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仏教

光の種を蒔く者 Sower of the Seeds of Light

光の種を蒔く者

Sower of the Seeds of Light

 

深い霧の向こうに まだ見ぬ声が呼んでいる
揺れる心の奥に 小さな炎が灯る
誰かのためじゃない 自分を超えるために
この道を選ぶ ただそれだけ

きよめの風よ 身と心に吹け
煩悩の影を 今、祓いゆく
積むは光 生まれ変わるために
千の座を越えて 我は徳を蒔く者

Beyond the veil of mist, a voice I’ve yet to know is calling
Within my trembling heart, a tiny flame begins to glow
Not for the sake of others, but to rise beyond myself
This path I choose—nothing more, nothing less

Oh cleansing wind, blow through my body and soul
Drive away the shadows of delusion and desire
I sow the light, to be reborn anew
Through a thousand seats of prayer, I am the sower of light

四念住法

四念住法

旧訳では四念処という。四念処観ともいう。さとりを得るための四種の内

観・瞑想法である。身念住・受念住・心念住・法念住の四つである。

(10)この身は不浄なり。

(2)受は苦なり。

③心は無常なり。

(4)法は無我なり。

と観念し瞑想するのである。すなわち、この身体は不浄である。(すべての)感受は苦である。心は無常である。すべての事物は無我である、と観念し瞑想する。はじめはこの四項をそれぞれ別に観念し、つぎにはそれらの四つを一つにして、身体・感受・心・そしてすべての事物(法)は不浄である、また苦である、無常である、無我であるというように観念して瞑想していくのである。(わたくしは、この四念住はさきに述べた『四聖諦」を行法

化したものであろうと思っている。すくなくともふかいかかわりはあるであ

 

ろう)

四正断法

旧訳では四正勤という。断断・律儀断・随護断・修断の四つの修行。

断断=いま現に起こっている悪を断じてなくするようにはげむ修行。幾

度も断ずることをくりかえす。

修 断=まだ起こっていない悪に対して、今後起きないように努力する修行。

随護断=いますでに存在している善はこれをますます増大させるようにと努力する修行。

律儀断=まだ存在しない善に対して、これを得るように努力する修行。

 

四神足法

四如意足とも訳す。

の四種の修行法。 四つの自在力を得るための根拠となるもの。超自然的な神通力を得るため

欲神足=人間の生命力の、特に肉体上における根源的諸条件を、完全なものにする修行法。

勤神足=欲神足で得た能力をベースに、肉体上の基本的諸条件を、さらに飛躍的に向上させる修行法。

心神足=肉体的能力の向上発達を基に、精神的能力を充実させ、さらに段階的にその能力を飛躍向上させて行く。

すなわち、脳の欠陥部分を補強するための準備段階として、古い脳(古皮質)を人為的に進化させる修行法である。

 

観神足=あたらしい脳である新皮質を向上させるとともに、霊性の場である間脳を開く。それによって知性と霊性を完全に融合させる。

神とは神通のこと。妙用のはかりがたいことを、“神”という。『足”とはよりどころのこと。神通を起こす因であるから、神足と名づけるのである。

五根法

信根・精進根・念根・定根・慧根の五つ。根とは自由にはたらく能力をいう。仏法僧の三宝にたいする信と、精進・念・禅定(瞑想)・智慧が、ニル

ヴァーナにむかって高い能力を発揮する修行。

五力法

信力・精進力・念力・定力・慧力(または智力)。ニルヴァーナに至る高

21世紀は智慧の時代、

度な五つの力を得る修行。五根とおなじ徳目であるが、五根が能力的なはたらきであるのにたいし、五力はそれがいっそう進んでさらに大きな力を発揮

することができるのであり、両者は程度の差と見ることができる。

七覚支法

ちやくほうきようあん択法覚支・精進覚支・喜覚支・軽安覚支・捨覚支・定覚支・念覚支の七つをいう。ニルヴァーナへみちびく七つの修行。

択法覚支=教法の中から真実のものをえらび、いつわりのものを捨てる

智慧の修行。

精進覚支=一心に努力して退転しない修行。

喜覚支=真実の教えを学び、実行する喜びに住する修行。

軽安覚支=身心を軽快明朗にして低緊したり渋滞したりしない修行。

 

捨覚支=取捨憎愛の念をはなれて、なにごとにも心がかたよったり、心

る。 の平静が乱されない修行。対象へのとらわれを捨てる修行であ

定覚支=瞑想中も平常の行動中も集中した心を乱さない修行。

念覚支=おもいを平らかにする修行。

八正道法(八聖道とも書く)

理想の境地に達するための八つの道。

正見=正しく四諦の道理を瞑想する。

正思惟=正しく四諦の道理を思惟する。

正語=正しいことばを口にする。

正業=正しい生活をする。

21世紀は智慧の時代

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る。 正命=身・口・意の三業を清浄にして、正しい理法にしたがって生活す

正精進=道に努め励む。

正念=正道を憶念し、邪念のないこと。

正定=迷いのない清浄なるさとりの境地に入る。

要するに、正しい見解、正しい思い、正しいことば、正しい行為、正しい

生活、正しい努力、正しい気づかい、正しい精神統一のことである。

以上が、「七科三十七道品」である。

四念住法・五根法、これは、瞑想である。

四正断法・五力法・七覚支法・八正道法は、実践と瞑想である。

四神足法は、特殊なtapas (練行)である。神足とは、神通力(超人的能

である。 力)のことで、この四神足法は、超自然的な神通力を得るための四種の修行法

これが七科三十七道品の説明であるが、これを読んだあなたは、なにか気がついたことがおありではなかろうか。

というのは、七科目の修行法の中に、少々、異質と思われる修行法が一つあるのである。

そう、四神足法である。

“神通力”とは、およそ、法を論理的に説くブッダにしては、まったく似つかわしくない表現ではないか。

むしろ、異様にさえ感ずるほどである。

そう思って見ていくと、四神足法について説かれた経典があるのである。こ

の経典には、さらに破天荒ともいうべきことが説かれているのだ。

阿含仏教智慧

准胝観音──七倶胝仏母の伝説 Juntei Kannon – The Legend of the Seven Buddha Mothers

准胝観音──七倶胝仏母の伝説

Juntei Kannon – The Legend of the Seven Buddha Mothers

かつて、この世が未だ光と闇の狭間に揺れていた頃──
風は呻き、大地は裂け、無明の夜が人々を包み込んでいた。争いは止まず、病と飢えが命を蝕み、あらゆる希望は霧のように溶けていった。

その時だった。
天が、裂けた。

轟音とともに虚空が開かれ、金色の光が世界を貫いた。太陽すらかすむほどの輝き。その中心に、ひとりの女神が降り立った。
その名は──准胝仏母(じゅんていぶつも)。

彼女は静かに地を見つめ、十八の手を広げた。手には剣、蓮華、法輪、数珠。すべてが真理と慈悲、そして戦いの象徴。
その身は女神でありながら、戦士であり、聖母であった。

遠い古代、彼女はヒンドゥーの神々のもとに現れ、「ドゥルガー」と呼ばれた。
悪しき魔族が世界を脅かした時、彼女は神々の力を一身に受け、剣を手に戦場に降り立った。
雷のごとく咆哮し、嵐のように舞い、魔を討ち祓った。

だが彼女の戦いは、破壊のためではない。
弱き者を守るため、無明を払うため──そしていつか、真に人々が目覚める日を信じてのものだった。

時は流れ、彼女は仏教の教えと交わり、七億の仏を生み出す仏母となった。
その名は今や、「准胝観音(じゅんていかんのん)」として知られている。
だが、彼女は単なる観音ではない。七倶胝仏母(しちぐていぶつぼ)──無量なる仏たちの母。
その存在は、永遠にして限りなく、時間を超えて慈悲を放ち続ける聖なる存在なのだ。

あるとき、一人の母が子を求めて祈った。
あるとき、産声をあげぬ子のために、民が名を唱えた。
そのたびに彼女は現れ、そっとその手を差し伸べた。

「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ……」

この真言は風に乗り、山を越え、海を渡り、時の流れすら越えて、彼女の慈悲を今もこの世界に伝えている。

彼女の名は、「清浄無垢」を意味する。
その存在は、さとりへの道を示す灯火であり、混沌を越えて人々を導く羅針盤。

観音として数えられることもあれば、如来として讃えられることもある。
天台密教では「准胝如来」として仏部の尊とされ、真言密教では六観音の一尊に数えられた。

その身は女体とされ、水の神としての面影も残す。
安産、子授け、生命の芽吹きを見守る者。
そして曼荼羅の中に描かれる観音の種子「ブ(bu)」──それは准胝の象徴である。

彼女の物語は終わらない。
それは、苦しむすべての命が尽きるその時まで。
七倶胝仏母、准胝観音──
その輝きは、今も静かにこの世界を包んでいる。

第二章 七億の胎動

夜の帳が下りると、地上の村々には静寂が広がる。しかし、盲目の少女シィヤにとってその夜は特別だった。眠りに落ちた彼女の意識は、音も光もない虚空を越え、遥かなる存在の元へと導かれていた。

そこは、星の海を越えた場所──まるで宇宙そのものが母胎となって脈打つような、温かく荘厳な空間。

そして、彼女は見る。十八の手を持ち、静かに蓮の上に坐す女神。その顔は幾千もの命を慈しむ母のようであり、同時に、真理の剣を携えし闘神のようでもあった。

「……あなたは……誰?」

声を出したはずなのに、空気は震えず、ただ心に響く応答が返る。

「我はチュンディー──清浄無垢の光。七倶胝仏の母」

その瞬間、彼女の心に流れ込む七つの光。

慈悲、智慧、忍辱、精進、禅定、施与、真理──それぞれが一つの命、一つの宇宙を象徴する。光は渦を巻き、無数の仏たちの胎動として波紋を広げていく。

シィヤの瞳から、涙が流れた。それは盲いた瞳からではなく、魂からこぼれた涙だった。

「……この世の苦しみを、どうすれば終わらせることができるの?」

女神は微笑む。

「答えは、そなたの内にある。そなたはわが化身──わが声、わが目、わが手となる」

目覚めたとき、シィヤは小屋の中にいた。しかし、彼女の中にはもう「闇」だけが残ってはいなかった。手のひらに、いつのまにか刻まれていた七つの印。その中央には、知らぬはずの古代の文字──**「bu(ブ)」**の形が、ほのかに光を放っていた。

一方、神界では、変容を遂げた准胝が静かに座していた。

彼女の周囲には、金剛界と胎蔵界を繋ぐ曼荼羅が浮かび、その一つひとつの輪に仏たちの姿が現れては消えていく。

「この手に宿せしは、七倶胝の命……」

准胝の十八の手にそれぞれの法具が具現し、それが回転するたびに新たな光仏が顕現した。その光は彼女の胸の奥から生まれ、彼女の慈悲によって形を得るのだった。

しかし、彼女はまだ知らなかった。

七倶胝の命が生まれるところには、必ず「無明の影」もまた現れるということを──

そしてその影は、地上に迫りつつあった。

第四章 ブ(bu)の封印

東の果てにあると伝えられる「火の谷」──
そこには、かつて天界より堕ちた者が封じられていた。

シィヤは炎に包まれたその地へと足を踏み入れた。
盲目であるはずの彼女の足取りは、なぜか迷いがない。
まるで、見えぬ何かに導かれているかのように。

**

火の谷の入り口には、巨大な石柱がそびえ立っていた。
その柱には、古代語でこう刻まれている。

「ここに慈悲の種子眠るも、慈悲なき者 入るを許さず」

シィヤは手をかざし、静かに呟いた。

「慈悲とは、他者を許すこと……ではなく、共に傷つく覚悟」

その言葉に呼応するように、石柱がひとりでに割れ、炎の回廊が現れた。

彼女の試練が、始まる。

**

谷の奥、紅蓮の空のもとに立つのは、かつて天界で美と力を誇った天人──
だが今はその身を焼き、闇の契りを結んだ存在。名はラクシャーサ。

「……誰だ? この谷に入るとは」

「わたしは、シィヤ。准胝の導きにより、この地に来ました」

「チュンディーだと? ならば見せてみろ。慈悲とは、ただの偽善ではないと」

ラクシャーサは燃える剣を抜き、シィヤに向かって振り下ろす。
だがその瞬間、彼女はその刃を恐れもせずに抱きしめた。
炎が身を焦がす。それでも彼女は叫んだ。

「あなたの苦しみを、わたしが引き受ける!」

ラクシャーサの剣が止まった。
その目に宿っていた狂気が、ゆっくりと和らいでいく。

**

やがて、炎の地に蓮の光が咲いた。
空に浮かぶ十八の手──准胝の幻影が現れ、言葉を告げる。

「第一の種子、汝の内に芽吹け」

シィヤの胸に宿る黒い印が、今度は柔らかな金に染まる。
それが、慈悲の種子の証だった。

**

ラクシャーサは沈黙の中に膝をつき、目を閉じた。

「……我は敗れたのではない。許されたのだな」

「苦しみの中にある者を、敵とは呼ばない」

シィヤはそう答え、炎の谷を後にする。

そして、次の地へ──
そこには智慧の種子を守る、無知と執着に囚われた古き王が待ち受けている。

**

准胝仏母の声が、静かに響いた。

「七つのブ(bu)、すべてが揃う時、曼荼羅は再び回転を始める」

だがその背後で、もうひとつの力──
曼荼羅を断ち切らんとする「虚無の意志」が、密かに胎動を始めていた。

 

 

准胝観音の歌 The Song of Juntei Kannon

准胝観音の歌

The Song of Juntei Kannon

 

 

 

遥か彼方の山の奥
母なる慈悲が降り立つ時
戦いの炎を抱きしめて
闇を祓うその手のひら

ああ、准胝の光よ
未来を照らし、夢を繋げ
十八の手が救う命
母の愛がここに宿る

 

Far away in the mountain’s embrace,
A mother’s mercy descends with grace.
Embracing flames of battle untold,
Her hands dispel the darkness cold.

Oh, light of Juntei shining bright,
Guiding dreams and futures alight.
Eighteen hands that save and heal,
A mother’s love, eternal and real.

准胝観音──七倶胝仏母の伝説

准胝観音──七倶胝仏母の伝説

遥かなる時の彼方、まだ世界が混沌に包まれていた時代。人々は終わることのない戦火に怯え、飢えと病に苦しみ、夜の闇は絶望に満ちていた。

そんなある日、天が裂け、黄金の光が地上を照らした。その光は昼をも凌ぐほど眩しく、まるで天そのものが目覚めたかのようだった。光の中から現れたのは、一人の荘厳なる女神──准胝仏母(じゅんていぶつも)。

彼女は静かに世界を見つめ、慈悲深く両の手を広げた。その姿は神々しく、美しさと威厳に満ちていた。しかし、彼女はただの美しき女神ではなかった。彼女の十八の手には、剣、蓮華、数珠、法輪──それぞれが真理と力を象徴する神聖な法具が握られていた。彼女は慈愛に満ちた仏の母であると同時に、魔を討ち滅ぼす戦いの女神でもあったのだ。

遥かなる過去、彼女はヒンドゥーの世界でドゥルガーと呼ばれ、シヴァ神の妃として崇められていた。悪しき魔族が世界を脅かしたとき、彼女は神々の武器をその手に受け取り、戦場へと降り立った。その勇姿は雷鳴のごとく、敵を薙ぎ払う剣は嵐のようだった。しかし、ただ滅ぼすために戦ったのではない。彼女の戦いは世界を護るため、弱き者たちを守るためのものだった。

そして今、彼女は仏母として、七億の仏を生み出し、世界のすべての苦しむ者たちを救うために姿を現したのだった。

「この世の苦しみを救わん……」

その誓いとともに、彼女の体から七色の光が放たれた。光は世界の隅々まで届き、人々の心を照らした。その手のひらに触れた者は穢れを払い、名を唱えた者は新たな道を見出した。

彼女の存在はやがて仏教に取り入れられ、准胝観音(じゅんていかんのん)と呼ばれるようになった。仏の母として、あらゆる命を生み出し、慈悲の光をもたらす女神。六観音の一尊として数えられ、人々の安産や子授けを見守る観音菩薩として信仰されるようになった。

しかし、彼女の真の姿を知る者は少ない。彼女は単なる観音ではなく、悠久の時を超えて人々を救い続ける、七倶胝仏母そのものなのだ。

今もなお、彼女の名は世界のどこかで唱えられている。

「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ……」

その響きは風に乗り、時を超え、彼女の慈悲は今日も世界を包み込んでいる。

 

 

准胝とは、梵名チュンディー(Cundi) の音写で

「清浄無垢」という意味があり、さとりの道を歩ませる観音です。

しちぐていぶつぼ別名、准胝仏母、七俱胝仏母とも呼ばれます。

七俱胝とは「無量」を意味しますから、多くの諸仏の母となります。そのため観音菩薩ではないとの説もあります。経軌にも観音として説かれていないことから、天台密教では准胝如来として仏部の尊としますが、真言密教では観音の一つとして六観音の中に加えます。

求児・安産の本尊としてもまつられます。もとは水の神で、その姿は女身といわれています。

胎蔵曼荼羅中台八葉院の観音の種子は、 この准胝観音のブ(bu) 字が記されています。

 

 

准胝とは、梵名チュンディー(Cundi) の音写で

「清浄無垢」という意味があり、さとりの道を歩ませる観音です。

しちぐていぶつぼ別名、准胝仏母、七俱胝仏母とも呼ばれます。

七俱胝とは「無量」を意味しますから、多くの諸仏の母となります。そのため観音菩薩ではないとの説もあります。経軌にも観音として説かれていないことから、天台密教では准胝如来として仏部の尊としますが、真言密教では観音の一つとして六観音の中に加えます。

求児・安産の本尊としてもまつられます。もとは水の神で、その姿は女身といわれています。

胎蔵曼荼羅中台八葉院の観音の種子は、 この准胝観音のブ(bu) 字が記されています。