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仏教

四念住の門 ― 観の眼が開くとき

第三章:四念住の門 ― 観の眼が開くとき

朝の光が山の端から溢れ出すころ、ラユはひとり、谷あいの聖なる広場へと導かれていた。

老聖者は前夜の審査のあと、一言だけこう言った。

「次は、“四念住の門”だ。そこから、おまえ自身を“観る”ことが始まる。」

四念住――身、受、心、法。すべての修行は、ここから始まり、ここへ還っていく。

ラユの前には、四つの円が描かれていた。東に「身」、南に「受」、西に「心」、北に「法」。それぞれの円の中央には、光を宿した石が置かれていた。

老聖者の声が空気のように届く。

「まず、身念住だ。おまえの肉体に宿る、習慣・欲望・感覚のすべてを、ただ“観よ”。否定も肯定もせず、“ただ観る”のだ。」

ラユは東の円に静かに座る。呼吸のひとつひとつが、まるで山の風のように感じられる。骨の軋み、腹の動き、皮膚の震え――
それは、宇宙そのものの律動だった。

「つぎは、受念住。」
南の円に移動すると、突然、過去の記憶や痛み、喜び、怒りが一気に湧き上がった。

「感情の波に飲まれるな。ただ、それが“起こる”ことを見届けよ。」

涙がこぼれた。だがそれも、ただの現象。ラユはそれを観続けた。
やがて、感情の嵐が静かに去っていった。

「心念住だ。」
西の円で、ラユは“思考”そのものを凝視した。
なぜ浮かぶのか? どこから来るのか? それらが彼の意思なのか?
思考の根を辿るうちに、ふと、意識の背後に「透明な沈黙」があることに気づいた。

「法念住に入れ。」
北の円は、もっとも静かで、もっとも深かった。ラユは円の中央に座したとたん、世界との境界が消えていくのを感じた。

風の音、鳥の声、太陽の熱、そして彼自身の存在。
すべては“法”だった。
現象の流れ、因と縁、無常と空。その法が、ただそこに“ある”ことが、真理のごとく明らかになった。

その瞬間――

“観の眼”が、開いた。

まるで第三の目が、自身の内と外を同時に観ているような感覚。分離と一体が同時に在る。その中心で、ラユはただ座していた。

老聖者が、広場の外から静かにうなずいた。

「これが“観”だ。おまえの内に、観る力が生まれた。これより先、どの修行も、この観の眼なくしては進めぬ。」

ラユの額には、汗と涙と光が宿っていた。

そして彼は知った。

自分が“何者か”になる旅ではなく、すべてを観る者として“在る”旅が始まったのだ、と。

 

“観の眼”が静かに開かれたその刹那、
ラユの意識はふたたび深く沈み、不可思議な深層へと吸い込まれていった。

そこには、時のない世界が広がっていた。

音もなく、光もなく、ただ“記憶だけが燃えている”ような空間。
ふと、ひとつの風景が浮かび上がる。

――炎に包まれた城。
――黒煙の空。
――泣き叫ぶ人々と、剣を構える若き武将。

その武将の顔を、ラユは知っていた。
それは他ならぬ、自分自身だった。
かつての生。過去の転生。業の出発点。

彼は命令によって、聖地の僧院を焼き払っていた。
そのとき、燃えさかる堂の前に立ち塞がった老僧――
その目が、現在の老聖者と同じ光を湛えていた。

「おまえの業は、おまえ自身を導く。」

その声と共に、場面は闇に還り、ラユは現実へと還ってきた。

彼の胸には、はっきりと焼きついていた。
“自我の輪廻”は、自らの業の記憶によってつながっている。
そして今、その輪が破られようとしているのだ――

 

輪廻転生瞑想法 〜来世を選ぶ者たち〜

輪廻転生瞑想法 〜来世を選ぶ者たち〜

古のインド。広がるガンジスの大地には、魂が幾度も生まれ変わるという考えが、風のように人々の心に根付いていた。だがそれは、安らぎではなかった。むしろ、恐怖だった。

「来世、もし牛に生まれたらどうなるのか。人間に飼われ、殺され、食われる運命だったら…」

村人たちは焚き火のそばでささやきあった。人間に生まれたとしても、それが奴隷であったなら? 不可触民として誰からも顧みられない存在であったなら? 厳格な身分制度が支配する世界では、輪廻転生は希望ではなく、呪いに近かった。

そんな時代に、ひとりの求道者が現れた。人々は彼を「釈尊」と呼んだ。彼は語った。

「輪廻を断ち切る道がある。苦しみの再生を終わらせ、寂静の境地『涅槃』へ至る法を、私は見出した。」

釈尊の教えは次第に広まり、彼の説く八正道を実践することで、人は来世においてもよりよい生を迎えることができると信じられるようになった。やがてその法はインドを超え、アジアの広大な地へと伝播していく。

それから数千年後——

現代に生きる私は、ひとつの仮説にたどり着いた。

「人は輪廻から逃れられないのなら、それを利用すればよいのではないか?」

涅槃に入るには修行が必要だ。だが、理想の来世を自ら選べるとしたら? 知恵を高め、魂を浄め、よりよき肉体と境遇へと転生することができるとしたら?

私は仏教の教義に則りながら、新たなる瞑想法を完成させた。その名を「輪廻転生瞑想法」と呼ぶ。

それは、脳の奥深く、意識の中枢にあるチャクラを開くことから始まる。

——まずは静寂の中に身を置く。呼吸は静かに、長く。思考の波を鎮めるようにして、脳内の中心に意識を向ける。

「いま、私の魂はどこへ向かおうとしているのか…」

瞑想はただの思索ではない。脳を鍛える訓練であり、チャクラを活性化させる儀式である。思念が深まるほどに、日常生活の中でもあなたの能力は飛躍的に向上していくだろう。

そして、最後に到達するのが、脳内チャクラの開発訓練である。

——これは、輪廻を恐れず、輪廻を生きる者たちの物語である。魂の設計図を書き換え、来世を意志の力で選び取る者たちの、新しい修行の旅である。

根品ダラニ

根品ダラニ

オン サラバ  タターガ タウシューシュダク ラドラニ  サラバ
タターガ  タン

サダトビブシュタ

アシシュチテイ

ジャウン  バン コク ウン
ウン ソワワカ

オン サラバ タターガ タウシューシュダク ラドラニ サラバ タターガ タン

【日本語訳(意訳)】
「帰命(オン)し奉る、すべてを超越した如来(タターガタ)よ。最も清浄なる勝者よ、尊き女神よ。すべてを超えた如来に敬礼します。」

いくつかの語について解説すると:

オン(唵):真言の始まりによく使われる音。神聖な響きで、「帰依」「始まり」などを示す。

サラバ:全て、あらゆる、という意味。

タターガ(タターガタ):如来、仏の称号。「かくのごとく来た者」「真理に至った者」。

タウシューシュダク(多優処修妬):おそらく「タウシュティ(Tuṣita)」=兜率天(とそつてん)と関連がある清浄・歓喜の世界。

ラドラニ:女神や尊い女性神格の名。「シュリー・ラクシュミー(吉祥天)」に関連している可能性あり。

タン:真言の語尾にある終止音、あるいは尊敬の強調。

サダトビブシュタ(Sadātvibhuṣṭa または Sadātvibhuṣita)

サダー(sadā):常に、永遠に

アティ(ati):非常に、超えて

ヴィブシュタ / ヴィブシュタ(vibhuṣita):装飾された、飾られた、美しく整えられた

→ 【日本語訳】:「常に荘厳に飾られし者」または「永遠に美しく荘厳なる者」

仏や女神など神聖な存在に対する称賛の言葉と解釈されます。

アシシュチテイ(Aśiṣ-citteḥ または Aśiṣ-cittī)

アシシュ(aśiṣ):祝福、恩恵、祈願、願い

チッティ(citti / citteḥ):心、意識、思念、知性

→ 【日本語訳】:「祝福の心」「祈願する心」「恩恵の意識」

文脈により、「願いを持つ心」「加護を与える心」「神聖な知恵を宿す意識」とも訳せます。

全体としての意味(意訳例):

「常に荘厳に飾られし者よ、祝福に満ちた心よ」

もしくは宗教的な文脈では:

「永遠に尊き美をまといし神聖なる者よ、恩恵の意志をもつ智慧の光よ」

これらの言葉は、マントラや讃歌の中で神仏や菩薩の徳を讃えるために使われるものと考えられます。もし文全体の文脈があれば、さらに精密な訳も可能です。

ジャウン(ja un):この部分ははっきりしませんが、「ジャ」は智慧や火(知恵の火)、「ウン」は種子音(ビージャ)で仏の本質を象徴します。たとえば「ウン(हूं hūṁ)」は金剛薩埵(ヴァジュラサットヴァ)などに使われます。

バン(ban):おそらく「バン(वँ vaṁ)」で、水や蓮華の象徴とされるビージャ(種子音)です。

コク(koku):密教で「虚空蔵菩薩」を音写する際などに使われることがあります。虚空(アーカーシャ)を表すかもしれません。

ウン(un):再び現れる「ウン」は、力、守護、覚醒を象徴するビージャ音。

ソワワカ(svāhā):サンスクリット語「スヴァーハー」の音写。意味は「成就あれ」「そうあれ」「捧げますように」。マントラの締めくくりに頻繁に使われる言葉。

意訳まとめ

「智慧と蓮華の力よ、虚空に響け。すべてが成就しますように」

あるいはもっと簡潔に:

「智慧と慈悲の力が広がり、成就せよ」

この種の真言は、意味のある言葉というよりも「音」そのものが力を持つとされており、意味は象徴的・感覚的に理解されます。もしこのマントラがどこで唱えられているか(儀式や仏尊の名前)などがわかれば、より正確な訳ができます。

輪廻転生

はじめに

たい」 「この苦しみの世に生まれては死に、また生まれては死ぬという定めから脱し

現代人の多くは輪廻転生を否定しているが、古代インドではほとんどの人が輪廻転生を信じていた。命あるものが永遠に生まれ変わることを知っていたのである。そして、じつは、古代インドの人々は輪廻転生を恐れていた。来世でも人間に生まれ変われる保証はないので、家畜などに転生して食べられてしまうかもしれない。また、あるいは人間に生まれ変わっても、奴隷やそれ以下の階級に生まれることも考えられる。古代インドには厳格な身分制度があったので、彼らは来世に対して戦々恐々とした思いを持って生活していたわけである。 そして、

と心から願っていた。

釈尊はそのような時代に登場され、輪廻を絶って寂静の境地である涅槃(ニル

YAM

ヴァーナ)に入る教法を説かれた。また、すぐに涅槃に入れない者には、来世で天に生まれる方法を説かれたのである。そして、この釈尊の教法、つまり仏教はインド中に広まり、さらにはアジア各地へと伝播されていった。

りんね てんしようめいそうほうそのように仏教は輪廻転生から脱することを最終目標にするわけであるが、 わたくしは釈尊の教法をさらに進めて、輪廻転生を利用するという考えに至り、このほどその方法を完成させた。それが釈尊の成仏法をもとに編んだ瞑想法、「輪廻転生 瞑想法」である。これを実践するならば理想的な来世を迎えることができる。わたくしの提唱する輪廻転生瞑想法は、人は解脱しないかぎり輪廻転生をくり返すのだから、その方法を逆に利用して、いまよりもよい境遇の人間に生まれ変わろう、というものである。 システム

この輪廻転生瞑想法について、「輪廻転生瞑想法】」「輪廻転生瞑想法Ⅱ」で解説してきたが、本書は、それに引きつづいての第Ⅲ卷となる。第1巻では輪廻転生瞑想法の概要についてのべ、第Ⅱ巻では輪廻転生瞑想法の原典である釈尊の成仏法、その最も重要といえる秘法・四神足法の基本を解説した。いわゆる

 

クンダリニー・ヨイガにおける、首から下のチャクラの訓練法である。 本書では、いよいよ、首から上、とくに脳内のチャクラの開発に入る。

まず、脳の構造がどうなっているか、そしてどのようなシステムで成仏法を修行し、どうやって輪廻転生瞑想法を成就させていくかを解説する。

そのあと脳内チャクラの開発訓練に入る前に、瞑想法をふくめ、脳のトレーニングをしていただく。この訓練によって、日常生活におけるあなたの能力は飛躍的に向上するであろう。そして、最後に脳内チャクラの開発訓練に入る。 F

本来、これらの訓練法は筆にすべきものではないとされている。なぜならば、脳のチャクラの訓練は、修行のしかたによっては危険であり、慎重にしなければならないからである。

しかし、熱心な修行者のために、可能な範囲で解説した。

本書に書いたことを、しっかりと修行した上で、わたくしか、わたくしの直接の指導を受けた弟子のもとで、訓練を受けることをお勧めする。

ブータン王国(Kingdom of Bhutan

ブータン王国(Kingdom of Bhutan

インドとは、東をアルナーチャル・プラデーシュ州と、西をシッキム州と、南を西ベンガル州アッサム州と接しており、その国境線は605kmに達する。また、北の国境線470kmは中華人民共和国チベット自治区と接している。中華人民共和国との国境の大部分はヒマラヤ山脈の上を走っており、国境線が確定していない部分が多く、国境画定交渉が現在も進められている。

ヒマラヤ山脈南麓に位置し、ブータン最高峰は標高7,561mガンカー・プンスム。国土は、南部の標高100mから、北部の標高7,561mまで、7,400m以上の高低差がある。

気候は、標高3,000m以上の北部ヒマラヤ山脈の高山・ツンドラ気候、標高1,200mから3,000mの中部のモンスーン気候、標高1,200m未満の南部タライ平原亜熱帯性気候が並存する。

殺生を禁じている宗教上の理由と、資源保護の観点から、川で魚を取る事を禁じており、食用の魚は川の下流にあたるインドからの輸入に頼っている。

 

 

ブータンの宗教はチベット仏教で、ブータンは世界で唯一、チベット仏教を国教とする国です。

チベット仏教は日本と同じ大乗仏教で、菩薩信仰が強いのも特徴です。

ブータンにチベット仏教を広めたのは、グル・リンポチェ(パドマサンバヴァ)やパジョ・ドゥゴム・シクポなどで、現在のブータンの2大宗派となっています。