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現代語訳(読みやすく整理)

どんなに財産や権力を持っていても、
一つでも悪い因(原因)があれば、本当の幸せは続かない。

家系の因縁を断ち切ることが大切だ。
父や母、祖父母を通して、子や孫にまで血とともに罪や過ちが伝わる。
だからまず、信心を深め、解脱を願うことが必要である。

巨万の富や地位も、結局は「苦しみの種」にすぎない。
先祖から受け継いだ業(悪い行いの影響)を供養して清めることが大切だ。
過去に自分が犯した悪業も、悪い運命の原因となる。

思い当たらない苦しみがあるとき、それは先祖の因縁によるものかもしれない。
家系の因縁をほどき、自分自身の因縁も清めよう。

悪しき親や祖父母を持つことも、前世で自分が犯した罪の果報かもしれない。
だから先祖を恨むのではなく、自分の不徳を省みるべきである。

長い時間の積み重ねによる罪も、供養によって消すことができる。
そうすれば菩提(悟り)への道は開ける。

たとえ畜生の世界に生まれ落ちていたとしても、
「苦しみを抜き、楽しみを与える門」に入ることができる。

だからこそ、心を込めて供養し、解脱を願おう。
生死輪廻の罪障も消え、地獄や餓鬼の苦しみから救われ、
大いなる光明を身に受けることができる。

結びとして、三種の供養(事・行・理)は尊い。
これによって因縁は解け、悟りへの道が開かれる。

 

承知しました。🙏
先ほどの訳をもとに、現代人が読誦・唱和できるような 祈祷文風(お経や祝詞に近い響き) に整えてみました。


仏舎利尊礼拝供養文(現代祈祷スタイル)

妙頂来、仏舎利尊に帰命頂礼いたします。
その功徳は大いなるかな、衆生に限りなく及ぶものなり。

仏の慈悲は無量にして、
末法の世に苦しむすべての衆生を救わんと、
仏舎利尊は法身の変化となりて、今ここに現れたまう。

数多の霊場の中にありて、
法身如意宝珠尊のはたらきは無尽にして、
導きの光を示し、利生の恵みを尽きることなく施したまう。

あらゆる悪業はここに断たれ、
宝生解脱の力によりて、清浄なる安穏を得しめたまう。

ここに祀られる宝塔は、
大悲の方便尽きることなく、
舎利をとどめ置きたもう霊祀なり。

この宝塔を礼拝供養すれば、
大悲の神変は妙なるはたらきを示し、
福徳と果報は限りなく積まれ、尽きることなし。

ゆえにこの塔の安置されるところには、
人々はみな安穏にして、
疫病も苦難もその憂いを除かれん。

供養を怠ることなく、
日々の誠を捧げて礼拝すべし。

南無 仏舎利尊
南無 宝塔尊


🙏 こちらは「お寺の法要や祈祷文」として読める形に整えてあります。
ご希望があれば、さらに リズムを強めて声明(しょうみょう)風 に調整したり、あるいは 短く日常礼拝用 にまとめ直すこともできます。

➡️ どちらに近い形をご希望ですか?

和讃

みょうちょうらい よっしゃりそん帰命頂礼 仏舎利尊

功徳のほどを伝うべし

ほとけじひ仏の慈悲のかぎりなく

まっせしゅじょうすく末世の衆生救わんと

へんげほっしんぷっしゃりそん変化法身仏舎利尊

れいしょなか霊処かずあるその中に

ほっしんだとにょいほうじゅそん法身駄都如意宝珠尊

けどうりしょう化導利生はてしなし

あくごういっきいた悪業一切断ち切りて

ほうしょうげだつ宝生解脱のその力ちから

まつ ほうとうそもそも祀る宝塔は

だいひほうべんや、 大悲方便止まずして

しゃりおたも舎利をとどめ置き給う

おされいし納めまつれる霊祀なり

ぶっしゃりそん ほうとう仏舎利尊の宝塔は

だいひじんべんたえ大悲神変妙にして

らいはいくよう とくつ礼拝供養の徳積めば

ふくとくかほう福徳果報かぎりなし

(

とうあんちこの塔安置のところには

ひとあんのん人みなすべて安穏に

えきびょうくやく疫病苦厄のうれいなし

くようわす日々の供養を忘るるな

ほっしんにょらい法身如来あらわれて

ほうとうつくるといえど宝塔の

かがやちりばめ輝くさまとなり

じっぼうせかいて十方世界を照らすなり

みみょうほうたも微妙の法を説き給う

しょなんおそ諸難のせまる恐れなく

ぎゅうば すえ いた牛馬の末に至るまで

ぎょうじゃ ほうとうされば行者は宝塔の

ししんらいはいくよう至心に礼拝供養せば

がしゃくたとえ瓦石や木ぎれにて

しちほう忽ち変じて七宝のたちまへん

しまおうごん だいこうみょう紫磨黄金の大光明

ひかり なか こえ光の中に声あって

ほっしんにょらい法身如来の声なれば

ぼんぶほっしょう凡夫の法性たちまちに

しゅじょう ひねとお衆生の胸にしみ透る

すぐせ むさぼさてまた過去世に貪りの

いろいまず衣類さえなき貧しさに

ししん ほうしょう至心に宝生いのるなら

さんべんほうじゅ へんげ三辮宝珠と変化して

ちんぼうみょうえじょうふく珍宝名衣上服や

ふっきみ日々に富貴の身とならん

くげん苦患にもだゆる身なりとも

しっちじょうひらきて悉地を成ずなり

こえこえ とうと声なき声ぞ尊けれ

つみ罪にむくわれ身にまとう

ひんぐひとなげく貧窮の人にても

ほっしんにょらい法身如来たちまちに

たから あめふ宝の雨を降らすなり

ひゃくみおんじき百味の飲食かぎりなし

また業病や難病のごうびょう なんびょう

至心に礼拝供養せばししん らいはいくよう

おも やま重き病いもその日より

くどく功徳ほとほとのべがたし

くようとく供養の徳を積むことぞ

ひとざいさん人のうらやむ財産も

あくいん悪因ひとつあるならば

いえ いんねんた家系の因縁断ち切りて

ちちははそふ そば父母祖父や祖母どちの

ちにく とおまこ血肉を通して子や孫の

わおかつみ我れに犯せし罪とがの

てんじゅまっと癒えて天寿を全うす

ましんじん先づは信心あつくして

げだつとりわけ解脱をねがうべし

きょまんとみけんせい巨万の富も権勢も

たねなすべて苦の種泣きの種たね

せんぞ ごっしょうのぞ先祖の業障除くべし

あくいんあくごうおかせし悪因悪業は

あさだめ悪しき運命のもととなる

おぼくる覚えもなきに苦しむは

ちちははせんぞ いんねん父母先祖の因縁ぞ

いえいんねん家系の因縁ほどくべし

いんねんつぎにはわが身の因縁ぞ

いんねんあちちはは因縁悪しき父母や

ごっしょうそふそば業障ふかき祖父祖母を

おのまえ持つはこれが前の世に

おかつみ かほう犯せし罪の果報ぞや

せんぞみ くや先祖うらむな身を悔め

とくわが身の不徳かえりみて

はちじゅうおくごうつ八十億劫積もり来し

ぼだい みち消えて菩提の道ひらく

ちくしょうかいみ畜生界に生きる身も

ばっくよらく もん抜苦与楽の門に入る

ししん げだつ くよう至心に解脱の供養せよ

しょうじりんね ざいしょう生死輪廻の罪障も

ひけんじごく がきじごく無間地獄や餓鬼地獄

だいこうみょうみ大光明を身にうけて

さんしゅくよう とうと三種供養ぞ尊けれ

(

 

種供養

まず第一は事の供養

香燈塗をととのえて

供養の種をまかされば

種親一升まきおけば

種を惜しみてまかずして

功徳の種をまかずして

まけばまくほどみのるもの

だつほうしょう解脱宝生ねがうなら

さて第二には行供養すろくよう

しんくよう身供養とも申すなり

くよう力のかぎり供養せよ

ふくとくぼうしょう福徳宝生のぞみなし

しょう いっと五升や一斗はみのるぞや

このひず米麦とれたるためしなし

かほうとく果報の徳は得ぬものぞ

ほねみお骨身惜しまずまくことぞ

ぽんぎょうくどく重梵行功徳の種をまけ

わが身わが子を助けんと

思わば人をまず救え

釈迦牟尼如来は説きませり

いんむんと決して因縁解けぬぞや

因縁積んで今の身ぞ 4

力つくして救うべし

くろ十種の功徳身にうけて

4970 4 人を助ける身とならん

おごり怒りは百千の

下座の精進忘るるな

いんが たいほうこれが因果の大法と

みわが身わが身といううちは

わが身わが身といい暮らし

ぎょうじゃ とくされば行者は徳を積み

よっしゃりくようひと仏舎利供養をなす人は

ひと かみおのずと人の上に立ち

たかされどおごるな高ぶるな

くどく たね功徳の種を焼くと知れ

にょらいかじりきみ如来の加持力身にうけて

悩める人を救うべし

仏舎利供養を払むべし

生身如来の説きませる

成仏法の尊さを

聖経の護持宣布をば

事・行・理の三供養

種供養をぶるるな

「福道こそこれなるぞ

正法仰ぐ型来の

苦しむ人の杖となれ

だいさんさて第三に理の供養くち

しゃかんざしもどうはん七科三十七道品

ひろく世間に伝うべし

くよう 44 理の供養と申すなり

よっしゃいくようこんばん仏舎利供養の根本で

しるしんにょらい生身如来の説き給う

ほっしんにょらい法身如来のみもとにて

だいせいがん世界を救う大誓願

(24)

事行理の供養

による概要

+5

「事行理の供養」は仏教用語で、文字通りに物を供える「事供養」、仏道修行に励む「行供養」、そして道理に基づき仏の教えを理解する「理供養」を指します。事供養は薬王菩薩が命を捧げたように事実として行われる供養であり、理供養は凡人が「命を捧げる」という心を汲み取り、仏道修行に精進することで「道理にもとづいて行われる供養」を指します。行供養は、法華経の文字に供養したり、身を捧げて奉仕する行為を意味することもあります。

事供養(じくよう)

  • 意味:
    事実として行われた供養、つまり実際に命を捧げたような供養を指します。
  • 例:
    薬王菩薩が命を捧げて仏道修行を行ったことが挙げられます。
行供養(ぎょうくよう)
  • 意味:
    仏道修行に励む行為そのものを供養と捉える考え方です。

  • 例:
    法華経の文字(法華経の文字そのもの)を供養することや、身を捧げて仏法のために奉仕する「身の供養」などがこれにあたります。

理供養(りくよう)
  • 意味:道理に基づいて行われる供養です。
  • 具体例:凡夫が行う、薬王菩薩のような実際の命を捧げることのできないまでも、その「命を捧げる」という心を汲み取り、仏道修行に精進することです。また、信心を込めて仏様を敬い、供物をする行為も理供養に含まれます。
これらは仏道における供養の段階やあり方を説明する言葉として用いられます