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仏教

仏陀の修行法の中心である安那般那

  1. ある。 仏陀の修行法の中心である安那般那について、最もくわしく説いた経が雑阿含経に

が成仏できる方法を教えたのである。

クンダリニー・ヨーガの覚醒法はとり入れなかったのである。クンダリニー

ギーは使ったけれども、その方法はまったく違っていたのである。

では、どのようにしたのであろうか?

仏陀の Anāpāna の法

左に載せよう。

是の如く我れ聞きぬ。一時、仏、舎衛国の祇樹給孤独園に住まいたまへり。爾の

時世尊、諸の比丘に告げたまはく『安那般那の念を修習せよ。若し比丘の安那般

那の念を修習するに多く修習せば身心止息することを得て有覚、有観、寂滅、純

一にして明分なる想を修習満足す。何等をか安那般那の念を修習するに多く修習

し已らば身心止息し、有覚、有観、寂滅、純一にして明分なる想を修習満足すと

為す。是の比丘、若し聚落城邑に依りて止住し、晨朝に衣を着け鉢を持ち、村に

入りて乞食するに善く其の身を護り、諸の根門を守り善く心を繋けて住し、乞食

し巳つて住処へ遠へり、衣鉢を挙げ足を洗ひ已って或は林中の閑房の樹下、或は

空露地に入りて端身正坐し、念を繋けなば面前、世の貪愛を断じ欲を離れて清浄

に、頭表・睡眠・悼悔・疑・断じ、諸の疑惑を度り、諸の善法に於て心決定する

ことを得、五蓋の煩悩の心に於て慧力をして贏らしめ、障礙の分と為り、涅般に

趣かざるを遠離し、内息を念じては念を繋けて善く学し、外息を念じては念を繋

けて善く学し、息の長き息の短き、一切の身の入息を覚知して一切の身の入息に

於て善く学し、一切の身の出息を覚知して一切の身の出息に於て善く学し、一切

の身の行息・入息を覚知して、一切の身の行息・入息に於て善く学し、一切の身

まのあたり

時世尊、諸の比丘に告げたまはく『安那般那の念を修習せよ。若し比丘の安那般

那の念を修習するに多く修習せば身心止息することを得て有覚、有観、寂滅、純

一にして明分なる想を修習満足す。何等をか安那般那の念を修習するに多く修習

し已らば身心止息し、有覚、有観、寂滅、純一にして明分なる想を修習満足すと

為す。是の比丘、若し聚落城邑に依りて止住し、晨朝に衣を着け鉢を持ち、村に

入りて乞食するに善く其の身を護り、諸の根門を守り善く心を繋けて住し、乞食

し巳つて住処へ遠へり、衣鉢を挙げ足を洗ひ已って或は林中の閑房の樹下、或は

空露地に入りて端身正坐し、念を繋けなば面前、世の貪愛を断じ欲を離れて清浄

に、頭表・睡眠・悼悔・疑・断じ、諸の疑惑を度り、諸の善法に於て心決定する

ことを得、五蓋の煩悩の心に於て慧力をして贏らしめ、障礙の分と為り、涅般に

趣かざるを遠離し、内息を念じては念を繋けて善く学し、外息を念じては念を繋

けて善く学し、息の長き息の短き、一切の身の入息を覚知して一切の身の入息に

於て善く学し、一切の身の出息を覚知して一切の身の出息に於て善く学し、一切

の身の行息・入息を覚知して、一切の身の行息・入息に於て善く学し、一切の身

まのあたり

決してそうではないのである。安那般那はたんなる呼吸法ではないのである。ここ

には、成仏法の中心である四神足法の神髄が説かれているのである。

まず、この経に説かれている呼吸法を見てみよう。

内息

外息

入息

出息

行息

身の行息・入息

身の行息・出息

心の行息・入息

心の行息・出息

滅人息

滅出息

身止息

心止息

そこで、

実に十五種類の呼吸法が説かれているのである。こんな短い経典に、十五種類もの呼吸法が説かれているのだ。いとも簡潔に呼吸法の項目だけが並んでいるが、それは、 この講義を聴聞した修行者たちが、みな、これらの呼吸法に熟達した者ばかりで、 一々、その内容に就いて説明する必要がなかったからであろう。

ここで注意しなければならないことがある。

それは、「息」の解釈である。

これを、たんなる呼吸と解釈してしまってはいけない。

これは、「呼吸」であるとともに、生気をともなった感、すなわち、いうならば 「剣・感」をもあらわしているということである。これは、インドにおけるヨーガの

特徴である。

ざっと解釈してみよう。

内息

外息

入息

出息

これは、深い修行に入るにあたっての、心身調節の呼吸法である。

行息

じん身の行息・入息

プラーナこれは、気息、すなわち、生気を息とともに、体の隅々にまで行すことである。

身の

これは、身において気息を行らすこと。即ち体の特定の場所に気息をめぐらして行くことである。特定の場所とはどこか? チャクラだ。

心の行息・入息

心の行息・出息

これは、心において気息を行らすこと。

この「心」というのは、端的にいって、脳のことである。思念する心は、脳にあるからである。脳の特定の場所に気息をめぐらして行くのである。特定の場所とはどこか? チャクラである。

身止息 身において気息を止念す。

心止息一心において気息を止念す。

気感を、身と心に止め、念ずるのである。

身と心の、どこに止め念ずるのか? いうまでもなく、それはチャクラしかないの

 

ではないか。

体と脳のチャクラに止め念ずるのである。

心の解説入息

心の解説出息

滅入息

滅出息

脳のチャクラ、アージュニャーとサハスラーラの開発作業である。脳におけるウマとワニの部分の消滅・解説作業ともいうべきもの。同時に視床下部と新皮質とをつなぐ神経回路を補強する予備的作業でもある。要するに、古い脳を人為的に進化させる作業だ。

サハスラーラ・チャクラを動かし、滅尽定に入る修行である。気息・思念・すべてを超越した境地に入る。

である。

つぎに、仏陀は、四つの最上深秘の呼吸法を説いている。

勝止息

南特止息

上止息

無上止息

仏陀は、経典で「この四つの呼吸法は、すべての呼吸法において、これ以上のものはない最上の呼吸法である」とのべている。(雑阿含経「止息法」)

この呼吸法が、なぜ最上深秘のものであるのかというと、この呼吸法は専ら、脳を対象としたものであるからだ。脳のチャクラを動かし、脳の神経経路を改造し、殊に、 品に特殊な能力を持たせる呼吸法であるからである。

呼吸法、といっているけれども、たんなる呼吸作用のコントロール法ではなく、このあとで説く「チャクラ」「プラーナ」「クンダリニー・エネルギー」(剣道)「ムドラ 1」「瞑想」「マントラ詠唱」など、すべての技法を綜合しておこなわれるもので、仏陀の成仏法の最終段階のものである。この四つの呼吸法(繰り返していうが、たんなる呼吸法ではない)で、仏陀の成仏法は完成されるのである。

この呼吸法については、またあとで説く。

行息気息を行らす

前の節を読まれたら、大体おわかりであろう。

仏陀も、四神足法において、やはり、気道を用いていたのである。

だらす、というからには、めぐらす『道』がなければならない。その道が、気道」

である。

ただし、仏陀の気道は、クンダリニー・ヨーガの気道とはかなり違うものである。 それは、クンダリニー・ヨーガの気道の欠陥、欠陥というより不十分な部分、を

補足したものといってよいだろう。

なぜ、そういうことがいえるのか?

ことがあげられる。 道教が、仏陀の成仏法を受けついでいると断定する一つの証として、つぎのような

わたくしは、仏陀の行息法が後に中国に渡って、道教の仙道になっていったものと考えるのである。すなわち、道教の修行の原点は、仏陀の成仏法にあるのである。

道教の基本的修行に、「内気の法」というのがある。また、「行気の法」がある。これらは、阿含経に説かれているシャカの「行息の法」に外ならない。

いま言った道教の内気の法の気道に、泥丸という部位がある。頭頂にあってクンダリニー・ヨーガでは、サハスラーラ・チャクラにあたる部位で、道教でも最高のさとりの部位になっている。

る。

ハート仏陀の成仏法の修行法を、いま、如実に知ることは至難の業である。それはごく、 わずかに、阿含経の中に散在するに過ぎず、不可能に近いといっていいであろう。 わざ

この泥丸という名称はどこから来たのか?

これは、仏陀が説く「愛」すなわちニルヴァーナを音写したものなのである。この部位を目ざめさせると、涅槃に到達するというところから、名づけられたものであ

このことは、仏陀の修行法と、クンダリニー・ヨーガ、そして道教、との関連を語るものにほかならず、たいへん興味深いものといえよう。このほかにも、いくつか、 これに類した例をあげることが出来る。

もちろん、道教の気道の法が、すべて仏陀の気道の法そのままだというのではない。

仏陀の気道の法を受けついで、さらに道教独特のものに発展させていったということである。原型が仏陀にあり、仏陀にさかのぼることが出来るというのである。そしてそれはまた、同時に、クンダリニー・ヨーガにも関わってくるということになる。

しかし、クンダリニー・ヨーガと道教の修行法を、阿含経の中にある仏陀の修行法アーガマ

 

融合の道 Path of Fusion 2

 

融合の道
Path of Fusion

静寂の中に灯る火よ
揺れる魂 風を孕み
チャクラは廻りて螺旋を描く
目覚めの声が 闇を裂く

統べよ すべての力を脈に
送れ 智慧の光を脳に
呼吸ひとつに宿る覚醒
それが仏の導く道

O fire that burns in silent deep,
A soul that sways and rides the breeze,
The chakras spin in spiral flow,
Awakening’s cry cuts through the dark.

Unite all forces through the veins,
Send wisdom’s light into the brain,
In every breath, awakening dwells—
This is the path the Buddha tells.

蛇の火、神足の道

蛇の火、神足の道

それは夢とも現とも知れぬ深い瞑想の中だった。修行者アシタは、脊椎の奥に潜む“なにか”の気配を感じていた。重く、熱く、蠢くような力。それは、まだ眠っていた。

「クンダリニー——蛇の火。それは尾骶骨の底、ムーラーダーラ・チャクラに三巻き半、とぐろを巻いて眠っている。」

師の声が、かつての記憶の底から蘇る。その蛇は、スヴァヤンブーという聖なる柱に絡まり、スシュムナー管の入口を固く閉ざしていた。

アシタは、深い呼吸とともにムドラーを結び、静かにマントラを唱えた。内なるチャクラが、ひとつ、またひとつと目を覚ましてゆく。火花が散るような感覚とともに、蛇が動いた。

グオォオオ……!

それはまるで、地中のマグマが噴き上がるかのような激しい衝動だった。クンダリニーの目覚めは、覚悟なき者には災厄すらもたらす。だが、アシタは恐れなかった。

「チャクラを開くだけでは足りぬ。四神足の目的は、神力の獲得——すなわち、神の如き意志と行為力を、この世に顕現させることにある。」

彼はそれを知っていた。だからこそ、第二の技法が必要なのだ。

一つ目の技法:エネルギー回路の制御

「チャクラで発生した力を、どこへでも自在に送れるようにせよ。特に、脳へ。」

アシタは意識を一点に集中し、尾骶骨から放たれるクンダリニーの炎を、スシュムナー管に導いた。スシュムナーの両脇には、イダーとピンガラという二本の気道が脈打ち始める。らせん状に絡み合いながら、生命の火は脳幹へと迫った。

二つ目の技法:神経経路の創造と補強

脳の新皮質と視床下部。その間に新たな橋が架けられなければ、力は暴走するだけだ。アシタの肉体は震えた。だが、彼は逃げなかった。細胞が熱を帯び、神経が再編されていくのを、確かに感じていた。

「クンダリニー・ヨーガには、この回路の強化がない。だから四神足法が必要なのだ。」

ただ目覚めさせるのではない。蛇の火を、意志によって制御し、融合させる。各チャクラの力を、一つにまとめ、目的の一点へと集中させる。

これは統合のヨーガであり、進化の仏法である。

アシタの脳内に、白蓮が咲いた。サハスラーラ・チャクラが全開し、全身に金色の光が奔った。古き獣の脳——ワニとウマの脳は、霊性の火に焼かれ、やがて透明な智慧の器に変わってゆく。

その時、空から静かな声が響いた。

「四神足法を統べし者よ、神足通を得て、世を救え。」

アシタは天を仰いだ。そこには、蛇の火と共に昇る、永遠の光があった。

仏陀の法

四神足法解說

欲神足法

動神足法

では、このクンダリニー・ヨーガの修行法と、シャカの成仏法との関連は、どのようなものであろうか?特に、わたくしがさきに「金星の法」だといった求聞持聡明法の原典である四神足法、五力法との関連はどのようなものであるのか。

まず、四神足法と五力法について見てみよう。

人間の生命力の、特に肉体上における根源的諸条件を、完全なものにする修行法。

欲神足法で得た能力をベースに、肉体上の基本的諸条件を、さらに飛躍的に向上させる修行法。

七科三十七道品の仏陀の成仏修行法は、大きく分けて、「教え」と「法」の二種に分類できる。

「法」の中心は、四神足法である。

いや、中心というより、法は、四神足法のみである。

五力法も修行法であるが、これは、四神足法の補助のようなもので、四神足法にたいし、つぎのように附随される。

(四神足法)

欲神足

動神足

神足

觀神足

(五力法)

精進力(信力)

念力

定力

慧力

四神足法、五力法以外の道品、すなわち、四念柱、四正断、七覚支、八正道は、

「教え」である。これらの教えは、四神足法について、つぎのように附随される。

四念柱

四正断

七覚支

八正道

欲神足

勤神足

心神足

觀神足

ただし、観神足を体得した聖者には、もはや教えは不要であって、八正道は、他の三神足修行者にすべて対応される教えである。

四神足法とクンダリニー・ヨーガ

さて、以上の四神足法の修行は、どのようになされるのであろうか?

それは、クンダリニー・ヨーガのチャクラの開発から始まるのである。

その関係はつぎの通りである。

「ムーラーダーラ・チャクラ

欲神足

「スヴァーディシュターナ・チャクラ

動神足

マニプーラ・チャクラ

心神足ヴィシュッダ・チャクラ

「アナーハタ・チャクラ

観神足

【アージュニャー・チャクラ

サハスラーラ・チャクラ

以上であるが、ここに非常に重大なことがある。

それは、四神足法は、クンダリニー・ヨーガのチャクラを開発しただけでは不十分

だということである。チャクラを開発すると同時に、各チャクラを統合して機能させてゆく技法が必要なのである。わたくしはいま、非常に重大、ということばを使った

が、それはそれ以上、絶対に必要なポイントなのである。

それは、どういうことか?

り出す。 2、その回路作製を可能ならしめるための神経経路を補強、さらに、新たにつく

チャクラは、チャクラを覚醒、発動させる技術によって活動を開始し、チャクラ特有の力を発生する。しかし、それだけでは、四神足法が目的とする神力(超常的能力)にまでは到底、至ることが出来ない。どうしても、これらのチャクラを統合して、 さらにパワーを加圧、加増して、重点的にはたらかせる技法が必要なのである。

それは、二つの技法である。

1、各チャクラが発生したエネルギーを、自由にコントロールし、かつ、自分の必要とする場所に自在に送達させることの出来る回路を持つ。

特に、脳にたいしての回路が重要である。

これは、特に、さきにのべた「新皮質と視床下部をつなぐ神経経路を補強す

る」ということにも、必要欠くべからざる技法なのである。

この二つの技法は、クンダリニー・ヨーガにはないものである。

ただし、全くないのではなく、これに類似した技法が一つある。

4 ある。 スシュムナー管は、脊柱の中空部にある生気の通る路で、骨骶骨から脳の下部の延髄にまで届いている。また、スシュムナー管の内側には、ヴァジリニーとよばれる気道があり、さらにその内側には、クモの糸のように細かいチトリニとよばれる気道が

それは、スシュムナー管と、ピンガラ、イダーという気道を使う法である。

クンダリニー・ヨーガというのは、だれもが体内に持つクンダリニーと名づける強大な生命の根源力を目ざめさせて、これにより、超常的体力を獲得し、特殊な精神領城に到達しようとするヨーガである。

クンダリニーは、脊柱の一番下部、尾転骨のチャクラ(ムーラーダーラ)の部分に、 蛇が三巻き半、とぐろを巻いたような形で眠っている。クンダリニーというのは、 「巻かれているもの」という意味である。

リンガクンダリニーは、そこにあるスヴァヤンブーという男根のまわりに巻きついていて、 その頭部で、スシュムナー管の入口を閉ざしている。

特殊な瞑想・思念・ムドラー・マントラ詠唱などの動作によってチャクラが発動し、

かろうか? 四神足法も、このクンダリニー・ヨーガの技法を、そのまま使ったらよいのではな

クンダリニーが目ざめると、クンダリニーは噴火した火のような激しい勢いで、スレコムナー管を上昇してゆく。クンダリニーを Serpent fire (サーベント・ファイア、 蛇の火)と呼ぶのも、そこからきているのである。

クンダリニーの目ざめとともに、スシュムナー管の両側にあるビンガラとイダーという二つの気道が開き、クンダリニーのエネルギーは、この二つの気道をも、ラセン状に上昇してゆく。この二つの気道は、その後のクンダリニーの力を調節するはたらきをする。

クンダリニー・ヨーガの目的は、聖なるものと一体となる至高の境地を目ざすので、 スシュムナー管、ピンガラ・イダーの両気道を上昇するクンダリニーのエネルギーは、 最終的に、サハスラーラ・チャクラにまで到達して、その目的を達するのである。 以上が、クンダリニー・ヨーガの気道の技法とされるものである。

そうはいかないのである。たんにチャクラを目ざめさせ、そのエネルギーを発動さ

なぜか?

う方法なのである。 クンダリニーの覚醒は、あまりにも激烈、過激すぎて、完全な脳を新しくつくりあげるのには適切でないのである。クンダリニー・ヨーガは、人間の脳の欠陥を是正する方法ではなく、そこを通り抜けて一挙に、別次元の高度の意識領域に突入してしま

せただけでは、四神足法の目的を達成することは出来ないのである。各チャクラを統合し、そのエネルギーをさらに増幅して目的のものに集中する方法が、どうしても必要なのである。

では、クンダリニーを覚醒させ、これを使ったらいいではないか。

わたくしは、すべての阿含経はもとより、仏陀にまつわるさまざまな伝説に至るまで、あらゆるものを分析した結果、仏陀の成仏法には、クンダリニー・ヨーガのクンダリニー覚醒法が用いられた形跡を発見することが出来なかった。(かれ自身は、それを完全に成就していたであろうが)

これは危険過ぎるし、かつ、ごく限られた特殊な人にしか用いられない方法であっ

た。

仏陀は、だれでもが実行できる修行法を教えた。一心に修行さえすれば、だれでもが成仏できる方法を教えたのである。だから、チャクラを使うことはとり入れたが、 クンダリニー・ヨーガの覚醒法はとり入れなかったのである。クンダリニー・エネルギーは使ったけれども、その方法はまったく違っていたのである。

では、どのようにしたのであろうか?

仏陀の Anāpāna の法

トーカーズート仏陀の修行法の中心である安那般那について、最もくわしく説いた経が雑阿含経にある。

左に載せよう。

是の如く我れ聞きぬ。一時、仏、舎衛国の祇樹給孤独園に住まいたまへり。爾の

 

 

呼吸の奥に、宇宙がひらく

「呼吸の奥に、宇宙がひらく」

山の庵にひとり座す男の前に、燃え尽きた炭火が静かに残光を放っていた。薄明の空気の中で、彼は目を閉じ、静かに呼吸をはじめた――。

一、長出入息呼吸法。

それは、まるで霧のように繊細で、川の流れのように長い呼吸。彼の肺は静かに広がり、また静かに収縮していく。一呼吸に、二十秒、三十秒、時に一分。命そのものが、空気にとけていく感覚だった。

「風と一体になれ……」
かつて師がそう言った声が、耳の奥に微かに蘇った。

二、出息呼吸法。

今度は、ただ息を吐くだけ。吸うことは意識しない。ただ、限りなく細く、長く、吐いていく。まるで己の内に巣食う煩悩を、一縷の糸のように外へ放つかのように。
吐く息の向こうには、空があった。

三、反式呼吸法。

彼は姿勢を変える。前頭部をほんの少し前へ出し、下顎をわずかに引く。胸は控えめに引き、腹はわずかに前へ出す。背筋をゆるやかに丸め、腹の空間を広げる。
息を吸うとき、腹がへこみ――吐くとき、ふくらむ。
世俗の呼吸と逆のリズム。だが、この逆転が、間脳への扉を開く鍵だと彼は知っていた。

四、強短息呼吸法。

最後に、彼は片方の鼻を指でふさぎ、もう片方の鼻で、短く、力強く、何度も呼吸する。
「火の呼吸法」と呼ばれるこの術は、眠るエネルギーを呼び覚ます。
鼓動が高まり、内なる炎が燃え上がる。だがそれは、破壊ではなく、浄化の火。
体の底から、何かが昇ってくる。命そのものが、燃えているようだった。

やがて、彼の内には静寂が訪れた。
だがその静寂は、世界の終わりではない。すべての始まりだった。