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仏教

「霊性の座、間脳にて

「霊性の座、間脳にて」
それは修行と呼ぶには、あまりにも過酷な道だった。彼はそれを知っていた。
この道は、理性と情動の座――新皮質脳と大脳辺縁系を沈黙させることから始まる。

「死ぬことではない。しかし…これは、たしかに“殺す”修行だ」

そう呟いた彼の表情は、闇に沈んだ湖のように静かだった。

だが、彼は知っていた。そこにこそ、真なる霊性の目覚めがあることを。
沈黙の奥に眠る“間脳”こそが、霊感の座であり、インスピレーションの源泉であると。

真なる創造は、新皮質の思考では生まれない。創造の泉は、もっと深く、暗く、そして明るい次元――間脳にある。

「第三の目がひらくには、大脳の囁きを、まず沈めねばならぬのだ」

そう言ったのは、夢の中に現れた白衣のグルだった。老僧のような風貌で、だがその眼は燃えるように鋭く、あらゆる嘘を見通すようだった。

「道はある。シャカが遺した、霊性完成の道が。それを《成仏法》と呼ぶのだ」

その言葉に導かれ、彼は「七科三十七道品」という名の体系に向き合うこととなる。

――四念処、五根、四正断、五力、七覚支、八正道、そして四神足。

「これは単なる瞑想でも、教義でもない。tapasa――魂を焼くような修行である」

中でも「四神足法」は、常人には及びもつかぬ神通力を目指す領域だった。
しかし、それを修めるにはひとつ、避けては通れぬ条件があった。

それは――グルの存在。

「ただの教師ではない。真に霊性を開いた導師。それなくして、この修行は八分どころか一分も進まぬ」

彼は知っていた。独りでは届かぬ高みに、この肉体と魂を導く存在が必要なのだと。
すべての修行は、そのグルとの縁によって始まる。素質も、因縁も、魂の過去も、すべてを見通したうえで、導師がその門を開くのだ。

そして彼は歩き出した。
霊性の封印を解くために。間脳の目をひらくために。

――その先に、自分という存在の真実が待っていると信じて。

 

「間脳の目をひらくとき」

「間脳の目をひらくとき」

彼は、山深くの庵に籠もっていた。静寂に包まれたその場所では、風が竹林を揺らす音さえ、宇宙の律動のように感じられた。

「これは修行というには、あまりにも…死に近い行為だ」

独りごちる彼の瞳は、深く沈んでいた。それは、ただの精神統一ではない。――大脳辺縁系と新皮質脳を殺す。彼が取り組んでいるのは、そのような異様な鍛錬だった。

人間が動物として生きるために必要とされた情動の座、大脳辺縁系。理性や思考の源とされる新皮質脳。これらを沈黙させなければ、間脳は目覚めない。霊感の中心であり、インスピレーションの泉である“第三の目”が、けっして開かれることはないのだ。

彼はそれを知っていた。

だが、それは単なる否定ではなかった。辺縁系も、新皮質脳も、究極においては生き返る。いや、むしろ、まったく新しい次元で“よみがえる”のだ。霊性によって支えられた超意識の座として――。

「創造の源泉は、間脳にあるのだよ」

ある日、彼の夢の中で現れた老人がそう告げた。白い髭をたくわえ、眼光は虚空の奥を見つめていた。

「そしてその間脳を開発する道が、シャカの遺した教えなのだ」

男は目を覚ますと、ゆっくりと瞑想の座についた。呼吸を整え、意識を深淵へと沈めていく。そう、それはシャカが説いた七科三十七道品――三十七菩提分法とよばれる、成仏への体系だった。

彼はそれを、心の中で「成仏法」と呼んでいた。

それは、七つの領域を順次に超えていく修行であり、三十七の段階を経て、ついに霊性が完成される道である。煩悩を滅し、脳の奥底に隠された意識の扉を叩く旅。

すべての雑念が消え去ったとき、彼の脳裏にふと、ひとつの声が響いた。

「おまえは誰か?」

答えは、まだ霧の中だった。しかし、彼は確かに“何か”が始まったのを感じていた。


 

世界を救う唯一の仏法

 

世界を救う唯一の仏法

 

日本がこれほど悪い状態になってきたのは、カルマを断つという正しい仏教を信仰しなかったからだと考えております。成仏法のない仏教を信仰してきたために、先祖を成仏させることができず、不成仏霊・霊障のホトケが急増してしまったのです。

不成仏霊や霊障のホトケが急増したため、多くの人が「横変死の因縁」「刑獄の因縁」「肉親血授相剋の因縁をともなう家運衰退の因縁」の三大悪因縁をはじめとした、さまざまな悪因縁で苦しんでいます。だからこそ、急速度でこの世の中は、これほど悪くなってきているのです。

三大悪因縁の中でも、「横変死の因縁」を持つ人が近年急増しております。四十年ほど前は、

この因縁を持つ人は百人中二、三人でしたが、現在はその比率ははるかに高くなっております。

このまま増えていくと、いったいどういうことになってしまうのでしょうか?

この危機を救うには、お釈迦さまの成仏法しかありません。一人一人がお釈迦さまの成仏法を実践して、自分および家庭の悪因縁を断ち切り、不成仏霊・霊障のホトケを成仏させなければない、

たとえば四、五十パーセントの人が「横変死の因縁」を持ったならば、大変な惨事が起きると思います。人口の半数近くが横変死するのですから、大きな戦争が起きるかもしれませんし、原子力発電所で大事故が起きるかもしれません。あるいは、大地震が発生する可能性もあります。

わたくしたちは、この日本列島、いや、この地球上を覆っている破滅のカルマを断ち切るために、お釈迦さまの成仏法を一人でも多くの人に伝えなければいけません。この世を救うことができるのは、お釈迦さまの成仏法・七科三十七道品しかありません。

お釈迦さまがインドで説法を開始された時も、お釈迦さまお一人だけでしたが、ご自身の悟られた内容を五人の比丘に伝えられて、仏教教団の原型ができました。さらに、そこから少しずつ法の輪は広がっていき、ついにはインド社会を動かす大きな力になったのです。それから考えれば、阿含宗は決して小さな動きではありません。人数は少なくても、実に巨大な燃え上がるようなエネルギーで世界に働きかけています。

このエネルギーをもっと大きく育て上げて、どうしてもこの世界を変えなければいけません。

 

 

 

四念住の門 ― 観の眼が開くとき

第三章:四念住の門 ― 観の眼が開くとき

朝の光が山の端から溢れ出すころ、ラユはひとり、谷あいの聖なる広場へと導かれていた。

老聖者は前夜の審査のあと、一言だけこう言った。

「次は、“四念住の門”だ。そこから、おまえ自身を“観る”ことが始まる。」

四念住――身、受、心、法。すべての修行は、ここから始まり、ここへ還っていく。

ラユの前には、四つの円が描かれていた。東に「身」、南に「受」、西に「心」、北に「法」。それぞれの円の中央には、光を宿した石が置かれていた。

老聖者の声が空気のように届く。

「まず、身念住だ。おまえの肉体に宿る、習慣・欲望・感覚のすべてを、ただ“観よ”。否定も肯定もせず、“ただ観る”のだ。」

ラユは東の円に静かに座る。呼吸のひとつひとつが、まるで山の風のように感じられる。骨の軋み、腹の動き、皮膚の震え――
それは、宇宙そのものの律動だった。

「つぎは、受念住。」
南の円に移動すると、突然、過去の記憶や痛み、喜び、怒りが一気に湧き上がった。

「感情の波に飲まれるな。ただ、それが“起こる”ことを見届けよ。」

涙がこぼれた。だがそれも、ただの現象。ラユはそれを観続けた。
やがて、感情の嵐が静かに去っていった。

「心念住だ。」
西の円で、ラユは“思考”そのものを凝視した。
なぜ浮かぶのか? どこから来るのか? それらが彼の意思なのか?
思考の根を辿るうちに、ふと、意識の背後に「透明な沈黙」があることに気づいた。

「法念住に入れ。」
北の円は、もっとも静かで、もっとも深かった。ラユは円の中央に座したとたん、世界との境界が消えていくのを感じた。

風の音、鳥の声、太陽の熱、そして彼自身の存在。
すべては“法”だった。
現象の流れ、因と縁、無常と空。その法が、ただそこに“ある”ことが、真理のごとく明らかになった。

その瞬間――

“観の眼”が、開いた。

まるで第三の目が、自身の内と外を同時に観ているような感覚。分離と一体が同時に在る。その中心で、ラユはただ座していた。

老聖者が、広場の外から静かにうなずいた。

「これが“観”だ。おまえの内に、観る力が生まれた。これより先、どの修行も、この観の眼なくしては進めぬ。」

ラユの額には、汗と涙と光が宿っていた。

そして彼は知った。

自分が“何者か”になる旅ではなく、すべてを観る者として“在る”旅が始まったのだ、と。

 

“観の眼”が静かに開かれたその刹那、
ラユの意識はふたたび深く沈み、不可思議な深層へと吸い込まれていった。

そこには、時のない世界が広がっていた。

音もなく、光もなく、ただ“記憶だけが燃えている”ような空間。
ふと、ひとつの風景が浮かび上がる。

――炎に包まれた城。
――黒煙の空。
――泣き叫ぶ人々と、剣を構える若き武将。

その武将の顔を、ラユは知っていた。
それは他ならぬ、自分自身だった。
かつての生。過去の転生。業の出発点。

彼は命令によって、聖地の僧院を焼き払っていた。
そのとき、燃えさかる堂の前に立ち塞がった老僧――
その目が、現在の老聖者と同じ光を湛えていた。

「おまえの業は、おまえ自身を導く。」

その声と共に、場面は闇に還り、ラユは現実へと還ってきた。

彼の胸には、はっきりと焼きついていた。
“自我の輪廻”は、自らの業の記憶によってつながっている。
そして今、その輪が破られようとしているのだ――

 

輪廻転生瞑想法 〜来世を選ぶ者たち〜

輪廻転生瞑想法 〜来世を選ぶ者たち〜

古のインド。広がるガンジスの大地には、魂が幾度も生まれ変わるという考えが、風のように人々の心に根付いていた。だがそれは、安らぎではなかった。むしろ、恐怖だった。

「来世、もし牛に生まれたらどうなるのか。人間に飼われ、殺され、食われる運命だったら…」

村人たちは焚き火のそばでささやきあった。人間に生まれたとしても、それが奴隷であったなら? 不可触民として誰からも顧みられない存在であったなら? 厳格な身分制度が支配する世界では、輪廻転生は希望ではなく、呪いに近かった。

そんな時代に、ひとりの求道者が現れた。人々は彼を「釈尊」と呼んだ。彼は語った。

「輪廻を断ち切る道がある。苦しみの再生を終わらせ、寂静の境地『涅槃』へ至る法を、私は見出した。」

釈尊の教えは次第に広まり、彼の説く八正道を実践することで、人は来世においてもよりよい生を迎えることができると信じられるようになった。やがてその法はインドを超え、アジアの広大な地へと伝播していく。

それから数千年後——

現代に生きる私は、ひとつの仮説にたどり着いた。

「人は輪廻から逃れられないのなら、それを利用すればよいのではないか?」

涅槃に入るには修行が必要だ。だが、理想の来世を自ら選べるとしたら? 知恵を高め、魂を浄め、よりよき肉体と境遇へと転生することができるとしたら?

私は仏教の教義に則りながら、新たなる瞑想法を完成させた。その名を「輪廻転生瞑想法」と呼ぶ。

それは、脳の奥深く、意識の中枢にあるチャクラを開くことから始まる。

——まずは静寂の中に身を置く。呼吸は静かに、長く。思考の波を鎮めるようにして、脳内の中心に意識を向ける。

「いま、私の魂はどこへ向かおうとしているのか…」

瞑想はただの思索ではない。脳を鍛える訓練であり、チャクラを活性化させる儀式である。思念が深まるほどに、日常生活の中でもあなたの能力は飛躍的に向上していくだろう。

そして、最後に到達するのが、脳内チャクラの開発訓練である。

——これは、輪廻を恐れず、輪廻を生きる者たちの物語である。魂の設計図を書き換え、来世を意志の力で選び取る者たちの、新しい修行の旅である。