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如意輪観音

如意輪観音

 

梵名を、チンターマニチャクラ (Cintamanica -kra)といいます。

如意とは「如意宝珠」のことで、意の如く財宝や飲食を生じ、病気を除く功徳があります。また、 輪は「法輪」のことです。法輪とは、仏の教えを転じて伝えることを輪に喩えたもので、真理・仏法の象徴です。

ろくどうこの如意宝珠と法輪をもって六道の衆生を救済し、さらに利益を与えることを本警としているのが如意輪観音です。

ます。 密教では、息災、意願満足などを祈念する秘法 「如意輪觀自在菩薩念誦法」の本尊としてまつり

如意輪観音

如意輪観音

人々を苦悩から救い、あらゆる願いを叶える観音菩薩

薄紫の空に、かすかな光が満ちていた。
雲は静かにたなびき、天と地の境は溶け合うように曖昧であった。
その中央、蓮華の台座に坐す一人の菩薩がいた。
如意輪観音――人々の願いを聞き届け、迷いの輪を断ち切る存在。
六本の腕は、ただ多いだけではない。

それぞれが、六道に沈む衆生へと差し伸べられた救いの道標であった。
右の第一の手は、頬にそっと添えられ、深く思惟する姿を示している。
その眼差しは、すでに答えを知っている者の静けさと、今まさに苦を抱える者の痛みを同時に映していた。

右の第二の手には、如意宝珠。
あらゆる願いを叶えるという宝の珠は、欲望を煽るものではなく、
「本当に必要なものは何か」を照らし出す智慧の光として、静かに輝いていた。

右の第三の手には、数珠。
それは祈りの数ではなく、迷いの連鎖を一つひとつほどいていく時間そのものだった。

左の第一の手は、大地へと向けられている。
光明山を按ずるその姿は、苦悩に沈む世界を支え、揺るがぬ基盤を与える誓いのしるしであった。

左の第二の手には、まだ開かぬ蓮華のつぼみ。
それは、今は見えずとも、誰の心にも悟りの芽が宿っていることを告げていた。

左の第三の手には、法輪。
かつては武器であった円輪は、今や煩悩を打ち砕く智慧の象徴となり、
怒りも、執着も、恐れも、すべてを断ち切る静かな力を放っていた。

この菩薩は、天上界に迷う者を導く六観音の一尊である。
だが、その慈悲は天界にとどまらず、地獄、餓鬼、畜生、人間、修羅――
六道すべてに、等しく降り注いでいた。

「如意」とは、意のままに――
だがそれは、欲望を叶えることではなく、
迷いを超え、本来の道へと戻ることを意味していた。
「輪」とは、煩悩を打ち砕く法の回転。
止まることなく巡りながら、衆生の心を浄めていく智慧の運動であった。

ある夜、一人の人間が、深い絶望の中でこの名を唱えた。
オン・ハンドマ・シンダマニ・ジンバラ・ウン。
声は震えていたが、その一音一音は、確かに虚空へと届いていた。
すると、胸の奥で固く閉ざされていた扉が、音もなく開いた。

願いは叶えられたのではない。

だが、願いに縛られていた心が、ほどけたのだ。

如意輪観音は、静かに微笑んでいた。
すべての願いは、外にあるのではなく、
煩悩を超えたその先に、本来すでに満ちている――
そのことを、ただ思惟の姿で、黙して語りながら。

如意輪観音

如意輪観音

人々を苦悩から救い、あらゆる願いを叶える観音菩薩

如意輪観音(にょいりんかんのん)とは?

「如意」とは意のままに智慧や財宝、福徳もたらす如意宝珠という宝の珠のことで、「輪」は煩悩を打ち砕く法輪を指しています。その2つを手に持った観音菩薩ということで如意輪観音といいます。

六観音の1つに数えられ、天界道に迷う人々を救うとされますが、6本の手で六道すべてに救いの手を差し伸べるともいわれています。

ご利益

智慧、財福、福徳授与、安産、延命のご利益があるとされています。

如意輪観音(にょいりんかんのん)の像容

片膝を上げ、そこに肘をかけて指先を頬に当てている思惟の姿です。足裏は両方を合わせており、輪王座と呼ばれる姿勢が如意輪観音の特徴です。どうすれば人々を救えるのかと悩んでいる姿だとされています。ほとんどが6本の手の六臂像で造られており、手には如意宝珠と法輪(輪宝)を持っています。

有名寺院と像

・大阪府:観心寺

如意輪観音(にょいりんかんのん)の真言

オン・ハンドマ・シンダマニ・ジンバラ・ウン

、如意輪観音(にょいりんかんのん)は、六観音の1つで、意のままに智慧や財宝、福徳をもたらす「如意宝珠」と、煩悩を打ち砕く「法輪」を手に持ち、人々を救う菩薩です。6本の腕を持つ(六臂)像が一般的で、右膝を立てて頬に手を添える思惟の姿が特徴。安産、延命、福徳、財宝などのご利益で知られる。

特徴と信仰

名前の由来: 意のままに願いを叶える「如意宝珠(にょいほうじゅ)」と、煩悩を打ち砕く「法輪(ほうりん)」を持つことから。

像容: 6本の腕(六臂)を持つ金色身が通例で、右の第1手を頬に当て、右膝を立てる「輪王座(りんのうざ)」で表現される。

六道の救済: 6本の腕は六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)に迷う人々を救うことを表す。

ご利益: 福徳、良縁、子授け、安産、延命など。

真言: 「オン ハンドメイ シンダマニ ジンバラウン」。

主な有名寺院・像

観心寺(大阪府): 国宝・木造如意輪観音坐像が有名。日本最古の6本の手を持つ形式とされる。

隨心院(京都府): 親厳大僧正により制作された如意輪観音坐像(文化遺産)がある。

方外院(山梨県): 「瀬戸のお観音様」として知られる。

この観音は、人々を苦悩から救い、精神的・物質的な豊かさをもたらす存在として、古代から深く信仰されてきた。

阿閦如来 物事に動じず、迷いに打ち勝つ強い心を授ける仏

阿閦如来

物事に動じず、迷いに打ち勝つ強い心を授ける仏

Akshobhya Tathāgata
The Buddha who grants an unshakable heart that overcomes delusion

 

東の空に 揺れぬ光
怒りも影も 静かに沈む
大地に触れて 誓いを立て
心は鏡の 深みに帰る

On Akishbya Un

अकिश्ब्य उन्

動じぬ青の そのまなざし
迷いの夜に 道を灯す
すべてを映し 裁かぬまま
我が心を

On Akishbya Un

अकिश्ब्य उन्

In the eastern sky, unwavering light
Anger and shadows gently sink away
Touching the earth, a vow is made
The heart returns to the mirror’s depth

On Akishbya Un
अकिश्ब्य उन्

With an unshaken blue gaze
He lights the path through the night of doubt
Reflecting all, judging none
He sets my heart free

On Akishbya Un
अकिश्ब्य उन्

阿閦如来

阿閦如来

物事に動じず、迷いに打ち勝つ強い心を授ける仏

東の彼方、世界がまだ清らかな光に満ちていた頃――
そこには「妙喜世界」と呼ばれる、揺らぐことのない浄土があった。
その中心に坐すのが、阿閦如来(あしゅくにょらい)。
人々は彼を、サンスクリットの名にちなんで「アクショーブヤ」――
すなわち「決して動じぬ者」と呼んだ。
怒りに揺れぬ心。
誘惑に曇らぬ誓い。

誰かが嘲ろうとも、誰かが刃を向けようとも、
その心は湖の底のように澄み、波立つことがなかった。
青く静かなその身は、夜明け前の空を思わせ、
左手には衣の端を静かに握り、
右手は大地に触れていた。

――この世界の真実は、ここにある。
――私は、迷いの中にあっても揺るがぬ。
そう語らぬまま、阿閦如来は大地に証を求める。
それは、悟りが空想でも夢でもなく、
この現実の土と、涙と、苦しみの上に成り立つものであることを示す仕草だった。
彼の智慧は「大円鏡智」と呼ばれる。

それは、すべてを歪めず、拒まず、
ただありのままに映し出す鏡のような智慧。
怒りも、恐れも、欲望も――
そこに映れば、もはや人を縛る鎖ではなく、
悟りへと至る光の素材となる。

密教の五智如来の一尊として、
阿閦如来は静かに世界を支えている。

激動の世にあって、心が揺れそうになるとき、
人はふと、東の空を仰ぐだろう。
そこには、決して動じぬ青の仏が、
今日も変わらず、
すべての衆生に向けて、
沈黙のまま、確かな安らぎを放っている。