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七覚支編 序章 闇より囁く声 五力――信、精進

七覚支編

序章 闇より囁く声

五力――信、精進、念、定、慧。
その力をひとつずつ、自らの心に確かに植えつけた者たちがいた。

漣 真輝は、日々の介護の現場において、その五つの力を揺るがぬ灯火として心に宿し、もはや「失敗への恐れ」に囚われることはなかった。
柚季の言葉は、彼にとって「信」の種となり、そして自らの一歩が「精進」の花を咲かせた。
心は今、「道の完成」へと向かっている――七つの覚支の修行へ。

しかし、その歩みを見つめる者がいた。
暗き想念のなかで生まれ、信を嘲り、進む者の足元に疑いを蒔く存在。
それは、「疑念を糧とする者たち」。

彼らは姿を持たない。
囁きとなり、問いとなり、時には愛する者の顔を借りて語りかける。
「その覚りは本物か?」
「お前の精進は、誰のためのものか?」
「お前の“慧”は、ただの思い込みではないのか?」

真輝は気づかぬうちに、自らの心の中に新たな影を抱き始めていた。
その影は、やがて「念」の修行に試練をもたらし、「定」を揺るがし、「慧」を濁らせる。

だが、それこそが――
七覚支の第一の関門であった。

 

第一章 念

真輝は、職場や日常の中で、ふとした瞬間に「雑念」や「迷い」が頭をもたげるのを感じ始める。

以前のような動揺はないが、どこか心が浅く、表面的な集中にとどまっていると気づく。

ある日、柚季が「お兄ちゃん、今日ちょっと違うね」と言う。彼女は真輝の心の微細な乱れを感じ取っていた。

師である慧道は、真輝に「念とは、ただ今にあることではない」と語る。
「今にあることを知りつつ、そこに慈しみと智慧を灯す。そうして初めて“覚支”としての念になるのだ」と。

真輝は、自らの「念」が観察に留まり、真の気づきと慈しみを伴っていないことに気づく。

その矢先、職場でのある出来事――
認知症の高齢者に対して同僚が怒りを露わにする現場に立ち会う。
真輝の中に、「あの人は間違っている」という正義感が湧くが、その心に闇の囁きが入り込む。
――「お前も、本当はイライラしているんだろう?」

真輝は立ち止まり、自らの心を深く観る。「今、私は本当にどう在りたいのか?」
その問いの中で、彼の「念」が、ただの集中から「目覚めの力」へと深化していく。

このように、「念」の章では“外からの揺さぶり”と“内なる観照”を通じて、「気づき」の本質に迫る展開が可能です。

第二章 択法覚支

静かな夜だった。
施設の夜勤を終えた帰り道、真輝はどこか引っかかるような思いを抱えていた。
職場では、新しいケア方針を巡ってスタッフ間に対立が生じていた。

一人のスタッフが言った。
「もっと機械的にやったほうが効率的だ。心なんて入れてたら、回らない」
別のスタッフが反論した。
「でもそれじゃ、人を人として扱ってるとは言えない」

どちらの言葉も、真理に一部は触れているようで、どこかで決定的に何かが欠けていた。

――私は、どちらを選ぶべきなのか?
――いや、それとも別の選択があるのか?

真輝の内で、再び“あの囁き”が蘇る。

「正しいかどうかなんて、結局わからない」
「“道”なんて、誰かの幻想かもしれない」

その声は、今度はより理性的で、もっともらしい姿で語りかけてくる。
「あなたの思いやりは、結局“自己満足”ではないのか?」
「本当に“相手のため”だと思っているのか?」

かつて抱えていた恐れとは違う、もっと冷たい疑念。
それは、五力では打ち消せない種類の問いだった。

その夜、真輝は慧道のもとを訪ねた。
闇の囁きをそのまま語ったとき、慧道はしばらく沈黙し、やがて静かに口を開いた。

「それでよい。疑いを持て。だが、“自分の願い”にまで疑いを向けるな」
「正しい法とは、正しい情報ではない。“正しい選び”のことだ。
その選びが、怒りから出たか、恐れから出たか、慈しみから出たか――
それを見極める目こそ、択法覚支の目である」

真輝は、はっと息をのんだ。
彼の心にずっと残っていた問い――
「何が正しいか」ではなく、「どう選ぶか」が道を開く鍵だった。

そして、その選びの基準はただ一つ。
慈しみから出たかどうか。

翌日、職場でのスタッフ会議。
真輝は発言した。
「効率も大事です。人として接することも大事です。でも、僕は“その人の孤独を少しでも和らげたい”と思って動きたい。
それが遠回りでも、それが僕の選びです」

それは反論ではなかった。
ただ、静かな選択の宣言だった。

そのとき、闇の囁きは聞こえなかった。
真輝の中に、静かに根を張る「択法覚支」の光があった。

 

第三章 精進覚支

雨が降っていた。
朝から冷たい小雨が降り続くその日、施設の一角では入居者の一人・田辺さんの容態が急変していた。

食事を拒み、言葉も少なくなった彼の姿に、看護師たちは医療的対応を協議し始めていたが――
真輝は、ふと立ち止まり、彼の目をじっと見つめた。

「田辺さん……何か、伝えたいことはありますか?」

わずかに震える唇が動いた。
「……もう、がんばりたくない」

その声は、誰にも聞こえないほど小さかった。
けれど、確かにその言葉は、真輝の胸に届いた。

その夜、施設の責任者から「延命治療の同意を家族から取ってほしい」と指示が下る。
だが真輝の中では、揺れが起きていた。

――自分の中の“選び”を、信じきれているか?
――あの人の心に、もっと深く寄り添える余地があったのではないか?

ここで“精進”とは、ただ熱心に働くことではない。
迷いがありながらも、選び抜いた「慈しみの実践」を貫き続けること。

慧道の言葉が蘇る。
「道を見極める者に問われるのは、“後戻りしない勇気”だ。
進みながら疑い、働きながら揺れる――そのなかで、“なお歩む”力こそが精進なのだ」

次の日も、真輝は田辺さんのそばに座り続けた。
言葉ではなく、ただその沈黙と呼吸に耳を澄ませた。
数日後、田辺さんがふと呟いた。

「ありがとう……もう少しだけ、いてもいいかな」

涙がにじんだ。
それは病が癒えたということではなく、「生きることへの意志」がかすかに戻ってきたということだった。

職場には依然として、忙しさや方針の違いが渦巻いていた。
真輝もまた、日々疲れ果てることがある。

けれど、ふとした瞬間に思い出す。
田辺さんの「もう少しだけ」という言葉を。

それは、真輝自身にも向けられた“精進”の言葉だった。
――もう少しだけ、歩いてみよう。
そう心に灯すたび、彼の中の「精進覚支」は、静かに力を増していった。

第四章 喜覚支

季節は春に移りつつあった。
冷えた空気が緩み、施設の庭先にも小さな花が咲き始めていた。

ある日、真輝はふと立ち止まった。
見慣れた庭に、小さな変化があったのだ。

――田辺さんが、外に出たいと願ったのは初めてだった。

車椅子を押しながら、真輝は小さな沈黙を共有していた。
風が吹き、鳥が鳴く。
何の特別さもない瞬間が、胸の奥を満たしていく。

「ここ、いいね」
田辺さんがつぶやいた。
それは、どこか遠い記憶をなぞるような穏やかな声だった。

その瞬間、真輝の内に何かが灯った。
強くではない。
けれど確かに、あたたかく、柔らかな光だった。

「……ああ、自分は、今、道の上にいる」

その実感だった。
報酬でも、評価でもない。
正解かどうかもわからない。

ただ、自分が歩んできたこの小さな選択の積み重ねが、
誰かの“生きていてよかった”という瞬間に寄り添えている。

そのことが、言葉では言い表せない深い喜びとなって、
真輝の胸の奥にじんわりと広がっていった。

その夜、慧道に報告する。

「今日、初めて“喜び”というものが、力になるんだとわかりました」

慧道は頷く。
「よい。喜びとは、苦から逃れるための慰めではない。
苦の中に灯る“意味”へのまなざしだ。
それを得た者は、闇の囁きに飲まれぬ」

その言葉通りだった。
“疑念を糧とする者たち”は、歓喜の光には手を伸ばせない。
なぜなら、喜びとは「確証」ではなく、「実感」だからだ。

それは他人が否定できるものではなく、
ただ、内から滲み出る「道の証」だった。

こうして真輝の中に、第四の支え――喜覚支が芽生えていった。
その光は、次の試練を照らすために、確かに育ちつつあった。

 

第五章 軽安覚支

春の日差しが柔らかく施設を照らしていた。
真輝は、以前よりも忙しい日々を送っていた。
入居者の看取り、介護記録の整理、新人職員の教育――
日々の仕事は次々と押し寄せ、終わることがなかった。

けれど、ふと気づく。

――以前なら、この忙しさに押し潰されそうになっていたはずだ。
――でも今、自分は、心が澄んでいる。

感情が消えたわけではない。
重さを感じないわけでもない。

ただ、「抵抗」していない。
この仕事も、この瞬間も、誰かの苦しみも、
そのままの姿で受け止めている――そんな実感だった。

ある日、新人の職員が慌てた様子で駆け込んできた。
「すみません、また同じミスを……! 本当に、向いてないかもしれません」

かつての真輝なら、なんと声をかけるか悩んだだろう。
でもこのとき、自然と口をついて出た言葉があった。

「僕も、ずっと怖かったんです。
でも、怖いときは深呼吸して、いったん空を見上げてみてください。
そのうえで、もう一歩だけ前に進めば、それで十分です」

その瞬間、新人の目にわずかな笑みが戻った。
“教える”というより、“寄り添う”。
“正しさ”ではなく、“軽さ”が場を変えたのだ。

その夜、真輝は思った。
――あの時、自分の中に“軽安”があったから、重い心を引き受けずに済んだのかもしれない。

慧道がかつて語ったことを思い出す。
「苦を受け止めながら、なお軽やかに生きる者がいる。
その者の歩みは、風のように自由で、波のように柔らかい。
それを“軽安”というのだ」

真輝はその言葉の意味を、実感として知っていた。
そしてその“軽さ”は、彼の身体にも変化をもたらしていた。

夜勤明けの身体に感じていた重だるさが、最近ではほとんどない。
肩の力が抜けている。
まるで、身体そのものが「余計な重荷」を手放し始めたかのようだった。

そう、軽安とは、心が身体を変える力でもあった。
“道を歩む”ということは、苦行ではない。
それは、余計なものを一つずつ脱ぎながら、
本来の身軽さを取り戻していく旅だったのだ。

そのとき、真輝の背後にひとひらの風が通り抜けた。
ふと見上げた空に、白い雲がゆっくりと流れていく。
心のなかに、静かでやさしい風が吹いていた。

それは、第五の支え――軽安覚支がもたらした風だった。

 

第六章 定覚支

夜勤明けの施設は、まだ静けさに包まれていた。
夜のあいだ、呼吸の乱れを見せていた入居者の方が、朝になって穏やかな表情を取り戻していた。

真輝は、一つ深く息を吸った。
そして気づく――この静けさは、周囲の“音がない”というだけではない。
自分の中が静かであるという感覚だった。

目の前の出来事が、良いとか悪いとかに左右されない。
ただ、起きていることを、起きているままに受け入れている。

それは冷たい無関心ではなく、
温かく、けれど波立たないまなざしだった。

ふと、慧道が以前語ったことを思い出す。

「定とは、心の湖が風にさざなみ一つ立てず、
ただ真っ直ぐに月を映すようなものだ。
そこには“判断”も“欲”もない。
ただ、在るべきものが在る――その静けさだ」

その日、施設に一報が入った。
田辺さんが転院先の病院で息を引き取られたという報せだった。

電話を受けたあと、真輝はしばし無言のまま立ち尽くした。
深い悲しみが、そっと胸に差し込んでくる。
けれど、その感情の波に呑まれることはなかった。

――そうか。あの人は、今、苦しみから離れている。
――僕が感じているこの悲しみも、慈しみの証なのだ。

それは冷静さではなく、深い受容だった。
善悪も損得も超えたところで、心が定まっていた。

夜、ひとりで空を見上げる。
月がまっすぐに浮かび、雲ひとつない夜空に静かに光っている。

「田辺さん……どうか、安らかに」

その言葉は祈りというより、静かな“送り”だった。
言葉の後に、何も残らなかった。
ただ、心の奥に澄みきった水面のようなものがあった。

誰かに褒められることもない。
報われるとも限らない。
でも、確かにここにあるこの静けさこそが、
自分が“道の上”にいるという確かな証明だった。

こうして真輝の内に、
第六の支え――定覚支が根を下ろしていった。

その心は、揺れず、争わず、
ただあらゆる命を包み込む「場」へと変わり始めていた。

 

第七章 捨覚支

柚季は、今日も病室で静かに横たわっていた。
一時は快方に向かっていたが、再び病状は悪化していた。
真輝は、心を整えてから病室に入った。

柚季はかすかに目を開け、声をかけた。
「……今日は、空を見た?」

「うん。風が気持ちよかったよ。雲がすごく高くて、まるで全部、許してくれてるみたいだった」

柚季はうっすらと笑い、そっと目を閉じる。
生きることの苦しさも、かすかな希望も、
すべてが薄紙のように透き通っていた。

真輝の心に、一つの思いが浮かんでいた。
――この子の命を救いたい。
――でも同時に、この子の「今」を壊したくない。

その矛盾を抱えたまま、彼はそっと手を握った。
だがそのとき、ふと気づいた。
「助けたい」という思いの裏にある“焦り”や“結果への執着”を――。

「……僕ね、ずっと答えを出そうとしてた。
なにが正しいのか、なにをすべきなのか。
でも今日、わかった気がするよ。
“答えがなくても、一緒にいる”ってことが、
たぶん、いちばん大切なんだって」

その瞬間、真輝の心の奥で、何かがふっとほどけた。
「この子をどうにかしなければならない」
「自分が支えにならなければならない」――

そうした“役割”や“責任”といった重さから、
自然と心が離れていった。

それでも、愛はそこに残った。

ただ、彼女といる。
今この一瞬に、すべてが満ちている。
何かを得るでもなく、失うでもなく、
ただ、共にいることが「仏の眼差し」そのものだった。

そのとき、柚季がささやいた。

「ねえ……“今ここ”って、たまに、すごく綺麗だよね」

真輝はうなずいた。
「うん……ほんとうに、そうだね」

彼の中には、波立つものがなかった。
悲しみもある。希望もある。
けれど、どちらにも偏らず、心は静かだった。

この心こそが、**捨(うつ)**だった。

「捨」とは、感情を捨て去ることではない。
欲望や恐れを手放したうえで、
すべてを平等に見つめ、静かに寄り添える心である。

――念があった。
――法を選び、精進し、喜び、軽やかになり、心を定めてきた。
そのすべてが、ここに溶けている。

そして今、
真輝の心はただ、柚季と一つの時を共有していた。

そこには、目的も結論もなかった。
けれど、これ以上に“完成された一瞬”はなかった。

それが、第七の支え――捨覚支だった。

七覚支を得たとき、
人ははじめて「道が完成した」と言える。
しかしその道は、新たな始まりへの門でもある。

 

 

 

 

 

 

 

五力編 『魂の灯火 ~四つの道を歩む者たち~』 第三部:五力編

五力編

 

『魂の灯火 ~四つの道を歩む者たち~』

第三部:五力編

序章「揺るがぬ力の在処」

夜明け前の都市――まだ陽が昇りきらぬ灰色の空の下、静寂を裂くように一人の青年が走っていた。

その名は漣 真輝(さざなみ まさき)。かつて深い迷いに沈んでいたが、「念」を礎に再生の道を歩みはじめた一人だ。だが、目覚めた意識を日々の荒波の中で保つことは容易ではない。

ビルの谷間をすり抜け、人気のない公園にたどり着いた真輝は、ベンチに座り込むと、自問するように目を閉じた。

「この道を歩む力は、本当に私の中にあるのか……?」

そこにふと現れたのは、和服姿の小柄な老人だった。名を**安慧(あんね)**という。真輝がかつて出会った導師、蓮真の師であり、老いてなお鋭いまなざしの奥に静かな慈悲を宿している。

安慧は、真輝の問いに答えることなく、そっと問い返した。

「その問いを抱えて、なお歩む者にこそ、五つの力は宿る。そなたは、それを確かめに来たのだろう?」

真輝は黙ってうなずいた。

こうして、五つの力――信・精進・念・定・慧――を深く体得する旅が始まる。

 

第二章「精進 ― 越えゆくもの」

朝の光が、静かにカーテンの隙間から差し込んでいた。
漣 真輝は、目覚ましよりも早く目を覚まし、枕元の時計をぼんやりと見つめた。

午前5時45分。

起き上がるにはまだ少し早いが、横になっていても昨日のことが脳裏をよぎるばかりだった。

――利用者の一人、山崎さんが転倒した。

ほんの一瞬、真輝の気が逸れた隙だった。声をかけようとしたときには、彼女の体が床へと傾いていた。

「あなた、見てなかったの?」と、同僚から鋭く言われた声が胸に残っている。

何度も頭の中で繰り返された場面。
どこで止められた? どうして声をかけなかった? そもそも、俺は……。

「また、失敗した……」

その言葉が、真輝の心の底に染みついていた。

職場での朝礼はいつもどおりに始まったが、真輝の耳にはほとんど入ってこなかった。
目の前にいる利用者一人ひとりの顔を見るたびに、あの日の失敗が蘇る。

「精進、か……」

真輝は、昨日読んだ安慧の書き記した言葉を思い出していた。

《精進とは、過ちを悔やみ続けることではなく、過ちを抱えたまま進むことだ》

それは、柚季と安慧に出会った夜に贈られた言葉でもあった。

その日の帰り道。
職場を出た真輝の足は、なぜか自然と柚季の家へと向かっていた。

柚季の母親・遥子は、驚いたように出迎えたが、真輝を見るとすぐに笑って言った。

「また夢を見たらしいのよ。お坊さんが、“次は火をくぐれ”って言ったんだって」

柚季は廊下でぺたぺたと足音を立てながら現れた。

「“火をくぐる”って、なに? 燃えない?」

「それは……燃えるかもしれないな。でも、焦げた分だけ、強くなるかも」

そう答えた真輝の声には、どこか本気の響きがあった。

「お兄ちゃん、きっとまた立ち上がれるよ」

柚季が何気なく言ったその言葉が、真輝の胸の奥に、ゆっくりと沈んでいった。

翌朝。
真輝は、前夜に何度も反芻した言葉と共に、利用者の前に立っていた。

「……山崎さん、おはようございます。今日は、どうですか?」

山崎は、無言だった。表情にはまだ不安の影があった。
だが、真輝は静かに微笑んだ。逃げずに、そこにいることを選んだ。

――過ちを抱えたまま、それでも向き合い続ける。

――それが、精進。

「今日は手を、しっかりお支えしますね」

真輝の掌が、山崎の手を包んだとき、彼女の顔にふと、微かな笑みが戻った。

その夜、真輝は一人でノートにこう記した。

《火は怖い。失敗も、怖い。でも、燃えることを恐れて何もせずにいたら――、心は凍えてしまう》
《だから、今日も一歩だけ、火の中へ足を踏み出してみた》

 

第三章「念 ― 今ここを歩む」

カップに注がれた温かいお茶から、湯気がゆっくりと立ち上っていた。

漣 真輝は、職場の休憩室でその湯気を見つめていた。
時間にしてわずか5分の小休憩。それでも、彼にとっては大切な「間(ま)」だった。

「心が、今ここにあるか?」

安慧から教えられた問い。それを胸に刻んでから、真輝は一日に何度も立ち止まるようにしていた。

仕事は、介護という名の連続した“対応”である。
認知症の利用者の急な言動。転倒の危険。食事の介助、排泄の見守り。
職員間の連携もまた、注意が必要だ。焦りや苛立ちが、すぐに現場に影を落とす。

「“今”にいないと、心がすぐに引き裂かれる」

それを痛いほど感じたのは、ある日の午後だった。

その日、真輝は思考を巡らせすぎていた。

「あの時、山崎さんが転倒したのは――」
「昨日のあの職員の指示、ズレてたかもしれない」
「明日の研修、間に合うように記録をまとめなきゃ」

意識が“過去”と“未来”にばかり向かっていたその瞬間――
小柄な女性利用者が、立ち上がろうとしたのを見逃
支えようとした時には、彼女はすでに体を傾けかけていた。

幸い大事には至らなかったが、真輝はその夜、深く自分を責めた。

翌朝、真輝はふたたび安慧庵を訪れた。

「念とは何ですか……?」

そう問うと、安慧は何も言わず、一枚の紙と筆を差し出した。

「ここに、“今、ここ”と書いてみよ」

真輝は筆を持ち、「今、ここ」と書き記した。

「では、それを見つめながら、今の自分の呼吸を感じてみよ」

言われるままに呼吸に意識を向けると、不思議なほど胸が静まり、心が身体に戻ってくるのを感じた。

「“念”とは、“今・ここに・在る”という智慧だ。
人は多くの時間を、“いま”を通り過ぎて彷徨っておる。だが、道は“いま”の足元にしかない」

その言葉が、真輝の心の中心に刻まれた。

その日から、真輝は仕事の合間にそっと深呼吸するようになった。
利用者の目を見るとき、手を添えるとき、「いまここにいます」と心で唱える。

――目の前にいる人に、心を届けるために。
――過去にも未来にも逃げないで、いまを生きるために。

ある日、柚季がふらりと職場の玄関前に現れた。母親の遥子が近くで買い物している間だという。

「お兄ちゃん、いる?」

「……今、ちょっとだけね」

玄関前のベンチに二人で並んで座った。
沈黙のあと、柚季がふとつぶやいた。

「“今ここ”って、難しいね。すぐ、どっか行っちゃう」

「うん。でも、気づいたら、また戻ってくればいいんだよ」

「……帰ってくる場所があるって、いいね」

真輝は笑った。

「うん、“今ここ”は、帰ってこれる場所なんだ」

その夜、真輝のノートにはこう綴られていた。

《念とは、心の定位置を知ること。
流されても、迷っても、ここに戻ればいい。

第三章「念 ― 今ここを歩む」

カップに注がれた温かいお茶から、湯気がゆっくりと立ち上っていた。

漣 真輝は、職場の休憩室でその湯気を見つめていた。
時間にしてわずか5分の小休憩。それでも、彼にとっては大切な「間(ま)」だった。

「心が、今ここにあるか?」

安慧から教えられた問い。それを胸に刻んでから、真輝は一日に何度も立ち止まるようにしていた。

仕事は、介護という名の連続した“対応”である。
認知症の利用者の急な言動。転倒の危険。食事の介助、排泄の見守り。
職員間の連携もまた、注意が必要だ。焦りや苛立ちが、すぐに現場に影を落とす。

「“今”にいないと、心がすぐに引き裂かれる」

それを痛いほど感じたのは、ある日の午後だった。

その日、真輝は思考を巡らせすぎていた。

「あの時、山崎さんが転倒したのは――」
「昨日のあの職員の指示、ズレてたかもしれない」
「明日の研修、間に合うように記録をまとめなきゃ」

意識が“過去”と“未来”にばかり向かっていたその瞬間――
小柄な女性利用者が、立ち上がろうとしたのを見逃
支えようとした時には、彼女はすでに体を傾けかけていた。

幸い大事には至らなかったが、真輝はその夜、深く自分を責めた。

翌朝、真輝はふたたび安慧庵を訪れた。

「念とは何ですか……?」

そう問うと、安慧は何も言わず、一枚の紙と筆を差し出した。

「ここに、“今、ここ”と書いてみよ」

真輝は筆を持ち、「今、ここ」と書き記した。

「では、それを見つめながら、今の自分の呼吸を感じてみよ」

言われるままに呼吸に意識を向けると、不思議なほど胸が静まり、心が身体に戻ってくるのを感じた。

「“念”とは、“今・ここに・在る”という智慧だ。
人は多くの時間を、“いま”を通り過ぎて彷徨っておる。だが、道は“いま”の足元にしかない」

その言葉が、真輝の心の中心に刻まれた。

その日から、真輝は仕事の合間にそっと深呼吸するようになった。
利用者の目を見るとき、手を添えるとき、「いまここにいます」と心で唱える。

――目の前にいる人に、心を届けるために。
――過去にも未来にも逃げないで、いまを生きるために。

ある日、柚季がふらりと職場の玄関前に現れた。母親の遥子が近くで買い物している間だという。

「お兄ちゃん、いる?」

「……今、ちょっとだけね」

玄関前のベンチに二人で並んで座った。
沈黙のあと、柚季がふとつぶやいた。

「“今ここ”って、難しいね。すぐ、どっか行っちゃう」

「うん。でも、気づいたら、また戻ってくればいいんだよ」

「……帰ってくる場所があるって、いいね」

真輝は笑った。

「うん、“今ここ”は、帰ってこれる場所なんだ」

その夜、真輝のノートにはこう綴られていた。

《念とは、心の定位置を知ること。
流されても、迷っても、ここに戻ればいい。
“今ここ”に心を置く。それが、歩く力になる》

 

 

“今ここ”に心を置く。それが、歩く力になる》

 

 

第四章「定 ― 揺るぎなき静けさ」

――波立つ水面に、月は映らない。

その言葉を、真輝は繰り返し思い出していた。
静寂を知らなければ、物事の本当の姿は見えない。
安慧がそう語ったのは、ある月夜だった。

季節は秋の入り口。夜風がひんやりと頬を撫でる。
ある日の勤務後、真輝は久しぶりに安慧庵を訪れていた。

「お前の心は、今、波立っておるか?」

安慧の問いに、真輝は答えられなかった。
仕事にも少しずつ慣れ、焦りや自責からは離れつつある。
けれど、その分だけ、ぼんやりとした“空虚”が心に滲んできていた。

「やっても、終わらない気がするんです。
がんばっても、報われるかどうかもわからない。
それでも、ただ繰り返して……」

すると安慧は、笑って言った。

「よくぞ気づいたな。
お前の心にあった“恐れ”の雲が薄れ、今は“倦怠”という風が吹いておる」

「……どうすれば、止められるんでしょうか。この風を」

「止める必要はない。ただ、その風の中に“坐る”ことじゃ」

その日、真輝は初めて坐禅を体験した。

足を組み、背筋を伸ばし、目を半眼にして呼吸を数える。

最初は、呼吸を数えるたびに雑念が押し寄せた。
過去の場面、明日の仕事、柚季の言葉、自分の不安。

けれど、それを打ち消そうとせず、ただ“気づいて、戻る”を繰り返すうちに、心が次第に鎮まっていった。

風はまだ吹いている。けれど、その風に巻き上げられない“核”のようなものが、自分の中にあると感じた。

「……これが、“定”なんですか?」

「そう。“定”とは、何も考えない状態ではなく、何があってもそこに在るという“静けさ”じゃ」

それからの日々、真輝は朝の10分だけ、自宅で静かに座る時間を作るようになった。
雑念は相変わらず湧いたが、それを追い払おうとしないことで、逆に心の芯が見えてくる気がした。

ある日、職場で同僚が感情的に怒鳴る場面に出くわした。
かつての真輝なら、心が強く揺さぶられたはずだった。
だがそのとき、真輝は深く息を吐き、ただ“そこに在る”自分を感じていた。

――ああ、今、ここに、揺るがずにいる。

その静けさは、言葉にはならなかったが、周囲にも伝わっていくように思えた。

その夜。真輝はふと、柚季の描いた一枚の絵を思い出した。
それは、穏やかな湖の水面に、月が映る絵だった。

「これ、心だって。お兄ちゃんの」

そう言って彼女が笑った顔を思い出しながら、真輝はノートにこう記した。

《心を落ち着けることで、世界の本当の姿が映る。
揺れないことではなく、揺れても戻れる“静けさ”を持つこと。
“定”とは、戻る場所を知る智慧だ》

第五章「慧 ― 闇を照らすもの」

――闇を恐れる者は、まだ灯火を手にしていない。
だが、闇を見つめる者は、光を探している。

漣 真輝は、静かな覚悟を抱きながら、ある訪問先へ向かっていた。
それは、しばらく顔を見せなくなった柚季の母、遥子の家だった。

数日前、施設の玄関で柚季が泣いていた。
いつも明るく、どこか達観していた少女が、その日だけは小さな肩を震わせていた。

「……お母さん、最近、ずっと寝てばかりなの」

真輝は胸の奥が締めつけられるようだった。
彼女の家庭に複雑な事情があることは、言葉の端々から察していた。
だが、真輝自身もまた「誰かの苦しみに踏み込む」ことに臆病だった。

――自分に何ができる?
――下手に手を出して、余計に傷つけてしまうかもしれない。

その問いが、かつての“失敗への恐れ”を呼び覚ました。
だが、心はもう、逃げなかった。

「怖さに気づけるのは、智慧のはじまりだ」

安慧の言葉を思い出しながら、真輝は行動を選んだ。
それは、勇気ではなかった。ただ、「照らしたい」と願う心が、彼を動かした。

遥子の家は、古びた団地の一角にあった。

ピンポンと鳴らしてもしばらく反応がなかったが、ようやく扉が開いた。

現れた遥子は、かつての姿からは想像もつかないほど憔悴していた。
化粧もせず、視線は定まらず、声も弱い。

「……あんた、誰だったっけ」

「漣です。柚季ちゃんのことで、少しだけお話を――」

そう言いかけたとき、遥子の目に、かすかに警戒の色が走った。
しかし、その中に、「助けて」という微かな火も見えた。

しばらく沈黙が続いたのち、遥子はぽつりと漏らした。

「……わたし、もう、どうしていいかわからないの」

真輝はその場で、何も語らず、ただ座って向き合った。
相手の沈黙を埋めることなく、ただ“在る”という静けさを携えて。

やがて遥子は、ぽつりぽつりと語りはじめた。
仕事を失ったこと。自分を責め続けていたこと。柚季に手をあげてしまったこと。
「母親でいる資格なんてない」と、涙ながらにこぼした。

その言葉を、真輝は静かに受け止めた。

「……僕も、何度もそう思いました。
誰かにとって、自分は“害”なんじゃないかって。
けど、だからこそ、“照らす心”を持ちたかったんです。
過ちの中にも、灯りを見つけられることを、信じたかったんです」

遥子は、ハッとしたように真輝を見た。
その目に、初めて“他人の言葉”ではないものが映った。

その夜。真輝は安慧庵に戻り、師に報告をした。

「私は、誰かの闇に、そっと光を灯せたでしょうか」

安慧は笑って、こう答えた。

「灯火とは、“正しさ”ではなく、“共に居る心”じゃ。
人の苦しみに照らされて、なおも歩もうとする心。
それが“慧”という名の、光じゃよ」

後日、遥子は少しずつ生活を取り戻しはじめた。
柚季の笑顔も、以前より柔らかくなった。

真輝は、自分の心に起こった変化を、手帳に記した。

《慧とは、知識ではない。
闇を否定せず、光を探す心だ。
照らすとは、“正す”ことではなく、“寄り添う”こと。
そのとき初めて、真の力が芽生える》

光と闇は、対立ではない。
光があるから、闇が見える。
闇があるから、光を求める。

そのことを知ったとき、真輝は本当の意味で、**「五力」**の最後にたどり着いていた。

 

 

 

 

 

 

 

四神足 四神足法解說 欲神足法

四神足

四神足法解說

欲神足法

人間の生命力の、とくに肉体上における根源的諸条件を、完全なものにする修

行法。

勤神足法

欲神足法で得た能力をベースに、肉体上の基本的諸条件を、さらに飛躍的に向上させる修行法。

心神足法

親神足法

肉体的能力の向上発達を基に、精神的能力を充実させ、さらに段階的にこの量力を飛躍向上させていく。

すなわち、脳の欠陥部分を補強するための準備段階として、古い脳を人に進化させる修行法である。ワニとウマの獣性の脳を霊性の脳に変えていくのである。

新しい脳である新皮質を向上させるとともに、霊性の場である間脳を開く。

同時に、間脳に付属する視床下部と、古い脳辺縁系との神経回路を補充強化する修行法である。知性と霊性の完全なる融合だ。

以上が、四神足法の概略である。

四神足法を成就したとき、その修行者は、仏陀に準ずる大聖者となる。『業を超え、因縁を解説し、生者、死者ともに解脱成仏させる大聖者である。

七科三十七道品の釈尊の成仏修行法は、大きく分けて、「教え」と「法」の二種に分類できる。

「法」の中心は、四神足法である。

いや、中心というより、法は、四神足法のみである。

五力法も修行法であるが、これは、四神足法の補助のようなもので、四神足法に対し、つぎのように付随される。

(四神足法)(五力法)

欲神足 精進力(信力)

動神足念力

心神足定カ

親神足慧力

四神足法、五力法以外の道品、すなわち、四念住、四正断、七覚支、八正道

クンダリニー・ヨーガと成仏法の直督「地

 

 

は、「教え」である。これらの教えは、四神足法について、つぎのように付随される。

(なお、五根法は、五力法のベースとなる瞑想と実践である)

四念住欲神足

四正断勤神足

七党支心神足

八正道視神足

ただし、観神足を体得した聖者には、もはや教えは不要であって、八正道は、 他の三神足修行者にすべて対応される教えである。

四神足法とクンダリニー・ヨーガ

さて、以上の四神足法の修行は、どのようになされるのであろうか?

 

それは、クンダリニー・ヨーガのチャクラの開発からはじまるのである。

その関係はつぎのとおりである。

ムーラーダーラ・チャクラ

欲神足

スヴァーディシュターナ・チャクラ

動神足マニプーラ・チャクラ

心神足

アナーハタ・チャクラ

ヴィシュッダ・チャクラ

アージュニャー・チャクラ

観神足サハスラーラ・チャクラ

以上であるが、ここに非常に重大なことがある。

それは、四神足法は、クンダリニー・ヨーガのチャクラを開発しただけでは不十分だということである。チャクラを開発すると同時に、各チャクラを統合して

機能させていく技法が必要なのである。わたくしはいま、非常に重大葉を使ったが、それはそれ以上、絶対に必要なポイントなのである。

それは、どういうことか?

チャクラは、チャクラを覚醒、発動させる技術によって活動を開始し、チャクう特有の力を発生する。しかし、それだけでは、四神足法が目的とする神力(超常的能力)にまではとうてい、至ることができない。どうしても、これらのチャクラを統合して、さらにパワーを加圧、加増して、重点的にはたらかせる技法が必要なのである。

それは、二つの技法である。

1、各チャクラが発生したエネルギーを、自由にコントロールし、かつ、自分

の必要とする場所に自在に送達させることのできる回路を持つ。

とくに、脳に対しての回路が重要である。

2、その回路作製を可能ならしめるための神経経路を補強、さらに、新たにつ

くり出す。

しんかしっししようかこれは、とくに、「新皮質と視床下部をつなぐ神経経路を補強する」とい

うことにも、必要欠くべからざる技法なのである。

この二つの技法は、クンダリニー・ヨーガにはないものである。

ただし、まったくないのではなく、これに類似した技法がひとつある。

ナデイ

それは、スシュムナー管と、ピンガラ、イダーという気道を使う法である。

クンダリニー・ヨーガというのは、だれもが体内に持つクンダリニーと名づけ

る強大な生命の根源力を目ざめさせて、これにより、超常的体力を獲得し、特殊な精神領域に到達しようとするヨーガである。

びていこつクンダリニーは、脊柱のいちばん下部、尾低骨のチャクラ(ムーラーダーラ)

の部分に、蛇が三巻き半、とぐろを巻いたようなかたちで眠っている。クンダリ

ニーというのは、「巻かれているもの」という意味である。

 

リンガクンダリニーは、そこにあるスヴァャンプーという男根のまわりに巻きついて

 

 

らせんクンダリニーの目ざめとともに、スシュムナー管の両側にあるピンガラとイダーという二つの気道が開き、クンダリニーのエネルギーは、この二つの気道をも、螺旋状に上昇していく。この二つの気道は、その後のクンダリニーの力を調節するはたらきをする。

びていこっスシュムナー管は、脊柱の中空部にある生気の通る路で、尾骶骨から脳の下部の活動にまで届いている。また、スシュムナー管の内側には、ヴァジリニーとよばれる気道がある。

いて、その頭部で、スシュムナー管の入口を閉ざしている。

ばれる気道があり、さらにその内側には、クモの糸のように細かいチトリニとよ

特殊な瞑想・思念・ムドラー・マントラ詠唱などの動作によってチャクラが発動し、クンダリニーが目ざめると、クンダリニーは噴火した火のような激しい勢いで、スシュムナー管を上昇していく。クンダリニーを Serpent fire (サーペント・ファイア、蛇の火)とよぶのも、そこからきているのである。

クンダリニー・ヨーガの目的は、聖なるものと一体となる至高の境地を目ざす

ので、スジュムナー管、ピンガラ・イダーの両気道を上昇するクンダリニーのエ

ネルギーは、最終的に、サハスラーラ・チャクラにまで到達して、その目的を達するのである。

以上が、クンダリニー・ヨーガの気道の技法とされるものである。

四神足法も、このクンダリニー・ヨーガの技法を、そのまま使ったらよいのではなかろうか?

そうはいかないのである。単にチャクラを目ざめさせ、そのエネルギーを発動させただけでは、四神足法の目的を達成することはできないのである。久そうふくラを統合し、そのエネルギーをさらに増幅して目的のものに集中する方法が、どうしても必要なのである。

では、クンダリニーを覚醒させ、これを使ったらいいではないか。

わたくしは、阿含経はもとより、釈尊にまつわるさまざまな伝説に至るまで、

あらゆるものを分析した結果、釈尊の成仏法には、クンダリニー・ヨーガのクンダリニー覚醒法がもちいられた形跡を発見することができなかった。(彼自身は、

85

第二章 クンダリニー・ヨーガと成仏法の真髄「四神足法」

る。 釈尊は、だれでもが実行できる修行法を教えた。一心に修行さえすれば、だれでもが成仏できる方法を教えたのである。だから、チャクラを使うことはとり入れたが、クンダリニー・ヨーガの覚醒法はとり入れなかったのである。クンダリニー・エネルギーは使ったけれども、その方法はまったくちがっていたのであ

なぜか?

クンダリニーの覚醒は、あまりにも激烈、過激すぎて、完全な脳を新しくつく

りあげるのには適切でないのである。クンダリニー・ヨーガは、人間の脳の欠陥を是正する方法ではなく、そこを通り抜けて一挙に、別次元の高度の意識領域に突入してしまう方法なのである。

これは危険すぎるし、かつ、ごく限られた特殊な人にしかもちいられない方法であった。

では、どのようにしたのであろうか?

 

 

 

 

『魂の灯火 ~四つの道を歩む者たち~』

序章 ― 表参道 禅カフェ「静庵」にて ―

 

表参道の並木道から一本奥へ入ると、都会の喧騒がふっと遠のく瞬間がある。
その細い路地に、私は初めて足を踏み入れた。

「静庵(じょうあん)」――禅と抹茶と読書をテーマにしたカフェ。
知人がSNSで紹介していたのを見て、何となく気になっていた。最近、何かを「感じたい」と思う瞬間が増えていたのかもしれない。

ガラス戸を引くと、やわらかな木の香りとお香の残り香が私を包んだ。
カウンター奥には袈裟を羽織った店主らしき人物が立ち、静かに一礼してくれた。

「おひとりですか?」

「はい。落ち着ける席をお願いします」

窓際の一席に案内され、私は抹茶ラテを注文した。店内には他に三人の客がいた。スーツ姿で黙々とノートを広げる男性。スマホを伏せて目を閉じている青年。そして、まるで何かを見透かすような瞳をした女性。

しばらくすると、店主が小さな盆に抹茶ラテと、白い短冊のようなカードを添えて運んできた。そこには手書きでこう書かれていた。

「問うべきは、心が何を欲しているか」

なぜか胸の奥がちり、とした。
私は今、何を欲しているのだろう? 成功? 恋愛? 癒し? ……いや、そうじゃない。もっと、根っこの部分で、自分を見失っている気がした。

「初めてですか?」

隣から声がした。先ほどのスーツの男性――彼は笑みを浮かべ、話しかけてきた。

「ええ。ふらっと来ただけなんですけど……落ち着きますね、ここ」

「俺も最近よく来てます。何ていうか、“ちゃんと向き合える場所”って感じで」

それを聞いて、黙っていた青年が目を開いた。

「自分から逃げたくて来てるくせに?」

「うるさいな、瑛人。お前だって……」

「僕は、“今ここ”にいるだけだよ」

言葉のやりとりは軽やかで、どこか親しげだった。

続けて、奥に座っていた女性がふっと微笑んだ。

「変わりたい、と思ってる人は、案外この場所に引き寄せられるのよ。何かの“縁”で」

私は少し戸惑いながらも頷いた。その言葉に、なぜか涙が出そうになったから。

気がつくと、四人がさりげなく同じテーブルに集まっていた。

まるで、目には見えない糸が、私たちを静かに結びつけていたかのように。

 

第一章 ― 欲神足篇:結衣の願い ―

その夜、私は久しぶりに夢を見た。

水面に揺れる灯火が、暗い湖を照らしている。
その光に導かれるように、私は静かに歩いていた。けれど、どこか不安だった。
自分が何を求めているのか、わからなかったから。

目を覚ましたのは、午前四時。窓の外はまだ夜の名残を残し、街の音も遠かった。
私はベッドの中で、禅カフェ「静庵」で読んだ言葉を思い出していた。

「問うべきは、心が何を欲しているか」

問いかけは、まるで胸の奥に沈んでいた感情を浮かび上がらせるようだった。
私は今、何を本当に欲しているのだろう?

……答えは、すぐには出なかった。
けれど、確かなのは、今の自分が空っぽだということだった。
仕事はそこそこ順調。人間関係も表面上はうまくやっている。
でも、どこかでずっと無理をしていた。

「笑っていれば、うまくいく」
「期待される通りに動いていれば、嫌われない」
そんな“装い”ばかりに、私は心をすり減らしてきたのだ。

その日、私は勇気を出して、カウンセリングルームに電話をかけた。
静庵のカードにあった紹介欄を頼りにして。

電話口の優しい声に、思わず涙がこぼれそうになった。
「あの……自分が何をしたいのか、わからないんです。毎日が、からっぽで」

予約が取れたのは三日後。その間、私は静庵に通い続けた。
小さな抹茶碗を両手で包むようにしながら、自分の内側に火を灯すように、静かに問い続けた。

「わたしは、何を本当に望んでいるの?」

ある日、店主が私の前にまた短冊を置いた。
そこには、こう書かれていた。

「欲とは業火ではない。願いの源だ」

ハッとした。
私はずっと「欲しがること」そのものを悪いことだと思っていた。
でも、本当に深いところから湧いてくる願いは、
私を焦がす炎ではなく、歩き出すための灯火なのかもしれない。

そして私は、ようやく言葉にできた。

「変わりたい。ほんとうの自分で、生きてみたい」
「誰かの期待じゃなく、自分の願いで」

その瞬間、胸の奥に小さな火が灯ったのを感じた。
それは、迷いを照らす淡くて強い光――欲神足の炎だった。

私はそれを、これから守っていこうと思った。
どんなに小さくても、自分の願いを見失わないように。

第二章 ― 勤神足篇:誠、努力が生まれるとき ―

「……正直、何のために生きてるかわかんねぇよな」
煙草をふかしながら、俺はいつもの公園のベンチに座っていた。

仕事はしてる。だけど、やる気なんてない。
同僚ともうまくやれてないし、気がつけば昼も夜もスマホで動画を流し見して終わる。
それがいつから続いていたのか、もうわからない。

ある日、会社の先輩に誘われて、気乗りしないまま入ったのが「禅カフェ・静庵」だった。
静かな音楽と抹茶の香り。最初は場違いだと思ったが、不思議と落ち着いた。

テーブルに置かれた短冊には、こうあった。

「続ける者に、力は宿る」

「続ける……か」
俺は何かを“続けた”ことが、あっただろうか?

その週、静庵の店主に声をかけられた。
「もしよければ、朝坐禅に来てみませんか? 毎週水曜、六時からです」
正直、迷った。でも――何もない毎日が変わるかもしれない、そう思った。

そして水曜の朝。眠い目をこすりながら、初めて禅堂に入った。
ただ坐る。それだけのことが、こんなに難しいとは思わなかった。

雑念、足の痛み、退屈、不安……
だけど不思議と、終わったあと心がスッと軽くなった気がした。

その日から、俺は毎週水曜、坐禅に通うようになった。

最初は義務感だった。でも、だんだん変わっていった。
「今週も来れた」
「今週は少し長く坐れた」
自分を少しだけ、誇らしく思える瞬間があった。

気づけば、朝の目覚ましを10分早めて、坐る習慣ができていた。
スマホの使用時間は自然と減り、食事の味に気づくことが増えた。

ある朝、禅堂の掛け軸を見上げた。

「勤めてやまずば、道は必ず開かる」

ああ、そうか。
努力って、根性じゃない。
「小さな続ける」が、自分を変える力になるんだ。

以前の俺なら、3日でやめてた。でも今は違う。
心のどこかに、静かな火が灯っている。
それは、勤神足の火――続けることの力。

俺は思った。
「まだ遅くはない。今からでも、やれることがある」
不器用でも、少しずつでも。
俺はこの道を、歩いていこうと思った。

 

第三章 ― 心神足篇:瑛人、心を“今ここ”に置く練習 ―

スマホを見ていないと、不安になる。
LINEの既読、SNSの通知、動画の更新――何もなければ心がざわつく。

電車の中でも、寝る直前まで、画面をスクロールするのが癖だった。
だけどある日、ふと気づいた。

「自分の人生を、自分で生きてない気がする」

誰かの投稿、誰かの評価、誰かの意見。
それらに埋もれて、俺はどこにいるのか、わからなくなっていた。

そんなとき、職場の同僚から紹介されたのが、表参道の「禅カフェ・静庵」だった。
初めて入った日、店の奥で流れていた音楽が妙に心に染みた。
そのとき、短冊に書かれた一文が目に入る。

「心は、今ここにしか住めない」

え……? 「今ここ」って、そんなに難しいこと?
でもその言葉が、なぜか離れなかった。

それから、静庵の「呼吸の瞑想ワークショップ」に参加してみた。
椅子に腰掛け、背筋を伸ばし、目を閉じる。
ただ「吸って、吐いて」を感じる。

……それだけなのに、気が散ってばかりだった。

「あ、さっきのLINE、返してなかった」
「明日までにあの仕事やらなきゃ」
「お腹減ってきた……」

気づけば、全然「今」にいない。

だけど、講師の女性が静かに言った。

> 「今、気づいたことが大切なんです。
>  何度でも、“今”に戻ってくればいいんですよ」

その言葉に、少し救われた気がした。

それから、スマホを置いて、毎朝3分だけ呼吸を見る練習を始めた。
最初は短かった3分が、5分、10分と伸びていった。
「今、吸ってる」
「今、吐いてる」
ただそれを意識するだけで、不思議と心が落ち着いていく。

焦りや不安が訪れても、深呼吸を一つする。
「今、ここにいる」
そう繰り返すことで、心の居場所が戻ってくるようになった。

ある日、静庵で結衣さんと話した。
彼女もまた、自分の「本当の望み」と向き合っていた。
俺たちは、それぞれ違う道を歩いているけれど、どこかでつながっている気がした。

今では、通勤電車の中でさえ、目を閉じて数秒だけ“今”を感じられる。
スマホを見なくても、目の前にある世界がちゃんと見えるようになった。

「心神足」――心を、今に定める力。
それは、僕の中の静かな軸になりつつある。

未来への不安も、過去の後悔も、
この一呼吸ではなく、ただの思考に過ぎない。

僕は、今日も呼吸する。
今、ここで。心を込めて。

第四章 ― 観神足篇:凛、観る目を持つということ ―

 

幼いころから、私は「なぜ?」が口癖だった。
世界はどうしてこう在るのか。
人はなぜ争い、そして、なぜ愛するのか。

哲学の本を読みあさり、宗教書にも手を伸ばした。
けれど、どれほど言葉を集めても、
心の底から「わかった」と思えることはなかった。

――観る目が欲しい。
真理を、ただ見つめる目が。

そんなとき、表参道の小さな禅カフェ「静庵」に導かれるように足を運んだ。
そこには、沈黙の中で呼吸する人々がいた。
言葉を超えた「見つめる力」が、場の空気に静かに宿っていた。

私は、師と呼ばれる女性に問うた。
「真理とは何ですか?」

師はただ、湯呑みの茶を一口すすり、こう言った。

> 「“今、そう問いを立てた心”を、じっと観てごらんなさい」

……意味がすぐにはつかめなかった。
でも私は、その言葉にふとひっかかった。

観るべきは外の世界ではなく、**“問いを発する自分の心”**なのか?
それから、私は「観る」練習を始めた。
瞑想の中で、自分の思考がどこから来て、どこへ行くのかを追った。
怒りが湧いたとき、その中心に何があるのかを観察した。
喜びのときも、執着があるかどうかを静かに見つめた。

それは、鏡をのぞき込むような作業だった。
そしてある日、不意に気づいた。

「ああ、私はいつも“答え”ばかりを探して、
“問いを立てた心”を観ることを忘れていたんだ」

観神足――それは、ただ“観る”。
判断せず、比較せず、評価もせず。
そのままの心、そのままの現象を、まっすぐに見つめる力。

私はそれを、今ようやく学び始めたのだ。

ある晩、静庵の縁側で、瑛人くんと話す。
彼は呼吸に心を置くことで、ようやく自分の軸を感じ始めたという。
「観る」ことと「在る」こと――ふたつの道は、どこかで交わるのかもしれない。

月の光が、水面を静かに照らす。
その揺れを、私はただ見ている。
今は、それでいい。

真理は、言葉の奥にある。
それをつかもうと焦るほど、遠ざかっていく。

だから私は、ただ観る。
沈黙の中で、問いとともに在る。

 

 

 

 

 

 

第一部「四念住」

第一部「四念住」

第二章 受念住 ― 揺れる心、たゆたう感覚

それは、ある雨の日のことであった。

小屋の屋根を打つ雨音が、単調に続いていた。外界とのすべての関係が断たれ、アーナンダは己の心とだけ向き合う静寂にあった。

彼は坐を組み、そっと目を閉じる。

「次に観ずべきは、受である」と、師バラモンは語っていた。

「受とは、感受である。喜び、苦しみ、快・不快、無関心――それらは心に生じては消える波。だが、愚者はそれを“わがもの”と思い、掴み、流される。賢者はそれを“ただの感受”と見て、手放す」

アーナンダは、その言葉を思い出しながら、心の中を見つめる。しばらく何も感じないように思えた。だが、そこに注意を集中すると、確かにあった。

――物悲しさ。
――孤独。
――そして、小さな焦り。

(ああ、わたしの中には、苦の“受”がある……)

彼は、その苦を否定せず、ただ見つめた。まるでそれが誰か他人の苦しみであるかのように。

やがて、その苦は、静かに姿を変えていった。悲しみの底にあったのは、愛だった。師への思慕、仲間への想い。だがその想いが叶わぬとき、人は苦を生じる。

「なるほど……」

次に、彼の心に過去の記憶がよぎった。師の言葉に褒められたあの日、胸が熱くなったあの瞬間。

(これが、楽の“受”)

楽しさもまた、ただの感覚。永遠には続かず、変わりゆくもの。

そして今――雨音だけが響く静寂の中で、彼の心は不思議な「中立」の感覚に包まれていた。苦しくもなく、楽しくもない。ただ、静かにそこにある。

(これが、捨受。すなわち「無記の受」……)

アーナンダの呼吸は深くなっていく。感覚が、波のように生まれては消えていくのを、ただ見守っている。

そこに、永遠なるものはなかった。

苦も楽も、「わたし」のものである必要はなかった。

それらは、ただ生じて、ただ滅する。

それが真実なのだ。

アーナンダはそっと目を開いた。雨は、いつのまにか止んでいた。雲間から一筋の光が差し込み、土の匂いが、清らかな風に混じって流れてきた。

彼はその光と香りを、ただ受け取った。歓喜もなく、拒絶もなく。

――これが、受念住。

心に生じるあらゆる感覚を、ただの“波”として見る。その深奥に、智慧の芽がひそかに宿りはじめていた。

心念住 ― 心のかたちを映す鏡

月が昇るころ、山の庵には、静寂が降りていた。アーナンダは、薄衣を肩に掛け、今夜もひとり、坐に入った。

「身を観じ、受を観じて、最後に残るもの。それが“心”である」と、師は語った。

「心念住とは、今この瞬間、いかなる心があるかを知ること。貪りがあるか、怒りがあるか、迷いがあるか。あるいは、それが去ったのか。それを知り、見抜き、離れていくこと」

アーナンダは、呼吸とともに心を澄ませていく。すると、突如――

ひとつの記憶が浮かび上がった。

それは、かつて仲間の修行僧と些細な言い合いをした日のこと。相手の言葉が、どうしても許せなかった。彼の中に、怒りがふつふつと沸いた。

そして今、瞑想の中でもなお、その怒りの「残り香」が微かに蘇ってくるのを感じた。

(怒り……)

彼は、その心を見つめた。

怒りとは、火のようなものだ。心を焼き、理を失わせる。だがその火も、ただ心に生じた一つの現象にすぎない。真実の“我”ではない。

アーナンダはさらに心を沈めた。

すると今度は、静かな慈しみが湧き上がってくる。あのとき、自分もまた苦しかった。相手もまた迷いの只中にいた。――それを赦す心。

(これも、また心)

欲する心、怒る心、信じる心、疑う心――どれもが、現れては消える。流れる雲のように。

それを「私」と呼ぶなら、「私」は刻々と形を変え、定まることがない。

(では、“私”とは何なのか?)

アーナンダは、その問いを胸に置いたまま、ただ心を観じ続けた。

今、この瞬間、自分の心は穏やかか、動揺しているか。眠気はあるか、喜びはあるか。ありのままに、それを映し出す“心の鏡”を、自らの内に据える。

すると彼の内なる空間に、透明な静けさが生まれた。

心とは、無限の姿を取りながら、空に浮かぶ雲のように、来ては去り、現れては消える。

それを知ったとき、アーナンダの中に、柔らかな微笑が芽生えた。

もはや、怒りや欲に巻き込まれる必要はなかった。

なぜなら――彼は、それらが「ただの心の状態」であると、知ったからだ。

 

心念住 ― 心のかたちを映す鏡

月が昇るころ、山の庵には、静寂が降りていた。アーナンダは、薄衣を肩に掛け、今夜もひとり、坐に入った。

「身を観じ、受を観じて、最後に残るもの。それが“心”である」と、師は語った。

「心念住とは、今この瞬間、いかなる心があるかを知ること。貪りがあるか、怒りがあるか、迷いがあるか。あるいは、それが去ったのか。それを知り、見抜き、離れていくこと」

アーナンダは、呼吸とともに心を澄ませていく。すると、突如――

ひとつの記憶が浮かび上がった。

それは、かつて仲間の修行僧と些細な言い合いをした日のこと。相手の言葉が、どうしても許せなかった。彼の中に、怒りがふつふつと沸いた。

そして今、瞑想の中でもなお、その怒りの「残り香」が微かに蘇ってくるのを感じた。

(怒り……)

彼は、その心を見つめた。

怒りとは、火のようなものだ。心を焼き、理を失わせる。だがその火も、ただ心に生じた一つの現象にすぎない。真実の“我”ではない。

アーナンダはさらに心を沈めた。

すると今度は、静かな慈しみが湧き上がってくる。あのとき、自分もまた苦しかった。相手もまた迷いの只中にいた。――それを赦す心。

(これも、また心)

欲する心、怒る心、信じる心、疑う心――どれもが、現れては消える。流れる雲のように。

それを「私」と呼ぶなら、「私」は刻々と形を変え、定まることがない。

(では、“私”とは何なのか?)

アーナンダは、その問いを胸に置いたまま、ただ心を観じ続けた。

今、この瞬間、自分の心は穏やかか、動揺しているか。眠気はあるか、喜びはあるか。ありのままに、それを映し出す“心の鏡”を、自らの内に据える。

すると彼の内なる空間に、透明な静けさが生まれた。

心とは、無限の姿を取りながら、空に浮かぶ雲のように、来ては去り、現れては消える。

それを知ったとき、アーナンダの中に、柔らかな微笑が芽生えた。

もはや、怒りや欲に巻き込まれる必要はなかった。

なぜなら――彼は、それらが「ただの心の状態」であると、知ったからだ。

第四章 法念住 ― 真理に目覚めるまなざし

森の夜は、深く、静かであった。
アーナンダは、灯明も持たずに、木の根元に坐った。目を閉じ、ただ己の呼吸と共にある。

この夜、彼は、ある問いを胸にしていた。

(苦しみの根は、どこにあるのか?)

思い返せば、さまざまな「感情」「思考」「記憶」が、彼を悩ませてきた。だが、それらは単なる現象ではなかったか? なぜ、人は現象に巻き込まれ、迷い、煩悩にとらわれるのか?

その答えを、師はこう語っていた。

> 「アーナンダよ、汝は“法”を観ずして、ただ感情に揺れるばかりではないか。心に生じるもの、すべては“因と縁”によって生じる。
> それを見よ――すなわち“十二因縁”の観察である。
> 無明あれば、行あり。行あれば、識あり。識より名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死……」

アーナンダは、師の言葉を胸に、その因縁の連鎖を観ていった。

――無明。
(知らぬこと、気づかぬこと。真理を見ないまま生きること)
――行。
(無明から出た衝動、業の積み重ね)
――識。
(意識が生まれ、世界と自我が目覚める)

……と連鎖は続き、やがて「老い」「死」へと至る。

(このすべてが、苦の流れ。だが、その根源は、“無明”にあったのか……)

アーナンダの心は、少しずつ沈み込んでいった。

彼はまた、五蘊にも思いを馳せた。
色・受・想・行・識――すなわち、肉体、感覚、認識、意思、意識。

(これが「わたし」だと思ってきたものは、すべて集まりでしかなかった……)

彼は、自らの心身を、「自己」としてではなく、「法」として見始めた。

喜びも、怒りも、肉体の疲労も、思い出も――すべては因縁によって一時的に現れた、無常の現象であった。
それらを掴んで「これは私」と思うことが、苦のはじまりだったのだ。

彼の心は、深い沈黙のなかで、透き通っていった。
――すべてのものは、縁により生じ、縁により滅す。
――それが、「法(ダンマ)」である。

アーナンダは、静かに息を吐いた。
彼の内なる目は、ついに「真理の流れ」を見つめはじめたのだった。

煩悩は、ただ現れては消える泡。
「我」は、それに名前を与えていたに過ぎない。

――これが、法念住。

四念住の最後にして、智慧の扉が開く一歩手前の、最も深い観照。

夜が明け、東の空が白みはじめていた。
アーナンダのまなざしには、もはや揺らぎがなかった。

 

 

四念住

四念住

 

第一部 「観る智慧」― 四念住(しねんじゅう)

【内容】

身念住(身体への気づき)

受念住(感受への気づき)

心念住(心の状態への気づき)

法念住(法=教えへの気づき)

【シーン】
アーナンダが静寂の森で坐禅を行い、呼吸・感覚・心の波・仏法の言葉に一つずつ心を向けていく。幻影に翻弄されながらも、「今ここ」に心をとどめる訓練が始まる。

第一章 身念住 ― 身に宿る無常の声

夜の静寂が、山の寺院を包んでいた。薄明の空に一番星が瞬く頃、修行僧アーナンダは静かに座を調えた。古びた木床の上、右膝を左足に重ね、背筋をただす。

――今、わたしは、この身を見つめる。

それが、師から与えられた第一の課題、「身念住」であった。

呼吸が、音もなく出入りする。だが心は落ち着かない。修行を志してから幾度も坐禅を組んできたが、「自らの身体を見つめよ」という言葉は、どこか曖昧だった。

「身体は無常である。ただの肉と骨である。そのように観ぜよ」と、師バラモンは言った。

アーナンダは目を閉じる。耳の奥で鼓動が聞こえる。喉の奥で唾を飲み込む音がする。背筋がわずかに軋む――そのたびに、彼の心が反応する。

「これは“私”なのか?」

その問いが、胸にのしかかる。

彼は呼吸に意識を向けた。息は入って、出ていく。だがその一呼吸ごとに、微細な感覚が身体の中を走る。痛み、熱、かすかな痒み――それらはまるで、自分のものではないように現れては、消えていく。

(この身は、思うままにはならぬ……)

次第に、意識の奥底で何かが変わり始める。

かつて、彼は若き日の己を思い出す。剣術を学び、身体を誇ったあの頃。だが、今はどうだ? 肉は痩せ、骨は軋む。老いと病の影は誰にも訪れる。命ある

それが、身である――

「これが、身念住……」

その瞬間、アーナンダの心に、静かな覚醒が差し込んだ。身体とは、所有するものではない。ただ五蘊の一部、借り物にすぎない。わたしという幻を支える土台でありながら、実体はない。

小さく、だが確かな光が、心の中心に灯った。

風が、襖をわずかに揺らした。

外では、夜が静かに明けようとしていた。

 

第二章 絶え間なき歩み(精進神足)

朝日の光が山の稜線を染め始めるころ、アーナンダはすでに林の中で歩を進めていた。
昨日の疲れなど感じさせぬ足取りは、まるで風のように軽やかだが、どこか確かな力強さを秘めていた。

彼の胸にあるのは、「精進神足」――
絶え間ない努力と持続する意志の力である。

「修行はただの一時の熱情ではない。
毎日、毎瞬、繰り返し歩み続けることが真の力となるのだ」

師の教えを反芻しながら、アーナンダは己の心の弱さと向き合っていた。

数日前、修行の道で幾度となく挫けそうになった夜のことを思い出す。

疲れから坐禅中に意識が薄れ、雑念に心を奪われた。
そのたびに、「もういいや」と諦めかけた自分を、必死に叱咤した。

「ここで止まれば、どこにも辿り着けない――」

そんな葛藤のなかでアーナンダは気づいた。

修行の本質は、完璧であることではない。
転んでも、何度でも立ち上がること。

その繰り返しが、やがて揺るぎない力となるのだ。

今日も彼は、森の奥の小さな清流のほとりで、黙々と呼吸を整え、坐禅に入った。

流れる水音が心の乱れを洗い流し、呼吸は徐々に深く、静かに整っていく。

「努力こそが、道の光。
走り続ける者にのみ、光は道を照らす」

彼の心に、師の言葉が再び響いた。

日が傾き、夕暮れの風が肌を撫でるころ、アーナンダは新たな決意を胸にした。

「どんなに困難でも、必ず進み続けよう。
その一歩一歩が、未来の智慧を紡ぐのだ」

 

第三章 受念住 ― 揺れる心、たゆたう感覚

それは、ある雨の日のことであった。

小屋の屋根を打つ雨音が、単調に続いていた。外界とのすべての関係が断たれ、アーナンダは己の心とだけ向き合う静寂にあった。

彼は坐を組み、そっと目を閉じる。

「次に観ずべきは、受である」と、師バラモンは語っていた。

「受とは、感受である。喜び、苦しみ、快・不快、無関心――それらは心に生じては消える波。だが、愚者はそれを“わがもの”と思い、掴み、流される。賢者はそれを“ただの感受”と見て、手放す」

アーナンダは、その言葉を思い出しながら、心の中を見つめる。しばらく何も感じないように思えた。だが、そこに注意を集中すると、確かにあった。

――物悲しさ。
――孤独。
――そして、小さな焦り。

(ああ、わたしの中には、苦の“受”がある……)

彼は、その苦を否定せず、ただ見つめた。まるでそれが誰か他人の苦しみであるかのように。

やがて、その苦は、静かに姿を変えていった。悲しみの底にあったのは、愛だった。師への思慕、仲間への想い。だがその想いが叶わぬとき、人は苦を生じる。

「なるほど……」

次に、彼の心に過去の記憶がよぎった。師の言葉に褒められたあの日、胸が熱くなったあの瞬間。

(これが、楽の“受”)

楽しさもまた、ただの感覚。永遠には続かず、変わりゆくもの。

そして今――雨音だけが響く静寂の中で、彼の心は不思議な「中立」の感覚に包まれていた。苦しくもなく、楽しくもない。ただ、静かにそこにある。

(これが、捨受。すなわち「無記の受」……)

アーナンダの呼吸は深くなっていく。感覚が、波のように生まれては消えていくのを、ただ見守っている。

そこに、永遠なるものはなかった。

苦も楽も、「わたし」のものである必要はなかった。

それらは、ただ生じて、ただ滅する。

それが真実なのだ。

アーナンダはそっと目を開いた。雨は、いつのまにか止んでいた。雲間から一筋の光が差し込み、土の匂いが、清らかな風に混じって流れてきた。

彼はその光と香りを、ただ受け取った。歓喜もなく、拒絶もなく。

――これが、受念住。

心に生じるあらゆる感覚を、ただの“波”として見る。その深奥に、智慧の芽がひそかに宿りはじめていた。

心念住 ― 心のかたちを映す鏡

月が昇るころ、山の庵には、静寂が降りていた。アーナンダは、薄衣を肩に掛け、今夜もひとり、坐に入った。

「身を観じ、受を観じて、最後に残るもの。それが“心”である」と、師は語った。

「心念住とは、今この瞬間、いかなる心があるかを知ること。貪りがあるか、怒りがあるか、迷いがあるか。あるいは、それが去ったのか。それを知り、見抜き、離れていくこと」

アーナンダは、呼吸とともに心を澄ませていく。すると、突如――

ひとつの記憶が浮かび上がった。

それは、かつて仲間の修行僧と些細な言い合いをした日のこと。相手の言葉が、どうしても許せなかった。彼の中に、怒りがふつふつと沸いた。

そして今、瞑想の中でもなお、その怒りの「残り香」が微かに蘇ってくるのを感じた。

(怒り……)

彼は、その心を見つめた。

怒りとは、火のようなものだ。心を焼き、理を失わせる。だがその火も、ただ心に生じた一つの現象にすぎない。真実の“我”ではない。

アーナンダはさらに心を沈めた。

すると今度は、静かな慈しみが湧き上がってくる。あのとき、自分もまた苦しかった。相手もまた迷いの只中にいた。――それを赦す心。

(これも、また心)

欲する心、怒る心、信じる心、疑う心――どれもが、現れては消える。流れる雲のように。

それを「私」と呼ぶなら、「私」は刻々と形を変え、定まることがない。

(では、“私”とは何なのか?)

アーナンダは、その問いを胸に置いたまま、ただ心を観じ続けた。

今、この瞬間、自分の心は穏やかか、動揺しているか。眠気はあるか、喜びはあるか。ありのままに、それを映し出す“心の鏡”を、自らの内に据える。

すると彼の内なる空間に、透明な静けさが生まれた。

心とは、無限の姿を取りながら、空に浮かぶ雲のように、来ては去り、現れては消える。

それを知ったとき、アーナンダの中に、柔らかな微笑が芽生えた。

もはや、怒りや欲に巻き込まれる必要はなかった。

なぜなら――彼は、それらが「ただの心の状態」であると、知ったからだ。

 

第四章 法念住 ― 真理に目覚めるまなざし

森の夜は、深く、静かであった。
アーナンダは、灯明も持たずに、木の根元に坐った。目を閉じ、ただ己の呼吸と共にある。

この夜、彼は、ある問いを胸にしていた。

(苦しみの根は、どこにあるのか?)

思い返せば、さまざまな「感情」「思考」「記憶」が、彼を悩ませてきた。だが、それらは単なる現象ではなかったか? なぜ、人は現象に巻き込まれ、迷い、煩悩にとらわれるのか?

その答えを、師はこう語っていた。

> 「アーナンダよ、汝は“法”を観ずして、ただ感情に揺れるばかりではないか。心に生じるもの、すべては“因と縁”によって生じる。
> それを見よ――すなわち“十二因縁”の観察である。
> 無明あれば、行あり。行あれば、識あり。識より名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死……」

アーナンダは、師の言葉を胸に、その因縁の連鎖を観ていった。

――無明。
(知らぬこと、気づかぬこと。真理を見ないまま生きること)
――行。
(無明から出た衝動、業の積み重ね)
――識。
(意識が生まれ、世界と自我が目覚める)

……と連鎖は続き、やがて「老い」「死」へと至る。

(このすべてが、苦の流れ。だが、その根源は、“無明”にあったのか……)

アーナンダの心は、少しずつ沈み込んでいった。

彼はまた、五蘊にも思いを馳せた。
色・受・想・行・識――すなわち、肉体、感覚、認識、意思、意識。

(これが「わたし」だと思ってきたものは、すべて集まりでしかなかった……)

彼は、自らの心身を、「自己」としてではなく、「法」として見始めた。

喜びも、怒りも、肉体の疲労も、思い出も――すべては因縁によって一時的に現れた、無常の現象であった。
それらを掴んで「これは私」と思うことが、苦のはじまりだったのだ。

彼の心は、深い沈黙のなかで、透き通っていった。
――すべてのものは、縁により生じ、縁により滅す。
――それが、「法(ダンマ)」である。

アーナンダは、静かに息を吐いた。
彼の内なる目は、ついに「真理の流れ」を見つめはじめたのだった。

煩悩は、ただ現れては消える泡。
「我」は、それに名前を与えていたに過ぎない。

――これが、法念住。

四念住の最後にして、智慧の扉が開く一歩手前の、最も深い観照。

夜が明け、東の空が白みはじめていた。
アーナンダのまなざしには、もはや揺らぎがなかった。