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仏教

四つの扉

 

 

 

第一章 四つの扉

その時、王者の相が、外界より秘かに降り立った。
古き契りを受け継ぐ者──真なる継承の時が、静かに告げられたのだった。

 

「解脱に至るには、四つの階梯を登らねばならぬ」

老いた師が言った時、彼の声は風のように静かで、しかし深い谷底を渡る雷鳴のように響いた。若き修行者アヤは、火を見つめるような目でその言葉に耳を傾けた。

「四つの階梯?」と彼は問い返した。

師はうなずき、灰色の石板に指で四つの言葉を書いた。

「Srota-apanna(預流果)──聖なる流れに入る者」
「Sakad-agamin(一来果)──一度だけ還る者」
「Anagamin(不還果)──還らざる者」
「Arhat(阿羅漢)──完成された者、覚者」

「この階梯を、優れた導師に従って歩めば、いかなる者も、たとえお前のような未熟者でも、解脱に至るだろう」と師は告げた。

 

アヤは目を閉じ、内なる階段を見つめた。彼の脳裏に浮かんだのは、ただ一つ──“超える”という言葉だった。

「だが、どうすれば登れるのです?」彼は問う。

師は焚火の赤い光に包まれながら、低く答えた。

「それは――大脳辺縁系と新皮質脳を“殺す”修行だ」

アヤの眉が動いた。脳を殺す?

「誤解するな」と師は言葉をつなぐ。「殺すとは、沈めること。思考と感情の暴走を鎮め、間脳――魂の霊座を開かせるのだ」

師は天を指差した。

「第三の目が閉ざされたままでは、真の創造は生まれぬ。新皮質脳が“創造の座”と呼ばれて久しい。だが、その根はもっと深い場所にある」

アヤはその言葉を胸に刻み込んだ。
それは、己の脳を超えて「見る」ための修行。次元を越える者たちが辿った、孤独なる旅路。

──斯陀含、高められし聖者。
──阿那含、次元を飛躍した聖者。
──阿羅漢、次元を超越し、完成せし者。

火が爆ぜる音が、沈黙を裂いた。

そしてアヤは、その夜、ひとつの扉を開いた。

第二章 預流果 ― 聖なる流れに触れる時

夜が深まり、世界が沈黙に包まれる頃、アヤは静かに座していた。瞼を閉じ、呼吸をたどる。耳をすませば、内なる世界に波のような囁きが流れてくる。

「まず、流れに入ることから始まる」

師の声が心に残響する。
預流果──それは、聖なる流れに初めて足を踏み入れる者の段階。

アヤは思考の渦を見つめていた。
恐れ、不安、怒り、欲望──それらが一つの川となって、自らの意識をかき乱していた。だが、彼は逃げなかった。心の川に飛び込み、その流れに身をゆだねた。

「見るのだ。自らの迷いを、正面から」

彼の目の奥に、過去の自分が現れた。
人を憎み、己を卑しみ、世を嘆いた少年の姿。
しかしその姿を否定せず、ただ見つめ、受け入れたとき、彼の内に微かな光が灯った。

それが「預流果」のはじまりだった。

──聖なる流れに触れた瞬間、アヤの魂は初めて「運命の外」に足をかけた。

第三章 一来果 ― 再びこの世に還る者

その旅は、容易ではなかった。

「次の段階に進む者は、もう一度だけこの世界に戻る」

師の言葉の意味を、アヤは肉体と魂で知った。

自らの影と向き合うたび、彼は揺れた。
怒りは再び蘇り、煩悩は形を変えて囁いた。
「悟ったと思ったか?まだだ。お前はまだ人間だ」と。

だがアヤはもう、かつての自分ではなかった。彼は影に飲まれず、また逃げもしなかった。
一度還る者として、自らの人間性を抱きしめ、深く沈黙の中へと降りていった。

その静けさの中で、アヤは再び決意した。

「もう一度、この世に戻ろう。そしてすべてを超えよう」

──一来果に至った者は、再誕の意味を知る。魂の成熟は、たった一度の「還り」を通して完了される。

第四章 不還果 ― 還らざる者の静寂

アヤはもう、恐れを持たなかった。
彼の魂は、欲の岸辺から離れ、煩悩という流れを渡り終えようとしていた。
ある夜、彼は静かに立ち上がり、深い森の奥へと歩き出した。

「もう戻らない──」

それは、生死を超えた魂のつぶやきだった。

不還果。アナガーミン。
この世に二度と還ることのない者。彼らは、再誕を必要としない。
なぜなら、この世におけるすべての執着を断ち切ったからだ。

森の奥、霧に包まれた洞窟にたどり着くと、アヤは黙して座した。
彼の内なる世界は、もはや動揺を見せなかった。感情は過ぎ去る風のように軽やかで、思考は透き通る水のように澄んでいた。

彼の眼前には、かつての父母、兄弟、そして己が愛し、憎み、懐かしんできたすべての記憶が浮かび上がった。
しかし、彼は手を伸ばさなかった。
それらを慈しみながらも、すでに彼は“所有”していなかった。

「ありがとう」と一言、彼は囁いた。
それは世界への別れの言葉だった。

──アヤは、生きながらにして輪廻を離れた。

第五章 阿羅漢 ― 光と闇を超えた者

ある朝、世界が音もなく目覚めた時、アヤはひとつの光の中にいた。
それは肉眼では捉えられない光。意識の深層でしか感じ取れぬ、純粋なる“在る”という感覚。

第三の目が、完全に開かれた。

彼の中で、新皮質脳も辺縁系も、もはや「我」の中心ではなかった。
間脳──霊性の中枢が完全に作動し、アヤの存在は大いなる「意識そのもの」と一体化していた。

彼は知った。
宇宙とは意識の舞台であり、心とはその反響に過ぎぬことを。
自己とは仮の姿であり、覚者とは「無」そのものを生きる者であることを。

そのとき、彼の名は消えた。
アヤという名も、修行という名も、言葉も過去も未来も、ただ「今」に溶けた。

阿羅漢(Arhat)。
それは、完成された者。
すべてを見通し、すべてを越え、すべてを抱きしめて“無”に帰る者。

──彼は笑った。
言葉にならぬ静けさの中で、魂が仏陀の微笑をたたえていた。

このようにして、アヤの旅は終わり、そして始まった。
なぜなら、彼が消えたとき、世界にひとつの光が芽生えたからだ。

彼の解脱は、誰かの目覚めの種となる。

四つの扉The Four Gates 3

 

四つの扉(The Four Gates)

その声は風、静けさを割って
星より深く、魂に降りる
名もなき契り、王の相継ぎ
夜を越え、扉はひらかれる

Srota-apanna 流れに乗り
Sakad-agamin 還る誓い
Anagamin すべてを超え
Arhatとなる 光のうたよ

The Four Gates

The voice is wind, it cleaves the still
Deeper than stars, it touches the soul
A vow unnamed, the mark of kings
Beyond the night, the gate unfolds

Srota-apanna — enters the stream
Sakad-agamin — returns in dream
Anagamin — all ties released
Arhat becomes — the song of peace

 

 

 

 

求聞持の明星 The Star of Gumonji

 

求聞持の明星
The Star of Gumonji

深く沈む闇の底に
忘我の風がささやいた
視床の奥に火が灯る
内なる宇宙が目覚める

明星は空にあらず
頭蓋にまたたく神の火
稲妻が我を貫いて
いま、真実がひらく時

Sinking deep into the dark abyss,
The wind of oblivion softly spoke.
A flame ignites in the thalamus core,
And the cosmos within begins to wake.

The morning star is not in the sky,
It flickers like divine fire in the brain.
A bolt of lightning pierces through me—
Now the truth unfolds at last

 

ミラクルの池  Miracle Pond

 

 

ミラクルの池  Miracle Pond

白き閃光 頬を裂き
不意に降りた霊の火
師の声さえ遠のいて
魂だけが立ち尽くす

火と水 空に舞い
チャクラは星を貫いた
導師は語らずとも
振動がすべてを語る

White flash cuts across my cheek
A sudden fire the spirit speaks
The master’s voice begins to fade
And only soul remains, afraid

Fire and water rise to sky
The chakras pierce the stars on high
The master speaks no single word
Yet in the pulse, all truth is heard

 

 

 

求聞持聡明法の秘密

求聞持聡明法の秘密

私は、深い定に入っていた。

それは、三度目の求聞持聡明法の修行であった。時も場所も忘れ、ただ己が内奥へとひたすら降りていく。私の中にある“なにか”が変わろうとしていた。

最初の修法では、真言密教の伝統的な行法をそのまま試した。けれど、それは集中力を高めこそすれ、魂の根源に触れるような変容には至らなかった。私は考え、研究し、結論に至った。――弘法大師空海が成就した求聞持法の背後には、彼が書き遺さなかった“なにか”がある。彼の遺した法は、あくまで道筋の断片に過ぎず、その奥義は、弟子たちのうち、自らの力でそれを見出す者にのみ開かれるものであったのだ。

二度目の修行では、私は古代ヨーガの技術を組み入れた。すると、体と心の奥に、確かに“響き”のようなものを感じ始めた。五十日間の行では成就に至らなかったが、私の方向性は誤っていない。そう確信した。ならば、積み重ね、延ばしてゆけばいい。この道しかない。私は信じた。心の底から。

そして三度目の修法。私は新たな方法を確立していた。それは山に籠ることなく、日常の中で行える修法であった。明星を脳裏に深く焼きつけ、あとは静かな部屋で、日々の生活の中で繰り返し、繰り返し、鍛錬を重ねていく。それは法を民衆の手の届くところへと引き戻す革新だった。

百日目の夜明け――その瞬間は、ふと訪れた。仄暗い意識のなかで、私は失心にも似た感覚に包まれた。忘我の瞬間。だが、決して眠りではなかった。

そして――稲妻。

「うあッ!」

私は叫び声をあげていた。頭蓋の奥に、まるで雷が落ちたような感覚。目の前に紫電が走り、そのあとに暗黒。――失明か!? 一瞬、恐怖が走る。しかしその直後、頭の内側、深いところに、ポッと小さな灯がともったのだ。脈拍に合わせ、冷たい白光が静かにまたたく。まるであの山中で見つめた、あの明星のように。

「そうか……これが、明星だったのか!」

私は声をあげていた。求聞持聡明法の核心に、私はついに触れたのだ――。

第三の発見。それは、「視床下部」の秘密であった。

思い返せば私は幼きころから剣道を学び、北辰一刀流の型を叩き込まれて育った。試合で面金を越えて鮮やかに面を打たれたとき、目から火が出るような衝撃を味わったことがある。あの時の閃光、そして鼻をつくキナ臭さ――それが、今、私の頭の内側でふたたび起こったのだ。外から何も受けていないのに、あの衝撃。あれは、いったい何だったのか?

私は再び静かにポーズをとり、特殊な呼吸法を用いて定に入った。そして、同じ場所に、また“火”を感じた。

それは錯覚ではなかった。私の脳の奥、間脳の「視床下部」に、実際の異変が起きていたのだ。

視床下部――それはヨーガで「サハスラーラ・チャクラ」と呼ばれる場所、宇宙の門であり、内分泌の統合の座である。今までそれが松果腺だと誤解されてきたのは、その近さゆえだろう。だが、真実は視床下部にある。私は、ヨーガの中からそれを動かすムドラーとポーズを発見し、百日間、絶え間なく物質的・精神的エネルギーをそこに集中した。

そして、神経繊維が反応を起こした。神経液か、分泌物か、それらが混ざり合い、化学反応を引き起こした。その反応が閃光となり、私の網膜に火を走らせたのだ。そしてその瞬間、私の脳の構造は、確かに一変した。

これが、求聞持聡明法の成就である。

――これは、外の神ではなく、内なる宇宙を開くための修行であった。明星は空にあるのではない。我らの頭蓋の奥、視床下部にこそ、それはまたたいていたのだ。