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無量の光、無量の命 ― 阿弥陀如来の誓い》

《無量の光、無量の命 ― 阿弥陀如来の誓い》

遥かな時の彼方、幾千もの仏国土が広がる彼方の世界。その一角に、名もなき一人の修行者がいた。彼の名は――法蔵(ほうぞう)。

法蔵は見た。無数の命が、苦しみと迷いの海に漂い、終わりなき輪廻の中に沈んでいくさまを。老い、病み、争い、愛し、また離れる――その繰り返しを。

「わたしは、すべての者を救う世界を築きたい」

そう誓った法蔵は、あるとき立ち上がり、果てなき宇宙を旅した。数え切れぬ仏たちのもとを訪れ、彼らの教えを学び、ついに一つの大願を心に描いた。

それは四十八の誓い。

中でも、ひときわ光を放つひとつの誓いがあった――第十八願。

「もし、我が浄土に生まれたいと願い、南無阿弥陀仏なむあみだぶつと、たとえ十声でも名を称える者があれば、必ずその者を極楽浄土に迎えよう。もしそれが叶わぬなら、我は決して仏とはならぬ」

この言葉とともに、法蔵は長劫の修行を経て、ついに**阿弥陀如来(あみだにょらい)**と成った。

その名は梵語でアミターバ(Amitābha)――「無量光仏」。限りない智慧の光を放つ仏。

また別の名はアミターユス(Amitāyus)――「無量寿仏」。永遠なる命の仏。

彼の住む世界は、西方十万億の仏国土を超えた彼方にあるとされる――極楽浄土。

この浄土には、苦しみはなく、争いはなく、命は朽ちることがない。花は常に咲き、鳥たちは仏法を語り、光は昼夜を問わず世界を照らす。

そしていまも、阿弥陀如来はその光と命をもって、衆生を見守っている。

 

ある密教の行者が、護摩の炎の前に坐し、静かに印を結ぶ。その唇からは、古より伝わる真言が静かに唱えられる。

オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン。

それは、阿弥陀の智慧と慈悲の名を呼ぶ、命の祈り。

彼の声は、霊的な風となって宇宙を巡り、やがて西方の光へと届く。

 

「この名を呼ぶ者、心を向ける者は、たとえいかなる業を背負おうとも、我が浄土に迎え入れよう」

そう、阿弥陀は誓った。

光は尽きることなく、命は終わることがない。

人々が迷いの闇に立ち尽くすその時、無量の光は、そっと彼らの背を照らしている。

 

 

 

 

《灯火の名を呼ぶ者 ― 阿弥陀の名にすがりて》

風が冷たい谷を渡る夕暮れ、人里離れた山のふもとに、ひとりの老いた旅人が倒れていた。名を**信成(しんじょう)**という。かつては町の役人であったが、失政により人を傷つけ、名を捨ててさすらいの身となった。

「私は、取り返しのつかぬことをした……もう、生きる資格などない」

痛む足を引きずり、信成は岩陰に身を横たえる。胸に重くのしかかるのは、過ちの記憶、裁けぬ罪、そして孤独。

――そのときだった。

耳に、どこからか届く声があった。

 

「ただ、名を呼びなさい」

 

それは風の中の幻聴か、それとも遠い昔に聞いた誰かの言葉だったか。老いた心に、その言葉が、灯火のようにともる。

彼は、かすれた声で唱えた。

 

「なむあみだぶつ……」

 

もう一度。震える声で。

「なむあみだぶつ……なむ……あみ……だぶつ……」

 

すると不思議なことに、涙が溢れた。まるで、凍っていた川が、春の陽射しに溶けるように。苦しみが、ほんの少し和らいだ気がした。

 

その夜、夢の中に光が現れた。

光の中に坐す一人の仏。その顔は怒りでもなく、憐れみでもない、ただ、深い慈悲と静寂に満ちていた。

仏は微笑み、こう語った。

 

「そなたが名を呼ぶたび、我はそなたのそばにいた」

 

目覚めた信成は、頬をぬらす涙を拭わず、ただ、深く合掌した。

あの夜を境に、彼はどこか穏やかな目を持つ老人として、村人たちに慕われるようになった。朝には念仏を唱え、誰彼なく手を差し伸べ、静かに生を全うしていったという。

 

――その葬の日。

遠くの空に、蓮の花が咲いたという噂が村に広がった。

それはまるで、極楽浄土へと導かれる者の魂が、蓮に乗って旅立ったかのように。

 

「名を呼ぶ者は、必ず救う」

阿弥陀如来の誓いは、今もこうして、ひとりひとりの心の中で果たされている。

《西方十万億土の彼方 ― 極楽浄土の光》

その瞬間は、まるで夢から醒めるようだった。

重く閉ざされた瞼が開き、信成は静かに目をひらいた。見渡すかぎり、柔らかな光が辺りを包んでいた。そこには苦しみも、寒さも、飢えもない。ただ、あたたかな風と、やさしい音が、どこからともなく響いていた。

 

「……ここは……?」

 

信成が目にしたのは、まばゆいばかりの蓮の大地。金色の砂が敷かれたその土地には、無数の蓮華が咲き誇り、空には七宝の楼閣が浮かんでいた。池には清らかな八功徳水が湧き、水面には光が踊るようにきらめいている。

その池の名は七宝池(しっぽうち)。

香り高い水は、触れる者の心を洗い清め、どこまでも澄んでいた。

空には鳥たちが舞い、その羽音が仏法の言葉となって降り注いでいる。カラヴィンカ、共命鳥、孔雀……どの声も、心に深くしみわたるような、やさしい調べだった。

 

そのとき――

空のかなたから、光が射した。

金色の輝きの中から、一人の仏が歩み出てくる。胸に慈悲をたたえ、眼差しはすべてを包み込むように深い。

その姿を見たとき、信成は跪いた。

涙が、自然と頬を伝う。

 

「……阿弥陀如来……」

 

仏は、微笑んだ。

声はなかったが、心に直接響いてくる。

「そなたは、名を呼んだ。ゆえに、ここへ来た」

 

信成は、何も言えなかった。ただ、静かに手を合わせ、頭を垂れた。

あの日の念仏は、無駄ではなかったのだ。名もなき旅人の声すら、阿弥陀如来は聞いておられた。

 

ふと顔を上げると、彼の隣に、かつての家族の面影があった。母が、弟が、そして若き日の妻が、同じく蓮の上に立ち、微笑んでいる。

 

「……おかえりなさい」

 

その一言に、信成はもう何も問わなかった。

極楽とは、かつて求めていたすべてが、慈悲という光の中に還る場所だった。

 

阿弥陀如来の背後には、観音菩薩と勢至菩薩が立ち、そのすべての光景を、やさしく見守っていた。

 

ここは、無量光と無量寿の国。
迷いも苦しみも越えた、安らぎの世界。

そして、あらゆる衆生が、ただ念仏一つをもって迎えられる――真実の浄土である。

 

《灯火の名を呼ぶ者 ― 阿弥陀の名にすがりて》

風が冷たい谷を渡る夕暮れ、人里離れた山のふもとに、ひとりの老いた旅人が倒れていた。名を**信成(しんじょう)**という。かつては町の役人であったが、失政により人を傷つけ、名を捨ててさすらいの身となった。

「私は、取り返しのつかぬことをした……もう、生きる資格などない」

痛む足を引きずり、信成は岩陰に身を横たえる。胸に重くのしかかるのは、過ちの記憶、裁けぬ罪、そして孤独。

――そのときだった。

耳に、どこからか届く声があった。

 

「ただ、名を呼びなさい」

 

それは風の中の幻聴か、それとも遠い昔に聞いた誰かの言葉だったか。老いた心に、その言葉が、灯火のようにともる。

彼は、かすれた声で唱えた。

 

「なむあみだぶつ……」

 

もう一度。震える声で。

「なむあみだぶつ……なむ……あみ……だぶつ……」

 

すると不思議なことに、涙が溢れた。まるで、凍っていた川が、春の陽射しに溶けるように。苦しみが、ほんの少し和らいだ気がした。

 

その夜、夢の中に光が現れた。

光の中に坐す一人の仏。その顔は怒りでもなく、憐れみでもない、ただ、深い慈悲と静寂に満ちていた。

仏は微笑み、こう語った。

 

「そなたが名を呼ぶたび、我はそなたのそばにいた」

 

目覚めた信成は、頬をぬらす涙を拭わず、ただ、深く合掌した。

あの夜を境に、彼はどこか穏やかな目を持つ老人として、村人たちに慕われるようになった。朝には念仏を唱え、誰彼なく手を差し伸べ、静かに生を全うしていったという。

 

――その葬の日。

遠くの空に、蓮の花が咲いたという噂が村に広がった。

それはまるで、極楽浄土へと導かれる者の魂が、蓮に乗って旅立ったかのように。

 

「名を呼ぶ者は、必ず救う」

阿弥陀如来の誓いは、今もこうして、ひとりひとりの心の中で果たされている。

《西方十万億土の彼方 ― 極楽浄土の光》

その瞬間は、まるで夢から醒めるようだった。

重く閉ざされた瞼が開き、信成は静かに目をひらいた。見渡すかぎり、柔らかな光が辺りを包んでいた。そこには苦しみも、寒さも、飢えもない。ただ、あたたかな風と、やさしい音が、どこからともなく響いていた。

 

「……ここは……?」

 

信成が目にしたのは、まばゆいばかりの蓮の大地。金色の砂が敷かれたその土地には、無数の蓮華が咲き誇り、空には七宝の楼閣が浮かんでいた。池には清らかな八功徳水が湧き、水面には光が踊るようにきらめいている。

その池の名は七宝池(しっぽうち)。

香り高い水は、触れる者の心を洗い清め、どこまでも澄んでいた。

空には鳥たちが舞い、その羽音が仏法の言葉となって降り注いでいる。カラヴィンカ、共命鳥、孔雀……どの声も、心に深くしみわたるような、やさしい調べだった。

 

そのとき――

空のかなたから、光が射した。

金色の輝きの中から、一人の仏が歩み出てくる。胸に慈悲をたたえ、眼差しはすべてを包み込むように深い。

その姿を見たとき、信成は跪いた。

涙が、自然と頬を伝う。

 

「……阿弥陀如来……」

 

仏は、微笑んだ。

声はなかったが、心に直接響いてくる。

「そなたは、名を呼んだ。ゆえに、ここへ来た」

 

信成は、何も言えなかった。ただ、静かに手を合わせ、頭を垂れた。

あの日の念仏は、無駄ではなかったのだ。名もなき旅人の声すら、阿弥陀如来は聞いておられた。

 

ふと顔を上げると、彼の隣に、かつての家族の面影があった。母が、弟が、そして若き日の妻が、同じく蓮の上に立ち、微笑んでいる。

 

「……おかえりなさい」

 

その一言に、信成はもう何も問わなかった。

極楽とは、かつて求めていたすべてが、慈悲という光の中に還る場所だった。

 

阿弥陀如来の背後には、観音菩薩と勢至菩薩が立ち、そのすべての光景を、やさしく見守っていた。

 

ここは、無量光と無量寿の国。
迷いも苦しみも越えた、安らぎの世界。

そして、あらゆる衆生が、ただ念仏一つをもって迎えられる――真実の浄土である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

梵名のアミターバは「量はかりしれない光を持つ者」[1]、アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」[1]の意味で[2]、これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいう

梵名は(अमिताभ, Amitābha)、あるいはアミターユス (अमितायुस्, Amitāyus)といい、それを阿弥陀と音写する。阿弥陀仏(阿弥陀佛)ともいい、また略して弥陀仏ともいう。

梵名のアミターバは「量はかりしれない光を持つ者」[1]、アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」[1]の意味で[2]、これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいう

真言・陀羅尼

小咒は、オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン[注釈 7](oṃ amṛta-teje hara hūṃ)。

大咒(無量寿如来根本陀羅尼)は、ノウボウ・アラタンノウトラヤーヤ・ノウマク・アリヤーミターバーヤ・タタギャタヤアラカテイ・サンミャクサンボダヤー・タニャタ・オン・アミリテイ・アミリトウドバンベイ・アミリタサンバンベイ・アミリタギャラベイ・アミリタシッテイ・アミリタテイセイ・アミリタビキランデイ・アミリタビキランダギャミネイ・アミリタギャギャノウキチキャレイ・アミリタドンドビソワレイ・サラバアラタサダニエイ・サラバキャラマキレイシャキシャヨウキャレイ・ソワカ。

チベット伝承の「無量光仏心咒」は、オーン・アミターバ・フリーヒ(oṃ amitābha hrīḥ)[8]。

またはオーン・アミデーヴァ・フリーヒ (oṃ amideva hrīḥ)[9]、ཨོཾ་ཨ་མི་དྷེ་ཝ་ཧྲཱིཿ

チベット伝承の「無量寿仏心咒」は、オーン・アマーラニ・ジーヴァーンティーイェー・スヴァーハー(oṃ amāraṇi jīvāntīye svāhā)[8]。

 

『光の方へ ― :都市に響く念仏』

コンビニの祈り

東京・新宿。ネオンがちらつく雑踏のなか、片桐遼(かたぎり・りょう)はコンビニのレジ打ちをしていた。
深夜シフト。疲れた目、無言の客。SNSでは誰もが誰かを羨み、叩き、叫んでいる。

「死にたいって言葉、もう百回は見たな…」

スマホの画面を伏せ、遼はふとつぶやいた。
でも、言葉の裏にある“助けて”を誰が受け止めるのだろうか。

休憩室の隅、祖母の形見の数珠を手に取った。
彼女がよく唱えていた言葉が、遼の胸にかすかに浮かぶ。

「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ……」

声に出したそのとき、不思議なほど、胸のつかえがふっとゆるんだ。

誰かが聞いている

翌朝、ネットの掲示板にひとつの書き込みが話題になった。

「深夜コンビニで『南無阿弥陀仏』ってつぶやいたら、不思議と心が落ち着いた。これって何の言葉?」

それに多くのリプライがつく。

「うちのばあちゃんも言ってた」

「浄土宗とか、浄土真宗のやつだろ?」

「念仏ってマジで効くの?」

「南無=帰依、阿弥陀仏=仏に…って意味らしいよ」

やがて、ある僧侶のアカウントが返信をつけた。

「念仏は、阿弥陀如来に“まかせる”という祈りです。あなたの苦しみを、抱えてくれる存在がいることを思い出す行いです。」

「まかせる…?」
遼はその言葉にひっかかった。
それは、「頑張れ」という言葉より、ずっと深い温かさを感じさせた。

デジタル念仏道場

数週間後、「念仏スペース」という試みがSNS上で話題になる。
スペース(音声配信)で、全国の僧侶がリレーで念仏を唱え続けるのだ。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏――」
その声をイヤホン越しに聴くと、不思議な安心感があった。

不眠に悩む会社員、SNS疲れの学生、病床の人たち…
誰にも会いたくない夜でも、誰かが祈ってくれていると感じられる場所。

遼も時々、無言でそこに入り、目を閉じるようになった。

「仏って…スマホ越しでも届くのかな」
彼は笑った。けれどその心は、確かに何かに触れていた。

第四章 都市に咲く浄土

ある日、コンビニにひとりの老婆が訪れる。
手にした小さなチラシにはこう書かれていた。

「誰でも入れる念仏会 都会の片隅で、光に出会いませんか?」

それは、小さな寺の集まりだった。
遼はなぜか惹かれ、休日に足を運んだ。

お経も法話も初めてで、最初は戸惑った。
けれど、皆がひとつの声で「南無阿弥陀仏」と唱えると、都市の喧騒が遠のいていく気がした。

そのとき彼は、気づいた。

極楽浄土とは、ただ死後に行く理想郷ではなく、
この現実の中に、光を見出す心のあり方なのだと。

他力の光、ここに在り

日常は何も変わらない。
レジには無言の客、画面には絶えない苦しみの声。

けれど、遼の胸には、ひとつの灯がある。

「南無阿弥陀仏」

この言葉は、誰かを裁くでも、励ますでもない。
ただ、共に歩む光の声だ。

遼は今日も、数珠をポケットにしのばせ、つぶやく。

「なんまんだぶ…」

この都市の片隅にも、阿弥陀如来の光は届いている。
そして、救いは今ここに、ひとりひとりの心のなかに、静かに生まれているのだった。

 

これは**准胝観音(じゅんていかんのん)**の真言です。
漢字表記にすると次のようになります。

オン モ・シュッタ・マニ ジュンテイ アバラ・ジッタ タニ・テイ ソワカ
(梵語:oṁ cundī svāhā などの音写)

意味の解説

准胝観音は、千の手を持ち、あらゆる衆生を救う女性形の観音菩薩です。
とくに滅罪・延命・福徳・智慧の増長などの功徳があるとされます。

オン(oṁ)
聖音。仏・法・僧の三宝を一体に表す始まりの音。宇宙の根源を呼び起こす。

モシュッタ(mo śuddha)
「清浄なるもの」「けがれなきもの」。心を清めることを願う意。

マニ(maṇi)
宝珠。智慧や慈悲の宝。衆生の願いをかなえる力の象徴。

ジュンテイ(cundī)
准胝観音そのものの御名。

アバラジッタ(apara-jita)
「無敵なる者」「決して敗れぬ者」。煩悩や悪業に打ち勝つ力を示す。

タニテイ(dhāriṇī)
「保持する者」「守護する力」。真理を保ち続ける力を意味する。

ソワカ(svāhā)
「成就あれ」「願いよ、かなえたまえ」という結びの言葉。祈りを完成させる響き。

まとめると、この真言は大意として、

「聖なる准胝観音よ、清浄なる宝珠のごとき御力で、すべての障害を打ち破り、私を護り、願いを成就させたまえ」

という祈りになります。

もしご希望があれば、この真言を現代語訳の祈りの言葉にして、より心に響く形に整えることもできます。

清らかなる御方よ、
宝珠のように輝く御心で、
迷いや苦しみを打ち破り、
私を護り、導きたまえ。

無敵の智慧と慈悲を、
この胸にとどめ、
願いと命を、成就へと至らせたまえ。

今日の運命 Today’s Fate 今日缘分  2025年8月10日

今日の運命 Today’s Fate 今日缘分  2025年8月10日

乙巳 二黒土星 歳
甲申 五黄土星 節
辛亥 七赤金星

七赤金星の日

 人より協力の依頼を受けたりする日。金運、喜び事あるも調子に乗って酒色に乱れぬよう心すべき日。小利に迷わず自他喜びを共にする心掛けも大切

 

再生の週 衰の日

現状を分析し今後の計画を立てる日

精神的に不安定で、体調もすぐれないことが多い日です。ちょっとした不注意で病気や怪我を招いてしまいます。決断力が鈍り安易な選択をしてしまいがちなので、商談や交渉事、契約は避けた方が無難です。どんなにうまい話であってもこの日に決断するのは避けましょう。ネガティブな感情にとらわれやすいので、悩みや迷いがあっても、ひとりで答えをだそうとせずに相談できる人に早めに打ち明けましょう。心身を整える日だと理解して、一人で穏やかに過ごすことを心がけてください。

 

阿弥陀如来

命あるものすべてを救うべく誓いを立て、極楽浄土に導く

 

阿弥陀如来(あみだにょらい)とは?

無限の寿命を持つことから無量寿如来ともいいます。限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。

 

阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるといわれています。そのほか来迎の様子をあらわす場合もあります。

ご利益

極楽往生、現世安穏のご利益があります。また、戌・亥年生まれ守り本尊です。

阿弥陀如来(あみだにょらい)の像容

釈迦如来と同じく装飾品は一切ないです。来迎印という印は、極楽浄土に迎えに来たことを意味していますよ。この印相は施無畏・与願印に似ていますが、第1指ともう1本の指をねじるのが特徴です。

 

特殊な例としては、宝冠阿弥陀像、裸形阿弥陀像、斜めうしろを振り返る姿をしている見返り阿弥陀などがあります。

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