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『応説経』における「修習と自然解脱」の文証

【専門修行(応説経・七道品)】
───────────────────────────
四念処  四正勤  四如意足
五根   五力   七覚支   八正道
↓               (大学カリキュラム型教育)
【出家僧・厳格修行・上根者】

↑ 呼応・照応 ↓

      【日常修行(三供養品・三福道)】
───────────────────────────
如来への供養 → 感謝(信仰・心の拠り所)
正法への供養 → 誠実(学び・倫理実践)
聖衆への供養 → 奉仕(共同体への貢献)
↓               (生涯学習・地域教育)
【在家者・日常修行・下根者】

成仏法が説かれた二つの阿含経

成仏法が説かれた二つの阿含経

一般阿含経の中で特に「成仏法(成仏に至る方法)」を説いているとされる二つのお経が、

雑阿含経・応説経(応脱経とも)

増一阿含経・三供養品

 

第一の成仏法 ― 応説経(高度な修行法)

内容:「七科三十七道品」を実践して成仏する方法。

七覚支、八正道、四念処、五根・五力などを含む、悟りに至るための 37の修行要素。

体系的に言うと、七つのカテゴリに分かれた「悟りのカリキュラム」。

 

高度な修行者(上根・上品)のための道。

瞑想・智慧・戒律を徹底的に修め、段階的に悟りへと至る。

 

釈尊が「最も体系的にまとめた悟りへの道筋」として伝わる。

出家修行者や深い実践を志す人に向けられた厳格な成仏法。

第二の成仏法 ― 三供養品(普遍的な修行法)

内容:「三善根」を植えることで成仏に至る方法。

如来(仏)、正法(教え)、聖衆(僧伽)に功徳を植える(供養・帰依・尊重)。

 

福徳が少なく修行力の弱い者(下根・下品)でも実践可能。

日常生活の中で「仏を敬う」「教えを学ぶ」「仲間を尊重する」という形で功徳を積む。

これらの功徳は尽きることなく、必ず涅槃へと導くと説かれる。

 

在家の人々に開かれた「成仏への道」。

瞑想や厳格な修行に入れなくても、信仰・学び・共同体の実践を通して成仏に近づける。

二つの成仏法の位置づけ

応説経の成仏法 → 専門的で高度、修行者向け。

三供養品の成仏法 → 普遍的で実践しやすい、在家信者も対象。

つまり、お釈迦さまは 「能力に応じた二つの成仏法」 を説かれたのです。
どちらも「涅槃に至る」ための道であり、違いは アプローチの深さ・難度 にあるといえます。

二つの成仏法の比較表

項目応説経(雑阿含経・応説)三供養品(増一阿含経・三供養品)位置づけ高度な修行法(上根・上品向け)普遍的な修行法(下根・下品向け)修行法の内容七科三十七道品を修行する(戒・定・慧を総合的に完成させる)三善根(仏・法・僧に功徳を植える=三宝への帰依と供養)対象者出家修行者、深い実践に耐えられる人在家信者、徳や福が少なくても歩める人キーワード八正道、四念処、七覚支、戒・定・慧、システム化された悟りの道三宝、供養、信心、福徳、共同体の支え特徴理論的で厳密、段階的に悟りへ到達する「エリートコース」日常の中でも実践可能な「誰でも歩める道」最終的な目的厳格な修行を通じて智慧を完成し、涅槃に至る功徳が尽きることなく積み重なり、必ず涅槃へ至る

補足ポイント

応説経は「七つのシステム・三十七のカリキュラム」と阿含宗で説明されるほど、精緻に体系化された成仏プログラム。

三供養品は「三福道」と呼ばれ、日常生活の中で誰もが功徳を積める成仏法。

 

成仏法が説かれた二つの阿含経

成仏法が説かれた二つの阿含経

阿含経の中で特に「成仏法(成仏に至る方法)」を説いているとされる二つのお経が、

雑阿含経・応説経(応脱経とも)

増一阿含経・三供養品

です。
この二つが『仏舎利宝珠尊解脱宝生行聖典』に収められているのは、「成仏するための道筋」を、上根(能力の高い人)と下根(一般的な人)それぞれに向けて説いているからです。

第一の成仏法 ― 応説経(高度な修行法)

内容:「七科三十七道品」を実践して成仏する方法。

七覚支、八正道、四念処、五根・五力などを含む、悟りに至るための 37の修行要素。

体系的に言うと、七つのカテゴリに分かれた「悟りのカリキュラム」。

特徴:

高度な修行者(上根・上品)のための道。

瞑想・智慧・戒律を徹底的に修め、段階的に悟りへと至る。

阿含宗では「七つのシステム、三十七のカリキュラム」と呼んでいます。

意義:

釈尊が「最も体系的にまとめた悟りへの道筋」として伝わる。

出家修行者や深い実践を志す人に向けられた厳格な成仏法。

第二の成仏法 ― 三供養品(普遍的な修行法)

内容:「三善根」を植えることで成仏に至る方法。

如来(仏)、正法(教え)、聖衆(僧伽)に功徳を植える(供養・帰依・尊重)。

阿含宗では「三福道」と呼ばれ、在家信者でも取り組める道とされています。

特徴:

福徳が少なく修行力の弱い者(下根・下品)でも実践可能。

日常生活の中で「仏を敬う」「教えを学ぶ」「仲間を尊重する」という形で功徳を積む。

これらの功徳は尽きることなく、必ず涅槃へと導くと説かれる。

意義:

在家の人々に開かれた「成仏への道」。

瞑想や厳格な修行に入れなくても、信仰・学び・共同体の実践を通して成仏に近づける。

二つの成仏法の位置づけ

応説経の成仏法 → 専門的で高度、修行者向け。

三供養品の成仏法 → 普遍的で実践しやすい、在家信者も対象。

つまり、お釈迦さまは 「能力に応じた二つの成仏法」 を説かれたのです。
どちらも「涅槃に至る」ための道であり、違いは アプローチの深さ・難度 にあるといえます。

二つの成仏法の比較表

項目応説経(雑阿含経・応説)三供養品(増一阿含経・三供養品)位置づけ高度な修行法(上根・上品向け)普遍的な修行法(下根・下品向け)修行法の内容七科三十七道品を修行する(戒・定・慧を総合的に完成させる)三善根(仏・法・僧に功徳を植える=三宝への帰依と供養)対象者出家修行者、深い実践に耐えられる人在家信者、徳や福が少なくても歩める人キーワード八正道、四念処、七覚支、戒・定・慧、システム化された悟りの道三宝、供養、信心、福徳、共同体の支え特徴理論的で厳密、段階的に悟りへ到達する「エリートコース」日常の中でも実践可能な「誰でも歩める道」最終的な目的厳格な修行を通じて智慧を完成し、涅槃に至る功徳が尽きることなく積み重なり、必ず涅槃へ至る

補足ポイント

応説経は「七つのシステム・三十七のカリキュラム」と阿含宗で説明されるほど、精緻に体系化された成仏プログラム。

三供養品は「三福道」と呼ばれ、日常生活の中で誰もが功徳を積める成仏法。

 

増一阿含経・三供養品

増一阿含経・三供養品

私はこのように聞きました。
あるとき、世尊(お釈迦さま)は舎衛国の祇樹給孤独園におられました。

その時、世尊は阿難に告げられました。
「阿難よ、三つの善根がある。それは尽きることがなく、次第に涅槃の境地へと至らしめるものである。

その三つとは何か。
一つは、如来において功徳を植えることである。この善根は尽きることがない。
二つ目は、正法において功徳を植えることである。この善根も尽きることがない。
三つ目は、聖なる僧伽において功徳を植えることである。この善根も尽きることがない。

阿難よ、この三つの善根は尽きることなく、涅槃の境地に至るものである。
ゆえに、阿難よ、汝は巧みな方便をもって、この尽きることのない福徳を得るように努めよ。

このように学ぶべきである。」

その時、阿難は仏の説かれたことを聞き、歓喜して受け止め、実践した。

增一阿含経・三供養品[全文聞如是。一時仏在舍衛国祇樹給孤独園。爾時世尊告阿難。有三善

根。不可窮尽。漸至涅槃界。云何為三。所謂於如来所而種功德。

此善根不可窮尽。於正法。而種功德。此善根不可窮尽。於聖衆而種功德。此善根不可窮尽。是謂阿難。此三善根不可窮尽得至涅槃界。是故阿難。当求方便獲此不可窮尽之福。如是阿難。当作是学。 爾時阿難聞仏所說。歓喜奉行

三善根の現代的な噛み砕き解説

お経では、三善根とは 如来(仏)・正法(教え)・聖衆(僧伽) に功徳を植えることだと説かれています。
これは伝統的には「三宝への供養・帰依」を意味します。

現代的に言い換えると――

仏に功徳を植える
→ 完成された人格や理想(仏陀)に敬意を払い、それを自分の目標とする。
日常では「尊敬できる人や理想像を心に置く」「祈りや瞑想を通して理想を思い出す」ことに通じます。

法に功徳を植える
→ 真理や正しい教えを大切にする。
具体的には「本を読む」「学び続ける」「正しいことを探究し、それに従う」こと。
情報が氾濫する社会で「真理に近いものを選び取る姿勢」そのものが功徳となります。

僧伽に功徳を植える
→ 修行者や仲間を尊重し、共に支え合う。
現代では「同じ志を持つ人たちと助け合う」「コミュニティで学び合う」こと。
孤独ではなく、つながりを持つことが心を強め、功徳を無限に広げます。

要点

三善根とは、単なる宗教的供養にとどまらず、

理想への敬意(仏)

真理の学び(法)

仲間とのつながり(僧)

を育てていくことです。
お経が「尽きることなく、涅槃へと至る」と説くのは、これらが人間の心を無限に広げ、人生全体を方向づける力を持っているからです。

ちがいるか。わが帰

ポイントが、生ける卵米の有無です。信仰・修行をするのは結構だが、生けといえれば意味がありません。そのお釈運さまのお言葉を、一人でも多くの人に伝えていかなければな

らない。これがわたくしたち阿含宗信徒の使命であり、かつ、功徳を種える行なのです。

正法とはお釈迦さまの説かれた教法

お釈迦さまは三根三福道)の第二として、

「正法に於て功徳を種う。此の善根尽す可からず」

とおっしゃっています。正しい法とは、生ける如来のみもとで行われる教法のことです。教えとしては縁起の法や四諦の法門などで、法としては上根の成仏法・七科三十七道品、それから下根の成仏法・三善根(三福道)や以前講義した優婆塞の八法・十六法(上巻・「一切事経」九一五六買などです。

お釈迦さまは便要塞の八法・十六法で、まず最初にどのように説かれていますか?

でなければならない、とおっしゃっているでしょう。優婆塞の八法とは、自分が正信を持

ち(個)、彼を守り(郡)、布施を行い(無)、正法を聞き(恥)、聞いた正法を保ち(持)、正法を観夢し(殿)、正法に近づき(次)、正法に向かう(向)行です。これが優婆塞の八法です。

優婆塞の八法の筆頭は信ですが、その信も正信でなければならない、と『雑阿含経・一切事経』には説かれています。お釈迦さまは、「正信を具足して他人を建立し」というように、わざわざ正信と断られていました。正法とは仏陀になられたお釈迦さまが実際に説かれた教法であり、 その正法を信じることが正信なのです。歴史上実在の仏であるお釈迦さまが、実際にお教えになられた教法、それが正法です。つまり「阿含経」に説かれている教法です。「阿含経」だけがお釈迦さまの教法を伝える唯一の経典なのですから、当然そうなります。大乗経典という、お釈迦さまの入滅後、四、五百年も経ってから創られた、ニセのお経に書かれている教法は、正法とはいえないのです。

お釈迦さまは、ご自身が亡くなられたあとに、ニセの経典が次々と創られることを予知なされて、正法と念を押されているのです。事実、お釈迦さまは、ご自分が無余涅槃に入られたのちに、ご自分の教法(正法)がすたれ、代わりに文芸人の説いたお経が人々の信仰を集めることになるであろう、と「阿含経」の中で予言されております。このことはすでに述べたとおりです (上巻・五〇一五二頁)。お釈迦さまは、ご自分が入滅されたあと、ニセの教法が横行することを予知されていたからこそ、正信・正法とおっしゃっているのです。

なのだ」 「今、真の如来である自分が説いている教法、これが正法であり、その正法を信じることが正信

というように、お客さまはおっしゃっているわけです。お釈辺さまは、

 

というように、お釈さまはおっしゃっているわけです。お問

「自分がいた数に基づいて、功徳を種えなさい」

と説かれているのです。それが「正法に於て功徳を種う」です。どれほどの功徳を種えても、

どこのだれが説いたのかも分からないような教法に基づいているならば、功徳は決して実りません。ニセの如来のもとで功徳を種えても、福が実らないのと同じことです。正法に基づいて修行しなければ、まったく意味がありません。正法において功徳を種えてこそ、成仏の福が得られる、

まさにそのとおりだと思います。

聖衆とは正法を歩む師と弟子たちの集い

三根三福道)の第三として、お釈迦さまは、 「聖衆に於て功徳を種う。此の善根窮尽す可からず」

とおっしゃっております。聖衆とは、ひとことでいえば、生ける如来のみもとで正法を修める人々です。正法を体得した師匠と、その師のもとで成仏をめざしてお互いに励まし合いながら正法を移行している弟子たちの集い、それが聖衆です。この集いを何体(サンガ)といいます。 要するに三根三福道)とは、・・憎の三でそれも正しい三宝のもとで行う、功徳を種

える修行なのです。如来が仏、正法が法、聖衆が信(信)です。

仏・法・神の三宝のもとで功徳を積えるというのは、どの宗旨・宗糸でもいっていることです。