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增一阿含経・三供養品

供養を実践する者たちの現代物語

增一阿含経・三供養品

聞如是。一時仏在舍衛国祇樹給孤独園。爾時世尊告阿難。

根。不可窮尽。漸至涅槃界。云何為三。所謂於如来所而種功德。

有三善

此善根不可窮尽。於正法。而種功德。此善根不可窮尽。於聖衆而種功德。此善根不可窮尽。是謂阿難。此三善根不可窮尽得至涅槃界。是故阿難。当求方便獲此不可窮尽之福。如是阿難。当作是学。

爾時阿難聞仏所說。歓喜奉行

『増一阿含経・三供養品』 現代語訳

 

私はこのように聞きました──

ある時、お釈迦さまは舎衛国(しゃえこく)の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられました。
その時、世尊(せそん:お釈迦さま)は阿難(あなん)に次のように語られました。

「阿難よ。善き行い(善根:ぜんこん)には尽きることがなく、それは少しずつ積み重なって、ついには涅槃(ねはん)という悟りの境地に至るのだ。
では、どのような善き行いが三つあるか。これを『三善根(さんぜんこん)』という。

一つ目は、如来(仏さま)に対して供養し、徳を積むこと。
二つ目は、正しい教え(正法:しょうぼう)に対して供養し、徳を積むこと。
三つ目は、聖なる修行者たち(聖衆:しょうじゅ)に対して供養し、徳を積むこと。

この三つの善根は、いずれも尽きることがなく、必ず涅槃の境地へと導いてくれる。

だからこそ、阿難よ──
この尽きることのない福徳を得るために、工夫して実践するように努力しなさい。

このように心がけて、生きるのだ。」

この教えを聞いた阿難は、たいへん喜び、心から受け入れ実践することを誓いました。

 

『供養を実践する者たちの現代物語』

として、「三供養(仏・法・僧への供養)」を現代の社会に生きる人々の姿を通して描いた短編連作物語の第1話をお届けします。

第一話 『祈りの花を、仏に』

東京・上野。
人通りの多い駅前から少し歩いたところに、古びた小さな寺がある。
その寺に、ひとりの青年が足を踏み入れた。名は 原田 誠(はらだ・まこと)。
IT企業に勤める30代のサラリーマンだ。

週末の午後、彼は決まってその寺を訪れる。
理由は、亡き母のための供養だった。

母が亡くなって三回忌を迎える年。彼の心には、ずっと引っかかる思いがあった。
――もっと、何かできたはずだ。
看取れなかった後悔。仕事に追われていた日々。
「ありがとう」も「ごめんね」も、ちゃんと伝えられなかった。

そんなとき、ふと立ち寄ったこの寺の住職が、こう語ったのだ。

「仏に供養をするというのは、ただ線香をあげることではないんですよ。
“仏の心を思い出すこと”です。
あなたの中にある、母を想う優しさや感謝。
それが、供養の花になるのです。」

その日から、誠は毎週末、小さな花を一輪、寺に供えるようになった。
派手な花ではない。季節の草花を、静かに手向ける。

彼の手にはいつも、スマホの画面ではなく、一枚の紙があった。
そこに書かれているのは、母の口癖だった言葉。
「笑ってれば、きっとなんとかなるよ。」

ある日、住職がそっと尋ねた。
「その紙、何ですか?」

誠は少し照れくさそうに笑った。
「母の言葉です。仏壇に置くと、なんだか会える気がして。」

住職は静かに頷いた。
「それは、立派な供養です。
あなたの心が、今も仏に届いているのですよ。」

その日、寺の鐘の音が街に響いた。
忙しく流れる現代の街に、静かな祈りのひとときがあった。

その青年の供養は、仏に向けられた花。
その心は、尽きることなき善の種となって、確かにこの世界に咲いていた。

第二話『本の背中にあるもの――正法を供養する編集者』

東京・神保町。
古書店が立ち並ぶこの街に、一軒の小さな出版社がある。
そこに勤める編集者、斉藤ゆかりは三十代半ば。
仏教関係の書籍を多く手がける老舗の出版社で、数少ない若手編集者だった。

ある日、彼女は一冊の古い草稿に出会う。
棚の奥にしまわれていた、著者不詳の手書き原稿。
表紙にはこう記されていた。

『日々是法(にちにちこれほう)――生活に活かす仏の言葉』

内容は、釈尊の教えを現代の生活に照らして解説する随想集。
だが、どれも名もない人の言葉のように、静かで、誠実だった。

その文を読み進めるうちに、ゆかりは不思議な感覚にとらわれた。
“これは法(ダルマ)の声だ”
そう思えたのだった。

社内会議では、「売れない」と一蹴された。
今は自己啓発やスピリチュアル系の派手なタイトルが求められる時代。
古くさく、著者も不明な仏教エッセイ集など、扱っても赤字になるだけだと。

だが、ゆかりは言った。

「この本には、声があるんです。
静かだけど、確かな祈りのような。
売れるかどうかよりも、今この社会に必要な“言葉”がここにあると思うんです。」

出版部長はしばらく沈黙した後、言った。

「なら……あんたが責任を持つって条件で、やってみろ。」

彼女は個人責任で企画を立ち上げ、印刷所に足を運び、表紙のデザインまで自ら関わった。

やがて出版された本は、広告も出せず書店にもほとんど並ばなかった。
だが、不思議なことに、口コミで少しずつ読者の心に広がっていった。

ある読者がSNSにこう記していた。

「朝、会社に行く前にこの一文を読むと、怒りが少しおさまる。
“いま、ここに生きる心を忘れないように”って。」

斉藤ゆかりは思った。
これこそが、正法への供養ではないかと。
教えを埋もれさせず、言葉を通して人々の心に届けること。
それは、現代における「書く供養」であり、「編む供養」であり、「読む供養」だった。

あの名もなき原稿の筆者は、いまだ不明のままだ。
けれどその言葉は、今も誰かの朝を照らしている。

第三話『カフェに集う僧たちへ――尼僧と若者たちの縁』

京都・左京区の静かな住宅街に、ひとつの小さなカフェがある。
店の名は「梢(こずえ)」。
店主は、四十代半ばの女性、尼僧・美樹(みき)。
彼女は比叡山で修行したのち、俗世と仏法をつなぐ場所としてこの店を開いた。

木の温もりが感じられる内装と、心を落ち着かせるお香の香り。
その店には、ちょっと変わった“常連客”たちがいた。
大学で宗教学を学ぶ若者たち、
仏門を志しているが迷いを抱える青年、
心を病み、しばらく職を離れていた元看護師。

皆、どこかで「仏の教え」に救われた経験を持つ人たちだった。

ある春の午後、美樹はカウンターでお茶を淹れながら、ふとこんな話をした。

「供養ってね、食べ物をお供えすることだけじゃないの。
“支える”っていう意味なのよ。
僧たちの修行が続けられるように、
その道が絶えないように、“縁をつなぐ”こと。」

それを聞いていた大学生の拓真(たくま)が、ぽつりと尋ねた。

「でも……今どき、修行僧って必要なんでしょうか?
SNSや動画で法話も見れるし、
わざわざ山にこもる意味って……あるのかなって。」

美樹は微笑んで、静かに言った。

「必要かどうかを決めるのは、今の人間じゃないわ。
“道がそこにあり続ける”ことが、大事なの。
どこかで誰かが、その道を歩いている。
そう思うだけで、人は安心することもあるのよ。」

その夜、カフェに来ていた看護師の綾香が帰り際にそっと言った。

「私、以前お世話になってたお寺の若いお坊さんに、お手紙を書いてみようと思います。
あのとき助けてもらった感謝、ちゃんと伝えたくて。」

その言葉に、美樹は深くうなずいた。

「それも立派な供養よ。
“僧に心を寄せる”ということも、道を支える灯火なの。」

そして店の奥、ひとつの棚に、
カフェに通う人たちが書いた手紙やメッセージが束ねられていた。
その多くは、今も修行を続ける僧たちに宛てた応援の言葉だった。

それらは、華やかでも、目立つものでもない。
けれど確かに、**修行者たちの道を支える「無言の供養」**であった。

春の夜、梢の灯りは今日もあたたかく、
静かに、僧たちへの祈りを受けとめていた。

 

第四話『尽きぬ福を生きる――三つの灯を継ぐ者』

秋の午後、東京・谷中の古寺で、ひとつの法要が営まれていた。
「報恩法会(ほうおんほうえ)」──
命あるものすべてに感謝を捧げる、年に一度の静かな祈りの場。

参列者の中に、三人の姿があった。
彼らはそれぞれ、別々の場所で供養を実践してきた者たちだった。

一人目は、原田誠(第一話)。
母のために、仏に向けて花を供え続けたIT企業の青年。
この日は、母の好きだった金木犀の枝を手に、初めて法要に参加していた。

「この香りがすると、いつも母を思い出すんです」
住職の問いに、彼はそう静かに答えた。

二人目は、編集者の斉藤ゆかり(第二話)。
出版を通して、正法の声を世に届ける仕事に尽くしてきた。
あの無名の仏教エッセイ集が静かな反響を呼び、今では全国の小さな書店から再注文が届いている。

「教えは、生きてるんだなって思います。
声にならない祈りが、人から人へ伝わっていくみたいに。」

彼女は法会の読経に耳を傾けながら、ふと涙ぐんでいた。

三人目は、元看護師の綾香(第三話の登場人物)。
僧侶への感謝の手紙を書いたことをきっかけに、再び福祉の現場へと戻っていた。
この日、導師を務める若い僧侶は、かつて彼女が手紙を送った相手だった。

読経のあと、二人の目が合った。

僧侶はそっと合掌し、微笑んだ。
綾香も深く頭を下げた。
言葉ではなく、心が交わされた。

法要の終わり、三人は同じ廊下で偶然すれ違った。
初めはただ軽く会釈しただけだったが、ふと境内に並んだお茶席で自然と話し始めた。

「……不思議ですね」
誠が言った。

「違う道を歩いてても、結局“何かを大切に思う心”で、つながってる気がする。」

ゆかりが続けた。

「それって、まさに“供養”なのかも。
仏を想い、法を伝え、人を支える――
結局、それ全部が“誰かに心を寄せること”なんですね。」

綾香は静かに言った。

「その心って、尽きないんですよね。
失われることがない。
誰かがちゃんと、受け取ってくれる。」

三人の前に、紅葉がひとひら舞い落ちる。
風は静かに流れ、祈りの余韻が境内を包む。

その日、彼らはそれぞれの人生に戻っていった。
けれど、三つの供養の灯火は、確かに彼らの胸に灯っていた。
それは誰にも消せぬ、尽きることなき福として。

完 ― 三供養

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雑阿含経・応説経

雑阿含経・応説経

如是我聞。一時仏住拘留国雑色牧牛聚落。爾時仏告諸比丘。

我以

知見故。得諸漏尽。非不知見。云何以知見故。得諸漏尽。非

不知

見。謂此色此色集此色滅。此受想行識。此識集此識滅。不修方便

随顺成就。而用心求令我諸漏尽心得解脱。当知彼比丘終不能得漏

尽解脱。所以者何。不修習故。不修習何等。謂不修習念処正勤如

意足根力党道。譬如伏鶏生子衆多。不能随時蔭餾消息冷暖。而欲

令子以特以爪啄卵自生安穩出殼。当知彼子無有自力堪能方便以烤

以爪安穩出殼。所以者何。以彼鶏母不能随時蔭餾冷暖長養子故。

如是比丘。不勤修習随順成就。而欲令得漏尽解脱。無有是处。所

以者何。不修習故。不修何等。謂不修念処正勤如意足根力覚道。

若比丘修習随順成就者。雖不欲令漏尽解脱。

而彼比丘自然漏尽。

心得解脱。所以者何。以修習故。何所修習。 正復不欲令

謂修念処正勤如意足

如彼伏鷄善養其子。随時蔭餾。冷暖得所

子方便自啄卵出。然其諸子自能方便安穩出殼。 鶏随時蔭餾冷暖得所故。如是比丘。善修方便。

所以者何。

以彼伏

而彼比丘自然漏尽。心得解脱。所以者何。以勤修習故。

正復不欲漏尽解脱。

何所修習。

謂修念処正勤如意足根力覚道。

譬如巧師巧師弟子。

手執斧柯。捉

之不已。漸漸微尽手指

処現。然彼不覚斧柯微尽而尽処現。

如是比

丘。精勤修習随順成就 。不自知見今日爾所漏尽。

然彼比丘。知有漏尽。

所以者何。以修習故。何所修習。

謂修習念

明日爾所漏尽。

処正勤如意足根力覚道。譬如大舶在於海辺。

藤綴漸断。如是比丘。精勤修習。

随順成就。

経夏六月風飄日暴。

漸得解脱。所以者何。

善修習故。

何所修習。

一切結縛使煩悩纏。

謂修習念処正勤如意

不起諸漏。

足根力覚道。說是法時六十比丘。 已。諸比丘聞仏所說。歓喜奉行

心得解脱。仏説此経

 

現代語訳

「いろいろな方法を駆使して修行を行っても成就しない者が、もろもろの煩悩が尽き、心に解脫を得たいと思っても、あの僧侶(修行者)たちは、ついに漏尽解脱を得ることはできません。

それはなぜでしょうか?

修行していないからです。

なにを修行していないのでしょうか?

それは、いわゆる四念処法(四念処む)・四正勤法(四正断法)・四如意足法(四神足法)・五根

街・五力法・七覚支法・八正道を修行していないのです」

解説

ここは、『応説経』の中でも特に重要なことが、説かれているところです。

たいへんなことが書かれているわけですが、諸君はそれに気づいたでしょうか?

漏尽解脱とは、漏(煩悩)がすべて尽きた状態ですから、完全解脱、つまり成仏したということです。その完全成仏を心から願って修行しているのに、それができない僧侶たちがいる、とお釈迦さまがおっしゃっておられるわけです。これは大問題です。

なぜ、その僧侶たちは成仏できないのか? それは、四念処法・四正動法・四如意足法・五根法・五力法・七覚支法・八正道を修行しないからだ、とお釈迦さまは説かれているわけです。

す。

この四念処法・四正動法・四如意足法・五根法・五力法・七覚支法・八正道というのが、わたくしがいつもお話ししているお釈迦さまの成仏法、「七秒三下、七道品」です。わたくしはこれを、 成仏のための七つの科目(システム)、三十七の修行法(カリキュラム)であると申し上げております。念処・正勤・如意足・根・力・覚・道で七科目。そして、それぞれが四・四・四・五・ 五・七・八からなる修行によって成り立っておりますから、全部を合わせて三十七になるわけで

お釈迦さまは、この修行を行わない者はたとえそれが僧侶であっても、その人がどのように成仏を望んでも、絶対に成仏することはできない、とおっしゃっています。

 

 

「彼の比丘はついに成仏することがで

と、おっしゃっておられます。「彼比丘」というこの三文字の中に、日本の大乗仏教の僧侶が全部入っているわけです。きっと、「阿含経」以外のお経を信仰し、それを広める僧侶たちが出現することを、予見しておられたのでしょう。

ですから、このお釈迦さまのお言葉に基づいて、

「仏教の伝来以来、大乗仏教のお坊さんは誰一人として、成仏していない」

と説いているのです。

 

 

『炎の中の祈り』

1. 静寂の山

季節は移り、深い山奥。
苔むした石段の奥、不動明王を祀る古い堂が、ひっそりと佇んでいた。

山風が木々を揺らし、鳥の声も遠い。
その静寂の中、焚かれた護摩の炎が赤々と揺れている。

僧衣をまとう一人の若者が、ゆっくりと手を合わせる。
彼の額には、かつて戦いの証として刻まれた五つの梵字が、仄かに光を宿していた。

その者の名は――レン。

今はただ、**「祈り手」**として生きている。

**

2. 祈りの意味

「すべての苦しみ、怒り、悲しみを越えた先に
なおも、救われぬ声がある。
その声のために、我はここに在り続ける。」

護摩木を一本、また一本と火に投じながら、レンは静かに唱える。

火は天へと昇り、煙が舞い上がる。
その煙の先に、人々の願いがある。

この炎は、破壊ではない。
憤怒でもない。
それは、再生を照らす明かりとなる。

かつて、自らの過去に焼かれ、死の地獄を歩いた彼が、
今では誰かの祈りの道しるべとなっていた。

**

3. 炎の向こうに

護摩壇の奥、金色の像が微笑んでいる。

不動明王。
すべての戦いの始まりであり、終わりの姿。

だがレンは知っている。
あの憤怒の表情の奥に、誰よりも深い慈悲があることを。

ふと、焔の中に龍が一瞬だけ姿を見せた。
それは倶利伽羅剣に宿った魂か、あるいは導いてくれた明王たちか。

レンは静かに微笑み、目を閉じる。

「今度は、俺が守る。誰かのために――俺が、灯火になる」

焔がぱち、と音を立てて弾けた。

**

4. 山を下りる

やがて、祈りを終えたレンは、ゆっくりと山を下りていく。

その手には剣も印もない。
だが、彼の歩む一歩一歩が、まるで道を照らす光のように感じられる。

春の光が差し、山桜がひとひら、彼の肩に舞い降りた。

――不動のごとく、進め。
  燃えるような心を持ちながら、静かに、確かに――

そして、その背には炎のように揺らぐ希望が、確かに灯っていた。

Xiaomi Pad 7 タブレット 8G+128G Snapdragon 7+ Gen 3 3.2K 144Hz高精細ディスプレイ

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日本版「Xiaomi Pad 7」の主なスペックは以下のとおりです。

日本版「Xiaomi Pad 7」のスペック
  • OS:Android (Xiaomi HyperOS)
  • ディスプレイ:11.2 インチ(3200×2136)
  • SoC:Snapdragon 7+ Gen3
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  • USB:Type-C
  • バッテリー:8850mAh
  • サイズ:251.22(W)x173.42(H)x6.18(D) mm
  • 重量:500g

 

 

 

 

阿弥陀の光

阿弥陀の光

夕暮れの山寺に、風がひとすじ吹き抜けた。
老僧はゆっくりと石段を上り、灯明のゆらめく本堂へと入る。そこに鎮座しているのは、金色の光をたたえた阿弥陀如来像だった。

「命あるものすべてを救うべく、誓いを立てた仏──」
老僧の声は、木の梁に柔らかく反響する。
その御名は、阿弥陀如来。無限の寿命を持つことから、無量寿如来とも呼ばれる。限りない光、限りない命──それは智慧と慈悲の象徴であり、西方極楽浄土の教主として、衆生を導き続けてきた。

かつて、阿弥陀は四十八の大願を立てた。その中のひとつには、こう記されている。
「もし我が名を称える者あらば、必ず極楽へ迎え入れん」
だからこそ、人々は「南無阿弥陀仏」と唱える。自らの力ではなく、阿弥陀の力を信じ、すがって往生を願う──その心を、人は「他力本願」と呼んだ。

僧は、脇侍の聖観音と勢至菩薩にも目を向ける。二十五の菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えに来る来迎の姿は、まるで西の空から差し込む夕日そのものだった。

阿弥陀の印相は来迎印。施無畏印にも似ているが、親指ともう一本の指がわずかにねじれ、まるで「さあ、こちらへ」と手を差し伸べているようだ。装飾品はなく、静かに、しかし確かにこちらを見つめるその眼差しは、永遠に変わらぬ約束を宿している。

特殊な姿もある。宝冠を戴く阿弥陀、裸形の阿弥陀、そして振り返りざまに微笑む「見返り阿弥陀」。それぞれが、衆生との距離を縮めるための慈悲の姿だった。

老僧は膝をつき、低く真言を唱える。
「オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン…」
オン──帰依の響きが胸に広がる。
アミリタ──不死の甘露が、心を潤す。
テイ──神聖な光が、瞼の裏を照らす。
ゼイ──清らかな風が、内なる塵を払う。
カラ──その働きは、すべてを包み込む。
ウン──一音に凝縮された仏の種子が、静かに魂を揺らす。

その夜、老僧の夢には、雲に乗った阿弥陀如来が現れた。
遠く西の空に広がる金色の光の中で、阿弥陀は穏やかに微笑み、ただひとことだけ告げた。

「さあ、帰ろう──極楽へ。」

西方浄土の誓い ― 法蔵菩薩の願立

遠い昔、まだこの宇宙が若く、無数の仏国土が輝きを放っていたころ。
彼はひとりの修行者だった。名を、法蔵菩薩という。

ある日、法蔵は無数の仏国土を巡った。黄金に輝く世界、宝石が地を覆う世界、香気が風に満ちる世界──それぞれに仏がいて、衆生を導いていた。しかし、どの国にも「救われぬ者」がわずかに残っていた。

ある世界では、信心を持てぬ者が置き去りにされ、またある世界では、罪深き者が救いから外れていた。

その光景を前に、法蔵は深く胸を締めつけられる思いがした。
「なぜ、すべての者を救えぬのか。なぜ、選ばれし者だけが仏国土に至るのか。」

彼は、すべてを救う国土を創ると決意した。
そのためには、まず理想の国土を思い描く必要がある。法蔵は、世自在王仏の前にひざまずき、静かに言葉を紡いだ。

「世自在王仏よ。私は願います。
どんな者も拒まぬ国土をつくりたい。
善も悪も、賢も愚も、老いも若きも、すべて等しく受け入れる国を──」

世自在王仏はその瞳で、法蔵の心を深く見つめた。
「法蔵よ、それは容易ならぬ道だ。
だが、もし本気で願うのなら、その願いを大誓として立て、成就するまで修行しなければならぬ。」

その瞬間、法蔵の胸に無数の光景が流れ込んだ。
罪人が涙を流しながら仏の名を称える姿、孤独な者が温かい光に包まれる姿、死にゆく者が微笑みながら西の空を仰ぐ姿…。

法蔵は深く息を吸い込み、やがて静かに、しかし揺るぎない声で誓った。
「私は四十八の大願を立てます。
もし、その誓いが一つでも果たされぬなら、私は決して悟りを得ず、仏とならぬでしょう。」

その中でも、ひときわ強く光る願いがあった。
──もし私の名を聞き、信じ、南無阿弥陀仏と唱える者があれば、必ず極楽浄土へ迎え入れる。

天地が静まり返る。
その誓いは、永遠の時を越えてすべての命を包む種子となった。

やがて修行を成就した法蔵は、阿弥陀如来として西方極楽浄土を開き、誓いの通り、すべての命を迎える存在となったのである。

西方浄土の誓い ― 法蔵菩薩の願立

遠い昔、まだこの宇宙が若く、無数の仏国土が輝きを放っていたころ。
彼はひとりの修行者だった。名を、法蔵菩薩という。

ある日、法蔵は無数の仏国土を巡った。黄金に輝く世界、宝石が地を覆う世界、香気が風に満ちる世界──それぞれに仏がいて、衆生を導いていた。しかし、どの国にも「救われぬ者」がわずかに残っていた。

ある世界では、信心を持てぬ者が置き去りにされ、またある世界では、罪深き者が救いから外れていた。

その光景を前に、法蔵は深く胸を締めつけられる思いがした。
「なぜ、すべての者を救えぬのか。なぜ、選ばれし者だけが仏国土に至るのか。」

彼は、すべてを救う国土を創ると決意した。
そのためには、まず理想の国土を思い描く必要がある。法蔵は、世自在王仏の前にひざまずき、静かに言葉を紡いだ。

「世自在王仏よ。私は願います。
どんな者も拒まぬ国土をつくりたい。
善も悪も、賢も愚も、老いも若きも、すべて等しく受け入れる国を──」

世自在王仏はその瞳で、法蔵の心を深く見つめた。
「法蔵よ、それは容易ならぬ道だ。
だが、もし本気で願うのなら、その願いを大誓として立て、成就するまで修行しなければならぬ。」

その瞬間、法蔵の胸に無数の光景が流れ込んだ。
罪人が涙を流しながら仏の名を称える姿、孤独な者が温かい光に包まれる姿、死にゆく者が微笑みながら西の空を仰ぐ姿…。

法蔵は深く息を吸い込み、やがて静かに、しかし揺るぎない声で誓った。
「私は四十八の大願を立てます。
もし、その誓いが一つでも果たされぬなら、私は決して悟りを得ず、仏とならぬでしょう。」

その中でも、ひときわ強く光る願いがあった。
──もし私の名を聞き、信じ、南無阿弥陀仏と唱える者があれば、必ず極楽浄土へ迎え入れる。

天地が静まり返る。
その誓いは、永遠の時を越えてすべての命を包む種子となった。

やがて修行を成就した法蔵は、阿弥陀如来として西方極楽浄土を開き、誓いの通り、すべての命を迎える存在となったのである。

 

初めての来迎 ― 誓いの果てに

西の空が、黄金の光で満ちていく。
阿弥陀如来は蓮華の台に座し、聖観音と勢至菩薩を両脇に従え、さらに二十五の菩薩を雲に乗せて従えていた。
その光は、昼の太陽にも夜の月にも似ず、ただあたたかく、限りなく優しかった。

今日が、その時だった。
法蔵菩薩として立てた四十八願はすべて成就し、いま、誓いの第一歩を果たす時が来たのだ。

迎えるべき衆生は、東方の小さな村にいた。
老いた女が、藁の寝床の上で静かに息をしている。
この世に頼れる者はなく、貧しさと孤独の中で生きてきたその人は、ただ一心に、胸の中で唱え続けていた。

──南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。

阿弥陀の耳に、そのかすかな念仏が届いた瞬間、世界の時がわずかに止まった。
蓮華はひとひら、女の枕元に舞い落ち、香気が部屋を満たす。

阿弥陀は雲を割り、そっと女の枕元へ降り立った。
来迎印を結び、静かに右の手を差し伸べる。
聖観音は金色の蓮を捧げ、勢至菩薩は柔らかな光で女を包む。

女は、まるで幼子のような安らかな表情で、その手に触れた。
瞬く間に、枯れた大地が金色の蓮池に変わり、空は瑠璃色に輝く。
遠くから流れる調べは、阿弥陀が誓いを立てたあの日から響き続ける、大願の旋律だった。

「さあ、帰ろう──」
阿弥陀の声は、言葉というよりも、心の奥で直接響いた。

そして、女は振り返ることなく、西方極楽浄土へと歩みを進めた。
彼女の足元には、無数の蓮華がひらき、そのたびに光の粒が宙へ舞い上がる。

阿弥陀はその姿を見つめながら、胸の奥で静かに思った。
──これが、私の誓いの始まり。
これから永遠に、この道を歩み続けよう。

西の空は、黄金の波が果てしなく広がっていた。

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