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仏教

仏陀の法

四神足法解說

欲神足法

動神足法

では、このクンダリニー・ヨーガの修行法と、シャカの成仏法との関連は、どのようなものであろうか?特に、わたくしがさきに「金星の法」だといった求聞持聡明法の原典である四神足法、五力法との関連はどのようなものであるのか。

まず、四神足法と五力法について見てみよう。

人間の生命力の、特に肉体上における根源的諸条件を、完全なものにする修行法。

欲神足法で得た能力をベースに、肉体上の基本的諸条件を、さらに飛躍的に向上させる修行法。

七科三十七道品の仏陀の成仏修行法は、大きく分けて、「教え」と「法」の二種に分類できる。

「法」の中心は、四神足法である。

いや、中心というより、法は、四神足法のみである。

五力法も修行法であるが、これは、四神足法の補助のようなもので、四神足法にたいし、つぎのように附随される。

(四神足法)

欲神足

動神足

神足

觀神足

(五力法)

精進力(信力)

念力

定力

慧力

四神足法、五力法以外の道品、すなわち、四念柱、四正断、七覚支、八正道は、

「教え」である。これらの教えは、四神足法について、つぎのように附随される。

四念柱

四正断

七覚支

八正道

欲神足

勤神足

心神足

觀神足

ただし、観神足を体得した聖者には、もはや教えは不要であって、八正道は、他の三神足修行者にすべて対応される教えである。

四神足法とクンダリニー・ヨーガ

さて、以上の四神足法の修行は、どのようになされるのであろうか?

それは、クンダリニー・ヨーガのチャクラの開発から始まるのである。

その関係はつぎの通りである。

「ムーラーダーラ・チャクラ

欲神足

「スヴァーディシュターナ・チャクラ

動神足

マニプーラ・チャクラ

心神足ヴィシュッダ・チャクラ

「アナーハタ・チャクラ

観神足

【アージュニャー・チャクラ

サハスラーラ・チャクラ

以上であるが、ここに非常に重大なことがある。

それは、四神足法は、クンダリニー・ヨーガのチャクラを開発しただけでは不十分

だということである。チャクラを開発すると同時に、各チャクラを統合して機能させてゆく技法が必要なのである。わたくしはいま、非常に重大、ということばを使った

が、それはそれ以上、絶対に必要なポイントなのである。

それは、どういうことか?

り出す。 2、その回路作製を可能ならしめるための神経経路を補強、さらに、新たにつく

チャクラは、チャクラを覚醒、発動させる技術によって活動を開始し、チャクラ特有の力を発生する。しかし、それだけでは、四神足法が目的とする神力(超常的能力)にまでは到底、至ることが出来ない。どうしても、これらのチャクラを統合して、 さらにパワーを加圧、加増して、重点的にはたらかせる技法が必要なのである。

それは、二つの技法である。

1、各チャクラが発生したエネルギーを、自由にコントロールし、かつ、自分の必要とする場所に自在に送達させることの出来る回路を持つ。

特に、脳にたいしての回路が重要である。

これは、特に、さきにのべた「新皮質と視床下部をつなぐ神経経路を補強す

る」ということにも、必要欠くべからざる技法なのである。

この二つの技法は、クンダリニー・ヨーガにはないものである。

ただし、全くないのではなく、これに類似した技法が一つある。

4 ある。 スシュムナー管は、脊柱の中空部にある生気の通る路で、骨骶骨から脳の下部の延髄にまで届いている。また、スシュムナー管の内側には、ヴァジリニーとよばれる気道があり、さらにその内側には、クモの糸のように細かいチトリニとよばれる気道が

それは、スシュムナー管と、ピンガラ、イダーという気道を使う法である。

クンダリニー・ヨーガというのは、だれもが体内に持つクンダリニーと名づける強大な生命の根源力を目ざめさせて、これにより、超常的体力を獲得し、特殊な精神領城に到達しようとするヨーガである。

クンダリニーは、脊柱の一番下部、尾転骨のチャクラ(ムーラーダーラ)の部分に、 蛇が三巻き半、とぐろを巻いたような形で眠っている。クンダリニーというのは、 「巻かれているもの」という意味である。

リンガクンダリニーは、そこにあるスヴァヤンブーという男根のまわりに巻きついていて、 その頭部で、スシュムナー管の入口を閉ざしている。

特殊な瞑想・思念・ムドラー・マントラ詠唱などの動作によってチャクラが発動し、

かろうか? 四神足法も、このクンダリニー・ヨーガの技法を、そのまま使ったらよいのではな

クンダリニーが目ざめると、クンダリニーは噴火した火のような激しい勢いで、スレコムナー管を上昇してゆく。クンダリニーを Serpent fire (サーベント・ファイア、 蛇の火)と呼ぶのも、そこからきているのである。

クンダリニーの目ざめとともに、スシュムナー管の両側にあるビンガラとイダーという二つの気道が開き、クンダリニーのエネルギーは、この二つの気道をも、ラセン状に上昇してゆく。この二つの気道は、その後のクンダリニーの力を調節するはたらきをする。

クンダリニー・ヨーガの目的は、聖なるものと一体となる至高の境地を目ざすので、 スシュムナー管、ピンガラ・イダーの両気道を上昇するクンダリニーのエネルギーは、 最終的に、サハスラーラ・チャクラにまで到達して、その目的を達するのである。 以上が、クンダリニー・ヨーガの気道の技法とされるものである。

そうはいかないのである。たんにチャクラを目ざめさせ、そのエネルギーを発動さ

なぜか?

う方法なのである。 クンダリニーの覚醒は、あまりにも激烈、過激すぎて、完全な脳を新しくつくりあげるのには適切でないのである。クンダリニー・ヨーガは、人間の脳の欠陥を是正する方法ではなく、そこを通り抜けて一挙に、別次元の高度の意識領域に突入してしま

せただけでは、四神足法の目的を達成することは出来ないのである。各チャクラを統合し、そのエネルギーをさらに増幅して目的のものに集中する方法が、どうしても必要なのである。

では、クンダリニーを覚醒させ、これを使ったらいいではないか。

わたくしは、すべての阿含経はもとより、仏陀にまつわるさまざまな伝説に至るまで、あらゆるものを分析した結果、仏陀の成仏法には、クンダリニー・ヨーガのクンダリニー覚醒法が用いられた形跡を発見することが出来なかった。(かれ自身は、それを完全に成就していたであろうが)

これは危険過ぎるし、かつ、ごく限られた特殊な人にしか用いられない方法であっ

た。

仏陀は、だれでもが実行できる修行法を教えた。一心に修行さえすれば、だれでもが成仏できる方法を教えたのである。だから、チャクラを使うことはとり入れたが、 クンダリニー・ヨーガの覚醒法はとり入れなかったのである。クンダリニー・エネルギーは使ったけれども、その方法はまったく違っていたのである。

では、どのようにしたのであろうか?

仏陀の Anāpāna の法

トーカーズート仏陀の修行法の中心である安那般那について、最もくわしく説いた経が雑阿含経にある。

左に載せよう。

是の如く我れ聞きぬ。一時、仏、舎衛国の祇樹給孤独園に住まいたまへり。爾の

 

 

呼吸の奥に、宇宙がひらく

「呼吸の奥に、宇宙がひらく」

山の庵にひとり座す男の前に、燃え尽きた炭火が静かに残光を放っていた。薄明の空気の中で、彼は目を閉じ、静かに呼吸をはじめた――。

一、長出入息呼吸法。

それは、まるで霧のように繊細で、川の流れのように長い呼吸。彼の肺は静かに広がり、また静かに収縮していく。一呼吸に、二十秒、三十秒、時に一分。命そのものが、空気にとけていく感覚だった。

「風と一体になれ……」
かつて師がそう言った声が、耳の奥に微かに蘇った。

二、出息呼吸法。

今度は、ただ息を吐くだけ。吸うことは意識しない。ただ、限りなく細く、長く、吐いていく。まるで己の内に巣食う煩悩を、一縷の糸のように外へ放つかのように。
吐く息の向こうには、空があった。

三、反式呼吸法。

彼は姿勢を変える。前頭部をほんの少し前へ出し、下顎をわずかに引く。胸は控えめに引き、腹はわずかに前へ出す。背筋をゆるやかに丸め、腹の空間を広げる。
息を吸うとき、腹がへこみ――吐くとき、ふくらむ。
世俗の呼吸と逆のリズム。だが、この逆転が、間脳への扉を開く鍵だと彼は知っていた。

四、強短息呼吸法。

最後に、彼は片方の鼻を指でふさぎ、もう片方の鼻で、短く、力強く、何度も呼吸する。
「火の呼吸法」と呼ばれるこの術は、眠るエネルギーを呼び覚ます。
鼓動が高まり、内なる炎が燃え上がる。だがそれは、破壊ではなく、浄化の火。
体の底から、何かが昇ってくる。命そのものが、燃えているようだった。

やがて、彼の内には静寂が訪れた。
だがその静寂は、世界の終わりではない。すべての始まりだった。

「霊性の座、間脳にて

「霊性の座、間脳にて」
それは修行と呼ぶには、あまりにも過酷な道だった。彼はそれを知っていた。
この道は、理性と情動の座――新皮質脳と大脳辺縁系を沈黙させることから始まる。

「死ぬことではない。しかし…これは、たしかに“殺す”修行だ」

そう呟いた彼の表情は、闇に沈んだ湖のように静かだった。

だが、彼は知っていた。そこにこそ、真なる霊性の目覚めがあることを。
沈黙の奥に眠る“間脳”こそが、霊感の座であり、インスピレーションの源泉であると。

真なる創造は、新皮質の思考では生まれない。創造の泉は、もっと深く、暗く、そして明るい次元――間脳にある。

「第三の目がひらくには、大脳の囁きを、まず沈めねばならぬのだ」

そう言ったのは、夢の中に現れた白衣のグルだった。老僧のような風貌で、だがその眼は燃えるように鋭く、あらゆる嘘を見通すようだった。

「道はある。シャカが遺した、霊性完成の道が。それを《成仏法》と呼ぶのだ」

その言葉に導かれ、彼は「七科三十七道品」という名の体系に向き合うこととなる。

――四念処、五根、四正断、五力、七覚支、八正道、そして四神足。

「これは単なる瞑想でも、教義でもない。tapasa――魂を焼くような修行である」

中でも「四神足法」は、常人には及びもつかぬ神通力を目指す領域だった。
しかし、それを修めるにはひとつ、避けては通れぬ条件があった。

それは――グルの存在。

「ただの教師ではない。真に霊性を開いた導師。それなくして、この修行は八分どころか一分も進まぬ」

彼は知っていた。独りでは届かぬ高みに、この肉体と魂を導く存在が必要なのだと。
すべての修行は、そのグルとの縁によって始まる。素質も、因縁も、魂の過去も、すべてを見通したうえで、導師がその門を開くのだ。

そして彼は歩き出した。
霊性の封印を解くために。間脳の目をひらくために。

――その先に、自分という存在の真実が待っていると信じて。

 

「間脳の目をひらくとき」

「間脳の目をひらくとき」

彼は、山深くの庵に籠もっていた。静寂に包まれたその場所では、風が竹林を揺らす音さえ、宇宙の律動のように感じられた。

「これは修行というには、あまりにも…死に近い行為だ」

独りごちる彼の瞳は、深く沈んでいた。それは、ただの精神統一ではない。――大脳辺縁系と新皮質脳を殺す。彼が取り組んでいるのは、そのような異様な鍛錬だった。

人間が動物として生きるために必要とされた情動の座、大脳辺縁系。理性や思考の源とされる新皮質脳。これらを沈黙させなければ、間脳は目覚めない。霊感の中心であり、インスピレーションの泉である“第三の目”が、けっして開かれることはないのだ。

彼はそれを知っていた。

だが、それは単なる否定ではなかった。辺縁系も、新皮質脳も、究極においては生き返る。いや、むしろ、まったく新しい次元で“よみがえる”のだ。霊性によって支えられた超意識の座として――。

「創造の源泉は、間脳にあるのだよ」

ある日、彼の夢の中で現れた老人がそう告げた。白い髭をたくわえ、眼光は虚空の奥を見つめていた。

「そしてその間脳を開発する道が、シャカの遺した教えなのだ」

男は目を覚ますと、ゆっくりと瞑想の座についた。呼吸を整え、意識を深淵へと沈めていく。そう、それはシャカが説いた七科三十七道品――三十七菩提分法とよばれる、成仏への体系だった。

彼はそれを、心の中で「成仏法」と呼んでいた。

それは、七つの領域を順次に超えていく修行であり、三十七の段階を経て、ついに霊性が完成される道である。煩悩を滅し、脳の奥底に隠された意識の扉を叩く旅。

すべての雑念が消え去ったとき、彼の脳裏にふと、ひとつの声が響いた。

「おまえは誰か?」

答えは、まだ霧の中だった。しかし、彼は確かに“何か”が始まったのを感じていた。


 

世界を救う唯一の仏法

 

世界を救う唯一の仏法

 

日本がこれほど悪い状態になってきたのは、カルマを断つという正しい仏教を信仰しなかったからだと考えております。成仏法のない仏教を信仰してきたために、先祖を成仏させることができず、不成仏霊・霊障のホトケが急増してしまったのです。

不成仏霊や霊障のホトケが急増したため、多くの人が「横変死の因縁」「刑獄の因縁」「肉親血授相剋の因縁をともなう家運衰退の因縁」の三大悪因縁をはじめとした、さまざまな悪因縁で苦しんでいます。だからこそ、急速度でこの世の中は、これほど悪くなってきているのです。

三大悪因縁の中でも、「横変死の因縁」を持つ人が近年急増しております。四十年ほど前は、

この因縁を持つ人は百人中二、三人でしたが、現在はその比率ははるかに高くなっております。

このまま増えていくと、いったいどういうことになってしまうのでしょうか?

この危機を救うには、お釈迦さまの成仏法しかありません。一人一人がお釈迦さまの成仏法を実践して、自分および家庭の悪因縁を断ち切り、不成仏霊・霊障のホトケを成仏させなければない、

たとえば四、五十パーセントの人が「横変死の因縁」を持ったならば、大変な惨事が起きると思います。人口の半数近くが横変死するのですから、大きな戦争が起きるかもしれませんし、原子力発電所で大事故が起きるかもしれません。あるいは、大地震が発生する可能性もあります。

わたくしたちは、この日本列島、いや、この地球上を覆っている破滅のカルマを断ち切るために、お釈迦さまの成仏法を一人でも多くの人に伝えなければいけません。この世を救うことができるのは、お釈迦さまの成仏法・七科三十七道品しかありません。

お釈迦さまがインドで説法を開始された時も、お釈迦さまお一人だけでしたが、ご自身の悟られた内容を五人の比丘に伝えられて、仏教教団の原型ができました。さらに、そこから少しずつ法の輪は広がっていき、ついにはインド社会を動かす大きな力になったのです。それから考えれば、阿含宗は決して小さな動きではありません。人数は少なくても、実に巨大な燃え上がるようなエネルギーで世界に働きかけています。

このエネルギーをもっと大きく育て上げて、どうしてもこの世界を変えなければいけません。