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一人ひとりの世界 Each Person’s World

一人ひとりの世界
Each Person’s World

世界が平和になるように
社会が安穏になるように
声をそろえて願っても
いきなり パッと
世の中が変わるわけではない

幸せは
高いところから降るのではなく
一人ひとりの胸から芽生える

一軒一軒の家に
笑顔が灯り
心が結ばれるとき
はじめて
この社会は 安らぎに包まれる
We may raise our voices together,
wishing for a world at peace,
for a society at ease—
but the world will not change
all at once,
as if by magic.

Happiness does not fall
from lofty heights;
it sprouts from the heart
of each person.

When every home
is lit with smiles,
when hearts are bound together,
only then
will society be wrapped
in true serenity

 

 

そのために
私たちは目覚めよう
見えぬ霊的な世界に
ともに生きる存在のぬくもりに
気づこう

世界を変える道は
遠い彼方ではなく
この手の中にある
今 ここから始まる

That is why
we must awaken—
to the warmth of unseen
spiritual companions
who share this life with us.

The path to changing the world
is not far away;
it rests in our own hands.
It begins,
here and now.

 

『如意宝珠を授かる者』

――祈りの山にて


深山幽谷。霧が立ちこめるその山の奥、ひとりの行者が、岩座の上に静かに座していた。名を蓮慧(れんえ)という。

風が絶え、鳥も鳴かない。ひたすらに沈黙する大地の上、蓮慧はただ一点を見つめる。そこに祀られたのは、**如意宝珠尊(にょいほうじゅそん)**の小さな石像。無数の巡礼者の祈りを浴びて、表面はすり減りながらも、眼だけがなお鋭く輝いていた。

蓮慧は掌を合わせ、口を開いた。

 

> 「南無 大慈大悲 法身駄都 如意宝珠尊──」
> 「おん さらばたたーがた うしゅにーしゃ だと……」

祈りは、言葉を越え、音そのものとなり、山と一体となって響く。谷の岩肌に、祈りの波紋が走るようだった。

その瞬間、蓮慧の内にあった「迷い」が、まるで霧が晴れるように、音もなく消え去っていった。

> 「むどらに さらばたたーがたん 畝陀羅把薩 轉但他藥單……」

――印を結ぶ手の先に、淡い光がともる。それは誰にも見えぬはずの、心の如意宝珠。蓮慧の胸奥から現れたその光は、微かに揺れながら、呼吸に合わせて脈打っていた。

> 「さだとびぶしゅた あじしっちてい 沙駄靚尾 補悉多地 瑟知底……」

彼の内側に広がる世界が、ゆっくりと反転する。かつて「苦しみ」と思っていたものが、「導き」だったと気づく。
かつて「怒り」と思っていたものが、「護る力」だったと知る。

> 「じゃくうんばんこく うんうん そわか……」

最後の音が消えるとき、蓮慧はそっと目を開いた。何も変わっていないようでいて、すべてが変わっていた。

――石像の前に、ほんの一瞬だけ、宝珠のような光が浮かび、空にとけていった。

 

その日以来、蓮慧の祈りには、不思議と人を癒す力が宿るようになったという。
けれど彼自身は、ただ静かに微笑むばかりだった。

 

> 「如意宝珠は、求めて得るものではない。ただ、真に祈ったとき、我が心に現れるものだ」

 

そう語る蓮慧の言葉は、やがて弟子たちのあいだに「如意宝珠法」として伝わり、時を越えて人々の心を照らし続けた。

第二話「迷いを癒す珠」

山を下りてから七日目の夕暮れ、蓮慧(れんえ)は、かつての友・**周道(しゅうどう)**の住む庵を訪れた。竹林の中にひっそりと建てられたその庵は、風の音だけが通り抜ける静寂に包まれていた。

戸を叩くと、奥からゆっくりとした足音が聞こえた。

「……まさか、お前が来るとはな」

姿を現した周道は、かつて寺で共に学びを受けた修行仲間だった。だが、ある日突然すべてを捨て、山を離れ、人との関わりすら断ったと聞いていた。

その面差しには疲労が濃く刻まれていたが、どこか、憑き物が取れたような透明さもあった。

 

「何をしに来た? 祈りの力でも見せに来たか?」

周道は少し笑ってそう言った。だが、その声には棘よりも深い疲れが滲んでいた。

 

「いいや」
蓮慧は、静かに首を振った。

「ただ、お前の隣で、祈ってみたくなったんだ」

 

その晩、ふたりは囲炉裏の火を囲み、言葉少なに時を過ごした。外では竹が風に軋む音がする。炭がはぜるたびに、周道の瞳が微かに揺れた。

 

「……蓮慧、お前には見えているのか?」
周道がぽつりとつぶやいた。

「この、心のなかの……迷いが。人のために祈ろうとすればするほど、自分が空っぽになる。俺には、何も与えられん」

 

蓮慧は、火の中を見つめながら言った。

「空っぽになるのは、いいことだ」

「……なぜだ」

「空っぽになったその場所に、珠(たま)が現れるからだよ」

 

言って、蓮慧は掌を合わせた。そして、声を低く落とし、山で唱えたあの真言をゆっくりと唱え始めた。

 

「おん さらばたたーがた うしゅにーしゃ だと」
「うん さつば だった はった うさば しゃだと……」

 

周道は最初、それをただ聞いていた。けれど、いつしか声なきままに、その音を心の奥で繰り返している自分に気づいた。

言葉ではなかった。祈りの音そのものが、彼の中に**「珠」**のように灯りはじめた。

ふと、涙が頬を伝った。

 

「……こんな俺でも、光を持てるのか」

「持ってるさ。最初から」

 

その夜から、周道はふたたび人の心に向き合い始めた。
だが、以前のように力づくではなく、ただ耳を澄ませ、ただ共に黙って祈ることを覚えた。

 

数年後、その竹林の庵には、多くの者たちが静かに訪れるようになった。

彼らは言った。

> 「あの人の前に坐ると、なぜか心が澄むんです」

 

そして、いつしか人々は**その庵を「珠庵(じゅあん)」**と呼ぶようになった。

 

第三話「夜の谷に咲く光」

それは、闇が底に満ちた村だった。
山の陰にひっそりと広がる谷間の集落。
今、その地では、子どもたちに奇病が流行していた。
熱を出し、うなされ、名を呼んでも目を開けない。
医者も薬師も手を尽くしたが、原因はつかめず、村人たちは恐れと疲労に沈んでいた。

 

そんなある日、一人の行者が村を訪れた。
――**蓮慧(れんえ)**である。

白衣に身を包み、風の音のように静かに歩くその姿に、誰かが呟いた。

> 「……あれが“珠を授かる者”か……」

 

蓮慧は、誰にも奇跡を約束しなかった。
ただ黙って病床の前に座り、掌を合わせ、目を閉じた。

 

最初の夜。
子を抱いて泣き崩れる母のそばで、彼はただ一言もなく、真言を唱え続けた。

 

「おん さらばたたーがた うしゅにーしゃ だと……」
「むどらに さらばたたーがたん うだらはさつ てんだんた やくたん……」

 

それは声というより音の波だった。
村の空気が、祈りの音に少しずつ共鳴していく。
火のような焦燥が、静かな水面のように鎮まっていく。
人々はただ黙って、彼の祈りを聞いた。

 

――その夜、谷に霧が立ちこめた。

そして、ひとつの病床の子どもが、静かにまぶたを開けた。

 

朝になり、何かが変わっていた。

子どもたちの熱が、少しずつ下がりはじめた。
不思議と、村人たちの顔にも、強張っていた表情の間に言葉の隙間が生まれていた。

 

蓮慧は、何も言わなかった。
病が治ったのは彼の功徳だとは言わなかった。

 

ただひとこと、山を離れる前に呟いた。

 

> 「珠は、夜の谷に咲く」
> 「見えぬだけで、いつもそこにある。
>  ただ、祈りが、その光を見せてくれる」

 

その言葉は、まるで霧の中に消えたが、
それからというもの、村人たちは、誰かが病に倒れたとき、
必ず、共に静かに祈るようになったという。

 

谷の夜には、再び光は見えなかった。
だが、祈りの手が集まるとき、
そこには必ず、珠のような安らぎが満ちていた。

 

第四話「宝珠は誰の中にあるか」

蓮慧(れんえ)が村を離れたあと、谷の人々は語り合った。

> 「蓮慧さま祈りが、子どもたちを救ったのだ」
> 「あの人こそ“珠”を持つ特別な者だ」

誰もが、祈りの力は“彼のもの”だと信じていた。
いつしか村の入口には、小さな祠が建てられ、彼の姿を模した石像が置かれた。

 

あるとき、一人の若者が、祠の前で手を合わせながら呟いた。

> 「自分の中に、そんな珠なんてない。俺はただ、あの人にすがりたいだけだ……」

 

そしてまた、別の声が上がる。

> 「蓮慧さまは、いつ戻ってくるのだろうか」
> 「“祈りのやり方”を教えてくれたら、自分も人を癒せるのに」

 

静かだった村に、**“待つ心”と“すがる心”**が満ちていく。

 

そして、ある日。
蓮慧が、ふたたび村に現れた。

彼は何も言わず、石像の前に立ち、しばらくそれを見つめたあと、背を向けた。
人々が後を追いかけ、彼に問いかけた。

 

> 「蓮慧さま、どうかまた祈りを──」
> 「私たちにも、“その珠”を分けてください!」

 

そのとき、蓮慧は、立ち止まって静かに言った。

 

> 「珠は、誰かからもらうものではない。あなたの中に、すでにある」

 

人々は顔を見合わせた。
誰もが口には出せなかったが、心のどこかでこう思っていた。

> (そんなはずはない。自分の中には何もない。
>  この人が特別なのだ。だから祈れるのだ)

 

蓮慧は、その沈黙を見ていた。
けれど、怒らなかった。ただ、ひとつの話をした。

 

> 「昔、私も空っぽだった。
>  何も与えられない者だと、思い込んでいた。
>  だが、空っぽになったとき、声なき祈りが胸に満ちた。
>  それが、“珠”だった」

 

彼は静かに、村人たちの方へ掌を向けた。

> 「あなたが誰かの痛みを感じたとき、
>  その胸の奥に、かすかな光があるはずだ。
>  それを信じ、手を合わせたとき──
>  それこそが、宝珠の光となる」

 

その言葉に、年老いた一人の女性が、
涙を流しながら合掌した。

彼女のそばにいた娘が、母の手を取って、そっと祈った。

 

そしてその夜、村の祠には光が満ちていたという。
それは、誰かの心の中で灯った珠の反映だったのかもしれない。

 

第五話「声なき祈りが導くもの」

蓮慧(れんえ)は、北の山裾にある集落へと足を向けていた。
そこは霧深く、道も細く、人の声があまり聞こえぬ土地だった。
かつて山崩れで多くを失ったその村には、いまだ笑い声も祭も戻っていなかった。

 

彼が村に入ったとき、誰も歓迎しなかった。
人々は顔を背け、無言で通り過ぎていった。
言葉も、信仰も、信頼も、すべてが失われて久しい村。

 

ただ、一人の少女だけが、彼の背中を見つめていた。

 

名を、**柊(ひいらぎ)**といった。
言葉を発することができず、村の片隅で日々を静かに過ごしていた。
彼女の目だけが、なにより多くを語っていた。

 

蓮慧は柊に気づくと、微笑み、小さな竹笛を取り出した。
音は出さず、ただ笛をそっと握って差し出した。
柊は、それを受け取り、胸に抱いた。

 

その夜、蓮慧は村の広場に坐した。
焚き火も灯さず、経も唱えず、ただ静かに目を閉じていた。

 

村人たちは訝しんだ。
「なぜ祈らぬのか」「なぜ言葉を出さぬのか」

 

しかし、柊だけは分かっていた。
**それは“声なき祈り”**だったのだ。

彼が発する祈りは、耳で聞くものではなかった。
沈黙そのものが、祈りだった。

 

翌朝、柊は笛を吹こうと試みた。
うまく音は出なかったが、村の子どもたちがその様子を見に来た。
やがて彼女の周りに、ぽつぽつと笑顔が戻りはじめた。

 

数日後、村の中央にある小さな祠に、誰かが花を手向けた。
誰が置いたのかは分からない。だが、そのとき村に流れていたのは――

 

言葉にされぬ“感謝”の気配だった。

 

蓮慧は静かに村を離れた。
柊は見送りながら、両手を合わせて祈った。
声は出さず、ただ祈った。

 

その夜、彼女の笛が、初めてかすかに音を鳴らした。

それはまるで、珠が共鳴した音のようだった。

第六話「沈黙の寺、響きの間」

旅の果て、蓮慧(れんえ)はひとつの寺に辿り着いた。
山深く、苔むした石段の奥に佇むその寺の名は――無響院(むきょういん)。

その寺には、ひとつの掟があった。

> 「この寺では、いかなる声も発してはならぬ」
> 「経文も読まず、鐘も鳴らさず、ただ“沈黙”の中に座すのみ」

 

蓮慧は、ためらわず門をくぐった。
そこには修行僧たちが静かに坐し、まるで音すらも封じた時の中に生きていた。

 

だが、その寺には一つの“異音”があった。
夜になると、本堂の奥の間からかすかな音が響いてくるという。
誰が奏でているのかは分からず、誰も近づくことも許されなかった。

 

ある晩、蓮慧はひとり、音を辿って本堂へ向かった。
扉の前に立つと、確かにそこからかすかに響く音があった。

──それは祈りの声でも、楽器の音でもない。
だが、確かに、心を震わせる響きだった。

 

扉の内にいたのは、一人の老僧だった。
名を、**黙念(もくねん)**といった。
かつて寺の長であり、二十年前、声を封じて以来、誰とも口をきかずにこの間に籠もっていたという。

 

老僧は、蓮慧に気づくと、そっと一枚の紙を差し出した。

そこにはこう記されていた。

> 「私は祈ることを、言葉で失った」
> 「祈るとは、“何を言うか”ではなく、“何に耳を澄ませるか”なのだと知った」
> 「だが私は今も、何かが足りぬ。
>  私の沈黙は“閉ざした”沈黙なのだ」

 

蓮慧は目を閉じ、老僧の前で掌を合わせた。
そのまま、ひとことも発さず、ただ静かに祈りの“響き”を流した。
まるで、彼の沈黙を、内側から打ち解くように。

 

夜が更ける中、
老僧の目から、静かに涙がこぼれた。

そして初めて、唇が微かに動いた。

 

> 「……聞こえた……」

 

誰の声でもなかった。
だが、胸の奥に珠の音が鳴ったのだった。

 

翌朝、無響院の鐘が、二十年ぶりに鳴り響いた。

それは誰かが打ったものではなかった。
だが、沈黙を貫いた者たちの胸に、共鳴する音が広がった。

 

 

 

 

 

 

 

いくらか世界が平和になるように、社会が安穏になるように、かけ声ばかりかけたって、社会がいきなりパーッと良くなることはないのです。

一人一人がみんな幸せになって、この社会が幸せな世の中になるわけです。高いところから、「日本が平和になるように。この広島がみんな幸せに、安定するように」と言っても、それはかけ声だけじゃないですか。

一人一人、一軒一軒の家庭がよくならなきゃいけない。それには、一

人一人、一軒一軒の人たちが、皆この霊的世界に目覚めて、自分たちが霊的な存在と共存しているんだ、密接な関係によってそれは成り立っているんだということを、よく理解するより他にはないんじゃなかろうかと思います。そう皆さんはお思いになりませんか?

わたくしは、この一九九九年を待たずして、いまこの瞬間にでも、明

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と、この「解説」とを合わせて、仏教の真髄を示す護摩となります。

「解取源摩」の「解説」とは、解放を意味します。なにからの解放か?

一切の束縛からの心の解放です。

それは、どのような意味を持つのでしょうか?

たとえば、ギリシア哲学の智者プラトンが求めたのは、かれの言葉に

4 よれば、「一切の束縛から解放され、われわれの魂が純粋に魂自身になることによってのみ。その根本の智慧、あるいは、真実の智慧に到達することができる」というものでした。ブラトンの師であるソクラテスもまた、同じように真実の智慧をどこまでも追い求めました。その究極には、 ファアの説く智慧とおなじものがあった、とわたくしは確信しておりま

わたくしは、自らの宗教者としての歩みのなかで、真実の智慧のみが

東崎からの心の解放

与える癒しが、人を揺るぎない心の平安に導くことを実際に体験いたしました。そして、揺るぎない心の平安から真の勇気が生まれることを、

いくつかの実例として見てきました。この揺るぎない心の平安をどのようにして得られるのか。今日は、そのことを皆さまにお伝えしたいと思います。

それは瞑想です。揺るぎない心の平安を与える瞑想ほど、人を本質的に変えるものはありません。瞑想によって、心は一切の束縛から解放され、真実の智慧に到ることができるからです。瞑想は、人間に無限の可能性を与えるのです。

いにしえの西洋のことわざにもございます。

はいなかった」と。 「いまだかつて、偉大な仕事を成し遂げた人で、瞑想の習慣をもたぬ人

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。 しかし、だれもが、いつでもできるように、そして、具体的なイメージをもって、きちんと解き明かした瞑想の解説は、あまりにも少ないように思います。

今日ご紹介する瞑想法は、「般若心経瞑想法」と申します。わたくしが般若心経をもとに作ったものです。

般若心経は、世界中の仏教徒に共通の経典です。これは、わずか、漢字二百六十文字でブッダの教えをすべて説き明かしております。それは、 「有」と「無」との対立を超えたところに、「空」という「カルマ」を断つ真理の世界のあることを教えています。

わたくしは、この真髄を会得するために、この優れた経典である般若 「心経をもとに「般若心経瞑想法」を作りました。それ

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髪と講演会です。

宗教者として、わたくしのできることは、祈りと瞑想による力の集約についてお伝えすることです。

世に、祈りほど強い力を持つものはありません。そして、瞑想は、その祈りに正しい方向づけをいたします。

わたくしたちは、祈りによって神を動かし、祈りによって仏を動かして、世界平和を構築せねばならない。この一点に向かって、われわれは力を集約せねばなりません。

その思いに燃えつつ、わたくしは、このニューヨークにまいりました。 そして、いま、このリバーサイド教会の演壇に立っております。

先ほど、わたくしは皆さまの前で「解脱護摩」をお焚き上げしました。

半年、このニュー