育て、智恵を求め続けたが、何一つ得られぬまま世を去ったと伝えられる。

「得られぬ努力は、無であるか」

蒼蓮は問いかけるように風の中を歩いた。

旅の途中、蒼蓮は一つの僧院に立ち寄った。山間にひっそりと佇むその場所は、草木に包まれ、風が静かに通り過ぎてゆくような、清らかな気の満ちた場所だった。

 

芽生えていない善がある。大慈、大悲、大智、大願――それらは未だ心に根を張ってはいない。だが、心のどこかで、それらを求める渇きが確かに燃えていた。

凍てつく野原で一人、彼は座した。寒さが骨を刺し、風が肌を裂くように吹く。だが彼は静かに目を閉じ、己の中に「まだ存在していない善」を求めた。

律儀断の剣――それは、未だ芽吹かぬ善を志し、歩み、得ようとする剣。

「たとえ今、慈悲を持たずとも、慈悲を求めよう」
「たとえ今、智恵を持たずとも、智恵に憧れよう」
「たとえ今、力を持たずとも、力を備える者となろう」

彼は手を合わせた。それは空を打つ祈りではなかった。確かな志として、未来に剣を立てる誓願だった。

やがて、雪が降り始めた。白く静かな空から、ひとひらの雪が蒼蓮の掌に舞い落ちる。それは、まだ訪れていない春の予兆だった。

彼は立ち上がった。歩みはゆっくりと、だが確かだった。

すでにある善は守り、今ある悪は断ち、来るべき悪を防ぎ、未だ見ぬ善を求める。

それが、彼が受け継いだ四つの剣――四正断の道であった。

終章 そして光は、歩む者の中に

その後、蒼蓮がどこへ向かったのかを知る者は少ない。だが、時おり語られる。

「かつて、一人の修行者が雪原を歩いた。彼の足跡には、光が宿っていたと」

そう、人々は語り継ぐ。光とは、どこかにあるものではなく、求め、守り、断ち、願う者の内にこそ生まれるのだと――。