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だからカルマを変えたかったらレーシャを変えればよい

だからカルマを変えたかったらレーシャを変えればよい。それがジャイナ教のカルマを変える瞑想法レーシャ・ディヤーナの理論である。霊的色彩光の知覚を通じてレーシャの色をより良い色彩に変えていく、因果律の負の連鎖を正の連鎖に変えて魂の純粋化を目指すのである。

カルマによって汚れた魂となったパーヴァ・アートマンをもつジーヴァ(生き物、特に人間)が修行によってアカルマ(純粋)になると、モークシャが達成されて輪廻転生しない普遍的なドラヴィア・アートマンになる。このことを解脱と言う。解脱がジャイナ教・仏教・ヒンドゥー教の理想である。それは、今も昔も変わらない。レーシャ・ディヤーナ(霊的色彩光の知覚)は瞑想の目的と目的地とそこに到達する方法を示している。

感情を生み出すホルモンの内分泌線と関係が深いケーンドラ(チャクラともいう)という霊的中心点に善い色彩をイメージし、善い言葉と共に潜在意識であるカルマ体に浸透させる。この瞑想の継続によって我々の潜在意識は変容しカルマも変わり、カシャーイも善きものとなる。

自分自身を知るというのは自己のカルマを知ることである。自己コントロールとは自己の行為の結果であるカルマによって作られたカシャーイをコントロールすることである。また、カルマによって形成された心の癖、願望、傾向、好みであるヴァーサナー・サムスカーラをコントロールすることでもある。

我々は自分自身を肉体としての体だけであると見ていたのでは救われない。常に肉体だけでなく、自分の体を電磁気的な体として、原因の体として、純粋なる魂として見なくてはならない。それが、自分で自分を救う道である。ジュニヤーナの道、智慧のヨガ、論理的思考を好む人の歩む道、プレクシャ・メディテーションがそれである。

コラム:四つの身体と霊的色彩光

コラム:四つの身体と霊的色彩光

ヴェーダンタ哲学とジャイナ教哲学では、人間の身体は目に見える粗雑な物質の肉体と、精妙な物質的身体である電磁気的な体と、最も微細な物質からなる体原因と、物質でない魂が層のように結合したものだと説いている。

ジャイナ教ではその四つを肉体、テジャス体(電磁気的な身体)、カルマ体(原因体、汚れた魂、個我の源)、ドラビヤ・アートマン(純粋な魂)に分けて説明している。

ヴェーダンタ哲学では肉体(粗雑な体・アンナマヤ・コシャ・食物で出来た体)、スークシュマ・シャリーラ(精妙な体)、カーラナ・シャリーラ(原因体・潜在意識)、アートマン(魂)に相当する。

仏教では魂を説明しないので身体の複合性・重層性を説かないが、四つの身体を説くジャイナ教とヴェーダンタ哲学には共通の思想がある。『スワーミー・メーダサーナンダ著「輪廻転生とカルマの法則」参照。』

魂の二面性についても純粋なる魂をヴェーダンタ哲学でシュッダートマンと言い、ジャイナ教ではドラビア・アートマンという。本性が覆い隠された魂をヴェーダンタ哲学ではジヴァートマンと言い、ジャイナ教ではパーヴァ・アートマンと言う。何によって魂が本性を覆い隠されるのか。ヴェーダンタ哲学では、それは無知・マーヤ(迷い)であると説いている。その迷いとは誤解、妄想、迷信である。

ジャイナ教では魂に付いた汚れであるカルマ(業)であるとして、中でもカシャーイが原因であるとしている。カシャーイとは怒り、慢心、虚偽、強欲のことである。ジャイナ教では全ての生き物の魂にはカルマが付着していて、カルマが原因となって輪廻が起こっていると説いている。そして輪廻する魂を持つ生き物全てをジーヴァと呼んでいる。汚れたジーヴァの魂が純粋になることがモークシャ(解脱)であり、モークシャに到達することが全ての輪廻する魂の目標である。人間として肉体を持った状態でモークシャに到達した人をアラハン又はアラハトと言う。アラハトが肉体を捨てて魂だけになるとモークシャに到達しているので、もう輪廻転生が起こらない。その輪廻転生しない肉体を持たない魂をシッダと言う。ジーヴァという言語、シッダという言語はジャイナ教由来のものである。もしかするとヴェーダンタ哲学で説く四つの体は、いつの時代か、ジャイナ教哲学の影響を受けているのかもしれない。

ジャイナ教哲学では純粋なる魂は色彩を超越した まばゆく輝くものであるが、純粋なる魂にカルマが結びつくと輪廻する魂、ジーヴァ、つまり生き物、生命になる。生命の中の魂はある種のバイブレーションを起こしている。その精妙なバイブレーション(ある種の周波数を持った波動)が周囲に存在している様々な微細な物質を引き寄せる。その微細な物質が魂に付着してカルマの材料となる。人間であれば、五つの感覚器官を通じて微細な物質が魂に引き寄せられてくる。色、音、味、匂い、触感として微細な物質が魂に入ってくる。それは外から内への方向性である。

魂の内奥から常にある種の霊的精神的エネルギーが身体外部に放射されているが、そのバイブレーションは内から外に向かって放射されるときに魂に付いた汚れの影響を受けて着色される。それがジャイナ教哲学でいうレーシャという霊的色彩光である。霊的色彩光はカルマ体(アートマンにカルマが結びついて出来た原因体であり、自我意識であり、個我でもある。)のカシャーイ領域を通過するときにカシャーイに影響されて着色される。原因として蓄積されているカルマによってカシャーイ(情欲・パッション)が出来てくるが、カシャーイの領域を通過して着色されたレーシャは、次にカルマ体のアデヴァシャーイの領域に入り、感情が生起する元となるエネルギーを生み出している。この段階(カルマ体の段階)ではレーシャの周波数が高いので我々はまだ霊的色彩光を知覚することはできない。

レーシャがテジャス体に入ると周波数が低くなり、テジャス体に流入したレーシャは生命力や内部感覚に影響し、テジャス体のレーシャの領域(霊的色彩光の見える領域)に到達すると我々はレーシャの色を知覚することが出来るようになる。更にレーシャが肉体のレヴェルに入ると中枢神経に到達し内分泌系に影響を及ぼして、そこで化学物質・ホルモンが分泌され感情が生起する。感情によって思考が生まれ、知性が心で考えたことを分析判断し決定する。決定することで行動となる。行動の源を辿っていくとカシャーイがその根源となっていることが解り、行為の結果であるカルマがそのカシャーイを生み出していると理解できる。

又、カルマはレーシャに引き寄せられていることがわかる。つまりレーシャが我々の行動の全ての根源だということがわかる。レーシャによって我々は行動させられ、そしてその行動が新たなカルマを引き寄せ新たな原因を作っているのである。

だからカルマを変えたかったらレーシャを変えればよい。それがジャイナ教のカルマを変える瞑想法レーシャ・ディヤーナの理論である。霊的色彩光の知覚を通じてレーシャの色をより良い色彩に変えていく、因果律の負の連鎖を正の連鎖に変えて魂の純粋化を目指すのである。

カルマによって汚れた魂となったパーヴァ・アートマンをもつジーヴァ(生き物、特に人間)が修行によってアカルマ(純粋)になると、モークシャが達成されて輪廻転生しない普遍的なドラヴィア・アートマンになる。このことを解脱と言う。解脱がジャイナ教・仏教・ヒンドゥー教の理想である。それは、今も昔も変わらない。レーシャ・ディヤーナ(霊的色彩光の知覚)は瞑想の目的と目的地とそこに到達する方法を示している。

感情を生み出すホルモンの内分泌線と関係が深いケーンドラ(チャクラともいう)という霊的中心点に善い色彩をイメージし、善い言葉と共に潜在意識であるカルマ体に浸透させる。この瞑想の継続によって我々の潜在意識は変容しカルマも変わり、カシャーイも善きものとなる。

自分自身を知るというのは自己のカルマを知ることである。自己コントロールとは自己の行為の結果であるカルマによって作られたカシャーイをコントロールすることである。また、カルマによって形成された心の癖、願望、傾向、好みであるヴァーサナー・サムスカーラをコントロールすることでもある。

我々は自分自身を肉体としての体だけであると見ていたのでは救われない。常に肉体だけでなく、自分の体を電磁気的な体として、原因の体として、純粋なる魂として見なくてはならない。それが、自分で自分を救う道である。ジュニヤーナの道、智慧のヨガ、論理的思考を好む人の歩む道、プレクシャ・メディテーションがそれである。

<著:坂本知忠>

愛染明王

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愛染明王】仏像をお買取りしました!【青不動明王 】|藤蓮堂

愛染明王と不動明王はどちらも大日如来の化身とされる忿怒尊ですが、愛染明王が愛欲や煩悩から生じる迷いを大日如来への信仰へ昇華させる役割を持つ一方、不動明王は迷いや煩悩を断ち切って一切の魔を降伏させる最も強い力を持つ明王です。また、この二尊が一体となった「両頭愛染明王」像(厄神明王)も存在し、厄払いなどで信仰されています。 

愛染明王(あいぜんみょうおう)
  • 役割・功徳: 愛欲や煩悩、人間の本能を大日如来への信仰や信心に結びつけ、向上させる功徳を持ちます。 
  • ご利益: 愛情から生じる迷いや苦しみを浄化し、良い方向へ導きます。恋愛成就、結婚、家庭円満など、女性が祈願することの多い仏様としても知られています。 
  • 特徴: 髪を逆立てた姿が特徴で、肌は真っ赤なことが多いです。愛染明王は胎蔵界の明王とされます。 
不動明王(

大善地法

大善地法

心のきよらかさ。信義を重んじ、善行を楽しむ心である。
それと、仏教で説く四つの真理、すなわち「四諦の理」と、「三宝」すなわち、仏と、その教えと、その僧団、および、業と、その報いとのあいだの因縁・因果性、以上の三つにたいするふかい確信をいう。
勤(精進)
勤勉であり、なすべきことや、善行にたいして勇敢なことである。

私心をはなれ、平静でかたよりのない心をいう。

つよく反省し恥ずる心。
‐ 教えや、他のすぐれた人に対して、自分が不完全であり、不徳であることを反省し、恥ずる心であ
る。それはまた、教えや師友にたいしてふかい恭敬の心となる。

社会的な立場、グループの一人としての自分を自覚し、恥ずかしくないように行動することである。

 漸は他に対して自分を恥ずる心、愧は自分自身に対して自分を恥ずる心である。

 無貪
むさぼりのないこと。地位・権力・物質などに執着したりとらわれたりしない。

無愼
つよい忍耐力。憎しみや怒りのないことであるが、それだけでなく、積極的に他を愛憐する心であ

不害
非暴力であり、他を害さないことであるが、それだけではなく、篤い同情心を持つことである。

 軽安
すなおで身心明朗であることである。
よき適応性を持つことであり、つねに身心を軽快安適にたもち、徳を積み、修行にしたがうことが
できるように心がけることである。

不放逸
なまけず、放縦に流れないで、修行や勉学にはげむこと。
以上であるが、この大善地法の心所は、随煩悩の心所にたいして、つぎのように対照配当されるの
である。

 信―不信・不正知

無噺・詔・僑
無愧・覆・笛
無貪-貪・樫
無職-職・忿・恨
勤 心緊怠・失念
軽安-悟沈・悩
不放逸―放逸・散乱
捨―棹挙・嫉
不害-害
つまり、修行者は、つねに自分のこころに注意をはらっていて、煩悩の心所が動こうとするとき、
ただちにこれら大善地法の心所を以てこれに対抗し、煩悩の心所を制圧してしまおうというのであ
る。これをくりかえすことにより、ついには煩悩の心所が起こらぬようにしてしまおうというわけで
ある。
なるほど実によく考えたものではないか。
しかしそううまくいくであろうか?
のちにあらわれた大乗仏教は、これらの随煩悩をすべて六大根本煩悩におさめてしまって、これに
「六波羅蜜」(六度の行)を対照配当した。つぎの通りである。
貪-布施行
職-忍辱行
疑-智慧行(般若)

しまうのである。いや、それ以前に、「戒」の修行課程(それは心身と環境の調整であるが)に耐えられ
ず、落伍していってしまうのだ。
それにまた、あまりにも緻密詳細にこころを分析してきびしく自分の心と行動を規制するため、そ
れがあたらしい抑圧となって、修行者の無意識層に葛藤やコンプレ″クスを生ぜしめるのである。フ
ロイトは、「文化と道徳・教育・宗教が人間のさまざまなコンプレご
べ、「われわれが無意識の意識層に持つ抑圧と葛藤、精神的外傷のほとんどはそれによるものだLと指
摘しているが、まさにこの修行法こそ、適用を一歩あやまると、現代人にとってそれにあたるものに
なるといってよいのではないか。
それは大乗仏教についてもいえることで、大衆宗教である大乗仏教は、最も簡略化することに成功
はしたけれども、大乗仏教の最大のあやまりは、「煩悩」を表面意識のみでとらえていることである。
もっとも、ふかい「信」に入らせることにより、無意識の意識層におけるさまざまな抑圧やコンプレ
″クスを処理しようと考えるのであろうが、前に述べた通り、無意識の意識層における抑圧や葛藤、
精神外傷から生じたこころは、傷つき歪んだ異常なこころで「カミもホ手ケも真理も公正も信じない
こころ」なのである。これを、さまざまに説得し、あるいは折伏など、フロイトのいう「宗教的おど
し」をかけることによって「信心」をふかめようとすることは、ますますそのコンプレご
め、精神的外傷の傷を拡大することになる。まさにフロイトのいう「社会的制裁はつねに宗教的おど
しと組み合わさっており、人間を二度とふたたび立ち直れないほど責めさいなむ。そのため、病的な これは、とくに仏教の修行でなくても、なにかものごとを決断するとき、きまって生ずる迷いであろう。

美土路達雄

 

 

山田 定市(やまだ さだいち、1932年7月31日[1] – 2014年1月21日[2])は、日本の農業経済学者教育学者だった人物。専門は農業経済学生活協同組合論・農業協同組合経営論・農業教育論[3]コープさっぽろの理論的支柱の1人だった。農学博士北海道大学)。北海道大学名誉教授。旭川市出身[1]1955年北海道大学農学部卒業(高倉新一郎ゼミ所属[4])、1961年同大学院農学研究科博士課程修了(恩師:足羽進三郎[4])。論題は「農産物市場と協同組合」で農学博士[5]。1961年北海道立農業研究所研究員。1962年北海道立総合経済研究所研究員。1963年北海道大学農学部助手。1971年北海道大学教育学部助教授。1982年同教授。1992年同教育学部長。1993年同教育学部附属産業教育計画研究施設長。1995年同高等教育機能開発総合センター生涯学習計画研究部長。1996年同停年退官。室蘭工業大学工学部教授。1998年同停年退官。北海学園大学経済学部教授[6]。2003年同大学院経営研究科長。2005年同定年退職[7]。2014年1月21日に肺炎のため逝去[2][8]

このほかに、1980年よりコープさっぽろ理事を長く務め、2000年[9]~2004年までコープさっぽろ会長を兼職[1]。2000年~2003年放送大学客員教授。2003年から2007年まで中国・瀋陽農業大学客員教授も兼任した[10]

主著

編集

  • 『現代の農協理論 : 農協民主化の課題と展望』全農協労連 1973
  • 『農協労働者 : その性格と運動の課題』労農問題研究会編 分担執筆 労農問題研究会 1976
  • 『地域農業と農民教育 : 現代農民教育論序説』日本経済評論社 1980
  • 『北海道の農業』データ・グラフィックス社 1985
  • 『地域農業の発展条件 : 北海道酪農の展開構造』美土路達雄と共編 御茶の水書房 1985
  • 『地域生涯学習の計画化』鈴木敏正と共編 筑波書房 1992
  • 『地域づくりと生涯学習の計画化』編著 北海道大学図書刊行会 1997
  • 『講座 主体形成の社会教育学』山本健慈高倉嗣昌木村純編著 分担執筆 北樹出版 1998
  • 『農と食の経済と協同 : 地域づくりと主体形成』日本経済評論社 1999
  • 『資本主義はどこまできたか : 脱資本主義性と国際公共性』21世紀理論研究会編 分担執筆 日本経済評論社 2005

この他、数多くの生涯学習政策論・協同組合論の共著を執筆。

■2014年1月22日、尊敬する山田定市先生のお通夜の日、大雪の交通事情の中、なんとか日程調整をして青森から空路駆けつけたが、残念ながら最後の方にだけしか参席できなかった。しかし最後部席から「長いこと有り難うございました」と心の中でつぶやくことができた。わが人生の師山田先生に御礼を言いたかった。

 

■私が北大(理類)に入学した1960年代末頃から大学紛争が全国的に起こり、東大・日大紛争が激化していったが、北大では1969年4月の入学式当日から騒がしくなった。私はその頃、風邪をこじらせて半年ほど北大病院で入院生活を送らざるを得ない状況にあり、病床から行方を見守らざるを得なかった。当時、教養部から学部への移行は2年生の後期開始前に行われていたが、私たちの68年組は紛争の長期化により半年遅れて、1970年4月に学部移行となった。大学紛争と入院の中で私の関心事は理系から文系(社会科学)に移りつつあり、農学部農業経済学科は理類から社会科学を学ぶことのできる進路先だったが、農経に進学してもここで何を勉強するのか、少々不安だった。しかし、そんな不安はあっというまに一掃された。当時助手だった山田先生、三國英実先生をはじめ、川村琢、足羽進三郎教授らの大御所がたくさんおられ、私は農業経済学の学問的興味に強く引かれるようになった。同期生には、私と同じ動機の進学者が多かったと思う。

 

■当時、大学改革の中で先輩の運動により助手の山田先生も講義を持てるようになっており、先生はマルクスの『経済学批判』をテキストに授業をされた。授業後研究室を訪問しても今考えれば多忙な身であったのだろうが、いつも親身になって対応してくれた。私はそれまで「先生という呼ぶことのできる多くの師」に教えを受け、それぞれの個性ある先生から多くを学んできたと自負しているが、山田先生からはそれまでの師の教えに加えて生き方の真摯さと学問的情熱を有することの人生哲学を学ぶことができた。若かりし当方は先生に向かって「何故、農業経済学、協同組合論を専攻するようになったのですか」などと愚問した。その時の先生の答えは「勉強した結果こうなりました」といつもの調子で恥ずかしそうに話してくれた。真面目に勉強しようと思ったのはその時だったと記憶している。

 

■当時助手も講義の他にゼミを持てるようになったので、私は山田ゼミと三國ゼミを選んだ。同期は中原豊司、守友裕一、吉田良一さんだった。当時、学部に移行しても大学紛争は続き、毎日が自治会活動と専門科目の勉強に熱中した。充実した学部生活の中で初めて大学生らしい日々を送ることができた。しかし、1年後、山田先生は教育学部の助教授に移ることになり、太田原高昭助手がその後釜に赴任した。私を含めて上記4人のゼミ生は山田先生の最後のゼミ生で、太田原助手の最初のゼミ生という名誉ある世代となった。その日から40年以上の日々が経った。光陰矢の如しである。私は2014年3月に弘前大学を定年退職したが、山田先生に会わなければ大学教員になっていなかったと思う。

 

■数ある山田先生の想い出の内、一つだけ中国旅行について書いておきたい。山田先生は教育学部教授を退職後、室蘭工業大学、北海学園大学に勤務された。その時、北海学園時代の教え子が中国遼寧省農業部の李中華さんである。2000年前後、中国では農工間格差の拡大に直面し、農民の組織化が課題となった。具体的には日本の農協のような合作(協同組合)組織の政策的整備が求められ、李さんは日本語が堪能なこともあって省政府派遣留学生として山田先生のところで学んだ。その後、北大の協同組合論講座で一年間の研究生を終えた後、遼寧省と共通点のある東北地域の農業を学びたいということから、博士課程を弘前大学(岩手大学連合大学院)の私のところで学ぶことになった。山田先生からの指導依頼であったので私は喜んで引き受けた。それ以後、私の中国訪問は頻繁になった。

 

■李中華さんは幸いにも2005年3月、「中国における新型農協に関する研究」で博士の学位(農学)を得て中国に戻り、遼寧省農業部で省農業の発展に尽力するようになった。その第一弾として企画されたのが山田先生の著書の中国語出版(山田定市著・李中華訳『現代合作社論』(中国語)、遼寧人民出版社、1-234頁、2005年11月)である。この本は中国において近年の日本の総合農協の特徴と生協の活動を紹介した書籍としてユニークなものである。

 

■第二弾はこの本の出版に合わせて2005年11月、遼寧省で「農民専業合作組織倍訓班」(研修会)が開かれ、日本から5人の専門家が協同組合の講義を行った。山田先生、小野雅之(神戸大学)、齋藤哲郎(平賀農協元組合長)、小林光浩(青森県農協中央会課長)、それと私の5名だった。同年11月13日から22日までの10日間、遼寧省農業部、中国農業部などを中心に講演会、今後の研究交流について話し合った。その時、満州事変の勃発地に建設された「9.18記念館」、遼寧省農業技術学校農業展覧館、同農業科学院などの見学、そして三日間にわたって省内14市から、農政課長級、合作社組合長、それと研究者が200名ほど参集し、上記研修会が行われた。この研修会では山田先生の上記翻訳著書がテキストして使用され、ビデオにも収録された。講演会終了後、本渓市葡萄協会など新しい合作組織の見学、瀋陽農業大学において学生、院生、教員参加の講演会も行った。丹東市葡萄協会、きのこ協会、リンゴ協会などの視察、北朝鮮国境に接する東港市では鴨緑江川の遊覧。すぐ目の前に北朝鮮の風景が拡がる場所であった。瀋陽では清時代の故宮を見学した。最後は北京に向かい、農業部との懇談会と忙しい旅行であったが省政府の招待であったので、至れり尽くせりであった。

 

■この10日間、山田先生と一緒に同行できたのは私にとって貴重な経験だった。北大農業経済学科で山田ゼミ生であった時期は短いものであったが、この時に協同組合論を学ばなかったら恐らく今回のような国際的な活動をすることはなかったことだろう。中国ではこの後、2006年10月、中国農民専業合作社法が制定され、翌年7月より施行された。そして、中国初めての合作社学院(協同組合学部)が2008年3月、山東省の青島農業大学に設置された。現在、院長(学部長)は李中華教授である。山田先生の教えを受けたことを忘れずに私も同学院の発展に協力している。山田先生の撒いた種である。以上。

写真は、2005年11月、遼寧省での研修会。《2015年1月15日初稿》