若衍底 怛把帝娑婆讓
(五唱)
(60)
ひさいしょうこんごうぶつぼじゅんていかんぜんだい年南無最勝金剛佛母準胝觀世音大菩薩摩訶薩
さったなん さんみゃくさんぼだくちなん
こしんがっしょう (虚心合掌)
曇謨 颯哆南 三藐三勃陀俱胝南 怛姪他
たにゃた
しゃれい折尺
しゅれい主戾
じゅんてい準胝
そわか娑婆訶
(準胝印)
(五唱)
UA-135459055-1
若衍底 怛把帝娑婆讓
(五唱)
(60)
ひさいしょうこんごうぶつぼじゅんていかんぜんだい年南無最勝金剛佛母準胝觀世音大菩薩摩訶薩
さったなん さんみゃくさんぼだくちなん
こしんがっしょう (虚心合掌)
曇謨 颯哆南 三藐三勃陀俱胝南 怛姪他
たにゃた
しゃれい折尺
しゅれい主戾
じゅんてい準胝
そわか娑婆訶
(準胝印)
(五唱)
四重禁戒
一、菩提心を失い、正法を捨ててはならない。
二、一切法を想像してはならない。物を与えることを惜しまず、自分が知っていることはすべて説きなさい。
三 、自分で不可解なとがあっても、決して疑いを起こしてはならない。私の
三味はわれわれの有限の知識や智慧では計りがたい。仏教の大海は信を以て能入す、とあるとおりである。
四、不饒益をとをしてはならない。他人にも自分にも不利益になることをやってはいけない
(5)
十善戒
一、不生蔵、生きとし生けるものを殺してはならない。
二、不偷盗戒、他人のものを盗ってはならない。
三、不邪經戒・夫婦間の正しい交わりを保ち、みだりがましい性行為をしてはならない。
四、不妄語戒、言葉づかいを正しくして、つねに真を語らなくてはならない。
嘘をいわない。
五、不成ものごとについて神々しいことや、でまかせないわない。
六不意口戒・悪口をいわない。
七、不雨古成、二枚舌をつかわない。
不料試験はない。
本、不成・けない。
Aiに拠る
増一阿含経・三供養品
私はこのように聞きました。
あるとき、世尊(お釈迦さま)は舎衛国の祇樹給孤独園におられました。
その時、世尊は阿難に告げられました。
「阿難よ、三つの善根がある。それは尽きることがなく、次第に涅槃の境地へと至らしめるものである。
その三つとは何か。
一つは、如来において功徳を植えることである。この善根は尽きることがない。
二つ目は、正法において功徳を植えることである。この善根も尽きることがない。
三つ目は、聖なる僧伽において功徳を植えることである。この善根も尽きることがない。
阿難よ、この三つの善根は尽きることなく、涅槃の境地に至るものである。
ゆえに、阿難よ、汝は巧みな方便をもって、この尽きることのない福徳を得るように努めよ。
このように学ぶべきである。」
その時、阿難は仏の説かれたことを聞き、歓喜して受け止め、実践した。
增一阿含経・三供養品[全文聞如是。一時仏在舍衛国祇樹給孤独園。爾時世尊告阿難。有三善
根。不可窮尽。漸至涅槃界。云何為三。所謂於如来所而種功德。
此善根不可窮尽。於正法。而種功德。此善根不可窮尽。於聖衆而種功德。此善根不可窮尽。是謂阿難。此三善根不可窮尽得至涅槃界。是故阿難。当求方便獲此不可窮尽之福。如是阿難。当作是学。 爾時阿難聞仏所說。歓喜奉行
三善根の現代的な噛み砕き解説
お経では、三善根とは 如来(仏)・正法(教え)・聖衆(僧伽) に功徳を植えることだと説かれています。
これは伝統的には「三宝への供養・帰依」を意味します。
現代的に言い換えると――
仏に功徳を植える
→ 完成された人格や理想(仏陀)に敬意を払い、それを自分の目標とする。
日常では「尊敬できる人や理想像を心に置く」「祈りや瞑想を通して理想を思い出す」ことに通じます。
法に功徳を植える
→ 真理や正しい教えを大切にする。
具体的には「本を読む」「学び続ける」「正しいことを探究し、それに従う」こと。
情報が氾濫する社会で「真理に近いものを選び取る姿勢」そのものが功徳となります。
僧伽に功徳を植える
→ 修行者や仲間を尊重し、共に支え合う。
現代では「同じ志を持つ人たちと助け合う」「コミュニティで学び合う」こと。
孤独ではなく、つながりを持つことが心を強め、功徳を無限に広げます。
要点
三善根とは、単なる宗教的供養にとどまらず、
理想への敬意(仏)
真理の学び(法)
仲間とのつながり(僧)
を育てていくことです。
お経が「尽きることなく、涅槃へと至る」と説くのは、これらが人間の心を無限に広げ、人生全体を方向づける力を持っているからです。
思念の相承と四神足法
師は静かに語り出した。
「もし、釈尊のむずかしい成仏法を修行しなければ霊性の扉は決して開かないのだとしたら──いったいどれほどの人が霊性を開顕できるだろうか。
おそらくは、ごく限られたわずかな者だけ。選ばれし者、ほんのひと握りのエリートしか到達できまい。」
弟子は息を呑んだ。その言葉の重さに、胸の奥がひやりとする。だが、師は首を振り、穏やかに微笑した。
「だが、そうではない。永年の修行の末、わたしはこの問題を解きほぐした。だれもが比較的容易に成仏法を進めていける道を──完成することができたのだ。」
師の瞳が水晶のように澄んで輝き、その奥に龍がうねる幻を、弟子は一瞬見た気がした。
「それが《水晶龍神瞑想法》である。この法は単なる瞑想ではない。釈尊の成仏法の真髄、《四神足法そのもの》なのだ。
そして最大の特長は──瞑想そのものが、思念の相承であるということ。」
弟子は思わず身を乗り出した。師の言葉は、心の奥深くへと直接流れ込んでくる。
「この法に従って歩む者は、最初の一息から仏陀の思念を受け取ることができる。通常ならば、厳しい苦行を経て四神足を成就しなければ絶対に授かれぬはずの相承を──はじめから受けながら進んでいけるのだ。
しかも、この道では、もっとも危険とされる脳内のチャクラの開発さえも、安全に、おだやかに進めることができる。」
その声は、山の泉のように澄み切りながらも、雷鳴のような力を帯びていた。
「この瞑想を修める者は、やがて《神通力》を得るであろう。
ただし、誤解してはならぬ。これは最極秘伝に属する法。すべてを筆に記すことはできぬ。どうしても、わたしの直接の指導を受けねばならぬ段階がある。なぜなら、この道は──王者による思念の相承、すなわち仏陀の思念を受ける道だからだ。」
師は静かに目を閉じ、水晶を掌に掲げた。光が石を透き通り、部屋に龍の影を描き出す。
「これが仏法の真髄、《四神足法》。水晶を用いて深層意識を開く瞑想法なのだ。」
弟子はただ、胸の奥に熱く燃えるものを感じていた。
それは恐れではなく、未来へと歩むための炎であった。
師は、弟子の目を見つめながら、さらに言葉を紡いだ。
「そもそも成仏法とは、ただ心を静める座禅や瞑想にとどまるものではない。
それは、人間の意識そのものを転換させ、輪廻の根を断ち切るための、きわめて高度な法なのだ。
しかし、その真髄を掴もうとすればするほど、修行者は大きな壁に突き当たる。
──思念の相承。
これを受けなければ、いくら技法を真似ても、ただの形に過ぎぬ。思念の相承とは、師から弟子へと直接流れ込む『生きた仏陀の意志』だ。それを受けてはじめて、間脳が開き、霊性が芽吹く。
だが、世のほとんどの人々は、この相承を受けることなく生涯を終える。結果として、霊性は眠ったまま、仏陀の眼差しを知ることもなく終わるのだ。」
師はゆっくりと掌を開き、そこに透明な水晶を載せた。灯火を透かすその結晶の奥で、かすかな虹色の光が瞬いた。
「わたしは考え続けた。もし成仏の道が、ほんの一握りの者だけに閉ざされているのなら、それは仏陀の願いに反するのではないか、と。
仏陀は万人のために道を開いたはずだ。ならば、誰もが歩める方法があるに違いない。」
師は眼を閉じ、低く響く声で続けた。
「永年の修行と観想の果てに、わたしは一つの光景を見た。
それは、透き通る水晶の中に螺旋を描いて昇る龍──《水晶龍神》であった。
その瞬間、わたしは悟った。この龍神の導きこそが、思念の相承そのものであり、四神足法の秘密を形にする鍵なのだ、と。
それゆえに完成したのが、《水晶龍神瞑想法》。これは単なる瞑想法ではない。釈尊の成仏法の核心、《四神足》そのものにほかならぬ。」
弟子は息を詰めて聞いていた。師の声は深い響きを持ち、言葉である以上に「思念」として胸に響いてくるようだった。
「この法の特長はただ一つ──修行を始めたその瞬間から、相承が働きはじめることだ。
本来ならば、tapas、すなわち烈しい苦行によって四神足を成就せねば、思念は降りてこない。だが、この法では水晶を媒介にして深層意識を開くことにより、最初の段階からすでに仏陀の思念が注がれるのだ。
ゆえに、修行者は独りで山に籠る必要もない。最初の一呼吸から、相承とともに歩み出せる。」
師は言葉を区切り、静かに弟子の胸を指さした。
「ことに重要なのは、クンダリニーの流れを安全に導くという点だ。脳内のチャクラを無理に開発すれば、狂気や錯乱に陥る危険がある。だが、水晶龍神の導きは穏やかだ。龍のように螺旋を描き、流れを整えながら、心身を損なうことなく霊性を開顕させてゆく。
やがて修行者は、必ず《神通力》を得るであろう。」
弟子の目が驚きに見開かれた。だが、師は静かに首を振る。
「忘れてはならぬ。これは最極秘伝に属する法。紙の上にすべてを記すことはできぬ。なぜなら──相承とは文字や図で伝わるものではなく、師と弟子の心のあいだで直接流れる、無言の火だからだ。
この火は、わたしの眼差しと声を通して、あるいは沈黙のうちに、確かにおまえに届いている。」
部屋に沈黙が落ちた。水晶は静かに光を放ち、まるで小さな宇宙を宿すかのように輝いていた。
「よいか。覚えておけ。水晶龍神瞑想法とは、王者による思念の相承、すなわち仏陀そのものの思念を受ける道である。
ここから先を歩むかどうかは──おまえ自身の選択にかかっているのだ。」