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小説風改稿

了解しました。いただいた文章は、かなり「思想書的」「解説的」な語り口になっていますね。これを小説風にするには、師と弟子の対話の場に置き直し、風景や心情を織り込みながら語らせると臨場感が出ます。
試しに、小説風に書き換えてみました。


◆小説風改稿

山寺の一室。
蝋燭の炎が揺らめき、師の顔を陰影で包んでいた。

「これまでの大脳生理学はな、新しい皮質と古い皮質しか見てこなかった」
師は静かに語り始めた。
「だが――人間には、もうひとつの脳がある。二つを統合し、司る最も重要な脳だ。間脳と呼ばれる場所である」

弟子は息を呑んだ。
「間脳……ですか」

「そうだ。生理学はその存在を知っていたが、その働きについてはほとんど語れなかった。しかし、知っていた者がいる。ゴータマ・ブッダ――釈尊だ。釈尊は“成仏法”という修行体系によって、この霊性の場を再開発した。そして古代密教がその系譜を受け継いだ」

師は机上の蝋燭を指先でさすりながら、弟子の眼を見た。
「第三の目という言葉を聞いたことがあるだろう」

「はい……霊的な感覚器官のことだと」

「その通り。第三の目とは、霊的次元の現象を知覚する“もうひとつの眼”だ。そしてその働きを動かす場が――視床下部なのだ。肉眼が脳とつながって世界を見るように、第三の目もまた視床下部と結びついて、霊的世界を見る」

弟子の胸に電流が走った。

師はさらに続ける。
「視床下部がなぜ霊性の場であるか。脳生理学、ホルモン分泌学、酵素薬理学――三つの側面から解き明かせる。そして第三の目と結ばれるとき、人間は霊性を顕現し、ついには神仏へと到達するのだ」

弟子は言葉を失い、ただ耳を傾けた。

「人間は、新皮質という理性の場と、辺縁系という本能の場、その中間に“霊性の脳”を持っていた。本来はそれによって均衡が保たれるはずだった。しかし――この霊性の場は閉ざされてしまった。進化の途中で方向を誤ったのだ」

蝋燭の炎が、師の横顔を赤く照らした。

「ケストラーという思想家は『人類は設計の狂いによって狂気に陥った』と語った。だが私は違うと思う。設計は完全だった。ただ、人類の進化の過程で、霊性の扉が閉じられてしまったのだ。そのために狂気が生まれ、今のような破滅の時代に至ったのだ」

弟子は震える声で尋ねた。
「では……その霊性の部位とは、いったいどこなのですか?」

師は蝋燭の炎を見つめながら、ゆっくり答えた。
「間脳の奥、視床下部。そしてそのすぐそばにある松果腺が、特別なはたらきを持っている」

「松果腺……第三の目の残跡といわれる、あの小さな腺ですか」

「そうだ。しかし、残跡ではない。活用すれば、実際に“見る”ことができる。科学はまだその入口に立ったばかりだが、修行者は太古からそれを知っていた」

師は眼を閉じ、低く言った。
「われわれは二つの肉眼で物質世界を見ている。だが、もう一つの眼――霊性の眼を持っていたのだ。視床下部と松果腺が呼応するとき、その眼は開き、霊的世界を映し出す」

弟子は深く頭を垂れた。
その瞬間、蝋燭の炎が揺れ、まるで師の言葉を証明するかのように、第三の光が彼の胸の奥に点じられた。


👉 この小説風では、師と弟子の対話形式+情景描写を加えて、「思想的解説」をドラマ的に展開させています。

ご希望は、さらに「師の語り」を哲学的に長くして思想書的に近づけますか?
それとも、もっと「弟子の体感(幻視・内面の変化)」を強めて物語化しますか?

第一章 人類は大脳?

インドではもっと古く、前十二世紀にすでに「リグ・ヴェーダ」が成立

している。前八世紀にはバラモン教が活動しはじめている。前六世紀には釈尊が生まれ、前二世紀には『ウパニシャッド』が完成している。

アが活躍している。 西アジアでは、モーゼの出エジプトが紀元前十三世紀で、前八世紀には、預言者イザヤが活動し、前七世紀にはゾロアスター教が成立、同時に預言者エレミ

そして、キリストが生まれ、紀元元年を迎えるわけである。

「じつに、百花繚乱ともいうべき華やかさではないか。人類の精神文明の頂点 「だったのである。これは、見方によれば、知性=新皮質と、霊性=間脳が一時に

花ひらいた時代と見てよいであろう。このあと、急速に新皮質は発達する。新皮質はギリシアにおいて哲学を生み、これが科学へと進んでいく。そしてついには

太陽のエネルギーを手中にし、人間を月にまで送り込むようになったのである。

しかし、そのように急速に爆発的に発達した新皮質は、第三の目を閉ざし、

たのである。 の性の場である視床下部をふさいでしまった。人類は、霊性の目を閉じ、霊性の場をふさぐことにより、科学という名の物質的欲望をみたしてきたのである。そのためにはどうしても、霊性の場はふさがれてしまわなければならなかっ

てしまった。 しかし、この脳のアンバランスが、そのまま人類をアンバランスの存在にし

ホモ・サピエン

一面で賢いヒトとよばれるかと思うと、一面では超悪人とよばれる矛盾きわまる存在にしてしまったのである。そしてまたこの脳のアンバランスが、その

ままこの世界をアンバランスの状態にしてしまった。この世界は、人間の脳がそ

のままかたちをあらわしたものである。人類の脳がかたちをとったものがこの世

界なのだ。ケストラーが、「驚くばかりの人類の技術的偉業。そしてそれに劣ら

ぬ社会運営の無能ぶり」といい、「人間は狂っている、狂いつづけてきた」とい

うのは当然なのである。しかし、このアンバランスな生物がつくり出したこのア

ンバランスな世界が、いつまでもつづくはずはない。独楽はすでに大きく揺れはこま

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じめている。あとはもう倒れるばかりだ。

もしもこの世界を存続させようと思ったら、このバランスを欠いた人間の脳を改造するしかない。政治、経済、教育、宗教、芸術・・・・・・その他いかなる分野の改造より、まず人間の脳の改造だ。

いしゆくニューロンその脳を改造する技術がここにある。端的にいうならば、閉ざされた間脳を開き、活動を促す技術である。もしも間脳が完全によみがえれば、間脳が閉じたことによって萎縮し動かなくなっていた何%かの脳細胞が動き出すであろう。脳は霊性を回復しバランスをとりもどすだけではなく、わずか二ないし三% しか活用していないニューロンを一躍、倍増することができるのである。人類すべてが超・天才に飛躍する可能性がここにある。 いちゃく

その技術について、つぎにのべよう。

69 第一章人類は?

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第一章 人類は大脳?

霊性の場

である。 これまでの大脳生理学は、古い皮質(旧皮質・古皮質)と、新しい皮質(新皮質)しか知らなかった。ところが、このほかに、重要な脳がもうひとつあったの

ある。 それは、他の二つの脳を統合し、コントロールする最も重要な脳であった。それは「間脳」とよぶ脳である。大脳生理学は、生理学としてこの脳のあることを知っていたけれども、その機能についてはほとんど知ることがなかったので

「ふうむ」

「しかし、それを知っている人たちがいた。その代表が、ゴータマ・ブッ

ダーシャカです。シャカは『成仏法”という名でこの霊性の場を再開発するシステムを完成した。そして古代密教が、これを受けついだ」

「古代密教、とおっしゃるのは、どういうわけですか?」

「後世の密教は、大乗仏教の影響を受けて、シャカがつたえたシステムを ・様式化してしまったのです。まったくちがったものにしてしまった」

「なるほど」

「しかし、仏像とか、仏画とかは、古代密教の表象をそのままつたえてい

「ます。密教の仏像の多くが、第三の目を持っているのはこのためです」

みけん 「あの眉間のところにある目ですね?」

まけいしゆら

「そうです。その密教の代表ともいうべき仏像が、摩醯首羅です。これ

は、梵語のMaheśvara (マヘーシュバラ)を音写したもので、これを犬自在天」と漢訳し、宇宙の大主宰神とされております。眉間に第三の目が

 

「それは、ひと口でいうと、第三の目というのは、霊的次元のさまざまな現象を知覚し、見聞する能力を持つ目、といったらよいでしょう。視床下部のほうはそれを動かす“場”です。それはつまり、いまわれわれが持つ普通の目と脳との関係にあると思ったらよいでしょう」 「なるほど」

「視床下部がなぜ霊性の“場”であるかということについて、わたくしは、『密教・超能力の秘密』で、脳生理学と、ホルモン分泌学と、酵素薬理学の三つの面から解明しています。この視床下部が第三の目と運繋して活動するとき、人間は霊性を顕現するのです。その究極において、『密教・超能力の秘密』でいっているように、カミ、ホトケにまで到達するのです。

「人間は、知性・理性の場である新皮質と、本能の座である辺縁系の中間にある『間脳”に、霊性の場・霊性の脳を持っていたのです。これにより、 人間はバランスがとれるのです。ところが、この間脳にある霊性の場を人間は失ってしまった」

わたくしは、この脳を、「霊性の場」とよんで、「間脳思考」の中で質問に対し、つぎのように答えている。

「桐山先生は、ケストラーのいうように、人間は脳に致命的な設計ミスを持った異常な生物種であるとお考えになりますか?」

「いや、わたくしはそう思いません。設計はほとんど完全に近かったと思います」

います」

「すると、設計は完全に近かったが、設計通りに進行しなかったということですか?」

摘しています」 「そうです。ですから、ケストラー自身もいっているように、かれのもう一つの推理、『ホモ・サピエンスが最後の爆発段階に達したある時点で何かに狂いが生じたことは」といっているのが正しいのです。設計ミスではなかった。設計はほとんど完全だったが、進化の途中で方向が狂ってしまったのです。わたくしは、すでに、それを「密教・超能力の秘密」の中で指

「具体的にお示し下さい」

「人間は脳に霊性の部位を持っているのです。これはそのように設計されているのです。だから、この部位がその設計の通りに活動していたら、人類はケストラーのいうように『狂気”の症状をあらわさなかったでしょう。したがって、いまのような破滅に直面するようなことにはならなかったのです。ところが、この部位が進化の途中で閉鎖されてしまった。その

ために、人類は超悪人になってしまったのです」

「ふうむ、これはおどろくべき発想ですね」

「発想じゃないのです。事実なのです」

「その霊性の部位とはどこですか?」

かんの 「脳の最も中心である間脳の、視床下部です。このいちばん奥に、その部

位があります。ただし、これがはたらくためには、そのすぐそばにある松果腺という内分泌腺の特殊なはたらきが必要です」 しょう

「それは大脳生理学者の説ですか?」

「いいえ、そうじゃありません。わたくしの修行体験による発見です。インドのクンダリニー・ヨーガ、チベットの密教の修行などを参考に、わたくしが把握したものです。脳生理学はまだそこまで到達しておりません。 ただし、アメリカのホルモン分泌学の権威J・D・ラトクリフという学者

は、その著書『人体の驚異」の中で、おもしろいことを言っております。

「その機能がようやくわかりかけてきた松果腺は、脳の下側にくっついて

きゆうかけいいる小さな毬果形の腺で、人間が原始時代の且をかつそれ

いる小さな毬果形の腺で、人間が原始時代の祖先から受けついできた第三の目の残跡と推定されている」

というのです。

第三の目というのをご存じですか?」

「ずうっと以前に、そういう題名の本を読んだことがあります。なんとか

という英国人が、チベットでラマ僧について密教の修行をし、眉間のだに、四次元世界や霊界を見ることができる第三の目を持ったという内容で、ベストセラーになりましたね。もうほとんど内容を記憶しておりませんが、読んだおぼえがあります」

「そうですか、わたくしは、「密教・超能力の秘密」で、このラトクリフの

文章を引用して、こうのべております。『第三の目とホルモン”という章で、 「おそらく、ヒトは、『第三の目”などというと、いかにも空想的な、馬鹿馬鹿しいことのように思うかも知れない。しかし、ヒトは、たしかに第三の目を持っていたのである。いや、げんに持っているのだ。人間のからだ

のなかで最も重要なはたらきをする内分泌腺をくわしく調べてゆくと、それがはっきりしてくるのである。

ヒトはまさしく第三の目を持ち、しかもそれはJ・D・ラトクリフのいうように、残跡”ではなく、いまでも、活用すれば、実際に『見る』ことすら可能なのである。最近の科学の実験がそれを証明している。その最近の実験を紹介する前に、ひとつ、この不思議なはたらきをする内分泌腺というものを、もう少しくわしく調べてみようではないか」

と、こうのべております」

「その第三の目が、つまり、先生のおっしゃる霊性の部位というわけですか?」

「いや、ちょっとちがいます。密接な関係はあるが、ちょっとちがいます。第三の目は、ラトクリフのいうように、松果腺です。わたくしのいう霊性の場は、それよりすこし深部の視床下部のそばです」

「それはどうちがうのですか?」

「それは、ひと口でいうと、

あって、合計、三つの目を持っています。われわれは、目が二つです。その二つの目の一つは、辺縁系の脳に通ずる目であり、もう一つは新皮質の脳に通ずる目で、この二つが一対になって、現象世界(物質世界)を見るのです。このほかに、じつはもう一つの目があった。それは間脳の視床下部の脳に通ずる霊性の目で、霊的世界を見る目です。これが、第三の目とよばれるものなのです」

「で、その第三の目が、『残跡”となると同時に、先生のおっしゃる霊性の

『場”もはたらかなくなってしまったということですか?」

「そうですね、しかし、それは、霊性の『場”が閉ざされてはたらかなくなってしまったから、第三の目もはたらかなくなって、たんなる痩痣” になってしまったのだともいえるでしょう。要するに、この両者は、密接

な相関関係にあるものですから―――」

「ふうむ」

インタビュアーと質問者はしばらく考えこんでいたが、

61 第一章 人類は火?

思念の相承と四神足法

思念の相承と四神足法

師は静かに口をひらいた。
「この法は、釈尊の成仏法の中でも、最高度にむずかしい法である。だれもが容易に歩める道ではない」

弟子たちは息をのんだ。師の声は、闇を裂くように胸に響いた。

「もし、このむずかしい成仏法を修しなければ、いつまでたっても思念の相承を受けることはできぬ。間脳は閉ざされたまま、霊性の花は決して開かない。ならば、いったいどれほどの人が霊性を顕すことができるだろうか?」

師の問いは、誰に向けられたものでもなく、虚空そのものへ投げかけられたかのようだった。

「おそらく、ごくわずかな者──限られたエリートだけが、その門をくぐることができるのだ。ゆえに当然のことながら、釈尊の法を基に発展した輪廻転生の瞑想法も、成就には至らぬであろう」

堂内は沈黙に包まれた。灯火の揺らぎの中で、弟子たちの眼差しには畏れと憧れとが交錯していた。

師は静かに口をひらいた。
「この法は、釈尊の成仏法の中でも、最高度にむずかしい法である。だれもが容易に歩める道ではない」

弟子たちは息をのんだ。師の声は、闇を裂くように胸に響いた。

「もし、このむずかしい成仏法を修しなければ、いつまでたっても思念の相承を受けることはできぬ。間脳は閉ざされたまま、霊性の花は決して開かない。ならば、いったいどれほどの人が霊性を顕すことができるだろうか?」

師の問いは、誰に向けられたものでもなく、虚空そのものへ投げかけられたかのようだった。

「おそらく、ごくわずかな者──限られたエリートだけが、その門をくぐることができるのだ。ゆえに当然のことながら、釈尊の法を基に発展した輪廻転生の瞑想法も、成就には至らぬであろう」

堂内は沈黙に包まれた。灯火の揺らぎの中で、弟子たちの眼差しには畏れと憧れとが交錯していた。

 

師は炎の灯を見つめながら、さらに言葉をつむいだ。

「なぜ間脳が開かねばならぬのか──。それは、人間が肉体という器を超えて、宇宙の生命原理と直に触れるためである。肉体の脳は有限であり、思考は常に分別を繰り返す。だが、間脳は有限と無限をつなぐ門であり、そこを通して初めて、人は自己を超えた存在とひとつになる。

霊性の開顕とは、決して特別な力を得ることではない。それは『宇宙と私とがもはや二つではない』と目覚めることである。存在の根底には、無限の網目のような連関が張りめぐらされている。その連関を体得することこそが、仏が説いた成仏法の核心である。

だが人は、我執という厚い壁によってその網目から切り離されている。欲望は心を濁らせ、恐怖は感覚を閉ざし、無明は真実を覆い隠す。ゆえに、この道はきわめて困難であり、誰もが歩めるものではない。

少数の者だけが、我を脱ぎ捨て、心を虚空にひらき、師から師へと火を受け継ぐ。その者のみが、輪廻を見通す瞑想の門に至り得るのだ」

師は静かに瞼を閉じた。
弟子たちは言葉を失い、ただその余韻の中に沈んでいた。

 

師は静かに口をひらいた。
「この法は、釈尊の成仏法の中でも、最高度にむずかしい法である。だれもが容易に歩める道ではない」

弟子たちは息をのんだ。師の声は、闇を裂くように胸に響いた。

「もし、このむずかしい成仏法を修しなければ、いつまでたっても思念の相承を受けることはできぬ。間脳は閉ざされたまま、霊性の花は決して開かない。ならば、いったいどれほどの人が霊性を顕すことができるだろうか?」

師の問いは、誰に向けられたものでもなく、虚空そのものへ投げかけられたかのようだった。

「おそらく、ごくわずかな者──限られたエリートだけが、その門をくぐることができるのだ。ゆえに当然のことながら、釈尊の法を基に発展した輪廻転生の瞑想法も、成就には至らぬであろう」

堂内は沈黙に包まれた。灯火の揺らぎの中で、弟子たちの眼差しには畏れと憧れとが交錯していた。

師は静かに口をひらいた。
「この法は、釈尊の成仏法の中でも、最高度にむずかしい法である。だれもが容易に歩める道ではない」

弟子たちは息をのんだ。師の声は、闇を裂くように胸に響いた。

「もし、このむずかしい成仏法を修しなければ、いつまでたっても思念の相承を受けることはできぬ。間脳は閉ざされたまま、霊性の花は決して開かない。ならば、いったいどれほどの人が霊性を顕すことができるだろうか?」

師の問いは、誰に向けられたものでもなく、虚空そのものへ投げかけられたかのようだった。

「おそらく、ごくわずかな者──限られたエリートだけが、その門をくぐることができるのだ。ゆえに当然のことながら、釈尊の法を基に発展した輪廻転生の瞑想法も、成就には至らぬであろう」

堂内は沈黙に包まれた。灯火の揺らぎの中で、弟子たちの眼差しには畏れと憧れとが交錯していた。

 

師は炎の灯を見つめながら、さらに言葉をつむいだ。

「なぜ間脳が開かねばならぬのか──。それは、人間が肉体という器を超えて、宇宙の生命原理と直に触れるためである。肉体の脳は有限であり、思考は常に分別を繰り返す。だが、間脳は有限と無限をつなぐ門であり、そこを通して初めて、人は自己を超えた存在とひとつになる。

霊性の開顕とは、決して特別な力を得ることではない。それは『宇宙と私とがもはや二つではない』と目覚めることである。存在の根底には、無限の網目のような連関が張りめぐらされている。その連関を体得することこそが、仏が説いた成仏法の核心である。

だが人は、我執という厚い壁によってその網目から切り離されている。欲望は心を濁らせ、恐怖は感覚を閉ざし、無明は真実を覆い隠す。ゆえに、この道はきわめて困難であり、誰もが歩めるものではない。

少数の者だけが、我を脱ぎ捨て、心を虚空にひらき、師から師へと火を受け継ぐ。その者のみが、輪廻を見通す瞑想の門に至り得るのだ」

師は静かに瞼を閉じた。
弟子たちは言葉を失い、ただその余韻の中に沈んでいた。

 

 

第七章成仏の「水品神想法」2

は、釈尊の成仏法の中でも最高度にむずかしい法である。だれでも容易に修行できる内容ではない。

釈尊のむずかしい成仏法を修行しなければ、いつまでたっても思念の相承を受けられず、間脳が開かず、霊性開戦が不可能であるならば、いったいどれほどの人が、霊作開顕をすることができるであろうか?

ごく限られた、わずかなエリートしか、到達することができないであろう。

当然のことながら、釈尊の成仏法を発展させた輪廻転生瞑想法も成就できないことになるのだ。

◎だが、そうではないのである。

わたくしは、永年の修行により、この問題点を解決し、だれでも比較的容易

に成仏法の修行を進めていける法を完成することができたからである。

それは、「水晶龍神瞑想法」という法である。

この瞑想法は単なる瞑想法ではない。

じつは、この伏品龍神以想法は、釈尊の成仏法の真髄である、

「四神足法そのもの」

なのである。

そして、この水晶龍神瞑想法の最大の特長は、

「瞑想法自体が思念の相承である」

ということなのである。

修行者は、この法にのっとって修行を進めていくことにより、本来であれば、tapasである四神足法を成就しないかぎり、絶対に受けられない思念の相承を、修行をはじめる最初の段階から受けながら、四神足法に必要な、チャクラの開発訓練を進めていくことができるのである。ことに、クンダリニー・ヨー

◎ガでは、最も危険とされる脳内のチャクラの開発を、安全に、おだやかに進めていくことができるのだ。

~あなたは、この水晶龍神瞑想法(四神足法)を修行することによって、 ・を得ることができるであろう。

神通力

ただし、この法は、最極秘伝に属する法なので、すべてを筆にすることはで

きない。本書では、ごく初歩の段階にとどめる。

誤解しないでいただきたいが、決して法を惜しんでいるわけではない。これ

るのだ。 以上の段階は、どうしても、わたくしの直接の指導を受けておこなう必要があ

わたくしの主宰する阿含宗の瞑想道場にて、この「王者による思念の相承」

すなわち、「仏陀の思念」が受けられるので、そこで、わたくしや、わたくしの弟子の指導を受けて修行を進めていただきたいのである。

水晶の中に龍神のお姿を見る

う。 まず、水晶龍神瞑想法(四神足法)の前段階である瞑想法について解説しよ

前段階とはいえ、たいへん高度な瞑想法で、これを習得しないと、釈尊の成

仏法の真髄・四神足法に進むことができない。

この法は水晶を使って深層意識を活用する瞑想法である。

 

う) まず、水晶を準備する。けがれのない天然の水晶が理想である。(わたくしの瞑想道場では、わたくしが成仏法によって浄め、龍神のお霊をこめた水晶龍神御尊像を使

この水晶に心を集中して凝視していると、いろいろなモヤモヤが見える。そのモヤモヤを、心を静めて凝視していると龍神のお姿が見えてくる。このお姿

がはっきりと見えてくるようにならなくてはいけない。

そのお姿には二つのタイプがある。

コブラ(母蛇)型―――頭と顔が平たくなっている龍神。

ボア(大蛇)型毒を持たない大型の龍神。

この二つの系統がある。

また、見えてきた龍神が男神である場合は「ナンダ龍王」、女神の龍神の場合

 

は「ウパナンダ龍王」という名前で念じる。

水晶の向こう側に白い紙を立てて凝視していると、モヤモヤの中にお顔やお体が見えてくる。それには三日ほどかかる。観想もこのお姿をよく観察して瞑想しなくてはならない。

この瞑想を深く進めていくと、その修行者は龍神型の性格を持つようになり、さらに進めていくと体も似てきて龍体になってくる。そして体の一部がウロコになってくる。そこまでいくのは容易ではないが、そうなると龍神の力がそなわってくる。

龍神のタイプがたとえばコブラ型であれば毒を持つとか、ボア型だから相手を絞め殺して食べてしまうというようなことはない。タイプを知るだけで、あとは自然にまかせておけばよい。

せんじょう最初に教える瞑想法は、「水晶龍神洗浄瞑想法」である。

まず心身を浄める「洗浄法」から入る。龍神に雨を降らしていただいて、その龍雨によって心身の不浄不快がすべて洗い流され、病気の根もすべて洗い流

される。

[解説]

毎朝一回、十五分ほどかけてこの瞑想をおこなう。

この洗浄瞑想を毎日重ねて実行していると、一日中体が元気で爽快になり、 さらに龍神に好意を持っていただけるようになる。

いつかい澄み渡った青空に突然一塊の雲が沸き起こり、たちまち空一面が黒い雲に覆われてしまう。

その黒い雲の中心に金色の龍王を観想する。この龍王は水晶で見ているお姿

である。この金色の龍王が大神通力をもって暴風を起こしている。さらに大雨が降ってくる。滝のように降ってくる大雨を頭から受けている。それはあたか

も滝行のごとくである。

この大雨によって心身の不浄不快がことごとく洗い流される。病気の根もす

べて洗い流す。

そう観じて、般若心経 五反。

つぎに、観想。

「わが心身爽快なり。わが身の不浄不快悉く消滅す」

そして、準胝小呪。

「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」

を五唱し、よびかける。

けんぞく準既如来は龍神をしたがえておられる。龍神は準胝如来の眷属であるから、

この真言を唱えると非常にお喜びになる。

最後に、

「臨兵闘者皆陳列在前、エイッ」

と九字を三回切って終わる。

すると龍王は喜び勇んで姿を消すが、つねに行者の身辺にあって守護してく

すると龍王は喜び勇んで姿を消すが、つねに行者の身辺にあって守にしてい

ださっている。そして行者がよよのを待っておられる。なにかつらいことや困ったことがあるとサーッと姿をあらわして助けてくださる。

およびするときには、左手親指を右拳でつつむ「如来拳印」で、あなたの水 「来たってわれを救いたまえ」

晶で感得した「ナンダ龍王」あるいは「ウパナンダ龍王」をおよびし、

と心の中でつぶやけば、たちまち姿をあらわして助けてくださる。

水晶龍神瞑想法(四神足法)

つぎに、いよいよ、釈尊の成仏法の真髄である四神足法の瞑想法である。

これが、さきほど大極秘伝といった、八科四十一道品の中の一科四道品、四

安那般那念法となる法で、「水晶龍神瞑想法」という。

ただし、さきほどもいったように、これ以上は筆にすることができない。

法を惜しんでいるわけではないが、この法に関しては、わたくしが導師となって、あなたを弟子として受け入れ、その修行の進み具合を見ながら直接指

導しなければ、絶対に法を成就することができない。

だが、熱心な修行者のために、少しだけヒントをさしあげよう。

この瞑想法では、さきほどの水晶龍神御尊像と、「輪廻転生瞑想法Ⅱ」で紹介した準胝尊秘密光明曼荼羅を使うのである。

そして、水晶と曼荼羅を組み合わせ、ある特殊な観想と真言読誦によって、

脳内のチャクラに仏陀の思念、すなわち、「王者による思念の相承」を受けるのごまぎようかいじよう たきぎょう すいそうかんである。さらに、この瞑想法とあわせて、護摩行(火界定)と滝行(水想観)を修することが、最も望ましい。

阿含宗の瞑想道場には、水晶龍神御尊像と準胝尊秘密光明曼荼羅をそなえてあり、護摩行、滝行ができる設備をそなえた道場もある。

ぜひ、わたくしの瞑想道場に来て、わたくしか、わたくしの直弟子から指導を受けることを、強くお勧めする。