『大日如来 ― 宇宙の光に抱かれて』
──オン・アビラウンケン・バザラダト・バン。
真言が静かに空間を満たしてゆく。深く、柔らかく、宇宙の中心に響くような音だった。
風は止み、音は消え、世界が一瞬だけ沈黙した。まるで、この一音にすべてが還元されるように。
「これは、宇宙そのものの声──」
若き修行僧・蓮真(れんしん)は、密教の奥義を伝える老師の言葉を思い出していた。
かつて、彼は太陽のように眩しいその仏の姿を、曼荼羅の中に見た。圧倒的な威容。すべての存在の源。その名は、大日如来(Mahāvairocana)──摩訶毘盧遮那仏。
大日とは「大いなる日」。それはただの太陽ではない。生きとし生けるものを照らし、育み、そして包み込む、真理そのものの光だ。命の始まりも、終わりも、輪廻の流転も、すべてはこの光のうちにある。
「如来とは何か?」と問う者がいた。釈迦如来でさえ、大日如来の顕現にすぎぬと知ったとき、人は己の小ささと、逆に内に宿す仏性の大いなることに気づくだろう。
密教は語る。金剛界大日如来は、鋭く、堅固な智慧を象徴する。ダイヤモンドのように決して傷つかぬ智慧──それが迷妄を砕き、無明を超える剣となる。
そして、胎蔵界大日如来は、大いなる慈悲。森羅万象を優しく包み込む母胎のごとき存在。怒ることなく、拒むことなく、ただすべてを内に抱き、仏への道を照らす。
蓮真は、密教の両界曼荼羅を前に座すと、静かに印を結んだ。
金剛界の印──智拳印。左手の人差し指を立て、それを右手で包み込む。
胎蔵界の印──法界定印。両の手のひらを合わせ、全指を組み、腹の前で静かに結ぶ。
師は言った。
> 「大日如来は遠き存在にあらず。太陽が空に在っても、我らはその光に包まれているのだ。同じように、大日は常に汝の内にある」
その言葉は、風のように蓮真の胸に吹き込んだ。
迷い、苦しみ、選びかねる時、大日如来の声を聴け。
原因と結果、それが宇宙の摂理──そこに嘘も偽りもない。
真理を前にして、迷う必要などないのだ。
だから蓮真は祈る。
「オン・アビラウンケン・バザラダト・バン」
その真言は、光を呼ぶ鍵。無数の星を束ねる真理の音。
それを口にしたとき、大日如来は彼の心に、深く、確かに宿った。
そして、蓮真は知る。
即身成仏とは、大日如来の光に目覚めること。すでに仏である自らを思い出すこと。
そのとき、世界は変わる。
いや、自らが世界そのものであると知ること──それが、宇宙の仏、摩訶毘盧遮那の慈悲であった。