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賢劫から星宿劫へ ― 曼荼羅の光

中心に大日如来の光があり
その光は千の仏に分かれ
現世の賢劫を照らす

On mo shutta mani juntei abara jita tani tei sowaka

On Abilaunken Bazar Dato Bang

 

都市の喧騒も、荒れた海も
炎の心で包み込む
科学者の眼、僧侶の坐、
技術者の手、詩人の声、
教師の指先、すべてが光の一筋

賢劫の世紀を越え
光は天に拡がり
星々の間に新たな輪を描く
星宿劫の世紀、千人の賢人が現れ
宇宙の調べに合わせて
文明は再び生まれ変わる

On mo shutta mani juntei abara jita tani tei sowaka

On Abilaunken Bazar Dato Bang

 

光の曼荼羅は回転する
中心から辺縁へ、辺縁から中心へ
一つの光、一つの誓い
すべての智慧が繋がり
平和と繁栄の星宿劫を紡ぎ出す

 

二つの叡智と「現代の賢人」

1. ピロソピア(Philosophia)―西欧の哲学の智慧

ギリシャ以来、人間理性の可能性を徹底して探究した系譜。

自然や社会を分析し、論理や科学を生み出す土台となった。

近代では、理性による普遍的規範の追求(カント)、存在の根源的問い(ハイデッガー)、批判理論やポストモダン思想など、社会批判や解放のための思想を展開してきた。
👉 「世界を理解し、危機を分析し、構造を批判し、解決を理論化する」力。

2. ゴータマ・ブッダの智慧

縁起・無常・無我という根源的洞察から、苦の原因と解脱の道を説いた。

その智慧は「苦を終わらせる実践」と結びつき、瞑想・倫理・慈悲の実践を通して個人と社会を変容させる力を持つ。

大乗仏教・密教に展開して「衆生済度」「曼荼羅の普遍的智」として拡大し、現代でも「マインドフルネス」「環境仏教」「社会参加仏教」といった形で生きている。
👉 「人間の内側を変え、心の根源から苦と暴力を断つ」力。

両者の出会いと「賢劫の時代」

哲学の智慧は「外の世界を分析し構造を変える力」。

ブッダの智慧は「内の世界を観照し心を変える力」。

この二つが出会うとき、

科学的・論理的な分析力と、慈悲と瞑想による心の変容力が合わさり、

人類の危機を救う「叡智の双輪」となる。

賢劫千仏=現代の寓意

「賢劫の千仏」とは、必ずしも超自然的に現れる千の仏ではなく、
**人類の歴史のなかに現れる“千の叡智の結晶”**であると解釈できる。

哲学者、科学者、芸術家、活動家、そして僧侶や修行者。

それぞれの中に「仏の光」が宿り、危機を救う叡智となる。

それを結び合わせる曼荼羅的視座が「密教の読み替え」である。

✨まとめると:
「ピロソピア」と「ブッダの智慧」は、それぞれ片輪の叡智。
21世紀という“賢劫の世代”において、両者を結び合わせることが「千仏の顕現」にほかならない。

成身会祈祷文

虚空清浄、光明遍満
大日如来、我が身心に住す

四仏守護し、八菩薩慈悲を助け
十六菩薩、智慧を導く

煩悩すなわち菩提
凡夫すなわち如来

ここに、我が身は仏の身と一つ
ここに、我が心は仏の心と一つ

オン バサラ ダト バン

都市の僧侶

都市の僧侶

 東京の雑踏のただ中に、小さな寺があった。
人々は寺を見ても足を止めず、ただ駅へ、オフィスへと急ぎ足で通り過ぎていく。

 若い僧侶・蓮真(れんしん)は、本堂の片隅でノートPCを開いていた。
彼の「布教の道具」は鐘や木魚ではなく、キーボードとカメラだった。
SNSに説法を投稿し、動画で悩み相談を受け、時に配信で法話を語る。
だが、画面の向こうにいる人々の顔は見えない。
返ってくるのは「いいね」の数と、時おり届く匿名の罵声だけだった。

 ある晩、配信を終えた蓮真は、画面に映る自分の顔を見つめた。
「……これが、本当に誰かを救っているのだろうか」
疑念は日ごとに深まり、僧侶である自分自身が空虚に沈んでいると感じた。

 そんなある日、寺の門の前で一人の少女が泣いていた。
スマートフォンを握りしめたまま、「死にたい」とつぶやいていた。
蓮真は声をかけることもできず、ただ傍らに座った。
夜風が冷たく、沈黙が流れた。

 やがて少女がぽつりと聞いた。
「お坊さんって、死んだ人のためにしか祈らないの?」

 蓮真ははっとした。
――自分はこれまで、無数の「見えない他人」のために言葉を投げてきた。
だが、目の前にいる一人の涙には、言葉を持たなかったのだ。

 蓮真は深く息を吸い、少女に向かって言った。
「祈りは、あなたが生きている今にも届くんだよ」

 その言葉は、ネットのどんな説法よりも真実だった。
少女は泣きながらうなずき、握ったスマホをゆっくりと手放した。

 その夜、蓮真は気づいた。
「賢人」とは特別な救世主ではない。
ただ、目の前にいる一人を救う心を持つ者。
そして、それが千に広がるとき、この時代に千仏が現れるのだと。

世紀はの

「恐怖の世紀」から「智慧の世紀」へ

二十世紀は、いうならば「恐怖の世紀」であった。

ノストラダムスの予言詩に象徴される恐怖の時代であった。

人間に安楽と便利をあたえるはずの科学と技術が、つぎつぎと人間を殺戮る凶器を生み出した。 きつりく

核兵器、環境破壊、食物汚染、加うるに、あい次ぐ戦乱、動乱、どれ一っても、このままでは人類に未来はない。

核を持つに至った現代文明に絶望し、これこそ、人間の脳に設計ミスがたためだと結論して、みずから命を絶った『ホロン革命』のアーサー・ケ

ラーが思われてならない。(拙著『間脳思考』参照)

たためたと新して

ラーが思われてならない。(拙著『間脑思考』参照)

このとき、

古代インドに「賢人伝説」がある。

伝説というより、予言といったほうがよいだろう。

この地球が一大危機に見舞われて、まさに壊滅に瀕するとき、千人の賢人があらわれてこれを救う、というのである。

この古代伝説は仏教にもとり入れられ、さまざまなかたちで表現された。代表的なものが、『現在賢劫千仏名経』であり、最終的に完成されたすがたが、 密教のマンダラにとり入れられている。すなわち、智慧のマンダラである金剛界マンダラの中心「根本成身会」、第二重の方形帯にえがかれた千体の仏たちである。 こんばんじようじんね

21世紀は智慧の時代・・・

けんこうせんぶつこれを「賢劫の千仏」という。

これにもとづいて、密教では、現在の地球世代を「賢劫」とよぶ。

劫とは世代を意味する。世紀と解してもよいだろう。すなわち、賢人があら

われて危機を救う世紀という意味である。

この予言は、まさに、いま、この現代を指しているのではないのか?

る。 しんぎん二十一世紀を迎えんとして、地球はいま、混迷と破壊のなかに呻吟しつつあ

ほうこう必死に打開の途を求めて、あてどなく彷徨する宇宙船「地球号」。

救うものは、すぐれた叡智のみ。

人類を代表する二つの叡智がある。

ピロソピア一つは、西欧に起こった哲学の智慧である。

一つは、インドに起こったゴータマ・ブッダの智慧である。

この二つの智慧を比較してみることは、非常に興味のあることである。い

や、それは、たんなる興味の問題ではない。それは、いま、ぜったい必要不可欠のことと思われる。

というのは、この二つの智慧は、それぞれ二つの文明を形成しているからである。

一つは、

キリスト教系文明科学系 物質文明

一つは、

仏教系文明—————靈性系——精神文明

である。

(この項、拙著『間脳思考』を参照されたい)

これまで、二〇〇〇年の間、キリスト教系文明が世界を引っぱってきた。一

応、成功したかに見えるが、ごらんの通り、世界は行きづまっている。このままでは、崩壊するよりほかはない。

仏教系文明の智慧をとり入れるよりほかないのではないのか?

わたくしは、人類の未来を信じている。

なぜならば、さきの「賢人伝説」につづく予言があるからである。

すなわち、『未来星宿劫千仏名経』である。それによると、未来の地球しようしゆくこうほしばし世代は、「星宿劫」とよばれ、宇宙の星々の間に、千人の賢人が、繁栄と平和のあらたな文明を創造すると予言しているのである。

賢劫の世紀から、星宿劫の世紀へと、人類は飛躍する!

だが、この予言は、『現在賢劫千仏名経』が前提になっていることを忘れてはならない。

まず、現世紀に、千人の賢人を生み出すことだ。かれらはその智慧を以て、 地球の危機を乗り越え、あらたな宇宙時代をつくり出すであろう。仏の智慧の讃うべきかな!