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仏教

道の途上 On the Way

道の途上
On the Way

 

静かに揺れる 林の奥で
若き心は 闇に迷い
砕けた誓い 胸を締めつけ
ひとり涙を 大地に落とす

それでも立ち上がる 倒れてもなお
真実を求めて 夜明けを越えて
心に灯した 消えぬ小さな火よ
アジャタよ 今、光となれ

In the forest swaying, quiet and deep,
A young heart wanders, lost in the dark,
A broken vow tightens around his chest,
He sheds his tears upon the earth alone.

Yet still he rises, even when he falls,
Seeking the truth beyond the break of dawn,
A tiny flame he lights within his soul,
Ajata, now, become the shining light.

十六の法の成就する者

十六の法の成就する者

月明かりは銀の糸のように大地を撫で、夜の静寂がすべてを包んでいた。
梵音すら遠ざかったこの聖なる夜、マハーナーマは震える胸を押さえながら、仏陀の御前に歩み出た。

彼は膝を折り、地に額をつけ、深く一礼した。
そして、抑えきれぬ思いを言葉に乗せた。

「世尊よ……」
声はかすかに震えていた。
「いかなる法を成し遂げた優婆塞が、自らを安んじ、また他をも安んずることができるのでしょうか?」

仏陀は、深く静かなまなざしでマハーナーマを見つめられた。
その眼差しには、すべてを受け容れる無限の慈愛が宿っていた。

「マハーナーマよ――」
仏陀は静かに、しかし天地に響くかのような力強さで答えられた。

「十六の法を成就する者こそ、自らをも他をも安んじ、慰めることのできる優婆塞となるであろう。」

マハーナーマの瞳がひらかれた。
彼は畏敬と期待に満ちた表情で、さらに問うた。

「世尊よ、その十六とは、いかなる法なのでしょうか?」

仏陀は微笑まれ、夜空に輝く星々を背に、ゆっくりと語り始められた。

「まず、マハーナーマよ――
自ら正しき信を抱き、なおかつ他者にも正しき信を芽生えさせること。
己が身を浄らかな戒めによって守り、他者にもまた、清らかなる戒を持たせること。

己が施しを惜しまず、他にも施しの喜びを教えること。
己が塔や寺に参詣し、聖なる沙門に面会し、
他にもまた、参詣し聖者に学ぶ道を示すこと。

己が沙門の説法に耳を傾け、他にも説法を聴聞するよう導くこと。

己が法を受け持ち、護り、他にも法を受け持つ心を奮い起こさせること。

己が仏法の深遠な義理を心に観じ、他にもその深義を悟らせること。

そして、己が仏法の深義を知り、法に近づき、法を探求して進むと同時に、
他者にも法を尊び、追い求める修行の道を歩ませること。

――マハーナーマよ、
この十六の法を余すことなく成就する者こそ、
自らを光で満たし、また他者にも光をもたらす優婆塞と呼ばれるであろう。」

仏陀の言葉は、夜をも貫く光となって、マハーナーマの心に降り注いだ。
彼の胸は熱く震え、目には知らぬ間に涙が滲んでいた。
ただただ、仏陀の御前に額づき、無言のまま深い感謝を捧げるしかなかった。

その夜、マハーナーマは誓った。
己がこの十六の法を成し、世に安らぎをもたらす者たらんことを――。

 

 

 

 

 

 

優婆塞十六法

 

現代語訳

か?」 「世尊よ。いくつの法を成就する優要塞が、自分を安んじ他を安んずる優婆塞なのでしょう

マハーナーマは仏さまに申し上げました。

「優婆塞の十六法を成就する者が、自分を安んじ他を安んずる優婆塞です。では、十六法とはどのようなものでしょうか?

マハーナーマよ。自分自身が正しい信を持つと共に、他者にもそれを確立させる。自分が浄戒を保つと共に、他者にも浄成を確立させる。自分が布施を行うと共に、他者にも布施行を教える。 自分が塔寺に参詣してもろもろの沙門に見えると共に、他者にも塔寺への参詣と沙門に見えるこどを教える。自分が沙門の説法をひたすら拝聴すると共に、他者にも説法を拝聴することを教える。自分が法を受持すると共に、他者に受持することを教える。自分が仏法の深義を観察すると共に、他者に仏法の深義を観察することを教える。自分が仏法の深義を知って法に近づき法を追求すると共に、他者に仏法の深義を理解させて、また法に近づき法を追求する修行を行わせる。

マハーナーマよ、このように十六法を成就する者は、自分を安んじ慰めて他人を安んじ慰める

優要塞というのです。

マハーナーマよ、この十六法を成就する優婆塞のもとには、あのもろもろの大衆がすべて参詣するようになります。その大衆とはいわゆるバラモンたち、クシャトリアたち、長者たち、沙門たちであり、それらの人々の中においても十六法を成就する優婆塞の威徳は大いに輝きます。ちょうど太陽の光明が日の出から日没まで大いに輝き続けるのと同じように、優婆塞の十六法を成就する者の威途は大いに輝き続けるのです。

と。 マハーナーマよ、このように優婆塞の十六法を成就する者は、世間に

態なのです。 たとえば、瞑想や坐禅によって安心が得られるという方がおりますが、瞑想や坐禅をやっていろ時は迷いが消えても、因縁がそのままになっているならば、瞑想の定が解けた時にまた苦しみが襲ってきます。ですから、真に安らかな状態というのは、すべての因縁を解脱し、成仏した状

ょうか?」 そのように考えていきますと、「優婆塞は幾の法を成就し自ら安じ他を安んずるや」とは、 「優婆塞はいくつの法を成就すれば、自分を成仏させ、他の者を成仏させることができるのでし

マハーナーマはこの仏さまの説法を拝聴して大いに喜び、また仏の教法を讚歎したのちに座を立って礼を行い、その場を去りました。

お釈迦さまのお答えを聞いた後で、マハーナーマは「世尊よ、優婆塞は幾の法を成就し自ら安じ他を安んずるや」と質問をしました。

ここに、安んじという言葉が出てまいりますが、これは、単に心が安らかになる、ということではなく、成仏するという意味です。なぜならば、すべての因縁を解脱しなければ、完全に安らかになることはできないからです。因縁を切って初めて、本当の安心が得られるわけです。 あんじん

という意味になります。

吉し優婆塞十六法を成就する者は、是れ優婆塞自ら安んじ他を

と。 マハーナーマよ、このように優婆塞の十六法を成就する者は、世間に

態なのです。 たとえば、瞑想や坐禅によって安心が得られるという方がおりますが、瞑想や坐禅をやっていろ時は迷いが消えても、因縁がそのままになっているならば、瞑想の定が解けた時にまた苦しみが襲ってきます。ですから、真に安らかな状態というのは、すべての因縁を解脱し、成仏した状

ょうか?」 そのように考えていきますと、「優婆塞は幾の法を成就し自ら安じ他を安んずるや」とは、 「優婆塞はいくつの法を成就すれば、自分を成仏させ、他の者を成仏させることができるのでし

マハーナーマはこの仏さまの説法を拝聴して大いに喜び、また仏の教法を讚歎したのちに座を立って礼を行い、その場を去りました。

お釈迦さまのお答えを聞いた後で、マハーナーマは「世尊よ、優婆塞は幾の法を成就し自ら安じ他を安んずるや」と質問をしました。

ここに、安んじという言葉が出てまいりますが、これは、単に心が安らかになる、ということではなく、成仏するという意味です。なぜならば、すべての因縁を解脱しなければ、完全に安らかになることはできないからです。因縁を切って初めて、本当の安心が得られるわけです。 あんじん

という意味になります。

吉し優婆塞十六法を成就する者は、是れ優婆塞自ら安んじ他を

 

正信を広める

するに、すぐに、他の者にも勧めることが十六法であり。こなどによって、自分も人成仏すせることができる、と説かれているわけで

次、というわけです。

のこの分は。 アリのある小真ではない」

だけを良いていたならば、やはり「阿含経」は小乗経真といなぜならば、法とは自分だけの修行だからです。八法で他人のことを考えでいるのはくらいのもので、他は自分の悟りのことだけを考えています。

をして自分がを得るのですから、他の人に布施を勧め、その人演ぐようにしてあげるのと比較すれば、やはり、利他の行というよりは自利の行に近くな

だからこそさまはだけではなく十六法を説かれました。他利益し、成仏に向かわせることを強調されたのです。このことから。おさまの方法もそれをまとめた「阿含経」

わかしおさまがこの十六法をお説きになっていらっしゃるから立意しました。もしもへ法しかかれていなければ、阿含宗という教団はません、自分だければいい、自分だけ成仏すればいい、という仏教を立ててもしかたがないからです。

ところが、おさまは自他共に成仏させる十六法を説いていらっしゃいます。だからこそ、 わたくしは困難な道ではありますが、阿含宗立京に踏み切りました。これは、大切なことですかと、しっかりと覚えておいていただきたい。

 

『霊性の階梯 ― 成仏への道』

『霊性の階梯 ― 成仏への道』

 

燃えるような夕陽が山の端に沈むころ、一人の若き修行者――名をサーリといった――は、森深くの石窟に辿りついた。そこには、白い衣を纏った一人の聖師が静かに座していた。

「師よ、私は知りたいのです。成仏の道、仏陀の道を。」

聖師はゆっくりとまぶたを開け、サーリを見つめた。

「ならば、四つの階梯を知るがよい。」

そう言って、聖師は火を灯し、その光の下で語り始めた。

「第一に、須陀洹(しゅだおん)。それは、流れに入る者。真理という大河に足を浸した初めの者だ。

第二に、斯陀含(しだごん)。さらに深く清浄な心を持ち、欲と怒りを半ば克服した者。

第三に、阿那含(あながん)。煩悩の執着を離れ、この世に再び生まれず、天界にて最終の悟りに至る者。

そして第四に、阿羅漢(あらかん)。この世の一切の束縛を断ち切った、完成された聖者。すなわち『仏陀』と呼ばれる存在である。」

サーリは息を呑んだ。

「では、私はどうやってその階梯を登っていけばいいのでしょうか?」

聖師は瞑目し、低く答えた。

「それは――大脳辺縁系と新皮質脳を“殺す”修行によってだ。」

「殺す…?」サーリの目が見開かれた。

「誤解するでない。ここでいう“殺す”とは、一時的に沈黙させること。思考と感情の奔流を止め、間脳――霊性の座を目覚めさせるのだ。」

「間脳…それが“第三の目”?」

「そうだ。真のインスピレーションと創造力は、新皮質ではなく、間脳からやってくる。しかし間脳を開くためには、まず新皮質脳を眠らせねばならない。そして――目覚めた間脳の光に照らされて、新皮質脳は霊性を基盤にした“新しい脳”として蘇るのだ。」

サーリは思わず問いかける。

「そのための修行法とは?」

聖師は頷いた。

「それが、**釈尊が遺した“成仏法”**である。阿含経にのみ記された、霊性完成への道。七科三十七道品と呼ばれる修行の体系だ。」

火が揺れ、聖師の影が壁に揺れる。

「聞け、七科とは――

四念住(身・受・心・法を観察する瞑想)

四正断(悪を断ち、善を育てる実践)

四神足(欲・精進・念・思惟による瞑想力)

五根と五力(信・精進・念・定・慧の精神の根と力)

七覚支(悟りに至る七つの要素)

八正道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)

これらを修することで、人は仏陀へと至るのだ。」

「けれども、これほど多くの法を、私は一人でどう実践すれば…」

その問いに、聖師は静かに言った。

「――一人ではできぬ。グルの導きが必要なのだ。霊性を開顕した導師なしには、成仏法の正しき修行は成し得ぬ。なぜなら、修行は“信心”ではなく、“実際の霊的開発”だからだ。」

そして、聖師はインドの聖者、ラーマナ・マハリシの逸話を語った。

「彼が新たな弟子に凝視の法をもって迎え入れたとき、まるで電流が流れ込むような力がその者の内面に走ったという…。それこそが、真のグルの力である。」

サーリは深く頭を垂れた。

「師よ、私はその道を歩みたい。どうかお導きください。」

聖師はゆっくりと立ち上がり、星降る夜空を仰いだ。

「では、まず身を調え、息を調え、心を調えよ。そこから始めるのだ、サーリよ。」

その夜、サーリの内に静かなる覚悟が芽生えた。霊性の階梯を登る、長き旅路の始まりであった。

 

成長の道

阿含経

だが、成長の道は、平坦ではなかった。

あるとき、アジャタは大きな失敗を犯した。
僧院に寄進を持ってきた村人たちを見て、
心の奥に「施しを受ける者としての誇り」ではなく、「施しを受けることへの慢心」が生まれてしまったのだ。

「私は修行者だ。施されて当然だろう。」

そんな思いが一瞬でも胸をよぎったことを、師・カッサパはすぐに見抜いた。
その夜、火のような叱責が飛んだ。

「アジャタ! お前は何を学んできたのか! 法は飾りではない! 心が汚れたなら、百の布施も、千の聴聞も、毒にすぎぬ!」

師の怒号に、アジャタは震えながら地に伏した。
心の中で何度も言い訳を探した。
──だが、どの言葉も、自分を救ってはくれなかった。

その夜、アジャタは僧院の裏手の林に一人座った。
闇が、彼を責めた。
「お前はもう駄目だ」「修行者にふさわしくない」
そんな声が心の中で渦巻く。

彼は、帰ろうかと思った。
俗世に戻り、楽な生活を送った方がいいのではないか、と。

しかし、そのとき、ふと師のかつての言葉を思い出した。

──「聞いたならば、持て。持ったならば、観よ。観たならば、深き義に至るだろう。」──

「……まだ、私は、観てもいないではないか……」

アジャタは拳を握った。
悔しさと恥ずかしさが混じる涙が、頬を伝った。
彼は静かに額を地に伏せ、誓った。

「私は、ここで終わらない。法に生きると決めたのだ……!」

翌朝、アジャタは、まだ暗い僧院の庭を掃き始めた。
誰に見られるでもなく、静かに。
心に湧く慢心を見つけるたびに、それを払い、
生まれる煩悩をひとつひとつ見つめ、取り除いていった。

師カッサパは、遠くからその姿を見ていた。
だが、声をかけることはなかった。
ただ、静かに、ほほえみを浮かべただけだった。

月日は流れ、アジャタの中で、確かな光が育っていった。
それは、もはや誰に誇るものでもなく、
ただ、静かに己の心を照らす光だった。

ある日、師は言った。

「アジャタよ。
真の修行とは、失敗してなお、立ち上がる心にある。
お前は、ようやくそれを、身をもって知ったのだな。」

アジャタは深く深く礼をした。
彼の額には、もはや一片の慢心もなかった。
そこには、ただ静かに燃える、真実の求道の心だけがあった。

 

だが、成長の道は、平坦ではなかった。

あるとき、アジャタは大きな失敗を犯した。
僧院に寄進を持ってきた村人たちを見て、
心の奥に「施しを受ける者としての誇り」ではなく、「施しを受けることへの慢心」が生まれてしまったのだ。

「私は修行者だ。施されて当然だろう。」

そんな思いが一瞬でも胸をよぎったことを、師・カッサパはすぐに見抜いた。
その夜、火のような叱責が飛んだ。

「アジャタ! お前は何を学んできたのか! 法は飾りではない! 心が汚れたなら、百の布施も、千の聴聞も、毒にすぎぬ!」

師の怒号に、アジャタは震えながら地に伏した。
心の中で何度も言い訳を探した。
──だが、どの言葉も、自分を救ってはくれなかった。

その夜、アジャタは僧院の裏手の林に一人座った。
闇が、彼を責めた。
「お前はもう駄目だ」「修行者にふさわしくない」
そんな声が心の中で渦巻く。

彼は、帰ろうかと思った。
俗世に戻り、楽な生活を送った方がいいのではないか、と。

しかし、そのとき、ふと師のかつての言葉を思い出した。

──「聞いたならば、持て。持ったならば、観よ。観たならば、深き義に至るだろう。」──

「……まだ、私は、観てもいないではないか……」

アジャタは拳を握った。
悔しさと恥ずかしさが混じる涙が、頬を伝った。
彼は静かに額を地に伏せ、誓った。

「私は、ここで終わらない。法に生きると決めたのだ……!」

翌朝、アジャタは、まだ暗い僧院の庭を掃き始めた。
誰に見られるでもなく、静かに。
心に湧く慢心を見つけるたびに、それを払い、
生まれる煩悩をひとつひとつ見つめ、取り除いていった。

師カッサパは、遠くからその姿を見ていた。
だが、声をかけることはなかった。
ただ、静かに、ほほえみを浮かべただけだった。

月日は流れ、アジャタの中で、確かな光が育っていった。
それは、もはや誰に誇るものでもなく、
ただ、静かに己の心を照らす光だった。

ある日、師は言った。

「アジャタよ。
真の修行とは、失敗してなお、立ち上がる心にある。
お前は、ようやくそれを、身をもって知ったのだな。」

アジャタは深く深く礼をした。
彼の額には、もはや一片の慢心もなかった。
そこには、ただ静かに燃える、真実の求道の心だけがあった。